テノリライオン

Blanc-Bullet shot9

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 夜のブブリム半島には、緑の月が棲んでいる。

 日没を見送った後の、砂ぼこりの中に少し潮の香りを含んだ風が通り抜けていく。 太陽の暖かさは早くも抜け落ちて、その僅かな湿気がひやりと肌に冷たい。
 ウィンダス近郊全域に見られる、細かい地層を削り出したような岩壁。 ここブブリムでは石灰質のような成分を含むのだろうか、サルタバルタやタロンギの大地に比べてその色は明らかに白っぽく、それが年月と共にこそげ落とされ降り積もったのが、この足元の白砂なのかもしれない。
 そしてこの半島のそこかしこに見られるのが、同じように白っぽい岩がひょろりと立ち上がり、その天辺に緑色の鈍い光を捧げ持つという奇妙な光景である。

 それらは例えば、気の遠くなるような年月をかけてこの地層の谷間を削り出したのであろう風の浸食や、もしかしたらあったのかもしれない水の流れ、または僕ら生き物の微細な微細な轍の積み重ね――そんなものをそもそも知りもしないかのように、実に唐突に好き勝手に野放図にすっくと立っている。
 そして、まるで重力の方向を間違えて伸びてきた鍾乳石のようなその岩の先端には、ぼんやりと深い緑色の光を放つ大小さまざまの「なにか」が、一つずつ掴まれているのだ。

 見上げる僕の視線の先で、その緑色はぼう……と光量を強め、そしてまた弱める。
 まるで思い出した時に大儀そうに息をしているような、僕達寿命の短い生物からしてみれば息苦しくなりそうな長い間隔で、その溜め息のような明滅はいつの夜も繰り返されている。
 あの光体が岩に包まれた「なにか」なのか、それとも岩の先端だけがあのように変質したものなのか、そもそも自然物なのか人工物なのか。 よく考えればそれすらも判然としない緑の小さな月が、頭上に散らばるただでさえ少ない星明かりを、その光で深い宇宙の闇へと押し戻していた。


「細い部分を狙った方がいいのよね」

 小さな岩に腰掛けて、愛用のライフルを抱きかかえるグレーティアが確認するように言った。
「首とか、背骨とか」
「そう。 痛みとかでひるまないスケルトンだからね、とにかく物理的に崩して動けなくすることが重要だと思う。 狙いづらいと思うけど、頼むよ」
「はい」

 今回の獲物は、ブブリムに出没するスケルトンである。
 このモンスターが、最近値の上がってきている装備を持っていると聞いた僕達は、ウィンダスからアウトポストへの空間移動サービスを使ってこの地にやって来ていた。
 時間は夜のとばくち。 太陽が隠れるのを待って姿を現すそのアンデッドの、主な目撃証言が示す地点にグレーティアが陣取って、その周辺を僕が定期的に回遊するように巡回している。
 拠点はアウトポストが遥か見えなくなるあたりまでマウラに向かって道を下り、少し脇道に逸れた岩場。 幸運にも比較的高く上がっている本物の月明かりがかなり視界を良くしてくれてはいるが、目撃地点からずれた所に姿を現してしまう可能性も決して低くないので、僕が時折視界の届かない周辺に足を運んでチェックしているのだ。


  *  *  *


 ――そんな巡回を、もう幾度繰り返しただろう。
 到着した時の緊迫感が少し薄れてきた事に気付きながら、僕は遥か海へと繋がる谷間の本道を後に、拠点で待つグレーティアの元へと戻った。 僕の足音を聞きつけて、彼女は岩場に座ったまま顔だけで僕を迎えて言う。
「なかなか現れないわね」
「うん――もう誰かに倒された、って事はないと思うんだけど。 日が落ちてからずっと見張ってるしなぁ」
 僕は両手を腰に当てて答えながらこきこきと首を鳴らす。 先程から多少の人通りはあるが、そのほとんどはチョコボに騎乗してマウラ、ビビキー湾、オンゾゾの迷路、シャクラミの地下迷宮などなどの、この辺境に意外と多い目的地にまっすぐ向かう冒険者がほとんどだった。 それがわざわざ、有料の足であるチョコボを降りてまで目標のスケルトンを倒していった、とも考えづらい。
 先程まで月明かりに映えていたグレーティアの白い面が少し精彩を欠いたような気がして、僕は何の気なしに訊いた。
「大丈夫? 眠くない?」
「大丈夫よ――もう、また子供扱いして。 エリクスは外に出ると、すぐそれなんだから」
 そう言って軽く僕を睨むグレーティアに、僕は苦笑を返す。 やはりある意味、肝が据わっていないのは僕の方らしい。

