テノリライオン

Blanc-Bullet shot2

最終更新:

匿名ユーザー

- view
管理者のみ編集可
 ウィンダス連合国に居を構えることの利点と不利点を、いくつか挙げてみよう。

 まず利点から。 ひとつ、気候が温暖である。
 勿論、ウィンダスと並び“三国”と、あるいは“地方”などと呼ばれる残りの二国、バストゥークやサンドリアの風土がとりたてて厳しいという訳ではない。 しかしここウィンダスは町の周囲も含め、一年を通して常春と常夏の中間のような潤った暖かい気温でほぼ安定しており、何より他国に比べ格段に緑が多いことで空気のきれいさは折り紙つきだ。 つまり、比較的体に優しい環境だということ。

 ひとつ、新鮮な食料が豊富である。
 水の区には調理ギルドが、港区には釣りギルドがあることでも判るように、食料の流通という点でここウィンダスは天国に等しい。
 たくさんの作物を分け隔てなく育ててくれる惜しみない日照に地表は実りで覆われ、野で弓を射ればその先には獲物が自ら躍り出て、荒波知らずの海に網を投げればずっしりと無節操なほどに魚の詰まった袋が出来上がる――かどうかは実際僕の知る所ではないが、少なくともそう思えるほどの海の幸、山の幸が、この国の食料品店には常に所狭しと並んでいる。
 色とりどりの甘い野菜や果物、ごろりと大きな肉塊、海の底にある色のうち自分の好きな色をまとって陸に運んできたようにあでやかな魚達。
 ただ僕個人としては、サラダや果物、熱帯の魚などは、目には楽しいけどどうも今一つ腹持ちが悪い気がする。 どちらかと言えば芋や穀物や寒さで身の締まった魚なんかの、質実剛健で密度の高い食事の方が効率がいいと思うのだが、それは言っても仕方のない事だしさして重要な事でもない。 他国からの輸入品で十分賄える問題だ。

 次に不利益。 ひとつ、武器類の流通が盛んでない。
 これは何も僕達に限った話でも、更に言えばウィンダスに限った話でもないのだが。 やはり僕達を含め冒険者のメッカは、現在地理的にも経済的にもこの世界の中心を成す都市、ジュノ公国であることは動かしようのない事実だ。
 値段の程はさておき、この地上のあらゆる武器、防具、そして道具類。 切った張ったに必要不可欠なそういった商品が、調理ギルドの山盛りの食材の如く無尽蔵に並ぶのが、「三国」の中心に興るべくして興った中立国、ジュノの競売なのである。
 やはり戦いに身を置く冒険者たるもの、その手足となる武器防具類の流通の最先端を常に見るべきだ――という一般論は実にもっともだが、僕もグレーティアもそうそう新しい武器を物色したり防具をとっかえひっかえしたりする趣味も必要もないので、それを目的に彼の地に足を運ぶ事はほとんどない。
 唯一逼迫した問題を挙げるなら、狩りの度に消費するグレーティアの弾薬だが――まあそれについては、僕達には独自の入手方法があるのでこの問題はクリアである。

 ひとつ、情報が遅い。
 上記の理由により、あるいは上記の理由の原因として、ジュノには海千山千の冒険者達が集まりひしめき合っている。 というより、住んでいる。
 となれば当然、世界中の旬な情報がそこには乱れ飛んでいる訳で。 勿論それが三国に伝わらないなどという事はないのだが、やはり鮮度は落ちてしまうのが実情だ。
 その中には、僕達に関係のあるものもある。 ノートリアスモンスター、ハイノートリアスモンスター――通称NM、HNMと呼ばれる、我々人間の間で高値に取引される神具や魔装などを所有する屈強なモンスター達。 それらの居場所、生息状況、そして一攫千金を狙ってそいつらを打ち倒しに行く仲間の募集。 日夜を問わずそういった情報が、あの過密都市には乱れ飛んでいる。
 が、僕達は敢えてそこに飛び込む事はしない。 どちらかと言えば身近なノートリアスモンスターを日々手堅く狩り、討伐隊や強行軍といった大仰なものからは距離を置いているので、その手の情報は積極的に求めてはいないのだ。
 それについてはまあ、致命的なものから取るに足りないものまでいくつかの理由があって――少し長くなるので、割愛。

