テノリライオン
Blanc-Bullet shot1
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匿名ユーザー
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奪う雫がはらはら落ちる
銀色、鈍色、鉛色
冷たく絞る照星の、針の如くに斬り開く
貫き生まれる修羅の糸、脆きこの身が縋る路
焦げる匂いが運ぶ闇夜に
今日を勝ち取る吐息が溶けて
炎のむこうに霞んで消えて後には何も残らない
黒い熱砂の戦歌――燃える私を削って守る
与える雫がはらはら落ちる
白色、赤色、黄土色
小さな粒で紡ぐのは、あなたの隣を征く力
支えを断てばたやすく沈む、命の限り果てぬ路
苦い涙が運ぶ朝日に
細い両手を差し伸べて
水のむこうに霞んで消えて後には何も残らない
白い粉雪の子守唄――眠る私を癒して蝕む
今日を切り裂き明日へと繋がる、
二つの欠片が私の……――――
* * *
そろそろ現れるはずだ。
懐の時計をそっと覗き見る。 顔の向きは正面から動かさない。
僕は右膝を立てる姿勢であぐらをかいていた腰をおもむろに浮かし、その下に折り畳んだ左足を引き寄せてばねのようにつま先を立ててから、再度その上に腰を落ち着けた。 事が起こればいつでも飛び出せる準備体勢。
硬い足の裏が強く踏みしめる雑草から、濃い緑色の匂いが立ち昇って鼻を突いた。
ギデアスの少し強い日差しが、抜けるような青空のど真ん中から照りつける。 僕の首から下、白地に赤い三角の模様をあしらった衣装が、その熱を跳ね返している。
それにしても――と、僕は思う。
いつもの事ながら、こうしてこそこそと草むらに紛れてみたところで、この挑発的な純白はアルタナの祝福を表すどころか、雪原以外のあらゆる場所でモンスターの目に「ここに宿敵がいますよ」と知らせて回ろうとしているかのような性質の悪い悪意を想起させるぐらいに、見事なまでに風景に溶け込まない。
我らが慈悲深き女神様は、ご自身の教義と健気な信者の身の安全と、一体どちらが大事とお考えなのだろうか。
あるいはそれすらも信仰に課せられた試練とのたまうか。
まあ、そんな皮肉な事象も、僕という個人に限って言えば望む所であり、有利な条件ではあるのだが――。
脳天が少し暑い。 短く刈った黒い髪は、白い服とは対照的によく熱を吸う。
聖装と同じ無垢に染め上げた――いや、染まらない、と言うのか――あの特徴的な帽子をかぶらないのは、その代わりにサークレットを着けているからだ。
予定の時刻が迫る。 草いきれの中、もはや左腕の一部のようにがっちりと張り付いている盾の影で、僕の指はゆっくりと印を結んだ。
見える範囲に人の姿はないが、用心するに越した事はない。
目的を同じくする者に限らずとも、幸運の女神に手を引かれてふらりと通りがかった冒険者が、きっちり計画を立てて狙っていた獲物をそれこそ無邪気なトンビのようにひょいとかっさらって行ってしまう事など、このヴァナ=ディールでは日常茶飯事だ。 そして睨み合っていたライバルに負けた時よりも、そんなやるせないハプニングに見舞われた時の方が、より一層徒労感が高い。
だから、出来る事は全てやる。 ただの無駄足が一番困るのだ。
僕一人で十分だと言っても、聞かないのだから。
けーぇっ、という、ヒステリックなようでどこかのんびりとした鳥の声が、遠くの空から流れてきた。
さわ、と風が吹く。 目の前の草が、見えない手にひと撫でされたように傾いて――
来た。
「――――」
僕は自分でも聞こえないほどの早口で、その大きな影に向けて呪文を放つ。
「グルゥ!」
