テノリライオン

ルルヴァードの息吹 8

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 だったら声なんかいらない。













 そう、君なら知っているはずなんだ。 なのに――



 怒りは拳に乗せられる。
 春を歌うのは雲雀の仕事だ。
 悲しみは涙が語ってくれる。
 魔術はペンで著わそう。
 喜びは、在ればそれでいい。
 心は、在ればそれでいい。


 そうとも。 なのに、君がそんな無茶をすると言うのなら、俺は――


 炎の精の雄叫びも、水の精の囁きも。
 風の精のお喋りも、雷の精の喧騒も。
 土の精の子守唄も、氷の精の呟きも。


 ずっとずっと捨てられず女々しく抱え込んでいた、この未練を、その全てを。
 今こそ君の目の前で、まとめて地獄の焼却炉に叩き込んで見せてやる。


 歌声を突き返され、たった一人海の底に連れ戻される人魚姫。
 きっと何不自由ない豊かな海の底に沈んで響く、身を切るように孤独な恋歌を。
 君は俺に、一人歌わせようというのかい?


 君の存在と、俺の魔法は、どんな天秤にも乗りはしない。
 間違ってもその二つが、引き換えになんかなってみろ。

 俺の言葉は、俺の呪文は、いつでも俺の血をまとうだろう。

 俺の笑い声は、俺の歌声は、いつでも俺の涙をまとうだろう。

 俺の声は、空気を震わせるたびにはね返り、死ぬまで俺を切り刻み続ける、凶器となる。



 それが判らないとは、言わせないよ――――――



  *  *  *



 巨大な風音と、巨大な機動音が、競うように彼を取り囲んでいた。

 高い高い夜の闇を往く飛空挺。 冒険者が船の到着までを過ごす広い船室と、強い風が絶え間なく薙ぐ甲板とを結ぶ階段の一番下に、黒いローブのエルヴァーンがぽつんと座っている。
 前かがみに肩を落とし、目の前の床をじっと見つめる様は、まるでリングサイドのボクサーだ。
 何かに追い立てられているかのような焦りの濃い表情。 そしてどうしようもなく苛立っているような落ち着きのない眼差し。 時折り思い出したように爪を噛む。
 壁に灯るランプの光が、船の揺れに合わせて彼の短い白髪をちらちらと瞬かせていた。

 そんなバルトから、やや離れて。
 船室入り口脇の壁に、腕を組んだヴォルフが寄りかかっていた。
 彼ら二人、互いの視界に、互いは入っていない。 けれど動けばすぐ判る、口を開けばすぐ聞こえる、気配が呼べばすぐ感じ取れる。 そんな位置に彼は立っていた。

 その友の存在感が、かろうじてバルトに冷静な思考を促す。 努めてそれを意識することで、エルシモに着いてからの行動を少しずつ頭の中で整理しながら、それでも幾度も漏れる大きな溜息に彼はふと苦笑した。

(思いきり騒いで取り乱して発散できないってのも、口が利けない不利益の一つなんだな――)

 目を瞑ったまま、ぐっと背を伸ばして天を仰ぐ。 頭上に垂れ込める何かを吹き払うように、バルトは最後の溜息を長く長く吐き出した。 その唇が、何かの形に動く。
 そして開いた彼の瞳は――ようやく、まっすぐになっていた。
 ヴォルフがすっと目を閉じた。


 彼らを乗せた飛空挺がゆっくりと、星空から舞い降り始める。


  *  *  *


 もうすっかり日も暮れて、虫の音涼しい、宵闇のカザム。
 沈んだ太陽の代わりに、そこかしこに焚かれた松明と見上げるほどに高い背から力強い香りを振りまく草花、その周りをふわふわと舞う光虫が町を明るく彩っている。
 身長よりも長い尻尾をひょろひょろとかざしながら、メガネのように大きな目のオポオポがそこらじゅうを闊歩する。 余すところなくカラフルで開放的なこの町は、チョコボのコミカルな鳴き声がどこよりも似合うようだ。
 そんな中を、大小二つの影が、小声で話しながら歩いていた。

