テノリライオン
The Way Home 第X話 赤魔道士の一日
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匿名ユーザー
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そろそろ太陽も天頂に届こうかという時刻。
バストゥーク共和国の商業区、寄宿舎前。
「ふう・・・」
うららかな空気の中、一人のエルヴァーンが門をくぐり、階段を上っていた。
赤と黒の衣装に、背中まである白い長髪がばらりと垂れている。
どことなく、いやあからさまに不機嫌そうな面持ち。 寝起きのヴォルフである。
まぁ実際にご機嫌を損ねている訳では決してなく。
単純に起き抜けで朦朧としているだけなのが判る者は、このヴァナ・ディールに両手の指ほどの数しかいない。
昨夜久しぶりに手をつけた、副業としている鍛冶の細工につい遅くまでのめり込んでしまった彼。
軽い睡眠から覚めて、使い切ってしまった材料の調達にと宿舎から出てきた所だった。
眩しい日の光に眉を寄せ競売所へと歩く。
「鉱石・・・黒鉄鉱と、ブロンズインゴットか」
深いバリトンで気だるげにつぶやきながら、カウンターの前に立つ。
細めた目で品揃えをなぞりつつ、長い白髪をうるさそうに掻きあげる。
彼の右側にいたヒュームの女子3人組が、それを見てお互いをつつき合った。
女の子特有のきらきらした視線を彼に向けながら互いに肩を寄せ、高いオクターブで黄色い会話を囁き出す。
そんなものは耳にも入っていないヴォルフが、ポケットから髪留めを取り出した。
競売に目を向けたままひょいと口に咥え、白い髪を無造作にうなじでまとめるとそれで束ねて背に流す。 腕が下りたその後に、やたらと端正な横顔が露わになった。
彼の左側にいたエルヴァーンとミスラの女子2人組が、その光景に顔を輝かせる。
ミスラの耳がぴぴっと動き、エルヴァーンの娘のカウンターに伸ばす手が止まった。
相変わらず右も左も眼中にない彼。
実際は半分寝呆けているだけの渋い表情で、競売のカウンターをあれこれと操作する。
両サイドの囁きが徐々に熱を帯びていった。
「・・・・っと」
そんな彼の手元に、カウンターからカッパーインゴットがざらざらっと吐き出されてきた。
どうやら彼の呟きと表情を見るに、落札する商品を間違えてしまったらしい。
ふんと鼻を鳴らし、まぁこれはこれで使うか・・・と競売に向き直ると、足元から声が。
「あ、カッパーインゴ、ないねぇ」
「一個だけでいいんだけど・・・丁度切れてる。 ギルドは休みだし・・・」
ふと見下ろすと、タルタルの女の子二人の会話だった。
「よければ一つお譲りしましょうか」
早急に使う材料でもなかったからだろう、ヴォルフは何の気なしにそのタルタルにインゴットを一つ差し出した。
「え、いいんですか? でもでも、お使いになるんじゃ・・・」
「構いませんよ」
表情も変えずさらっと言うと、かがんでインゴットを渡す。 彼女は慌てて受け取ると一つ分の代金を彼に手渡して、上気した顔でぺこりと頭を下げた。
「ありがとうございます、助かりました!!」
さぁ、それを見た左右の女性陣。
彼に接触できる絶好の機会を得て、恐るべき未曾有の行動力が火を噴いた。
スタートダッシュをかましたのはヒュームの女子の一人だ。
「あ、あのっ! 私もカッパーインゴットを探してたんです!! 一つ、頂けませんかっ!?」
たたっと彼に近寄ると、胸の前で手を組んでピカピカの顔で彼を見上げて言った。
「は。 ・・・いいですよ」
一瞬驚いたように眉を上げるも、特に動じる様子もなく淡々とインゴットを渡す。
その手がわずかに触れて、きゃぁ、と声を上げる彼女の後ろからその友達が殺到する。
「あの、私もっ、私も欲しいです!」
「すいません、私もいいですか!?」
見れば左サイドにいた二人もつつと彼に近寄り、目を輝かせて声をかけてきていた。
あっという間に競売前が嬌声に包まれる。
当のヴォルフはといえば、彼女らの熱狂的な視線など全く気にもとめず、特に何の感慨もなさそうな相変わらずの無表情。
求められるがまま、インゴットを彼女らに分配している。
邪魔な素材がはけていく、ぐらいに思っているのだろう。
* * *
「うぉーーーい・・・ 何じゃぁありゃぁ・・・」
