【墓地跡】その2「最終問答:永遠は在るか否か?」


震えるような美しい月の夜。
イオマンテは遠上多月の血に濡れながらグラウンドを闊歩していた。

イオマンテは、酷く、疲れていた。

普段であれば仕留めた獲物を残らず胃の腑に収めるが、とてもそんなことをする余力はなかった。
遠上多月との戦いは激戦だった。

本当は使いたくなかった、【山に捨てられた老人】の側面を使う羽目になった。

イオマンテは人間に恨みを持つ動物霊の集合体であるが、主格は最強であり最も強い殺意を持つエゾヒグマが担当している。

イオマンテの身に宿す老人たちの霊。
彼ら彼女らは同じく山に送られた獣であり、人間への恨みを持つ同胞である。

…ただ、それでもやはり人間なのだ。

他の動物霊、特に主格であるエゾヒグマほどの苛烈な殺意、怒りを維持するのは難しい。
どうしても在りし日の思い出が殺戮の枷となる。

自分を捨てた人間が憎い…だけど、美しい思い出も在る、優しい思い出も在る。

「全ての人間が悪いわけではない」

などと言う甘い考えもある。
故に、イオマンテとして猛威を振るう際には、老人たちの要素は出さずにいたのだ。

疲れからか、イオマンテは珍しく過去に意識を飛ばした。
あれはいつの話だっただろうか。
ほんの少しだけ前の話の気もするし、はるか遠い昔の話の気もする。

イオマンテの主格であるエゾヒグマが、山に送られる前に人間に飼われていた記憶。
確かにあの時は無邪気に人間と関わり、楽しく遊んでいたような────


何を考えている

イオマンテはブルブルと頭を振るう。
こうなるから人間の要素を使いたくなかったのだ。

しかしそんなイオマンテの想いと裏腹に、思考はとめどなく溢れ出る。
遠上多月の【竜言火語(フレイムタン)】により基盤を揺るがされた影響か。
普段の姿を維持することも辛くなってきた。

終わりが近づいている。

イオマンテは初めて、どれだけ殺すかではなく、残された時間で何を殺すかを考え始めた。


■■■

最終問答:永遠は在るか否か?

■■■


 くちゅり


 大きな口を開いた


               ぞぶり


                  これが、私だ。




神星さんとの戦い(戦いと言っていいのか、今でも私には判断がつかないけど)が終わった後、私はおミツさんの肩口に噛り付いた。おミツさんの血と肉はとても甘く、蕩ける様に熱く、魂の震える味がした。

今でも思う。あそこで正気を取り戻し、喰い進むのをやめられたのは奇跡だと。

ギリギリで踏みとどまった私は、すぐにおミツさんに謝り倒した。
おミツさんは泣きそうな笑みを浮かべた後、何も言わずに私をこの墓地跡に連れてきた。

そうして、墓地跡の端にある薄汚れた階段で地下に降りた。
地下には、埃を被った墓がこじんまりと存在していた。

「…ろん。キミが危うくなっているのは気付いていた…でも、ボクはそれに向きあう事を先延ばしにしていたんだ。」

振るえるような声でおミツさんが告げる。

「ここには、怪異の犠牲になった学園の被害者たちの墓がおかれている…流石に学園として外聞が悪いとはいえ、悼まないわけにはいかないからね?…本当は、キミ自身に気付いてほしかったけど…」

おミツさんの言っている言葉の意味がよく分からない。
困惑する私を無視して、おミツさんは続ける。

「ボクが学園の怪異の解体に乗り出したのは…『まどか』のメールを受け取ったからだ。この学園で怪異の犠牲となった蓮柄 円(はちすがら まどか)が亡霊となってさまよっていることは知っていたけど、メールを操り、人の心をざわつかせる悪霊に近い存在になっているとは知らなかった。」

ふう、とおミツさんは重い息を吐いた。

「…ボクが、最初にメールで指令を受けて解体した相手は、【生物室の獣】、ウンタラ・カンタラーだった。次に指令を受けたのは、【トイレの花子さん】の解体だった。そこで、ボクはキミに出会った。」

