喧嘩とは
人はどの時代でもぶつかり合う衝動に駆られる。
大きければ戦争に、小さければ殴り合いに。
銃撃戦も言い争いも結局は同じことなのだ。
人は認めてもらいたいものだ。
赤ん坊は泣くことで存在を認めてもらうのだ。
女は泣くことで男の気を留められるのだ。
絵も音も言葉も自分の存在を燦然と輝かせるためだ。
街灯がチカチカなっている。針は明日へ跨いだ。
「争いは価値観の打つけ合いだ。」
と何処か路地裏で誰かがぽつりと言ったのが聞こえる。
「考える葦である我々が、ただひたすら考え続けるために。
終わりのない思考をするための、創造のための破壊を。
限界を超える力を。型を破るだけの知恵を。
我々自身の存在を超える、我々自身であり続けるように。
その目を炯眼と呼ぶに相応しく、真実に近づくように。」
「「「旧知の仲はすでに昨日の夜行列車に乗って出てったよ。」」」
残された俺はただひたすらに堂々巡りを続け、
足りない犬が自分の尾を追うように、
口から汚物を垂れ流しぐるぐるその場で回り続けるだけだ。
それでも、考えることをやめない。
認めてもらうことを求めるのを厭わない。
街灯の灯りが消えた。
新しい夜明けだ。