 準備運動をするように体をひねり、ふぅと溜息をつこうとした――その息が、途中で止まった。
 僕達のいる岩場から、谷間の本道に出るあたり。 ブブリムの大地の石灰質を集めて禍々しい細工をしたような、一般のそれよりも殊更に白く大きい、骸骨の姿。
 それが緑色の薄明かりに浮かんでいるのが、ようやく僕の目に飛び込んできたのだ。 手には大きな鎌が握られている。 目撃証言のままだ。
「――ティア。 来た」
 僕は短く言って、腰の片手棍を抜いて盾を握りなおした。 グレーティアもその声にぴくりと立ち上がると、既に弾を装填して抱えていたライフルを、ゆっくりと発砲体勢に準備する。
「いつでもどうぞ」
 低いグレーティアの声に、僕は一つ頷いて足を踏み出した。 始めはゆっくり。 そして徐々に体重を前に乗せつつ、薄い闇夜に浮かぶ敵に向かってまっすぐ駆け出す。

 相手はアンデッドだ。 ならば神聖魔法がよく効くだろう。 僕の棍という武器も、原始的な打撃に弱いスケルトンの体にはうってつけのはずだ。 どうとでもなる――そんな確信があった。
 僕の足音に、スケルトンの首が、ぎし、とこちらを向いた。 その白い頭蓋の中、明らかに不自然な闇を宿した二つの穴が僕を捉える。

「――っ!」
 不愉快極まりない奇声を上げながら、身を翻して僕に突進してくるスケルトン。 鎌が大きく振り上げられる。 ただ殺意と力の限り振り下ろす事しか頭にないような粗雑な刃の穂先が、走る勢いも乗せて真上から降って来た。
 さすがにリーチが長い。 僕は左腕の盾を頭上に振り上げてずしんと重い打撃を防ぐと、その盾の下をくぐるようにして体を滑らせ距離を詰める。
 そして上げた盾の左腕とクロスさせるように引いていた右手の棍を、相手の胴体に思い切り叩き込んだ。 腹の底に響くような打撃音の向こうで、みしっ、と骨のきしむ嫌な音が聞こえる。 スケルトンが後ろに数歩よろけた。

 僕の片手棍の中には、グリップから先端にかけて……まあ、つまりはほぼ全体的にぎっしりと、比重の高い金属塊が埋め込んである。 故にその打撃の重さは、普通の戦士の持つハンマーほどには匹敵するのだ。
 勿論表面は硬質な木材で出来た棍棒――あのミスラの侍には見事に看破されたが――なので、知らない者が無邪気にひょいとでも持ち上げようものなら、脳からの視覚情報に騙された肩の骨が悲鳴を上げることになるだろう。
 戒律に則って相手の出血は誘わないまま、打撃力だけは限界まで上げる。 白魔道士という職業上の都合により刃や鉄の香りのする得物を持てない僕の、ささやかと言うにはいささかデリカシーに欠けた「上げ底」である。

 僕はすかさず大地を蹴り、よろけて後ずさるスケルトンの懐を追った。 間合いを置いては長い鎌の射程に入ってしまう。
 そこで回復魔法を唱える。 勿論自分にではなく、敵にだ。
 人骨の形をした腕が僕を襲うより前に、僕の呪文は完成した。 清冽な白い光がぽわりと目の前に浮かび、穢れた白い骸骨をぎゅっと包む。 とたんに気の触れたような不気味な悲鳴が上がり、僕達には癒しを与える温もりが一転、その禍々しい骨をじゅうっと溶かしていく。

 恐ろしい清らかさに一瞬ひるんで立ちすくむスケルトン。 今が好機だ。
 僕はすっと体を横にずらし、肩越しに背後をちらと見やる。 常に照準を合わせて機会を伺うグレーティアが、間違いなく同じ呼吸を掴んでぴたりとスケルトンに狙いをつけ――

「――待、っ!」

 振り向いた僕の口から、咄嗟に鋭い声が弾けた。 グレーティアのほぼ真横、少し離れた所にふわふわと浮かぶ、あれは……!
 迂闊だった。 やはり緊張感が維持できていなかった。 月に照らされていたグレーティアの白い顔が翳ったのは気のせいでも何でもない、夜空に雲がかかったからだ。
 曇りの気候に呼ばれて生まれる起爆剤の塊、ふらふら漂う真っ赤な火球――ボム!
 