覚えている。私もあの日の出会いを覚えている。

「そのあとも、ボクはいくつもの怪異を解体した。【ツェルベルスの喰魔】、【星名紅子】、【神星翠】…。だけどね、ろん…」

酷く悲しい顔をして、躊躇いながら、苦しそうに、おミツさんは告げた。

「ボクは、キミと出会ってから、『まどか』のメールを受け取っていないんだ(・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・)

おミツさんが何を言いたいのか。
分かった。分かってしまった。
おミツさんは、何も言わずに一つの墓地を指した。

その墓を見た瞬間に、私の忘れていた記憶が噴き出す。
何もかもが、世界がぐるりと回りだす。

その墓に書かれていた名前は、蓮柄 円(はちすがら まどか)


私の名前だ(・ ・ ・ ・ ・)



■■■


思い出した。
何もかもを思い出した。

私の名前は、蓮柄 円。
死後、学園をさまよっていたが、長い時を経て『まどか』という悪霊に堕ちた存在。

メールによる指示で、怪異と怪異狩りをぶつけ、弱った方を喰らおうとした、人に仇をなす怪異。

そうだ。何故私はそんなことを忘れていられたのだ?

その答えを、おミツさんが解く。

「記憶喪失のろん。ろんと出会ってから来なくなった『まどか』のメール。【生物室の獣】、ウンタラ・カンタラーが語っていた忘却を操る獣の怪異…答えはあまりにも明白じゃあないか」

ああ、そうだ。そうだった。
私は、『まどか』は、メールを操り、怪異も怪異狩りもを喰らおうとする怪異だった。
それが、忘却を操る巨獣に返り討ちにされたのだった。

記憶喪失の私。
忘却を操る獣。

あまりにも分かりやすいパズルに、当人の私だけが気付いていなかったのだ。

ここまで簡単な謎であれば、おミツさんなら即座に気が付いただろう。
下手をしたら、出会った次の瞬間には、私の正体にも、危険性にも気が付いたのではないか?

「…勿論、気が付いていたさ。ろん、キミが『まどか』だということも、何故記憶を失っていたのかも。キミが怪異も怪異狩りも喰らおうとする貪欲な存在だという事も。」

「…じゃあ、何故、おミツさんは私を解体しなかったんですか?私を解体して、弾丸にして、終わりにしなかったんですか?」

私の問いに、おミツさんは激高で応えた。



「友達だからに決まってるだろぉぉ!!?」



こんなにも感情的なおミツさんを見るのは初めてだった。
外聞も何も考えず、涙と鼻水すら振りまく、苛烈な叫びだった。

「キミを!解体して!弾丸にして!無理矢理永遠となるようなことはしたくないんだ!『これでずっと一緒だよね』なんて、そんな永遠は嫌だ!ボクは、ろん、キミと、今のキミのままで一緒にいたいんだ!!」

鼻水を一つ啜ると、おミツさんは気合の入った表情になった。

「ボクは、この学園の怪異を全て潰す。平穏を確保してから、ボクとキミのこれからについて語ろうじゃないか…」

そうして、階段を上り、墓地跡へと繰り出した。

「そういっても、学園に残る怪異はあと一つだ。キミを害し、遠上多月を喰らった存在。【復讐の獣】イオマンテ。遠上多月の【竜言火語(フレイムタン)】の残滓があるうちに、ボクは書き込みをしたんだ。『あの巨獣は墓地跡に来るそうだ』ってね」

果して、【復讐の獣】イオマンテは墓地跡に来ていた。
揺らぐ自我に鞭を入れ、虚ろな瞳と垂れる涎を晒しながら。

山口ミツヤは、『まどか』を傷つけ忘却の淵に堕としたイオマンテを、完膚なきまでに解体するつもりだった。
イオマンテは、濃厚な怪異狩りの気配を放つ山口ミツヤを、最後に殺すべき獲物と見定めた。


【解体屋】山口ミツヤ VS 【復讐の獣】イオマンテ


長い、長い怪談に終わりの時が迫る。


■■■


対峙する両者。
その間を、一つ、冷たい風が吹く。

「『怪談(net-a-bullet):三枚のお札』」

山口ミツヤがその弾丸を放った瞬間、両者の間に巨大な川と火の海が生まれた。

凶悪な怪異を騙し、最後は小さくして食べてしまう(・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・)、人間の知恵を示した怪談。

