テノリライオン
ルルヴァードの息吹 11
最終更新:
匿名ユーザー
-
view
「ヴォルフさん! 今の話は本当なんすか!」
「ねぇ、海蛇の洞窟のどこに行けばいいの!? 早く見つけないと――」
「落ち着けドリー、まだルカがそこを目指したと決まった訳じゃない」
「そんな悠長なこと言ってる場合じゃないでしょ!」
昇りたての朝日を浴びて輝く滝を背景に、六人の冒険者の度を失い入り乱れる声が響いていた。 彼らの周囲を遠巻きにちらほらと徘徊するサハギン――つるんとした紫や青の肌、ひょろりとした手足と大きな背びれの半人半魚たちが、騒々しい集団に一瞥をくれてはまたうろうろと歩き出す。
「そいつの居る、正確な位置まではわかりません。 とにかく手分けして探すしかないでしょう」
「ああ、そうだな。 行き違いのないように、入り口から広がって――」
冷静さを保ちつつ段取りを組むヴォルフとイーゴリのやりとりに、足下のドリーが今にも駆け出しそうにじりじりとしている。 彼女の横でバルトがもどかしげにメモを取り出した、その時。
「――ルカさんっ!?」
滝の方向に目を泳がせていたフォーレが、不意に大きな声を上げた。
全員がはっと弾かれたように、彼女の視線の方向を振り返る。
そびえ立つ断崖絶壁の上から、細い絹糸の幕が垂れ下がる。 その滝が注ぐ清冽な池の傍らに――いつのまにそこに居たのだろうか、一人のミスラがぺたんと座り込んでいる姿が皆の目に飛び込んできた。
薄い水煙の向こうの茶色いおかっぱ頭と猫耳を隠すベレー帽は、彼女に間違いない。 しかし何故か野良着を着て、そして悪い夢から覚めたばかりのようにどこかしら悄然として俯き、膝の先あたりの地面と自分の手を呆然と見つめている。
その姿を認めたバルトは大きく安堵の息を吸い込み、彼女に向かって駆け出していた。 が――その足取りが、ふっと緩む。
何か……雰囲気が、妙だ。 正体不明の違和感と胸騒ぎに戸惑いながら、改めて彼女に目をこらす――
「ルカさん!」
「ルカっ! ああよかった、どこ行ってたのよ!!」
そんな彼を追い越して、ルードとドリーがそれぞれに彼女に駆け寄っていく。 タルタル二人の明るい声に、ルカがようやくゆっくりと面を上げた。
と、それを目にした皆が、順に目を見張った。 何故ならその顔は、すっかり涙でぐしゃぐしゃになっていて――
「……ルカ? ちょっと、どうしたの?」
ドリーが驚きの声を上げ、駆け寄る足をさらに速めた。 その時。
「な……っ!? ドリー! ルードっ!」
二人の背後で、イーゴリの鋭い声が響いた。 突然の張り詰めた警戒信号に、何事かと二人が咄嗟に周囲に目をやると。
「ギャァッ!!」
一体どうしたことか。 それまで全く無関心にあたりをうろついていたサハギン達が、一転獲物を見つけた時のような禍々しい雄叫びを上げ、彼らを取り巻くように一斉に襲いかかってきたのだ。
「……おい! 何だよ!!」
ルードが唖然としつつも、迫り来るサハギンに向け反射的に背中の黒い鎌を抜き放って身構える。
およそモンスターというものは本能的に、自分よりも圧倒的に強いとみなす相手には接触しようとしない。 そしてルカも含め、それなりの鍛錬をしてきた彼ら七人の持つ「気配」は、この界隈にいるランクのモンスターであれば一切寄せ付けないもののはずなのだ。
「ちょ……っと、何でよ!? まさか亜種――」
ルードと背中合わせに片手剣を構えたドリーが、予想外の事態に不安げな声を上げた時。
「――違う! ルカだ!!」
同じく大きな片手斧を抜きつつ、サハギン達の動きを大きく見渡していたイーゴリが叫んだ。 その声に、二人がはっと再度彼女の方を見る。
いつのまにかルカが、 ゆらりと立ち上がっていた。 そして自分を見上げるタルタル達も周囲の光景も、何一つ見えていない夢遊病者のような表情で頼りなく足を踏み出すと、目の前で背中合わせに武器を構える二人の間をすっと抜けていく。
するととたんに、彼らの左右から迫っていたサハギン達の進行方向が、ルカから伸びる見えない糸に引かれるかのようにぐいと曲がった。
間違いない、ルカを狙っている――!!