乾ききった背の高い岩やひょろりと長い木々の狭間、どこから現れたか通常よりも一回り大きなヤグード――鳥人が、突如投げつけられた呪文に怒りの声を上げ、こちらを振り返った。
それを認めた僕はざっと草を割り、大きな動作で鳥人の視界に踊り出る。
全力でヤグードに向け疾走しながら、腰に帯びた片手棍を抜き放つ。 威嚇の声も高く相手は僕を迎え撃つ姿勢を取った。 いかつい肩を雄々しく覆う黒い羽根から突き出た鉤爪が、粗暴な軌道で熱い空気を切り裂き僕に迫る。
おかまいなしに、僕は唸る鳥人の腕もろともにその頭めがけて棍を叩き込んだ。
どむ、と鈍い音が響き、とたんに耳障りな鳥人の叫びが鼓膜をひっかく。 ヒビが入りかっと開いた嘴からは予想通りに驚きと苦痛の色が弾け、打撃を防ぎきれなかった黒い腕が関節をひとつ増やしてだらんと垂れ下がる。
続けて僕は低く身をかがめると、思いきり棍を水平に薙いだ。 膝の裏を払われたヤグードの体が支えを失ってがくんと落ちる。
こんなもんか。
目の前で咄嗟にもがくヤグードをするりとひと撫で観察して僕はそう断じ、念の為棍は構えたままでとっと地面を蹴って、体を敵の正面から一歩横にそらした。
一呼吸。
―― ギャッ!――
僕の目の前で、鳥人の頭が弾かれたようにぱんとのけぞって天を仰いだ。 その眉間からはぜる血しぶきが僕の服に返り、三角の装飾よりも少し暗い色調で赤い面積を点々と増やす。
そのままぐらぁり……と、スローモーションのように黒い羽毛の塊が仰向けに傾いでいく。 大地に向かう以外は何をしようという気配もなくなったその姿を眺め下ろしながら、僕は右手の片手棍を腰に戻した。 頬にも飛んでいた不快な赤い飛沫を、腕を覆う濃い鉄色のガントレットでぐいと拭う。
ずしん、と倒れた震動が、僕の足首から下をすがるように揺らして消えた。
「――どう?」
地面に横たわり、まるで空気に溶けるように透けるように消えて行くヤグードの姿。
その急速に薄まって行く影の中、砂絵のように取り残されるいくつかの人工物をしゃがんで拾っていた僕の背後から、一つの静かな声と足音が近づいてきた。
「うん、ミトンと、スクロールが一つ。 収穫ありだよ」
「そう、よかったわ」
よいしょと立ち上がってそう答える僕の横で、遥か背後から一撃で鳥人に止めを刺したその声の主が立ち止まった。
僕より頭半分ほど低い背。 先ほどまでは後ろでまとめられていた筈の、ほぼ腰ほどまであるストレートの髪は薄い紅茶色。 その量は決して多くなく、長い薄手の絹をなびかせているような印象がある。
綺麗、と言うには少し幼い、かと言って可愛いと言うにはいささかクールで沈着に過ぎる面持ち。 抜けるように白い肌の中で、薄紅の唇だけが何かを強く主張している。
前から見ても横から見ても竹のように細い体に、一般的な狩人の衣装をまとっている。
背には精密射撃に重きを置いた、中型のライフル。 そして今は見えないが、腰には二丁の拳銃――ひとつはダブルアクションのリボルバー、もうひとつはデリンジャー――が潜んでいる。
僕と同じヒュームの十八歳。 名をグレーティア=キール。
グレーティアはすっと目を閉じると、消え行く獣人の影に黙祷を捧げた。
* * *
「気絶はさせられてたのかしら、よく判らなかったけど」
ゆっくりと目を開いてひとつ溜息をついたグレーティアが、僕に言った。
「うん?」
その傍らでてきぱきと戦利品を背負い袋に収めていた僕は、唐突な問いかけにふと手を止める。
そうか、後半は僕が射線を遮っていたから。 絶えず狙っていたとは言え、背後からはよく見えなかったかも知れないな。
僕は一瞬の間の後、グレーティアの方を見ずに声だけで答える。
