テノリライオン

Blanc-Bullet shot13

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 タブナジア地下壕の親父の部屋は乱雑に見えて、埃をかぶっている工具や適当に転がっている部品は一つもない。 バストゥークにいた頃の工房よりも規模はずっと小さく様変わりしても、それだけは変わっていなかった。

「ティアちゃん、そこのスプリングを――そう、その箱だ、ありがとう」
「はい」

 翌日。
 この部屋に越してきた当初はあった僕の部屋――と言うか生活スペースも、さすがに四年も経てば残しておいてくれるつもりのそのまた形跡ぐらいしか残っておらず、とっくに仕事道具やその他の日々の物々に埋め尽くされていた。 なので僕とグレーティアは、ここタブナジアにも僅かながらある冒険者用宿泊所にひとまず宿を取り。
 そして翌朝、部屋を訪ねた時には既に修理に取り掛かっていた親父を見て、自分の銃を直してもらっているのだからとティアはその側について出来る限りの手伝いを始めた。

「ついでに少し調整もしようか。 ちょっと手を測らせてくれるかい」
 既にデリンジャーの図面を引っ張り出してきていた親父に、グレーティアがはいと手を差し出す。

 ――何だか、あっちはあっちで本当の親子みたいだ。
 そんな事を頭の中で呟きながら、僕は部屋の中を適当にぶらついていた。 よってたかって手伝うような作業でもないし、そもそもが一人で作業の全工程をこなす親父に、基本的に僕が貸す手などない事はよく知っている。

 銃身を削り出す工作機械などの大きな機器類は、バストゥークの工房からは持って来なかった。
 それは物理的な問題もあったけれど――親父の、この仕事への、決別の意思の表れなのだろうと思う。
 しかし、今僕が何の気なしに手に取ったこの大きなドライバーも、あの棚に無造作に置いてある小さなレンチも、更に見回せばそこかしこに。
 生家の風景から切り取って持って来られた、親父の小さく古ぼけた手足たちが、慣れ親しんだ表情を覗かせている。
 それは物理的な問題もあったけれど――親父の、この仕事への、捨てきれない愛着の表れなのだろうと思う。
 そしてあの図面。 確かあれだけでなく、もっともっと沢山の図面や仕様書も一緒に運んできた記憶がある。 あれは――言うまでもなく、親父の職人としての責任感がそうさせたに違いない。

 部屋の隅の木箱に腰をかける。 と、そこに低くたゆたっていた鉄材や合金や木の微粒子が、見えない水のようにふわりと僕を包んだ。
 懐かしい匂い。 親父の、人生の匂い。

 握りの角がうっすらと丸くなり、親父の手の形のぶんだけその身が締まったドライバーをくるくると回しながら、僕はぼんやりと考える。
 その仕事に傷つき故郷を離れて隠遁し、それでもなお離れることなど叶わなかった、この微粒子と親父は。
 この小さな部屋で一体どう向かい合い、どんな語らいをしてきたのだろうか――――


  *  *  *


 予想はしていたものの、やはりデリンジャーの修理は当分終わりそうもなかった。
 グレーティアも親父の側を離れないし、手持ち無沙汰な僕は適当に散歩でもして来るか――と腰を上げた時。

「――椅子、どうぞ」
「あら……ごめんなさい、ありがとう」

 ずっと立って親父の作業を見守っていたグレーティアの後ろに、イヴァンがすっと丸椅子を置いた。
 振り返る彼女が礼を言うと、彼は静かな表情を少し崩してにこりと笑う。

 僕達がここに顔を出したのとほぼ同じ頃に、彼――イヴァンも姿を現した。
 今日は特に頼む事はない、と親父が告げると、彼は黙々と部屋の片付けを始めていた。
 見習い……と言うよりは、何だか家政婦という印象を受ける行動だった。