 ひとつ、お宝商売に向かない。
 これまた上記の理由と根底は同じだが、モンスターから得た珍品、高級品をさばくに当たって、三国よりもジュノの競売に出品する方が高値で売れる場合がままある。
 まあこの判断は僕でなくグレーティアの担当する領分であり、どうしてもあちらに出したい場合は僕が、または二人でジュノに出向いてまとめて出品すればいいだけの話だ、という結論に今の所は落ちついている。

 と、以上のように。
 僕達という冒険者に限って言えば、ウィンダスにいることで受けたいメリットがあり、かつそれによって発生するデメリットがあまりデメリットになっていないのだ。
 それが僕とグレーティアが、この緑溢れるウィンダスの冒険者用寄宿舎に身を寄せる主な理由である。


  *  *  *


「よう! エリクス……だっけか?」

 うららかな午後の日差しの中、石の区の競売でぼんやりといつもの出品チェックをしていた僕の肩を、不意に誰かがぽんと叩いた。
 威勢がいいくせに内容は怪しげなその声の主を、僕は訝しげに振り返る。

 濃い黄色の装束。 モンクの道着だ。 健康的に日焼けして、にっと笑った口元の白い歯が印象的なヒュ-ムの男性。 僕と同じ黒い髪を後ろで少し伸ばして、東方の雰囲気漂う特徴的な結び方をした――
 誰だっけ?

「はは、こいつ誰だって顔してんな。 ほら、こないだタロンギで行きずりにキリンを取り合って、俺が負けたじゃねぇか」
「――ああ」

 思い出した。 そう言えば少し前に、そんな一幕があったな。
 獲物を競って負けたにしては珍しく、恨みの一つも吐かないどころか賞賛の声と笑顔を残して去っていった、稀有な男だった。
 と、そこまで思い出しても、確か聞いていたはずの名前は出てこない。 人を覚えるのは苦手――と言うか、その手の事にエネルギーを割く習性がない僕は、こういった局面で少し不利だ。

「いや、あれはなかなか見事だったぜ。 俺が放った気孔弾の前にお前さんの呪文が割り込んで来た時には驚いた――つーか、その後白魔道士のお前さんが飛び出してきた時の方がもっと驚いたがな」
 はっはっは、と、まだ少し気後れして無言の僕を置き去りに、彼は豪快に笑う。
 こういうのは「いい奴」である可能性が高い。 あくまで観察による推測だけれど。

「なぁ、お前さん、明日あたりヒマだったりしねえか?」
「え?」
 唐突に、笑いを収めた彼がそう切り出した。
「いやなに、今度俺と俺の仲間でガルガンチュアを狩りに行くんだけどな。 ついさっき、白魔道士と暗黒騎士の二人が欠員になっちまったのよ。 あいや、そう手強い相手って訳じゃないんだが――ま、さすがにな、白魔道士はいてくれないと危なっかしいのさ、判るだろ? あとほれ、お前さんと組んでたスナイパーのお譲ちゃん。 彼女の腕もなかなかだったよな。 あの距離からあんだけ高いキリンの頭を打ち抜いたのを見た時ゃ正直感服したんだ、俺は」
 その時のキリンの背の高さを思い出すように、彼の目が一瞬僕の頭上を泳いだ。
「でまぁ、そこでだ。 ひとつ二人揃って参加してみちゃくれねぇか? 勿論お宝が出たら山分けだ。 山分けするほどの大物が出なかった場合は、他所からご足労願ったって事であんたらに残りのお宝のいいやつをやろう。 悪くないと思うぜ、どうだ」

 腹の底からまっすぐ出てくるような、いかにも実直なモンクらしいよく通る声でそこまで一気にまくし立てるとようやく男は口を閉じ、期待に満ちた目で僕を見た。 その裏表のない健やかな視線に僕は少し居心地の悪さを感じながら、それでも一応考える。

 ふむ――少し面倒だけど、倒せれば間違いなく実入りがあるというなら一考の余地はあるか。
 お宝の価値の程にもよるが……いや、それよりも。

「……ガルガンチュアか、名前だけは聞いた事があるけど……どんなモンスターか覚えてないな。 どこに居るんだったか」
「ああ、ボスディン氷河の奥にいる、でけぇゴーレムさ」