「街中をざっと回ってみたが、特に暗いものは感じなかったな」
「つーかすでに真っ暗なわけです」
「やかましい。 族長さんの方はどうだった」
「特に。 ごたごたがあったとかそういう話はなし」
「ふむ」
「規模は小さいけど、あっけらかんとした町だからねぇ。 どうも掴み所がなくって困るわ」

 騎士団から調査の為に派遣され、夕方近くになってからカザムに着いたドリーとイーゴリは、手分けをして町中を検分していた。
 ミスラの族長のもとにはドリーが出向き、事情を話して近頃不穏な動きがないか尋ねる。 その間イーゴリが町並みを見て回り、騎士団から渡された脱獄者リストの顔がないか、不審な動きをしている者がいないかをチェックした。

「次は町の外周も回ってみないとな。 犯罪者がらみの問題で表の面だけさらっててもしょうがない……って、何を買い食いしてるんだ」
「だって結局夕飯食べてないじゃないよー」
 イーゴリがぶつぶつと喋っている間に、ドリーは町の一角にある売店でバナナをひと房買ってもりもりと食べ始めていた。
 全く――と諦めたような溜息をついて見せながらも、イーゴリは彼女の抱える房からちゃっかりバナナを一本失敬すると、太くごつい指で器用に皮をむきひょいと口に放り込む。 するとそれは非の打ち所のない甘さで、呑気な町の雰囲気にただでさえ保ちづらい緊張感をさらに殺ぎにかかってくるのだった。

「さて。 これからどうしようね」
 ぶらぶらと歩く二人は、民家が軒を集める一角に足を踏み入れる。 一本目のバナナの皮を木陰に投げて、ドリーは言った。
「そうだな……パトロールよろしく、夜間の町を観察してみるか。 この時間帯を外す手はないだろう」
「一般住民さん達のお話も聞いてみたくない?」
「それは明日でいいんじゃないか。 昼間の方が人が起きてるだろう」
「あーじゃ、交代にしようよ。 私明日それやるからさ、師匠はパトロール担当で。 どう?」
「……布団の誘惑が正義感に勝ってるな」
「ちがうって。 バリバリですって。 真面目な話、ここなら話を聞いて回るのは私の方が向いてそうじゃない? タルタルの多い土地柄だし」
「ふむ、まあそれは言えるかもしれんな」
「入れ替わりで師匠は昼間寝てていいからさ。 あ、つーか師匠ともなれば、徹夜の一つや二つ余裕とも言えるわね」
「そりゃお互いだろう。 徹夜の一つ二つでヘロヘロになるような鍛え方をした覚えはないぞ」
「そこはそれ、うら若い乙女は……ひゃっ!?」

 行動計画らしきものをあれこれと話す二人が、隣の区画へのトンネルへと差し掛かった時。 不意にドリーが悲鳴を上げた。
 何事かと見れば、いつのまにか忍び寄った一匹のオポオポが、ドリーがぷらぷらと手に提げていたバナナの房を目にも止まらぬ速さでかっさらった瞬間だった。 オポオポの大きな目とドリーの視線がはたとぶつかる。 途端に、命知らずな猿はバナナを抱えて脱兎のごとく現場を離脱した。

「……っ、ちょっと! こらーーっ!!」
 一瞬で我に返ったドリー。 妙な律儀さで食べかけのバナナをイーゴリに押し付けると、猿も思わず後悔するような素早さと剣幕で、ひったくり犯を追って走っていった。
「――やれやれ、隠密とは程遠い……」
 もう一つ溜息をついて、イーゴリは彼女が残していったバナナをぽいと口に放り込んだ。


  *  *  *


「んもう、どこに行った……」

 自分と同じぐらいの大きさのオポオポ。 その飛び込んだ茂みにドリーも急いで分け入るが、何しろ相手は地元の、しかも猿だ。 容易く追いつけるはずもなく、うっそうと茂る草むらの中で彼女はあっさり立ち往生する。

