テノリライオン

チョコボレースの正しい負け方 前編

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 チョコボレース 【ちょこぼ・れーす】〔般〕〔名〕

  ・乗用鳥であるチョコボに騎乗し、任意に定めた国から国への移動時間を競う遊戯。

  ・民間ではしばしばレクリエーションとして小規模に行われていたが、近年各国の
   チョコボ厩舎が他国に迷い込んで保護された所有チョコボをそこから自国に
   連れ帰るという仕事を冒険者に依頼しはじめ、その速さに応じて報酬を出すと
   定めた事でブームに火がついた。
   完遂に向けての訓練、タイムレコードの更新、または純粋な娯楽として
   チョコボによるレースを行う冒険者が増えているという。


         ―― 目の院発行 750年度版ヴァナ・ディール新語大百科より抜粋



  *  *  *



「――ちょっと! 何これ、いつの間に!」

 紅き獅子と堅固な城壁に護られた、デスティン国王を戴く都市国家。
 サンドリア王国の片隅、平和な昼下がりの街角に雑貨屋台が軒を連ねる一角から、甲高い女性の声が響いた。

「何だよプリシラ、知り合いが指名手配でもされてたか」
「だったら名前がジャン=グレンドールになってるはずだわ」

 ヒステリックな声から一転、氷のように低温な彼女の切り返しに、その名の持ち主は肩をすくめた。

 氷の声の主、プリシラ=ヒューズがその手に握り締めているのは安いタブロイド版だった。
 雑貨屋台で買い求めたその薄っぺらい紙束の中に、どうやら彼女のお気に召さない情報が載っていたらしい。 ヒューム族の彼女は、両サイドの髪をバレッタで一つにまとめたその茶色い髪をぶんと振って振り返ると手にしたタブロイド版を傍らの男に突きつける。
「今週のチョコボ! トップが塗り替えられてるのよ! おととい私がレコード出したばっかりだったのに!」

 鼻息も荒くまくしたてる彼女から、対する背の高いエルヴァーンの男はその情報誌をひょいと受け取った。
 ざんばらに近い黒髪と浅黒く精悍な顔立ちがうららかな午後の陽光を吸い込んでいる。 彼は該当記事を探し出すと細い眼でそれを斜めに追った。
「初めて見る名前だな……へー、27分30秒。 いきなり出てきてなかなかイケてるタイムじゃんか」
「じゃんか、じゃないでしょう!」
  空いた両手を腰に当て背筋を伸ばし、まるで何かを威嚇しているような立ち姿のプリシラ。 ぱしっとジャンの手からタブロイドをひったくると彼を見上げ、まるでそのレコードをさらったのが彼だとでも言わんばかりの剣幕で喋り始めた。
「私の記録の36秒から一気に6秒も縮められたわ! 30秒って言ったらあんただってそうそう叩き出した事ないでしょ! サンドリア発ウィンダス行きのコースは、もうずっと30何秒台を私とあんたで塗り替え合ってるんだから」

 このヴァナ=ディールでは石を投げれば当たるよな、そして今日も今日とて遠い地でのモンスター狩りから戻ってきた所のこの二人は、いわゆる平凡な「冒険者仲間」というやつだ。
 が、その冒険とは全く無縁のジャンルにおいて、彼らは日々凌ぎを削り合う非凡なライバル同士である。
 いや、日々というのは正確ではない。 厳密には週に一回、とある数値を競い合うのみ。 それが今二人が話題にしている27分30秒――つまり、チョコボレースのタイムなのだ。

「ふふん、30秒ジャストねぇ……やたら調子がいい時に一回出した事があるな。 ま、30を切った事もないとは言わねーけど」
 タブロイド版を改めてプリシラの手からひっこ抜き、口元を歪めてそんなことをうそぶきながら、ジャンは手近なベンチにどっかり腰を下ろした。 ばさりと雑に広げた紙面に目を泳がせる。 チョコボレースの記事以外をチェックしているようだ。
「何よ、悔しくないの? あのコースのレコードに私達以外の名前が挙がったのなんてどれだけぶりだと思うのよ。 あんた、先週と今週のタイムは?」
「あー、そういや先週は乗り損ねたまんまだったな。 今週はお前と4秒差だ」
 彼女の言葉に紙面から目も上げないジャンの様子とその返事の気のなさに、プリシラは思わずむっとした表情になる。 新聞を買った屋台から、威勢のいい売り子の声が響いた。