 そして時折り彼の行動を眺めるともなしに眺めていた僕は、ふと気付く。
 親父の身の回りの物を動かし、整頓する。 道具類を適当により分けて収納にしまう。 極めて無表情に、ゆっくりとその作業を進める彼だが――その調子が、いつも均一なのだ。
 ゴミを捨てる時にもそこそこに目を配って丁寧な代わりに、銃にまつわる工具や道具を扱う時にも特別な熱意や観察するような様子が感じられない。
 それこそ本当に「手伝い」だけに来ているみたいな――雑ではないけれど、とにかく淡々とした働きをしているように見えるのだ。 必要以上に喋らず無口に動き回るその様に、僕はホムンクルスという単語を頭に浮かべたりしていた。
 ただその金髪のホムンクルスは、昨日の買い物で多少なりと打ち解けたせいなのだろうか、グレーティアにだけはそこはかとない心配りを見せているわけだが。
 そう、それはむしろ、親父に対してよりも……?

「――ああ、そうだ。 エリクス」

 ふと木箱から立ち上がったっきり、ほけっと自分の考えに囚われていた僕に、デリンジャーからふと顔を上げた親父の声がかかった。
「こっちに来てから、ダニエルさんには会ったか? まだだったら一度顔を出して来るといい、あの人もずいぶんお前の事を心配してくれていたから」
「……ああ」
 ここに来たときになにくれとなく世話をやいてくれた年老いたエルヴァーンの夫妻の顔を思い出し、物思いを中断した僕はぼんやりとした声を上げた。
「そうか……うん、じゃあ、ちょっと行って来る」
 改まった挨拶事というのはどうも苦手だけれど、まああの人達は嫌いじゃない。 散歩がてら、顔だけでも見せて来るか。
 そう思って僕は一人、小さな銃の小さな修理音が続く部屋を後にした。


   *  *  *


 件の老夫妻からひとわたりの歓待と笑顔を受け終えた僕は、そのままあてもなく地下壕を散策していた。
 巨大な井戸の中を思わせる、大きな吹き抜け。 その灰色の岩壁を溝のように巡る回廊を歩く。 ふと頭上を見上げれば、大きな明かり取りのような丸い空を、薄い灰色の雲が引きずられるように横切っていた。 どうやら今日は、風が強く吹いているようだ。

「……く、なれますよぅに」

 そんな景色を見上げながら歩く僕の耳に、ふと小さな子供の声が聞こえてきた。
 視線を前に戻す。 と、吊り橋の正面に祀られた白いアルタナの壁画に向かって手を合わせる、親子の姿があった。 子供が何かお願い事でもしているのだろうか。

 そのまま彼らに歩み寄るともなく歩く僕。 手を合わせ終えた二人が、笑顔で何事か話しながらこちらに向けて歩き出した。
 すると、僕の姿に気付いた母親が、顔を上げると僕に丁寧にお辞儀をした。 それを見た小さな子供が慌てて母親にならう。
「…………」
 僕は一瞬面食らったが、すぐに神妙な表情を作ってお辞儀を返した。
 町の中でつつましく平和な生活を送る彼らの目には、僕の白い聖装は神に仕える僧侶にも似た意味を持っているのだろう――いや、僕を除けば、それはちゃんと正解なのだが。

 幾分後ろめたい気持ちを抱きながら、親子の純朴な笑顔とすれ違う。 彼らの足音を背に、黙礼で伏せ気味になっていた顔をふと上げると、すぐ横でアルタナを象徴するレリーフが僕を見下ろしていた。

 ――本当に、これはどこにでもあるな。

 白魔道士の修行を始めたサンドリアは勿論、確かバストゥークの……大工房の地下にも、またジュノの教会にも、この神は祀られていた。 その大きな祭壇を離れても、それは花から飛んだ種子のように、人々の家の暖炉の上や枕元、そして首から提げた胸元に、この神の小さな姿は芽を出していた。 それが見えなくなったと思っても、人と話せばその言葉の中にちゃっかり溶け込んでいたりする。
「神はいつでも貴方を見守っていますよ――か」
 かつて事あるごとにサンドリアの僧侶達にかけられた言葉が、ふと口からこぼれる。 守ってくれているかどうかはともかく、常に見られているのは間違いないのかもしれないな、と僕は思った。

