テノリライオン
永訣の峰、漆黒の血 4
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匿名ユーザー
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酔いどれ親父も背筋を正す風格を備えた真紅のワインが、まだ可愛らしい葡萄だった頃。
大空を悠然と翔けるヒポグリフが、その頭にまだ卵の殻を乗せていた頃。
サルタバルタの片隅で、一人のタルタルと一人のガルカが出会った。
* * *
実に平和なぽかぽかと暖かい草原を、一頭の黄色い影が走っていた。 ひときわ大きく逞しいそのチョコボを、器用に駆るのはやはり大きく逞しいガルカ。
「…………?」
大岩をくり貫いたようなウィンダスの門がそろそろ見えてこようかという辺りで、イーゴリはふと手綱を引き絞った。 彼の目の端に、草むらの中で何やらもぞもぞとうごめく赤い姿が飛び込んできたのだ。
あんな色のモンスター、ここらにいたっけかな。 そう思いながらチョコボを操ってイーゴリはその草陰に近付く。 大鳥の鞍の上から、ひょいとそこを覗き込んで――
「……何をしてるんだい」
彼のその少し拍子抜けしたような声に顔を上げたのは、小さな赤毛のタルタルの少女だった。 頬に土の跡をつけ、汗だくで地べたに座り込んでいる。
と、ぬっと現れた大きなチョコボ、更にその上に乗る大きなガルカを驚いて振り仰いだ彼女は、その勢いでこてんと後ろに転がってしまった。
「おいおい」
その様子にイーゴリは思わず噴き出し、ひらりとチョコボを降りると彼女を支え起こした。
小さなタルタルは少し恥ずかしそうに、もぞもぞと体居住まいを正す。 彼女の傍らで大きな剣が彼女と同じように土をまとって転がっているのを見て、イーゴリは言った。
「剣の修行かい?」
「……うん」
タルタルの少女は頷くと、ぺたんと座ったまま手の甲で顔をごしごしと拭った。
その手のひらが赤くこすれ、幼い顔に疲労の色が濃いのを見て取ったイーゴリ。 眉を寄せながらひょいと彼女の大剣を手に取ると、軽く上下に振った。
大剣とは言ってもタルタル仕様のそれは、ガルカの彼が持ってしまうとまるで少し大きめの指揮棒と言った感じだ。
「――ふぅん、結構ちゃんとした剣だなぁ。 でもこれだと、ちょっと重いんじゃないのか?」
言ってイーゴリは、その場によいしょとしゃがむ。
「大丈夫だもん」
と、何だか拗ねたようにタルタルの少女は言い返すのだ。 イーゴリは眉を上げる。
「そうか? でも手も痛そうだし、身長にも合ってないみたいだから振り回すのも大変だろう。 もうちょっとこう、自分に見合うやつを持った方がいいと思うぞ?」
「……あたしのじゃないんだもん」
彼の忠告に何故か更に不機嫌そうになる彼女をしげしげと見て、イーゴリは気がついた。
単に戦士を志すにしても冒険者になるにしても、彼女は少しばかり年齢が足りないように見える。
防具の類をロクにつけていないのは、買えないとか要らないとかよりも、まずサイズの合うものがないからだろう。
剣なら持つだけは持てるだろうが、それにしても両手持ちの剣から始めようというのはいささか無謀だ。 どこかこう、背伸びして突っ走ってしまっているような感じがある。
ふぅむ、と軽く唸るイーゴリ。 俯いてほっぺたをふくらますタルタルの少女。
「これは、誰かから借りたのかな?」
「……お姉ちゃんの」
「そうか。 お姉ちゃんは、もうちょっと小さい剣は持ってないのかな」
「……全部、持ってっちゃった」
そう言うと、少女は哀しげに口をへの字に曲げた。 その様子をイーゴリは少し見つめる。 どうやら何か事情がありそうな感じだ。
イーゴリはその場によっこらせとあぐらをかくと、なるべく優しい口調でタルタルの少女と向き合った。
余計なお節介――と片付けて終わらせるには、この子は少々危なっかしすぎる。
「剣技は、好きかい」
「――――」
即答しない。 イーゴリは質問を変える。
「強くなりたい?」
「……うん」
こくんと頷く。 表情は拗ねていない。
「お姉ちゃんみたいに?」
「――――」
その質問で、彼女の顔がまたみるみる曇った。 そして唇を噛み、赤いお下げの頭をぶんぶんと左右に振る。
「……うーん……?」
イーゴリは首をかしげて唸る。 ここで頷いてくれれば大体状況は判ると思ったのに、思い切り否定されてしまうとは。 単純なイエス・ノーでは探り切れない。 どうしたものか――
