テノリライオン
The Way Home 第11話 再生
最終更新:
匿名ユーザー
-
view
本、本、本。
書棚に収まりきらない大小様々の本が、机の上から床にまで所狭しと溢れている。
もはや乱雑の域を通り越して、魔境といった趣だ。
「よっ・・・と」
そんな寄宿舎の一室の扉が開き、ルカが慣れた足つきで入ってきた。
その後ろからこの部屋の主、まだ首の包帯も痛々しいバルトが続く。
早々にジュノ上層の病院を退院してきた彼。
首の傷の治療を除けば特に寝ている必要もないからという事だったが、いつまでも病院にいては気が滅入る、というのが本音なのだろう。
必要な薬類だけを貰って、彼は自分の部屋に戻ってきた。
「えーとじゃー、包帯と薬はここに置くから・・・あとは食料をちょっと買って来ようか」
ルカの言葉に軽く頷いて荷物を置くとその中から財布だけ取り出し、器用に本の山を避けて扉に向かおうとする彼。
「ああいいよ、私行って来るから荷物かたしとい・・・うぉっと」
何気なく彼の方に歩み寄ろうとして、踏んでいいものと悪いものの選定を見誤った。
あっというまに足元を滑らせ、どすんと尻餅をついてしまう。 咄嗟に伸ばした手が横にあった本の山を崩し、どさどさと二人の間に重い本の雪崩が発生した。
「うーがー、またやった・・・」
床に座り込んだまま、うんざりした声で呻くルカ。
すいませんねぇ、という顔で苦笑いしながら雪崩の前に腰を下ろし、バルトは崩れた本を適当に積み直し始める。
やれやれと手近な本を手に取り積み上げるルカの目に、次々とそのタイトルが飛び込んできた。
「魔力付与の媒体」「光の精霊とその起源」「古代魔術の開拓者達」「黒魔道士ギルド年鑑」・・・
「―――ねぇ」
どこを切っても魔術関係の小難しい本ばかり。
ある種の愛情すら感じられるその光景に、それまで何となく口に出さずにいた言葉が、するっと漏れた。
「これから、どうしようね・・・?」
本を積むバルトの手が、ふと止まる。 一拍の後、息を吐くように持っていた本をのたりと山の上に置いた。
動作は重くとも、その表情は変わらず柔らかい。
「呪文を・・・って言うか、声を出さないといけない職は厳しい、よね・・・はい」
呟くように喋るルカに、何かをつまんで振るような動作をしてみせながら軽く辺りを見回すバルト。
それを見て彼女は、ポケットに入れていたメモとペンを取り出して彼に手渡した。
メモの上をペンが走る。
『ゆっくり考えるよ、戦士とかモンクもあるし』
「んー、まぁ、そうねぇ・・・でも勿体無いよなぁ、これだけ専門分野が・・・」
本の海のような部屋をぐるりと見回す。 その圧倒的な光景は、ただ仕事だからという動機だけではおよそ到達できない領域。 ヴォルフやフォーレの部屋も、こんな惨状を見せてはいない。
溜息をつく彼女の横で、またペンがカリカリと音を立てる。
『言ってもしょうがない。 何か探すよ、大丈夫』
微笑んでぴらっとメモを見せるバルト。
しかしその笑顔は前向きなようで、でもやはりどこか虚ろなのだ。
「・・・うん、そうだね。 焦らなくていいよね」
この話はここまで。 そんな風に、声を明るいものに切り替えてルカは本積みを再開する。
バルトも軽く頷いて、その手を動かし始めた。
戦士。 モンク。
笑顔の裏で、ルカは考える。
この部屋の主が、こんな部屋の持ち主が。 武器を握る?