「……あ」

 と、そのレリーフからふいと顔を逸らした僕の視線の先に、見覚えのある金髪の青年が姿を現した。
「……どうも」
 イヴァン。 僕と同じように少し不意を突かれた彼の表情は、しかしすぐに無表情に固まり、そのまま軽い会釈を僕によこした。

「――修理は、終わったかな」
 ぶらぶら、という感じでこちらに歩いてくる彼に、僕は無難な問いかけをする。 その足取りが、僕に向かうものなのか僕を通り過ぎるものなのか、判断がつかなかったので。
「まだですけど、調整も含めて今日中にはなんとか、みたいな事を言っているのは聞こえました」
「そうか……君は? 今日は帰るのかい」
「ええ、特に仕事はないそうなので」
「ふうん」
 そこまで言葉のやりとりが終わると、歩いていたイヴァンの足がゆっくり止まった。 世間話の距離。

「お二人は、しばらくこちらに居るんですか?」
「ん?……いや」
 初めて、彼が自分から言葉を発した。 表情と同じにあまり動きのない静かな声だったが、同時にそれまで彼を包んでいた薄い皮が一枚はがれ、何となく話しやすい――と言うか、会話をする用意があるような雰囲気をそこに感じた気がして、僕は少し肩の力を抜きながら答える。
「修理以外でここに留まる用事は別にないからね……あれが今日中に終わるなら、明日には出るつもりだよ。 狩りにも行かなきゃいけないし」
「そうですか――」

 興味があるのかないのか、微妙な声音。 僕もそう人と嬉々として会話するタイプではないけれど――何だかどっちつかずの彼の雰囲気には、少し戸惑いを覚えてしまう。 探すともなしに次の言葉を探していると、僕より先に口を開いたイヴァンが突拍子もない質問をした。

「――お二人は、結婚するんですか」
「えっ?」

 相変わらず冷静な表情から繰り出された予想だにしない言葉に、僕は一瞬言葉を失った。 多分、鳩が豆鉄砲をくらったような顔をしていたに違いない。 そんな僕を、彼の目は観察するように覗き込んでいる。 何だ――?

「あ、いや……うん、まあ、その予定ではあるんだけど」
 彼の意図を測りかねた僕がぼそぼそと答えると、イヴァンは僕からすっと視線を外して歌うように言った。
「そうですか。 いいですねえ」
「――――」
「幼馴染み、でしたっけか。 やっぱりずっと一緒にいると、お互い掛け替えのない存在になるもんですよね」

 頭上からの明かりが満ちる巨大な吹き抜けに向けられた彼の目元には、うっすらと笑みが浮かんでいる。 それは口から出る言葉の内容を裏付けるかのように、思いがけず柔らかい空気をまとっていて。 ――なのに。
 すっと、空気が冷えた。

「君は――」
 口が勝手に動いた。 開けようとして開かない、カギのかかった部屋の扉をノックするような、無意識の行動だった。 そう言えばこの青年の事は、名前以外は何一つ知らない……
「ここの、タブナジアの人か? それとも他所から? 親父の所に来たのは――どうして? 給料を貰っている訳じゃないんだろう?」

 矢継ぎ早に尋ねる僕に、イヴァンは逸らしていた視線を戻す。
 するとそこにはいつのまにか、少なくとも僕は初めてお目にかかる、温厚そうな笑顔が宿っていた。
「ここの出身ではないですけど。 あの人の所にお邪魔してるのは――銃工の仕事に、興味があったんですよ。 言ってみれば社会勉強みたいな感じです」
 控え目な表情で訥々と語るイヴァン。 しかし――
「それにしたって、何でわざわざこんな辺境まで? 大きな町にだって銃工はいるのに……というか」
 そこまで言ってようやく、僕は重要な事に気付く。 ここの出身ではないと言ったな。 だったら。
「どうして親父が、ここにいるって判った?」

