テノリライオン

Blanc-Bullet shot7

最終更新:

匿名ユーザー

- view
管理者のみ編集可
「152……153……154……」

 そろそろ単なる運動の域を抜ける。
 限界を超えさせて耐えられなかった筋繊維が断たれるに任せ、びりびりと張り詰める左腕が発する声に意識を集中しはじめる。

「155……156……157……」

 目の前の木の床に、額を離れた雫がぽたりぽたりと落ちる。
 右腕の200回を終えた後だから、さすがに汗が吹き出ていた。 腰の後ろに乗せていた右腕でひゅっと顔を拭ってすぐ戻す。

「158……159……ひゃくろ」

 と、眼下に向き合っていた床から、ごくごくかすかな振動が浮かび上がってきた。 遠くから、刻むように近付く動きの気配だ。
 僕はふいと左腕一本の腕立てを中止すると、素早く立ち上がってテーブルに置いておいたタオルをひったくり、それで顔を拭きながらすたすたと奥の部屋へ引っ込んだ。 ふぅーっ、と大きな息で一気に酸素を取り込んで軽く呼吸を整える。

「ただいまー」

 床の表面を薄く這っていた気配が耳でも判るほどの足音にまで成長すると、がちゃりとドアが開いて明るい声と共にグレーティアが姿を現した。 手に提げた袋から、緑や茶色の野菜が顔を出している。
 おかえり、と声をかける僕の脇をすり抜けてキッチンに向かいながら、軽装に身を包む僕のやや上気した顔を見てグレーティアは言った。
「あら、筋トレしてたの?」
「ん、ちょっとね」
 勤めて軽い口調で僕は答えて、目立つ汗を拭き終わったタオルをぽいとテーブルに放った。

 特にそう意識している訳ではないけれど、特訓をしている所とか頑張っている所とか、そういう「裏」を人に見られるのは、何となく億劫だ。
 格好悪い……とまでは思っていないけど、遭えて見せるようなものでもないだろう。 だからつい、こうして何でもないという態度で後ろに隠してしまう。
 そう、と言って特にそれ以上は突っ込まずにいてくれるグレーティアの背中を見て、僕はふっと先程目にした伝言を思い出した。 後ろから彼女に声をかける。

「そうだ、ノノから連絡が来てたよ。 注文してた弾が出来たってさ」
「あら、本当? じゃ早速取りに行かなきゃ。 いいかしら、付き合ってもらっちゃって?」
 ぱっと嬉しそうな顔になったグレーティアは、どうやらすぐに出かけるつもりのようだ。 くるくると立ち回って、テーブルの上に置いた食料品を急いでしまい始めた。

「僕が行って来ようか? ティア、戻ったばっかりだし」
「ううん、ノノに渡したいものもあるのよ。 すぐ用意するから、ちょっと待ってて」
「はいはい、ごゆっくり」
 長い髪を従えてぱたぱたとせわしなく駆け回るグレーティアを眺めながら、僕はゆっくりと白い上着を手に取った。


  *  *  *


 グレーティアの使う弾薬については、僕達には独自の入手方法がある――と言った事があるのを、覚えているだろうか。
 天性のハンターたるミスラが多く住むここウィンダスは、狩人という人種にとっては故郷のようなものである。 彼らを統べる「族長」なる存在も森の区の奥深くにひっそりとあり、そこで洗礼を受けた狩人たちがウィンダス近辺で修行を積み、そして巣立って行くと言う。
 だが――いや、そんな巣立ちの場だからこそか。 初心者などは扱わない、ある程度強力な種類の矢や弾の品揃えはやや薄く、やはりそれらは世界の中心たるジュノの競売所ででもなければ安定した供給が得られないというのが実情だ。
 そんな状況下、ウィンダスをほとんど離れない僕とグレーティアが、どのようにして満足のいく良質な弾薬を確保しているのかと言えば――