「――ああ、大丈夫だったよ。 最初の一撃でほぼ落ちていたから」
「そう、ならあまり苦しまずには済んだかもしれないわね。 せめてもだわ」
少し安心したような声。 しれっと嘘をついた僕は、膨らんだ荷物をひょいと背に担ぐ。
グレーティアは、必要最低限の銃弾しか撃たない。
モンスターを撃つ時でも可能な限りそれをとどめの一撃にすることに全力を注ぎ、相手に必要以上の苦痛を与える事を極端に嫌う。
優しさ――と言うよりは、矜持のようなものだろうか。 あるいは、慈悲。
それが何に起因するのか、生来の性分でないとすれば僕に思い当たるものは一つしかなく――
ふぅーっ、とグレーティアが深く長い息を吐いた。 僕はいつものようにそれを見咎め、歩み寄ってすっと小さな額に手を当てる。
「ちょっと今日は暑いね。 昨日は涼しい所に出かけたから、体が驚いたかな――うん、熱はなさそうだけど」
「そうね、大丈夫。 少し直射日光で体温が上がっただけだと思うわ」
グレーティアは、生まれつき体が弱い。
幼い頃に幾度か生死の境をさまよったのを、僕も覚えている。 グレーティアの両親や周囲の大人達が不安げな顔で右往左往する中、邪魔になるから入っちゃだめよと厳しく注意された僕は、彼女の家で自室のベッドに埋もれ荒い息を繰り返すその姿を、こっそり忍び込んだドアの影から覗き見るのが精一杯だった。
それでも無事に成人間近まで成長した今、あまり表にも出ず僕と家の近所でばかり遊んでいた当時からは考えられないぐらいに体力もついたグレーティアは、焦がれるほどに望んでいた自由を手に入れた。
とは言え、やはり基本的な所では弱さが残っているのだろう。 日常生活や長期でない遠出ぐらいなら問題なくこなすが、それでもふとした拍子に発熱したり調子を崩したりする。 その為今でも定期的に医者にかからなければならず、そうして処方された薬を手放せない。
僕の扱うような巷の神聖魔法では、基本的にはその時その時の体力を補う応急処置しかできないのだ。
そうした、不自由さ――命の危うさ、儚さをより身近に知っているからか。 生命に対するスタンスとでも言うべきものが、一般の若者よりも繊細で切実で真摯で――過敏だ。
「薬は? 持ってきてる?」
僕は一言二言で回復魔法を唱えながら訊いた。 僕の衣装と同じ白い光がグレーティアの細い体に降りかかり、額の汗が少し引く。
「ええ――飲んでおいた方が、いいかしらね」
言ってグレーティアは片方の髪をかき上げて耳にかけると、腰の大きなポーチを引き寄せて開いた。 僕は光の収まった手を戻し、背負い袋の中の水筒を探る。
ゆるく風が吹いた。 倒されたモンスターの姿が消えてもなお空気のどこかに留まっていた、先程までの戦いの残り熱をもあっさりと拭い去るように、それは僕らの周囲と乾いたギデアスの広間を悠々と渡って行く。
そんな優しく無情なシルフの仕事を僕は涼しく感じるけれど、彼女はやはり違うのだろうか――などと、ぼんやり考えていると。
「――あっと」
小さな声。 何かと背負い袋から視線を戻せば、グレーティアがポーチのどこかに指輪をひっかけ、中身を盛大にこぼしてしまっていた。
足下の平らな岩場に、きききん、と硬質な音を響かせて散らばるのは、大小様々、目にも眩しい銀色や鉛色の薬莢と弾丸。
その中に混じって小さなケースが落ちる。 斜めに岩に当たってぱんと蓋が開き、途端にばらっと中身が弾ける。 それは大小様々、目にも鮮やかな白や赤や黄色の錠剤とカプセル。
その、色も形も温度も役目も、何もかもが違う二種類の結晶が、縦横無尽に混ざり合って茶色い岩盤の上で踊っていた。
「――あーあー」
