テノリライオン

ルルヴァードの息吹 5

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匿名ユーザー

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 ルードは、不機嫌だった。
 自分が不機嫌な事に対して不機嫌だった。

「ごめんなさい、発着場の売り場でお友達にお土産を買うのを忘れちゃった。 すぐ戻るから」
 そう言って急ぎ足で飛空挺乗り場に向かったフォーレを、入り口の建物から離れた低い土壁に腰掛けてルードは待っていた。 すぐ後ろの海から、波音というよりは水音と言うのが相応しい、南国特有ののんびりとした海のおしゃべりが寄せては返している。
 ほぼ朝イチの便でジュノからウィンダスに帰省したというのに、遠慮を知らない太陽の底抜けな恩恵はいつのまにか天頂にさしかかろうとしていた。
 そんな明るい風景の中、ルードはいたく不機嫌だった。

 彼の足元にはいくつかの包みや紙袋。 みんな彼女の実家や友達へのお土産だ。
 ジュノから持ち込んだものがほとんどだが、それではまだ不足らしいフォーレはウィンダスに着くなり嬉々としてあちらこちらを飛び回り、主にお菓子などを買い込んでいた。
 それらはぼちぼちタルタルの二人では持ち運ぶのに苦労しそうな量になり始めているが、彼がお気に召さないのはその買い物にかかっている時間でもなければ、刻々と増えていく荷物の重量でもなかった。

 それは例えば、たいそう嬉しそうな彼女のその嬉しい理由が主に今日の自分の存在によるものであることのくすぐったさとか、
 間違いなく数刻後には始まるであろう彼女の両親やまたは友達からの暖かく屈託ない歓迎の嵐だとか、
 そういうものに慣れていないどころか始まる前から既にやるかたない居心地の悪さを感じている苛々であるとか、
 しかしこのイベントを発生させているそもそもの原因といえばそれは間違いなく自分自身の中にある一つの否定しようのない想いであるとか、
 そしてそれに付随して必然的に発生する瑣末なこれやあれやの「形式上のもの」を飲み込めず割り切れず自分をコントロールできない歯がゆさだとか、
 加えて何より自分のこんな往生際の悪い不機嫌でこの帰郷を喜んでいる彼女に水をさしたくないという二律背反だとか、
 とどめにそんな彼の頭でっかちな青さを笑い飛ばし叩き潰すように360度容赦なく広がる鬼のように陽気な風景だとか。

 つまりは生まれて初めて味わう未知の緊張に逆ギレしているのである。

「闇の王と百回戦うほうがまだ楽だ……」
 などと、彼の女友達二人が聞いたら手を打って大笑いしそうなセリフを漏らし、盛大な溜息をついてルードは飛空挺乗り場の方向に目を泳がせた。

「……ルカさん?」

 と、そんな溜息の直後に、彼は疑問形でぽろりと呟いた。
 何気なく向けた視線の先の、少し離れた人混みに、見慣れたベレー帽が紛れているのを捉えたのだ。 森の区からの通路を抜けて現れ、その足はそのまま飛空挺乗り場に向かっているように見えた。

 ジュノにいるんじゃなかったのかな、と思いながらルードはぴょんと土壁から降りる。 そして少し大きめの声で何気なく彼女を呼んだ、次の瞬間。
「おーい、ルカさ」
 言葉が途中で固まった。

 彼の呼び声に、ルカは明らかに反応した。 それだけは判った。
 彼女の気配とも言うべきものが一瞬ルードの方に向けられる。 が、恐らく動いたのはほぼ眼球だけで、その動作は一瞥すると言った方が正しい。 足早な歩みも止まらない。
 しかしルードを直接的に射抜き固まらせたのは、彼女の纏う空気そのものだった。

 別人では、ないだろうか。
 そう思わずにはいられない。 苦もなく氷点下を超えている、見たこともない彼女の表情。
 虫の居所が悪いなどという、表面的で呑気な温度ではない。 ルードは彼女のかすかな視線を感じた瞬間、自分の体が反射的に、今は着ていない漆黒の鎧を意識した事に慄然とする。 彼の戦人としての本能が、彼に警戒体勢を促したのだ。

 思わず息を呑んで立ち尽くすルードの、遥か向こうで。
 彼の声に応じて明るく反応するはずの表情は、どんな感情も見せないまま一瞬ですっと正面に戻されると、丁度彼女とすれ違ったガルカの巨体の向こうに隠れる。
 そして、消えた。
「――!?」
 ルードは目を疑う。 ガルカが通り過ぎた後も、その背後からルカの姿は現れない。
 シーフの姿隠しの技能だ、と彼はすぐに気付きはしたが、彼女のその行動に衝撃にも近い戸惑いを覚える。 何故、隠れる……?

