テノリライオン

ルルヴァードの息吹 9

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 むしろそちらの方が底知れぬ暗い洞窟の入り口のような、闇夜に向けてぽっかりと大きく口を開く岩穴。
 その底面から自分の足下まで続く黒い海面を音もなく滑り、外界の暗闇から浮き上がるように現れる船を、巨大な岩窟にいくつも灯るかがり火に照らされたフォーレは不安げな面持ちで眺めていた。

 ノーグ。
 海蛇の洞窟を抜けた先、エルシモ海に面する岩壁に穿たれた、小規模な町ほどもある岩窟に根付く集落――隠れ里。
 東方文化の色が濃いこの里は、世界の海で暗躍する海賊達の基地であり、同時に半ば公然のブラックマーケットでもあった。

『それらしい奴はいたか、フォーレ』
「ううん、お医者さんみたいな人も、具合の悪そうな人も特に見当たらないわ――ちょっと怖そうな人達ばっかりで、よく判らないけど……」
『判った、もうちょっとしたら戻るから、そこから動くなよ』
「うん」
 通信機から聞こえるルードの声がぷつりと途切れたのを確かめて、フォーレは疲れたような溜息をついた。

 彼女の両親から聞いた噂と、バルトと一緒に居たヴォルフから得た情報をもとに、移動魔法で二人はここノーグにやって来ていた。
 侍や忍者といった馴染みの薄い装束を身に纏った眼光鋭い者達や、服装こそ際立たないもののその静かさが何故か逆に距離感の計れない警戒心を抱かせる男達。
 そんな独特の空気が流れるこの集落をゆっくりと歩き回ってフォーレは、ルカの姿と、また問題の噂にそぐうような医師や患者の影がないかと目を走らせる。
 その間ルードは、この地底の里に根を張る者達に、彼女よりももう少し「深く」、探りを入れていた。

 そう広大な岩窟でもないが、注意深く回るにはそれなりの時間を要する。
 もうすぐ夜明けかしら、とフォーレは、再度外の闇に目を凝らした。


「あ――どうだった?」
 ほの暗い水面を眺めるのにも飽きた頃。 背後からようやく聞こえた硬い足音に振り向いてフォーレはその主を迎える。
「うーん……ルカさんが、ここで何かをしたような気配は、全くないな」
 兜は脱いで、漆黒の鎧だけを身に着けたルード。 小さな暗黒騎士は少し重い足取りで彼女の隣まで来ると、低く答える。
「薬だの医者だのの噂も……ない、と言えばない」
「――?」
 ルードの、今一つ腑に落ちない表情。 今来た方向を振り返り、岩壁に囲まれた広い空間に視線を泳がせながら彼は続ける。
「どうも、手応えが妙なんだよな――何かを知ってそうな雰囲気の奴に、何人か当たりはしたんだが」
 静かな波の音。 密かに佇む海賊の隠れ里と、フォーレの緊張した表情。
「何て言うか、肩透かしを食らったような、俺がそいつに食らわせたような……よく判んねぇ。 何かの焦点がズレてるみたいで、気持ちが悪ぃ」
 ふぅん……? と、フォーレが困ったように小さく首を傾げた、その時。

『ルード――聞こえるか』
 二人がつけたままでいた通信機から、不意にヴォルフの声が響いた。
「あ、ヴォルフさん」
 ルードが返事をする。 フォーレも小さく声を返した。
「ええと、ノーグでは特に収穫はなかったんですが。 その後何かありましたか」
『そうか――今、ドリーさんとイーゴリさんも一緒に、そっちに向かっている所だ』
「え?」
 驚いて顔を見合わせる二人。 問いを返す前に、通信機の向こうのヴォルフの声が畳み掛けてくる。
『状況がほぼ判った、これから説明する。 黒魔道士ギルドのマスターに聞いた話だが――――』


  *  *  *


「――妙な奴らがいます」

 少し離れた岩陰に、二人の男が立っている。 その暗く鋭い視線が、水辺に立つルードとフォーレに注がれていた。
「あのタルタル二人。 黒い方が何やら探りを入れているようです」
「ふん――まぁ、見るからに素人くさいが。 今はあまりきょろきょろされちゃあ困るな」
「まだ戻ってきてないですからね」
 岩壁にもたれてもう一人の報告を聞く男が、咥えていた煙草の火を指先で揉み潰す。
「何かあってからじゃ始末も面倒だ。 お互いの為に、お引取り願っておくとするか」
 男はぼそりと言うと、岩壁から大儀そうに背を離した。


