テノリライオン

Blanc-Bullet shot3

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匿名ユーザー

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「いくよー」

 西サルタバルタの片隅に響く僕のその声を小さな子供が聞いたなら、キャッチボールでも始まるのかと思う事だろう。

 昼下がりの暖かい空気の中。 唄う縦笛のような風が右から左に流れるも、近くにそれを伴奏する木立ちもなく、また川のせせらぎからも遠いために僕の周囲はほぼ無音だ。
 僕は声と同時に両の手のひらを力いっぱい広げると、足元にごろごろと大量に転がるリンゴやオレンジを右手に二つ左手に二つ、合わせて四つ同時にがっしと掴んで立ち上がる。 そしてその声を投げ掛けた先の正面に視線を戻した。

 三十歩ほど離れた先の草原に、一つの人影が立っている。
 両足を軽く肩幅に開き、右足は軽く後ろに引いて。 細い体には緑と茶色がメインの狩人の衣装。 今は何もない僕の頭上の空間に向かってまっすぐ伸びる右腕、その先端に鈍く黒光りする一丁のリボルバーが鎮座する。 右手がグリップを包み、添える左手が銃底を支え、その高く掲げられた両の腕に隠れて僕から彼女の顔は見えない。 削りたての鉛筆が立っているみたいだ、と僕は思った。
 風がまたひとつ横切って、細長い立ち姿の後ろから紅茶色の髪をふわりとはみ出させる。

 僕の声が届いても、グレーティアは無機質な砲台のようにぴくりとも動かない。 OKの印だ。
 僕はふっと体を沈めながら右手を大きく後ろに振ると、渾身の力を込めて二つの果実をぶうんと頭上に投げ上げた。
 その瞬間、砲台の銃身がぎゅいと動く。 がぅんがぅんと鋭い二つの打撃音と同時に、宙に舞った果実がぱっとその身を散らした。
 僕はそれを見ていない。 すぐさま残り二つのオレンジを、両手で思い切り投げ上げる。
 それが射抜かれる同じ数の銃声を聞きながら素早くしゃがみ、あと二つリンゴを掴むと立ち上がりざまこれも頭上に大きく飛ばす。
 合計六つ。 既に弾けて消えていた果実の後を追うように、見上げる僕の頭上で最後のリンゴ達が花火のようにぱぱんと散った。


  *  *  *


「たまには基本に立ち返らないといけないと思うの」

 バストゥークを出て、しばらく経った頃。 クレー射撃に付き合って欲しい、と言われて首をクエスチョンの形に傾けた僕に、グレーティアは真面目な顔でそう言った。

「あのね、ここに来て実戦にもずいぶん慣れたと思うし、それなりに自信もついてきたんだけれど。 それと同じ分だけ、何て言うのかしら――私が、雑になっているような気がするのよ」

 僕に説明しようとすることで、何かの思考のフタが開いたのだろうか。 グレーティアはテーブルを挟んで僕の前に腰を下ろすと、半分は自分に向かって確認するようにとうとうと喋り始めた。
 座った拍子に前に流れた長い髪がひと房、テーブルの上でするりと円を描く。

「実戦だけだと腕が鈍りそうってこと?」
 会話の流れでそう訊きはしたけれど、彼女の射撃の腕が上がりこそすれ落ちてなどいない事は、僕が一番良く知っている。
「ううん、そうじゃなくて――むしろ実戦で学んだ事は一杯あるわ、練習場で撃っているだけじゃ判らなかったような事が、沢山。 だから……うーん、何て言ったらいいのかしら――」

 グレーティアは軽く眉間にしわを寄せると、混沌とした自分の頭の中を見渡すように視線を宙に泳がせた。 そして見つけたものを引き寄せ、ぎりぎりまで吟味するようにゆっくりと口に乗せる。
「きっとまだ、実戦に余裕がない証拠だと思うんだけれど……動作の一つ一つをね、何だか前よりも意識していないのよ。 とにかく弾を当てる事だけに集中してしまっているような……」
「うーん? それはつまり、熟練してきたって事じゃないのかい?」
「――そうかもしれない。 うん、そうね、私も人になら、そう言うような気がするわ。 でも……」
 そこでまたグレーティアは考える。 トリガーを引く右手の指先が、口元をうろうろとさまよう。
 僕はなんとなく彼女の言いたい事は判ってきたけれど、遮るような事はせずに続く言葉をじっと待っていた。

