テノリライオン

Blanc-Bullet shot12

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匿名ユーザー

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 まばらに木々の生い茂る森の下を縦横無尽に走る、一つの蟻の巣。 そのど真ん中に垂直に杭を突き立てて、引っこ抜く。
 その跡地をそのまま人間スケールにしたのがここ、タブナジア地下壕の基本構造と思ってもらえば、概ね間違いないだろう。

 ルフェーゼ野の片隅にぽっかりと開く洞窟に入ると、奥に進むにつれて増える明かりの数と共に、徐々に人間の活動の気配が濃くなっていく。
 長く穿たれた通路を区切る、質素ながらも頑丈そうな門をいくつか抜ける。 すると急に目の前が明るく開け、先程の杭の跡に相当する巨大な縦穴に行き当たる。
 縦穴の壁伝いには、僕らの辿り着いた所とその上、計二本の回廊、下には更に地下通路。 回廊からはいくつもの大きな横穴が巣穴のごとく壁の中へと伸びてこの地下を巡る。
 そして今僕達の目の前には、外からの来客を迎え誘うように、縦穴の空中を横切り回廊の向こう岸へと渡される細い吊り橋がまっすぐに伸びていた。
 その突き当たりに祀られるのは、眩しい象牙色のアルタナの祭壇だ。 その高い壁画を挟むようにして、吊り橋から遥か見上げる縦穴の壁に掲げられるのは、長く紅い軍旗。 染め抜かれたタブナジアの紋章が鮮やかに目を射る。
 岩に囲まれた灰色一色の風景の中で映える、町人の心の拠り所を表す象牙色、そして紅色。 頭上にぽっかりと丸く開ける青い空と、それを縁取る木々の緑が、縦穴に満ちるさわやかな外界の空気を浴びて鮮やかな色彩を放っていた。

 少し神妙に、でも好奇の色を隠せずにきょろきょろとあたりを見回すグレーティアを連れて、僕は横道の一つをゆるやかに下る。
 たまに通り過ぎる人々は誰もが控えめで、黙々と僕達の横を通り過ぎていくばかりだ。 グレーティアのまとう朗らかなオーラが浮いて見えるような、精彩を欠いた空気がにじむ。

 耐える事が、待つ事が、生活となってしまった人達なのだ。
 長い時間を経て抱く思いは様々で、その表れ方も様々で。 でも一人としての例外なく、いつか帰る故国に焦がれている――
 そんな殊勝な事に思いを馳せる間もなく、僕はここを飛び出してしまったけれど。 大戦の攻防に追われ落ち延び、外界から身を隠しながらも僅かな希望を抱き締める人々がひっそりと息づく、ここタブナジア地下壕は。
 もしかしたら、バストゥークでの悲劇に打ちひしがれていた親父にとって、とても安らげる場所だったのかもしれない――


  *  *  *


「おじさまっ!!」

 横穴にずらりと並ぶ居住区。 僕はその一画にある扉をノックしつつ勝手に開け、ただいま、と一声かけて上がり口に入った。
 ばたばたばた、という足音が聞こえてくる。 僕の声を聞きつけて慌てたように奥の部屋から飛び出してきたのは、四年前とちっとも変わらない煤や削り屑にまみれたままの、元気そうな親父の姿だった。
 突然の来訪者に目をまるく見開く親父の首っ玉に、駆け寄るグレーティアが子供のような歓喜の声を上げて飛びつく。

「おお――エリクス! ティアちゃんか! どうしたんだい、いきなり――!」
 この上ない驚きにの表情に目を白黒させながら、親父は僕と彼女をかわるがわるに見る。
「うん、久し振り」
「おじさま、おじさま、嬉しい! お元気でしたっ!?」
 自分の腕の中で飛び跳ねるグレーティアが、はちきれんばかりの声と笑顔で見上げる。 それを見た親父の顔がようやく止まり、そしてみるみるととろけるようにほころんだ。

