テノリライオン
Blanc-Bullet shot11
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匿名ユーザー
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「君! おい君、どうした! 大丈夫か!!」
頭上から、怒鳴りつけるような声が降ってくる。 うるさい。
「モンスターに追われたんだな? しっかりしろ、立てるか?」
オークを振り切って巨大な城門をくぐり、石畳に滑り込むように倒れ伏した僕。 どうにか――着いた。
荒い息を繰り返して休憩を取っている僕の腕を、誰かが掴んで引き起こそうとしていた。
「――平、気です」
吐き捨てるように僕は言い、掴まれていた左腕を邪険に振り払う。 勢いでごろんと仰向けになり、大の字になって更に空気を貪る。
と、薄く開いた目の端に、僕に構っていた男のぎょっとした顔が飛び込んできた。 僕の可愛げのない様子に――じゃ、ないな。 彼の怯えたような視線の先は、僕の右手を捉えている。
そりゃそうだろう。 何しろそこには、十四歳の少年である僕には明らかに不似合いな重量級のマグナムが、暴れたばかりであることを表す微かな硝煙と熱をまとって握られているのだから。
「お――君、それ……え? どういう……」
困惑しきって一歩退いたような男の声が、行き場を失っている。
無理もない。 僕の明らかに貧弱ないでたちや、こんな街の近くでモンスターに追われて満身創痍という事実と――その子供が同時に、バルクルム砂丘近辺をうろつく雑魚ぐらいまでなら一撃で吹き飛ばす、おそろしく高い威力を誇る銃をぶっ放しているという事実は、どう考えても相容れない。
言うなればウサギの口に、ライオンの牙がついているようなものだ。
男と僕の様子にぱらぱらと野次馬が集まってきたのだろうか、複数の囁き声が僕を遠巻きにしはじめた。
僕はまだ鎮まりきらない息をぐっと飲み込むと、ひやりと冷たく気持ちのよかった石畳から体を引き剥がす。 まだ体は泥のように重いが、色々構われるのは面倒臭い。 額の汗を拭い、どうにか立ち上がりながらマグナムを腰の裾に隠れたホルスターに収め、僕は横でまだぽかんと口を開けている男を見下ろして訊いた。
「……大聖堂は、どっちですか」
* * *
――何と言うか、無駄に縦に長い空間だな。
気を抜けば座り込んでしまいそうに疲弊した体を引きずりながら。
北サンドリア、ドラギーユ城の隣に門を構える大聖堂を外から眺め、ゆっくりと足を踏み入れての、それが僕の最初の感想だった。
しん、と静かな空気。 上の方ほど暗くなる高い高い天井と、それを支える冷たい石柱の列。 だだっ広い廊下なのかと思うような奥行きの深いその部屋の、最奥にぽうと浮かぶのは――あれは、何の絵だろう。 彫刻かな。 象牙色の、後光のように広がる筋と……何かを包む、翼?
「どうされましたか?」
と、そんな目の前の光景にしばし目を奪われ立ち尽くしていた僕に、不意に穏やかな声が掛けられた。
ふっと振り返れば、この聖堂に仕える人だろうか。 頭はすっぽりとしたフードから、足はくるぶし近くまで垂れる裾――それはいかにも肌を晒すのが罪悪であるかのような、黒と青の長いローブに身を包んだ背の高い男性が、僕に向かって微笑みかけていた。
「……白魔道士になりたいんですが。 資格とか手続きとかあれば、教えて下さい」
「おお、それはそれは」
およそ憤りとか我欲というものから程遠そうな、無心で優しいけれど――それだけに少し嘘臭い、そんな笑顔をフードの奥から覗かせながら、その男性はゆっくりと頷いた。
「あなたにその志がおありなら、それがすなわち資格なのですよ。 慈悲深きアルタナの教えを守ること、常に感謝すること。 そして日々のたゆまぬ修練を誓いさえすれば、我々はいつでもあなたをお迎えします」
「じゃ、誓います」
自分の言葉が終わるなりあっさりと言い放つ僕の無表情な言葉に、その男性の物静かな微笑みが一瞬動きを止めたような気がした。
「……判りました。 それではこちらへおいでなさい――ああ、よく見ればあなた、ずいぶんと傷だらけではないですか」
そう言うと彼は、やはりローブの袖口にそのほとんどが隠れた手をすっと僕にかざし、口の中で何事かを呟いた。 すると彼の手からふわりと白い光が舞い降りて、薄汚れた僕の体を優しく包んでいく。
「――――」
あちこちで疼いていた体の痛みが、嘘のように楽になる。 立っているのも面倒だった足はふっと軽くなり、疲労に押し込められていた食欲がちらりと顔を覗かせた。 僕は思わず目を閉じる。