 彼女らの言う「タイム」とは、チョコボ厩舎から正式に依頼を受けて国から国へチョコボを届けた時に記録される走行時間の事を指す。 チョコボの専門機関である厩舎が計測するそれがいわゆる“オフィシャル”として認められ、また実際に最も正確な数値でもある。 厩舎はそのタイムを記録し、トップの名前を随時公表していた。
 が、その記録は不定期にクリアされ、新規巻き直しになってしまう。 そして厩舎がこの仕事を冒険者に依頼するのは冒険者一人につき週に一回だけ。
 つまり、毎週多くの者がこの仕事でより速いタイムを叩き出そうと挑戦し続ける中、全ての挑戦者のゴールの瞬間に読み上げられ告げられる最速レコードホルダーの名を常に己がものにしようと思うならば、ほんの一週とて気を抜くことはできないのだ。
 そんな状況の中、この二人は抜きつ抜かれつしながらそのレコードにコンスタントに名前を連ね合っているのだ。 あまたいる他の冒険者の追随を許していない事からも判るように、彼らのドライビングテクニックは確実に折り紙つきと言えよう。

「書き換えましょうよ」
「あん?」
 低く言い放つプリシラの言葉に、ジャンはようやくタブロイド版から顔を上げた。
 長い足を組んでだらりとベンチに座る彼を、明るい太陽を背負って腕を組んだ彼女が正面から見下ろしていた。 プリシラは言う。
「前回のレコードがクリアされたのって、ついこの間じゃない。 次のクリアはいつになるやら――当分消えないわよ、この名前。 野放しにしておくのはとても気分が悪いわ」

 トップを守り続けたからと言って、賞金や賞品の類が出る訳では当然ない。 報酬はその都度渡されているし、そもそもこれはレースではなく、あくまで仕事なのだ。
 すなわちこの数値に執拗に挑み続ける者が真に求めているのは――レーサーや勝負師といった人種の多くがそうであるように――勝利と、名誉のみである。 プライスレスだ。 もはや報酬は、少なくとも彼女の中ではオマケであり、単なる参加賞と成り果てている。
 その名誉を、これまで名を見かけもしなかった、ぽっと出の何者かにさらわれた。 これが黙っていられようか。 塗られた泥は拭わねばならない。 奪われた名誉は取り戻さねばならない。
 細い体で彼の前に仁王立ちするプリシラの全身が、無言でそう宣言していた。

「私かあなたか、どっちかの名前で上書きがしたいわ。 来週はサボりや手抜きは許さないわよ」
「ははん?」
 挑戦的な彼女の台詞に、ジャンは少し皮肉っぽく笑った。 薄い唇の端が片方だけきゅっと吊り上がる。 が、彼女を見上げるその視線はどこか眩しげに微笑んでいた。
「お前が抜いてやればいいんじゃねぇのか? 俺はとりあえず、最高値の報酬が出ればいい」

 発奮して当然。
 そんな空気を漂わせるプリシラの神経をいたずらに逆撫でるように、彼はのんびりと言った。 ついでにうーんと伸びなぞして見せる。 案の定、話に乗って来ないジャンの態度に彼女は軽い苛立ちを見せて言い返す。
「何言ってんの。 ミラテテ様言行録の貰える28分19秒なんか、もう目ぇつぶってたって切れるでしょう。 人手はあった方がいいんだから、あんたも挑戦しなさいよ」
 彼女の形のよい眉が僅かに寄って、小さな唇が不満げに尖る。
 何故かそれを見てにんまりとするジャン。 そしてとぼけたような真剣を装ったような表情で、手の中のタブロイド版をひらひらさせると言った。
「ったって、おいそれとは出ねぇぜこのタイムは。 よっぽどの気合――いや、緊張感でもないとな」
 そしてそのまま彼は視線をあらぬ方向に投げ出し、素知らぬ顔で口を閉じた。

「ふぅん――気合ねぇ。 じゃぁ、勝負にしましょうか」
 ちらり、とジャンの視線だけが彼女に戻り、彼女から見えない方の口角がごく僅かに上がる。 それに気付かずプリシラは独り言のように言葉を続ける。
「そうね、追ったり追われたりする形になれば、緊張感でいいタイムが出るかもしれないか。 うん、たまにはそういうやり方でも――」
「何賭ける?」
「え?」
 いつのまにかずいと正面に向き直り、座るベンチの背もたれの上に鷹揚に両腕を広げていたジャンから発された間髪を置かない問いに、プリシラは顎に当てていた手を外して思わず訊き返した。 彼は繰り返す。
「勝負って言えば賞品だろう。 さ、何賭ける?」

 賭けて当然。
 お返しのように今度はそんな空気を発する彼の笑顔に、妙な余裕が滲んでいる。 プリシラは咄嗟に返す言葉に詰まった。
「え――賭ける、って言うか、レコードを獲りに行くのが――」
 軽く戸惑ったようなプリシラの言葉に、ちちち、と含み笑いと共に舌を鳴らすジャン。
「それは君の目的だ。 俺は言ってみりゃ、タイムの為の当て馬だぜ? となればニンジンが必要だろう、目の前にぶら下げられるニンジンが。 さ、何賭ける?」