できない、と思っているのではない。 あまりにリアリティがないのだ。
食事もそこそこに、ぶ厚い魔道書を読みふける横顔。
新しい呪文をこねくりまわす時の、この上なく楽しそうな瞳。
めまぐるしい戦いの中で膨大な量の呪文を取り回し、影で日向で戦局を操る姿。
それらを、ずっと近くで見てきた彼女だから。
却って、何も言えずにいた。
きっとその奥底で彼の胸を真っ黒に塗り潰しているであろう絶望は、彼女だからといって癒せるようなものでは決してないのだ―――
「・・・さて。 んじゃ、買い物に行きましょうかね」
本を積み終わった所で無理矢理物思いを断ち切ったルカ。
ぱんぱんと手をはたいて勢い良く立ち上がると、明るい声で言った。
ん? という顔で見返し腰を上げるバルトの手を取って、扉へとすたすた歩き出す。
何となく、一人にしたくなかった―――なりたくなかったのかもしれない。
そんな彼女の心の動きに、気付いただろうか。
バルトは目を細めて微笑むと先に立ち、彼女の前のドアをすっと開けるのだった。
* * *
「―――以上です。 よろしいでしょうか」
その声で、ルカははっと我に返った。
いつのまにか神子付きのタルタルの説明が終わっていた。
ぼーっとしてちっとも聞いていなかったのがバレてやしないかと、ちょっと目を泳がせる。
「それでは本日のところは、宿でゆっくりお休み下さい。 明日以降動きがあればその都度連絡を致します。 皆様も何かあれば、いつでもこちらにお越し頂いて構いませんので」
「判りました」
イーゴリが頷く。 ひととおり彼らの話が終わったのを見て、神子が口を開いた。
「皆さん、かくも危険な仕事をお引き受け下さって、本当に言葉では表せない程、感謝しています。 皆さんの為、私に出来る事があれば可能な限りの力を尽くしたいと思っていますので、どうぞいつでも、何なりと仰って下さい」
ありがとうございます、と頭を下げる皆の前で、ドリーが一歩進み出た。
「・・・あの、神子様」
「はい」
にっこりと応える神子。
「バルトの、喉の事なんですけれど」
彼女の言葉に、皆がはっとなる。 バルトがその包帯に手を当て、かすかに苦い表情になった。
「神子様のお力で、治す事はできないでしょうか・・・?」
冒険者たちの熱い視線が、一斉に星の神子に注がれた。
が、その視線の先で、神子の微笑みはすぅっと姿を隠してしまう。
―――駄目なのだろうか。 失望しかける彼らの前で、神子がその玉座から降り立った。
「バルトルディさん、こちらへ」
「・・・・・」
呼ばれたバルトが、引き寄せられるように神子の御前に進む。 そしてその小さな少女の前で、膝を折った。
彼の喉に神子の両の掌が伸びる。 思わず彼の背後に寄り、固唾を飲んで見守る仲間達。
ぽう、と柔らかい光が、神子の掌から滲み出るのが見えた。
その美しい色と輝きにフォーレが目を見張り、暖かさにバルトは思わず瞼を閉じる。
が。
「・・・申し訳、ありません」
悲しげな声と共に、数秒で神子はその光を収めて手を引いてしまう。
「処理できません・・・染み込んだ魔力の法則が違いすぎて、私程度の力では、とても癒すまでには及びません」
「て、程度の、って・・・」
ドリーが呆然と呟く。 魔法国家ウィンダス元首の力を以って「程度」と言わしめる傷。
それでは、治癒する望みは限りなくゼロに近いではないか。
思わずバルトの横にへたり込むルカ。 暗く沈み込む空気の中で、黒魔道士は静かに目を伏せた。
「何か―――何とか、ならないでしょうか」
それでもなおドリーは食い下がる。
「みんな一緒に戦って、なのにバルトだけがこんな痛手を負うなんて、嫌なんです! 前みたいに、話がしたい! 大事な、友達なんです・・・戦友なんです。 この先の戦いでも、後ろで見守っていてほしいんです。 頼りにしてるんです・・・いてくれなかったら、寂しいです・・・」
その語尾が、段々湿ってくる。 イーゴリが唇を噛んで俯いた。
そんなドリーの切々とした訴えの中、星の神子はじっとバルトを見据えていた。
何かを探るように、じっと。
それに気付いたバルトが、その瞳を見返す。
吸い込まれそうな深淵の黒が、彼の中の何かを見定めようとしているのを感じる。
その深い色に引きずり出されるかのように、あるいは甘えるかのように。
知らず彼は己の眼差しに、今ある思いの全てを乗せていた―――
病院で目覚めてからずっと。 自分の運命を知ってからずっと。
ひたすらに胸の奥に押し込め、諦めようとして叶わず、耐え切れず貪っても残るのは泥沼のような虚無感ばかり、それでもなお手放せずに抱え続けた、己の全てを投じてきた魔術への狂おしいまでの想い。
戦友達には決して漏らせなかった、責め苦のような時の爪痕。 それが、迸る。
そんな彼の眼差しを受け止めた神子。 静かに彼に最後の問いかけをする。
「伺います。 バルトルディさん、今後戦場で職を変えようと、心に決めておられますか」
さっと、彼の顔に苦味が走った。 それが神子に、全てを物語る。
「・・・残念ながら、私にはあなたに言葉を取り戻して差し上げることは出来ません。 ですが」
ぼーん・・・と。 どこか遠くの部屋で、時計の鐘が鳴った。
その澄んだ音色に、神子の言葉が被さる。
「喉を介さずに魔法を発動させる手段ならば、お教えしましょう」
* * *
本当ですか!?