「おっ、来たねーティア! 出来てるよ出来てるよ、ご注文の6mmマグナム弾とライフル弾!」
 森の区の一画にある、小さな鍛冶工房。
 軽い挨拶と共にその中に足を踏み入れると、工房の主の底抜けに明るく甲高い声がとびはねるようにして僕達を出迎えた。 マグマそのままに真っ赤に熱された窯を放り出して駆け寄ってくるのは、作業着に身を包んだ一人のミスラだ。
「ありがとうノノ、いつも助かるわ。 はいこれお裾分けね、良かったら食べてちょうだいな」
「にゃっ! トゥーナのパイだ、うまそーっ! さっすがティア、あたいの腹具合までお見通しだねっ! わーいありがとー!」
 常にテンションが高めの彼女はグレーティアが差し出したカゴを覗き込むと歓声を上げ、かついでいたふいごを放り投げてがっしと彼女に抱きついた。
 ミスラ特有の刺青が描かれた頬を思い切りすりよせられて、グレーティアも楽しそうな満面の笑みだ。

「エリクスも? 何かお土産はっ!?」
 くるっと顔だけで振り向いて、元気いっぱいの子供のような彼女の矛先が僕に向けられた。
「え、あ。 いや、僕はえーと、特に……」
「なんだなんだ、気が利かないなっ! そーんな甲斐性のない男にあたいのティアは任せられないよ! とっとと帰ってくんなっ!」
 グレーティアとぎゅうと抱き合ったまま、彼女はそう言うと僕に向かっていーっと歯を剥いてみせる。
「うふふ、ですってよ、エリクス?」
「……今から何か、買って参りましょうか……」

 と、いう訳で。
 このやたらめったら明るいミスラの鍛冶職人が、目下グレーティアの為の弾薬製造を一手に、しかも格安で引き受けてくれている、ノノである。
 前述のように地方国家では上質な弾薬の確保に苦労する中、一体何故そんな都合の良い専属職人を僕達は捕まえられたのか。
 その顛末は、僕達がウィンダスに来て間もない頃にまで遡る。


『エリクス、あれ……?』
 ある日ある時、仕事帰りのサルタバルタ。 のんびりと歩く僕達の行く手に、何やら一抱え以上はありそうなごつごつとした黒い塊が唐突に転がっているのが目に入った。
『――何だ?』
 恐る恐る近付いてみれば、それは奇妙な鉄くずの山。 しかもその下から、にょきっと人の足が突き出していたのだ。
『エ、エリクス! 大変、人が下敷きに!』

 慌てて二人してその鉄くずの山をどけてみれば、それはウィンダスを目前に力尽きて行き倒れ、自分で背負ってきた鉄材の山にぷちっと押し潰されていたノノだった、という訳である。
 情けなくも危なかった所を助けた僕達――特にグレーティアとすっかり意気投合したノノは、その見かけと言うか人となりによらず大変に腕の立つ鍛冶職人で、銃器や弾丸などの製造にも手を出しており。
 あれこれと話をするうちにグレーティアの職業と弾薬調達の事情を知ったノノは、直接彼女の為の銃弾製造を請け負う事を申し出てくれたのだった。


「本当にこれじゃ、材料費ぐらいにしかならないのに……ノノ、大丈夫なの?」
 真新しい弾薬が詰まってずっしりと重い木箱を確認し、その支払いをしながらグレーティアが心配そうにぽつりと言った。 途端にノノの弾けるような声が返ってくる。
「まーたそんなこと言う! あたいが大丈夫って言ったら大丈夫なんだよ! てーかね、ティア相手に商売する気なんかないのっ、水臭い事言っちゃだめ!」
 そう言うとノノはぷっと頬を膨らます。 その子供のような仕草と、彼女を取り巻き手足となる太いかなとこや武骨なハンマー、ごうごうと燃え盛る窯が実にアンバランスだ。
 そんなノノのいつも通りの様子に、グレーティアは嬉しそうに笑う。
「ふふ、ありがとう。 本当、なんとか貯金が貯まって行くのもノノのお陰だわ。 いずれ家が手に入ったらもう真っ先にノノを招待しなくちゃね」
「うんにゃ、招待されなくっても押しかけるよ! もうねもうね、ティアん家の金物はぜーんぶあたいが作るんだから! んで? 貯金はもうだいぶ貯まったのっ?」
「そうねえ、八割方ってところかしら。 大きな出費がなければもうちょっとね」