「って――何なんだよお前ら! この……」
「ルカ! ルカ!!」
二人のタルタルが左右計三匹のサハギンを、そしてイーゴリが自分を追い抜いてルカに向かおうとする二匹のサハギンの足をどうにか食い止める。
何しろ狙われている当のルカが無防備な野良着姿のうえ、全く警戒する様子すら見せないのだ。 いくら低級のモンスターが相手とは言え、何匹分もの爪や牙の前に無抵抗なままの彼女を晒す訳にはいかない。
そんな中を憑かれたように歩く彼女の左の手のひらで、かすかに赤い光が瞬いたのを、ヴォルフは見た。 その不思議な脈動に合わせて、ドリーらに足止めされるサハギン達の啼き声が不協和音の合唱となって響く。
雲の上を渡るような彼女の歩みが、徐々に速く、鋭くなっていく。 無言でドリーとルードの間を素通りし、イーゴリの広い背をすり抜け、フォーレの脇を駆け抜ける。
それまでずっと成す術なく立ち尽くしていたフォーレが、息を呑んだ。 自分に――いや、自分にだけでなく誰にも目をくれずに進む、ルカの――苦しそうに、切なそうに、また泣きそうに歪んでいる顔が、怯む小さな瞳に焼き付いたのだ。
小走りになるルカの左手が、ぴくりと動く――
「――!!」
あと数歩に迫ったルカの、思い詰めたような只ならぬ雰囲気に、悪寒とも戦慄ともつかない言い知れぬ不安を覚えたバルトとヴォルフの体が、同時に動いた。
バルトがひそめた目を彼女から逸らさぬまま、何をする気か、と問うように一歩後退する。 彼の手からメモが滑って落ちた。
ヴォルフは咄嗟に二人の間に入り、突き進むルカを一旦止めようとした。 が。
するり、と。
ヴォルフの広げた腕が、空を掻いた――
* * *
「ルカさん!」
……懐かしい声が、聞こえた。
自分を包む白い光が消えて、ルルヴァードの部屋から地上に放り出されたことが判っても、まだルカは呆然としていた。
さっきまで身を置いていた光景――薄暗い部屋にいくつも灯る蜂蜜色のかがり火と湿った岩肌、おぞましい人間の抜け殻たち。 そして純白のルルヴァード――それら全てがかき消え、代わりに眩しい朝日が彼女を照らしている。
もしかして、全部、夢だったのではあるまいか――
暖かく頬を撫ぜる芳しい南国の風に、ふとそんな思いが彼女の脳裏をかすめた。 しかしぼんやりと落とした視線の先の左手は、それを熱く冷たく否定する赤い光をしっかりと握っている。
「ルカっ! ああよかった、どこ行ってたのよ!!」
もう一つ、懐かしい声。 ようやくゆっくりと彼女は顔を上げる。
そして――見つけた。
まばゆい朝日を背負って、白い鎧と黒い鎧のタルタルが心配そうな面持ちで駆けてくる。 そのずっと向こうには大きなガルカと、ほっとしたような笑顔の、もう一人白いローブのタルタルの少女。 背の高い赤魔道士が、後ろに控えている。
その横に立つ、黒いローブのエルヴァーンと――目が合った。
瞬間、心臓がどくんと大きく打つ。 同時に、その魔道士の姿以外の一切が、ルカの意識の上から消え失せた。
ふらり、とルカは立ち上がる。 誰かに縫い付けられてしまったかのように、彼から視線が外せなくなっていた。
その襟元から覗く黒い傷が心に浮かぶと、左手がじわりと熱くなったような気がした。
――駄目だ。 駄目だ。
地下で見た、ミイラの山が脳裏に蘇る。 あんな十字架を、彼に背負わせるなんて絶対に駄目だ。
そう思っているのに、足は一歩、前に出る。 何か自分のものとは違う力が、自分を動かしている――の、だろうか。 頭は必死で自分を引き止めているけれど、その声に耳をふさいでこの足を運んでいるのが、左手の熱なのか自分の心なのか、ぎりぎりの所で区別がつかない――
――聞きたい。
――取り戻してほしい。
――もしこれで、私が潰れてしまったら。
――『使い切ったりはしないで済むと思うよ』――
――無邪気な白いルルヴァード。 その背後の屍。
――近付いてくるバルトの、戸惑ったような顔。 可愛い顔。 忘れられるはずのないその声――
気が、狂いそうだ。
二つの相反する思いに引き裂かれ張り裂けそうな意識の片隅で、翻弄される理性が悲鳴を上げていた。
胸が苦しい。 息ができない。 頭の中が、灼けるように熱い――
赤い光の放つ凶暴な力が、冷静になろうとする彼女の心をかき乱している。
それと同時に、彼女がここまでやって来たその動機を、気持ちを殊更に彼女自身に見せつけながら、舌なめずりをするようにその足を彼の方へと引きずっている。
ようやくそれだけが判った。 けれどその時には、すでに目の前に、黒いローブのエルヴァーン。
見るたびに切ない、大きな黒い傷が目に飛び込んでくる。 観念するようにルカの体からつうっと力が抜けた。
――――これで、いいや――――
彼女の持つ赤い光が、ひたとバルトの喉に吸い付いた。
* * *
「どうし――ルカ、さん!!」
フォーレの、悲鳴にも近い声が迸った。
ヴォルフの遮る腕をこともなげに潜り抜けたルカは、ほんの数歩でふわりとバルトの前に立った。
無言の彼女を前に咄嗟に行動を決めかねて、困ったような焦ったような顔で、上げかけた手を宙に泳がせる彼を、間近で見上げる。
そして懐かしげに右手を彼の肩に置き、一瞬だけ微笑みを――愛しげな、それでいて激痛に耐えているかのような微笑みを浮かべて、ふっとその左手を彼の喉元に這わせた、次の瞬間。
それは、始まった。
ルカの左手からばちっと何かが爆ぜるような音がして、その手のひらが彼の傷にびしりと張り付く。
驚いたバルトが慌ててその腕を掴んで剥がそうとするが、まるで見えない牙が食い込んでいるかのように離れない。 その間に漏れる赤い光から、地底で巨大な機械が目を覚ましたような、低く不気味な唸りが響き出す。
彼女の細い手首を掴んだままで、バルトの表情がぐっと歪んだ。 未知の――はずなのに、どこか覚えのある――そして決して不快ではない、むしろ満ち足りていくようなこの感覚は……
(……魔力、吸収――?)