――そう、これだ。 これが、できるようになりたい。 そうすればあの子も、もっと安心して外に出られる。 一緒にいられる――
促す男性の穏やかな声に閉じていた目を開くと、彼について僕は大聖堂の奥にある一室へとまっすぐに足を進めた。
* * *
淡く焚かれた香の匂い。 壁を埋める本と本棚。 照明に主に燭台を使っているせいかやや薄暗いその部屋に通された僕は、司教と告げられた人と対面していた。 よくは判らないが、今は扉の側にまで下がって控えているさっきの男性よりも、少し偉い人、なのだろう。
「ようこそ、いらっしゃいました」
やはり長いローブを身にまとう、初老の人物だ。 厳か、というのがぴったりな、しかし非常に丁寧な口調で彼は僕を迎えた。
「白魔道士の道を選ばれて、ここにいらしたそうですね」
「はい」
品の良い髭をたくわえ、穏やかな眼差しで問う司教。
志さえすれば――と言われはしたが、これはやはり面接のようなものなのだろうか。 だとしたら、パスしなければならない。 僕は司教の瞳を見返して、はっきりと頷く。 彼は続ける。
「白魔道士とは即ち、哀しくも起こってしまった戦いに傷つき疲れし戦士を、一時アルタナの女神に代わって癒し支える役目を担う者です。 自らは他者の血を流してはなりません、何人たりとも憎んではなりません。 癒す心を、赦す心を、常にその心に抱き、そして身を捧げる――それが、白魔道士に示される道、アルタナの教えです」
経文のような言葉が、司教の口から水のように流れて僕の前に並べられる。
僕は黙って、冷静にその内容を吟味していた。 うん、僕の目指す行動は概ね、そのコンセプトから大きく外れることはないようだ。 なら問題ないだろう。
「――あなたは、その道を歩む事を、自身の生きる術と定める意志がおありかな?」
「はい」
あの力を自分のものにする為に、ここでイエスと言わない道理はない。 僕は再度頷く。
と。 司教はそこでふと言葉を止め、僕の顔をじっ、と見つめた。 どこか観察するような、穏やかなのに身動きすることすら許さないような、厚みのある視線だ。
僕は負けじと、その目を見返す。 はい、しか言っていないのに、何か異存があるというのか。
「――もし、よろしければ。 何故白魔道士を目指されようと思ったのか、お聞かせ願えますかな」
声と同じに、柔らかい笑顔だ。 何でも包み込んでしまいそうな、しかし同時に何でも見透かしてしまいそうな――おせっかいな、微笑み。 僕は努めて冷静に答える。
「……体の弱い、友達がいるんです。 その子の、助けになれればと」
「ほう――」
司教の声が、深みを取り戻した。 僕は僅かだけ視線を落として彼の次の言葉を待つ。
「あなたのその慈愛と奉仕の精神はとても美しく、尊いものです。 何物にも代え難い、人の世に平穏をもたらすための、心」
また経文が始まった、と内心で溜息をつく。 ――が、続いた彼の言葉は、反意語だった。
「しかし、お聞きなさい。 アルタナの教えには、『ある一人の者を慈しめ』という言葉はありません。 あなたが白魔道士として立派に勤めを果たすならば、あなたはその友だけでなく、あらゆる人を、命を、慈しまなければならないのです」
僕は伏せていた目を、少し細める。 面倒な風向きになってきた。
「――これは、具体的な話になってしまいますが」
司教の声が、唐突に少し軽くなった。 僕はふっと顔を上げる。
燭台の明かりの中、彼の顔が僕に微笑んでいた。 と、相変わらず優しげな中に、僅かに――先ほどまでは微塵も見られなかった、少々いたずらっぽい何かが浮かんでいるのが見て取れて、僕は少なからず驚く。
その笑顔に、バストゥークにいたあの陽気なお医者さん――リカード先生の面影が、何故か重なった。
「これからあなたが白魔道士になって、修練の為の冒険に乗り出すとしましょう。 すると、遠くに足を伸ばすにつれ、あなた一人では先に進めなくなります。 それはあなたに限らず、誰でもそうなのですが」
司教は言葉を続ける。 教師のような口調。
「その時あなた達は、互いに助け合います。 力を合わせ強大な敵に立ち向かう事で、己を磨いていくことでしょう。 そこであなたに求められるのは――あなたの成すべき事は。 仲間みんなを、分け隔てなく、癒す事です」
依然として説教臭くはあるが、それでいてどこか……まるで見て来たかのような、何かを懐かしむような、妙に実際的な口振り。
――どうやら、ただの坊さん、という訳ではなかったようだ。