 しかし食い物の恨みは恐ろしい。 未練がましくガサガサとあたりをうろついていると、しばらくしてドリーはふと自分が獣道のような細い空間にいることに気がついた。
「これかしら……?」
 左右に頼りなく伸びるその獣道をきょろきょろと見回して、やや低くなっている方向を選ぶと駄目もとでその道を辿る。 すると程なくぽっかりと道が開け、明らかに町の外と判る海岸線に出くわしてしまった。 サーチライトのような月と、その明かりに囁く小さな波音が、彼女を出迎える。

「んー……?」
 赤茶色のお下げに何枚も葉っぱを乗せたまま、ドリーは首をかしげた。 そのままとことことその小さな砂浜をうろつくが、猿の歩いたような跡は見当たらず――そして、気付く。

 この小さな海岸、周囲を密に木々で覆われており――どこかに続く道はおろか、今来た獣道を除いてしまうと、人が楽に通れそうな間隙やその形跡ひとつ見当たらないのだ。
 なのに。 見ればその狭い砂浜の所々に、ロープやら布切れやら、人的活動の気配のするものが落ちており……

 ぽつん、と立ち止まってしばし考えた後、彼女ははたと元来た獣道を振り返った。


「――お、完敗か」
 小岩に腰掛けてドリーの戻りを待っていたイーゴリは、どこか怒ったような顔で駆け戻ってくる彼女が手ぶらなのを認めて、からかうような声をかけた。
 が、そんな彼のひやかしなど全く無視し、走りながら純白の鎧の留め金を外し脱ぎ始めたドリーを見て、イーゴリは何事かと眉根を寄せて立ち上がる。
「どうし――」
「変な掘立て小屋があった」
 先程までとは打って変わった真面目な口調で、ドリーはまくし立てるように喋り出した。

「町と離れた海岸線から森の中へ、人が開いた小路が通ってて――辿っていったら小屋があったの」
 言いながらも手を休めない。 篭手、脛当て、鎧と、順番に装備を解いてイーゴリの足元にがしゃがしゃと積み上げる。
「で……そこに、人が詰め込まれてる」
「何――?」

 驚きの声を上げるイーゴリ。 ついに白い防具を全て外して、アースカラーの胴衣だけになったドリーが続ける。
「リスト貸して。 関係あるかどうか判らないけど、とりあえず写真の顔がいないかをちゃんと見てくる。 白い鎧は目立っちゃうし音がするから預かってて」
「判った、気をつけろよ」
 無言で頷くドリー。 ぷくぷくの頬が少し紅潮し、別人のようにまなじりがきゅっと引き締まっている。 イーゴリからも、先刻までの小さな娘を手の上で転がすような空気は完全に消えていた。
 リストを懐に収めながらたっと駆け出した所で、ドリーは思い出したように振り返りイーゴリに言った。
「師匠、港の方に行って、近くの海岸がどんな感じになってるのか聞いといて。 さっき見た所が、人にも知られている船着場なのかどうか知りたい。 確認が終わったら私もそっちに行くから」
「ああ」

 小さなナイトの姿が再度うっそうとした茂みに消えて行くのを見届けて、イーゴリは彼女の防具をまとめて持つと足早に波止場へと向かった。


  *  *  *


(よっ……と)

 問題の掘建て小屋を間近に取り囲む木々の一つに用心深くよじ登り、ドリーはその屋根近くの隙間を見つけるとそっと覗き込んだ。 影が入らないよう、月は正面に。 その薄明かりと、小屋の中にたった一つ小さく灯るランプだけが視界の頼りだ。

 寄宿舎の一部屋ほどの広さ。 その床にだらりと横たわって動かぬ人影、あるいは起き上がっていても動く気配のない人影が、いくつも放置されている。 明らかに負の要素が濃くぞっとしない光景だが、これだけでは彼らが何故こんな所に居るのか、その理由は全く判らない。
 可能な限りの彼らの人相を識別すべく、這うようにまたがった梢の上で思いきり眉根を寄せてドリーはその中をじっと見下ろした。 徐々に目が明るさに――いや、暗さに慣れてくる。