ルカの手のひらから、恐ろしい勢いで何かが流れ込んで来る。 黒魔道士の彼はその現象が、アスピルという魔法を使った時のものに酷似していることに即刻気がつくが、しかしアスピルは「吸収」の魔法であって――こんな、反対に向こうからねじ込んでくるような、逆方向の働きはありえないはずだった。
その上そのエネルギーの波は、魔力のもととなるべく彼の体全体に浸透するのではなく。 彼の喉元に黒々と残る傷口でことごとく止まっては、そこに喰らい付くように染み込んでいくのだ。
(まさか……これが、研究の『成果』――!!)
ここに至るまでに考えていた中で、最悪の事態の発動だった。 真っ黒な戦慄が全身を駆け抜け、バルトは怯えるように問いかけるようにルカの顔を覗き込む。
と、そんな彼の視線の先で、まだ涙の跡を残しながらも奇妙に穏やかだった彼女の瞳がふっと閉じ、突然その体が力を失ってがくんと落ちた。 反射的にに彼は空いていた左腕で彼女を抱き止める。 そして同時に「魔力吸収」の感覚が「生命力吸収」へと切り替わった事を知った。
己が手を彼の喉に張り付かせたまま眠ってしまったかのように、一切の力が失せたルカの体。 そこから徐々に、しかし確実に、生気が抜けていく。 抱きかかえる腕の中でぐんぐんと疲弊していく彼女の気配に心を凍りつくような恐怖で押し潰され、バルトは無言の叫び声を上げた。
「湧水の流れよ大地の輪廻よただ今こそ我が元に――――」
真っ先に反応したのはフォーレだった。 ルカがくずおれるが早いかその異変の正体を感じ取り、だっと駆け寄って回復の呪文を紡ぎ始める。
白魔道士の降ろす、アルタナの恩恵。 溢れる強力な癒しの光がルカの体を包み、彼女の体に一瞬活力が戻る。
だがそれは、穴のあいたグラスに水を注ぐようなものだった。
補われたそばからその生気はあっという間にバルトへと流れ出てしまい、すぐにまたルカの体力が蝕まれ始める。
その恐ろしい手応えに青ざめながらも、フォーレは再度呪文を唱え出した。 その間にもみるみる生気は流れ出す。
ヴォルフが詠唱に参加した。 白魔道士ほどに強力ではないが、その分素早い回復魔法が、フォーレの詠唱の間を縫って立ち上がる。
「ドリー! お前も行け!」
早々に二匹のサハギンを打ち倒したイーゴリが、小さなナイトに駆け寄りながら叫んだ。 その声に、ドリーは打たれたように身を翻してルカと彼女を囲む魔道士たちの方へ走り出す。 そんな彼女を追おうとしたサハギンの前に、ガルカの巨躯が立ちはだかった。
半人半魚の濁った啼き声が、透明な滝壺へと呑み込まれていく――
既に意識を失い、ぐったりとバルトに抱き止められるルカが、フォーレ、ヴォルフ、そしてドリーの競うような詠唱の声に囲まれていた。
三人がかりの絶え間ない回復呪文が、彼女を深淵から引き戻そうと声を限りに叫び続ける。 しかしその癒しは、癒せば癒した分だけ見る間に貪欲な赤い光に吸い出され、彼女を支える前に体の外へと持ち去られてしまう。
「――っ!!」
バルトは、そんな中でただ一人成す術のないバルトは、びくともしない彼女の手を、必死の形相でひたすらに自分の喉から引き剥がそうとしていた。
やがてそれが叶わないと悟ると、何かに渡すまいとするかのように、力の限り彼女を抱き締め――もうすっかりその事には慣れているはずなのに、それも忘れたのか彼の口は、繰り返し彼女の名の形に動いていた。 その度に、ルカの首が力なく揺れる。
「――っ、はっ……、ルカ――ルカ!!」
最初にドリーが尽きた。 あらんかぎりの精神力を使い果たして肩で息をするタルタルのナイトは、友の名を呼んでその膝頭にしがみつく。
次いで詠唱の限界を迎えたヴォルフの、体力と精神力が転換した。 コンバートと呼ばれる赤魔道士の技術である。 どっと襲う肉体疲労の代わりに満ちる精神力で、彼はもう一度始めから呪文を紡ぎだす。
「フォーレ、使い切るな! ぎりぎり残せ!!」
