テノリライオン
永訣の峰、漆黒の血 5
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匿名ユーザー
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「――何よ、相変わらず誰かにべったりじゃないの」
漆黒の彼女はそう言うと、呆れたという風に目を細めた。
「これの、どこが……全く、やっぱり無駄足だったかしら」
食堂から少し離れた道の上、穏やかな午後の光の中で明らかな独り言を呟きながら、そのタルタルは一歩足を踏み出した。
ルカは――腕の中で言葉を失っているドリーをぎゅっと抱いたルカは、自分に向かってくるその姿に押されるように、思わず一歩後ずさった。 それまで彼女を包んでいたジュノ上層の平和な喧騒が、その耳からすぅっと遠のく。
背後の食堂から仲間達が出てくる気配を感じ取りながら、ルカは突然現れたこの相手を必死で観察していた。
――何だ――このタルタルは。
どう見ても、関わっていいものじゃない。 こんな不穏な気配を放つ、特異な緊張を強いられる相手に――特に今は、対峙したくない。 弱っているドリーを、晒したくない。
しかし。
見つけた、と言ったか。 そしてそれを受けてドリーは言った。 確かに言った。
お姉ちゃん、と――
「行こうか――、?」
始めにルカに歩み寄ってきたバルトは、立ちすくむ彼女に声をかけるとそのまま眉をひそめた。
先程までとは別人のように強張ったルカの視線と、その腕の中で驚きに見開かれたドリーの視線。 その先をなぞって――そこに立つ黒いタルタルの目と、彼の目が、合った。
「……お、何だ」
残りの面子がゆっくりと追いついてくる。
ヴォルフとフォーレも、ルカたちが向かい合う見知らぬタルタルを視界に収めた。 今は街着を着るルードは、自分と同じ名の鎧をまとうタルタルを認めて軽く声を上げる。 実際、タルタルという種族で暗黒騎士を極めるものは数として少なく、純粋に珍しい存在でもあった。
明るい町並みに一滴墨汁を垂らしたような、小さくとも底知れぬ漆黒を含んだ鎧。
その主が彼ら六人を睥睨し、口を開く。
「……ふぅん。 あなたたちが、この子のお仲間という訳ね」
関心の薄そうな口調と視線でそう言うと、彼女はその針のような視線をすいとドリーに戻した。
「私はこの子に用があるの。 借りるわよ――ドリー、来なさい」
言って彼女は、再度ルカとドリーの方に足を踏み出す。
「……ちょ――おい、待てよ! あんた、誰だ」
その黒いタルタルから立ち昇る、何やら苛立ちにも似た静かな殺気を感じ取ったルードが、やや荒げた声で彼女を制止する。 それを継ぐようにして、ドリーを抱くルカの隣からすっと微妙に半歩前に出たバルトが彼女に尋ねた。
「――ドリーは今、少し調子を崩していまして。 失礼ですが、どちら様でしょうか」
言葉遣いは丁寧ながらも雰囲気できっぱりと立ちふさがる黒魔道士を、黒い兜の奥から覗く瞳は鬱陶しげにねめつけた。
そして投げ捨てるような溜息を一つつくと、やおら兜を脱いだ。
その顔が、六人の前に顕わになる。
フォーレと似たような形に、しかし無造作に後ろで束ねられた、ドリーと同じながらも少し濃い赤毛。 しかしその色は毛先の方に追いやられ、根元に近づくにつれまるで骨のような白い色に変わっている。 そしてその中に収まって、ドリーにそっくりな顔立ち、しかしドリーとは似ても似つかない冷たい表情が、暗黒騎士の鎧を従えていた。
彼らルカ達にとっては実にちぐはぐで、つぎはぎなパーツが凝縮したような光景を目の当たりにして、ドリーとルカ以外の全員が息を呑む。
その混沌が、低い声で告げた。
「シルヴィア。 ドリーの姉よ。 さ、判ったらその子を貸してちょうだい、ミスラさん」
* * *
「……お、お姉、ちゃん……?」
誰もが驚きに言葉を失い、時間が止まったような空白の中、ドリーが上ずったような声を上げた。 ルカの腕から抜け出ようとするように、シルヴィアの方に向けて身じろぎする。 ルカは迷った。
降ろしたくない。 このタルタルの手の届く所に、ドリーを置きたくない。 本能と、かつて裏の世界に身を置いたシーフとしての経験が、強烈に彼女にそう訴えていた。