「なあ。 よかったら、ちょっと俺が相手しようか?」
「……え?」
唐突なガルカの申し出に、少女はきょとんと彼を見上げる。
「一人で剣を振り回していても、あまり張り合いがないだろう。 この通りデカくて頑丈なガルカだ、的ぐらいにはなってやれるけど。 どうだい?」
稽古をつけてやる、という程の気持ちでもなかった。
事情や動機がどうあれ、とりあえずは彼女の力を見て、どんな段階の訓練から始めるべきかというアドバイスぐらいはしておきたいと思ったのだ。 剣を交えるうちに、この子自身も何か気付いてくれるかもしれない。
とにかく、戦士の端くれとしても一人の大人としても、こんな無謀な少女を置いて立ち去る事はできなかった。
温厚なイーゴリの笑顔を、小さなタルタルの少女は少し不思議そうに見上げていたが。
やがてきゅっと口を一文字に結ぶと立ち上がり、彼の手からぱっと大剣を取り戻して言った。
「……おもいっきり、やってもいい?」
そんな彼女を見て、イーゴリは改めて目を細める。 上目遣いで彼を見上げるぷくぷくとしたその顔に、僅かながら凛とした気迫を垣間見たのだ。
これは――もしかしたら面白いかもしれない。
「ああ、何をどうやってもいいぞ」
地面にあぐらをかいたまま、イーゴリは笑みを含んだ声で答えた。
重たそうに彼女が構えなおす大剣に対し、懐から短剣を取り出しながら。
* * *
―― ジュノ上層 大衆食堂 ――
「…………ドリー。 ドリー」
隣から自分を呼ぶ気遣わしげな声に、ドリーはゆっくりと我に返った。
「ほら、こぼれてる」
声に言われて手元を見る。 右手に持ったスプーンから、野菜のかけらが木のテーブルにこぼれ落ちていた。 横からナプキンを持ったルカの手が伸びてきて、それを拭って消える。
「あ、うん……」
まるで眠っているのではないかと思うような間延びした声で、ドリーはぼんやりと頷いた。
周囲の客の喧騒も呑み込んでしまうような、重たい空気。 いつもの食堂で、七から一を引いた数字の人影が囲むテーブルに、無音の溜息が流れた。
あらゆる努力は、実らずに消えた。
誰に尋ねても、何に尋ねても、イーゴリの向かった先の目処をつけることはできず。
彼の部屋を調べてみても、彼の現状を推測できるどんな物も見つけることはできず。
そして――声が、聞こえなくなった。
何故、どうして、という片道切符の問いかけは、もうとっくに擦り切れて。
どうすればいい、という議論の泉は涸れ果てた。
だからと言って、彼の喪失を認める思い出話の口火を切る勇気は誰にもなく。
故に、消える音。 死に絶える声。
かろうじてぽつりぽつりと発される言葉は、話の接ぎ穂だけが転がるような、意味も薄く短いやりとりに終わっていく。 そんな日々が彼らの間で始まっていた。
ドリーは、まるで子供に還ったようだった。
絶え間なく泣いていた一時期よりはずいぶん落ち着いたものの、放っておけばずっとぼんやりと虚空を眺めている。 話しかけても、簡単な受け答えしかしない。 親鳥について回るヒナのように、片時も親友であるルカの側を離れようとしない。
夜になれば眠り、食事も摂るようにはなったものの。 その為に出歩くのも億劫そうで、結局ずっとルカが子供を抱きかかえるようにして彼女を連れ歩いていた。
今もそうして食堂に足を運んだ、少し遅めの昼食の席だった。
「……山なんでしょ、山」
ルードが、まだ惣菜の残る自分の皿を睨みつけながらぼそりと言った。 皆の視線がゆるゆると彼に集まる。
「転生の山って言うぐらいなんだから、どっか山なんすよ。 高い所なんすよ。 だったら全部回ってみりゃいいんだ――俺、行って来ますよ」
怒っているような、何かを責めているような口調で、小さな暗黒騎士はまくしたて始める。
「プルゴノルゴにも山があったし、ウルガラン山脈と、イフリートの釜も火山だ。 アットワにも岩山があるからそれも――登れる岩山ならグスタベルグにもある。 あとは――あとは――そうだ、山じゃないけど、ガルカの故郷のアルテパ砂漠あたりも怪しい。 片っ端から全部……しらみ潰しに回れば――」
彼の自暴自棄にも近い主張を、賛同するでもなく否定するでもなく――ただ見守るだけの空気が支配する中、ルードの声が徐々に萎えていく。
「山」という表現が比喩でないという保証すらも見つけられなかった事は、皆既に承知していた。