  *  *  *


「………………死刑囚!?」

 じっとヴォルフの説明に聞き入っていた二人。 フォーレがその内容に、思わず高い声を上げたその瞬間。 彼女の反応にふっと上げたルードの視界に、運良くそれは入った。
「――!」
 何の気なしに――否、何の気なしを装って、彼らにぶらぶらと接近していた二人の男。
 その二人の表情が、フォーレの言葉にさっと変わったのが判った。 ポケットに突っ込まれていた手が外に出て、こちらに迫る足取りが少し早まる。
「――フォーレ、チョコボだ」
「えっ」
 緊迫したルードの表情と早口な囁きに、フォーレが何事かと顔を上げる。
「町から出るぞ、他に構わず走れ」
「――おい、お前ら」
 不意に降ってきた声にフォーレははっと振り仰ぐ。 いつのまにか背後に立っていた二人の男。 どう見ても、明らかに、お世辞にも、友好的とは言えない威圧感に、彼女の脳裏にアラートが響く。
「行け!!」
 ルードに鋭く肩を弾かれると同時に、フォーレは転がるように町の出口に向けて走り出した。
「待――っ!」
 叫ぶ男の膝ががくんと折れた。 逃げる白いローブのタルタルに向けて咄嗟に体重移動をした彼のすねが駆け出すのを、ルードが素早く斜めに地に突き立てた鎌の柄が阻んだのだ。
「……のっ!!」
 忌々しげな男二人の怒声を尻目に、一瞬で鎌を背に戻したルードも脱兎の如くチョコボ乗り場へと走り込む。


  *  *  *


 ――あそこだ。 間違いない。

 潮の匂いにじっとりと湿った、迷路のような洞窟のその片隅に、ルカは体を押し込むように座り込んでいた。 前髪の奥で、底光りするような瞳が細く開いて虚空を見つめている。

 長い時間をかけて海蛇の洞窟をくまなく調べて回った彼女は、その中に一箇所、進入できない場所を見つけていた。
 物理的に、ではない。 その一角に通じる通路の全てに、姿隠しの術で身を潜めた者たちが配置されていたのだ。 その向こうにあるものを守り何かを警戒するような雰囲気が、彼らの殺した気配からにじみ出ている。

(さて、どうするか――)
 見張りの警戒に触れる距離に入ることは避け、そのエリアから一旦遠く離れて身を休めながら、ルカは考える。

 ――あの奥に、何が、どういう状態であるのか。 普通の冒険者達の通行までは阻んでいないということは……一般には警戒を気付かれないよう、「それ」を探すつもりで来た者だけを排除しようとしている、一見してそれと判らない隠し方をしている、と見て間違いないだろう――

 立てた両膝の上にひじをつき、指を組む。 息をつめて、そこに眉間を落とす。 考える。

 ――複数個所に分散配置されている見張りを、一人で全て排除するのはまず無理だ。 あの包囲が完全に解除される見込みも薄い以上、隙を見て強行突破するしかないけど――スピード勝負に臨むのに、警備の内側の状態が全く判らないままじゃ的確に動けない。 何にしても一度、内側の様子を探っておきたい――

 しん、と静かな海蛇の洞窟。 不意に、岩肌を爪で叩くような、かしかしかし……という音が聞こえて、ルカは組んだ指の影に伏せていた瞳をつと上げる。
 と、彼女の視線の先に、いつのまにか正面に這ってきていた、この洞窟を棲み家とする大きなカニの姿が現れた。 饅頭にも似た丸い体から突き出たマッチ棒のような目と、どろんと鋭い彼女の目が、合った……ような感覚。 ふるっと二本の黒いマッチが揺らいだ。

 それがくるりと身を翻し、どこか慌てたようにかしかしかしかしと洞窟の奥に去っていく後姿を見たルカは、ふっと喉を鳴らして笑った。
 その自虐的な微笑のままに再度目を伏せ、じっと俯く。 数秒の溜めの後、やおら勢い良く立ち上がったその顔は、何かを振り払ったかのようにからっと緩んでいた。
 はっと肩で一つ息をついて、横に置いていた背負い袋をごそごそとあさり、薄緑色の服を取り出す。 習慣的に持ってきていた、伐採や採掘の時に着る軽装備――いわゆる野良着だ。
 軽く周囲を見渡して人影がないことを確かめると、ルカは素早くその服に着替えだした。