「おお、おお、元気だったとも。 いやあ、ちょっと見ない間にまた一段と美人になったなあ、ティアちゃん」
「まあ! そう言うおじさまだって、一段と渋味がかって素敵になられたわ!」
「はっはっは、嬉しい事を言ってくれるね。 ずいぶんと髪も伸びたじゃないか――おやおや、切ったばかりと見える。 綺麗だねえ」
「何っ!?」
「あらっ、さすがおじさま! よくお判りね!」

 賑やかに再会を喜び合う二人に歩み寄っていた僕は、何気ない親父の一言に思わず驚愕の声を上げてしまった。
 何て事だ、あっさりと看破しやがった。 これが細工職人の観察力ってやつなのか、それともただ単に僕が飛び抜けて鈍いだけなのか?

 嬉しそうにはしゃぎながらも、ようやく親父から体を離すグレーティア。 少し渋い面をしている僕に、親父は屈託のない笑顔を向けて言った。
「久し振りだな、エリクス。 元気にしてたか」
「うん、まあ」

 彼女と違って特に愛想のような言葉も見つからない僕は、どうも言葉少なになりがちだ。
 親父相手に、特にあれこれ言う事もないし――と、思う。

「まあ、とにかく座れ。 よく来てくれたなぁ――ああ、相変わらず散らかしてるから、座る所もろくに……」
 確かに、相変わらず部屋の中は工具や道具類でごちゃごちゃだ。 バストゥークにいた頃と違って工房が生活空間を兼ねているから、尚更居場所がない。 しかも、僕が出て行って一人暮らしになったことで、その傾向に拍車がかかったようだった。
 おたおたと辺りを片付け始める親父を、母親のような笑顔のグレーティアがすぐに手伝い始めた。


  *  *  *


 蔦模様のDが刻印されたデリンジャーを、ごとりとテーブルの上に置く。
 ここに来て初めて、グレーティアの表情が翳った。 親父がその無残に焼け付いた銃を手に取る。

「これは――どうした、火でも浴びたか」
「至近距離からボムに発砲した。 弾倉の弾に一気に引火したんだと思う。 ウィンダスの鍛冶職人にも相談したけど、やっぱり親父に見せた方がいいだろうって事で」
「おじさま、ごめんなさい――せっかく頂いたのに、粗末に扱ってしまって……」
 本当に申し訳なさそうに頭を下げるグレーティアに、親父が言った。
「何を言うんだ。 そんな事より、怪我はなかったかい?」
「ええ、大丈夫です。 少し火傷しましたけど、エリクスが治してくれたし。 ちゃんと守ってくれましたから」
「そうか、よしよし」
 向けられる親父のにこやかな視線を、僕の視線は勝手に避ける。

 デリンジャーを出す前に、グレーティアがどうにか探し出して淹れたお茶を囲みながら、この地を去ってからなしのつぶてだった僕とグレーティアの近況ってやつを報告した時も、僕はどうにも居心地が悪くて仕方なかった。
 まあ、要は駆け落ちまがいにバストゥークを出てきただの、貯金がそろそろ800万ギルに届きそうだのという話題や、それを実に嬉しそうに親父に話すグレーティアの姿が果てしなく照れくさい訳で――何と言うか、出来ればそういう話は僕のいない所でやってほしいと、無茶と判っていても思わずにはいられない。

「…………うん、これなら何とかなるだろう。 今ある材料とパーツで換装できると思う。 ティアちゃん、少し時間をくれるかな」
 しばらくデリンジャーをいじり回していた親父が、そう言うとグレーティアににっこりと笑いかけた。
「勿論! ああよかった、ありがとう、おじさま!」
 親父のその言葉を聞いて、それまでじっと不安げに親父の手元を見ていたグレーティアが、胸に手を当てて心底ほっとしたような声で言った、その時。
 不意に僕の背後から、親父の名を呼ぶ声が聞こえた。
 親父の他には誰もいないと思っていた僕とグレーティアは驚いて、その方向――部屋の入り口を振り向く。