「つまり、経典を抱く抱かないに関わらず。 ここで洗礼を受けて世に出れば、あなたはこの先そうする事になるだろう、という事ですね」
ふぅん――なるほど。 そういう事なら、何とかなりそうだ。
「とてもよく判りました」
僕は――ここに来て恐らく初めて、素直に頷いて言った。
「やれると思います」
「結構ですね」
司教はにっこりと笑って言う。 そして、その笑顔のまま続けた。
「ではまずは、その拳銃を手放す事から始めましょうか。 それは血を流します。 自らの意志で身に着けていてはなりません」
――腰の後ろ、しかも上着に隠れて、そう膨らんでいるという訳でもないのに……。
思わず目を剥いた僕に、油断のならない司教は変わらずにこやかな笑みを向け続けるのだった。
* * *
そして、三年の月日が流れる。
マグナムはその日のうちに売り払って、日銭の足しにした。 これからは違う戦い方を学ぶのだから、必要のない物をとっておいても仕方ない。
その安易な力に頼ったり、甘えたりする気持ちを断つ意味もあった。
始めはサンドリア近辺から。 かつて来た道を遡るように徐々に行動範囲を広げながら、様々なモンスターを相手取り、実践の中で呪文の練習に没頭する。 と同時に、身体能力も鍛えた。
他の白魔道士と比べれば比較的長い時間――そう、それがほぼ不可能になるぎりぎりまで、僕は一人での鍛錬を続けた。
これは数回他の冒険者と組んでみて判ったことだが、「癒し手」として集団に組み込まれると、当然の事ながら僕の役目は「回復」に集中させられることになるのだ。
それもそれで必要な事ではある――いや、白魔道士である以上、それこそが役割の全て、と言っても過言ではないのだが。
僕は、それだけに留まる訳にはいかなかった。 むしろそれ以上に、「腕」をこそ鍛えなければならなかったのだ。
その為には、自分が前線に立つしかない。 つまり、一人でやるのが一番いい。 かなりの時間、僕は単身モンスターとの物理的格闘に明け暮れた。
それはさぞかし不可解な光景だったろう。 誰と組むでもなく、白魔道士が傷つきながらも一人で黙々と敵を打ち伏せ続けているのだから。
そして、その三年間の最後の一年。 僕は仕上げの意味を込めて、ジュノに渡った。
一人では難しい高度な呪文の習得や、強力な敵や遠い土地についての知識を得るために、人と組んで各地を渡る事に専念する期間を設けようと思ったのだ。
世界の中心と謳われるジュノ大公国。 噂に違わぬ人の多さとその賑わいに始めは驚き、いささか疎ましく感じもしたが、すぐに慣れた。
白魔道士の需要はそこそこにあった。 求められるまま僕は多くの冒険者と組み、いくつもの戦いを経験する。
「いやー、肝が据わってるよなぁ」
ある時、たまたま組んだ戦士の一人が、僕を評してそう言った。
「さっき、危うく全滅しかけた時さ。 エリクスお前、自分の所に敵がガーっと来ても、全然動じなかっただろ。 普通の白魔道士だとああいう時、ビビっちまって右往左往する奴が多いんだけどなあ――いや感心したぜ、おかげで立て直しが楽だった」
周囲で聞いていた仲間達も、うんうんと頷いている。 僕は特に――と言うか、どこを誇っていいのか判らず、曖昧な答えを返す。
「そうかな」
「そうだって。 ほんと愛嬌のねぇやつだなぁ、ここは謙遜するポイントじゃないぞ?」
それまでずっと、白魔道士という不利な条件下、単身斬った張ったの生活を続けてきた僕にとって。
かなりのコツや力加減の違いがあったものの、それさえ掴んでしまえば、集団での戦闘は気楽と言っていいものがほとんどだった。
そんな僕に、彼のようにいい評価をくれて、更に連絡先などを訊いてくる者もいたが、面倒に思った僕はどれも適当にあしらっていた。
そんなある日の事。
* * *
「お疲れ様!」
「お疲れ」
いつものように即席で組まれた面子での狩りを終え、僕は移動呪文でジュノ下層に帰還した。
たまたまその中にもう一人いたタルタルの白魔道士の彼女も、同じ下層に移動してきていた。 軽く別れの挨拶を交わし、競売所でも覗くかと歩き出そうとした、その時。
「あら……大変!」
彼女の素っ頓狂な声が、僕の足を止めた。 何事かと振り返ってみると。
寄宿舎の出口近辺の空間に、力尽き倒れた冒険者達が後から後から湧いて出てきていたのだった。 ああ、遠い異世界で敗れて、時空を送り返されてきた一団だな。 ここではよくある光景だ。
「あ……え、ちょっと、エリクスさん?」
改めて歩き出そうとした僕を、タルタルの彼女がまた呼び止めた。