イオマンテを討つには、あまりにもふさわしい一発が、イオマンテの進軍を阻んだ。
巨大な川と火の海に、恐れを感じない生物などいない。
行く手を阻む現象に動きを止めたイオマンテに対し、山口ミツヤが語り始める。

「…そうは言っても、既にキミの解体は半ば以上に済んでいるんだ。屋上で撮られた映像。私が解体した【生物室の獣】の話。それらが合わされば、キミの正体はほとんど透けている…」

大げさな身振りで山口ミツヤが畳みかける。

「嗚呼そうさ!キミは“わすれ”の一角!アイヌの幻影!イオマンテが、北海道知事によって“野蛮な儀式”扱いされて中止されたのが1955年!キミたち動物の魂は半世紀も忘れられてきた!その魂が形を成し、恨みを晴らさんとするのは至極当然だとも!」

遠上多月が突き刺した刃。
山口ミツヤの【ネタバレ】が最後の一押しをする。

「──『解談(ネタバレ):復讐の獣 イオマンテ』」

その言葉を発した瞬間、イオマンテの怪異が失せていく。
「理解できない」という、怪奇現象の最も重要な要素が剥奪される。
根幹である、「畏怖」が消失していく。

「ヴォオオ…ウォウ…」

血濡れた毛皮はくすんだ茶色になり、巨体は常識の範囲に収まる。
畏怖が失せたことで、霊魂としてのまとまりも消え、エゾヒグマの形も維持できていない。
表皮の所々が剝げ落ち、人皮、羽毛、鱗を晒した。

一個の獣どころか、肉塊に戻りゆくイオマンテを、山口ミツヤは憐れんだ。
人間の都合で葬り去られ、人間の都合で駆除されてきた動物たちには復讐する権利があるだろう。


「ごめんよ、イオマンテ…せめてボクだけはキミたちに哀悼を示そう。緩やかに、安らかに、眠るがいい」


山口ミツヤの瞳は、情愛に満ちていた。
殺し殺される間柄であるイオマンテに対し、確かな情を注いでいた。

散りゆく忘れられた獣に対し、許しを乞う真摯な眼差しだった。

嗚呼、これだ。

これこそが、イオマンテの求めていたものだったのだ。

これこそが求めていた







怒りだ






勝者なら笑えばいい。
自らの明るい行き先を笑い、敗者の行く末、想い、恨みつらみを斬り捨て傲岸に進むがいい。

それを何だ貴様は?

忘れ去っておいて、今さら憐憫の瞳を向けるのか。情愛の瞳を向けるのか。


巫山戯るな


憎悪、という一点で霧散しかかっていたイオマンテは再びまとまり、獰猛なエゾヒグマに姿を戻した。
そうして、イオマンテは、自らの顔面に鋭い爪を突き立てた。
一切躊躇わずにグギギィと引き裂いた。

分厚い毛皮がべろりと剥がれた。
瞼が抉れ落ち、丸い眼球が剥き出しになった。
紅い血潮がびゅうびゅうと吹き出た。

イオマンテの【亡キ心(ナキゴコロ)】は、何を忘れさせるかの調整は基本的に不可能である。

しかし、相手が無抵抗でイオマンテの爪と牙を受け入れる場合に限り、何を忘れさせるか調整可能である。

────で、あるならば。自ら、自身の牙と爪を受け入れるならば。


イオマンテは、痛みを忘れた。
イオマンテは、焦りを忘れた。

かつて子熊であった時、人間に飼われ、共に過ごした楽しい日々を忘れた。
かつてシマフクロウであった時、真摯に信仰された誇らしい日々を忘れた。
かつてシャチであった時、送られる寸前にポンと触れた人間の手の温かさを忘れた。
かつて白蛇であった時、腹を裂かれた際に贈られた祝詞を忘れた。
かつて老婆であった時、孫たちが村の端で蛙を追う夕暮れの景色を忘れた。