「……失礼します」

 ――年の頃は、僕と同じぐらいだろうか。
 ばらりと短く切った金色の髪。 背の丈はグレーティアと並ぶぐらい。 比較的細い体に、これといった特徴のない顔立ちと表情。
 質素な作業着を着て手に工具を下げたヒュームの青年が、その声と共に僕達のいる部屋に姿を現した。

「ああ、イヴァン」
 と、彼の姿を認めた親父はつと立ち上がると、その青年を手招きし呼び寄せ、僕達に言った。
「この間から私を手伝ってくれている、イヴァンだ。 お前達より一つ下――だったかな、十七歳か。 イヴァン、これが息子のエリクス。 こっちがエリクスの幼馴染の、グレーティアちゃんだ」
「どうも。 イヴァン=ハーキュリーです」

 その青年――イヴァンは、そう名乗るとぺこりと頭を下げた。 僕とグレーティアもそれぞれに応える。
「お手伝い、ってことは――お弟子入りなのかしら? あなたも銃工に?」
 グレーティアが微笑んで彼に尋ねる。 と、イヴァンは薄く笑って言った。
「え、いえ……弟子って程では。 ほんの初歩を勉強させてもらっている所で」

 どこか謙遜するような、控え目な笑顔だ。 薄い――何だろう、全体的に……薄い、印象。
 印象が薄い、のではなく。 良くも悪くも、主張してくるものが、あまりない。 大人しい性格――なのだろうか。

「まあ、私も大忙しという訳でもないから、そう頼める事もないんだがな。 それでも助かっているよ。 この散らかり放題の仕事場も、少しずつ片付けてくれているからなあ」
「あら、それは重要だわ」
 親父の言葉に、グレーティアがころころと笑う。 イヴァンは何も言わずはにかんだような笑みを浮かべると、軽く会釈をして下ろしていた荷物を持ちなおし、部屋の奥へと運んで行った。
 工具の揺れるかちゃかちゃという音が遠ざかるのを、椅子に座りなおす僕は何となしに見送った。


  *  *  *


「ね、エリクス。 私、町の中を見物してきていいかしら」

 デリンジャーの修理は明日から本格的に取り組もう、という事になって。 ふとグレーティアは椅子から立ち上がるとそう言った。

「ん? そうだね、じゃ、行こうか」
「あ、ううん。 一人で大丈夫よ、帰って来られない程広いって訳じゃないでしょう? それに」
 彼女の言葉を受けて立ち上がりかける僕を制し、グレーティアは言う。
「おじさまと、積もる話もあるはずだわ。 ね、おじさま、私、今日のお夕飯作ります。 その材料も見繕って来るから、ゆっくりしてて。 ね?」
「や、でも――」

 積もる話。 あるんだろうか――いや、そもそもそんな妙な気を利かされるのはくすぐったい。 親父相手に、要らぬ緊張を強いられてしまいそうだ。
 それにそう広くはないとは言っても、地に掘られたタブナジアの道は上下に入り組んでいる所も少なからずあるので、迷子になる可能性は十分にある――と、言おうとした時。

「じゃあ俺が、案内しましょうか」
 僕が口を開く前に、隣の部屋にいたイヴァンが不意に顔を出してそう言った。 それを聞いた親父が頷く。
「ああ、そうだな。 イヴァン、頼んでいいかい」
「はい」
 軽い笑顔で承諾するイヴァン。 グレーティアが彼に、ありがとう、と声をかける。
 席を立ち腰のポーチを確かめた彼女は、言いかけて半端に口を開いたままの僕ににっこりと頷いてから、軽やかな足取りで彼について玄関へと続く隣の部屋に姿を消してしまった。

 そうしてあれよあれよという間に、イヴァンとグレーティアの二人が何事か交わす会話の断片は遠ざかり、扉の閉まるばたんという音の向こうに消えていった。
 すると途端に、それまで部屋を満たしていた華やかな空気までもがあっけなく蒸発してしまい。 しん……と塞がるような静かな空気が、僕の周囲を埋める。