 呆然としながらも、再度ルードは気付いた。
 ルカが消えたその瞬間、彼女のずっと背後で、一瞬戸惑ったように足並みを乱したタルタルがいた。
 ルードはそのタルタルを注視する。 彼はかすかに何かを探すような視線をさまよわせると、とにかく、といった感じで飛空挺乗り場の方に再び歩いていく。
(尾行……?)
 ルードは眉根を寄せる。 怪しい。

「お待たせ、ごめんなさい」
 と、そこにまた荷物を抱えたフォーレが戻ってきた。 はっとしてルードは、しかしそのタルタルから視線を外すことなく早口で彼女に訊いた。
「お前、今ルカさんとすれ違わなかったか」
「え、ルカさん? ううん、いたの?」
 きょとんとした表情のフォーレ。 ルードは一瞬考えると、
「ちょっとここで待ってろ、すぐ戻る」
 と言って、人混みの中へと駆けて行った。

 さんさんと明るい港に、飛空挺が滑り込んでくる。


   *  *  *


 タルタルはちっと舌打ちをした。 飛空挺に乗るのであろう所までは追ってこられたが、何を思ったかいきなりあのミスラは姿を隠した。 一か八か、とりあえず乗り込んでみるしかないか――
 と、そんな事を考えていた彼の肩に、ぽんと小さな手が置かれた。
「よう兄弟、見失ったか」
 驚いて振り向くと、そこには灰色のくりくり頭をしたタルタルが、自分と同じように飛空挺の入り口あたりを睨みながら親しげに話しかけていた。
 何だ、他にも話を聞いていた奴がいたのか、と彼は肩をすくめる。
「――ああ、何かいきなり隠れやがってな。 多分船に乗るんだと思うんだが」
「あのミスラだろう? ベレー帽をかぶった、茶色いおかっぱの」
「ああ。 とりあえず追――っ!!」
 彼の言葉がぶつんと途切れる。 話しかけてきた相手が、突然彼の胸倉を掴んで岩陰にどすんと押し付けたからだ。

「何であいつを追っている」
 ルードは低くドスの聞いた声でタルタルに迫る。 暗黒騎士の恐ろしい膂力に、彼はもがく事すら虚しいと知った。
「――んだよ、お前こそ何だ――」
「答えろ。 何であの猫を尾行していた」
 ぎりっ、とルードの腕が相手の首元を締め上げる。 顔を歪めてタルタルは言った。
「あいつがギルドでロメロさんと話してたんだよ! 薬がどうとかって言ってたから、噂のブツかと思って尾けてみたんだ!」
 不明な単語を多く含む彼の言葉に眉をひそめ、ルードは目と腕の力を緩めないまま更に尋ねる。
「ギルドってのは何だ」
「何だ、って――シーフギルドだよ。 お前、ギルドのもんじゃないのか」
「ロメロってのは」
「……上の人間だよ」
「薬とかブツってのは」
「やたらと強力な治癒力の薬を幹部連中が掴んでるって、最近の噂なんだよ」
「どこへ行くって言ってた」
「知らねぇよ、そこまで聞こえなかった! ノーグだっていう話はあるが、それがわかんねぇからこそ駄目もとであの猫を追ってんだ、なぁ、頼むから離してくんねぇかな――」
 そこまで話した所で、二人の耳に唸るようなエンジン音が響いてきた。 飛空挺が発進する轟音だ。

「ああ――畜生」
 岩肌に押し付けられながら、タルタルが忌々しげに毒づいた。 その体から力が抜ける。
 ルードは締め上げる腕をやや緩めながら、最後の質問をした。
「その薬がどうこうってのは、危ない話なのか」
「噂どまりなんだ、知らねぇよ。 上層部が絡むからには美味い話だろうとは思ってっけどな」
 相手の腕が緩んだのを見て取って、タルタルは必死でその戒めを振りほどいた。 転がるように数歩離れて、苦虫を噛み潰したような顔で服を整える。
「つーか、何なんだよお前、どこのもんだよ」
 今更ながら恐々として問うタルタルに、考え込むような顔のまま無造作に一つ手を振ってルードは言った。
「ああ、別に組織だ何だの手先ってんじゃねぇから安心していいぜ――邪魔したな」
 そして用は済んだとばかりに、不安と不満の塊のような彼を置いて、すたすたと元来た方向へと戻って行った。