 いよいよ愉快そうな彼の口調と表情が、逆に彼女に有無を言わせない。 プリシラはやや渋々といった感じで、解いていた腕を再度組むと首を傾げて考える。
「現金――はよくないわね。 何か欲しい武器とか装備とかはあるの?」
「特にない。 お前も今はないだろう」
 うーん、と唸るプリシラ。
「オイル1ダースとか……狩り用の強壮食、とか」
「消耗品は味気ないねぇ」
「収納用の調度品……」
「今んとこ不自由はしてないかな」

 自分が挙げるもの挙げるもの片っ端からすげなく却下していくジャンに、プリシラはついに甲高い声を上げた。
「ちょっと、じゃあ何ならいいのよ! 賞品ってあんた、一体何が欲しい訳?」

 と。
 待ってました、と言わんばかりの会心の笑みを浮かべて、彼はさらりと言った。
「俺? 嫁さんが欲しい」
「はっ!? よ――」
 嫁って誰よ。
 そう問い返すのを待たずに、ジャンはくいっと顎をしゃくって、プリシラ本人を指した。

「なっ――な、え――えええっ!?」
 目をむき大きく口を開け、プリシラは肺に残っていた空気全部を使って叫んだ。 遥か太陽までも届きそうなその声に、屋台の売り子が思わず河岸声を止めて何事かと彼らを伺う。 ジャンが軽く天を仰ぎ、あっはっはと大きく笑った。
「うん、実にいい反応だ! いやあお兄さんは嬉しいよ!」
「ちょ――っ、あ、あんた、じょ」
 冗談は。
 恐らくはそう言おうとしたプリシラの顔に、みるみるうちに血が上る。 心臓はとっくにものすごい勢いで打っていて、照れているのか怒っているのかはもう本人にすら判らない。
 そんな彼女をたいそう面白そうに、しかし瞳だけはまっすぐに見てジャンは言った。
「真面目も真面目、大マジよ。 愛しちゃってんだぜ、これでも」
「――っ、――、」

 もはやプリシラさんは酸欠の金魚の如し。 息を吸ったり止めたり吐いたり忙しい口元からは意味のある言葉は出てこず、白黒させる目はこの混乱の元凶である男の顔を見ては逸らしの繰り返しだ。
 沸騰する闇鍋のように混乱を極める頭で彼女は考える。

 ――そんな、そんな素振りは、今まで全く無かったじゃない。 他にも数人いる冒険者仲間と連れ立って狩りに行く時だって、軽口を叩き合う仲ではあっても男女のあれこれなんかとは全く無縁で――いや、むしろ一番容赦のない絡みやツッコミをする、小憎らしい相手だったとも言えるのに――それがまさか、まさかそんな目で自分を見ていただなんて――

 過去現在そして未来の全方向に向かってパニックを起こし頭を抱えているプリシラを、まるでおもちゃに逆に遊ばれるいたいけな子犬を見るようにうっとりとした眼差しでしばし眺めていたジャンは、更に彼女をつつくように言った。
「ま、そんな訳でだな。 来週のレース、俺が勝ったらお前は俺の嫁さんな。 どうよ」
「どっ――どうよじゃ、ないわよっ!」
 その色白の顔どころかもはや耳までを真っ赤に染めつつもようやくまともな発声機能を取り戻したプリシラが、息も絶え絶えに叫んだ。
「あ、あんたね、あんた何考えてんのよ! そ、そんな無茶苦茶な条件――」
 からかわれたのではない、と判って、怒りの前駆物質は彼女の中から消えた。 消えた――が。
 大声を上げつつも、何故か細かく手足が震えている。 心臓はいよいよ激しく暴れ回って、今にも口から飛び出してきそうだ。 思考はまとまらずに、ただおろおろとさまようばかり。
 そんな、怒るというよりもむしろ怯えているような身体状況の自分に、プリシラは更なる混乱を覚え戸惑っていた。 こんな非常識な戯言は鼻で笑い飛ばしてしまえばいいと思うのに、何故だかそれができない。

「あれー、無茶苦茶かぁ? そう悪い話じゃないと思うんだがな……でもよ」
 と、悪びれた様子もなく、ジャンはそう言うとにっと笑う。
「って事はお前さん、俺には勝てないつもりでいるんだな?」
「へ……?」
「賭けなんだから。 勝ちゃいいんだぜ? 大体がだな、俺のケツを追っかけて来てるようじゃあ、27分30秒の壁を破るなんざ土台無理だ。 俺が30秒以下を叩き出せるとは限らないんだからな、違うか?」
「そ、っ――」
 彼のその一言で、プリシラはようやく体勢を立て直した。 どうにか形ばかりは。
「そうよ! あた――あたしが勝負するのは、その、タイム、なんですからね! 当然あんたには勝ってみせるわよ! せ――先週サボって、今週は私に4秒も届かなかったような奴に――」