 僕の制止の声は、発砲とほぼ同時だった。 間に合わなかった――それどころか、グレーティアが僕の声にぴくりと応じてしまい、彼女の覗くスコープがスケルトンの頚骨に張り付けていた見えない照準クロスヘアーが僅かにぶれた。
 見事に射抜くはずだったスケルトンの頸骨はばきんと破片を散らしたものの胴体と離れるには至らず、最悪の「大ダメージ」で止まってしまう。
 直後、僕の声に弾かれ真横に向けられたグレーティアの視線の先で、燃える鬼火がぶるっと脈打つ。 彼女が撃ったライフルの、火薬の匂いに反応したのだ。 かくかくと不規則で変則的な軌道を描き、真っ赤な火球がグレーティアめがけて襲い掛かる。
「くっ!」
 舌打ちするような呻きと共に、グレーティアは腰のデリンジャーを抜き放った。 ライフルの次弾を装填する余裕はないし、ふらふらと動く的を狙うなら小振りな銃の方がやりやすい、そう判断しての行動だろう。

 僕が振り向いてからそこまで見届ける、その間一秒強。 が、その一瞬は、接近戦闘というシチュエーションにおいては出血大サービスもいいところだった。
 背後に振り向けていた首を慌てて戻した僕のこめかみに、がつんと鋭い一撃が入る。
 それは鎌の一撃ではなく、ただ闇雲に振り回しただけのスケルトンの肘撃ちだった。 思わず後退しそうになる足を踏み止まらせる僕を更に突き飛ばしたかと思うと、骸骨は自分の首を削ったグレーティアを新たな敵と認識して駆け出した。
「てめぇ……っ!」
 僕が呻いて踵を返したその瞬間、ぱぁんと銃声が響いた。 グレーティアが、自分に迫るボムに向けて発砲したのだ。
 ジグザクと不規則で意地の悪い軌道をものともしない。 その鬼火のほぼ中心を、デリンジャーから放たれた弾丸がびしっと射抜いた――が。
 銃撃の勢いで一瞬押し戻されるように動きを止めたものの、その火球にぽっかりと開けられた穴は見る間にボム自身の炎で埋められるようにして消えてしまった。 グレーティアが驚愕に目を見張る。 火薬を介して放たれるものに、親和性でもあるのか……!
「ティア! 退いて!」
 スケルトンの背を追いながら僕は叫んだ。 が、その時には更に狂ったように空中を跳ね回るボムが、彼女の目の前まで――!
「このっ!」
 無駄と判っていても、彼女にそれ以外の攻撃手段はない。 グレーティアが小さく叫んで再度手の中の銃を構える。
 そしてもはや狙いをつけるなどという動作も必要ないほどに肉迫し、真っ直ぐ突き出した彼女の手に噛み付こうとしている鬼火の、まさに口中に弾丸を叩き込んだ、その瞬間。
 聞きなれたデリンジャーの銃声とは違う、どん、と低い音が響いて、グレーティアの手元、ボムの口の中でばしんと大きな光が閃いた。 同時に僕の目の前で、弾けるように左右に吹き飛ばされる二者。
「――ぐぅっ!」
 その光景に――その一拍の後に上がった、くぐもった悲鳴は――僕のものだった。

 やや上方を向いていたデリンジャーの射線の先で、冷たい緑の月が静かに輝いていたのだ。
 撃たれた弾丸は至近距離からボムを弾き飛ばし貫くと、そのままその光球を直撃し――が、不可思議な緑の月に、デリンジャーの銃弾はかすり傷一つ負わせることができず。
 丸みのあるその表面でびぃんと高い音を立て火花を散らすと鋭い跳弾となり、スケルトンの後を追っていた僕の脇腹めがけて食い込んだのだ。