温かで。
緩やかで。
大切で。
泣きたくなるような。

「もう、いいじゃあないか」 と語りかけてくる思い出を忘れ去った。

俺は、ただの暴力であればいい。
ただただ荒れ狂う嵐でありたい。

目の前の獲物に我武者羅に駆け、喰らい尽くす暴威でありたい。


「ヴォオオオオオオァァアアアアアア!!!!」


イオマンテは。駆けた。
全身から血を吹き出し、命を僅かにしながらも、一個の暴となり駆けた。
そうして、『三枚のお札』が作り出した川と火の海を一瞬で飛び越えた。
もう、恐れも迷いもなかった。

山口ミツヤが、顔面を驚愕の色に染める。

「…『怪談(net-a-bullet):鏡合わせ』!…アギャ!」

夜中の3時33分に学校の鏡を覗き込むと鏡の世界に引き込まれるという怪異。
鏡の世界に逃げ込もうとするが、ほんの僅かに遅く、イオマンテの剛腕が山口ミツヤの胴を薙いだ。
脇腹を抉り飛ばされ激痛に身をよじりながらも、山口ミツヤと ろん は鏡の世界に逃げていった。


■■■


鏡の世界。
夥しい出血に顔面を蒼白にしながらも、なんとか山口ミツヤは意識を保つ。

「…やれやれ…手負いの獣を甘く見過ぎたね…だけど、解体は既に成った。ここでしばらく待って、奴が消え去ってから現実に帰還すればいい…とはいえ、イオマンテがいつ消失するか分からない…奴が消えるかボクが死ぬかのチキンレースか…!」

荒い呼吸を繰り返す山口ミツヤ。
その蒼白の顔面と、溢れる真紅の血潮のコントラストは酷く艶やかだった。

ろんが、食欲を我慢できない程に。

「…ねえ、おミツさん。どうしておミツさんはこんな怪我をしちゃったんだと思います?」

唐突に、ろんが、歌うような口調で話しかけた。

「…?急に何を…」

「おミツさんは『手負いの獣を甘く見た』って言いましたけど、そうじゃないですよ。おミツさんがこうなってしまったのは…人の話を聞かない…ううん、人の気持ちを考えないからです。」

ろんの瞳が怪しく輝いた。

「『せめてボクだけはキミたちに哀悼を示そう』ですか?でも、熊さんはそんなこと望んでいませんでした。…おミツさんは、頭が良くて、素敵で…。だからこそ、自分の考えが正しいと無意識に思って相手に押し付けてしまっているんですよ」

堰を切ったかのように、ため込んでいた言葉が吐き出される。

「【ツェルベルスの喰魔】が何を思っていたか聞きましたか?
【星名紅子】が何を目指していたか聞きましたか?
【神星翠】が何を求めていたか聞きましたか?
おミツさんがネタバレして物語はお終いなんですか?
…どうして、私の怪異について聞いてくれなかったんですか?」

「…」

多弁なはずの山口ミツヤが沈黙する。
それが痛みのためか、ろんの糾弾のためかは分からない。

「おミツさん、私に言いましたよね。『無理矢理永遠となるようなことはしたくないんだ!』…って。ねえ、おミツさん。どうして勝手に決めちゃうんですか?私がいつ、『そんな永遠は嫌だ』って言いました?」

「…それは…」

「私はね、おミツさん。貴方を喰らいたかった。大好きな貴方を喰らって、永遠に一緒になりたかった。それが叶わないなら、貴方に解体されたかった。──そういう永遠も、私には魅力的だった。」

ろんが、口を大きく開く。くちゃりと、唾液の音がした。

「ここでいつまで待つのですか?あの熊がいつ消えるか分からないのに?その間におミツさんが死んだら?私は、そんなの耐えられない。そうなるくらいなら、ここで貴方を喰らって永遠にこの世界に一緒にいる…」

ろんは身動きできない山口ミツヤの、左の薬指をコリっと齧り切った。
血の匂いに陶然と酔いしれた口調で言葉を溢す。

「…どうして自分だけで、私たちの物語を決めてしまったの…もっと前もって、私の考えを聞いてくれていたら…私のこんな衝動を、未然に発散する方法もあったかもしれないのに…」