が――二人が姉妹で、互いにその名を呼び合っているのであれば――第三者である彼女の背筋を駆け抜ける悪寒は、二の次にされるしかなかった。
「――――」
ゆっくりと、腕の中の小さなタルタルを地に降ろす。 そのまま彼女の後ろにしゃがんで、ルカは対峙する二人をまっすぐ視界の中に収めた。
「お姉ちゃん……どこに、行ってたの? ねえ、今――」
「……ナイト、ねぇ」
みぞおちの前でぎゅっと手を握り、震える声で問うドリーの言葉をあっさり受け流して、シルヴィアはふーっと溜息をついた。 頭をぽりぽりと掻き、さも興醒めといった風情で。
「全く――最近は、自称さえすれば誰でもナイトを名乗っていいことになったのかしら。 あんたまさか、そんな弱腰のまんまで私と張り合おうとしてるの? 本当に、ちっとも変わらない――」
「え……」
「全く――まあ、いいわ」
諦めたようにそう言うと、シルヴィアは彼女の妹をじろりと睨んだ。
「とにかく。 私が好きでやってることを、いつまでもしつこく邪魔しようとしていたのは心外だわ。 確かに別れ際に言ったかもしれないわね、私を止めたかったら私より強くなれって。 よろしい、なら強くなったかどうか見せてもらおうじゃないの。 武器を取ってらっしゃい。 二度とそんな口が利けないようにしっかり叩き潰してあげるから、鎧はちゃんと着た方がいいわよ――」
「おい! 待てよ!!」
とうとうとまくし立てるシルヴィアの一方的で不穏な言葉を、ついにルードが遮った。
「姉ちゃんだか何だか知らないが、何言ってんだ? 決闘でも始めるつもりかよ!?」
「決闘? ――そんな、上等なものにはしないわよ」
ルードを横目で見ながら、ふふんとシルヴィアは冷笑する。 ルードの眉がぴくりと寄った。
「この子は、私が強さを求めて登り詰めて行くのが気に入らなくて、ナイトになったんでしょう? 私より強くなったのを見せ付けて、私を挫折させてやろうって腹積もりなのかしら」
冷淡な言葉と共に妹に戻したシルヴィアの視線の先を、皆が追う。 ルカに背を支えられるようにして立つ小さなナイトの顔は、今にも泣きそうに歪んでいた。
「な――、んな訳、ねぇだろう! 何だよてめぇそれ、ただの僻みじゃねぇのか!!」
「何でもいいわよ」
まるで自分が侮辱されたかのようにいきり立つルードの声に、うるさそうにシルヴィアは手のひらを振った。
「とにかく、この子が私の意思を翻せると勘違いしてるらしいから、ちょっとそれを正しに来ただけ。 私は私が決めた事を、やりたいようにやる。 人の好悪に従う義理はないわ。 それが普通ってもんでしょ」
「――ではあなたは、冒険をしようとして修行に出て、暗黒騎士になったんですか」
それまでタルタル達のやりとりをじっと聞いていたバルトが、切り込むように尋ねた。
シルヴィアがぴたりと口をつぐむ。 彼の問わんとしている所を察したのだろう、ふっと含みのある笑みを浮かべて彼女は答えた。
「冒険は、たしなみ程度ね。 この鎧は――そう、突き詰めたらここに来た、って感じかしら。 まぁ、自分に向いた仕事を見つけられたってわけ――」
「アサシンね」
ルカがぼそりと吐いた言葉に、皆の驚きの視線がざぁっとそのミスラに注がれ――直後、その視線の束は彼女の確信に満ちた眼差しに乗り、まるで一つに集約された矢弾のような圧力をもってシルヴィアへと叩き込まれた。
バルトが陣を敷き、そこに配されたルカがその一言で仲間のエネルギーを集め撃ち放った――それは、そんな一瞬だった。
「――全く。 ずいぶんと詮索好きなお仲間だこと」
自分を取り囲む緊張感が見る見る上昇する中、漆黒の暗殺者は小さく肩をすくめた。 そして悪びれもせず言い放つ。
「職業選択の自由ってやつを認めてほしいもんだわ。 ――ああ、別にこの子を殺すまではしないわよ。 さすがに肉親だし、仕事でもないしね。 だから黙っててちょうだい。 ただ――負かしに、来たのよ」
滑らかな言葉と共に、ぎらりと危険な光を放つ姉の瞳。
目の前のドリーの肩が細かく震えているのを見て、ルカはぎりっと歯噛みする。
――どうして、こんな時に。
どうしてこんな時に、更にこの子を辛い目に遭わせるような事が起こるの。