「…………何だい、あいつは」
 あまりに突然に訪れた室内の温度変化は戸惑うよりも鬱陶しくて、僕は投げ捨てるように言った。

「ん、イヴァンかい」
 そんな僕の気持ちを知ってか知らずか。 親父はその静寂を楽しむかのように、飲み残しのお茶に手をつけながらのんびりと答える。

「一週間ぐらい前に、ふらりと来てなぁ。 技術を身に着けたいから、身の回りの手伝いをさせてくれと頼まれたんだよ。 ティアちゃんが言ったように弟子入りみたいで大仰だから、最初は断ったんだが」
 苦笑いを浮かべながら、ぽりぽりと顎ひげをかく。
「どうにも引き下がらないんでね。 まぁそれで気が済むならと、雑用みたいな事から頼んでいるって所だ」
「ふうん……そんなに我の強そうな奴にも見えないけど」
「うん――その時は妙に、頑固でな。 私も気が弱いから、押し負けてしまったよ」
 ふっ、と鼻で笑う親父。 僕が何も言わずにいると、また部屋に沈黙が訪れた。
 所在のなさに動かされて、僕は部屋の中に視線を泳がせる。

 懐かしい、と言える程も暮らさなかった質素な部屋の中で、バストゥークにいた頃から使い込んでいる見慣れた古い工具や、こちらに来てから新調した覚えのある道具、そして鈍く光る銃のパーツの山が、淡い沈黙と一緒に僕らを囲み、見守っている。
 そんなちぐはぐな空気の中で、僕もお茶のカップに手を伸ばした。 と、ちょっと上げた視線の先で、親父が目尻を下げてこちらを見ているのが目に入った。

「――何だよ」
「ああ……いや。 白魔道士になったんだな、と思ってなあ」
「…………」

 あれ――。 何か、変だ。

 親父のその、どこかじんわりと噛み締めるような言葉に。 急に、とん、と突き放されたような、不思議な感覚を覚えた。 意表を突かれた心がふらりとよろける。 ちょっと戸惑った僕は、そのよろけた視線で親父を見ると。
 そこには、親父の、どこか嬉しそうな笑顔が。 満足げな笑顔が。

 すると、どうした事だろう。 その光景に、胸の内に小さく渦巻いていたもやもやが、ついに通気孔を見つけたようにすぅっとどこかへ消えていく。 僕は驚く。 驚きながらも――


 ああ――そうか。

 やっと、判った。 ようやく判った。

 僕はもう、親父の衛星じゃない。 その重力という名の保護を飛び出して自分で決めた軌道を描く、一つの星になっていたのだ。
 その事に、親父はいつからか、あるいはとっくに気付いていて。 僕は、当の僕は、ちっとも気付いていなかったんだ。 気付かずにずっとそのありもしない重力のくびきの切れ端を握り締めて、親父の視線の幻を見て、だから勝手に一人で苛ついていた。
 腕っぷしばかりしゃにむに鍛えて立派になったつもりで、中身はガキの頃からひとつも進歩しちゃいなかったんだ。

 ああ、判ってみればずいぶんと、情けない話じゃないか――


 白魔道士の道を選んだ僕を、認めてくれた。 ただそれだけで。

 惰性で向け続けていた背中が、僕の中であっさりと意味を失う。

 ぎこちなかった長い月日が、僕の中でゆっくりと心の奥に沈んでいく。

「――うん」

 言葉は自然に流れ出る。
 そして、グレーティアの言っていた「積もる話」という奴が、僕と親父の間にはとても沢山あるという事にも、ようやく本当に――バカみたいに、気がついた。
 そうだった、振り返ればいくらでも。 差し当たってはこの四年間の事。 話すこと、話さなきゃいけないことは、山積みじゃないか。

 親父の下を飛び出して、がむしゃらに進んできた月日の思い出が、我先にと僕を呼び立てる。

 ――ああ、誇って、いいのだろうか。
 僕は、この白い衣装を。 いつのまにか親父とほとんど変わらなくなっていた背丈を、グレーティアを連れてこられた事を、ここに至るまでの手探りの日々を。
 ここに置き去りにした親父に、誇っても、いいのだろうか――

