テノリライオン

The Way Home 第7話 楽園

最終更新:

匿名ユーザー

- view
管理者のみ編集可
どこからともなく、馥郁たる匂いがする。
さらさら、しゃらしゃらという、木の葉が風に囁く音も聞こえる。
ちちち、と鈴を転がすような音は、きっと可愛い小鳥の声だ。

ああ、なんだかすごく安心する―――

暖かくやわらかな闇に身を委ね、彼はことんと全身の力を抜いた。
その身を包む芳香を吸い込み、ほぅっと息を吐く。 胸から体中に香りが染み渡るようだ。

何だろう。 何かに必死になっていたような気がするんだけど、思い出せない。
強い敵でも狩りに行ってたんだっけ・・・それとも、宝箱探しとか・・・?

まぁ、誰も騒いでないし、どこも痛くない。
きっと大したことじゃないんだろう。 いいや・・・

不意にざぁっ、と風が吹いた。 髪をかき乱される感触に、バルトはゆっくりと目を開く―――


* * *


そこは、奇跡のように美しい庭園だった。

小路に沿って溢れる芳しい香りを放つ花が、その芳香に乗せて静かに命の唄を唄っている。
そこかしこに立ち並ぶ木々の腕に抱かれ戯れる鳥達が空へと向かえば、綿菓子のような雲が彼らをふわりと受け止める。
甘い実りを約束すべく小さな仲人達が花から花へとワルツを踊り、清楚な噴水の散らす飛沫はきらきらと輝いて、それはまるで砕かれた水晶のようだ。
そして、そんな満ち足りた情景の全てを、惜しみなく降り注ぐ暖かい陽の光が包み込んでいる。

青く澄んだ空と、豊かな大地の間に憩う無数の命たち。
きっとここでは、この世のどんな魂も安らがずにはいられない、限りない安寧の園―――


バルトは、その小路を歩いていた。
うっとりと、ゆっくりと。
鮮やかな鳥のさえずりに誘われ、果実の甘い香りに誘われ、ふらりふらりと無限の庭園を漂う。
歩くほどに心に滑り込んでくるのは、ひたすら甘美な静けさ。
知らず知らず、一つまた一つと、安らぎ以外の感情が彼の胸から抜け落ちて行く。

そんな彼の前に、突然ぽっかりと草原が開けた。
一人の少年がその真ん中にぽつねんと座っているのが目に入る。 バルトは引き寄せられるように、その背にゆっくりと歩み寄っていった。

「素敵な庭だろう?」
彼が声をかけようとするのに先んじて、振り向きもせずにその少年は言った。
まるで彼の動きが見えているかのように。

「うん、素晴らしいね・・・楽園という言葉が、ぴったりだ」
庭園の抱擁の余韻に恍惚としたまま答えるバルト。 改めてその光景を見渡す。
草原を、さぁっと風が渡っていった。
「そう。 ・・・でも残念な事に、その素晴らしさを嗅ぎ付けて、害虫が寄って来るんだよ」
背を向けたまま少年は喋る。
「害虫・・・?」
「全く、図々しい話さ。 一旦は駆逐したんだが、ちょっと留守にしてる間にまたうろちょろし始めたんだ。 キリが無いんで、その時は追い出しついでにケンカ相手をつけてやった。
そうすればここの事なんか忘れてくれると思ってね」
「・・・・・」

バルトに向けた背の向こうで、少年は何やら作業をしている。
二人の間にはまだ数歩分の空間があった。 それを通り抜けて少年の手元を覗き込む事もできたが、何故だかそれが躊躇われた。

「しかし、奴らも大したもんだよ。 ケンカ相手と泥仕合をしながらもどんどん増えて、三度この庭に近付いてきてるのさ」

顔の見えない少年は続ける。
その後ろにじっと立つバルトの胸に、抜け落ちたはずの感情の一つが帰ってきた。
不安―――

「だからね、今回はきっちり、元から断とうと思って」

突然風が強くなる。バルトの白い短髪とローブが大きく翻ったかと思うと、視界がぐるりと回った。

「僕はこの庭を守りたいんだ。 判るだろう―――?」

唐突に暗転する世界の中、少年の声とむせ返るような花の香りだけが彼を追いかける。
首にずきりと痛みが走った。
同時に、硬く鋭い、じゃら・・・という音がその闇に響く。

(鎖・・・?)