ルカはそう叫ぼうとして、ばっと顔を上げた。
が、その言葉は、突如彼女を横殴りに襲った強烈な力場に掻き消される。
その余波に鳥肌を立てながら、衝撃の源、彼女を打った空気の方向に反射的に顔を向けた。
そこでは。
彼女の黒魔道士が、目覚めていた。
偽りの諦観を脱ぎ捨て、食い入るように開かれた瞳に飢えたコロナの如き苛烈な渇望も顕わに、目覚めていた。
ほんの僅か乗り出したその身と表情が放つ、刺さるような意思の波は、殺気にも似た狂喜だ。
―――ああ。 やっぱりこの人は、骨の髄まで魔道士なんだ―――
寒気の形を取って彼女の体を彷徨っていた、身震いの気配。
それがゆっくりと、この場にそぐわぬ誇らしい恍惚へとその姿を変えていく。
遠くで神子の喋る声が聞こえた。
「勿論、容易くはありません。 まず協力者が必要です」
「協力者、と申しますと?」
神子の言葉に、イーゴリが急いたように聞き返す。
「簡単に言えば、代わりに呪文を唱えてくれる方です。 まずバルトルディさんが魔力によりぎりぎりまで練った魔法を、手と手を通してその方が受け取り、最後に呪文を発声してその魔法を実際に発動させる、という方法です。 声だけを借りるという訳ですね」
バルトが、少し考えるような顔になる。
「聞いた事がないです・・・あの、その受け取り手はやはり、魔道士がよいのでしょうか?」
フォーレの疑問に、神子が答える。
「いいえ、そうである必要はありません。 むしろ両者が平行して魔法を行使するような場合には他者の魔力がノイズになってしまう可能性があるので、魔法を使わない方の方がよいとも言えるでしょう」
「なるほど・・・」
「それよりも重要なのは、術者の影響を、協力者がどれだけ抵抗なく受け入れられるかです。 伝わってくる魔力に手を加えずそのまま呪文に乗せる・・・そういう意味でも、魔道士よりは」
「私がやります」
本日二度目の「やります」だ。
無意識に背筋を伸ばしてきっぱりと宣言しながら、ルカは頭の隅でそんなことを考えていた。
その場の全員の視線が、尻尾をぴんと張ったミスラに集まる。
「・・・今日は、お前さんの独壇場だな」
イーゴリが、にやりと嗤って言った。
神子はそんな彼女に、優しく微笑む。
「アルカンジェロさんにもちょっとした訓練が必要になりますが、よろしいですね?」
「はい」
ごく自然に答えるルカの腕に、何かが触れた。 バルトの手だ。
仰ぎ見れば、そこはかとなく心苦しそうな顔をしている。
願ってやまない復帰への足がかりとはいえ、他者の手を借り拘束するということに躊躇いがあるのだろう。 放っておけば『やっぱりいい』とでも言い出しかねない。
そう思ったルカは、にやりと笑って見せながら言った。
「冷静に考えて、シーフの私が一番適任でしょ。 敵からも離れられるし、魔術の先入観もないし。 それとも何、もっさい男どもとか私以外の女の子と手ぇ繋ぐつもり?」
自分で言っておきながら、最後のセリフに吹き出してしまうルカ。
「そうか、あれね! 夫婦の協同作業ってやつね!!」
ぱぁっと明るくなった声で、ドリーが嬉しそうに言う。 皆の顔が、解き放たれたようにほころんだ。
「それでは、お二人をしばらくお預かりして、その手法を伝授したいと思います。
バルトルディさんも、よろしいですか?」
その言葉に、黒魔道士はすっと表情を引き締めて立ち上がる。