全く、銃器の取り扱いや射撃の腕なら精緻そのものなのに、それ以外となるとしっかりしているようでどうもおっちょこちょいだ。 これだから目が離せない。 同じ手先の事なのに、どうしてこの二つの回路が繋がっていないのか、謎だ。
僕は軽く笑うと岩場にしゃがみ、弾丸の方を集め始めた。
「石が、ポケットに引っかかっちゃったのよ」
ちょっと頬をふくらませているような声音で、グレーティアも薬の粒を拾うべく腰を落とした。 紅茶色の毛先がさらりと流れて、地面につきそうになる。
「ほら、ちゃんと砂払って」
「払ってます、もう」
少し眉をしかめて言いながら両膝をついて色とりどりの薬を拾い集め、その一つ一つに付いたホコリをちまちまと指先で払ったり、息を吹きかけたりしている。
なんだかそれは、茶色いリスが餌を抱えていつまでもくるくるといじり回している姿を連想させて、目を上げた僕はついふっと笑ってしまった。
「――何よ、エリクス」
あ。 聞こえちゃったか。 沢山の薬を手の中に掴んだグレーティアが、上目遣いで僕を睨んでいる。
「うん? いやいや。 何でもないよ」
「もう、ヘラヘラして――エリクス、いつまでも人を手のかかる子供みたいな顔で見ないで頂戴。 ちょっと落としちゃっただけじゃないの」
ぷんすか。
そんな感じの軽く渋い顔で、薬をケースに戻すグレーティア。 でもその手から、また一つぽろりと錠剤が落ちる。
くすりと笑って僕は集めていた弾丸を左手に持ちかえ、右手を服でぱんぱんと払ってからその錠剤を拾う。 ふっとそれを吹いてグレーティアの持つケースの中に落とし、それから少し身を乗り出してまとめた弾丸を彼女の腰のポーチにざらざらと戻した。
「うん、ティアはずいぶんしっかりしたよね。 大丈夫、何も心配してないさ」
言いながら、僕は再度軽く拭った右手で、グレーティアの頭をぽんぽんと撫でた。 暖かい、でも頭の骨の形がわかってしまいそうな、薄いつるりとした髪の感触。 頼りないけれど、僕はこれがとても好きだった。
「ほら、それが子供扱いだって言うのよ――もう」
僕の手のひらの下から、可愛いグレーティアが怒ったような声と顔で見上げている。 それでも、いや、だからこそ、僕の微笑みは収まらない。
知り合ってからそろそろ十年、でもそうと決めてからはまだ数年。
互いに互いの子供の頃の姿を隠し持っている僕達は、たまに時間を行き来する。
だから、彼女の頼りない一面が覗く時、僕の中でその影はパジャマを着た小さな女の子の形を取っているのだろう。
きりりと硬く凛々しい、でも少し危うい僕のガラス細工。
僕が差し出した水筒の水で、グレーティアは小さなカプセルを一つ飲み下した。 それを待って、僕は荷物を担いで立ち上がる。
「さて、それじゃ戻ろうか。 これを競売所に入れないとね」
「そうね……あ、エリクス、今回の出品は私がやりますからね。 この間のスクロール、あなたが適当な値段で出したものだからずいぶん安く買い叩かれて。 口惜しいったらなかったわ」
「あれ、そうだった?」
「そうよ――いやだ、また見てなかったのね? 本当に、これだから任せられないんだわ」
立ち上がって栓を締めた水筒を僕に返し、サルタバルタに抜ける道へと歩き出したグレーティアが、呆れたように小さくため息をついた。 その隣を、苦笑いしながら僕は歩調を合わせて歩く。
うーん、どうも細かい金勘定は苦手だ。 面倒だと思っているつもりはないんだけど、特に数字だけのやりとりとなると、勢いプラスかマイナスかだけのどんぶり勘定になってしまう。 まあ本来はそれじゃいけないんだけれど――
「……私達の大事な『資金』なんだから、ちゃんとして頂戴」
隣を歩くグレーティアはまっすぐ僕の方を見て、僕のガントレットに覆われた腕を軽く取って、言った。