攻撃行動を示すサハギン達を全てなぎ払ったルードが、魔道士達に駆け寄りながら叫んだ。 万が一の事態を考えて、蘇生呪文の分の精神力を取っておけ、と言っているのだ。
その時に唱えていた回復呪文を終えた彼女は、半分泣きそうになりながらもぐっとこらえるようにその口を閉じた。 代わりに震える小さな手が、胸の前で強く組み合わされる。
「ルカ! 頼む、しっかりしろ!!」
同じくサハギン達を退けたイーゴリも彼らの元に駆け戻り、振り絞るような声で輪の中心のルカに呼びかける。
「……っ、ここまで、です!」
玉のような汗を浮かべたヴォルフが、かっと吐き出すように言って自分の膝に手をついた。 ついに全員の魔力が、バックアップの手段が、尽きる。
皆が一斉に、小柄なミスラの気配に集中する。 彼女の体の中、注ぎ込まれる回復呪文にやや勢いを失っていた流出。 その流れが――彼らが見つめる中、再度、目を覚ました。
「や――きゃあぁ! 嫌ぁ!」
ドリーの甲高い悲鳴が、熱帯の大地に響いた。
彼女の目の前、いつもさりげなくゆらゆらと揺れていた、しかし今はだらりと垂れ下がるだけの、栗色の尻尾。 その毛皮の色が――根元から褪せ始め、みるみると淡くなっている。
「やだぁ! ルカ! ルカっ!!」
その変化が一体何を示すのかなど、気付くなという方が無理だった。 狂ったように泣き喚くドリーが、ぎゅっと彼女の尻尾を抱き締める。 皆が成す術なく見守る中、尻尾同様に頭髪も、ゆっくりとその色を失い始めていた。
無抵抗にかくんと垂れたルカの頭の、見慣れた栗色が無残に溶け出す。 その後に残るのは、冷たい銀色――
「ルカっ!」「ルカさん!」「お願い、もうやめてぇ!」
仲間達の悲痛な叫び声が飛び交う中、バルトは無力な自分を呪いながら、それでも己に流れ込むエネルギーの動きを必死で観察しながら、固く目をつぶり歯を食いしばっていた。
腕が震える。 鳴り止まない低い唸りの中、抱き止める細い体が少し冷たくなったような気がして、怖くて目が開けられない。
死に物狂いで、神に祈っていた。 自分の喉の状態など気にも留まらない。 むしろ知りたくもなかった。 出来ることなら、今すぐ喉をかき切ってでもこの手を剥がしたい、そんな強烈な衝動に心臓が潰れそうだ。
やはり恐怖に耐えられなくなったのか、フォーレがあえて残していた魔力に手をつけ、悲鳴のような回復呪文を唱えた。 その癒しがルカを包むのと、茶色い髪がついに毛先まで銀色に染まるのは、ほぼ同時で。
そして。
不意に、それまで絶え間なく響いていた忌まわしい低い唸りが、ひゅうとしぼむように消え失せた。
はっと皆が息を呑む中。 ルカの左手がぽろりと離れ、そのままバルトの胸にくたっと落ちる。
「ル……!」
ドリーが、皆が、一斉にルカの安否を見極めようと手を伸ばす。 覗き込もうとする。
が、それらは一つとして叶わなかった。
何の前触れもなく、ルカを中心とした地面の緑の下生えが空間のきしむような音と共に丸く色を失ったかと思うと、彼女だけを狙ったブラックホールと化したのだ。
見えない力が、バルトの腕からルカの体を引き抜いて奪い去る。 彼女だけを通す、漆黒のマジックミラー。 残る六人の足下までその黒い影は及んでいるのに、ルカだけがその下の奈落に吸い込まれて行く。
あまりに唐突な出来事に一瞬立ちすくむ、仲間達の中で。
彼女の姿を追うように、バルトはぽっかりと口を開く地面にばんっと手をついた。 深淵に呑み込まれ、見る間に小さく消えていく華奢なミスラの、その瞳が――薄く開いて、微笑んだような――――――
夜明けのユタンガの森に、絶叫がこだまする。
血を吐くような、全てを搾り出すような、凍りつくような、灼けつくような、壊れてしまいそうな、一人の黒魔道士の絶叫が。
「ルカーーーーーーっ!!」
to be continued
「ねぇ、海蛇の洞窟のどこに行けばいいの!? 早く見つけないと――」