 実際、本来なら一番出費がかさむポイントである銃弾をノノが安くしてくれているお陰で、僕達の資金は着々と貯まりつつあるのだった。 常に子供のようにはしゃいで手の付けられないようなノノといると、つい話があっちこっちへ飛んでいってしまって忘れがちだが、まさに頭が上がらない、足を向けて寝られないとはこの事だろうと思う。

「てーかー、資金稼ぎなんかもうエリクスにやらしちゃえばいいのにぃー。 あたいが言うのもなんだけどさ、嫁入り前のティアに傷でもついたら悲しいよー? その点エリクスだったら男の子だし、別にちょっとぐらいボコボコにされてぶさいくになってもあたいはいいと思うけどなー」

 仕掛けていた仕事を中断して一息つくつもりであろうか、楽しげにまとわりついていたグレーティアからやっと離れ、工房の中をあちこち飛び回って道具を片付けながらノノはしれっとそんな事を言う。
 ……反論はできないが、片足ぐらいは向けてもいい気になってきた。

「もう、そんな事言わないの」
 グレーティアがくすぐったそうに笑いながら、でもきっぱりと言う。
「自分の将来の事なんだから、自分でやらなきゃ嘘でしょ。 人に稼がせたお金で、なんて嫌よ、私」
「偉いっ! 偉いなーティアは! そのへんどうなのよ、エリクスとしては!?」
「……いや、どうと言われましても」

 何と返していいやら。 もごもごと口ごもる僕を尻目に、ノノは窯の火を弱くしたり鉄クズをまとめたりと忙しそうだ。 お茶の時間になる事を察したグレーティアは一足先に奥の炊事場に入って何やら準備をしている。 もう親友として一年近く親しく出入りしているだけあって、どこに何があるかもすっかり把握していて手馴れたものだ。

「あっ、そう言やエリクスの装備とかは大丈夫? ガタが来てるようなら直すよ?」
 ノノがはたと手を止めるとくるりと振り返り、何となくぼーっと突っ立っている僕を見て言った。
 そう、僕の腕や足の装備は市販のものだが、なるべく長く使えるようにとそれもノノがメンテナンスをしてくれているのだ。
「あ、うーんと――大丈夫、今の所問題ないと思う。 自分でもちょっと手入れしたしね」
「そっか、ならいいね。 何か具合が悪そうな所があったらすぐ持って来るんだよ?」

 グレーティアのサシミのツマのように散々な扱いを受けてはいるが、それも気安さの裏返し。
 その一種類しか表情を知らないんじゃないかと思うようなノノのなつっこい笑顔は、僕にもちゃんと向けられるのであった。

「ノノー、お茶は何にするー?」
 グレーティアがひょこんと奥から顔を出して訊く。
「ティアの好きなのでいいようー。 あっ、こないだヨールさんからもらった紅茶があるから、それも見てみてー」
「あらっ? また頂いたの? ねえねえちょっとノノ、やっぱり彼、そうなんじゃないの!?」
「うにー、違うってー。 もらいものが余ったからって言ってたもーん」
「もう、そんなにしょっちゅう物が余ったりなんかするもんですか、判ってるくせに! ね、そういうノノはどうなのかしら? ほら、お顔が緩んでるんじゃなくって?」

 ……コイバナ、という奴だろうか。 何やら二人の声が楽しそうにはしゃぎ始めている。
 もうこうなると僕の出番はない。 というか、僕のスキル的に参加のしようがない。 僕は本日の目的であるところの銃弾の箱に歩み寄りながら、華やかな盛り上がりを見せる炊事場に向かって声をかけた。

「ティア、僕先に荷物を宅配に入れて来るよ。 ついでにバザーとかひやかしてくるから、ゆっくりしておいで」
 よっ、と勢いをつけてずしりと重い箱を肩に担ぐ。 まあ適当に時間を潰してから戻って来よう。 女の園という名の異次元に踏み込む勇気は、ちょっと僕にはない。
「あらっエリクス、お茶は?」
 奥から僕の背を呼び止めるグレーティアの声に軽く振り返り「うん、後でもらうよ」と答え、僕はノノの工房を出た。 