「うん?」
「え――うん、って……あの」
見れば彼女は、その集団に駆け寄ろうとしているようだ。
「あの人達……その、放っとく訳には」
「――ああ、僕は遠慮しとくよ」
「え?」
驚き戸惑ったような声を上げる彼女。 やれやれ。
「それは別に、僕の仕事じゃないだろ。 狩りは終わった、そいつらは仲間ではない、蘇生させても利益はない。 以上。 それじゃ」
「え……あの、ちょっと」
その後に続く彼女の声は、競売所に向かう階段を降り始めた僕の耳には届かなかった。
かすかに「アルタナの……」という言葉だけが、転がるように追いすがって来ていたような気がしたが、ただそれだけの話だった。
人混みを泳ぐようにすり抜け、競売所で精神力増強の食事や道具類などを補充する。
狩りでモンスターから得られる戦利品を売りさばく以外に金策という奴をほとんどしていないので、僕の懐は割と常時かつかつだ。
更に僕はどうにも運というものがないらしく、戦利品の分配でいつも貧乏クジを引いているのもその一因。
「……ま、このくらいでいいか」
一人呟きながらカウンターに背を向け、寄宿舎への道を引き返す。 ごったがえす人波に、カウンターを離れるのも一苦労だ。
「――……」
と。
そんな喧騒の隙間をくぐり抜けて、僕の耳は一つの小さな音を拾い上げた。
ついとその方向を伺う。 ここからでは見えないが……競売所の上に向かう階段の、影だろうか。
「こほ……こほ」
その音の主、階段の中ほどで咳込みながら壁にもたれていたのは、十才にも満たなそうな小さな女の子。
あれこれ考える前に、僕は足早にそこに駆け寄っていた。 途中で数人の屈強そうな冒険者と肩がぶつかる。 僕に罵声を浴びせる者はいても、その少女に目を向ける者はいなかった。
「どうしたの?」
僕が声をかけると、その子は赤い顔を上げて僕を見た。
「あ――あの、頭、いたくて……ごほ、お、お母さん……お母さんの、とこに……領事館、で……」
僕はその子の額にそっと手をあてた。 やはり熱がある。 風邪かな。
「うん、わかった」
言って僕は、軽い回復呪文を唱えた。 咳込んでいた彼女の息が、少し穏やかになる。
「じゃ、お母さんは僕が呼んで来てあげるから。 とりあえずお医者さんに行こうか。 いい?」
僕がその頭に軽く手を置くと、彼女は小さく頷いた。 短いけれど、つるりとした手触りの薄い茶色の髪。 嫌が応でも思い出す――
僕はその子をひょいと抱っこして、そのまま上層にある病院へと向かった。 軽く咳込む彼女の小さな背中を、ぽんぽんとさすりながら。
少女を医者に預け、彼女と彼女の母親の名前を聞いてから領事館を回る。
ウィンダス領事館にいた母親に事の次第を伝え、そこを後にした僕は、抜けるように真っ青な空をぴんと指す、どこか都会的な鋭く黒いオブジェを見上げながらぽつりと呟いた。
「……そろそろ、帰ってもいいかなぁ…………」
* * *
それから、一ヶ月後。
白地に赤を基調とした衣装に身を包み、バストゥークに戻った僕は。
何故かその家の玄関ではなく、裏庭の生垣の前に立っていた。
何となく――ここに、いるような気がしたのだ。
初めて会ったのもここだった。 三年前、別れたのもここだった。
なら、僕らに必要な時に出会う為には、きっと――
がさ、と植え込みの境目を抜ける。
色々と見られる些細な変化の中で、最も違ったのは。 もう彼女は、窓の中に閉じ込められてはいなかった事だった。
その庭の片隅で花の手入れをしていた、長い紅茶色の髪が流れるように振り返る。
「――ただいま」
笑顔でそう言った、僕の腕に。
三年間の月日の全てを注ぎ込んだ存在は、真っ直ぐに飛び込んできてくれた――
* * *
「わあ! エリクス、吊り橋! すごい、これを渡るの!?」
飛び上がるようなグレーティアの声に、僕ははっと我に帰った。
言いながら彼女はもうその橋に駆け寄っている。 すっかり子供のようにはしゃいで、橋を吊るロープにとりついて眼下の河を見下ろしていた。
僕は苦笑いしながら、そんなグレーティアにゆっくりと歩み寄る。
「きれい……流れがずいぶん速そうだわ。 ねえ、この先が海?」
ルフェーゼ野を流れる、苔のようなエメラルドのような濃い緑色を湛えた河を指差して、その流れを写すようにきらきらと輝くグレーティアの瞳が僕を見る。
「そう、もうちょっと先がすぐ海だね。 ほら、危ないから乗り出さないで」
言って僕はグレーティアの手を取る。 まだ河に踊る飛沫を楽しそうに見つめながらも、僕に引かれて彼女も長い吊り橋を歩き出す。