(こういうのはルカの担当よねぇ――)
 心中でふと親友のミスラを思い浮かべながら、ドリーは静かに懐のリストを取り出した。


  *  *  *


 プロペラの轟音と緩やかに続いていた下降感が、大きな着水音にふわりと受け止められて消え去った。
「ご乗船ありがとうございました、カザムに到着です――」

 飛空挺の船内にアナウンスが響く。 バルトは階段から立ち上がり、ヴォルフと並んで出口へと向かった。
 緑に澄んだ海面を蹴立てながら速度を殺し、ゆっくりと桟橋に飛空挺がその巨大な横腹をつける。

「チョコボだな」
 ゆらめくかがり火の中、乗船口を出て町へのゲートへと足早に向かいながら、ヴォルフが言った。 隣で頷くバルト。
 と。

「――ヴォルフ? バルト」
 町へのゲートを抜けた二人に、唐突に聞き慣れた声が投げかけられた。
 驚いた二人がその方向を見ると、何やら話をしていたらしい漁師姿のタルタルに一つ頭を下げて、イーゴリが駆け寄ってくるのが彼らの目に飛び込んできた。

「おう何だ、こんな所で会うとは奇遇だな――うん、二人だけか?」
「ええ、ちょっと――火急の問題が持ち上がりまして」
「ん? どうした」
 ヴォルフのやや緊張した言葉とバルトの浮き足立ったような表情に、打ち解けた笑顔からふっと真面目な面持ちになるイーゴリ。 二人のエルヴァーンが素早く視線を交わす。
「イーゴリさん。 今お時間ありますか」
「む――いや、実はドリーの仕事で来ていてな。 あいつを待っている所なんだ」
「仕事……というと、騎士団の」
「ああ。 最近脱獄というか、犯罪者がしょっちゅう消えているってことで、それの調査だ。 ちょうど今あいつが何か見つけたらしくて、――おーい、こっちだ」
 犯罪者、という単語に、さっと険しくなった二人の表情。 しかし丁度その時、町の奥から戻ってきたドリーに気付いて手を振ったイーゴリは、その変化を見逃した。

「あれっ、どうしたの二人揃って。 ルカは?」
 少し息を切らしながら、ドリーは彼らを見上げて概ねイーゴリと同じ質問をする。 イーゴリが彼女の手から無言でリストを取った。
「ドリーさん、行方不明の犯罪者を探せという仕事なんですか」
 挨拶もそこそこに、やや切羽詰った雰囲気のヴォルフとバルトに、彼女は一瞬面食らう。
「え、うん、そう――だけど」
「……おい、こりゃあ――」

 と、リストに目を落としていたイーゴリが、不意に戸惑ったような声を上げた。
 全員の視線が集まる中、ドリーが小屋で見てチェックしてきた囚人の情報に目を走らせ続ける彼は、ぼそりと言った。

「全員……判決が、死刑じゃないか」

「へ……えぇっ? 嘘――ちょ、ちょっと見せて」
 驚いて素っ頓狂な声を上げ、もう一度リストを見ようと飛び上がるドリー。
「一緒に来て貰えませんか」
 そこに、ヴォルフの刺すような声がかぶった。
「その件とも関係があると思います、手伝って下さい。 ルカさんを探さなければ」
「え? あの子が、どうかしたの?」
「道中で説明しますから、とにかくチョコボへ。 人手が欲しい、お願いします」
 ヴォルフの言葉の途中からすでにバルトは二人に頭を下げ、身を翻して町の外へと続く門へ向かっていた。

 終始一貫した、二人の切羽詰った雰囲気。 イーゴリはリストを懐にしまうと、ドリーに彼女の白い鎧を順に返し始めた。
「とりあえず行こう、ただ事じゃなさそうだ」
「う、うん」

 イーゴリに手伝われ急かされながらわたわたと鎧を身に着けて、ドリーは早くもチョコボの手綱に手をかけている二人のエルヴァーンの後を追った。


to be continued
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