他種族から見れば超常現象に等しい「転生」。 そんなものが一体この世界のどこで、どのように発動するのか――何の情報もなしに想像してみろという方が無理な話だった。
本当に山に登るのか。 そもそもそれが一定の場所なのか。 何かしら象徴や指標のようなものがそこにあるのか――転生がそこで行われた事が、一体他者に判別可能なのか。
何一つ確定しないまま世界を回っても、それは海の中で透明なクラゲを探すようなものだ。 もし遭遇できたとしても目に映らないかもしれないものを、宛てもなく探すなど――
「……こうやって、じっとしてるよりはマシでしょう!」
再度己を鼓舞したルードの声が、どうしようもなく静かなテーブルの上に響く。
「何かが見つかる可能性はゼロじゃない! どこかで元気にしてるかもしれない、だったら少しでも動いてた方が――」
ケンカを売るように威勢はよくても、どこか不安げにすがりつくような。
そんなルードの声を聞きながら、うっすらと曇る瞳の奥でバルトは考えていた。
あの遠大な年月を重ねたガルカが姿を消してから、もう十日以上が過ぎている。
彼の気質からして、これだけの間連絡をしないということは考えづらく――原因はどうあれ、最低でも前後不覚の状態に陥っていることは確実だろう。
そして、冒険者の死というものがいささか特殊なこの世界で、歴戦の戦士が意図的でなく完全に姿を消してしまうという事態はまずあり得ない。 つまり――
(……もう、転生でないと考える方が不自然だ)
そう結論せざるを得なくなったバルトは、視線を落としてゆっくりと溜息をつく。
世界の中心地点であるジュノを出発点とするならば、 例え徒歩でも二週間もあれば大抵の所には辿り着けてしまう。 体力に溢れたガルカなら尚更だ。
だから、恐らく――――もう、遅い。
例え今から奇跡的にその場所に辿り着けたとしても。 その頃には、イーゴリは既に――この言い方が正しいのかどうかは判らないが――召されているだろう。
辿り着いた己の理論の残酷さが、彼の心臓を冷たくぎゅっと握り潰す。
バルトは、自分の斜め前に座るドリーに視線を落とした。
ルカやフォーレの見守るような視線の中、ひたすらぼんやりと、目の前にある皿に載っているものを少しずつ口に運んでいる赤毛のタルタルの少女。 スプーンの握りが適当だった。
彼女は今、何を考えているのだろう。
それとももう、何も考えられなくなっているのだろうか――考えるのを、やめてしまったのだろうか。
彼女の何も映していないような弱々しい目にちりちりと胸を痛めながらも、バルトは考え続ける。
例えどんなに辛くても。 どんなに認めたくなくても。
恐らくこれから俺達が探すべきは、イーゴリさん本人の影ではなく――この現実の、受け容れ方だ。
このままではいけない。 それは口に出さずとも、全員が思っている事だろう。
そして、そこに至る方法はきっと、皆それぞれに違うのだ。
例えばルードなら――持て余す活力に心と体を突き動かされ、じっとしているのに耐えられずこうして行動を主張しているこのタルタルなら、気が済んで倒れ込むまで世界中を駆けずり回る事がそれかもしれない。 優しい白魔道士のフォーレなら、自室に篭って精魂尽き果てるまで女神に祈り続けるか。 ヴォルフは――この物言わぬ赤魔道士は、恐らくもう静かに覚悟を決めていると思う。
ルカはどうだろう。 俺は――そして――ドリーは。
そこまで考えて。 バルトの胸にふと、新たな思いが生まれた。
それは、――危機感。
このまま、各々がその心の欠乏を鎮める作業に専念しはじめたら。
ヒビの入った砂糖菓子がぼろぼろと崩れていくように、この六人――バラバラになって、しまいや、しないだろうか。
突如襲ったうそ寒い想像に、バルトはこっそりと身震いする。
何を気弱な。 そんな浅い付き合いではない。 幾多の困難を共に乗り越えてきた絆は、連帯感は、一朝一夕に忘れてしまえるような、放り出してしまえるような、軽いものではあり得ない。 ――ない、はずだ。
が、しかし。 その絆の、思いの強さがそのまま、今の狂おしく危うい空気を生んでいるのもまた事実で――
連帯の輪が、欠けた。
それにより起こる衝撃が弱ければ、すぐに輪を繋ぎなおすのも容易だろう。
しかし、それが激震だったら――欠けてしまった光景が、哀しすぎるものだったら。
もう一度、健やかにその輪を結びなおすには、どうすればいい?