「落ち着けドリー、まだルカがそこを目指したと決まった訳じゃない」
「そんな悠長なこと言ってる場合じゃないでしょ!」
昇りたての朝日を浴びて輝く滝を背景に、六人の冒険者の度を失い入り乱れる声が響いていた。 彼らの周囲を遠巻きにちらほらと徘徊するサハギン――つるんとした紫や青の肌、ひょろりとした手足と大きな背びれの半人半魚たちが、騒々しい集団に一瞥をくれてはまたうろうろと歩き出す。
「そいつの居る、正確な位置まではわかりません。 とにかく手分けして探すしかないでしょう」
「ああ、そうだな。 行き違いのないように、入り口から広がって――」
冷静さを保ちつつ段取りを組むヴォルフとイーゴリのやりとりに、足下のドリーが今にも駆け出しそうにじりじりとしている。 彼女の横でバルトがもどかしげにメモを取り出した、その時。
「――ルカさんっ!?」
滝の方向に目を泳がせていたフォーレが、不意に大きな声を上げた。
全員がはっと弾かれたように、彼女の視線の方向を振り返る。
そびえ立つ断崖絶壁の上から、細い絹糸の幕が垂れ下がる。 その滝が注ぐ清冽な池の傍らに――いつのまにそこに居たのだろうか、一人のミスラがぺたんと座り込んでいる姿が皆の目に飛び込んできた。
薄い水煙の向こうの茶色いおかっぱ頭と猫耳を隠すベレー帽は、彼女に間違いない。 しかし何故か野良着を着て、そして悪い夢から覚めたばかりのようにどこかしら悄然として俯き、膝の先あたりの地面と自分の手を呆然と見つめている。
その姿を認めたバルトは大きく安堵の息を吸い込み、彼女に向かって駆け出していた。 が――その足取りが、ふっと緩む。
何か……雰囲気が、妙だ。 正体不明の違和感と胸騒ぎに戸惑いながら、改めて彼女に目をこらす――
「ルカさん!」
「ルカっ! ああよかった、どこ行ってたのよ!!」
そんな彼を追い越して、ルードとドリーがそれぞれに彼女に駆け寄っていく。 タルタル二人の明るい声に、ルカがようやくゆっくりと面を上げた。
と、それを目にした皆が、順に目を見張った。 何故ならその顔は、すっかり涙でぐしゃぐしゃになっていて――
「……ルカ? ちょっと、どうしたの?」
ドリーが驚きの声を上げ、駆け寄る足をさらに速めた。 その時。
「な……っ!? ドリー! ルードっ!」
二人の背後で、イーゴリの鋭い声が響いた。 突然の張り詰めた警戒信号に、何事かと二人が咄嗟に周囲に目をやると。
「ギャァッ!!」
一体どうしたことか。 それまで全く無関心にあたりをうろついていたサハギン達が、一転獲物を見つけた時のような禍々しい雄叫びを上げ、彼らを取り巻くように一斉に襲いかかってきたのだ。
「……おい! 何だよ!!」
ルードが唖然としつつも、迫り来るサハギンに向け反射的に背中の黒い鎌を抜き放って身構える。
およそモンスターというものは本能的に、自分よりも圧倒的に強いとみなす相手には接触しようとしない。 そしてルカも含め、それなりの鍛錬をしてきた彼ら七人の持つ「気配」は、この界隈にいるランクのモンスターであれば一切寄せ付けないもののはずなのだ。
「ちょ……っと、何でよ!? まさか亜種――」
ルードと背中合わせに片手剣を構えたドリーが、予想外の事態に不安げな声を上げた時。
「――違う! ルカだ!!」
同じく大きな片手斧を抜きつつ、サハギン達の動きを大きく見渡していたイーゴリが叫んだ。 その声に、二人がはっと再度彼女の方を見る。
いつのまにかルカが、 ゆらりと立ち上がっていた。 そして自分を見上げるタルタル達も周囲の光景も、何一つ見えていない夢遊病者のような表情で頼りなく足を踏み出すと、目の前で背中合わせに武器を構える二人の間をすっと抜けていく。
するととたんに、彼らの左右から迫っていたサハギン達の進行方向が、ルカから伸びる見えない糸に引かれるかのようにぐいと曲がった。
間違いない、ルカを狙っている――!!