「……私は、まだそこまで自分を信用できないのよ。 私の射撃の技術を支える『基本』を、実戦の慌ただしさを免罪符にして少しずつ置き去りにして行ってるような、不安があるの」
 何とか自分の中の変化を的確に表そうと、選び選びに言葉を紡ぐグレーティア。
 たった一言「練習がしたいから付き合って」と言えば断る僕ではないのに、真面目に誠実に理由を説明しようとする彼女の姿は、少しもどかしくも見守らずにはいられない。

「でね――そういう不安要素をそのままにする怠慢は、失礼だと思う。 銃にも、銃を向ける敵にも」
「――成程」


 成程――と頷く言葉に隠れて、僕は前に座るグレーティアに気付かれない程の小さな息を吐いた。
 それは彼女の言う事が理解できないというものでも、ましてや呆れたなどというものでもなく。
 辿り着けない、いや、辿り着こうと思った事すらない領域を見せられた、自分に向けての嘆息だ。

 彼女の主張を頭では理解できる僕は、素直に頷く。
 しかし、その初めから終わりまで一度としての例外なく、戦いの技術というものの全てを実戦で得て来た僕には、『練習』という言葉がどうにも実感を伴わない。
 やるか、やられるか。 判断を置くべきはそこだけで、その過程については何ら価値の上下というものを見出さず、ただひたすらに目の前の敵を打ち倒して生き延び切り抜けてきた。
 そんな僕の冒険者としての経歴の中に、自ら「研鑽」や「鍛錬」と呼べるようなものや、ましてや精神論の類は全くと言っていい程なかった。

 その事に、後悔がある訳じゃない。 あろうはずもない。
 が、同じ敵を打ち倒すに当たり、その正誤や必要性はともかく、自分への厳しさや誇りや誠意を以って臨む彼女の姿が、どうしようもなく眩しいのは――青臭い羨望か、それともとっくに味わい尽くした、自分自身に対する諦観が疼くからか――

「実家でやっていた時と違って、実弾を使っちゃうのが勿体ないのは判ってるわ。 その代わり、それはちゃんと緊張感にするから。 だから――だめ?」

 そんな隙間風吹くような僕の内心など与り知らぬグレーティアは、小さな声でそう言うと少し申し訳なさそうに顔の前で手を合わせ、その後ろでちょっと首を傾けて僕を見る。

 はは、と僕は笑った。 完敗だ。 いやいや、勝敗以前に――

「だめなんて訳がないよ。 さ、気の済むまでやろうじゃないか」

 僕の言葉に、にこっとグレーティアの顔が嬉しそうにほころぶ。

 そう。 そもそもはなっから、僕にグレーティアのいかなる「お願い」も聞かない理由なんぞ、ありはしないのだから。


  *  *  *


 左腕に果実を六つ一気に抱えた僕がすっくと立ち上がるのと、ダブルアクションのリボルバーに素早く六発の弾丸を込めなおしたグレーティアがばっと元の構えに戻るのは、ほぼ同時だった。
 間髪置かずに僕は抱えた果実を一つずつ、抜けるように青い空に向かって高々と投げ上げ始める。
 真上、右上、左上と、わざと軌道をあちこちに振る。 するとどこへ投げても果物は、その放物線のほぼ頂点で突然ぱあんと弾けて散っていく。
 その光景に、僕はまるで自分が透明なドームに囲まれていて、その壁に果物をぶつけて遊んでいるいたずらっ子になったかのような、奇妙に楽しい錯覚に陥っていた。

 標的に果物を使おうという発案もグレーティアのものだった。
 色も目立つしサイズもちょうどいい。 簡単に手に入り、そう値の張るものでもない。 食べる為に買うのでないのは少し申し訳ないけれど、屋外なら残しておけば動物やモンスターが食べてくれるかもしれないから――という事だ。