その一部分から「きゃいきゃい」という奇音を発する競売所を前にして、ルカとドリー、ルードとフォーレの4人はぽかーんと口を開けていた。
「どうせいっちゅうの、あれ・・・?」
ルカが途方に暮れたように言う。
「いやー、多分忘れてますね」
ルードが乾いた声で応える。
今日はちょっとした用事で5人で出かける約束になっており、今はその待ち合わせ時間なのだが。
現れないヴォルフを探して覗いた競売所の恐るべき光景に、しばし立ち尽くす4人。
「えーとまぁ、忘れてるのは別にいいんだけどー。 あそこからどうやって呼び戻すんだ・・・?」
「なんかこう、独特な人だかりよねぇ」
「すごいですねぇ、人気者ですねぇ、ヴォルフさん」
「・・・や、まぁ、それは間違いじゃないな、うん」
女3人がぼそぼそと話す。
「見てても埒があかなそうだな・・・えーと、ルード君、ちょっと呼んできてもらえまいか」
ルカがこの場で唯一の男性に目を向けると、タルタルの少年は何やらそっぽを向いている。
「いんじゃないすか、忙しそうだし、先に行っちゃいましょうぜ」
「うわっ! 拗ねてる!!」
ドリーがけたけたと笑い出す。「俺だって可愛いのに」などとぶつぶつ呟いているルード。
「ええー・・・じゃ、ナイトの丈夫さが売りのドリー君・・・」
「やあよー、あんな所に潜っていったら踏み潰されちゃう」
まだひーひーと笑っている。 仕方なくそのドリーから視線を横にずらす。
「・・・ フォ・・・ いや、何でもありません」
つぶらな瞳で可愛く首をかしげる白魔道士のタルタルを見て、眉間を押さえ呻くルカ。
さすがに彼女を行かせるのは人の道に外れる。
「と、いう訳でー。 ここはルカに行ってもらいましょうかー」
「うあー・・・」
あの無敵の夢見る集団から、コアを抜き出す。
気が立ったバッファローの群れからエサを取り上げるようなものではあるまいか。
「ここがシーフの腕の見せ所よー、見事目標の対象だけ釣ってきてくださいな」
「モンスターかよ!! いやあれ300%リンクするし! っていうかもう全部リンク済みだし!」
「ちなみにブーメランは禁止です」
「投げるか!!」
「ほらほら、行った行ったー」
「ああああ・・・」
死刑台に向かうような恐々とした表情で、おずおずと現場に歩み寄る。
「召還士か獣使い、習得しとけばよかった・・・」
うわごとのように呟くが、ここで召還獣やらペットやらを彼に差し向けた所でだから何だという話だ。
「ヴォ・・・・」
試しに少し背後から名前を呼んでみようかと思ったが、いざとなると声が出ない。
ルカの声が女性のものである以上、彼がその声に反応した瞬間に、彼女ら全員が敵意の眼差しでこちらを向くのは明白だ。
それは怖い。 怖すぎる。
「これは、彼が思い出して出てきてくれるのに期待するしかないか・・・」
失敗したら、骨は拾ってくれ。
誰にともなく頭の中でそう頼むと、気配を消しつついつのまにか人数が増えている恐怖の華やかな集団に近付き、横からすっとその囲みに入った。
途端にルカを呑み込む、多種多様な熱く黄色い声の質問の渦。 そしてその目を競売に向けたまま、柳に風とその渦を適当に受け流している彼の様子が見えた。
信じられない、こんなものが自分に向けられて何で平気なんだこのエルヴァーンは。
素早くヴォルフの横に辿り着き、意を決してその袖をつんつんと引っ張った。
気付いて振り向く彼。
しかし彼女の訴えるような眼差しも虚しく、期待していた「あ、待ち合わせか」という表情は現れない。 代わりに彼の口から出たのは。
「ああ、ルカさん。 買い物ですか」
(最悪だーー!!)
思い出しもしないばかりか、あっさりとルカの名を彼女らに知らしめてしまうのはさすがヴォルフ。
びきっと固まるミスラの周囲360度全方位から、まさに「射るような」視線が彼女にざざっと集中した。
(何よこの女!?)という無言の敵意の一斉掃射が、すくむ彼女を至近距離からびしばしと射抜く。
やばい、長くいたら殺される!!
というか今後バストゥークで生活できなくなる!!
「すっ、すすすすいませんごめんなさいっ、失礼しますっ!!」
がっとヴォルフの腕を取ると、極限まで俯いてずりずりとその集団から彼をひきずり出した。
せめて、せめて顔だけはこれ以上見られる訳にはいかない!