「って――何なんだよお前ら! この……」
「ルカ! ルカ!!」
二人のタルタルが左右計三匹のサハギンを、そしてイーゴリが自分を追い抜いてルカに向かおうとする二匹のサハギンの足をどうにか食い止める。
何しろ狙われている当のルカが無防備な野良着姿のうえ、全く警戒する様子すら見せないのだ。 いくら低級のモンスターが相手とは言え、何匹分もの爪や牙の前に無抵抗なままの彼女を晒す訳にはいかない。
そんな中を憑かれたように歩く彼女の左の手のひらで、かすかに赤い光が瞬いたのを、ヴォルフは見た。 その不思議な脈動に合わせて、ドリーらに足止めされるサハギン達の啼き声が不協和音の合唱となって響く。
雲の上を渡るような彼女の歩みが、徐々に速く、鋭くなっていく。 無言でドリーとルードの間を素通りし、イーゴリの広い背をすり抜け、フォーレの脇を駆け抜ける。
それまでずっと成す術なく立ち尽くしていたフォーレが、息を呑んだ。 自分に――いや、自分にだけでなく誰にも目をくれずに進む、ルカの――苦しそうに、切なそうに、また泣きそうに歪んでいる顔が、怯む小さな瞳に焼き付いたのだ。
小走りになるルカの左手が、ぴくりと動く――
「――!!」
あと数歩に迫ったルカの、思い詰めたような只ならぬ雰囲気に、悪寒とも戦慄ともつかない言い知れぬ不安を覚えたバルトとヴォルフの体が、同時に動いた。
バルトがひそめた目を彼女から逸らさぬまま、何をする気か、と問うように一歩後退する。 彼の手からメモが滑って落ちた。
ヴォルフは咄嗟に二人の間に入り、突き進むルカを一旦止めようとした。 が。
するり、と。
ヴォルフの広げた腕が、空を掻いた――
* * *
「ルカさん!」
……懐かしい声が、聞こえた。
自分を包む白い光が消えて、ルルヴァードの部屋から地上に放り出されたことが判っても、まだルカは呆然としていた。
さっきまで身を置いていた光景――薄暗い部屋にいくつも灯る蜂蜜色のかがり火と湿った岩肌、おぞましい人間の抜け殻たち。 そして純白のルルヴァード――それら全てがかき消え、代わりに眩しい朝日が彼女を照らしている。
もしかして、全部、夢だったのではあるまいか――
暖かく頬を撫ぜる芳しい南国の風に、ふとそんな思いが彼女の脳裏をかすめた。 しかしぼんやりと落とした視線の先の左手は、それを熱く冷たく否定する赤い光をしっかりと握っている。
「ルカっ! ああよかった、どこ行ってたのよ!!」
もう一つ、懐かしい声。 ようやくゆっくりと彼女は顔を上げる。
そして――見つけた。
まばゆい朝日を背負って、白い鎧と黒い鎧のタルタルが心配そうな面持ちで駆けてくる。 そのずっと向こうには大きなガルカと、ほっとしたような笑顔の、もう一人白いローブのタルタルの少女。 背の高い赤魔道士が、後ろに控えている。
その横に立つ、黒いローブのエルヴァーンと――目が合った。
瞬間、心臓がどくんと大きく打つ。 同時に、その魔道士の姿以外の一切が、ルカの意識の上から消え失せた。
ふらり、とルカは立ち上がる。 誰かに縫い付けられてしまったかのように、彼から視線が外せなくなっていた。
その襟元から覗く黒い傷が心に浮かぶと、左手がじわりと熱くなったような気がした。
――駄目だ。 駄目だ。
地下で見た、ミイラの山が脳裏に蘇る。 あんな十字架を、彼に背負わせるなんて絶対に駄目だ。
そう思っているのに、足は一歩、前に出る。 何か自分のものとは違う力が、自分を動かしている――の、だろうか。 頭は必死で自分を引き止めているけれど、その声に耳をふさいでこの足を運んでいるのが、左手の熱なのか自分の心なのか、ぎりぎりの所で区別がつかない――
――聞きたい。
――取り戻してほしい。
――もしこれで、私が潰れてしまったら。
――『使い切ったりはしないで済むと思うよ』――
――無邪気な白いルルヴァード。 その背後の屍。
――近付いてくるバルトの、戸惑ったような顔。 可愛い顔。 忘れられるはずのないその声――
気が、狂いそうだ。
二つの相反する思いに引き裂かれ張り裂けそうな意識の片隅で、翻弄される理性が悲鳴を上げていた。
胸が苦しい。 息ができない。 頭の中が、灼けるように熱い――
赤い光の放つ凶暴な力が、冷静になろうとする彼女の心をかき乱している。
それと同時に、彼女がここまでやって来たその動機を、気持ちを殊更に彼女自身に見せつけながら、舌なめずりをするようにその足を彼の方へと引きずっている。
ようやくそれだけが判った。 けれどその時には、すでに目の前に、黒いローブのエルヴァーン。
見るたびに切ない、大きな黒い傷が目に飛び込んでくる。 観念するようにルカの体からつうっと力が抜けた。
――――これで、いいや――――
彼女の持つ赤い光が、ひたとバルトの喉に吸い付いた。
* * *
「どうし――ルカ、さん!!」
フォーレの、悲鳴にも近い声が迸った。
ヴォルフの遮る腕をこともなげに潜り抜けたルカは、ほんの数歩でふわりとバルトの前に立った。
無言の彼女を前に咄嗟に行動を決めかねて、困ったような焦ったような顔で、上げかけた手を宙に泳がせる彼を、間近で見上げる。
そして懐かしげに右手を彼の肩に置き、一瞬だけ微笑みを――愛しげな、それでいて激痛に耐えているかのような微笑みを浮かべて、ふっとその左手を彼の喉元に這わせた、次の瞬間。
それは、始まった。
ルカの左手からばちっと何かが爆ぜるような音がして、その手のひらが彼の傷にびしりと張り付く。
驚いたバルトが慌ててその腕を掴んで剥がそうとするが、まるで見えない牙が食い込んでいるかのように離れない。 その間に漏れる赤い光から、地底で巨大な機械が目を覚ましたような、低く不気味な唸りが響き出す。
彼女の細い手首を掴んだままで、バルトの表情がぐっと歪んだ。 未知の――はずなのに、どこか覚えのある――そして決して不快ではない、むしろ満ち足りていくようなこの感覚は……
(……魔力、吸収――?)
