喧嘩とは

 喧嘩とは

 

人はどの時代でもぶつかり合う衝動に駆られる。

大きければ戦争に、小さければ殴り合いに。

銃撃戦も言い争いも結局は同じことなのだ。

 

人は認めてもらいたいものだ。

赤ん坊は泣くことで存在を認めてもらうのだ。

女は泣くことで男の気を留められるのだ。

絵も音も言葉も自分の存在を燦然と輝かせるためだ。

 

街灯がチカチカなっている。針は明日へ跨いだ。

「争いは価値観の打つけ合いだ。」

と何処か路地裏で誰かがぽつりと言ったのが聞こえる。

 

「考える葦である我々が、ただひたすら考え続けるために。

 終わりのない思考をするための、創造のための破壊を。

 限界を超える力を。型を破るだけの知恵を。

 我々自身の存在を超える、我々自身であり続けるように。

 その目を炯眼と呼ぶに相応しく、真実に近づくように。」

 

「「「旧知の仲はすでに昨日の夜行列車に乗って出てったよ。」」」

 

残された俺はただひたすらに堂々巡りを続け、

足りない犬が自分の尾を追うように、

口から汚物を垂れ流しぐるぐるその場で回り続けるだけだ。

 

それでも、考えることをやめない。

認めてもらうことを求めるのを厭わない。

街灯の灯りが消えた。

 

新しい夜明けだ。

最終更新:2013年09月22日 05:43