 氷河。
 ――駄目だ。

「悪い、それはちょっと力になれない。 他を当たってみてくれないか」
「え? そうなのか? 何だ、ボスディンに何かまずいことでもあんのかい」

 僕にはない。
 ただ、体の弱いグレーティアをそんな極寒の地に連れて行く気が、毛頭ないだけだ。

 そう、先程あげつらねていた数々の利益、不利益の話の、影なる主語が全て「グレーティア」であるところの僕が、そんな誘いに頷くはずがないのだ。

「彼女も僕も、寒い所は苦手なんだよ。 よってパス。 折角声をかけてくれたのに済まないけど」
 断ると決めた以上、繕ったり愛想よく話し込んでもしょうがない。 僕は適当な理由をくれて事務的に彼の言葉を流しにかかった。
 が、明らかにおざなりな社交辞令の匂いのする断り文句だというのに、男は心底残念そうに逞しい肩と眉を落として沈んだ声で言うのだ。
「そうか、そりゃ残念だなぁ。 俺としては今度は敵方じゃなく、一緒に組んでやってみたいと思ったんだが……うーん、だめかぁ」

 うん、やっぱりいい奴のようだ。 僕は今更ながら軽く申し訳なくなり、少し笑顔になって付け加えた。
「悪いな、本当」
「あ、いや、こっちこそ突然無理を言ってすまなかった。 気にしないでくれよな」
 僕の言葉に男は俯いていた視線をぱっと上げると、雲り空がさあっと晴れるように笑った。 いやはやどうにも憎めない奴だ。

「それじゃ、ぼちぼち戻らないといけないから行くよ。 狩り、頑張ってな」
 僕はそう言って軽く手を上げ、競売と彼の前からすいと体を離した。
「ああ、ありがとう。 彼女にもよろしく言ってくれ。 縁があったらまた会おうな」

 また会おう、か。
 その時にまた忘れてたら、さすがに呆れられるかな……と思いながら、白い歯を見せて手を振る男に一つ笑顔を返し、僕は寄宿舎に向かう木の橋を渡り始めた。


  *  *  *


 寄宿舎のドアを開けると、奥から話し声が聞こえてきた。 しまった、もうおいでらしい。
 僕は玄関に荷物を置いて早足に中に入ると、奥の部屋にあるテーブルの横で、テーブルを挟まずにグレーティアと向かい合って座っている初老の男性に挨拶をした。
「リカード先生、こんにちは」
「おおエリクス、元気そうじゃな。 どうじゃ、相変わらずティアまっしぐらか」
 振り返った笑顔から飛び出たとんでもない返礼に、僕は思わずぶっと吹きそうになる。
「え、いやその、まぁ。 そこそこです、ええ」
「先生ったらもう、やめてください。 返答に困ります、そんな質問」
 先生の前にちょこんと座るグレーティアが、肘までまくっていた袖を直しながら言った。 くすくすと笑いながらも、ちょっぴり頬を染めてはにかんだ顔をしている。 恐らく不意打ちにあって棒立ちで困りきっている僕の表情は、はにかむどころの騒ぎではないだろうけど。
「いやいや、重要な事じゃからな。 君の体調と同じぐらい大事な事じゃぞ?」
 一体、真面目なのかそうでないのか。 至極本気の声音といたずらっ子のような笑い顔で言いながら、先生は首にかけていた聴診器を外してテーブルの上に置いた。

 リカード先生。 グレーティアを幼い頃から診てくれている、いわばかかりつけの医師である。
 僕も昔から風邪を引いたり体調を崩した時はよくお世話になった。 その長い付き合いから、グレーティアと二人揃ってもうすっかり馴染みを越えた親戚のような間柄だ。
 そして、僕が内心で認めている数少ない「よい大人」の一人でもある。
 小さい頃から僕達を一人の人間として扱ってくれ、何かを指示する時はちゃんと納得するように説明してくれる、「言う事を聞きなさい」なんて横着なセリフは一度として口にした事のない、信頼に足る大人である。
 僕が物心ついた時から一向に年をとった印象がないのは、一度も刈ったのを見た事がない、鼻から下全体を覆う白くてふさふさの髭のせいか、そのくせそろそろ「お爺さん」の域に達するとは到底思えないがっしりした体躯のせいか、はたまた人があわてふためくのを見て面白がるような、時には不謹慎やら破廉恥の領域に嬉々として踏み込む軽口のせいか。
 それともこのぐらいの歳になると、十年や二十年では人間たいした変化は見せなくなるものなのだろうか。
 十年や二十年しか生きていない僕には判らない。