ルカの手のひらから、恐ろしい勢いで何かが流れ込んで来る。 黒魔道士の彼はその現象が、アスピルという魔法を使った時のものに酷似していることに即刻気がつくが、しかしアスピルは「吸収」の魔法であって――こんな、反対に向こうからねじ込んでくるような、逆方向の働きはありえないはずだった。
その上そのエネルギーの波は、魔力のもととなるべく彼の体全体に浸透するのではなく。 彼の喉元に黒々と残る傷口でことごとく止まっては、そこに喰らい付くように染み込んでいくのだ。
(まさか……これが、研究の『成果』――!!)
ここに至るまでに考えていた中で、最悪の事態の発動だった。 真っ黒な戦慄が全身を駆け抜け、バルトは怯えるように問いかけるようにルカの顔を覗き込む。
と、そんな彼の視線の先で、まだ涙の跡を残しながらも奇妙に穏やかだった彼女の瞳がふっと閉じ、突然その体が力を失ってがくんと落ちた。 反射的にに彼は空いていた左腕で彼女を抱き止める。 そして同時に「魔力吸収」の感覚が「生命力吸収」へと切り替わった事を知った。
己が手を彼の喉に張り付かせたまま眠ってしまったかのように、一切の力が失せたルカの体。 そこから徐々に、しかし確実に、生気が抜けていく。 抱きかかえる腕の中でぐんぐんと疲弊していく彼女の気配に心を凍りつくような恐怖で押し潰され、バルトは無言の叫び声を上げた。
「湧水の流れよ大地の輪廻よただ今こそ我が元に――――」
真っ先に反応したのはフォーレだった。 ルカがくずおれるが早いかその異変の正体を感じ取り、だっと駆け寄って回復の呪文を紡ぎ始める。
白魔道士の降ろす、アルタナの恩恵。 溢れる強力な癒しの光がルカの体を包み、彼女の体に一瞬活力が戻る。
だがそれは、穴のあいたグラスに水を注ぐようなものだった。
補われたそばからその生気はあっという間にバルトへと流れ出てしまい、すぐにまたルカの体力が蝕まれ始める。
その恐ろしい手応えに青ざめながらも、フォーレは再度呪文を唱え出した。 その間にもみるみる生気は流れ出す。
ヴォルフが詠唱に参加した。 白魔道士ほどに強力ではないが、その分素早い回復魔法が、フォーレの詠唱の間を縫って立ち上がる。
「ドリー! お前も行け!」
早々に二匹のサハギンを打ち倒したイーゴリが、小さなナイトに駆け寄りながら叫んだ。 その声に、ドリーは打たれたように身を翻してルカと彼女を囲む魔道士たちの方へ走り出す。 そんな彼女を追おうとしたサハギンの前に、ガルカの巨躯が立ちはだかった。
半人半魚の濁った啼き声が、透明な滝壺へと呑み込まれていく――
既に意識を失い、ぐったりとバルトに抱き止められるルカが、フォーレ、ヴォルフ、そしてドリーの競うような詠唱の声に囲まれていた。
三人がかりの絶え間ない回復呪文が、彼女を深淵から引き戻そうと声を限りに叫び続ける。 しかしその癒しは、癒せば癒した分だけ見る間に貪欲な赤い光に吸い出され、彼女を支える前に体の外へと持ち去られてしまう。
「――っ!!」
バルトは、そんな中でただ一人成す術のないバルトは、びくともしない彼女の手を、必死の形相でひたすらに自分の喉から引き剥がそうとしていた。
やがてそれが叶わないと悟ると、何かに渡すまいとするかのように、力の限り彼女を抱き締め――もうすっかりその事には慣れているはずなのに、それも忘れたのか彼の口は、繰り返し彼女の名の形に動いていた。 その度に、ルカの首が力なく揺れる。
「――っ、はっ……、ルカ――ルカ!!」
最初にドリーが尽きた。 あらんかぎりの精神力を使い果たして肩で息をするタルタルのナイトは、友の名を呼んでその膝頭にしがみつく。
次いで詠唱の限界を迎えたヴォルフの、体力と精神力が転換した。 コンバートと呼ばれる赤魔道士の技術である。 どっと襲う肉体疲労の代わりに満ちる精神力で、彼はもう一度始めから呪文を紡ぎだす。