彼の意識は再び、暖かい深淵へと呑み込まれた―――


* * *


「・・・・・・ぐす」

病室は、しんと静まり返っている。
ずずっと鼻をすすると、ルカは丸まっていた背筋を伸ばし、吸いすぎた息をはーっと吐き出した。
彼が起きた時に、目が赤くちゃいけない。
そう思っているのに、ちょっと気を抜くとぼろぼろと涙が溢れてしまう。
(いい加減、しゃきっとしなきゃ)
べちっと頬を叩くと、これが最後と拳でぐしぐしと目を拭った。

瞼が重い。 勢い眠気に襲われ、バルトの眠るベッドの端に自分の両腕を枕にして頭をのせる。
デルクフでの戦闘の疲れが滓のように溜まっていた。
「ふぅ・・・」

目を閉じると、あの戦いがありありと脳裏に蘇ってくる。
撥ねられた妖魔の鎌は、ルカの真横を飛んでいったのだ。
鎌が空を切って唸る恐ろしい音と、直後の彼の呻き声に凍った背筋の感覚が繰り返し彼女を苛む。

―――もうちょっと、横に立っていれば。

私で止まったろうに。
戦士に比べればずっと軽装なシーフとはいえ、魔道士よりはまだしも頑丈に鍛えているし、鎧ってもいるのだ。
一体何の為に、彼より前に立っているの―――?

―――同じ喉が潰れるなら、魔法音痴の私の方が、ずぅっとましだ―――

「私に当たってればよかったのよ・・・」
うつ伏せたまま、布団に言葉を染み込ませるように、肺の中の疲れと一緒に言葉を吐き出した。

と。 頭にこつんと何かが当たった。
はっと顔を上げると、目の前に軽く握られたげんこつ。
その向こうで、気だるく笑うバルトの顔が彼女を見ていた。
(馬鹿言ってるんじゃないよ)
まだ眠たげな細い目が、そう言っている。

「・・・!!」
がばと身を起こし、自分をこづいた手を両手でぎゅっと握るルカ。
その笑顔に胸が詰まって、咄嗟に言葉が出ない。 何か言いかけてはその手をさすり、せわしなく白い髪を撫でる。
「・・・ど、どう? 大丈夫? 喉・・・声は・・・あ、いや、無理しないで」

バルトが小さく口を開き―――軽く顔をしかめ、閉じた。

「・・・・・」
だめだ。 泣くな。 辛いのはどっちだ、痛いのはどっちだ。
ルカは力いっぱい息を詰めると、頭の中で必死で己を怒鳴りつける。
口を真一文字に結び、顔を真っ赤にするミスラ。 そんな彼女を見て、バルトはゆるりと微笑んだ。
そのまま目を閉じると、自分の左手を握るルカの両手を右手で優しくぽんぽんと叩く。

努力の限界。
ついに涙の堤防が決壊しそうになるのを感じたルカは、再度思い切り彼の手を握り締めると、俯いてそれを強く頬に押し付けた。
「―――っ、先生、呼んでくる・・・っ」
かろうじてそう言うと、椅子から立ち上がって小走りに部屋を出た。


彼女が扉の向こうに消えたのを見届けると、バルトは大きく息を吸って、吐いた。
もう一度、口を開く。 声を出そうとする。 途端に喉に走る、小さいけれど鋭い痛み。
それをくぐって出てくるのは、吐息がかすれる音ばかり。

「――――――――――」

もはや自力では振り払えぬ深い静寂に押し潰されて、黒魔道士は両腕で顔を覆った―――


* * *


「んーーーー・・・っ」

ウィンダス連邦、石の区、星の大樹。
タルタルの彼女は受付カウンターの内側で思い切り伸びをした。
続けて怪獣も裸足で逃げ出すような大あくび。 部屋中の酸素を独り占めだ。

「うー、暇ねぇ・・・平和で、よろしいこと・・・」
椅子に座ったまま右に左に腰をひねりながら、その勢いで壁にかかった時計に目を走らせる。
「よーし、そろそろ交代だー・・・ふふーん、お昼、何にしようかなー」
カウンターの上の小物から片付け始める。 ちょっと気が早い。

と、心はすでに水の区のレストランに飛んでいる彼女の前で扉が開き、一人のタルタルが足早に入ってきた。
こっそり「ちぇ」という顔になる彼女。

椅子に座りなおし正面を向く彼女に、そのタルタルは告げた。
「ジュノのウィンダス領事館から参りました。 神子にお目通り願いたい」
急いで予定の台帳をめくる彼女を、彼は手で制する。

「至急です。 『デルクフの件で』と」


to be continued
記事メニュー
ウィキ募集バナー