この中途半端な状況の中、皆が揃ってまた前を向くには、一体どんな儀式が必要なのか――
いつしかルードの啖呵も尻すぼみに途切れ、また場には沈黙が戻ってきていた。
普段からの寡黙さ故にいつもと変わらないように見える、そんなヴォルフが浮いてしまいそうな程に哀しげな雰囲気の中。
丸く大きなテーブルの上で、ゆっくりと食事が冷めていった。
* * *
それぞれの会計を済ませて、彼ら六人は席を立つ。
「よっこいしょっと」
ルカが可愛い掛け声をかけて、小さなドリーをひょいと椅子から抱え上げた。 銀髪のミスラの首っ玉にぎゅっと腕を回して、その指定席にすっぽりと収まるドリー。
「全く、世話の焼ける子だねぇ」
先に立ってバルトが開けてくれる食堂のドアをくぐりながら、駄々っ子をあやすように優しくおどけてルカは言う。
ジュノ上層を照らす午後の日差しは、とても穏やかだ。
抱いたタルタルの赤毛が陽光にその色を薄める。 それを見るルカの瞳もまた穏やかで――そして、切なげだった。
もう何日も、昼夜を問わず無言で自分に甘えてくるこのタルタルと一緒に過ごす彼女は。
とろりと疲れたような、しかし不思議に甘美な、それでいてどこか破滅的な――そんな気だるい感覚に、首までどっぷりと浸からされていた。
友の嘆きとその小さな体を全身で受け止め続ける余り、まるで自分が彼女の一部になってしまったかのような奇妙な一体感がルカを包み、そして優しい思考停止に引きずり込んでいるのだ。
食堂から皆が出てくるのを待ちながら、眠る子供を抱く母親のように物静かな、ルカのたたずまい。
が、そんな虚無感に侵食される彼女をかろうじて現に引き止めるのも、やはりドリーであった。
より正確に言うならば、ドリーの、重さ。
多少食べるようになってくれてその速度は緩やかになったものの、小柄なナイトの体重は目に見えて落ちていた。
転生の声が囁かれ始めてから数日は断食状態に近かった事を考えれば、それは無理もない事なのだが――
(このままじゃ、いけない)
バルトが考えたと同じ事を、ルカもそのうかされたような頭にぼんやりと浮かべていた。
このままじゃダメだ。 それだけは確実だ。
でも、じゃあ、どうすればいいのか――それが、判らない。
理屈の遠回りをしない分、彼よりも速く彼と同じ結論にルカは達する。
どうすればいいのか、なんて――全然、頭が働かない。 この子が可哀相で、ただそればっかりで、何がどうなってるのかも判らないのに、何を言える訳もない。
頭がぼうっとする。 まるで真冬の夕焼けを呑み込んでしまったみたいだ。
暖かくて、寂しい。
何だかもう、何もかもがどうでもいいような気もする。 そう、考えるのは、バルト達に任せてしまおう。 私はこの子がどこへも行かないように、しっかり抱っこして――――
「見つけたわ」
ぼんやりと立っていたルカの耳を流れていた街の音から、一つの声が不意に浮かび上がった。
それは、のどかな街角の暖かい日差しに穴を開けるような、冷ややかな声音。
一拍の間をおいて、それがまっすぐ自分の方に向けられたものらしい事に気づいたルカは、その発信源を探すようにゆっくりと振り向くのだが――
振り向く。 その動作自体は、二秒にも満たないほんの僅かな時間だった。
が、ただくるりと体を捻るだけの動きを始めて、終えるまでの間に。
その声に含まれる成分を正しく嗅ぎ取った、もう一人の自分――ドリーの虚無に呑まれ呆けている自分とは別の、意識の奥底でずっと押し黙っていたニュートラルな自分――が、ぞわぁ――――っ、と強烈に総毛立っていくのをルカは感じ取っていた。
唐突な違和感に戸惑い、自分の感覚に追いつけていない自分に焦りながら、ルカの視線は声の主の姿を求め――見つける。
その瞬間、ルカを包んでいた薄もやが暴力的に剥ぎ取られた。 強烈な冷気が彼女の背筋を舐め上げる。 目覚める間もなく無理矢理ねじ込まれた温度差に、がち、と歯が鳴った。
一瞬、ルードかと思った。
小さな体。 真っ黒い鎧。 まごうかたなき暗黒騎士、しかもタルタル。
しかし、その声は女性のものだった。 やはり真っ黒な兜から覗く顔立ちも、はっきりと女性だ。
が――着目すべきは、そんな姿形ではない。
この戦慄。 表面的には冷たく素っ気無いだけの言葉の裏に潜む、ある種の「匂い」。 それを知る者だけが嗅ぎ取り怯える、暗闇の中でこそ意味を持つような「匂い」。
ルカは瞬時に思い出す。 つい先ごろ、これと似たような感覚を呼び覚まされた事があった。
そう、天晶堂の奥で、かつての同業者――シーフギルドの者に、呼び止められた時だ。
腕の中の小さなタルタルが、もぞり、と動いた。 その刺激で、ようやく感覚に追いついた体が慌てて鳥肌を立てる。
違う。 違う。 これは違う。
ルカはついに完全に戻った感覚全てで叫ぶ。 こんな――これは――特化型だ。
盗みだの詐欺だの恐喝だの工作だの――そんな柔軟で応用のきくシーフのような、汎用型の気配じゃない。
暗い瞳。 遊びのない空気。 言葉の通じない闇。
間違いない、この世の裏側に潜む営みの、その中でも一番危ないものに特化している……!