「フォーレ、使い切るな! ぎりぎり残せ!!」
攻撃行動を示すサハギン達を全てなぎ払ったルードが、魔道士達に駆け寄りながら叫んだ。 万が一の事態を考えて、蘇生呪文の分の精神力を取っておけ、と言っているのだ。
その時に唱えていた回復呪文を終えた彼女は、半分泣きそうになりながらもぐっとこらえるようにその口を閉じた。 代わりに震える小さな手が、胸の前で強く組み合わされる。
「ルカ! 頼む、しっかりしろ!!」
同じくサハギン達を退けたイーゴリも彼らの元に駆け戻り、振り絞るような声で輪の中心のルカに呼びかける。
「……っ、ここまで、です!」
玉のような汗を浮かべたヴォルフが、かっと吐き出すように言って自分の膝に手をついた。 ついに全員の魔力が、バックアップの手段が、尽きる。
皆が一斉に、小柄なミスラの気配に集中する。 彼女の体の中、注ぎ込まれる回復呪文にやや勢いを失っていた流出。 その流れが――彼らが見つめる中、再度、目を覚ました。
「や――きゃあぁ! 嫌ぁ!」
ドリーの甲高い悲鳴が、熱帯の大地に響いた。
彼女の目の前、いつもさりげなくゆらゆらと揺れていた、しかし今はだらりと垂れ下がるだけの、栗色の尻尾。 その毛皮の色が――根元から褪せ始め、みるみると淡くなっている。
「やだぁ! ルカ! ルカっ!!」
その変化が一体何を示すのかなど、気付くなという方が無理だった。 狂ったように泣き喚くドリーが、ぎゅっと彼女の尻尾を抱き締める。 皆が成す術なく見守る中、尻尾同様に頭髪も、ゆっくりとその色を失い始めていた。
無抵抗にかくんと垂れたルカの頭の、見慣れた栗色が無残に溶け出す。 その後に残るのは、冷たい銀色――
「ルカっ!」「ルカさん!」「お願い、もうやめてぇ!」
仲間達の悲痛な叫び声が飛び交う中、バルトは無力な自分を呪いながら、それでも己に流れ込むエネルギーの動きを必死で観察しながら、固く目をつぶり歯を食いしばっていた。
腕が震える。 鳴り止まない低い唸りの中、抱き止める細い体が少し冷たくなったような気がして、怖くて目が開けられない。
死に物狂いで、神に祈っていた。 自分の喉の状態など気にも留まらない。 むしろ知りたくもなかった。 出来ることなら、今すぐ喉をかき切ってでもこの手を剥がしたい、そんな強烈な衝動に心臓が潰れそうだ。
やはり恐怖に耐えられなくなったのか、フォーレがあえて残していた魔力に手をつけ、悲鳴のような回復呪文を唱えた。 その癒しがルカを包むのと、茶色い髪がついに毛先まで銀色に染まるのは、ほぼ同時で。
そして。
不意に、それまで絶え間なく響いていた忌まわしい低い唸りが、ひゅうとしぼむように消え失せた。
はっと皆が息を呑む中。 ルカの左手がぽろりと離れ、そのままバルトの胸にくたっと落ちる。
「ル……!」
ドリーが、皆が、一斉にルカの安否を見極めようと手を伸ばす。 覗き込もうとする。
が、それらは一つとして叶わなかった。
何の前触れもなく、ルカを中心とした地面の緑の下生えが空間のきしむような音と共に丸く色を失ったかと思うと、彼女だけを狙ったブラックホールと化したのだ。
見えない力が、バルトの腕からルカの体を引き抜いて奪い去る。 彼女だけを通す、漆黒のマジックミラー。 残る六人の足下までその黒い影は及んでいるのに、ルカだけがその下の奈落に吸い込まれて行く。
あまりに唐突な出来事に一瞬立ちすくむ、仲間達の中で。
彼女の姿を追うように、バルトはぽっかりと口を開く地面にばんっと手をついた。 深淵に呑み込まれ、見る間に小さく消えていく華奢なミスラの、その瞳が――薄く開いて、微笑んだような――――――
夜明けのユタンガの森に、絶叫がこだまする。
血を吐くような、全てを搾り出すような、凍りつくような、灼けつくような、壊れてしまいそうな、一人の黒魔道士の絶叫が。
「ルカーーーーーーっ!!」
to be continued