「先生、お茶を淹れますから休んでいって下さいな。 いつも遠くから来てもらって、申し訳ないわ」
 定期検診が終わった事を見て取ったグレーティアが、椅子から立ち上がりながらそう言った。
「ほ、そうか。 それじゃご馳走になるとするかな。 ひとついつもの奴を頼むよ」
「……先生、喫茶店の常連客じゃないんですから。 決まったお茶なんかないでしょう」

 笑いながらグレーティアがキッチンへ消えていく。 僕も笑いながら、「やれやれ、まだ今一つジョークが通じんのう」と肩をすくめつつ診療道具を鞄にしまう先生の、斜め前に座って尋ねた。

「特に問題ないですか、ティアは」
「うむ、なかなか元気そうじゃの」
 まずは軽くそう答えてから、先生はふっと医師の顔に戻って続けた。
「顔色もいいし、肺も心臓もきれいな音を出しておった。 調子を崩す回数が減ったのは、常備薬の残り具合を見ても判る。 新たに具合の悪い所もないと言っておるし、何より顔に不安がない。 いいことじゃ」

 それを聞いて、僕はほうと軽く安堵の溜息をついた。
 そう、僕から見ても、以前に比べ格段に元気になったと感じてはいたが。 やはり先生に保証してもらうとこの上なく心強い。

「本当に、先生のおかげですよ。 ありがとうございます」
「何を言うか」
 僕が軽く頭を下げてそう言うと先生は、医師の顔から近所のお爺ちゃんの顔になってにっと笑う。
 そして少し声を低くして言った。
「お前の手柄じゃよ、エリクス。 結構気を遣っておるじゃろう。 運動量の多くない銃使いとは言っても、連日考えなしに飛び回ればあの子の体にはすぐ負担になる。 かと言ってあれもダメ、これもダメと過保護に押さえつけては、あの子の性格では逆効果に違いないしな」
 ふっふっふ、と先生は面白そうに愛しそうに笑う。 思い当たる所が多々あって、思わず僕からも苦笑まじりの笑いがこぼれた。

「それに第一、悪化を恐れて籠の中に閉じ込めているだけでは、あそこまでの体力と抵抗力はつかなかったじゃろうて。 適度に運動し、行き先を考え、かつ休養期間を持たなけりゃならん……勿論ティアも考えてはおるじゃろうが。 お前も、よく頑張ったな。 こういうのはえてして周囲の方が苦労するもんじゃ」
「いえ――そんなことは、ないですよ」

 僕は何となしに俯いて、小さな声で言う。
 キッチンから、カップやスプーンを用意するかちゃかちゃという音が聞こえ始めた。

「よいな、しっかり守ってやるんじゃぞ」

 少しの沈黙の後、不意にリカード先生の低い声が僕を打った。
 はっと顔を上げると、先生は「お爺ちゃん」の顔から「男」の顔になって、僕を見つめていた。 ぶるっと背筋に震えが走る。

「健康面は、今のペースを維持しさえすれば危険な事はない。 徐々に遠出も出来るようになるじゃろう。 だからわしがあの子にしてやれるのは、もう用心のための薬を出してやることだけ。 後は――そしてそれ以外の事は、全てお前の仕事じゃ」

 ――厳しい。 怖くはないが、厳しい顔だ。 突然逃げ場を断たれたような、熱い緊張感が胸を襲う。

「泣かせるなよ。 今のティアが何かあった時に頼るのは、最初から最後までエリクス、お前一人じゃ。 ティアが家を飛び出た、その事があの子自身の意志でも、迎えに行ったのはお前じゃ。 そしてお前はそれを受け止めた。 だからお前が守れ。 最終的にはそれを許してくれたご両親の分までじゃ。 一人の人間を支えるためには、一人の人間として強くならなければいかん。 努力せい。 でなければ、わしはお前を男と認めんぞ、いいな」
「――勿論です。 肝に、銘じています」