無造作に服を切り裂いた。白く美しい肌。小ぶりの胸。
その胸の先端を、ろんは優しく咀嚼する。

「おミツさんは、私を危険な怪異だって断定したくなかったんですよね?だから私に向き合うのを先延ばしにしてしまった。…私は!貴方になら解体されてよかったのに!自分が危険な怪異だなんてとっくの昔に気付いていたのに!私の気持ちを聞かないで!聞かないで!聞かないで!」

狂ったように泣きながら、ろんが山口ミツヤの胸に噛り付いた。
甘く尖った先端が、ろんの胃の中に収められた。

「あ…!が…!」

「美味しい…奇麗…可愛い…大好き…もう我慢できない…可愛いおミツさん美味しい大好き…一緒に…永遠に一緒に…」

ろんは無我夢中で山口ミツヤを喰らう。


「やめ…やめてくれ…ろん…」


ろん

その名前が、私をほんの少しだけ冷静にしてくれました。おミツさんが私にくれた名前。亡霊のまどかでも、生前の蓮柄 円でもない、山口ミツヤの友人としての名前。

ねえ、おミツさん。私、本当に嬉しかったんですよ。
あの日、私を助けてくれたこと。名前をくれたこと。メロンパンの“ろん”なんてちょっと安直だって最初は思いましたけど、気が付いたら大切な名前になっていました。おミツさんが好きな食べ物から取った名前…そう思うと、とても暖かくて、優しくて…



「メロンパン?ろん、君はなんの話をしているんだ(・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・)?」




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亡キ心(ナキゴコロ)
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────嗚呼。忘れてしまったのですね。
こんな簡単に。目の前で。忘れてしまったのですね。

けらり   けらり
   けらり   けらり  やっぱり なかった ほら
       永遠なんてあるわけなかった  それならば   ああ  それならば

    くちゅり ぞぶり ぞぶり ぞぶり ぞぶり くちゅり




これが私たちだ。



ごちそうさまでした




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遠上多月の【竜言火語(フレイムタン)】、
山口ミツヤの【ネタバレ】により、イオマンテの基盤は見る影もなく揺らいでいた。

もはや形も保てず、エゾヒグマと、シマフクロウと、シャチと、老婆と、その他様々な動物が入り混じった何かになると、「ヴォウ」と一つ鳴き声を発して物言わぬ肉塊となった。

山口ミツヤが息絶えてから数分後のことであった。


■■■


気が付けば、イオマンテは、否、イオマンテたちは、広大な空間に在った。
それが死後の世界、彼岸の世界であることを彼らは即座に理解した。
何故なら、彼らは元々この世界から来たゆえに。

「これで、お終いか」

誰ともなく思った。
恨みの対象である人間を、殺し、殺し、殺し尽くしてきた。

元より、全ての人間を殺せるなんて思っていなかった。
ただ、暴威として殺し続け、止まるまで駆け続けたかった。
その望みは、叶えられたと思う。やれるだけやったと思う。

そうして、地獄か天国か知らぬが、死後の世界に行くのだろう。
それで、もういいと思った。
やり切った想いに包まれ、イオマンテたちが霧散していく。



「────そいつは、ちょいとばかり甘い考えじゃの?」



霧散し、成仏しようとするイオマンテたちを、遠上多月の霊魂が縛り付けた。


響いた声に、イオマンテたちが反応をする。
自らが喰らい殺した存在が眼前に在ることに驚きつつも、「そういうこともあるか」と切り替えた。

「ほう、もう落ち着いたか。ま、そうでなくてはあれだけの復讐をなす怪異にはなれんわな」

かんらかんらと遠上多月が笑い飛ばす。

「しかし貴様ら、いくら恨みがあるとはいえ、随分人間を殺してくれたのう!私を含め、何人の人間を喰らったのじゃ?どれだけの断末魔に接したのじゃ?奴らの最後の叫びを覚えているのか?」