仰る通り。
「はい。 気をつけます」
「結構」
長い髪の彼女は、にこっと笑ってそう言った。
to be continued
銀色、鈍色、鉛色
冷たく絞る照星の、針の如くに斬り開く
貫き生まれる修羅の糸、脆きこの身が縋る路
焦げる匂いが運ぶ闇夜に
今日を勝ち取る吐息が溶けて
炎のむこうに霞んで消えて後には何も残らない
黒い熱砂の戦歌――燃える私を削って守る
与える雫がはらはら落ちる
白色、赤色、黄土色
小さな粒で紡ぐのは、あなたの隣を征く力
支えを断てばたやすく沈む、命の限り果てぬ路
苦い涙が運ぶ朝日に
細い両手を差し伸べて
水のむこうに霞んで消えて後には何も残らない
白い粉雪の子守唄――眠る私を癒して蝕む
今日を切り裂き明日へと繋がる、
二つの欠片が私の……――――
* * *
そろそろ現れるはずだ。
懐の時計をそっと覗き見る。 顔の向きは正面から動かさない。
僕は右膝を立てる姿勢であぐらをかいていた腰をおもむろに浮かし、その下に折り畳んだ左足を引き寄せてばねのようにつま先を立ててから、再度その上に腰を落ち着けた。 事が起こればいつでも飛び出せる準備体勢。
硬い足の裏が強く踏みしめる雑草から、濃い緑色の匂いが立ち昇って鼻を突いた。
ギデアスの少し強い日差しが、抜けるような青空のど真ん中から照りつける。 僕の首から下、白地に赤い三角の模様をあしらった衣装が、その熱を跳ね返している。
それにしても――と、僕は思う。
いつもの事ながら、こうしてこそこそと草むらに紛れてみたところで、この挑発的な純白はアルタナの祝福を表すどころか、雪原以外のあらゆる場所でモンスターの目に「ここに宿敵がいますよ」と知らせて回ろうとしているかのような性質の悪い悪意を想起させるぐらいに、見事なまでに風景に溶け込まない。
我らが慈悲深き女神様は、ご自身の教義と健気な信者の身の安全と、一体どちらが大事とお考えなのだろうか。
あるいはそれすらも信仰に課せられた試練とのたまうか。
まあ、そんな皮肉な事象も、僕という個人に限って言えば望む所であり、有利な条件ではあるのだが――。
脳天が少し暑い。 短く刈った黒い髪は、白い服とは対照的によく熱を吸う。
聖装と同じ無垢に染め上げた――いや、染まらない、と言うのか――あの特徴的な帽子をかぶらないのは、その代わりにサークレットを着けているからだ。
予定の時刻が迫る。 草いきれの中、もはや左腕の一部のようにがっちりと張り付いている盾の影で、僕の指はゆっくりと印を結んだ。
見える範囲に人の姿はないが、用心するに越した事はない。
目的を同じくする者に限らずとも、幸運の女神に手を引かれてふらりと通りがかった冒険者が、きっちり計画を立てて狙っていた獲物をそれこそ無邪気なトンビのようにひょいとかっさらって行ってしまう事など、このヴァナ=ディールでは日常茶飯事だ。 そして睨み合っていたライバルに負けた時よりも、そんなやるせないハプニングに見舞われた時の方が、より一層徒労感が高い。
だから、出来る事は全てやる。 ただの無駄足が一番困るのだ。
僕一人で十分だと言っても、聞かないのだから。
けーぇっ、という、ヒステリックなようでどこかのんびりとした鳥の声が、遠くの空から流れてきた。
さわ、と風が吹く。 目の前の草が、見えない手にひと撫でされたように傾いて――
来た。
「――――」
僕は自分でも聞こえないほどの早口で、その大きな影に向けて呪文を放つ。
「グルゥ!」
乾ききった背の高い岩やひょろりと長い木々の狭間、どこから現れたか通常よりも一回り大きなヤグード――鳥人が、突如投げつけられた呪文に怒りの声を上げ、こちらを振り返った。