 そう、肝に銘じている。 それが比喩ではないと言ってしまえるほどに、僕の中でこの使命は確固たるものだ。 グレーティアの傍にいて、守る。 それをしない自分など、今となっては想像すらできない。
 それほどまでに、揺るぎ無い意志の柱が――何故、先生という強い光に射られたとたん――その礎を抜かれるような、覚束ない不安に襲われるのだろう。
 その度に迷いなく誓い続ける僕の言葉が、どこか空を切るのはどうしてだろう――

「……バストゥークの方は、どうですか」
 そんなかすかなもやもやを自分の視界から追い出したくて、僕はつい話題のベクトルを少しずらした。
「うん、特に変わりはないな」
 先生はその問いに少し瞳と声を和らげ、遠くを見るような目つきになって言った。
「キール商会は相変わらず安泰じゃ。 あの子の両親の誠実な商いはやはり客を捕らえて離さんのう、わしも見習わなくては」
 戻ってきた先生の軽口に、肩に張っていた緊張が解けていくのを僕は感じた。

 グレーティアの実家は、バストゥークで鉱石や鉄材の販売や卸しを営む、その業界では五本の指に入る大きな商店の元締めだ。 彼女はそこの一人娘。
 勿論僕の出身もバストゥーク、リカード先生の診療所もバストゥークにある。 つまり僕達二人があえてウィンダスに身を移してからというもの、先生はグレーティアの身を案じ、事あるごとに、事がなくても定期的に、ここウィンダスに立ち寄っては彼女の診察と薬の補充をしてくれているのだ。

「まあ、追いかけて連れ戻すようなことをすればますますあの子が意固地になるのは、あの両親が一番よく判っておるじゃろうからの。 降ってわいたような子離れの儀式をようやく受け入れられたのか、近頃はどうにか落ち着いて商売に精を出しておるよ」

 そうか――それなら、よかった。
 商売人としてこれで大丈夫なのかとつい思ってしまうような、温厚でお人好しなグレーティアの両親の顔を、僕は少し苦しく思い浮かべる。

 グレーティアを連れて――いや、主観的に言うならば、グレーティアに連れられてバストゥークを後にする僕の背中に、彼女の両親は非難の言葉を投げつけるような真似はしなかった。
 それは、グレーティアを最終的にその道に進ませてしまったのは彼ら自身の所業だと、彼らが思ってくれている証拠でもあるのだが。
 だからと言って平然とポケットに手を突っ込んで口笛を吹いていられる程に、僕とて腐った人間ではなくて。

「しかしな、その子煩悩の新たな矛先に選ばれたのはこの老体じゃぞ。 あの夫婦、探偵でも雇っておるのかと思うぐらい、わしが他国に出張して帰ってくるのをさとく嗅ぎつけよる。 そのたんびにグレーティアには会いましたか、元気でやっていましたかと揃って質問攻めじゃ。 まるで親の戻るのを察したヒナ鳥にピーピー鳴かれているようで、わしゃ毎回バストゥークに帰るのが億劫でならん」
 言いながら先生はその様子を思い出しているのか、白いあごひげをしごきつつ可笑しそうな面倒そうな物言いで口元をほころばせる。
「ま、言ってもこればかりはどうしようもないがな。 年頃で華のようにかわいい一人娘の身を案じる親をなだめる薬なぞ、この世のどこにもありはせん」
 それはそうだろう。 あのおじさんおばさんがどれだけグレーティアを可愛がっていたか、僕だってずっと見てきてよく承知しているのだ。

 普段はできるだけ思考の表層に上らせないようにしている罪悪感が頭をもたげて、僕の顔は少し暗くなったのだろう。
 リカード先生はそんな僕をちらりと横目で見ると、ぽいと放り投げるように言った。

「――ああ、勿論わしはお前の事も案じておるぞ。 達者でやれよ」

 その、気遣いも何も放棄した友達がよこすお義理のような言いっぷりに、ついに僕はぷっと吹き出してしまった。 そして同時に、無性に嬉しくなる。
 やっぱりこの人はいつの時でも、僕を対等な一人の男として扱ってくれるのだ。 勇気とかいう物はこういう所から芽を出すのかもしれないと、僕は心のどこかでふと思った。