 警戒するものが、警戒しているのは、警戒だ。
 敵意とか詮索とか侵入とか――つまりそういった、好ましくないものの警戒心が発する「匂い」である。
 甲殻類にまで怯えられるような刺々しい気配。 加えてシーフ丸出しの格好でのこのこ近付いて行った日には、それだけで見張りのアンテナにあっさり引っかかってしまうだろう。 ルカは手早く上着とズボンを野良着に着替え、脱ぎ捨てたシーフの装束をしまった背負い袋を手近な岩陰に隠す。 短剣は小振りのものを選んで、一本だけ腰にさげた。

 そうして通りすがりの冒険者のように「無防備」ないでたちになると彼女は、立ったまま暗い岩肌の天井をじっと見上げ、もう一度ふぅっと息を吐く。 外と同じように、いや外よりも徹底して、『中』も着替えないといけない。
 張り詰めた物思いを追い出そうと目を閉じ、努めて体の力を抜く――けれ、ども。

 他はどうか、知らない。 が、ルカが「仕事」の時にどのように平常心をキープしていたかと言えば、それは「しくじった時の対策は立ててある」という安心感に依るところが大きくて。
 そして今、その手法が完全に封じられていることを、ルカは痛感していた。

 しくじること、失敗に終わること。 彼を治すチャンスを、棒に振ることを。
 ちらと考えただけでも、ほとんど恐怖にも近い悪寒が体を走ってしまう――

「参ったね……」
 すっかり脆くなってしまった自分に、ルカは力なく苦笑いした。 どこか遠くでぴちゃんと、冷たく水の滴る音が響く。

(完全に『戻す』ぐらいじゃないと、ダメかしら……)

 天晶堂の片隅から始まり、ここに至るまでの経緯を一切合切とっぱらって。 明るいおひさまの下で仲間達と無邪気にじゃれあっていた、あの時の柔かな自分を今、前面に押し出すことができれば――

「―― Was gleicht……wohl auf E……rden 風にいななく 声勇ましく――」

 うろうろとさまよう思考の片隅から。 ぽろり、と、ルカの口をついて歌がこぼれた。
 それは、猟人の歌。 最近覚えて、仲間達と狩りに向かう時に、ぴったりだねと歌っていた歌だった。
(これだ――)
 飛びつくようにして、ルカはその歌にしみ込んでいる情景の全てを心いっぱいに浮かべた。

 明るく軽やかなメロディから、灼けつくように懐かしい仲間達のイメージが湧き上がる。
 足下にまとわりつくドリー。 元気よく前を歩くルード。 ふっとこぼれてくれた笑みをつかまえて、顔の筋肉に定着させる。
 足をぐいと前に出す。 そう、今から行くのは、いつもの狩りだと思うのだ。 楽しいけれど、事故のないように少し気合いを入れて。 一歩、二歩。 後ろを守っているのはイーゴリとヴォルフの姿、見上げるフォーレの笑顔。 そして、隣には黒いローブの……

ist furstliche Freude, ist mannlich Verlangen, 広き狩場は我らを待つ――」

 流れる歌に、ルカは自分を乗せていく。 朗らかなスタッカートに合わせる歩調は少しずつ弾むに任せ、刺々しい気配がゆっくりとほぐれる表情に溶けていくのを感じ取る。 いつのまにか無意識にひそめていた呼吸が、ゆったりと深くなった。
 小さな歌声をまとい徐々に足取りを軽くしながら、小柄なミスラは洞窟を降りていく。 降りていく。
 見張りが塞ぐ通路の一つが見えてきた。

er starket die Glieder und wurzet das Marl いざや友よ 連れだちて

 歌も足取りも緩めずに、ルカはまっすぐそこを目指す。
 見張りの気配を捉えてから、十歩目。 相手の警戒の半径に入った。 薄手の野良着が怖い。 短剣に吸いつきそうになる手を、意志の力でどうにか押し留める。
 通路の左右を固める姿なき見張り達の耳に、さりげない歌声を進んで叩き付ける。 つい習性でつま先から下ろしてしまう足を、あえてかかとで軽く踏み鳴らして歩く。 無造作と無警戒の音で自分の存在を敵に主張することで、退路を――ためらいの元になる退路を、自ら棄てた。