これが、この姉さんだと言うタルタルとの対決が、この子の遠い因縁だと言うのなら――逃げずに立ち向かってほしいと思うし、打ち克ってほしいと思う。
でも……でも、何も、今。
何も今、体重まで減らしてしまうような大きな悲しみに沈んでいるこんな時に、襲って来なくたっていいじゃない――
「――何故、判りました」
と。
ここに至るまで沈黙を守っていた者の声が、静かに響いた。
まだ何か、と言いたげなシルヴィアの視線の先で、彼女に負けず劣らず冷徹な瞳と声を放つのは、痩身長躯の赤魔道士。
「何が」
いかにも面倒くさそうに訊き返す暗黒騎士に、ヴォルフは再度問う。
「何故、彼女がナイトだとご存知ですか」
長短双方、白髪のエルヴァーン二人を除いた全員が、はっとシルヴィアを見た。
そう、今のドリーは、街着だ。 ナイトという彼女の職業を彷彿とさせる武具の類は、何も身に付けていない。
そしてこれまでの話しぶりでは、二人は昔に別れてから今まで完全に音信不通――しかもシルヴィアの方は、ドリーの消息にも一切興味がなかったようだ。 なのに、何故。
そもそも、こうまで妹をないがしろにしながら、何故今更わざわざ彼女を「見つけ」に来たのか――
この場に渦巻く有形無形の混乱をまっすぐ貫く、あたかも沈着な警官の職務質問のごときヴォルフの言葉に、シルヴィアは無造作に答えた。
「ああ、この子の師匠とか言うガルカに聞いたのよ」
「――――っ!!」
彼女の言葉に、皆が強烈に息を呑んだ。 晴天の霹靂に誰もが咄嗟に声の出ない、その間を突いてヴォルフはなおも冷静に尋ねた。
「それはいつの事でしょう」
「……もう、四~五日前になるかしら。 そのガルカがこ」
シルヴィアの言葉が聞こえたのはそこまでだった。 今度はヴォルフとドリーを除いた全員による、もはや怒声とも言える声また声が、彼女に向けて一気に弾けたのだ。
「どこでっ!」「会ったの? イーゴリさんに!」「元気でしたか!? 元気でしたか!!」「何て言ってた!」「どこに向かってましたかっ!?」「何で連れて来てくれなかったのよ!!」「どこ? どこにいた!?」「行き先は!! どこかに行くって――」
それまで揃って彼女に向けていた、よそよそしく刺々しい緊迫感はどこへやら。
まるで今をときめくロックスターに殺到するファンもかくやといった、文字どおり掴みかからんばかりの剣幕で詰め寄り口々に問い詰めるルカ達の勢いに気圧されたように、黒い鎧のタルタルは思わずたじっと一歩あとずさる。
が、そんな自分の醜態にはっと気付いたのか。 シルヴィアはすぐさま思い切り眉を吊り上げると、背の大鎌を抜き払って叫んだ。
「うるっ、さーーーい!!」
がつっ、と石突を力いっぱい突き下ろす。舗装された道にびしりと太いヒビが走った。
「何なのあんたたち! 離れて、離れなさいよもう!! ああっ鬱陶しい!!」
犬歯をむき出し、ぶんぶんと腕を振り回しながらヒステリックに喚き散らすシルヴィア。 近くを歩いていた通行人が、何事かと振り返る。
仕方なくがさがさと後退しながら、ルカはふと、癇癪の起こし方がドリーとそっくりだな――と思った。
「大体ね、あのガルカはあんたたちの知り合いなんでしょう!? 何だって私がその行動を把握してなきゃいけないのよっ! ああもういい加減に――」
「転生に向かったかもしれないんです!!」
ヒステリーの余波に荒れるシルヴィアに悲壮な叫び声で対抗したのは、小さな白魔道士のフォーレだった。 祈る形に両手を握って、必死の面持ちで訴える。
「何も言わずに、急に姿を消して――もう二週間、音沙汰ないんです! だから――だから、あなたが会ったのは、きっとどこかへ向かう途中の――」
純朴そうなタルタルの少女が見せる痛々しいまでに真摯な表情、擦り切れた声。 その言葉の内容とうるんだ瞳に、シルヴィアはひょいと眉を上げた。
「へえ……転生。 それはまた……」
シルヴィアの瞳が、時間を遡る。
冷たい粉雪の舞う中で見た、どこか捉えどころのない、夢幻に身を置いているような危うさを――儚さを感じた、あのガルカ。
なるほど、転生の旅の途中であった、と言われれば――あの違和感、納得できなくもない。