絶えることなく彼女に微笑みかけ続ける、奇跡のように晴れ上がった空を僕は見上げた。
これ以上、欲しいものなんか何もないな――と、思いながら。
to be continued
頭上から、怒鳴りつけるような声が降ってくる。 うるさい。
「モンスターに追われたんだな? しっかりしろ、立てるか?」
オークを振り切って巨大な城門をくぐり、石畳に滑り込むように倒れ伏した僕。 どうにか――着いた。
荒い息を繰り返して休憩を取っている僕の腕を、誰かが掴んで引き起こそうとしていた。
「――平、気です」
吐き捨てるように僕は言い、掴まれていた左腕を邪険に振り払う。 勢いでごろんと仰向けになり、大の字になって更に空気を貪る。
と、薄く開いた目の端に、僕に構っていた男のぎょっとした顔が飛び込んできた。 僕の可愛げのない様子に――じゃ、ないな。 彼の怯えたような視線の先は、僕の右手を捉えている。
そりゃそうだろう。 何しろそこには、十四歳の少年である僕には明らかに不似合いな重量級のマグナムが、暴れたばかりであることを表す微かな硝煙と熱をまとって握られているのだから。
「お――君、それ……え? どういう……」
困惑しきって一歩退いたような男の声が、行き場を失っている。
無理もない。 僕の明らかに貧弱ないでたちや、こんな街の近くでモンスターに追われて満身創痍という事実と――その子供が同時に、バルクルム砂丘近辺をうろつく雑魚ぐらいまでなら一撃で吹き飛ばす、おそろしく高い威力を誇る銃をぶっ放しているという事実は、どう考えても相容れない。
言うなればウサギの口に、ライオンの牙がついているようなものだ。
男と僕の様子にぱらぱらと野次馬が集まってきたのだろうか、複数の囁き声が僕を遠巻きにしはじめた。
僕はまだ鎮まりきらない息をぐっと飲み込むと、ひやりと冷たく気持ちのよかった石畳から体を引き剥がす。 まだ体は泥のように重いが、色々構われるのは面倒臭い。 額の汗を拭い、どうにか立ち上がりながらマグナムを腰の裾に隠れたホルスターに収め、僕は横でまだぽかんと口を開けている男を見下ろして訊いた。
「……大聖堂は、どっちですか」
* * *
――何と言うか、無駄に縦に長い空間だな。
気を抜けば座り込んでしまいそうに疲弊した体を引きずりながら。
北サンドリア、ドラギーユ城の隣に門を構える大聖堂を外から眺め、ゆっくりと足を踏み入れての、それが僕の最初の感想だった。
しん、と静かな空気。 上の方ほど暗くなる高い高い天井と、それを支える冷たい石柱の列。 だだっ広い廊下なのかと思うような奥行きの深いその部屋の、最奥にぽうと浮かぶのは――あれは、何の絵だろう。 彫刻かな。 象牙色の、後光のように広がる筋と……何かを包む、翼?
「どうされましたか?」
と、そんな目の前の光景にしばし目を奪われ立ち尽くしていた僕に、不意に穏やかな声が掛けられた。
ふっと振り返れば、この聖堂に仕える人だろうか。 頭はすっぽりとしたフードから、足はくるぶし近くまで垂れる裾――それはいかにも肌を晒すのが罪悪であるかのような、黒と青の長いローブに身を包んだ背の高い男性が、僕に向かって微笑みかけていた。
「……白魔道士になりたいんですが。 資格とか手続きとかあれば、教えて下さい」
「おお、それはそれは」
およそ憤りとか我欲というものから程遠そうな、無心で優しいけれど――それだけに少し嘘臭い、そんな笑顔をフードの奥から覗かせながら、その男性はゆっくりと頷いた。
「あなたにその志がおありなら、それがすなわち資格なのですよ。 慈悲深きアルタナの教えを守ること、常に感謝すること。 そして日々のたゆまぬ修練を誓いさえすれば、我々はいつでもあなたをお迎えします」
「じゃ、誓います」
自分の言葉が終わるなりあっさりと言い放つ僕の無表情な言葉に、その男性の物静かな微笑みが一瞬動きを止めたような気がした。
「……判りました。 それではこちらへおいでなさい――ああ、よく見ればあなた、ずいぶんと傷だらけではないですか」
そう言うと彼は、やはりローブの袖口にそのほとんどが隠れた手をすっと僕にかざし、口の中で何事かを呟いた。 すると彼の手からふわりと白い光が舞い降りて、薄汚れた僕の体を優しく包んでいく。
「――――」
あちこちで疼いていた体の痛みが、嘘のように楽になる。 立っているのも面倒だった足はふっと軽くなり、疲労に押し込められていた食欲がちらりと顔を覗かせた。 僕は思わず目を閉じる。
――そう、これだ。 これが、できるようになりたい。 そうすればあの子も、もっと安心して外に出られる。 一緒にいられる――