と、ドリーが、ずっとルカの肩に埋めていた顔をゆっくりと上げ、そのタルタルの方を振り返った。
見せたくない――そう思ってルカは彼女を抱く腕に力を込めるが、それはすでに遅く。
ドリーの口から、その言葉はこぼれ出てしまった。
「…………お姉、ちゃん?」
to be continued
大空を悠然と翔けるヒポグリフが、その頭にまだ卵の殻を乗せていた頃。
サルタバルタの片隅で、一人のタルタルと一人のガルカが出会った。
* * *
実に平和なぽかぽかと暖かい草原を、一頭の黄色い影が走っていた。 ひときわ大きく逞しいそのチョコボを、器用に駆るのはやはり大きく逞しいガルカ。
「…………?」
大岩をくり貫いたようなウィンダスの門がそろそろ見えてこようかという辺りで、イーゴリはふと手綱を引き絞った。 彼の目の端に、草むらの中で何やらもぞもぞとうごめく赤い姿が飛び込んできたのだ。
あんな色のモンスター、ここらにいたっけかな。 そう思いながらチョコボを操ってイーゴリはその草陰に近付く。 大鳥の鞍の上から、ひょいとそこを覗き込んで――
「……何をしてるんだい」
彼のその少し拍子抜けしたような声に顔を上げたのは、小さな赤毛のタルタルの少女だった。 頬に土の跡をつけ、汗だくで地べたに座り込んでいる。
と、ぬっと現れた大きなチョコボ、更にその上に乗る大きなガルカを驚いて振り仰いだ彼女は、その勢いでこてんと後ろに転がってしまった。
「おいおい」
その様子にイーゴリは思わず噴き出し、ひらりとチョコボを降りると彼女を支え起こした。
小さなタルタルは少し恥ずかしそうに、もぞもぞと体居住まいを正す。 彼女の傍らで大きな剣が彼女と同じように土をまとって転がっているのを見て、イーゴリは言った。
「剣の修行かい?」
「……うん」
タルタルの少女は頷くと、ぺたんと座ったまま手の甲で顔をごしごしと拭った。
その手のひらが赤くこすれ、幼い顔に疲労の色が濃いのを見て取ったイーゴリ。 眉を寄せながらひょいと彼女の大剣を手に取ると、軽く上下に振った。
大剣とは言ってもタルタル仕様のそれは、ガルカの彼が持ってしまうとまるで少し大きめの指揮棒と言った感じだ。
「――ふぅん、結構ちゃんとした剣だなぁ。 でもこれだと、ちょっと重いんじゃないのか?」
言ってイーゴリは、その場によいしょとしゃがむ。
「大丈夫だもん」
と、何だか拗ねたようにタルタルの少女は言い返すのだ。 イーゴリは眉を上げる。
「そうか? でも手も痛そうだし、身長にも合ってないみたいだから振り回すのも大変だろう。 もうちょっとこう、自分に見合うやつを持った方がいいと思うぞ?」
「……あたしのじゃないんだもん」
彼の忠告に何故か更に不機嫌そうになる彼女をしげしげと見て、イーゴリは気がついた。
単に戦士を志すにしても冒険者になるにしても、彼女は少しばかり年齢が足りないように見える。
防具の類をロクにつけていないのは、買えないとか要らないとかよりも、まずサイズの合うものがないからだろう。
剣なら持つだけは持てるだろうが、それにしても両手持ちの剣から始めようというのはいささか無謀だ。 どこかこう、背伸びして突っ走ってしまっているような感じがある。
ふぅむ、と軽く唸るイーゴリ。 俯いてほっぺたをふくらますタルタルの少女。
「これは、誰かから借りたのかな?」
「……お姉ちゃんの」
「そうか。 お姉ちゃんは、もうちょっと小さい剣は持ってないのかな」
「……全部、持ってっちゃった」
そう言うと、少女は哀しげに口をへの字に曲げた。 その様子をイーゴリは少し見つめる。 どうやら何か事情がありそうな感じだ。
イーゴリはその場によっこらせとあぐらをかくと、なるべく優しい口調でタルタルの少女と向き合った。
余計なお節介――と片付けて終わらせるには、この子は少々危なっかしすぎる。
「剣技は、好きかい」
「――――」
即答しない。 イーゴリは質問を変える。
「強くなりたい?」
「……うん」
こくんと頷く。 表情は拗ねていない。
「お姉ちゃんみたいに?」
「――――」
その質問で、彼女の顔がまたみるみる曇った。 そして唇を噛み、赤いお下げの頭をぶんぶんと左右に振る。
「……うーん……?」
イーゴリは首をかしげて唸る。 ここで頷いてくれれば大体状況は判ると思ったのに、思い切り否定されてしまうとは。 単純なイエス・ノーでは探り切れない。 どうしたものか――