勿論ガルカ族の輪廻転生なんかに造詣はないけれど、それでもあの、彼岸を渡ったような、渡り終わったような、果てしなく安らかにも見えた瞳の色は、転生という現象でこそ説明がつけられるような気がする。
「――確かに、ちょっと様子はおかしかったわね……ふらふらと、幻の中にでもいるみたいだったわ。 ふぅん、私は随分と貴重な体験をしたという訳ね……」
ほんのしばしの回想から戻りながら、どこか愉快そうに呟くシルヴィア。
「名は聞きましたか」
そんな彼女を更に問いただそうとする仲間の機先を制するように、ヴォルフが詰めの一手を彼女に投げかけた。 事もなげにシルヴィアは答える。
「聞いたわよ。 イーゴリ。 そう名乗ってたわ」
「くぁっ……」
ルードが血を吐くような呻き声を上げて俯いた。 敵に刃を突き立てられた時と同じに歪むその表情は、ついに逃げ場を失った絶望が与える決定的な痛みを滲ませる。
ルカがぎゅっと目を瞑る。 フォーレが両手で顔を覆う。 バルトが天を仰ぎ、ヴォルフは溜息をついて――ドリーは、ただ透明に凍りついた。
「――どこで会ったよ」
数瞬の沈黙の後。 ルードが、地の底から響くような声を絞り出した。
「イーゴリさんは、どこに向かったんだ。 話したんだろ。 どこへ行くんだとか、何か手掛かりになるような事を言ってなかったか」
様々に渦舞く感情を必死に抑え込んでいる、そんな声で訊くルードに――シルヴィアは。
「――ふふん?」
何を思ったか、そこはかとなく不快そうな、それでいて奇妙な余裕を感じさせる笑みを浮かべて、軽く鼻で笑うのだ。
「あなたたち、忘れてるんじゃなくって?」
「……何?」
彼らが図らずもシルヴィアに与えてしまった時間、その一瞬の茫然自失の中に。 彼女は見つけ、掴んでいた。
どさくさに紛れて失いかけていた、主導権を握る鍵を。
暗い瞳を半眼に開き、聞き分けのない子供に言い聞かせるような口調で、シルヴィアは謳い出す。
「私はね、あなたたちやあのガルカのお使いであちこち飛び回ってるんじゃないのよ。 出先で偶然あのガルカに出会って、ドリーがここにいると聞いたからやって来たの。 この師弟の思い違いを矯正しに、はるばるここまで足を運んだのよ。 あなたたちに彼の行く先を教えに来た、伝書鳩みたいに思われちゃ困るわ」
「――何が言いたいのよ」
ルカが低い声で結論を促す。 シルヴィアは彼女をちらりと一瞥しただけで、更に言葉を続けた。
「このまんま素直に教えたらあなたたち、今すぐにでもジュノを飛び出してあのガルカを追いそうだわ。 それじゃ私、間抜けもいいところじゃない。 そんなのはまっぴらご免なの。 だから」
ようやく戻ってきた。 そんな感じで、シルヴィアは射るような視線を小さく震える赤毛のナイトへと向けた。
「この子が私と戦ったなら、あのガルカの向かった先を教えましょう。 勝敗は問わないであげるわ、どうせ決まってるんだから。 どう、悪くない取り引きじゃない?」
「――てンめぇ!!」
事情を知ってなお冷酷な、容赦なく弱みにつけ込むシルヴィアの言葉に、ついにルードが激昂した。
装備を落としても常に携えている黒い鎌の柄をがっと握り、地を蹴ってシルヴィアへと飛び掛ろうとする――が、彼女がそれを迎え撃つ体制を取るよりも早く、ヴォルフが彼の肩をがしりと掴んでその動きを抑えた。
「――っ! ヴォルフさん! 離して下さいよ!!」
噛み付くように叫びながらルードはもがくが、目上である赤魔道士のエルヴァーンに対して暗黒騎士の膂力を行使することはできない。
結果、呪い殺さんばかりの視線でシルヴィアを睨みつけるに留まらざるを得なかった。
「――後日に、してもらうことはできませんか」
「嫌よ」
どうにか平静を保ってのバルトの申し出にも、シルヴィアはにべもない。
「私にだって予定ってもんがあるの。 それに大体何が哀しくて、この子の為に何度も動かなきゃいけないのよ。 ――今日で、終わらせるわ」
きっぱりとそう言うと、シルヴィアは初めにしたように――ドリーへと一歩、足を踏み出した。
「さあ、ドリー。 折ってあげるから、剣を取ってきなさい。 砕いてあげるから、鎧を着てきなさい。 それが終わったら、さっさとウィンダスにでも帰ればいいわ。 力を持たない者がお外をうろついてるのは危ないし――何より、目障りよ」