促す男性の穏やかな声に閉じていた目を開くと、彼について僕は大聖堂の奥にある一室へとまっすぐに足を進めた。
* * *
淡く焚かれた香の匂い。 壁を埋める本と本棚。 照明に主に燭台を使っているせいかやや薄暗いその部屋に通された僕は、司教と告げられた人と対面していた。 よくは判らないが、今は扉の側にまで下がって控えているさっきの男性よりも、少し偉い人、なのだろう。
「ようこそ、いらっしゃいました」
やはり長いローブを身にまとう、初老の人物だ。 厳か、というのがぴったりな、しかし非常に丁寧な口調で彼は僕を迎えた。
「白魔道士の道を選ばれて、ここにいらしたそうですね」
「はい」
品の良い髭をたくわえ、穏やかな眼差しで問う司教。
志さえすれば――と言われはしたが、これはやはり面接のようなものなのだろうか。 だとしたら、パスしなければならない。 僕は司教の瞳を見返して、はっきりと頷く。 彼は続ける。
「白魔道士とは即ち、哀しくも起こってしまった戦いに傷つき疲れし戦士を、一時アルタナの女神に代わって癒し支える役目を担う者です。 自らは他者の血を流してはなりません、何人たりとも憎んではなりません。 癒す心を、赦す心を、常にその心に抱き、そして身を捧げる――それが、白魔道士に示される道、アルタナの教えです」
経文のような言葉が、司教の口から水のように流れて僕の前に並べられる。
僕は黙って、冷静にその内容を吟味していた。 うん、僕の目指す行動は概ね、そのコンセプトから大きく外れることはないようだ。 なら問題ないだろう。
「――あなたは、その道を歩む事を、自身の生きる術と定める意志がおありかな?」
「はい」
あの力を自分のものにする為に、ここでイエスと言わない道理はない。 僕は再度頷く。
と。 司教はそこでふと言葉を止め、僕の顔をじっ、と見つめた。 どこか観察するような、穏やかなのに身動きすることすら許さないような、厚みのある視線だ。
僕は負けじと、その目を見返す。 はい、しか言っていないのに、何か異存があるというのか。
「――もし、よろしければ。 何故白魔道士を目指されようと思ったのか、お聞かせ願えますかな」
声と同じに、柔らかい笑顔だ。 何でも包み込んでしまいそうな、しかし同時に何でも見透かしてしまいそうな――おせっかいな、微笑み。 僕は努めて冷静に答える。
「……体の弱い、友達がいるんです。 その子の、助けになれればと」
「ほう――」
司教の声が、深みを取り戻した。 僕は僅かだけ視線を落として彼の次の言葉を待つ。
「あなたのその慈愛と奉仕の精神はとても美しく、尊いものです。 何物にも代え難い、人の世に平穏をもたらすための、心」
また経文が始まった、と内心で溜息をつく。 ――が、続いた彼の言葉は、反意語だった。
「しかし、お聞きなさい。 アルタナの教えには、『ある一人の者を慈しめ』という言葉はありません。 あなたが白魔道士として立派に勤めを果たすならば、あなたはその友だけでなく、あらゆる人を、命を、慈しまなければならないのです」
僕は伏せていた目を、少し細める。 面倒な風向きになってきた。
「――これは、具体的な話になってしまいますが」
司教の声が、唐突に少し軽くなった。 僕はふっと顔を上げる。
燭台の明かりの中、彼の顔が僕に微笑んでいた。 と、相変わらず優しげな中に、僅かに――先ほどまでは微塵も見られなかった、少々いたずらっぽい何かが浮かんでいるのが見て取れて、僕は少なからず驚く。
その笑顔に、バストゥークにいたあの陽気なお医者さん――リカード先生の面影が、何故か重なった。
「これからあなたが白魔道士になって、修練の為の冒険に乗り出すとしましょう。 すると、遠くに足を伸ばすにつれ、あなた一人では先に進めなくなります。 それはあなたに限らず、誰でもそうなのですが」
司教は言葉を続ける。 教師のような口調。
「その時あなた達は、互いに助け合います。 力を合わせ強大な敵に立ち向かう事で、己を磨いていくことでしょう。 そこであなたに求められるのは――あなたの成すべき事は。 仲間みんなを、分け隔てなく、癒す事です」
依然として説教臭くはあるが、それでいてどこか……まるで見て来たかのような、何かを懐かしむような、妙に実際的な口振り。
――どうやら、ただの坊さん、という訳ではなかったようだ。
「つまり、経典を抱く抱かないに関わらず。 ここで洗礼を受けて世に出れば、あなたはこの先そうする事になるだろう、という事ですね」