「――――っ!」
 全く予期していなかった衝撃に腹部をえぐられ、激痛に耐える構えも取れていなかった僕の視界が一瞬ぐらりとブレる。 が、その目の端に、炸裂した光の衝撃で背後の岩壁に叩き付けられ、そのままずるずるとくずおれるグレーティアの姿が映った。
 気を失ったのか、彼女の体から一切の動きが消えている。 しかしボムはまだ地に落ちていない。 スケルトンも彼女に向かっている。 被弾の痛みとは違う熱が、僕の中でかっと爆ぜた。
(させるか――!!)
 が、既にグレーティアにかなりのダメージを与えられたあの二体の注意を、一瞬で同時に引く手段など咄嗟に思いつかなかった。 確実にそれをもぎ取れる確証のないまま詠唱の為に足を止めることもできなかった。 とにかく、彼女の前に立たなければ……!
 暴れ回る激痛を思い切り歯を食い縛って押さえ込み、衝撃に一瞬止まっていた足を再度駆って死に物狂いで駆け出す。

 ――その瞬間。 悪魔のような幸運が発動した。

 僕の存在を眼中からすっかり追い出し、一直線にグレーティアに向かっていたスケルトンの足が、不意にぴたりと止まったかと思うと――その首からじゃり、と嫌な音を立てて、白い頭がこちらを振り向いたのだ。 不気味な二つの目に、飢えた獣が瀕死の小動物を目の前にしたような危険な気配が宿っている。
 凍りつくような視線に、突き上げる脇腹の痛みが重なった。 その痛みがそのまま閃きとなる。
「――そうだ! 来い!!」
 僕は突進する足を緩めず、更にばっと両腕を広げると、弾丸を抱えたままの腹から声を振り絞った。 途端に臓腑を絞られるような激痛が脊髄を貫く。 脇腹から勢いよく血が溢れ、腰までを湿らせ始めるのを感じる。 が、今はその苦痛こそが、慈悲深き神の施しだった。
 僕の傷口が、僕の失血が、あいつを引き寄せる!

 地獄で狂喜するようなけたたましい声と共にスケルトンが全身を翻し、手にした大鎌をふりかざして真っ直ぐ僕に向かってきた。
 いよいよ疼く脇腹の痛みを、気力ひとつで捻じ伏せる。 互いに駆け寄って見る間に詰まる距離の中、相手の粗雑な鎌の動きを睨みながら僕は片手棍をぐんと引いた。
 唸りを上げて、全く予想通り斜めに振り下ろされる大きな刃。 それを咄嗟に身を屈めてやりすごす。 一瞬で大鎌が頭上を通過し、その跡地に相手の上半身が見事に晒された。
「――らぁっ!!」
 僕は声と力を振り絞り、グレーティアによって半壊に追い込まれたスケルトンの首めがけ思い切り片手棍を振り上げた。
 ぼきん、と乾いた音が響く。 少し軌道の逸れた僕の棍は相手の顎に叩き込まれる形になったが、それでも皮一枚――いや、骨一片で繋がっていたスケルトンの首を刎ね飛ばすには十分だった。
 鋼鉄のハンマー並みの打撃に白い破片をまき散らし、大きな頭蓋骨が宙を舞う。 それがどっと音を立てて地に落ちるのも、残された胴体がゆっくりとくずおれるのも、僕は見ていなかった。

 第一の敵を打ち棄てるように勢いのまま駆け抜け、第二の敵――グレーティアの銃撃に弾き飛ばされた先からぎくしゃくと、あるのかも判らない体勢を立て直して再度獲物に食らいつこうとする、真っ赤なボムへと突進する。 その火の玉と彼女の間に、すんでの所で僕は転がるように割り込んだ。
「こ、のぉっ――」
 ボムに近い方、左手の盾を鬼火の真正面に叩き付ける。 空に浮かぶ火球からどっと熱気が逆巻き、炎の飛沫が砕けるように四方に飛び散った。
「――落ちろぉっ!!」
 叫んで棍を逆手に持ち変え、両手で握って高々と振り上げる。 そして眼下で牙をむく火の玉にまっすぐと、全力と全体重を乗せてずどんと突き下ろした。
 灼熱の火の玉は棍の先端と地面の間で思い切りひしゃげたかと思うと、一拍の間を置いて風船のようにぼんっと破裂した。 力む脇腹から弾けて全身を貫く激痛に、僕は食い縛った歯の間から声にならない呻きを上げる。
 顔と言わず腕と言わず、断末魔の凄まじい熱気が叩き付け――そして紅蓮の火の玉はひゅぅと、跡形もなく消え去った。