揺らぐドリーの視界の中で。
懐かしい姉の顔が、ひんやりと笑った――
to be continued
漆黒の彼女はそう言うと、呆れたという風に目を細めた。
「これの、どこが……全く、やっぱり無駄足だったかしら」
食堂から少し離れた道の上、穏やかな午後の光の中で明らかな独り言を呟きながら、そのタルタルは一歩足を踏み出した。
ルカは――腕の中で言葉を失っているドリーをぎゅっと抱いたルカは、自分に向かってくるその姿に押されるように、思わず一歩後ずさった。 それまで彼女を包んでいたジュノ上層の平和な喧騒が、その耳からすぅっと遠のく。
背後の食堂から仲間達が出てくる気配を感じ取りながら、ルカは突然現れたこの相手を必死で観察していた。
――何だ――このタルタルは。
どう見ても、関わっていいものじゃない。 こんな不穏な気配を放つ、特異な緊張を強いられる相手に――特に今は、対峙したくない。 弱っているドリーを、晒したくない。
しかし。
見つけた、と言ったか。 そしてそれを受けてドリーは言った。 確かに言った。
お姉ちゃん、と――
「行こうか――、?」
始めにルカに歩み寄ってきたバルトは、立ちすくむ彼女に声をかけるとそのまま眉をひそめた。
先程までとは別人のように強張ったルカの視線と、その腕の中で驚きに見開かれたドリーの視線。 その先をなぞって――そこに立つ黒いタルタルの目と、彼の目が、合った。
「……お、何だ」
残りの面子がゆっくりと追いついてくる。
ヴォルフとフォーレも、ルカたちが向かい合う見知らぬタルタルを視界に収めた。 今は街着を着るルードは、自分と同じ名の鎧をまとうタルタルを認めて軽く声を上げる。 実際、タルタルという種族で暗黒騎士を極めるものは数として少なく、純粋に珍しい存在でもあった。
明るい町並みに一滴墨汁を垂らしたような、小さくとも底知れぬ漆黒を含んだ鎧。
その主が彼ら六人を睥睨し、口を開く。
「……ふぅん。 あなたたちが、この子のお仲間という訳ね」
関心の薄そうな口調と視線でそう言うと、彼女はその針のような視線をすいとドリーに戻した。
「私はこの子に用があるの。 借りるわよ――ドリー、来なさい」
言って彼女は、再度ルカとドリーの方に足を踏み出す。
「……ちょ――おい、待てよ! あんた、誰だ」
その黒いタルタルから立ち昇る、何やら苛立ちにも似た静かな殺気を感じ取ったルードが、やや荒げた声で彼女を制止する。 それを継ぐようにして、ドリーを抱くルカの隣からすっと微妙に半歩前に出たバルトが彼女に尋ねた。
「――ドリーは今、少し調子を崩していまして。 失礼ですが、どちら様でしょうか」
言葉遣いは丁寧ながらも雰囲気できっぱりと立ちふさがる黒魔道士を、黒い兜の奥から覗く瞳は鬱陶しげにねめつけた。
そして投げ捨てるような溜息を一つつくと、やおら兜を脱いだ。
その顔が、六人の前に顕わになる。
フォーレと似たような形に、しかし無造作に後ろで束ねられた、ドリーと同じながらも少し濃い赤毛。 しかしその色は毛先の方に追いやられ、根元に近づくにつれまるで骨のような白い色に変わっている。 そしてその中に収まって、ドリーにそっくりな顔立ち、しかしドリーとは似ても似つかない冷たい表情が、暗黒騎士の鎧を従えていた。
彼らルカ達にとっては実にちぐはぐで、つぎはぎなパーツが凝縮したような光景を目の当たりにして、ドリーとルカ以外の全員が息を呑む。
その混沌が、低い声で告げた。
「シルヴィア。 ドリーの姉よ。 さ、判ったらその子を貸してちょうだい、ミスラさん」
* * *
「……お、お姉、ちゃん……?」
誰もが驚きに言葉を失い、時間が止まったような空白の中、ドリーが上ずったような声を上げた。 ルカの腕から抜け出ようとするように、シルヴィアの方に向けて身じろぎする。 ルカは迷った。
降ろしたくない。 このタルタルの手の届く所に、ドリーを置きたくない。 本能と、かつて裏の世界に身を置いたシーフとしての経験が、強烈に彼女にそう訴えていた。
が――二人が姉妹で、互いにその名を呼び合っているのであれば――第三者である彼女の背筋を駆け抜ける悪寒は、二の次にされるしかなかった。