   *  *  *


「まぁまぁお帰りなさい、ルードさんも遠いところをわざわざすみませんね、ああずいぶんと大荷物で。 さぁさ下ろして、ひとまず座ってくださいな」
「これはこれはよくいらっしゃいました、お疲れではないですか。 母さん、とりあえずお茶にしようじゃないか」
「はいはいそのつもりですよ、どうぞお掛けになって。 フォーレ、ちょっと手伝ってちょうだいな」
「あ、うん……っと」

 ――予想どおりだ。 激しく予想どおりだ。
 とりあえず挨拶にと向かったフォーレの実家。 到着するなりの、まさに下にも置かぬ疾風怒濤のような歓待に、小さな暗黒騎士は早くも表情の作り方に四苦八苦していた。
 と言うよりは、どう顔を作っていいか、そもそも表情とはどう作るのかを忘れてしまったように、顔の筋肉があちらこちらに迷走している。
 彼女と目が合うなり、困り果てたような助けを求めるようなすがりつかんばかりの風情を漂わせるルードに、この状態で傍を離れたらパニックに陥りかねないわ、とフォーレは苦笑いをこらえ切れなくなる。

「……母さん、私ちょっとここで荷物ほどくから。 ごめんね、お茶はゆっくりでいいわ」
「ああ……はいはい」
 娘のやや含むような返事に、母は察したようにくすりと笑うと台所へと消えていった。
 それを機に、父親は居間の小さな椅子によっこらせと腰を下ろす。 ルードもどうにかこうにか、お土産を取り出すフォーレと並んでかわいいソファーに落ち着く事が出来た。

「父さん、仕事の方はどうなの?」
「ああ、そこそこに忙しいといった所かな。 今は折り良く患者さんが途切れている所だよ……まぁ最も、医者なんてのはヒマな方がいいんだけどね」
 とりあえずルードの肝が落ち着くまで、という感じに、フォーレは父親と他愛も無い話を始める。
 お隣のお爺さんは元気かしら、いつも来ていた野良猫に子供が生まれてな、持ってきたお菓子が美味しいのよ――などなど。
 そのやりとりは暖かい居間の空気とゆっくり混ざって、慌ただしい到着の空気を鎮めながら、かろうじて所々相槌を打つルードに微笑みの作り方をやんわりと教えてくれる。
 それに助けられて、ようやく肩と背中の力が抜けてきたルード。 しかし表情は、お世辞にも寛いでいるとは言い難かった。
 勿論まだ取れない緊張のせいもある。 が、その脳裏により強烈に焼きついて彼の表情を縛り付けているのは、あのミスラの、見たこともないような眼差し――

「――そうだ、この間風邪が流行った時に、薬が足りなくなってね」
 ゆったりと続く雑談の中、思いついたように父親が言った。 薬、という言葉に、ルードがぴくっと反応する。
「慌てて他国の知り合いに連絡して、余ってる分を回してもらったんだ。 フォーレがサンドリアにいたら頼もうかとも思ったんだがね。 最近はジュノに根が張ってるのかい?」
「そうねぇ、やっぱり地の利がいいし、みんなも動きやすそうだから――」
「あ、あの」
 ルードが口を開いた。 うん? という笑顔で父親が彼を見やる。 トレイに人数分の紅茶を乗せた母親が台所から姿を現し、慣れた優しい手つきで配り始めた。 上品な葉の香りと柔らかい湯気が、テーブルの上で踊って皆の視界に動きを生み出す。
「薬――あの、最近なんですけど、何かこう――すごくいい薬が出来た、とかいう噂があったりは、しませんか?」
「すごくいい薬……?」

 慣れないシチュエーションに、まだ固さの取れないルードの口調。 それでも父親は親しげにそれを受け、しかし軽く首をかしげる。 紅茶を配り終わった母親も、お盆を胸に抱いて考えるような仕草で立ち止まった。
「うーん、最近は新薬の発表も出ていないし……特に目立った話は聞かないかな……?」
「あ、薬、というのではないけれど」
 ふっと思い出したように、母親が声を上げた。
「ほら、エルシモの方に何だか凄腕のお医者さんがいるらしいっていう……」
「ああ」
 妻の水向けを受けて、やはり何かを思い出したらしい父親が後を続ける。
「そうだね、噂と言うなら、エルシモ方面に療養に向かった重病や重体の人達がことごとく完治して戻ってきているという噂が、医者の間にあるな。 けど――」
 善い内容の話とは裏腹に、何故か彼の声はためらいがちに沈む。