そして一歩下がると、神子とルカに向かい深く頭を下げた。
to be continued
書棚に収まりきらない大小様々の本が、机の上から床にまで所狭しと溢れている。
もはや乱雑の域を通り越して、魔境といった趣だ。
「よっ・・・と」
そんな寄宿舎の一室の扉が開き、ルカが慣れた足つきで入ってきた。
その後ろからこの部屋の主、まだ首の包帯も痛々しいバルトが続く。
早々にジュノ上層の病院を退院してきた彼。
首の傷の治療を除けば特に寝ている必要もないからという事だったが、いつまでも病院にいては気が滅入る、というのが本音なのだろう。
必要な薬類だけを貰って、彼は自分の部屋に戻ってきた。
「えーとじゃー、包帯と薬はここに置くから・・・あとは食料をちょっと買って来ようか」
ルカの言葉に軽く頷いて荷物を置くとその中から財布だけ取り出し、器用に本の山を避けて扉に向かおうとする彼。
「ああいいよ、私行って来るから荷物かたしとい・・・うぉっと」
何気なく彼の方に歩み寄ろうとして、踏んでいいものと悪いものの選定を見誤った。
あっというまに足元を滑らせ、どすんと尻餅をついてしまう。 咄嗟に伸ばした手が横にあった本の山を崩し、どさどさと二人の間に重い本の雪崩が発生した。
「うーがー、またやった・・・」
床に座り込んだまま、うんざりした声で呻くルカ。
すいませんねぇ、という顔で苦笑いしながら雪崩の前に腰を下ろし、バルトは崩れた本を適当に積み直し始める。
やれやれと手近な本を手に取り積み上げるルカの目に、次々とそのタイトルが飛び込んできた。
「魔力付与の媒体」「光の精霊とその起源」「古代魔術の開拓者達」「黒魔道士ギルド年鑑」・・・
「―――ねぇ」
どこを切っても魔術関係の小難しい本ばかり。
ある種の愛情すら感じられるその光景に、それまで何となく口に出さずにいた言葉が、するっと漏れた。
「これから、どうしようね・・・?」
本を積むバルトの手が、ふと止まる。 一拍の後、息を吐くように持っていた本をのたりと山の上に置いた。
動作は重くとも、その表情は変わらず柔らかい。
「呪文を・・・って言うか、声を出さないといけない職は厳しい、よね・・・はい」
呟くように喋るルカに、何かをつまんで振るような動作をしてみせながら軽く辺りを見回すバルト。
それを見て彼女は、ポケットに入れていたメモとペンを取り出して彼に手渡した。
メモの上をペンが走る。
『ゆっくり考えるよ、戦士とかモンクもあるし』
「んー、まぁ、そうねぇ・・・でも勿体無いよなぁ、これだけ専門分野が・・・」
本の海のような部屋をぐるりと見回す。 その圧倒的な光景は、ただ仕事だからという動機だけではおよそ到達できない領域。 ヴォルフやフォーレの部屋も、こんな惨状を見せてはいない。
溜息をつく彼女の横で、またペンがカリカリと音を立てる。
『言ってもしょうがない。 何か探すよ、大丈夫』
微笑んでぴらっとメモを見せるバルト。
しかしその笑顔は前向きなようで、でもやはりどこか虚ろなのだ。
「・・・うん、そうだね。 焦らなくていいよね」
この話はここまで。 そんな風に、声を明るいものに切り替えてルカは本積みを再開する。
バルトも軽く頷いて、その手を動かし始めた。
戦士。 モンク。
笑顔の裏で、ルカは考える。
この部屋の主が、こんな部屋の持ち主が。 武器を握る?