「――――」
ゆっくりと、腕の中の小さなタルタルを地に降ろす。 そのまま彼女の後ろにしゃがんで、ルカは対峙する二人をまっすぐ視界の中に収めた。
「お姉ちゃん……どこに、行ってたの? ねえ、今――」
「……ナイト、ねぇ」
みぞおちの前でぎゅっと手を握り、震える声で問うドリーの言葉をあっさり受け流して、シルヴィアはふーっと溜息をついた。 頭をぽりぽりと掻き、さも興醒めといった風情で。
「全く――最近は、自称さえすれば誰でもナイトを名乗っていいことになったのかしら。 あんたまさか、そんな弱腰のまんまで私と張り合おうとしてるの? 本当に、ちっとも変わらない――」
「え……」
「全く――まあ、いいわ」
諦めたようにそう言うと、シルヴィアは彼女の妹をじろりと睨んだ。
「とにかく。 私が好きでやってることを、いつまでもしつこく邪魔しようとしていたのは心外だわ。 確かに別れ際に言ったかもしれないわね、私を止めたかったら私より強くなれって。 よろしい、なら強くなったかどうか見せてもらおうじゃないの。 武器を取ってらっしゃい。 二度とそんな口が利けないようにしっかり叩き潰してあげるから、鎧はちゃんと着た方がいいわよ――」
「おい! 待てよ!!」
とうとうとまくし立てるシルヴィアの一方的で不穏な言葉を、ついにルードが遮った。
「姉ちゃんだか何だか知らないが、何言ってんだ? 決闘でも始めるつもりかよ!?」
「決闘? ――そんな、上等なものにはしないわよ」
ルードを横目で見ながら、ふふんとシルヴィアは冷笑する。 ルードの眉がぴくりと寄った。
「この子は、私が強さを求めて登り詰めて行くのが気に入らなくて、ナイトになったんでしょう? 私より強くなったのを見せ付けて、私を挫折させてやろうって腹積もりなのかしら」
冷淡な言葉と共に妹に戻したシルヴィアの視線の先を、皆が追う。 ルカに背を支えられるようにして立つ小さなナイトの顔は、今にも泣きそうに歪んでいた。
「な――、んな訳、ねぇだろう! 何だよてめぇそれ、ただの僻みじゃねぇのか!!」
「何でもいいわよ」
まるで自分が侮辱されたかのようにいきり立つルードの声に、うるさそうにシルヴィアは手のひらを振った。
「とにかく、この子が私の意思を翻せると勘違いしてるらしいから、ちょっとそれを正しに来ただけ。 私は私が決めた事を、やりたいようにやる。 人の好悪に従う義理はないわ。 それが普通ってもんでしょ」
「――ではあなたは、冒険をしようとして修行に出て、暗黒騎士になったんですか」
それまでタルタル達のやりとりをじっと聞いていたバルトが、切り込むように尋ねた。
シルヴィアがぴたりと口をつぐむ。 彼の問わんとしている所を察したのだろう、ふっと含みのある笑みを浮かべて彼女は答えた。
「冒険は、たしなみ程度ね。 この鎧は――そう、突き詰めたらここに来た、って感じかしら。 まぁ、自分に向いた仕事を見つけられたってわけ――」
「アサシンね」
ルカがぼそりと吐いた言葉に、皆の驚きの視線がざぁっとそのミスラに注がれ――直後、その視線の束は彼女の確信に満ちた眼差しに乗り、まるで一つに集約された矢弾のような圧力をもってシルヴィアへと叩き込まれた。
バルトが陣を敷き、そこに配されたルカがその一言で仲間のエネルギーを集め撃ち放った――それは、そんな一瞬だった。
「――全く。 ずいぶんと詮索好きなお仲間だこと」
自分を取り囲む緊張感が見る見る上昇する中、漆黒の暗殺者は小さく肩をすくめた。 そして悪びれもせず言い放つ。
「職業選択の自由ってやつを認めてほしいもんだわ。 ――ああ、別にこの子を殺すまではしないわよ。 さすがに肉親だし、仕事でもないしね。 だから黙っててちょうだい。 ただ――負かしに、来たのよ」
滑らかな言葉と共に、ぎらりと危険な光を放つ姉の瞳。
目の前のドリーの肩が細かく震えているのを見て、ルカはぎりっと歯噛みする。
――どうして、こんな時に。
どうしてこんな時に、更にこの子を辛い目に遭わせるような事が起こるの。
これが、この姉さんだと言うタルタルとの対決が、この子の遠い因縁だと言うのなら――逃げずに立ち向かってほしいと思うし、打ち克ってほしいと思う。