「どうもその――あまり表沙汰にできないような機関が間に立っているらしくてね。 恩恵を受けているのも、どうやら一部の裕福な層というか……ある程度以上の地位のある、まぁそういった人々に限られているようなんだ」
 父親の不穏な言葉に、ルードの顔が少し険しくなる。 隣に座るフォーレがそれを伺う。
「なので、少し胡散臭いということもあるから、一般の医者の間では突っ込んで調べる者はいないようだね――調べられない、というのが正しいかもしれないが。 思い当たるのはそれぐらいだけど、薬がどうかしたかい?」
「あ、いえ。 ついさっき、そんなような話を外で聞いて。 それでです」
「ふむ。 結構噂になってるのかな……少し危ないような気はするけどねぇ」

 ふっと、リビングに沈黙が生まれる。 ルードと、そして父親も考え込むような空気になってしまったのを見た母親が、ぱちんと手を合わせると一転明るく言った。
「そうそう、昨日パイを焼いておいたのよ。 お茶と一緒に少しいかが? 持ってくるわね」
「ああ母さん、これも開けてみようじゃないか。 おいしそうだ」
 ぱたぱたとスリッパの音をたてる母親と、テーブルの上に置いていたお土産を持った父親が台所へと消えていく。

「ルード、薬って、さっきのルカさんの……?」
「ん、ああ」
 両親がいなくなった居間で、フォーレがひそっと訊いた。 半分上の空のように答えるルードはやはり何かを思案するような表情を崩さない。 彼はじっと考える。

 ――妙に一致する。 薬。 医者。 ノーグ。 エルシモ。 シーフギルド。 裏の機関……
 どれが真なのか、そもそもこの噂に真なんかあるのかも判らないが。 ルカさんは、明らかに具体的に行動してる。 ギルドで上層部と接触していた、ってのは恐らく嘘じゃないだろう。
 あの空気。 張り詰めたような、思い詰めたような……いや、あんな迷いも無駄もない鋭さは、一朝一夕のもんじゃない。 一応、以前は少々危険な仕事をしていた、という風に聞いてはいるが――シーフギルド、なのか。
 あんな冷たさを要するような仕事だったのか――

 ルードの眉根が寄る。 フォーレは少し怪訝そうに、でも静かに彼が喋りだすのを待っている。

 ――違う。 今はそんな事は問題じゃない。 あんな風になってまで、ルカさんが行動するとしたら。
 薬――医者――バルトさんの事に、決まっている。
 けど……間違いなくあの時ルカさんは一人だった。 と思う。 バルトさんがいたら、あの人が、あんな風になるもんか。 多分、敢えて一人で動いているんだ。 何故だ。 話が見えない。
 見えないけど、見えないから、気になる。 嫌な予感がする。 胸騒ぎがする。 何と言ってもいい、とにかく――

「フォーレ」
 ようやく彼女の方を向いて、ルードは言った。
「やっぱり何か嫌な感じがする。 もやもやするんだ。 何か危ないことをしようとしてそうな――」
「うん、私も話を聞いて何か変だな、とは思ったけど。 ルカさん、すごく怖い感じだったんでしょう?」
「ああ」
 怖くなった、というよりは、根本的なモードからして別人のようだった――とは、敢えて言わず。
「エルシモまではお前の移動魔法があるよな。 とりあえずここで調べられる事は調べて、あと他のメンツにも様子を……あ、いや」

 勿論、仲間の事でフォーレが行動を躊躇ったりする訳はない。 が、彼女のきりっと緊張した表情の奥底に、ごく僅かに寂しそうな色があるのを、ルードは読み取ってしまった。
 台所から、ぱりぱりとパイを切り分ける香ばしい音がする。 かすかに匂う香草は、きっと夕飯のシチューの仕込みだ。 父親が、お土産のお菓子を盛った皿を抱えて戻ってきた。

 ルードは、ぐっ、と堪えた。 色々なものを。

「……判った。 夕飯の後にしよう」
「え……あ、いいのよそんな、うちのことは――また、改めて来るから」
「改めて――や、まぁ、せっかくここまで来たしな……」

 ルカが足で移動するならば、エルシモ島までの飛空挺乗り継ぎ、またはもしかすればノーグまでの長い移動時間があるはずだった。 移動魔法のアドバンテージで今は気持ちを落ち着ける事にし、ルードはソファーに深く座りなおした。
 ルカの事も気になるが。 だからと言って今日の日を楽しみにしていたフォーレを、焦って早々に連れ出してしまうというのもあまりにつれない気が、さすがのルードもしたのだった。 そして、

「――慣れない所業を、二回に分けるのは正直しんどい」
「え、何?」
「いや、独り言」

 小声で言ってルードは、テーブルに置かれたクッキーに手を伸ばした。


to be continued
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