 一つまた一つと、気持ちいい程に確実に空中で射抜かれ弾かれていく果物の残骸は、その銃撃の勢いでみんな僕の少し後ろへと流れて落ちて行く。

 そう言えば。 過去に一度だけ、グレーティアの射撃の腕を信用しきっている僕の頭に、わずかに射線が逸れて後ろに弾かれなかったオレンジが、見事な確率と偶然をまとって落ちてきた事があったっけ。
 万一当たっても致命傷にならない、というのも標的に果物を選んだ理由の一つだったけど、潰れたオレンジを頭に乗せてびしょびしょという、何やらコントのオチのような有り様に自分で大笑いしてしまっている僕の頭を、泣きそうな顔で駆け寄ってきたグレーティアは必死の形相でひたすらに拭っていた。
 しかし短い黒髪にしみついた果汁は拭けば拭くだけべとべとが強くなる事に気付くや、まだ笑っている僕を大慌てで川の方に引きずっていったのだった。

 ――あの頃に比べても、確実に腕は上がってるよな。
 そんなことを思いながら、四つ目のリンゴを掴んでぐんと低く腕を引いた瞬間。 遠く背後から、人が走ってくる音が聞こえたような気がした。
 危ないかな。 いや、銃口が狙っているのは上空だから問題ない。 僕は構わず残り三つの果実を、これでもかとばかりに力一杯頭上に打ち上げた。 ががん、と銃声が二つ。
 三撃目は――と正面を見る。

 と、僕の目が捉えたのは、上空に向けて仰いでいたマグナムの射角がひゅっと水平に降り、まっすぐと僕の背後に向けて照準を合わせる瞬間だった。
「っ!?」
 訳が判らず息を呑む。 がぅんと鋭い音を立てて、六発目の弾丸が火を吹いた。
 驚きに目を見開いたまま、肉眼が追いつくはずもないその軌道に視線を巻き込まれ引っ張られたように、僕はぐいと体をひねって背後を振り返る。
 するとそこに見えたのは、唐突に現れ――そして既に終わっていた瞬間。
 小さなタルタルが町に向けて走っている。 いかにも頼りない装備。 必死の形相で、間違いなく僕達の姿など眼中に入っていない。 そのタルタルのすぐ後ろで、一羽の大きな怪鳥が赤い羽毛を散らしてもんどり打ちながら地に落ちていた。

 ……新米初心者が追われていたのか――。
 そう気付いた直後。 今度はぱぁんと軽い銃声が、そしてすぐ頭上でぱしっと水気を含んだ破裂音が僕の耳を打った。
 咄嗟に視線を正面に戻す。 するとその先には、最後の一発で可愛らしいタルタルをモンスターから守って空になったリボルバーをぶらんと左手に下げるグレーティア。
 そして代わりに空中に向けて掲げた彼女の右手には、小さなデリンジャーがきらりと光っていた。
 いついかなる時でも常に彼女の上着の裾に潜んでいるその銀色の塊が、落下する最後のリンゴの直撃から僕を守り、久方振りの出番に嬉しそうな硝煙を細くたなびかせている。

 そんな三秒にも満たない救出劇にタルタルは気付きもせず、息を切らせながら僕の横を転がるように駆け抜けていった。
 が、自分を追い立てていた恐ろしい羽音が聞こえなくなった事に遅ればせながら気付いたのか。 少し走っていった先で足を止めると、恐る恐る後ろを振り返っている。
 どうした訳か影も形もない追跡者の姿に、訳も判らずほうっと安堵する小さなタルタルへ声をかけるでもなく、いつのまにかデリンジャーを腰に戻したグレーティアは涼しい顔で再度リボルバーに弾を填装していた。

 六つの弾倉を鉛の弾で埋め、がちんとシリンダーを滑らせ銃身に戻す。
 そしてふっと上目遣いになり、ついぼんやりと立ち尽くしていた僕と視線が合うと、グレーティアはにっと笑った。
 不敵な笑顔のまま僕の上空にくいっと顎をしゃくり、何事もなかったかのように黒光りする銃を抜けるような空に向けてすぅっと構え直す、華奢なスナイパー。