でも……でも、何も、今。
何も今、体重まで減らしてしまうような大きな悲しみに沈んでいるこんな時に、襲って来なくたっていいじゃない――
「――何故、判りました」
と。
ここに至るまで沈黙を守っていた者の声が、静かに響いた。
まだ何か、と言いたげなシルヴィアの視線の先で、彼女に負けず劣らず冷徹な瞳と声を放つのは、痩身長躯の赤魔道士。
「何が」
いかにも面倒くさそうに訊き返す暗黒騎士に、ヴォルフは再度問う。
「何故、彼女がナイトだとご存知ですか」
長短双方、白髪のエルヴァーン二人を除いた全員が、はっとシルヴィアを見た。
そう、今のドリーは、街着だ。 ナイトという彼女の職業を彷彿とさせる武具の類は、何も身に付けていない。
そしてこれまでの話しぶりでは、二人は昔に別れてから今まで完全に音信不通――しかもシルヴィアの方は、ドリーの消息にも一切興味がなかったようだ。 なのに、何故。
そもそも、こうまで妹をないがしろにしながら、何故今更わざわざ彼女を「見つけ」に来たのか――
この場に渦巻く有形無形の混乱をまっすぐ貫く、あたかも沈着な警官の職務質問のごときヴォルフの言葉に、シルヴィアは無造作に答えた。
「ああ、この子の師匠とか言うガルカに聞いたのよ」
「――――っ!!」
彼女の言葉に、皆が強烈に息を呑んだ。 晴天の霹靂に誰もが咄嗟に声の出ない、その間を突いてヴォルフはなおも冷静に尋ねた。
「それはいつの事でしょう」
「……もう、四~五日前になるかしら。 そのガルカがこ」
シルヴィアの言葉が聞こえたのはそこまでだった。 今度はヴォルフとドリーを除いた全員による、もはや怒声とも言える声また声が、彼女に向けて一気に弾けたのだ。
「どこでっ!」「会ったの? イーゴリさんに!」「元気でしたか!? 元気でしたか!!」「何て言ってた!」「どこに向かってましたかっ!?」「何で連れて来てくれなかったのよ!!」「どこ? どこにいた!?」「行き先は!! どこかに行くって――」
それまで揃って彼女に向けていた、よそよそしく刺々しい緊迫感はどこへやら。
まるで今をときめくロックスターに殺到するファンもかくやといった、文字どおり掴みかからんばかりの剣幕で詰め寄り口々に問い詰めるルカ達の勢いに気圧されたように、黒い鎧のタルタルは思わずたじっと一歩あとずさる。
が、そんな自分の醜態にはっと気付いたのか。 シルヴィアはすぐさま思い切り眉を吊り上げると、背の大鎌を抜き払って叫んだ。
「うるっ、さーーーい!!」
がつっ、と石突を力いっぱい突き下ろす。舗装された道にびしりと太いヒビが走った。
「何なのあんたたち! 離れて、離れなさいよもう!! ああっ鬱陶しい!!」
犬歯をむき出し、ぶんぶんと腕を振り回しながらヒステリックに喚き散らすシルヴィア。 近くを歩いていた通行人が、何事かと振り返る。
仕方なくがさがさと後退しながら、ルカはふと、癇癪の起こし方がドリーとそっくりだな――と思った。
「大体ね、あのガルカはあんたたちの知り合いなんでしょう!? 何だって私がその行動を把握してなきゃいけないのよっ! ああもういい加減に――」
「転生に向かったかもしれないんです!!」
ヒステリーの余波に荒れるシルヴィアに悲壮な叫び声で対抗したのは、小さな白魔道士のフォーレだった。 祈る形に両手を握って、必死の面持ちで訴える。
「何も言わずに、急に姿を消して――もう二週間、音沙汰ないんです! だから――だから、あなたが会ったのは、きっとどこかへ向かう途中の――」
純朴そうなタルタルの少女が見せる痛々しいまでに真摯な表情、擦り切れた声。 その言葉の内容とうるんだ瞳に、シルヴィアはひょいと眉を上げた。
「へえ……転生。 それはまた……」
シルヴィアの瞳が、時間を遡る。
冷たい粉雪の舞う中で見た、どこか捉えどころのない、夢幻に身を置いているような危うさを――儚さを感じた、あのガルカ。
なるほど、転生の旅の途中であった、と言われれば――あの違和感、納得できなくもない。
勿論ガルカ族の輪廻転生なんかに造詣はないけれど、それでもあの、彼岸を渡ったような、渡り終わったような、果てしなく安らかにも見えた瞳の色は、転生という現象でこそ説明がつけられるような気がする。