「えー、ちょっとぉ」「何ー?」「やだー誰よあれー!」
全身を逆撫でる甲高い剃刀のようなブーイングの恐怖にもはや半泣き状態になりながら、無我夢中でヴォルフの背を押し競売所の階段を駆け下りる。
幸いにも恐れていたトレインは起きずに済んだようだ。
が、それに安心してようやく顔を上げ、ドリー達のいた所を見ると。
とっくに彼らは避難して、武器屋の影からこちらを指差しているのだった。
「あんにゃろーーー!!」
* * *
「よっ、稀代の釣り士!」
改めてけらけらと笑っているドリーが、ほうほうのていのルカとそれに連れられたヴォルフを歓声で迎えた。
「こ、こんなにも恐ろしい釣りがあったとは・・・」
哀れなシーフは前かがみで膝に手をつき、主に精神的疲労でぜいぜい言っている。
「まぁまぁ、命までは取られないじゃない」
「嫉妬に狂う女の子を敵に回すほど人として危険な事がこの世にあるかー!!」
「ヴォルフさん、こんにちはー」
「あ、こんにちは」
「・・・そんな、あっという間に和まないでくださーい・・・」
彼女の消耗に全く気付かないフォーレとヴォルフの交わすほんわかとした挨拶に追い討ちをかけられ、更にがっくりと肩を落とすルカであった。
「で、ヴォルフは一体何をしてたの?」
心身ともに真っ白なボロ布のごときルカを放置して、好奇心に満ちた目でドリーが尋ねる。
「ああ、間違えてカッパーインゴットをダースで買ってしまったら、単品で欲しいと言う人がたまたま周囲にいたので。 何か供給が足りていないみたいですね」
「はー、たまたま、あの人数の女の子が、カッパーインゴを、ねぇ」
全く、この男の家には鏡というものがないのか。
ひょいと競売所の方を見れば、数人の残党が虎視眈々とこちらを伺っている。
くすくす笑いの止まらないドリーの横から、まだ口を尖らせているルードが言った。
「ヴォルフさん、今日出かける予定だったじゃないすかー」
「・・・ああ。 すまん、忘れてた。 今準備して来る・・・いや、その前に黒鉄鉱だけ買って」
「ヤメテーーー!!」
ルカの悲壮な叫びとドリーの笑い声が、商業区に響き渡った。
end
「ふう・・・」
うららかな空気の中、一人のエルヴァーンが門をくぐり、階段を上っていた。
赤と黒の衣装に、背中まである白い長髪がばらりと垂れている。
どことなく、いやあからさまに不機嫌そうな面持ち。 寝起きのヴォルフである。
まぁ実際にご機嫌を損ねている訳では決してなく。
単純に起き抜けで朦朧としているだけなのが判る者は、このヴァナ・ディールに両手の指ほどの数しかいない。
昨夜久しぶりに手をつけた、副業としている鍛冶の細工につい遅くまでのめり込んでしまった彼。
軽い睡眠から覚めて、使い切ってしまった材料の調達にと宿舎から出てきた所だった。
眩しい日の光に眉を寄せ競売所へと歩く。
「鉱石・・・黒鉄鉱と、ブロンズインゴットか」
深いバリトンで気だるげにつぶやきながら、カウンターの前に立つ。
細めた目で品揃えをなぞりつつ、長い白髪をうるさそうに掻きあげる。
彼の右側にいたヒュームの女子3人組が、それを見てお互いをつつき合った。
女の子特有のきらきらした視線を彼に向けながら互いに肩を寄せ、高いオクターブで黄色い会話を囁き出す。
そんなものは耳にも入っていないヴォルフが、ポケットから髪留めを取り出した。
競売に目を向けたままひょいと口に咥え、白い髪を無造作にうなじでまとめるとそれで束ねて背に流す。 腕が下りたその後に、やたらと端正な横顔が露わになった。
彼の左側にいたエルヴァーンとミスラの女子2人組が、その光景に顔を輝かせる。
ミスラの耳がぴぴっと動き、エルヴァーンの娘のカウンターに伸ばす手が止まった。
相変わらず右も左も眼中にない彼。
実際は半分寝呆けているだけの渋い表情で、競売のカウンターをあれこれと操作する。
両サイドの囁きが徐々に熱を帯びていった。
「・・・・っと」
そんな彼の手元に、カウンターからカッパーインゴットがざらざらっと吐き出されてきた。
どうやら彼の呟きと表情を見るに、落札する商品を間違えてしまったらしい。
ふんと鼻を鳴らし、まぁこれはこれで使うか・・・と競売に向き直ると、足元から声が。