それを認めた僕はざっと草を割り、大きな動作で鳥人の視界に踊り出る。
全力でヤグードに向け疾走しながら、腰に帯びた片手棍を抜き放つ。 威嚇の声も高く相手は僕を迎え撃つ姿勢を取った。 いかつい肩を雄々しく覆う黒い羽根から突き出た鉤爪が、粗暴な軌道で熱い空気を切り裂き僕に迫る。
おかまいなしに、僕は唸る鳥人の腕もろともにその頭めがけて棍を叩き込んだ。
どむ、と鈍い音が響き、とたんに耳障りな鳥人の叫びが鼓膜をひっかく。 ヒビが入りかっと開いた嘴からは予想通りに驚きと苦痛の色が弾け、打撃を防ぎきれなかった黒い腕が関節をひとつ増やしてだらんと垂れ下がる。
続けて僕は低く身をかがめると、思いきり棍を水平に薙いだ。 膝の裏を払われたヤグードの体が支えを失ってがくんと落ちる。
こんなもんか。
目の前で咄嗟にもがくヤグードをするりとひと撫で観察して僕はそう断じ、念の為棍は構えたままでとっと地面を蹴って、体を敵の正面から一歩横にそらした。
一呼吸。
―― ギャッ!――
僕の目の前で、鳥人の頭が弾かれたようにぱんとのけぞって天を仰いだ。 その眉間からはぜる血しぶきが僕の服に返り、三角の装飾よりも少し暗い色調で赤い面積を点々と増やす。
そのままぐらぁり……と、スローモーションのように黒い羽毛の塊が仰向けに傾いでいく。 大地に向かう以外は何をしようという気配もなくなったその姿を眺め下ろしながら、僕は右手の片手棍を腰に戻した。 頬にも飛んでいた不快な赤い飛沫を、腕を覆う濃い鉄色のガントレットでぐいと拭う。
ずしん、と倒れた震動が、僕の足首から下をすがるように揺らして消えた。
「――どう?」
地面に横たわり、まるで空気に溶けるように透けるように消えて行くヤグードの姿。
その急速に薄まって行く影の中、砂絵のように取り残されるいくつかの人工物をしゃがんで拾っていた僕の背後から、一つの静かな声と足音が近づいてきた。
「うん、ミトンと、スクロールが一つ。 収穫ありだよ」
「そう、よかったわ」
よいしょと立ち上がってそう答える僕の横で、遥か背後から一撃で鳥人に止めを刺したその声の主が立ち止まった。
僕より頭半分ほど低い背。 先ほどまでは後ろでまとめられていた筈の、ほぼ腰ほどまであるストレートの髪は薄い紅茶色。 その量は決して多くなく、長い薄手の絹をなびかせているような印象がある。
綺麗、と言うには少し幼い、かと言って可愛いと言うにはいささかクールで沈着に過ぎる面持ち。 抜けるように白い肌の中で、薄紅の唇だけが何かを強く主張している。
前から見ても横から見ても竹のように細い体に、一般的な狩人の衣装をまとっている。
背には精密射撃に重きを置いた、中型のライフル。 そして今は見えないが、腰には二丁の拳銃――ひとつはダブルアクションのリボルバー、もうひとつはデリンジャー――が潜んでいる。
僕と同じヒュームの十八歳。 名をグレーティア=キール。
グレーティアはすっと目を閉じると、消え行く獣人の影に黙祷を捧げた。
* * *
「気絶はさせられてたのかしら、よく判らなかったけど」
ゆっくりと目を開いてひとつ溜息をついたグレーティアが、僕に言った。
「うん?」
その傍らでてきぱきと戦利品を背負い袋に収めていた僕は、唐突な問いかけにふと手を止める。
そうか、後半は僕が射線を遮っていたから。 絶えず狙っていたとは言え、背後からはよく見えなかったかも知れないな。
僕は一瞬の間の後、グレーティアの方を見ずに声だけで答える。
「――ああ、大丈夫だったよ。 最初の一撃でほぼ落ちていたから」
「そう、ならあまり苦しまずには済んだかもしれないわね。 せめてもだわ」