「あらあら、何のお話かしら?」

 それと同時に、グレーティアがキッチンから姿を現した。 彼女の持つトレイに載った三つのカップから、淡いコーヒーの香りと湯気が立ち上っている。

「いやなに、とある限られた市場を独占した覇者と、勝利の後にそれを維持する事の責任と孤独について一席な……おお、ありがとう」
「また、嘘ばっかり」
 おどけて答える先生の前に、グレーティアが笑顔でカップを置く。 ほわんと苦い香りが僕の所まで漂ってきた。
 続けてグレーティアが差し出してくれた僕の分のカップを受け取りながら、いや、あながち嘘でもないんだな――と僕は密かに胸の内で笑った。


  *  *  *


「そう言えば、軍資金の方は順調に貯まっておるのかね?」

 もう一度キッチンに消えて、お茶請けの載った皿を運んできたグレーティアがテーブルに着くと、リカード先生は思い出したように言った。
「先生、軍資金じゃありません。 結婚資金です」
 椅子に座り、自分のカップを両の手のひらで包むようにしたグレーティアは、相変わらず理解しない先生のウィットをぴんと伸ばした背筋で訂正する。

 そう、僕とグレーティアが日々金になるモンスターを狩っている理由は、これだ。
 どこかに土地、そして家を一軒と家財道具一式、やるのであれば結婚式の費用、そしてある程度の蓄えという内訳で、とりあえず一千万を目標に二人で貯金をしているのである。

「いやはや、キールの家にある君の莫大な嫁入り資金がな、夜な夜なわしの夢枕に立つんじゃよ。 代わりに使ってくださーい、とな」
「もう、先生ったら――うちの両親がエリクスを愚弄した時点で、そんなものは無用の長物になったんです。 有効に使って頂けるなら差し上げたいくらいだわ」

 二人でバストゥークを後にしてから、約一年。 いまだ挑戦的な姿勢を崩さないグレーティアの言葉を聞きながら、僕はゆっくりと熱いコーヒーをすすった。

 その問題について比較的冷静な視点を持つ僕に言わせれば、愚弄なんていう穏やかでない行いまでは、僕はされた覚えがない。
 ただ、体の弱い娘の嫁入り先として、幼馴染みとはいえ一介の冒険者の僕という選択肢に、そこそこ資産家で心配性の両親が渋って見せた――ただそれだけの、一般的には頷けるというか、まあ無理もないだろうという嘆息の範疇に収まる反応があっただけだ。

「私は、エリクスと二人で立派にやって行けるという事を、目に見える形で示そうと決めて出て来たんです――いえ、私が、そうできるようになりたいんです。 両親が心配しているのは判っていますけれど、だからってここで私の意思とエリクスの名誉を守れないようじゃ、私は自分で自分を許せないわ」

 宣言するように澱みなくきっぱりと言い切るグレーティアの言葉に、リカード先生はほっほっほと快活に笑った。 拍手みたいだ。
「うん、いつもながら実に気持ちがいいな。 男らしい事この上ない。 よろしい、納得がいくまで頑張りなさい。 エリクス、せいぜい置いて行かれんように気をつけるんじゃぞ」
「そうですね、実はいつ愛想を尽かして飛び出されるかとヒヤヒヤしてるんです」

 ぷっとふくれるグレーティアの右と左で、僕と先生の笑い声が転がった。
 高い窓の外から、午後の木の葉の囁きと鳥のさえずりが聞こえてくる。

「――そうは言っても、頑張りすぎて倒れたりケガをしては元も子もない。 ティアもエリクスもな。 判っておるじゃろうが、無理はせんように気をつけなさい。 わしの手間を増やさんようにしておくれ」
「はい」
 ティアが笑って素直に答える。 僕は黙って頷いた。
 微笑む先生の後ろに見えるバストゥークにも、それが届く事を確信しながら。


 窓の向こうの緑の梢に、柔らかい日差しとそよ風。 緑の濃淡だけが躍る、壁に備え付けの万華鏡。
 世界がここだけと思えれば、世は全て事もなし。


to be continued
記事メニュー
ウィキ募集バナー