「あ、カッパーインゴ、ないねぇ」
「一個だけでいいんだけど・・・丁度切れてる。 ギルドは休みだし・・・」
ふと見下ろすと、タルタルの女の子二人の会話だった。
「よければ一つお譲りしましょうか」
早急に使う材料でもなかったからだろう、ヴォルフは何の気なしにそのタルタルにインゴットを一つ差し出した。
「え、いいんですか? でもでも、お使いになるんじゃ・・・」
「構いませんよ」
表情も変えずさらっと言うと、かがんでインゴットを渡す。 彼女は慌てて受け取ると一つ分の代金を彼に手渡して、上気した顔でぺこりと頭を下げた。
「ありがとうございます、助かりました!!」
さぁ、それを見た左右の女性陣。
彼に接触できる絶好の機会を得て、恐るべき未曾有の行動力が火を噴いた。
スタートダッシュをかましたのはヒュームの女子の一人だ。
「あ、あのっ! 私もカッパーインゴットを探してたんです!! 一つ、頂けませんかっ!?」
たたっと彼に近寄ると、胸の前で手を組んでピカピカの顔で彼を見上げて言った。
「は。 ・・・いいですよ」
一瞬驚いたように眉を上げるも、特に動じる様子もなく淡々とインゴットを渡す。
その手がわずかに触れて、きゃぁ、と声を上げる彼女の後ろからその友達が殺到する。
「あの、私もっ、私も欲しいです!」
「すいません、私もいいですか!?」
見れば左サイドにいた二人もつつと彼に近寄り、目を輝かせて声をかけてきていた。
あっという間に競売前が嬌声に包まれる。
当のヴォルフはといえば、彼女らの熱狂的な視線など全く気にもとめず、特に何の感慨もなさそうな相変わらずの無表情。
求められるがまま、インゴットを彼女らに分配している。
邪魔な素材がはけていく、ぐらいに思っているのだろう。
* * *
「うぉーーーい・・・ 何じゃぁありゃぁ・・・」
その一部分から「きゃいきゃい」という奇音を発する競売所を前にして、ルカとドリー、ルードとフォーレの4人はぽかーんと口を開けていた。
「どうせいっちゅうの、あれ・・・?」
ルカが途方に暮れたように言う。
「いやー、多分忘れてますね」
ルードが乾いた声で応える。
今日はちょっとした用事で5人で出かける約束になっており、今はその待ち合わせ時間なのだが。
現れないヴォルフを探して覗いた競売所の恐るべき光景に、しばし立ち尽くす4人。
「えーとまぁ、忘れてるのは別にいいんだけどー。 あそこからどうやって呼び戻すんだ・・・?」
「なんかこう、独特な人だかりよねぇ」
「すごいですねぇ、人気者ですねぇ、ヴォルフさん」
「・・・や、まぁ、それは間違いじゃないな、うん」
女3人がぼそぼそと話す。
「見てても埒があかなそうだな・・・えーと、ルード君、ちょっと呼んできてもらえまいか」
ルカがこの場で唯一の男性に目を向けると、タルタルの少年は何やらそっぽを向いている。
「いんじゃないすか、忙しそうだし、先に行っちゃいましょうぜ」
「うわっ! 拗ねてる!!」
ドリーがけたけたと笑い出す。「俺だって可愛いのに」などとぶつぶつ呟いているルード。
「ええー・・・じゃ、ナイトの丈夫さが売りのドリー君・・・」
「やあよー、あんな所に潜っていったら踏み潰されちゃう」
まだひーひーと笑っている。 仕方なくそのドリーから視線を横にずらす。
「・・・ フォ・・・ いや、何でもありません」
つぶらな瞳で可愛く首をかしげる白魔道士のタルタルを見て、眉間を押さえ呻くルカ。
さすがに彼女を行かせるのは人の道に外れる。
「と、いう訳でー。 ここはルカに行ってもらいましょうかー」
「うあー・・・」
あの無敵の夢見る集団から、コアを抜き出す。
気が立ったバッファローの群れからエサを取り上げるようなものではあるまいか。
「ここがシーフの腕の見せ所よー、見事目標の対象だけ釣ってきてくださいな」
「モンスターかよ!! いやあれ300%リンクするし! っていうかもう全部リンク済みだし!」
「ちなみにブーメランは禁止です」
「投げるか!!」
「ほらほら、行った行ったー」
「ああああ・・・」
死刑台に向かうような恐々とした表情で、おずおずと現場に歩み寄る。