「――確かに、ちょっと様子はおかしかったわね……ふらふらと、幻の中にでもいるみたいだったわ。 ふぅん、私は随分と貴重な体験をしたという訳ね……」
ほんのしばしの回想から戻りながら、どこか愉快そうに呟くシルヴィア。
「名は聞きましたか」
そんな彼女を更に問いただそうとする仲間の機先を制するように、ヴォルフが詰めの一手を彼女に投げかけた。 事もなげにシルヴィアは答える。
「聞いたわよ。 イーゴリ。 そう名乗ってたわ」
「くぁっ……」
ルードが血を吐くような呻き声を上げて俯いた。 敵に刃を突き立てられた時と同じに歪むその表情は、ついに逃げ場を失った絶望が与える決定的な痛みを滲ませる。
ルカがぎゅっと目を瞑る。 フォーレが両手で顔を覆う。 バルトが天を仰ぎ、ヴォルフは溜息をついて――ドリーは、ただ透明に凍りついた。
「――どこで会ったよ」
数瞬の沈黙の後。 ルードが、地の底から響くような声を絞り出した。
「イーゴリさんは、どこに向かったんだ。 話したんだろ。 どこへ行くんだとか、何か手掛かりになるような事を言ってなかったか」
様々に渦舞く感情を必死に抑え込んでいる、そんな声で訊くルードに――シルヴィアは。
「――ふふん?」
何を思ったか、そこはかとなく不快そうな、それでいて奇妙な余裕を感じさせる笑みを浮かべて、軽く鼻で笑うのだ。
「あなたたち、忘れてるんじゃなくって?」
「……何?」
彼らが図らずもシルヴィアに与えてしまった時間、その一瞬の茫然自失の中に。 彼女は見つけ、掴んでいた。
どさくさに紛れて失いかけていた、主導権を握る鍵を。
暗い瞳を半眼に開き、聞き分けのない子供に言い聞かせるような口調で、シルヴィアは謳い出す。
「私はね、あなたたちやあのガルカのお使いであちこち飛び回ってるんじゃないのよ。 出先で偶然あのガルカに出会って、ドリーがここにいると聞いたからやって来たの。 この師弟の思い違いを矯正しに、はるばるここまで足を運んだのよ。 あなたたちに彼の行く先を教えに来た、伝書鳩みたいに思われちゃ困るわ」
「――何が言いたいのよ」
ルカが低い声で結論を促す。 シルヴィアは彼女をちらりと一瞥しただけで、更に言葉を続けた。
「このまんま素直に教えたらあなたたち、今すぐにでもジュノを飛び出してあのガルカを追いそうだわ。 それじゃ私、間抜けもいいところじゃない。 そんなのはまっぴらご免なの。 だから」
ようやく戻ってきた。 そんな感じで、シルヴィアは射るような視線を小さく震える赤毛のナイトへと向けた。
「この子が私と戦ったなら、あのガルカの向かった先を教えましょう。 勝敗は問わないであげるわ、どうせ決まってるんだから。 どう、悪くない取り引きじゃない?」
「――てンめぇ!!」
事情を知ってなお冷酷な、容赦なく弱みにつけ込むシルヴィアの言葉に、ついにルードが激昂した。
装備を落としても常に携えている黒い鎌の柄をがっと握り、地を蹴ってシルヴィアへと飛び掛ろうとする――が、彼女がそれを迎え撃つ体制を取るよりも早く、ヴォルフが彼の肩をがしりと掴んでその動きを抑えた。
「――っ! ヴォルフさん! 離して下さいよ!!」
噛み付くように叫びながらルードはもがくが、目上である赤魔道士のエルヴァーンに対して暗黒騎士の膂力を行使することはできない。
結果、呪い殺さんばかりの視線でシルヴィアを睨みつけるに留まらざるを得なかった。
「――後日に、してもらうことはできませんか」
「嫌よ」
どうにか平静を保ってのバルトの申し出にも、シルヴィアはにべもない。
「私にだって予定ってもんがあるの。 それに大体何が哀しくて、この子の為に何度も動かなきゃいけないのよ。 ――今日で、終わらせるわ」
きっぱりとそう言うと、シルヴィアは初めにしたように――ドリーへと一歩、足を踏み出した。
「さあ、ドリー。 折ってあげるから、剣を取ってきなさい。 砕いてあげるから、鎧を着てきなさい。 それが終わったら、さっさとウィンダスにでも帰ればいいわ。 力を持たない者がお外をうろついてるのは危ないし――何より、目障りよ」
揺らぐドリーの視界の中で。
懐かしい姉の顔が、ひんやりと笑った――
to be continued