少し安心したような声。 しれっと嘘をついた僕は、膨らんだ荷物をひょいと背に担ぐ。
グレーティアは、必要最低限の銃弾しか撃たない。
モンスターを撃つ時でも可能な限りそれをとどめの一撃にすることに全力を注ぎ、相手に必要以上の苦痛を与える事を極端に嫌う。
優しさ――と言うよりは、矜持のようなものだろうか。 あるいは、慈悲。
それが何に起因するのか、生来の性分でないとすれば僕に思い当たるものは一つしかなく――
ふぅーっ、とグレーティアが深く長い息を吐いた。 僕はいつものようにそれを見咎め、歩み寄ってすっと小さな額に手を当てる。
「ちょっと今日は暑いね。 昨日は涼しい所に出かけたから、体が驚いたかな――うん、熱はなさそうだけど」
「そうね、大丈夫。 少し直射日光で体温が上がっただけだと思うわ」
グレーティアは、生まれつき体が弱い。
幼い頃に幾度か生死の境をさまよったのを、僕も覚えている。 グレーティアの両親や周囲の大人達が不安げな顔で右往左往する中、邪魔になるから入っちゃだめよと厳しく注意された僕は、彼女の家で自室のベッドに埋もれ荒い息を繰り返すその姿を、こっそり忍び込んだドアの影から覗き見るのが精一杯だった。
それでも無事に成人間近まで成長した今、あまり表にも出ず僕と家の近所でばかり遊んでいた当時からは考えられないぐらいに体力もついたグレーティアは、焦がれるほどに望んでいた自由を手に入れた。
とは言え、やはり基本的な所では弱さが残っているのだろう。 日常生活や長期でない遠出ぐらいなら問題なくこなすが、それでもふとした拍子に発熱したり調子を崩したりする。 その為今でも定期的に医者にかからなければならず、そうして処方された薬を手放せない。
僕の扱うような巷の神聖魔法では、基本的にはその時その時の体力を補う応急処置しかできないのだ。
そうした、不自由さ――命の危うさ、儚さをより身近に知っているからか。 生命に対するスタンスとでも言うべきものが、一般の若者よりも繊細で切実で真摯で――過敏だ。
「薬は? 持ってきてる?」
僕は一言二言で回復魔法を唱えながら訊いた。 僕の衣装と同じ白い光がグレーティアの細い体に降りかかり、額の汗が少し引く。
「ええ――飲んでおいた方が、いいかしらね」
言ってグレーティアは片方の髪をかき上げて耳にかけると、腰の大きなポーチを引き寄せて開いた。 僕は光の収まった手を戻し、背負い袋の中の水筒を探る。
ゆるく風が吹いた。 倒されたモンスターの姿が消えてもなお空気のどこかに留まっていた、先程までの戦いの残り熱をもあっさりと拭い去るように、それは僕らの周囲と乾いたギデアスの広間を悠々と渡って行く。
そんな優しく無情なシルフの仕事を僕は涼しく感じるけれど、彼女はやはり違うのだろうか――などと、ぼんやり考えていると。
「――あっと」
小さな声。 何かと背負い袋から視線を戻せば、グレーティアがポーチのどこかに指輪をひっかけ、中身を盛大にこぼしてしまっていた。
足下の平らな岩場に、きききん、と硬質な音を響かせて散らばるのは、大小様々、目にも眩しい銀色や鉛色の薬莢と弾丸。
その中に混じって小さなケースが落ちる。 斜めに岩に当たってぱんと蓋が開き、途端にばらっと中身が弾ける。 それは大小様々、目にも鮮やかな白や赤や黄色の錠剤とカプセル。
その、色も形も温度も役目も、何もかもが違う二種類の結晶が、縦横無尽に混ざり合って茶色い岩盤の上で踊っていた。
「――あーあー」
全く、銃器の取り扱いや射撃の腕なら精緻そのものなのに、それ以外となるとしっかりしているようでどうもおっちょこちょいだ。 これだから目が離せない。 同じ手先の事なのに、どうしてこの二つの回路が繋がっていないのか、謎だ。