  *  *  *


「ぐ、うぅ……」
 安堵の吐息もろくに吐けず、ボムを突き潰した片手棍をそのまま杖にして、僕はずるずると膝を折った。
 痛みと熱風で噴き出した汗が滴る。 興奮という麻薬が切れてびりびりと暴れ出す傷口をぐっと左手で押さえ、僕は急いで体の向きを変えると背後のグレーティアの上にかがみ込んだ。 くたりと地に這う顔に手を当て、息を確認する。
「…………よし」
 大丈夫、気を失っているだけのようだ。 肺だけを使うようにして回復呪文の為の息を吸いながら、ざっと彼女の全身に目を走らせると――ああ、右手が。 ひどい火傷だ。
 痛々しい光景に思わず眉をしかめる。 と、そんな僕の耳に、さっきまで散々鼓膜にまとわりついていた、忌わしく穢らわしく耳障りな聞きたくもない音が、またも聞こえて来た。

 かしゃ、かしゃ、かしゃ……

「――――」
 僕はグレーティアの傍らにへたり込んだまま、顔を歪ませてその方向に向き直る。
 ――雑魚だ。 ちゃちな木の棒をぶら下げた、今の僕から見ればそれはもう細いこよりで出来たような、十把一からげの雑魚いスケルトン。
 そいつが生意気にも僕とグレーティアの存在を嗅ぎ付けて、跳ねるような足取りでこちらに向かってくる。

「うる、っせんだよ……!」
 もう立ち上がるのも億劫だ。 僕は一言吐き捨てるように呻くと、グレーティアのホルスターから黒いリボルバーを引き出し右手だけでじゃきんと構える。 火急の事態だ、神様は目を瞑っていてくれ。
 もはや全ての遠慮をかなぐり捨てて、その銃口がまばゆい火を噴いた。

 首。
 右肩。
 左肩。
 脊椎。
 右足。
 左足。

 ああ、鈍っていないものだな――。

 弾倉の数だけ引き金を引き、スケルトンの――いや、人骨という構造物の急所を順に一つずつ撃ち砕きながら、僕はどこかうっとりとそんなことを思っていた。

 なんとなく気が向いた時にこっそりと、ノノから適当な銃を借りては練習という程もなく転がしてはいたが。
 案外鈍っていないものだ。 まさに三つ子の魂百まで――奇妙に可笑しくほろ苦い。 いや、やっぱり血という奴なんだろうか。 別に楽しくもなかったし、そんなに熱心に教わった記憶もないのにな……。
 がらがらと崩壊し白い木炭の山のようになり果てた雑魚の姿を見届けて、僕は今度こそ肩を下ろし、吐き出すような息をついた――


  *  *  *


 いつのまにか晴れた夜空が戻っていた。 素知らぬ顔でまた覗く明るい月が、僕とグレーティアを柔らかく照らす。
 リボルバーをホルスターに戻しながら、意識を戻すための回復呪文を紡ぐ。 その淡い光が彼女に染み込み目を開くまでのタイムラグで、今度は自分に向け急いでもう一度同じ呪文を唱えた。 脇腹の銃創がみるみる癒え、押し出された弾丸がぽとりと足元に落ちる。
「…………う」
 軽くグレーティアの眉根が寄り、小さな声が漏れる。 もう一度急いで、次は彼女の右手に向け回復呪文を施す。 真白い輝きの中、赤く焼けてしまった小さな右手がすぅっと本来の色を取り戻した。
「った…………あ、エリクス……」
 その右手をかばうように引き寄せながら、グレーティアは軽くしかめた目を開いた。 目の前に座る僕を認めて名を呼んだ時にはその辛そうな表情はふぅっと薄れていたが――ああ、少し間に合わなかったか。 火傷の痛みの残滓が、戻ったばかりの意識にひっかかってしまったらしい。

