テノリライオン

ルルヴァードの息吹 4

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「ゲルテンベルク様、もう少しでございます……お足元にお気をつけて……」

 薄暗い空間、かすかな潮の香り。 周囲を湿っぽい岩肌に囲まれ、薄闇色の水蒸気を噴霧したような冷たい洞窟の一室。
 数人のゆっくりと進む男達と、男達に運ばれる数人の動かない人影が、その中央で足を止めた。

 押し殺したような静寂の中、ごほんごほん、と苦しげな咳が響く。 ひゅぅ、ひゅぅと擦るような細いその息は、明らかに老人のものだ。

「すぐに、楽になります……さあどうぞ、こちらにお掛けになってお待ちを……」

 用意された簡素な椅子に、贅を尽くした身なりの、しかし無残にやせ衰えた老人があえぎながら腰を下ろす。 その痛々しい様子、年月だけが彼の手足を枯れ木のように削り出したのでないことは一目瞭然だ。
 そんな彼にかしずき絶えず声をかける男の後ろで、屈強な男達がぐったりと動かない「荷物」を担ぎなおし、部屋の更に奥へと進む。


 薄暗い中に、小さな白い光がひとつ。

 男たちが、その前にかがみ込む。

 すると。 ぽう、と灯る、更に小さな、赤い光。

 男達の一人が、松明のようにその「光」を老人のもとに持ち帰る。

 紅い輝き。

 溢れるように、内から脈打っている。

 その紅は、老人の胸に――――


  *  *  *


「忘れ物ないか、ドリー」
「ないない。 向こうに行けば思い出すって」
「行ってから思い出したものを忘れ物と言うんだがな」

 真っ平らに澄み渡るガラス板のような朝の空気の中、北サンドリアの寄宿舎から、大小二つの影がのんびりと姿を現した。
 久し振りにジュノと仲間のもとを離れ、ナイトとしての定期報告の勤めを果たす為渋々サンドリア騎士団本部へと出頭するドリーと、その付き添いのイーゴリだ。

「それにしてもめんどくさいよねー。 何でナイトだってだけでこんな義務とかあるわけよ。 肩が凝るなぁ」
 ドラギーユ城の前庭とも言える、石畳と芝生が美しく整備された広場をゆっくりと横切る二人。 大きなガルカと小さなタルタルが並んでてくてくと歩く姿は、まるで親子のようだ。
 そんな彼らの左からは絶え間なく囁く噴水の水音が、右からは街灯にとまって戯れる鳥のさえずりが流れてくる。

「自分で選んどいて、往生際が悪いぞ。 いいかげん諦めろ」
「ふぃー……」
「大体この手の義務はナイトだけじゃないだろう、知らないのか? 白魔道士と黒魔道士はある程度上の位になると、数年に一回論文の提出があるらしいぞ」
「げー、それは絶対いやだなぁ」
「侍も仕える君主には節目ごとの挨拶を欠かさないと聞いたことがある」
「それはうちと似てるわねぇ」
「モンクは年一回の体力測定で基準値を下回ると、皆から『マンガでも読んでたのか』と罵られるそうだ」
「へー……」
「竜騎士はワイバーンのトップブリーダーになるとフードを推奨しないといけないし」
「…………」
「吟遊詩人にはライブチケットのノルマがある」
「……ちょっと! どこから私の事騙してる!?」


  *  *  *


「はい、それではお送りしました通知書と、騎士資格認定証をお出しください」
「はーい」
 サンドリア騎士団本部に着いた彼ら二人を待っていたのは、怒涛のような書類と手続きの山。

「ではこちらが活動内容報告書です。 昨年度に報告されて以降に行われた騎士としての活動を、箇条書きでご記入ください。 日付や期間は概ねで構いませんが、昨年からの継続内容であればこちらの欄にチェックをお願いします。 サインが必要なのはこちらとこちら、拠点とする国が以前と変わられた場合はこの下の『居住地変更』の欄に転移した月と移転先をご記入ください。 その場合はあちらの窓口にも申請が必要になりますので、向こうにあります備え付けの用紙に必要事項をご記入の上提出をお願いします。 そしてこちらが騎士資格継続確認兼誓約書になります、お名前と騎士の号と連絡先と、資格を受けられた年度とその国籍をそれぞれ二ヶ所ご記入ください。 後見人がいらっしゃる場合はこちらの用紙にその方のお名前と……」

「……ししょお。 おぼえらんない」
「去年もやっただろう」
「もうわすれた」
「手伝ってやるから、最初から順に書いていけ」

 乱れ撃ちのような係員の説明の途中からすでに涙目、後半はもはや諦めの境地で涅槃の表情になっていたドリーが、何枚もの紙を抱えてふらふらと受付を離れるなりイーゴリに泣きついた。
「もうー、えんぴつ持つのだって久し振りなのにー……」
 小さなタルタルのナイトは青息吐息で備え付けの机に向かうと、二回に一回はイーゴリの助けを受けながら慣れない書類と格闘を始めたのだった。