「……男らしいとはよく言ったものですね、先生……」

 苦笑と溜息と呟きと感嘆と。
 色んなものを一度に吐き出しながら身を屈め、僕は足元にまだまだ転がる色鮮やかな獲物たちを掴み上げるのだった。


  *  *  *


 街から運んできた果物も全て使い切り、ゆっくりと日の傾き始めた西サルタバルタを後にした僕達。
 夕食の相談なぞしながらぶらぶらと歩く水の区は、さわやかに潤った空気が喉に優しいのんびりとした町並みだ。
 競売所も設置されていないので森の区ほどの賑わいもなく、飛空挺の発着もないので港区ほどの往来もない。
 アットホームな宿屋やレストランが居を構え、調理ギルドからは絶えず美味しそうな匂いが、ごくたまには刺激的な匂いが立ち昇り、それらの繰り返す営みを目の院、国立図書館のどっしりと大きな建物がおおらかに見守っている。
 同じ人の少なさでも、ウィンダスを統べる星の神子の住居であり、またこの国の象徴でもある星の大樹を頂く石の区の一種敬虔な静けさとはまた違う。 田舎の家の縁側のようにどこまでも庶民的であけっぴろげな空気の軽さが、ここ水の区の特徴だった。

「じゃあ今晩は、兎肉のソテーにしましょうか。 お肉だけ買えば後の材料はあるし……他にご希望は?」
「うーん、いや、特にないよ。 何でもいい」
「もう、また。 いつも言ってるでしょう、『何でもいい』が、一番困るんだって。 こっちはできるだけその日に食べたいものとか、なるべく好きなものを出したいと思ってるんですから。 何でもいい、じゃ判断しかねます」
 僕の主体性のない発言に、グレーティアは有能な部下のような返答をする。

 ……と言われても、本当に何でもいいんだよな。 いや、横着してる訳じゃなくて、作ってくれるものなら何でも食べる気でいる、という姿勢で。
 作ってもらう方としては贅沢を言ってはならないというか、何でも美味しく食べるのが礼儀――と僕は思っているんだけど。 違うんだろうか。 ご不興を買っている所を見ると、どうやら何かが違うんだろう。 難しい問題だ。

「……えーと、じゃあ、スープが飲みたい、かなあ。 コーンスープ、とか」
「コーンスープね。 じゃあそれは缶で買おうかしら。 雑貨のお店にあったと思うから、ちょっと寄りましょうか」

 と、こうやって僕が希望を出した事で、間違いなく夕食の手間が一つ増えたはずなんだけど。
 喋りながら目の院と図書館を繋ぐ石造りのアーチを抜け、僕の手を引いて雑貨屋のある左へと折れたグレーティアは、何かを達成したような満足げな顔をしている。
 実に難しい問題だ。


「――あ、そうだ、いつものジュースがもうなかったんだわ。 調理ギルドにも行かなきゃ」
 目指す雑貨屋に向かう階段にさしかかった所で、あっと思い出したようにグレーティアが言った。
「雑貨屋にはないの?」
「あれは調理ギルドにしかないのよ。 冷やして売ってくれてるから、帰ったらすぐ飲めるし」
 雑貨屋は寄宿舎に帰る道すがらにあるが、調理ギルドは正反対の方向だ。
「ふうん――じゃあ、僕が行って来るよ。 すぐ戻るから、雑貨屋の買い物が終わったらその辺にいて」
「そう? 助かるわ、じゃ――お財布、持って行って。 ジュースは二本もあればいいから」
 そう言いながらグレーティアは、自分が使う分の紙幣を少し抜いた財布を僕に手渡した。


  *  *  *


 香ばしい匂いの立ちこめる調理ギルド。
 カウンターに小銭を置いた僕は、よく冷えた二本のボトルを入れた袋を提げて足早にそのお料理空間を後にした。
 特に大食漢でもなければ、調理以前に食というもの自体に今ひとつ興味というか関心のない僕には、この建物の中で目を奪われたりあれこれ検討したりするような要素は何一つないのだった。