 言葉の威勢はよくても、まだ舌が回っていない。 収まらない顔の火照りとぎゅっと結んだ口もと、吊り上がる細い肩は怒らせているのかすくめているのか。
 そんなプリシラを鑑賞するジャンは相変わらずの爽快な笑顔で、ベンチにタブロイド版をぽんと放り投げると朗らかに言った。
「いやいや、まあな、確かにいきなりまるごとゲットってのもいささか贅沢な話だ。 では今回は手付けにしておこう。 プリシラ君、君はチューを賭けたまえ」
「ち……」
「大譲歩して、ほっぺでよろしい。 これなら文句なかろう」
「――あ……んた……」
 地の底から響くようなプリシラの声。
「ん?」
「あんたはっ! あんたは何を賭けんの!! そこまで言うなら、あんたの賭け分は何よっ!?」
「……あー」

 火山の噴火もかくやといったプリシラとは正反対に、初めてそこに思い至った、とでも言わんばかりの、間の抜けたジャンの声。 ぽんと膝の一つも叩きそうだ。
 そのままほんの一瞬考えるような素振りを見せると、彼は明るく言い放った。
「俺の貞操」
「ばかー!」
 からからと笑うジャンの座るベンチに、プリシラは思い切り蹴りを入れた。 ベンチの方はいい迷惑である。

「――ま、俺の賞品の方は、お前が好きに決めていいぜ。 お前の事を嫌いになれってのと死ねっての以外なら、何でもござれだ」
 ぜいぜいと息を荒げるプリシラの目の前、よいしょ、と立ち上がりながらそう言うジャンの表情には、もうからかうような色は毛ほども残っていなかった。 いつも通りどこか不敵に嗤う瞳に、見上げるプリシラは何故か動けなくなる。 また頬がかっと熱くなるのが判った。

「も――もう、うんと厳しいの考えてやろうじゃないの!」
 その原因不明の呪縛を振り切るかのようにぷいっとプリシラは身を翻し、彼に背を向けてすたすたと競売所に向けて歩き出した。
「おう、ひとつ頼むぜ。 そっちの要求がデカきゃデカい程、俺が勝った暁には気兼ねなく賞品を頂けるってもんだからな」
 そんな減らず口を返しながら、その後をのんびりとついていくジャン。 肩越しに一瞬振り返ったプリシラの顔は、怒っているのか照れているのか困っているのか、判定は人によって様々だったに違いない。

 更に何事かを言い合いながら去っていく彼らを見送るベンチの上、ぽつねんと取り残されたタブロイド版が、街を滑る気まぐれな風に煽られ飛ばされていずこへともなく消えていった。


   *  *  *


 5日後、週明けの火曜日、午前4時。
 黒髪のエルヴァーンの男性と、茶色い髪のヒュームの女性の姿が、サンドリア王国チョコボ厩舎に現れた。

 半日以上もの時間を費やす、サンドリア―ウィンダス間チョコボレース。
 ルートは西ロンフォールを出発し、ラテーヌ平原からジャグナー森林を抜け、ジュノ周辺のバタリア丘陵、ロランベリー耕地の一部、そしてソロムグ原野を迂回する。 そこから更にメリファト山地を経てタロンギ大渓谷、最後は東サルタバルタの南端、ウィンダス連邦入り口がゴールだ。
 まだ夜も明け切らないこの時間がスタートに選ばれるのは、難関と謳われるジャグナー、メリファトそしてタロンギの3エリアを日のあるうちに走る為。 当然の如く視界の良し悪しも走りを大きく左右するのである。

「さぁて、いっちょ走るとするか」
「余裕じゃないの。 ま、私の後をついて来るだけならそれで十分ね」
「ふふん……ま、見てなって」

 何やら低く舌戦のようなものを交わしながら、男性の方は悠々と、女性の方はやや緊張した面持ちで、ウィンダスに送り届けるチョコボを一頭ずつ借り受ける。
 厩務員達のほのかな好奇の視線に見送られ、黄色い大鳥に跨る二人は揃って城門へのゲートを抜けていった。


 さわやかな朝靄煙る西ロンフォール。
 見上げる城門の裾から豊かな森へとなだらかに伸びる石畳の終わりを、二羽のチョコボの逞しい足が同時に蹴って飛び出した。


to be continued
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