「うん、これが――白魔道士が、いいかなと思ったんだ」
 心にかかっていたもやの晴れた後に現れた、四年分の時間の山をゆっくりと選り分けて、僕はそれを少しずつ舌に乗せ始める。
「ティアちゃんか」
 尋ねる、というよりは、ただの確認のような。 そしてそれを噛み締めているような、親父の優しい呟きにも似た口調。
「うん」
 僕は頷く。 何の気負いも、気取りもまとわりつかない。 気持ちがよかった。
 また微笑んで、親父は言葉を重ねる。

「お前が冒険者になると言って飛び出していった時は、そりゃあびっくりしたけどな。 ああきっと、あの子の所に行くんだろうなと、私はなんとなく思ったよ」
 ついさっきグレーティアが消えた扉の方を見やって、親父はゆっくりと言葉を紡ぐ。
「やっぱり、私が引き裂いてしまったんだな、と思った。 十四歳でまだまだ子供だと思っていたのは私の間違いで、お前は無口だから、自分の事で手一杯だった私はろくにお前を見もしないで……お前には、ちゃんと意志があったんだよな。 あのままバストゥークに置いておいてやれば、無用な苦労をさせずに済んだのに」

 何だか泣き言のような、気の弱い親父の呟きが、優しく流れている。
 僕は黙って聞いていた。 バストゥークを離れなかったら、どうなっていたかなんて――そんなことは。
 
「いいんだよ。 僕だって言わなかった。 それに、本当にどうしたいのか決められたのは、ここに来てからなんだから」
 肩をすくめて僕は言う。 それから、もう一つ。
「――マグナム。 勝手に持ち出して、ごめんな」
「うん? ああ、そう言えば一丁、持って行ったな。 弾もごっそりと。 なに、あんなもの。 はなむけと思えば安いものさ」
 からからと親父は笑う。 僕は苦笑いする。 昔に戻ったような――いや、ガキの頃はこんな素直に話なんかしたっけかな。 本当に小さい頃ぐらいにしか、覚えがないや……。

「ティアちゃんは、ずいぶんと丈夫になったみたいだなぁ」

 改めてデリンジャーを手に取りながら目を細め、親父が関心したように言った。
「ああ、まだ一応、リカード先生から念の為の薬はもらってるけどね。 よっぽどの無理をしなきゃもう大丈夫だろうって、お墨付きは頂いたよ」
「そうか。 ああ、そりゃぁよかった。 うん、よかったなぁ、エリクス」
 嬉しそうにほころぶ親父の声。 僕は頷く。
「うん、ティアものびのびできて、楽しそうにやってるよ」
「違う違う」

 と、親父はひらひらと手を振る。 「え?」と間の抜けた声を上げる僕をにこにこと見ながら、親父は言った。

「お前だよ。 よかったな、元気になったティアちゃんが、ついてきてくれて」
「え……あ」

 てっきりグレーティアの快気を喜ぶ言葉だと思っていた僕は、軽く面食らってしまう。
 と、そんな僕の様子を見た親父がふっと笑って言葉を続けた。

「お前――本当に、ティアちゃんの事だけ考えて来たんだろう。 あの子の事ばっかり見てて、自分は二の次……いや、二の次どころか、ティアちゃんの事『しか』考えてないな」
「…………」
「その白魔道士っていう選択は、そうじゃないか? それでお前がやっていけるかとか、それが自分に合うかとかより、何はさておきティアちゃんの体調、ティアちゃんのバックアップ……そうだろう」

 ――そう、だった。
 無意識なのか、意識してか――いや、どっちだって変わらない。 いつだって、「グレーティアが」という思考や動機は即座に浮かんでも。
「僕が」という言葉は――僕自身から、ほとんど出てこないのだ。

 かつて答えなかった問いが、必然のように蘇る。
 メリファトで会ったミスラの侍の言葉に、今、親父が答えてしまった。


『どうして、ナイトじゃなくて白魔道士なのか――あんた、どんな基準で動いてるんだい?』
『ティアちゃんの事しか、考えていないから――』


 では、もしグレーティアがいなかったら。
 僕は――僕は?