できない、と思っているのではない。 あまりにリアリティがないのだ。
食事もそこそこに、ぶ厚い魔道書を読みふける横顔。
新しい呪文をこねくりまわす時の、この上なく楽しそうな瞳。
めまぐるしい戦いの中で膨大な量の呪文を取り回し、影で日向で戦局を操る姿。
それらを、ずっと近くで見てきた彼女だから。
却って、何も言えずにいた。
きっとその奥底で彼の胸を真っ黒に塗り潰しているであろう絶望は、彼女だからといって癒せるようなものでは決してないのだ―――
「・・・さて。 んじゃ、買い物に行きましょうかね」
本を積み終わった所で無理矢理物思いを断ち切ったルカ。
ぱんぱんと手をはたいて勢い良く立ち上がると、明るい声で言った。
ん? という顔で見返し腰を上げるバルトの手を取って、扉へとすたすた歩き出す。
何となく、一人にしたくなかった―――なりたくなかったのかもしれない。
そんな彼女の心の動きに、気付いただろうか。
バルトは目を細めて微笑むと先に立ち、彼女の前のドアをすっと開けるのだった。
* * *
「―――以上です。 よろしいでしょうか」
その声で、ルカははっと我に返った。
いつのまにか神子付きのタルタルの説明が終わっていた。
ぼーっとしてちっとも聞いていなかったのがバレてやしないかと、ちょっと目を泳がせる。
「それでは本日のところは、宿でゆっくりお休み下さい。 明日以降動きがあればその都度連絡を致します。 皆様も何かあれば、いつでもこちらにお越し頂いて構いませんので」
「判りました」
イーゴリが頷く。 ひととおり彼らの話が終わったのを見て、神子が口を開いた。
「皆さん、かくも危険な仕事をお引き受け下さって、本当に言葉では表せない程、感謝しています。 皆さんの為、私に出来る事があれば可能な限りの力を尽くしたいと思っていますので、どうぞいつでも、何なりと仰って下さい」
ありがとうございます、と頭を下げる皆の前で、ドリーが一歩進み出た。
「・・・あの、神子様」
「はい」
にっこりと応える神子。
「バルトの、喉の事なんですけれど」
彼女の言葉に、皆がはっとなる。 バルトがその包帯に手を当て、かすかに苦い表情になった。
「神子様のお力で、治す事はできないでしょうか・・・?」
冒険者たちの熱い視線が、一斉に星の神子に注がれた。
が、その視線の先で、神子の微笑みはすぅっと姿を隠してしまう。
―――駄目なのだろうか。 失望しかける彼らの前で、神子がその玉座から降り立った。
「バルトルディさん、こちらへ」
「・・・・・」
呼ばれたバルトが、引き寄せられるように神子の御前に進む。 そしてその小さな少女の前で、膝を折った。
彼の喉に神子の両の掌が伸びる。 思わず彼の背後に寄り、固唾を飲んで見守る仲間達。
ぽう、と柔らかい光が、神子の掌から滲み出るのが見えた。
その美しい色と輝きにフォーレが目を見張り、暖かさにバルトは思わず瞼を閉じる。
が。
「・・・申し訳、ありません」
悲しげな声と共に、数秒で神子はその光を収めて手を引いてしまう。
「処理できません・・・染み込んだ魔力の法則が違いすぎて、私程度の力では、とても癒すまでには及びません」
「て、程度の、って・・・」
ドリーが呆然と呟く。 魔法国家ウィンダス元首の力を以って「程度」と言わしめる傷。
それでは、治癒する望みは限りなくゼロに近いではないか。
思わずバルトの横にへたり込むルカ。 暗く沈み込む空気の中で、黒魔道士は静かに目を伏せた。
「何か―――何とか、ならないでしょうか」
それでもなおドリーは食い下がる。
「みんな一緒に戦って、なのにバルトだけがこんな痛手を負うなんて、嫌なんです! 前みたいに、話がしたい! 大事な、友達なんです・・・戦友なんです。 この先の戦いでも、後ろで見守っていてほしいんです。 頼りにしてるんです・・・いてくれなかったら、寂しいです・・・」
その語尾が、段々湿ってくる。 イーゴリが唇を噛んで俯いた。
そんなドリーの切々とした訴えの中、星の神子はじっとバルトを見据えていた。
何かを探るように、じっと。
それに気付いたバルトが、その瞳を見返す。
吸い込まれそうな深淵の黒が、彼の中の何かを見定めようとしているのを感じる。
その深い色に引きずり出されるかのように、あるいは甘えるかのように。
知らず彼は己の眼差しに、今ある思いの全てを乗せていた―――
病院で目覚めてからずっと。 自分の運命を知ってからずっと。
ひたすらに胸の奥に押し込め、諦めようとして叶わず、耐え切れず貪っても残るのは泥沼のような虚無感ばかり、それでもなお手放せずに抱え続けた、己の全てを投じてきた魔術への狂おしいまでの想い。
戦友達には決して漏らせなかった、責め苦のような時の爪痕。 それが、迸る。
そんな彼の眼差しを受け止めた神子。 静かに彼に最後の問いかけをする。
「伺います。 バルトルディさん、今後戦場で職を変えようと、心に決めておられますか」
さっと、彼の顔に苦味が走った。 それが神子に、全てを物語る。
「・・・残念ながら、私にはあなたに言葉を取り戻して差し上げることは出来ません。 ですが」
ぼーん・・・と。 どこか遠くの部屋で、時計の鐘が鳴った。
その澄んだ音色に、神子の言葉が被さる。
「喉を介さずに魔法を発動させる手段ならば、お教えしましょう」
* * *
本当ですか!?