 ……こういう人間に料理を作るってのは、もしかしたら虚しい事なのか――?
 はたと辿り着いたそんな考えを一人呟きながら、かちゃかちゃという瓶の触れ合う音と共に雑貨屋への角を折れると。
「……ん?」
 店の前で、グレーティアが何やら見知らぬ一人の少年と話をしている光景が目に飛び込んできた。

「――そうなんだ、だから急いで行ってやらないと……」
 十歳かそこら。 ごく普通の町着の、でもちょっとだらけた感じのする、僕の方には背を向けたその少年から妙に切羽詰った声が聞こえて来る。
 それをとんでもなく心配そうな面持ちで聞いていたグレーティアが、近付いてくる僕に気付いてはっと顔を上げた。
「あ、エリクス! どうしましょう、この子が困ってるんですって……!」
「うん?」

 見も知らぬ人間相手に、一体何を困っているんだ。 二人に歩み寄ると僕はその少年を、とりあえず無感情に見下ろす。
 と、グレーティアの反応にふっとこちらを振り向き、突如現れた僕の冷静な視線とかち合った瞬間。 彼の目に、ごく僅かながら怯えの混じった苛立ちのような、小狡い色がよぎった。
 はぁん、そういう事か……

「マウラで彼の病気のお母さんが倒れたって知らせが入ったそうなんだけど、そこまでのチョコボ代も、お医者さんにかかるお金も足りなくて動けないって言うの。 三千ギルもあればいいみたいなんだけど――ね?」
 ほとんど自分がその境遇で焦っているようなうわずった声で、少しかがむと少年の顔を覗き込んで確認するグレーティア。 絹のような髪がさらりと落ちる。
「う、うん、そうなんだ――」

 おいおい、そんな具体的かつすぐに払いやすいぎりぎりの金額を、わざわざ初対面の人間に要求する奴がいるかってんだよ。
 グレーティアの言葉に哀しげに頷いて見せながらも、その内容を聞いてこっそりと更に冷たくなる僕の眼差しに、少年の瞳は舌打ちするような気配を隠しきれていなかった。

 ――全く、舌打ちしたいのはこっちだ。 よりにもよってそんなシャレのきかないネタを、よりにもよってグレーティアに振ってくれやがるとは。
 一体このオチを、僕にどうつけさせろって言うんだ。 考える時間をよこせ、考える時間を――

「私ったらお財布をエリクスに預けちゃったものだから、お話を聞いても何もしてあげられなくって――ねえエリクス、それぐらいだったら」
 喋り続けるグレーティアの横で。 僕のかすかに苛立つ気配が伝わったのだろうか、少年から「やる気」が引いた。 そして、すっと後ろに体重を移動するような気配を見せる。
 その動きに、迷う間を取り上げられた。 僕は決めざるを得なくなって――

「判った」
 僕はグレーティアのまくしたてる言葉をひったくるように頷くと、少年の首の後ろをぐっと掴んだ。 傍目には、肩を抱いたように見えなくもないように。
「チョコボ厩舎まで送ってこよう。 ティア、荷物もあるし、ジュースが暖まっちゃうから先に持って帰っておいてくれるかな」
 言いながら、やや有無を言わせぬ感じで、手にしたジュースの袋をグレーティアに渡す。
「え、あ、うん……」
「じゃ、行こうか」
 少し呆然として荷物を抱え、心配そうなグレーティアに背を向けて、僕は森の区への移動サービスがある階段の方へと歩き出す。 僕に襟首を取られた少年は言葉もなく、引っ張られるようについて来た。 何しろ彼の背を抱くようにした僕の手には相当な力が込められているのだから。


「――んだよ、畜生」

 階段を上り、図書館の壁に沿って下る階段に折り返すあたりで後ろを振り返って、グレーティアの姿が見えない事を確認した僕は荒っぽく少年の襟首を突き放した。 よろけつつ身を捻って向き直る少年から、案の定憎々しい表情と悪態が飛び出す。
「畜生じゃねぇんだよ。 ふざけた真似しといてデカい口叩くな」
「うるっせぇな。 こういうのはひっかかる方が甘いって、大人も言ってんだろ……っ!!」