「なあ。 よかったら、ちょっと俺が相手しようか?」
「……え?」
唐突なガルカの申し出に、少女はきょとんと彼を見上げる。
「一人で剣を振り回していても、あまり張り合いがないだろう。 この通りデカくて頑丈なガルカだ、的ぐらいにはなってやれるけど。 どうだい?」
稽古をつけてやる、という程の気持ちでもなかった。
事情や動機がどうあれ、とりあえずは彼女の力を見て、どんな段階の訓練から始めるべきかというアドバイスぐらいはしておきたいと思ったのだ。 剣を交えるうちに、この子自身も何か気付いてくれるかもしれない。
とにかく、戦士の端くれとしても一人の大人としても、こんな無謀な少女を置いて立ち去る事はできなかった。
温厚なイーゴリの笑顔を、小さなタルタルの少女は少し不思議そうに見上げていたが。
やがてきゅっと口を一文字に結ぶと立ち上がり、彼の手からぱっと大剣を取り戻して言った。
「……おもいっきり、やってもいい?」
そんな彼女を見て、イーゴリは改めて目を細める。 上目遣いで彼を見上げるぷくぷくとしたその顔に、僅かながら凛とした気迫を垣間見たのだ。
これは――もしかしたら面白いかもしれない。
「ああ、何をどうやってもいいぞ」
地面にあぐらをかいたまま、イーゴリは笑みを含んだ声で答えた。
重たそうに彼女が構えなおす大剣に対し、懐から短剣を取り出しながら。
* * *
―― ジュノ上層 大衆食堂 ――
「…………ドリー。 ドリー」
隣から自分を呼ぶ気遣わしげな声に、ドリーはゆっくりと我に返った。
「ほら、こぼれてる」
声に言われて手元を見る。 右手に持ったスプーンから、野菜のかけらが木のテーブルにこぼれ落ちていた。 横からナプキンを持ったルカの手が伸びてきて、それを拭って消える。
「あ、うん……」
まるで眠っているのではないかと思うような間延びした声で、ドリーはぼんやりと頷いた。
周囲の客の喧騒も呑み込んでしまうような、重たい空気。 いつもの食堂で、七から一を引いた数字の人影が囲むテーブルに、無音の溜息が流れた。
あらゆる努力は、実らずに消えた。
誰に尋ねても、何に尋ねても、イーゴリの向かった先の目処をつけることはできず。
彼の部屋を調べてみても、彼の現状を推測できるどんな物も見つけることはできず。
そして――声が、聞こえなくなった。
何故、どうして、という片道切符の問いかけは、もうとっくに擦り切れて。
どうすればいい、という議論の泉は涸れ果てた。
だからと言って、彼の喪失を認める思い出話の口火を切る勇気は誰にもなく。
故に、消える音。 死に絶える声。
かろうじてぽつりぽつりと発される言葉は、話の接ぎ穂だけが転がるような、意味も薄く短いやりとりに終わっていく。 そんな日々が彼らの間で始まっていた。
ドリーは、まるで子供に還ったようだった。
絶え間なく泣いていた一時期よりはずいぶん落ち着いたものの、放っておけばずっとぼんやりと虚空を眺めている。 話しかけても、簡単な受け答えしかしない。 親鳥について回るヒナのように、片時も親友であるルカの側を離れようとしない。
夜になれば眠り、食事も摂るようにはなったものの。 その為に出歩くのも億劫そうで、結局ずっとルカが子供を抱きかかえるようにして彼女を連れ歩いていた。
今もそうして食堂に足を運んだ、少し遅めの昼食の席だった。
「……山なんでしょ、山」
ルードが、まだ惣菜の残る自分の皿を睨みつけながらぼそりと言った。 皆の視線がゆるゆると彼に集まる。
「転生の山って言うぐらいなんだから、どっか山なんすよ。 高い所なんすよ。 だったら全部回ってみりゃいいんだ――俺、行って来ますよ」
怒っているような、何かを責めているような口調で、小さな暗黒騎士はまくしたて始める。
「プルゴノルゴにも山があったし、ウルガラン山脈と、イフリートの釜も火山だ。 アットワにも岩山があるからそれも――登れる岩山ならグスタベルグにもある。 あとは――あとは――そうだ、山じゃないけど、ガルカの故郷のアルテパ砂漠あたりも怪しい。 片っ端から全部……しらみ潰しに回れば――」
彼の自暴自棄にも近い主張を、賛同するでもなく否定するでもなく――ただ見守るだけの空気が支配する中、ルードの声が徐々に萎えていく。
「山」という表現が比喩でないという保証すらも見つけられなかった事は、皆既に承知していた。