「――いいんだ、いいんだよ、お前がそう決めたんだからな。 そう決めてちゃんと頑張ったってことが、私は何より嬉しいんだ」

 半ば呆然としている僕に、親父の柔らかい言葉がかぶさる。
 そしてふっと遠く、何かを懐かしむような瞳になった親父は、改めてぽつぽつと言葉を紡ぎ始めた。

「お前は以前から――自分がこれと決めたもの以外には、とことん無関心というか……最初から切って捨てるような所があるだろう。 昔は興味が持てるものがなさそうで、いつでもつまらなそうにカリカリしていたが」
 また目を細める。 まるでその先に、かつての小さな僕がいるように。
「ティアちゃんが来てからは、ずいぶん楽になったみたいだった。 あの子もお前と仲良くしてくれて、私は本当に嬉しかったよ。 ――うん、私もティアちゃんに助けられた。 私がどうにもしてやれなかった事を、あの子が肩代わりしてくれたんだな。 だからお前がここを出て行った時は、ああ、やっぱり離れたくなかったんだ……と思ったが」

 ほんのりと昔語りの色になる親父の言葉を、僕は何だか他人の事のように聞いていた。

「反面、もしティアちゃんが……変わっていたら、と思うと、怖かった。 たった一つ、初めて目指したその目標が、幻と消えてしまっていたら。 お前はどうなってしまうだろう……自暴自棄になったりしないか、そのままどこかへ流れて行ってしまわないかと――私は気が小さいからな、そりゃ嫌な想像ばかりしたもんだ。 でも」

 手の中のデリンジャーを、親父は慈しむように見つめる。 少し荒れた親指が、Dの刻印をすっと撫でた。
 名誉の負傷をして創造主のもとに戻ってきた小さな拳銃が、役目は果たしましたよ、褒めてください……と言うように、部屋の明かりにきらりと輝いた。

「こいつと一緒に、あの子はお前を待っていてくれたんだな。 杞憂に終わって、よかった。 お前の努力が無駄にならなくて、本当によかったよ――」

 一つ覚えのように、僕に向けてよかった、よかったと繰り返す親父。
 何故だか妙に気恥ずかしいそれは、もうずっと他の誰からも――そう、自分自身からも聞かなくなって久しい。 グレーティアの守り手としての僕にではなく――ただ、一人の僕自身にかけられる、暖かい労りの言葉だった。

「いいんだよ――僕のことは」
 そうさ、僕の事なんかどうだっていいんだ。 グレーティアが元気で側にいてくれるなら、それだけで僕には十分。 誰に認められなくたって、誰に理解されなくたって、そんなのは何でもない。 全てはグレーティアの為に。 確かにそう思っていた。
「いいんだ――」
 なのに、そんな生硬な思考を置き去りに、どうしようもなく潤ってしまう胸の内を、僕は抑え付ける。
 自分に言い聞かせるような僕の呟きを受け止めて、親父は静かに言った。

「うん、ゆっくりやりなさい。 ゆっくり考えなさい。 時間はある。 ……何にしろ、お前が元気で嬉しいよ。 よく帰ってきてくれた」

 いつのまにか違和感の消えていた部屋の静けさを、壁にかかった時計が囁くように刻み続けている。
 四年前から変わらずその中で暮らしてきた、親父の穏やかな笑顔に。
 僕もようやく小さく、でも心からの笑みを返すことができた――


  *  *  *


 それから数刻後、グレーティアとイヴァンが見物と買い物を終えて戻ってきた。
 彼女は食材の袋を運ぶイヴァンとすっかり馴染んだ様子で何やら楽しそうに話していたが、出かける前に比べて僕と親父の間の空気がずっと和んでいるのを読み取ったのか。
 実に嬉しそうなウィンクを、こっそりと僕によこしたのだった。


to be continued
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