  *  *  *


 宅配サービスの受付は、工房から程近い所にある。
 このまま寄宿舎の部屋まで運んでしまってもいいのだが、どうせ無料かつすぐ近くなら頼んでしまった方が楽だし、正直に言って鉛玉がぎっしり詰まった箱の重量は並ではない。
 息切れこそしないが、肩当ても何も着けていない肩に数十キロの重量は容赦なく食い込む。 かかとが地面に沈むような感覚を覚えつつ、程なく競売所の脇にある宅配サービスに辿り着いた。
 どすん、という音を立てて木箱が地面にめり込むと、受付の小さなタルタルが慌てて運搬係のガルカを呼びに走っていった。

「ふー……っと」
 一つ息をついて腰を伸ばす。 ちょっと年寄りくさかったかな、と思いながら、すぐにやってきた大きな草食獣のようなガルカに軽々と運ばれていく木箱を見送り、僕はぐるりと周囲を見回した。

 森の区の競売所は、穏やかな午後の木漏れ日の中でほどほどに賑わっていた。
 のんびりと、一部はせかせかと行き交う人の中、覗いてくると言ったバザーを出している者は思ったほどいなかった。 かと言って競売所でチェックするものも今は特にない。 僕はひょいと肩をすくめた。
「ま、適当に散歩でもしてきますか……」
 口の中でぼそぼそ呟きつつうーんと伸びをし、ぶらぶらとあてどもなく歩き出そうとすると。

 そんな僕に、声をかける人物がいた。

「エリクス君じゃないか」

 その声に僕はぴくりと動きを止める。 そして訝しげに、ゆっくりと振り返り――
 一度だけ心臓が、低く強く打った。 周囲の喧騒が遠のく。

 以前にも、こんな感じで僕を呼び止めた奴がいた。
 確かモンクの男で、以前に一度しか会った事がなくて、そいつに言われて初めて行きずりに獲物のキリンを取り合った相手である事を思い出すぐらいで。 だから僕はそいつの名前を忘れていた。 そして当然というか予想通りというか、今も彼の名前は思い出せない。 もう顔や声もおぼろで、東方の雰囲気漂う珍しい髪型、それと黄色いモンクの装束のイメージがかろうじて残っているだけ。

「……どうも」

 そしてこの男にも、僕は過去にたった一度しか会った事がない。 言葉を交わした事すらない。 そんな交流の浅い人間の顔や名前を長く覚えるのは、僕の苦手とする事の一つなのだ。

「元気にしてるかい? 君も――グレーティアも」
「ええ……レオさん、でしたね」

 なのに、僕は彼の事を記憶している。 しかも詳細にだ。
 レオ=フィーライト。 ヒューム族二十八歳、バストゥーク最大手の防具店「Brunhilde Armourer」の次期店主――つまりは御曹司。
 御曹司と言ってもその単語にまとわりつきがちなイメージにある、だらしなかったり鼻につくような性格ではなく、まさに紳士と呼ぶに相応しい、物腰柔らかく誰にでも好かれそうな男。 顔立ちは少し精悍で僕より頭一つ以上背が高く、そして商売人にしては比較的しっかりした体つきをしている。

「覚えていてくれたのか……ま、それは、お互いかな」

 僕の、抑えているつもりでも恐らくは十分に張り詰め、そしてねめつけるような視線を正面から受けても、自分の首筋に手をやりながら落ち着いた苦笑いを浮かべるだけの、この男は。

「昨日から仕事でこちらに渡ってきていてね、ついさっきひと段落した所なんだ。 別に君達を追いかけて来た訳じゃないよ。 彼女にも会ってない。 選ばれたのは君だ、警戒しなくていいんだよ」


 グレーティアの両親が望んだ――彼女の、結婚相手。


to be continued
記事メニュー
ウィキ募集バナー