ルカはそう叫ぼうとして、ばっと顔を上げた。
が、その言葉は、突如彼女を横殴りに襲った強烈な力場に掻き消される。
その余波に鳥肌を立てながら、衝撃の源、彼女を打った空気の方向に反射的に顔を向けた。
そこでは。
彼女の黒魔道士が、目覚めていた。
偽りの諦観を脱ぎ捨て、食い入るように開かれた瞳に飢えたコロナの如き苛烈な渇望も顕わに、目覚めていた。
ほんの僅か乗り出したその身と表情が放つ、刺さるような意思の波は、殺気にも似た狂喜だ。
―――ああ。 やっぱりこの人は、骨の髄まで魔道士なんだ―――
寒気の形を取って彼女の体を彷徨っていた、身震いの気配。
それがゆっくりと、この場にそぐわぬ誇らしい恍惚へとその姿を変えていく。
遠くで神子の喋る声が聞こえた。
「勿論、容易くはありません。 まず協力者が必要です」
「協力者、と申しますと?」
神子の言葉に、イーゴリが急いたように聞き返す。
「簡単に言えば、代わりに呪文を唱えてくれる方です。 まずバルトルディさんが魔力によりぎりぎりまで練った魔法を、手と手を通してその方が受け取り、最後に呪文を発声してその魔法を実際に発動させる、という方法です。 声だけを借りるという訳ですね」
バルトが、少し考えるような顔になる。
「聞いた事がないです・・・あの、その受け取り手はやはり、魔道士がよいのでしょうか?」
フォーレの疑問に、神子が答える。
「いいえ、そうである必要はありません。 むしろ両者が平行して魔法を行使するような場合には他者の魔力がノイズになってしまう可能性があるので、魔法を使わない方の方がよいとも言えるでしょう」
「なるほど・・・」
「それよりも重要なのは、術者の影響を、協力者がどれだけ抵抗なく受け入れられるかです。 伝わってくる魔力に手を加えずそのまま呪文に乗せる・・・そういう意味でも、魔道士よりは」
「私がやります」
本日二度目の「やります」だ。
無意識に背筋を伸ばしてきっぱりと宣言しながら、ルカは頭の隅でそんなことを考えていた。
その場の全員の視線が、尻尾をぴんと張ったミスラに集まる。
「・・・今日は、お前さんの独壇場だな」
イーゴリが、にやりと嗤って言った。
神子はそんな彼女に、優しく微笑む。
「アルカンジェロさんにもちょっとした訓練が必要になりますが、よろしいですね?」
「はい」
ごく自然に答えるルカの腕に、何かが触れた。 バルトの手だ。
仰ぎ見れば、そこはかとなく心苦しそうな顔をしている。
願ってやまない復帰への足がかりとはいえ、他者の手を借り拘束するということに躊躇いがあるのだろう。 放っておけば『やっぱりいい』とでも言い出しかねない。
そう思ったルカは、にやりと笑って見せながら言った。
「冷静に考えて、シーフの私が一番適任でしょ。 敵からも離れられるし、魔術の先入観もないし。 それとも何、もっさい男どもとか私以外の女の子と手ぇ繋ぐつもり?」
自分で言っておきながら、最後のセリフに吹き出してしまうルカ。
「そうか、あれね! 夫婦の協同作業ってやつね!!」
ぱぁっと明るくなった声で、ドリーが嬉しそうに言う。 皆の顔が、解き放たれたようにほころんだ。
「それでは、お二人をしばらくお預かりして、その手法を伝授したいと思います。
バルトルディさんも、よろしいですか?」
その言葉に、黒魔道士はすっと表情を引き締めて立ち上がる。
そして一歩下がると、神子とルカに向かい深く頭を下げた。
to be continued