他種族から見れば超常現象に等しい「転生」。 そんなものが一体この世界のどこで、どのように発動するのか――何の情報もなしに想像してみろという方が無理な話だった。
本当に山に登るのか。 そもそもそれが一定の場所なのか。 何かしら象徴や指標のようなものがそこにあるのか――転生がそこで行われた事が、一体他者に判別可能なのか。
何一つ確定しないまま世界を回っても、それは海の中で透明なクラゲを探すようなものだ。 もし遭遇できたとしても目に映らないかもしれないものを、宛てもなく探すなど――
「……こうやって、じっとしてるよりはマシでしょう!」
再度己を鼓舞したルードの声が、どうしようもなく静かなテーブルの上に響く。
「何かが見つかる可能性はゼロじゃない! どこかで元気にしてるかもしれない、だったら少しでも動いてた方が――」
ケンカを売るように威勢はよくても、どこか不安げにすがりつくような。
そんなルードの声を聞きながら、うっすらと曇る瞳の奥でバルトは考えていた。
あの遠大な年月を重ねたガルカが姿を消してから、もう十日以上が過ぎている。
彼の気質からして、これだけの間連絡をしないということは考えづらく――原因はどうあれ、最低でも前後不覚の状態に陥っていることは確実だろう。
そして、冒険者の死というものがいささか特殊なこの世界で、歴戦の戦士が意図的でなく完全に姿を消してしまうという事態はまずあり得ない。 つまり――
(……もう、転生でないと考える方が不自然だ)
そう結論せざるを得なくなったバルトは、視線を落としてゆっくりと溜息をつく。
世界の中心地点であるジュノを出発点とするならば、 例え徒歩でも二週間もあれば大抵の所には辿り着けてしまう。 体力に溢れたガルカなら尚更だ。
だから、恐らく――――もう、遅い。
例え今から奇跡的にその場所に辿り着けたとしても。 その頃には、イーゴリは既に――この言い方が正しいのかどうかは判らないが――召されているだろう。
辿り着いた己の理論の残酷さが、彼の心臓を冷たくぎゅっと握り潰す。
バルトは、自分の斜め前に座るドリーに視線を落とした。
ルカやフォーレの見守るような視線の中、ひたすらぼんやりと、目の前にある皿に載っているものを少しずつ口に運んでいる赤毛のタルタルの少女。 スプーンの握りが適当だった。
彼女は今、何を考えているのだろう。
それとももう、何も考えられなくなっているのだろうか――考えるのを、やめてしまったのだろうか。
彼女の何も映していないような弱々しい目にちりちりと胸を痛めながらも、バルトは考え続ける。
例えどんなに辛くても。 どんなに認めたくなくても。
恐らくこれから俺達が探すべきは、イーゴリさん本人の影ではなく――この現実の、受け容れ方だ。
このままではいけない。 それは口に出さずとも、全員が思っている事だろう。
そして、そこに至る方法はきっと、皆それぞれに違うのだ。
例えばルードなら――持て余す活力に心と体を突き動かされ、じっとしているのに耐えられずこうして行動を主張しているこのタルタルなら、気が済んで倒れ込むまで世界中を駆けずり回る事がそれかもしれない。 優しい白魔道士のフォーレなら、自室に篭って精魂尽き果てるまで女神に祈り続けるか。 ヴォルフは――この物言わぬ赤魔道士は、恐らくもう静かに覚悟を決めていると思う。
ルカはどうだろう。 俺は――そして――ドリーは。
そこまで考えて。 バルトの胸にふと、新たな思いが生まれた。
それは、――危機感。
このまま、各々がその心の欠乏を鎮める作業に専念しはじめたら。
ヒビの入った砂糖菓子がぼろぼろと崩れていくように、この六人――バラバラになって、しまいや、しないだろうか。
突如襲ったうそ寒い想像に、バルトはこっそりと身震いする。
何を気弱な。 そんな浅い付き合いではない。 幾多の困難を共に乗り越えてきた絆は、連帯感は、一朝一夕に忘れてしまえるような、放り出してしまえるような、軽いものではあり得ない。 ――ない、はずだ。
が、しかし。 その絆の、思いの強さがそのまま、今の狂おしく危うい空気を生んでいるのもまた事実で――
連帯の輪が、欠けた。
それにより起こる衝撃が弱ければ、すぐに輪を繋ぎなおすのも容易だろう。
しかし、それが激震だったら――欠けてしまった光景が、哀しすぎるものだったら。
もう一度、健やかにその輪を結びなおすには、どうすればいい?