ふぅん――なるほど。 そういう事なら、何とかなりそうだ。
「とてもよく判りました」
僕は――ここに来て恐らく初めて、素直に頷いて言った。
「やれると思います」
「結構ですね」
司教はにっこりと笑って言う。 そして、その笑顔のまま続けた。
「ではまずは、その拳銃を手放す事から始めましょうか。 それは血を流します。 自らの意志で身に着けていてはなりません」
――腰の後ろ、しかも上着に隠れて、そう膨らんでいるという訳でもないのに……。
思わず目を剥いた僕に、油断のならない司教は変わらずにこやかな笑みを向け続けるのだった。
* * *
そして、三年の月日が流れる。
マグナムはその日のうちに売り払って、日銭の足しにした。 これからは違う戦い方を学ぶのだから、必要のない物をとっておいても仕方ない。
その安易な力に頼ったり、甘えたりする気持ちを断つ意味もあった。
始めはサンドリア近辺から。 かつて来た道を遡るように徐々に行動範囲を広げながら、様々なモンスターを相手取り、実践の中で呪文の練習に没頭する。 と同時に、身体能力も鍛えた。
他の白魔道士と比べれば比較的長い時間――そう、それがほぼ不可能になるぎりぎりまで、僕は一人での鍛錬を続けた。
これは数回他の冒険者と組んでみて判ったことだが、「癒し手」として集団に組み込まれると、当然の事ながら僕の役目は「回復」に集中させられることになるのだ。
それもそれで必要な事ではある――いや、白魔道士である以上、それこそが役割の全て、と言っても過言ではないのだが。
僕は、それだけに留まる訳にはいかなかった。 むしろそれ以上に、「腕」をこそ鍛えなければならなかったのだ。
その為には、自分が前線に立つしかない。 つまり、一人でやるのが一番いい。 かなりの時間、僕は単身モンスターとの物理的格闘に明け暮れた。
それはさぞかし不可解な光景だったろう。 誰と組むでもなく、白魔道士が傷つきながらも一人で黙々と敵を打ち伏せ続けているのだから。
そして、その三年間の最後の一年。 僕は仕上げの意味を込めて、ジュノに渡った。
一人では難しい高度な呪文の習得や、強力な敵や遠い土地についての知識を得るために、人と組んで各地を渡る事に専念する期間を設けようと思ったのだ。
世界の中心と謳われるジュノ大公国。 噂に違わぬ人の多さとその賑わいに始めは驚き、いささか疎ましく感じもしたが、すぐに慣れた。
白魔道士の需要はそこそこにあった。 求められるまま僕は多くの冒険者と組み、いくつもの戦いを経験する。
「いやー、肝が据わってるよなぁ」
ある時、たまたま組んだ戦士の一人が、僕を評してそう言った。
「さっき、危うく全滅しかけた時さ。 エリクスお前、自分の所に敵がガーっと来ても、全然動じなかっただろ。 普通の白魔道士だとああいう時、ビビっちまって右往左往する奴が多いんだけどなあ――いや感心したぜ、おかげで立て直しが楽だった」
周囲で聞いていた仲間達も、うんうんと頷いている。 僕は特に――と言うか、どこを誇っていいのか判らず、曖昧な答えを返す。
「そうかな」
「そうだって。 ほんと愛嬌のねぇやつだなぁ、ここは謙遜するポイントじゃないぞ?」
それまでずっと、白魔道士という不利な条件下、単身斬った張ったの生活を続けてきた僕にとって。
かなりのコツや力加減の違いがあったものの、それさえ掴んでしまえば、集団での戦闘は気楽と言っていいものがほとんどだった。
そんな僕に、彼のようにいい評価をくれて、更に連絡先などを訊いてくる者もいたが、面倒に思った僕はどれも適当にあしらっていた。
そんなある日の事。
* * *
「お疲れ様!」
「お疲れ」
いつものように即席で組まれた面子での狩りを終え、僕は移動呪文でジュノ下層に帰還した。
たまたまその中にもう一人いたタルタルの白魔道士の彼女も、同じ下層に移動してきていた。 軽く別れの挨拶を交わし、競売所でも覗くかと歩き出そうとした、その時。
「あら……大変!」
彼女の素っ頓狂な声が、僕の足を止めた。 何事かと振り返ってみると。
寄宿舎の出口近辺の空間に、力尽き倒れた冒険者達が後から後から湧いて出てきていたのだった。 ああ、遠い異世界で敗れて、時空を送り返されてきた一団だな。 ここではよくある光景だ。
「あ……え、ちょっと、エリクスさん?」
改めて歩き出そうとした僕を、タルタルの彼女がまた呼び止めた。
「うん?」
「え――うん、って……あの」
見れば彼女は、その集団に駆け寄ろうとしているようだ。
「あの人達……その、放っとく訳には」
「――ああ、僕は遠慮しとくよ」