 少年は見事に地雷を踏んだ。 その言葉が終わるか終わらないかのうちに、僕の右手がそいつの髪をがっと掴んで仰向けにひねり上げる。

 ああそうさ、「病気の親が……」なんていうちゃちい嘘にひっかかるなんざ甘いも甘い、大甘だ。
 だがその理屈を、グレーティアに適用するのだけは許さない。
 例えその事を知らなくても。 彼女が味わってきた病の苦しみの経験を逆手に取って利用するような所業など、僕の目が黒いうちは――こんなチンケなガキには勿論――神にだって、させやしない。

「お前が偉そうにさえずるのもケチくせぇ詐欺を働くのも勝手だがな、それは僕と彼女の目の届かない所でやれ。 特に彼女の顔は忘れるな。 忘れてもしまた彼女の前でインチキくさい猿芝居をしてみろ、その時は殺すぞ。 いいな」

 ひきつる少年の顔を自分の顔の位置までひきずり上げ、低い声で一気にそう囁いて僕は再度そいつを突き飛ばした。
 少年が尻餅をつく。 緩衝材ゼロのセリフにさすがに驚いたのか、彼は血の気の引いた顔でおたおたと立ち上がる。 そして白い衣装の上から冷めた目で見下ろす僕に、怯えた表情で言った。
「な――あ、あんた、白魔道士だろう? ジヒのココロとか人を助けたいとか、そういうのでその仕事してんじゃねぇのかよ――」
「……はっ」

 僕は鼻で笑った。
 ま、一般的にはその通りだろうがな。 残念ながら、僕は僕の心と力の用途を限定済みだ。

「そういうのはな、坊主」
 
 誰にでもお優しい白魔道士。 そんなものは――
 
「偏見って言うんだよ」


  *  *  *


「あ、エリクス! あの子は? もう行ったの?」

 じっと待っていられない程に気がかりだったのだろうか。
 たらたらと寄宿舎に戻ってきた所で、僕はそこから飛び出してきたグレーティアとはち合わせた。

 そこでまた、僕の口先は立派な働きをする。

「ああ、あれからすぐ連絡が入ってね。 連絡違いで、お母さんはお変わりなかったらしいよ。 チョコボ代だけならあると言ってとりあえず向かったけど」
「まぁ、そうだったの――よかった、それなら何よりだわ……」

 心底ほっとした表情で胸をなで下ろすグレーティア。 僕はその小さな頭をぽんぽんと撫で、笑顔で彼女を促して部屋に入る。
 貼り付けた笑顔の下に、どす黒い自己嫌悪を押さえ込んで。


 結局、一番甘いのは僕という訳だ。
 結局、一番狡いのは僕という訳だ。

 あの少年の所業を、即座に目の前で看破する事もできた。
 あの少年がどうとでも言い繕って逃げるに任せ、事の真相を見届けさせる事もできた。
 本当はそうしなければならないのだ。 ついこの間まで箱入り娘でまだまだ世間知らず、その優しさに世間知による最適化が施されていないないままのグレーティアのこれからを思うなら、どんなに痛くても生身の世界を、むきだしの嘘を、覆い隠すべきではないのだ。

 なのに僕は迷った。 あげくに逃げた。
 一時でも彼女が傷つくのを恐れて、ただ彼女が悲しむのを自分が見たくなくて、物語を無理矢理きれいに装飾し、都合の悪い中身は見えない所で処理した。
 少年に偉そうな口を利きながら、彼女から成長する機会を取り上げてまで自分をこそ甘やかしていた、利己的な僕。

『籠の中に閉じ込めているだけでは、あそこまでの体力と抵抗力はつかなかったじゃろうて』

 リカード先生の言葉が胸の中で暴れている。
 先生、僕の仕事は、どこまでも半端です――

「あの子、お母さんと元気に会えるといいわね」
「うん、そうだね」

 愛しいグレーティアの明るい言葉が更に胸をえぐっても、懺悔すべき神を抱かない僕に逃げ道はなかった。


to be continued
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