この中途半端な状況の中、皆が揃ってまた前を向くには、一体どんな儀式が必要なのか――
いつしかルードの啖呵も尻すぼみに途切れ、また場には沈黙が戻ってきていた。
普段からの寡黙さ故にいつもと変わらないように見える、そんなヴォルフが浮いてしまいそうな程に哀しげな雰囲気の中。
丸く大きなテーブルの上で、ゆっくりと食事が冷めていった。
* * *
それぞれの会計を済ませて、彼ら六人は席を立つ。
「よっこいしょっと」
ルカが可愛い掛け声をかけて、小さなドリーをひょいと椅子から抱え上げた。 銀髪のミスラの首っ玉にぎゅっと腕を回して、その指定席にすっぽりと収まるドリー。
「全く、世話の焼ける子だねぇ」
先に立ってバルトが開けてくれる食堂のドアをくぐりながら、駄々っ子をあやすように優しくおどけてルカは言う。
ジュノ上層を照らす午後の日差しは、とても穏やかだ。
抱いたタルタルの赤毛が陽光にその色を薄める。 それを見るルカの瞳もまた穏やかで――そして、切なげだった。
もう何日も、昼夜を問わず無言で自分に甘えてくるこのタルタルと一緒に過ごす彼女は。
とろりと疲れたような、しかし不思議に甘美な、それでいてどこか破滅的な――そんな気だるい感覚に、首までどっぷりと浸からされていた。
友の嘆きとその小さな体を全身で受け止め続ける余り、まるで自分が彼女の一部になってしまったかのような奇妙な一体感がルカを包み、そして優しい思考停止に引きずり込んでいるのだ。
食堂から皆が出てくるのを待ちながら、眠る子供を抱く母親のように物静かな、ルカのたたずまい。
が、そんな虚無感に侵食される彼女をかろうじて現に引き止めるのも、やはりドリーであった。
より正確に言うならば、ドリーの、重さ。
多少食べるようになってくれてその速度は緩やかになったものの、小柄なナイトの体重は目に見えて落ちていた。
転生の声が囁かれ始めてから数日は断食状態に近かった事を考えれば、それは無理もない事なのだが――
(このままじゃ、いけない)
バルトが考えたと同じ事を、ルカもそのうかされたような頭にぼんやりと浮かべていた。
このままじゃダメだ。 それだけは確実だ。
でも、じゃあ、どうすればいいのか――それが、判らない。
理屈の遠回りをしない分、彼よりも速く彼と同じ結論にルカは達する。
どうすればいいのか、なんて――全然、頭が働かない。 この子が可哀相で、ただそればっかりで、何がどうなってるのかも判らないのに、何を言える訳もない。
頭がぼうっとする。 まるで真冬の夕焼けを呑み込んでしまったみたいだ。
暖かくて、寂しい。
何だかもう、何もかもがどうでもいいような気もする。 そう、考えるのは、バルト達に任せてしまおう。 私はこの子がどこへも行かないように、しっかり抱っこして――――
「見つけたわ」
ぼんやりと立っていたルカの耳を流れていた街の音から、一つの声が不意に浮かび上がった。
それは、のどかな街角の暖かい日差しに穴を開けるような、冷ややかな声音。
一拍の間をおいて、それがまっすぐ自分の方に向けられたものらしい事に気づいたルカは、その発信源を探すようにゆっくりと振り向くのだが――
振り向く。 その動作自体は、二秒にも満たないほんの僅かな時間だった。
が、ただくるりと体を捻るだけの動きを始めて、終えるまでの間に。
その声に含まれる成分を正しく嗅ぎ取った、もう一人の自分――ドリーの虚無に呑まれ呆けている自分とは別の、意識の奥底でずっと押し黙っていたニュートラルな自分――が、ぞわぁ――――っ、と強烈に総毛立っていくのをルカは感じ取っていた。
唐突な違和感に戸惑い、自分の感覚に追いつけていない自分に焦りながら、ルカの視線は声の主の姿を求め――見つける。
その瞬間、ルカを包んでいた薄もやが暴力的に剥ぎ取られた。 強烈な冷気が彼女の背筋を舐め上げる。 目覚める間もなく無理矢理ねじ込まれた温度差に、がち、と歯が鳴った。
一瞬、ルードかと思った。
小さな体。 真っ黒い鎧。 まごうかたなき暗黒騎士、しかもタルタル。
しかし、その声は女性のものだった。 やはり真っ黒な兜から覗く顔立ちも、はっきりと女性だ。
が――着目すべきは、そんな姿形ではない。
この戦慄。 表面的には冷たく素っ気無いだけの言葉の裏に潜む、ある種の「匂い」。 それを知る者だけが嗅ぎ取り怯える、暗闇の中でこそ意味を持つような「匂い」。
ルカは瞬時に思い出す。 つい先ごろ、これと似たような感覚を呼び覚まされた事があった。
そう、天晶堂の奥で、かつての同業者――シーフギルドの者に、呼び止められた時だ。
腕の中の小さなタルタルが、もぞり、と動いた。 その刺激で、ようやく感覚に追いついた体が慌てて鳥肌を立てる。
違う。 違う。 これは違う。
ルカはついに完全に戻った感覚全てで叫ぶ。 こんな――これは――特化型だ。
盗みだの詐欺だの恐喝だの工作だの――そんな柔軟で応用のきくシーフのような、汎用型の気配じゃない。
暗い瞳。 遊びのない空気。 言葉の通じない闇。
間違いない、この世の裏側に潜む営みの、その中でも一番危ないものに特化している……!
と、ドリーが、ずっとルカの肩に埋めていた顔をゆっくりと上げ、そのタルタルの方を振り返った。
見せたくない――そう思ってルカは彼女を抱く腕に力を込めるが、それはすでに遅く。
ドリーの口から、その言葉はこぼれ出てしまった。
「…………お姉、ちゃん?」
to be continued