「――いやだなぁ」
 僕の語調が知らず詰問するような緊張を帯びると、イヴァンは困ったような笑みを含んだ言葉を返した。 その表情が前にも増して人なつこく、温和になっていく。 僕はなんとなく気を殺がれ、その場に立ち尽くした。
「ディナルド=ヴィンスロットと言えば、とんでもなく有名な銃工の一人じゃないですか。 そりゃ、噂も流れて来ますよ。 だからこそここに来たんですから」
「ん……まぁ――」
 親父がそこそこ有名人であるのは否定できない事実だが、身内である僕は何となく言葉を濁してしまう。 と、そんな僕に、イヴァンは更に言葉を重ねた。
「エリクスさんは、銃工にはならないんですか?」
「え? ……ああ、見ての通りだよ」
 言って僕は、白い衣装に包まれた両腕を軽く広げて見せた。
「ふうん、もったいないなぁ。 色々教わったりとかはしなかったんですか?」
「んー……せいぜい工具の扱い方とか、最低限の知識をつけさせられたぐらいかな。 それもまあ、日常で手を出して危なくないように、前もって教えておくっていう程度の」
「そうですか……あまり、銃には興味がないんですね」

 いつの間にか、他愛もないお喋りになっている。 穏やかなイヴァンの口調に釣り込まれるように喋る僕の警戒心は、いつしか意識の片隅で小さくしぼんでいた。
「そうだな……嫌いという訳じゃないけど、親父みたいな情熱はないよ。 継がせようという気もないみたいだし、好きにやらせてもらってる」
 正確に言うなら、僕に情熱なんぞと呼べそうなものはたった一つしかありはしない訳だが。 そんなのはわざわざ申し開くような事ではないだろう。
「なるほど、それは、自由でいいですね」
 柔らかい笑顔のままのイヴァンが言った。 僕もふっと笑う。 その実はさんざん勝手をしてきただけだが――確かに、自由と言えばたいそう自由だ。 僕がなんとなく俯くと、二人の間から言葉が消えた。 白い女神に見守られての会話に、イヴァンが終止符を打つ。

「それじゃ、これで失礼します……ああ、明日発たれるんだったら、もしかしたらもうお会いしないかもしれないですね。 お気をつけて、と言っておきます」
「ああ、ありがとう。 こちらこそ、親父を頼むよ」

 そんな早い挨拶をしながら再度歩き出し、横をすり抜けていく彼に、僕がそう返すと。
 ふっと、短い金髪が肩越しに僕を振り返った。 その瞬間、また――空気が、きしっと冷えた。

「そちらも、グレーティアさんを大事にしてください」
 物静かな口調。 穏やかな笑顔。 しかし僕は、やっと気がついた。 目だけが、ひどく冷静だ――

 そのまま横道の一つへと消えていく彼の後姿が見えなくなってから、僕はようやく体の向きを戻す。
 そしてのろのろと歩き出しながら、低く呟いた。
「親父の隠遁先の噂なんか、ほとんど流れてないだろう……」

 行き先など決めずにバストゥークを出て、流れ着くようにこっそりタブナジアにやって来たのだ。 余程の事情通でもまず知り得ない情報の筈。 マニアに近かったあの朱色のエルヴァーンの耳にも届いていなかったのだから。 それに。
「……工具類の扱いも、雑だ」
 部屋を片付ける彼の姿を思い出す。 銃工に興味とやらがあったなら、それにまつわる物にはもう少し注意深く接するものじゃないのか。 彼のあの淡々とした動きには何と言うか、そう――その仕事に対する、愛がない。
「――はっ」
 ぽろりとそんな単語を浮かべた自分に、僕は思わず失笑した。

 おいおい、自分の仕事にすら愛どころか興味そのものがない僕が、一体何を判ったような事を言っているんだ――。

「……ま、親父の客だし、いいか」
 あれこれ気にしてもしょうがあるまい。 僕はひとつ肩をすくめて、散歩を帰路に切り替えた。
 井戸の外で、灰色の強い風が咆えるように渦巻いていた。


to be continued
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