「え?」
驚き戸惑ったような声を上げる彼女。 やれやれ。
「それは別に、僕の仕事じゃないだろ。 狩りは終わった、そいつらは仲間ではない、蘇生させても利益はない。 以上。 それじゃ」
「え……あの、ちょっと」
その後に続く彼女の声は、競売所に向かう階段を降り始めた僕の耳には届かなかった。
かすかに「アルタナの……」という言葉だけが、転がるように追いすがって来ていたような気がしたが、ただそれだけの話だった。
人混みを泳ぐようにすり抜け、競売所で精神力増強の食事や道具類などを補充する。
狩りでモンスターから得られる戦利品を売りさばく以外に金策という奴をほとんどしていないので、僕の懐は割と常時かつかつだ。
更に僕はどうにも運というものがないらしく、戦利品の分配でいつも貧乏クジを引いているのもその一因。
「……ま、このくらいでいいか」
一人呟きながらカウンターに背を向け、寄宿舎への道を引き返す。 ごったがえす人波に、カウンターを離れるのも一苦労だ。
「――……」
と。
そんな喧騒の隙間をくぐり抜けて、僕の耳は一つの小さな音を拾い上げた。
ついとその方向を伺う。 ここからでは見えないが……競売所の上に向かう階段の、影だろうか。
「こほ……こほ」
その音の主、階段の中ほどで咳込みながら壁にもたれていたのは、十才にも満たなそうな小さな女の子。
あれこれ考える前に、僕は足早にそこに駆け寄っていた。 途中で数人の屈強そうな冒険者と肩がぶつかる。 僕に罵声を浴びせる者はいても、その少女に目を向ける者はいなかった。
「どうしたの?」
僕が声をかけると、その子は赤い顔を上げて僕を見た。
「あ――あの、頭、いたくて……ごほ、お、お母さん……お母さんの、とこに……領事館、で……」
僕はその子の額にそっと手をあてた。 やはり熱がある。 風邪かな。
「うん、わかった」
言って僕は、軽い回復呪文を唱えた。 咳込んでいた彼女の息が、少し穏やかになる。
「じゃ、お母さんは僕が呼んで来てあげるから。 とりあえずお医者さんに行こうか。 いい?」
僕がその頭に軽く手を置くと、彼女は小さく頷いた。 短いけれど、つるりとした手触りの薄い茶色の髪。 嫌が応でも思い出す――
僕はその子をひょいと抱っこして、そのまま上層にある病院へと向かった。 軽く咳込む彼女の小さな背中を、ぽんぽんとさすりながら。
少女を医者に預け、彼女と彼女の母親の名前を聞いてから領事館を回る。
ウィンダス領事館にいた母親に事の次第を伝え、そこを後にした僕は、抜けるように真っ青な空をぴんと指す、どこか都会的な鋭く黒いオブジェを見上げながらぽつりと呟いた。
「……そろそろ、帰ってもいいかなぁ…………」
* * *
それから、一ヶ月後。
白地に赤を基調とした衣装に身を包み、バストゥークに戻った僕は。
何故かその家の玄関ではなく、裏庭の生垣の前に立っていた。
何となく――ここに、いるような気がしたのだ。
初めて会ったのもここだった。 三年前、別れたのもここだった。
なら、僕らに必要な時に出会う為には、きっと――
がさ、と植え込みの境目を抜ける。
色々と見られる些細な変化の中で、最も違ったのは。 もう彼女は、窓の中に閉じ込められてはいなかった事だった。
その庭の片隅で花の手入れをしていた、長い紅茶色の髪が流れるように振り返る。
「――ただいま」
笑顔でそう言った、僕の腕に。
三年間の月日の全てを注ぎ込んだ存在は、真っ直ぐに飛び込んできてくれた――
* * *
「わあ! エリクス、吊り橋! すごい、これを渡るの!?」
飛び上がるようなグレーティアの声に、僕ははっと我に帰った。
言いながら彼女はもうその橋に駆け寄っている。 すっかり子供のようにはしゃいで、橋を吊るロープにとりついて眼下の河を見下ろしていた。
僕は苦笑いしながら、そんなグレーティアにゆっくりと歩み寄る。
「きれい……流れがずいぶん速そうだわ。 ねえ、この先が海?」
ルフェーゼ野を流れる、苔のようなエメラルドのような濃い緑色を湛えた河を指差して、その流れを写すようにきらきらと輝くグレーティアの瞳が僕を見る。
「そう、もうちょっと先がすぐ海だね。 ほら、危ないから乗り出さないで」
言って僕はグレーティアの手を取る。 まだ河に踊る飛沫を楽しそうに見つめながらも、僕に引かれて彼女も長い吊り橋を歩き出す。
絶えることなく彼女に微笑みかけ続ける、奇跡のように晴れ上がった空を僕は見上げた。
これ以上、欲しいものなんか何もないな――と、思いながら。
to be continued