「召還士か獣使い、習得しとけばよかった・・・」
うわごとのように呟くが、ここで召還獣やらペットやらを彼に差し向けた所でだから何だという話だ。
「ヴォ・・・・」
試しに少し背後から名前を呼んでみようかと思ったが、いざとなると声が出ない。
ルカの声が女性のものである以上、彼がその声に反応した瞬間に、彼女ら全員が敵意の眼差しでこちらを向くのは明白だ。
それは怖い。 怖すぎる。
「これは、彼が思い出して出てきてくれるのに期待するしかないか・・・」
失敗したら、骨は拾ってくれ。
誰にともなく頭の中でそう頼むと、気配を消しつついつのまにか人数が増えている恐怖の華やかな集団に近付き、横からすっとその囲みに入った。
途端にルカを呑み込む、多種多様な熱く黄色い声の質問の渦。 そしてその目を競売に向けたまま、柳に風とその渦を適当に受け流している彼の様子が見えた。
信じられない、こんなものが自分に向けられて何で平気なんだこのエルヴァーンは。
素早くヴォルフの横に辿り着き、意を決してその袖をつんつんと引っ張った。
気付いて振り向く彼。
しかし彼女の訴えるような眼差しも虚しく、期待していた「あ、待ち合わせか」という表情は現れない。 代わりに彼の口から出たのは。
「ああ、ルカさん。 買い物ですか」
(最悪だーー!!)
思い出しもしないばかりか、あっさりとルカの名を彼女らに知らしめてしまうのはさすがヴォルフ。
びきっと固まるミスラの周囲360度全方位から、まさに「射るような」視線が彼女にざざっと集中した。
(何よこの女!?)という無言の敵意の一斉掃射が、すくむ彼女を至近距離からびしばしと射抜く。
やばい、長くいたら殺される!!
というか今後バストゥークで生活できなくなる!!
「すっ、すすすすいませんごめんなさいっ、失礼しますっ!!」
がっとヴォルフの腕を取ると、極限まで俯いてずりずりとその集団から彼をひきずり出した。
せめて、せめて顔だけはこれ以上見られる訳にはいかない!
「えー、ちょっとぉ」「何ー?」「やだー誰よあれー!」
全身を逆撫でる甲高い剃刀のようなブーイングの恐怖にもはや半泣き状態になりながら、無我夢中でヴォルフの背を押し競売所の階段を駆け下りる。
幸いにも恐れていたトレインは起きずに済んだようだ。
が、それに安心してようやく顔を上げ、ドリー達のいた所を見ると。
とっくに彼らは避難して、武器屋の影からこちらを指差しているのだった。
「あんにゃろーーー!!」
* * *
「よっ、稀代の釣り士!」
改めてけらけらと笑っているドリーが、ほうほうのていのルカとそれに連れられたヴォルフを歓声で迎えた。
「こ、こんなにも恐ろしい釣りがあったとは・・・」
哀れなシーフは前かがみで膝に手をつき、主に精神的疲労でぜいぜい言っている。
「まぁまぁ、命までは取られないじゃない」
「嫉妬に狂う女の子を敵に回すほど人として危険な事がこの世にあるかー!!」
「ヴォルフさん、こんにちはー」
「あ、こんにちは」
「・・・そんな、あっという間に和まないでくださーい・・・」
彼女の消耗に全く気付かないフォーレとヴォルフの交わすほんわかとした挨拶に追い討ちをかけられ、更にがっくりと肩を落とすルカであった。
「で、ヴォルフは一体何をしてたの?」
心身ともに真っ白なボロ布のごときルカを放置して、好奇心に満ちた目でドリーが尋ねる。
「ああ、間違えてカッパーインゴットをダースで買ってしまったら、単品で欲しいと言う人がたまたま周囲にいたので。 何か供給が足りていないみたいですね」
「はー、たまたま、あの人数の女の子が、カッパーインゴを、ねぇ」
全く、この男の家には鏡というものがないのか。
ひょいと競売所の方を見れば、数人の残党が虎視眈々とこちらを伺っている。
くすくす笑いの止まらないドリーの横から、まだ口を尖らせているルードが言った。
「ヴォルフさん、今日出かける予定だったじゃないすかー」
「・・・ああ。 すまん、忘れてた。 今準備して来る・・・いや、その前に黒鉄鉱だけ買って」
「ヤメテーーー!!」
ルカの悲壮な叫びとドリーの笑い声が、商業区に響き渡った。
end