Wenn Walder und Felsen uns hallend umfangen 空はみどり 気は澄みて――」

 見張りに、動く気配はない。 それでも感じる突き刺さるような視線が、彼女の皮膚の下をはいずり回る。
 その不快感に気持ちを引きずられかけて、ルカはほとんど鼻歌になってしまったメロディが繋ぎとめる仲間達のイメージを再度かき立てた。

 ――――ほらルカ、あの先にちょうどいい獲物がいるのよ――――
 ――――頼みますよ、稀代のシーフさん――――

 足元から、タルタル達が笑って声をかけてくれたような気がした。 荒れそうになる心が持ちなおす。
(……お願い、もうちょっと一緒にいて……)
 そして、

「…… tont freier und freudger der volle Pokal 獲物は山に野にみてり

 ――つるり。
 ルカの体は見張りの間をすり抜けた。 無言の圧迫感が目に見えて軽くなり、視界が開ける。
(よし――!)

 無防備を装った表情はそのままに、不審に思われないぎりぎりの速度まで歩調を落として、三か所の出口全てを見張りに囲まれたその広場全体にルカは急いで視線を走らせる。 と。

 全体的に湿っぽくごつごつとした岩壁の一角に張り付くように、唐突にぽつんと一人潜んでいる見張りの気配があるのに気がついた。
 ゆるりと足の向きを変える。 あたかも「何か面白いものでもないかと散歩している」ような表情と動作を崩さぬよう注意しながら、その見張りの向こうにある通路を目指すふりをしてぶらぶらと近付く。

(……これは――岩肌に偽装した、扉か……)
 よほど注意しなければそうと判らないほど、かすかに。
 うねる岩の切れ目が一本の線となって、その見張りの横で扉の輪郭を描いているのがルカの目に映った。
(ここだ、間違いない――)

 が。 こんな形態の扉では、鍵のタイプどころかその有無も、更には近寄れなければどちら開きなのかすらも判断できない。
 とは言え立ち止まってまじまじと見る訳にもいかず、位置と状況が把握できただけでもよしとするしかない、と、ルカはその扉の前をゆっくりと通過した。
 問題の扉の前を逸れ、行く手で緩やかなカーブを描く通路へと足を進め、扉と見張りが彼女の視界から見えなくなった――その時。
 突然、空気と地面を伝って、ずずっ、という音が聞こえた。 岩と岩が重くこすれあうような音だ。
「――――!!」

 判断、ですらなかった。
 地に着いていた片足を軸にぐるんと体を反転させ、短距離走のスタートのように思い切り体を前傾姿勢に沈めた次の瞬間、彼女のダッシュが人の速度を超えた。 残像を残し、蹴った地面が浅くえぐれて岩辺が散る。

「――っ! 止まれ!!」
 見張りの怒声を跳ね飛ばし、風のように矢のように目指す扉に迫る。
 はたして岩肌の扉が奥に向けて開いていた。 その前には今まさにそこから出てきたのであろう、一目で上流階級のものと判る服装のでっぷりと太った男と、彼の向こうに付き添うように立つ鋭い目つきの小男。 ルカはダッシュのスピードも乗せた体当たりで、その男たちをもろともに突き飛ばした。
「うわっ!!」
 ずしんと無様に転倒してくる太った男をかわして、その背後にいた見張りのシーフがルカに手を伸ばす。 鋭く横に飛んでその手をぎりぎりで避けることに成功すると、彼女は素早く扉の向こうに転がり込んで、体全体で押しつけるようにしてその大きな岩扉をばたんと閉めた。
 内側に鍵はなかった。 扉に肩を押し付けたまま素早く腰の短剣を引き抜くと、くさび代わりにそれをがっと地面と扉の間に突き立てる。 更に、すぐ横にあった体ほどの大きさの木箱を急いでひきずって扉の前をそれで塞いだ。 目的のものを見つけて、空間移動の呪札で離脱するまで持てばいい。

 勢い木箱にもたれて、乱れる息の下で途端にどっと吹き出る汗。
 ルカは鉛のような息を一つ飲み込むと、ばっと部屋を振り返った。


to be continued
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