「あ――スケルトン――ボムは!? 私……やだ、何も――」
 慌てたようにグレーティアは身を起こす。 途端にぐっと顔を歪ませたところを見ると――まだちょっと、頭が揺れているだろうか。
「大丈夫、ちゃんと倒せたよ。 スケルトンもボムも銃でかなりダメージが行っていたから、最後の仕上げだけした。 問題ないよ」
 そう方便という訳でもない。 特にスケルトンは頚骨への狙撃がかなり正確だったからこそ、棍の一撃だけで沈めることができたのだから。
「そんな――でも、ボムは……ごめんなさい、私ったら全然気付かなくて――もっと周りに注意を払うべきだったわ――」
「無茶を言っちゃいけないよ。 狙いをつけている時に、そうそうよそ見ができるわけないだろう? 不慮の事故ってやつさ、気にしないこと」
「でも……、っ! エリクス、お腹! こんなに血が! 大丈夫!?」
 ふっと視線を落としたグレーティアが、止血する為に傷口を押さえてべったりと赤く染まった僕の左手と服に気付き、大声を上げた。 息を呑んで僕の胴に手を当てる。
「ああ、スケルトンにちょっと食らわされただけさ。 すぐ塞いだ、大丈夫だよ」

 実際もう痛みもほとんど薄らいで、いつまでも止めそこねていた血が白い服に大袈裟に広がっているだけだ。 僕は傷の真相を知られないように、また万全であることをアピールするために、よっと勢い良く立ち上がった。 さり気なくグレーティアに背を向け、傷口を押さえて赤く染まっていた左手を服でぐいと拭いながらきょろきょろと周囲を見回す。 実際気になる事がある――というか、いやな予感がするのだ。
 二撃目でボムと彼女を吹っ飛ばした、あの炸裂。 あれはもしや――

「……ああ、やっぱり」
「え――あっ」
 僕は少し離れた所に落ちていたデリンジャーを見つけて拾い上げると、嘆息と共にグレーティアの所へ戻った。 それを見て、彼女も声を上げる。
「ボムの炎で引火――というか、誘爆したのかな――全部の弾丸が、一気に弾けたんだね」
 僕の手の中のデリンジャーは、それは無残な有様を見せていた。 弾倉が全て焼け付き、撃鉄が深く食い込んでいる。 撃針が逝ってしまっているのかもしれない。 煤けたDの刻印が物哀しかった。

「いやだ――嫌だ、何てこと……」
 僕の手からデリンジャーを引き取ったグレーティアの顔と声は、もう今にも泣き出しそうだった。 ぺたんと座り込んだまま俯いて、親父から貰ったその大事な銃を包むように両手に載せて――それはまるで、飼っていた小鳥が死んでしまったのを嘆き悲しんでいるような、どうしようもなく胸を締め付けられる姿だった。

「とりあえず、ノノの所に相談に行こうか。 修理できるかもしれないしね」
「うん……」
 かがみ込んでそう声をかけるも、グレーティアの声はいよいよ切なげに沈んでいる。 今にも消え入りそうな彼女のたたずまいに、僕はいてもたってもいられなくなり――はっと思いついて、くるりと踵を返すと谷間の本道の方に向かって駆け出した。
 月明かりを頼りに、今はもう跡形もないスケルトンを打ち倒したあたりをぐるりと見回し――あった。

「ティア! あったよ、スケイリングトルク! 20万は確実だ、収穫ありだよ、ほら!」
 僕はそう言いながら、あのスケルトンが落としていった暗褐色のトルクを振りかざし、笑顔で彼女の元に駆け戻る。
「あ……まあ、本当。 よかった――」
 そんな僕を見たグレーティアが、つられてぽろりと笑った。 でもやっぱり、その笑顔はまだどこか弱々しくて――