「……はい、結構です。 ありがとうございました」

 そして、数刻の後。
 ようやく何枚もの書類を全て埋め終えた二人が、窓口の係官の頷きに大きく息をついた。

「これで終わりでいいんですよね?」
 すっかり消耗した表情のドリーが、もう一刻も早く外の空気を吸いたいという風情で念を押す。
「はい、書類の方は整いました。 ……と、ハンスゲルド隊長の所にはもう行かれましたか?」
「へ?」
「えっと、こちらの」
 と言って係官は、初めにドリーが持ってきた通知書をすっと差し出すと、その一番後ろの紙の一番下に書いてある文章を指す。
「今期の申請でサンドリアに集う騎士殿に依頼あり、本部に寄られた際には担当指揮官ハンスゲルド二等隊長まで面会を求められたし、と」
「……見てなかった」

 がっくりとうなだれる気の毒なドリーをずるずると引きずって、手にした書類に記された行き先を確認しながらイーゴリは騎士団本部の奥へと向かっていった。


  *  *  *


 そうして着いた先の上官の部屋で聞かされた「依頼」は、つけたしのような一行の文章で召集されたにしては少々穏やかでないものだった。

「実はここしばらく、囚人が相次いで姿を消していてな」

 略式ながらも上品な白い鎧を纏い、長い黒髪を全てまとめて後ろで束ねたエルヴァーン、ハンスゲルドが彼らを迎えて説明を始める。 まだ青年の雰囲気が抜けない所があるが、ヴォルフが髪を染めたらこんな感じかしら、とドリーが思うような美丈夫だ。 何やら取り出した紙束を片手に、二人に歩み寄りながら彼は続ける。

「囚人の脱走は決して昨日今日に始まった話ではないが、各地の刑務所からの報告件数がここ数ヶ月で明らかに上昇しているのだ。 脱走手段が判然としない件も多いことから、外から手引きする者がいる可能性も否定できなくなってきた。 そこで」
 言いながらハンスゲルドは軽くかがむと、手にしていた紙の束をドリーに渡した。 話の内容にようやく表情の引き締まった彼女が小さな手でぱらぱらとめくれば、そこには脱走した囚人らしき人物の顔写真とそれぞれの情報がびっしり載っている。

「様々な調査や確認は騎士団の精鋭ですでに始めているが、何しろ消えてしまった囚人達をそのままにしておく事は出来ない。 単なる脱走なのか――まぁ、それはそれで問題なのだが――それとも何か事件性があるのかはまだ判明していないが、どちらにしても彼らを再度収容しなければならないし、同時にそこから何らかの手掛かりを得る事も十分期待できる」
「つまり、この囚人達を探し出せ、と?」
 ドリーの持つ紙をその頭上から覗いていたイーゴリが、いかつい顔を上げて彼女の上官に尋ねた。
「そういう事だが、まさかあてもなく世界を回ってもらう訳にも行かないからな。 なので、冒険者である騎士達には、各地を手分けして調査する役目を頼みたいと思う」
「人海戦術という訳ですね」
「あまりスマートとは言えないような気がするが、その通りだ」

 あっさりと作戦を要約してしまうイーゴリにやや自嘲ぎみな失笑を浮かべると、ハンスゲルドは今度は机に置かれていたファイルを取り上げてそれを繰り、何やら書き込みながら言った。
「貴君らには――そうだな、カザムに渡ってもらおう。 街とその周辺を洗ってみてくれ。 そのリストにある囚人を発見したならば可能な限り確保するのは勿論だが、その他にも何か気になる動きがあれば報告するように。 以上だ」


   *  *  *


 本部を後にした二人は、その足でサンドリア港へと向かった。 移動魔法を扱わない彼らがカザムのあるエルシモ大陸に行く為には、ジュノを経由して飛空挺を乗り継ぐ必要がある。
 料金所を抜けて、ドックのようになっている飛空挺発着場に出る。 外から吹き込む海風がドリーの赤茶色のお下げと、彼女が歩きながら目を落とす紙束の縁を軽くはためかせた。

「囚人が消える、というのはしかし、よく判らんな」
 石造りの階段をのっしのっしと降りながら、イーゴリが呟いた。
「脱走でなく、外からの『救出』だとしても――」
「消えた面々にいまひとつ共通点がないっぽいのよねぇ」
 頭上で呟かれるガルカの戦士の独り言を、ドリーが引き取る。 相変わらずリストをつらつらと眺めながら、彼女は桟橋のへりにちょこんと腰を下ろした。 滅多に見られない小難しい顔をして、波打ち際に降ろした足をぷらぷらさせている。
 みゃぁ、みゃぁというのどかな鳴き声が、遠くから聞こえていた。 外海の潮風に遊ぶウミネコ達の呼び合う声だろう。

 ドックの内側から臨む、四角い額縁に切り取られた海と空。 その空の隅っこに、ぽつんと小さい黒い点が現れた。
 かと思うと、その影は空を滑ってぐんぐんと大きくなり、一直線に額縁の真ん中を目指す。
 ウミネコの声がどこかへ散った。

「札付きの犯罪者を無作為に集める――うーん、あまり現実味のある話じゃあないな……とは言え、そんなのがどこかで徒党でも組んでるとなれば――」
「それは見過ごせないわね」
「お、やる気だな」
「そりゃもう」
 茶化すようなイーゴリの言葉に、立ち上がりながらドリーは胸を張って言い返す。 雲の中の雷鳴のような唸りを上げて、巨大な飛空挺が港に滑り込んできた。
「ナイトと言えば、正義の味方属性ぶっちぎりだからねっ」

 盛大に水飛沫を散らしながら降り立つ鉄と木の翼に、二人はゆっくりと足を向けた。


to be continued
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