僕は軽く笑うと岩場にしゃがみ、弾丸の方を集め始めた。
「石が、ポケットに引っかかっちゃったのよ」
ちょっと頬をふくらませているような声音で、グレーティアも薬の粒を拾うべく腰を落とした。 紅茶色の毛先がさらりと流れて、地面につきそうになる。
「ほら、ちゃんと砂払って」
「払ってます、もう」
少し眉をしかめて言いながら両膝をついて色とりどりの薬を拾い集め、その一つ一つに付いたホコリをちまちまと指先で払ったり、息を吹きかけたりしている。
なんだかそれは、茶色いリスが餌を抱えていつまでもくるくるといじり回している姿を連想させて、目を上げた僕はついふっと笑ってしまった。
「――何よ、エリクス」
あ。 聞こえちゃったか。 沢山の薬を手の中に掴んだグレーティアが、上目遣いで僕を睨んでいる。
「うん? いやいや。 何でもないよ」
「もう、ヘラヘラして――エリクス、いつまでも人を手のかかる子供みたいな顔で見ないで頂戴。 ちょっと落としちゃっただけじゃないの」
ぷんすか。
そんな感じの軽く渋い顔で、薬をケースに戻すグレーティア。 でもその手から、また一つぽろりと錠剤が落ちる。
くすりと笑って僕は集めていた弾丸を左手に持ちかえ、右手を服でぱんぱんと払ってからその錠剤を拾う。 ふっとそれを吹いてグレーティアの持つケースの中に落とし、それから少し身を乗り出してまとめた弾丸を彼女の腰のポーチにざらざらと戻した。
「うん、ティアはずいぶんしっかりしたよね。 大丈夫、何も心配してないさ」
言いながら、僕は再度軽く拭った右手で、グレーティアの頭をぽんぽんと撫でた。 暖かい、でも頭の骨の形がわかってしまいそうな、薄いつるりとした髪の感触。 頼りないけれど、僕はこれがとても好きだった。
「ほら、それが子供扱いだって言うのよ――もう」
僕の手のひらの下から、可愛いグレーティアが怒ったような声と顔で見上げている。 それでも、いや、だからこそ、僕の微笑みは収まらない。
知り合ってからそろそろ十年、でもそうと決めてからはまだ数年。
互いに互いの子供の頃の姿を隠し持っている僕達は、たまに時間を行き来する。
だから、彼女の頼りない一面が覗く時、僕の中でその影はパジャマを着た小さな女の子の形を取っているのだろう。
きりりと硬く凛々しい、でも少し危うい僕のガラス細工。
僕が差し出した水筒の水で、グレーティアは小さなカプセルを一つ飲み下した。 それを待って、僕は荷物を担いで立ち上がる。
「さて、それじゃ戻ろうか。 これを競売所に入れないとね」
「そうね……あ、エリクス、今回の出品は私がやりますからね。 この間のスクロール、あなたが適当な値段で出したものだからずいぶん安く買い叩かれて。 口惜しいったらなかったわ」
「あれ、そうだった?」
「そうよ――いやだ、また見てなかったのね? 本当に、これだから任せられないんだわ」
立ち上がって栓を締めた水筒を僕に返し、サルタバルタに抜ける道へと歩き出したグレーティアが、呆れたように小さくため息をついた。 その隣を、苦笑いしながら僕は歩調を合わせて歩く。
うーん、どうも細かい金勘定は苦手だ。 面倒だと思っているつもりはないんだけど、特に数字だけのやりとりとなると、勢いプラスかマイナスかだけのどんぶり勘定になってしまう。 まあ本来はそれじゃいけないんだけれど――
「……私達の大事な『資金』なんだから、ちゃんとして頂戴」
隣を歩くグレーティアはまっすぐ僕の方を見て、僕のガントレットに覆われた腕を軽く取って、言った。
仰る通り。
「はい。 気をつけます」
「結構」
長い髪の彼女は、にこっと笑ってそう言った。
to be continued