「――さっ、戻ろうか。 立てる?」
 トルクをしまった背負い袋をかつぎ、努めて明るい声を出しながら、僕はグレーティアの手を取った。
「ええ、大丈夫――っと」
 大丈夫ではなさそうだった。 まだ岩に叩きつけられた揺さぶりが残っているのか、どうにか立ち上がったその足元がふらっとよろける。
 しおれて哀しそうなその表情と、戦い疲れて覚束ない足取り。 僕は突然、強烈に灼けつく焦燥のようなものを覚え――ひょいと、グレーティアを抱き上げた。
「え――ちょっと、大丈夫、大丈夫よ、歩けるから」
「いいから」
 戸惑ったようなグレーティアを優しくいなし、僕はすたすたと歩き出す。
「ね、そんな――私なら平気だから……このくらいで、頼ってなんかいられないわ」
「まあまあ。 たまにはね、僕が頼られたいのさ。 アウトポストまでは、運ばせてくれ」

 そうでないと――こうしていないと、最大限に働いていないと、声が聞こえてくるんだよ。
 星の大樹の下で、僕に条件つきの及第点をよこした、あの男の問う声が――


  *  *  *


 白い砂が月明かりに映える地面に、僕と僕に抱えられるグレーティアの影がくっきりと映っている。 歩きながらふと見上げれば、ひときわ大きな緑の発光体が、ぼう、と息をした所だった。
 あの部分が、少なくとも銃弾の歯が立たないほどには堅いものだというのは判ったな――などと、思っていると。
「エリクス……」
 降ろしてと言っても聞く耳を持たない僕に諦めて身を預け、僕の首に腕を回したグレーティアが、俯いてぽつりと小さな声を上げた。
「ん?」
「その、お腹の傷――跳弾、でしょう? 服が裂けてなくて――穴が、開いてたもの……それに、こんなに血が染みて……すぐに塞いだなんて、嘘――」

 僕はちょっと苦笑いをする。 やれやれ、鋭い観察眼も時には困りものだ。
「大丈夫。 それこそ不慮の事故だよ。 全く大事には至らなかったんだから、よしとしなきゃ」
「ごめんね――ごめんなさい」
 消え入りそうなグレーティアのか細い声が、いよいよ沈んでいく。 うーん、どう言ったものか。 思案する僕がよいしょと彼女を抱きなおすと、首に回された細い腕の力がぎゅっと強くなった。

「――ま、ほら。 たまには僕も、痛い思いをしないとね。 いい女は男を甘やかすばかりでなく、図に乗らないようたまには鞭をくれてやるものだと、物の本にも書いてあった。 うん、なかなかいい肘鉄だったよ。 最近楽ばかりしてたし、いやあばっちり目が覚めたな」
「ちょっと――なあにそれ、まるで私がエリクスを尻に敷いてるみたいじゃないの」
 グレーティアが伏せがちだった顔を上げて、くすっと笑った。 よし、成功だ。 ようやくこぼれたその笑顔を引っ張り出すように、僕も笑って言う。
「そうそう、これでちょっとはノノにも威張れるかな。 僕も体を張って頑張ってるぞ、って」
「ふふ、そうねえ……って、駄目よそんな、今回痛い思いをさせたのは私だもの! いやだわ、恥ずかしいからノノには黙ってて?」
「おやおや、それは残念」
 困ったようなグレーティアの表情に、僕はふっと――今度は本物の、笑顔を返した。


 ゆるゆるとうねって続く道の向こうに、アウトポストの窓から漏れる明かりが見えてきた。
 その人肌を思わせる灯火の暖かさに、何だかふと、「家」に帰っているような心持ちになる。

 グレーティアは「家」を欲しがっているけれど。 「形」を欲しがっているけれど。
 本当はそんなものなんかなくっても、こうして一緒にいて、同じ所へ向けて帰る相手がいる――それだけで十分に、人間ってのは根っこを張れて、幸せになれる生き物なんじゃないのかな――

 まあ多分。 いやきっと。
 それとこれとはまた話が別で、男は大抵がふらふらと無責任な浮き草のようで、僕は女心ってやつをちっとも判っていなくって。
 そして結局、グレーティアの笑顔ひとつで子犬のように単純に喜んでしまう僕は、それが一番沢山見られる方に向かってバカみたいにひたすら突き進んで行くんだろうな――と、腕の中の重みに甘い心地よさを感じながら、星空の下をわざとのんびり歩く僕は思うのだった。


to be continued
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