これは、遠上多月の罠。
イオマンテを地獄に堕とす、最期の手向け。

それに、イオマンテたちは気が付けなかった。
結局のところ、イオマンテは恨みに目が染まるあまり、人間を甘く見ていた。
イオマンテは何も考えずに答えた。



そんなもの、いちいち覚えていられるか



それは、あまりにも大きな失言。
広大な世界が、静寂に満ちる。

クックックと、遠上多月の笑い声だけが響く。


「抜かしたな?確かに抜かしたな?覚えていない(・ ・ ・ ・ ・ ・)と!殺しておいて、覚えていない(・ ・ ・ ・ ・ ・)と!」


イオマンテたちは、遠上多月の言いたいことを理解し、じわりと背に汗を浮かべた。


「人間に仰々しく山に送られたにもかかわらず忘却された獣たちよ!確かに貴様らが人間に復讐するは道理也!然らば!貴様らに無残に殺されたにもかかわらず、忘却された人間たちが貴様らに復讐するのもまた道理也!」


イオマンテたちを、殺された人間たちの霊魂がぐるりと囲んだ。
その瞬間、即座に主格であるエゾヒグマがイオマンテたちをまとめ上げていつも通りの巨獣となった。


人間が俺に復讐するが道理?
確かにその通りかもしれぬ。
しかし所詮は木っ端。烏合の衆。
何人何十人集まろうと、俺の敵ではない。


「ふむ…確かに、数だけ集めても貴様には勝てぬだろうな。膨大な霊魂を、戦闘に長けた、復讐心の強い個体がまとめ上げる…上手い手法じゃ」


イオマンテが咆える。囲む人間どもを薙ぎ倒そうと駆け出す。


「上手い手法じゃから…パクらせてもらうぞ(・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・)


遠上多月の声が響いたかと思うと、イオマンテの鼻っ柱に衝撃が走った。

イオマンテの被害者たちの霊魂は一つに集まり形を成していた。
その集合体が、美しいストレートをイオマンテに放ったのだ。

【ボクシング17階級制覇王者】
【拳闘界のバグ】
【鈴鳴り】

その拳を振るった男の名は、ウンタラ・カンタラー。


「嗚呼!龍よ!龍よ!虎が来たぞ!ハハハ!こんなにも早くリターンマッチが出来るとは!」


狂ったような笑顔と共に、ウンタラ・カンタラーは猛然とイオマンテに殴りかかる。
強烈な拳をもらいながら、イオマンテは愕然とした。

(ここでコイツを殺したとして…それで終わるのか???)

人間に殺された動物たちは、復讐の獣となり人間を殺した。
イオマンテに殺された人間たちが、今度はイオマンテに復讐の牙をむく。

殺されたことを恨みに立ち上がったもの同士が殺し合う。
その殺し合いは、果たしていつ終わりを迎えるのか?

終わりなどない、永遠の闘争。

それに思いを馳せ、イオマンテの背がゾクリと冷えた。
しかし、その悪寒をイオマンテは振り払う。

(馬鹿馬鹿しい!ならば、相手が諦めるまで殺し尽くせばいい!)

決意を新たに、ウンタラ・カンタラーに牙をむくイオマンテを、遠上多月は笑った。

「ハハハハ!イオマンテよ!貴様の考えは正しい!ただ、目前の相手が闘志を、殺意を失うまでにどれだけかかると思う??【拳闘界のバグ】が戦意をいつ失う??」

楽しくてたまらないという風に、遠上多月は囀る。

「そもそも、だ。諦めた程度で、この殺し合いの地獄から抜けられると思うてか!?」

終わりの見えない殺し合い。
イオマンテはそれでも牙をむく。爪を振るう。

イオマンテの主格であるエゾヒグマの闘志はいまだ爛々と輝いている。
しかし、身に宿す数多の霊魂からは弱音が零れ始めた。

「いつ…いつまで殺し合わないといけないんじゃ?もう、もう十分じゃろ…」
「嫌じゃ!嫌じゃ!ここまで争うつもりなどなかった!」

それは、ウンタラ・カンタラーが身に宿した霊魂も同じ。

「話が違う!話が違う!復讐は一度で十分だろ!」
「なんで!?なんでこうなったの??」

互いに怨嗟と悲憤を撒き散らしながら、殺し合いに身をゆだねる。
血がいくら吹き出ても、終わる気配は見られなかった。

「ま、私は霊感あるから、上手いこと殺し合いの螺旋から抜けさせてもらうけどね~~?そういうことに(・ ・ ・ ・ ・ ・ ・)なってるのよ」

高笑いとともに、遠上多月は成仏した。


ざまあみろ、と一つ残して。


■■■

ねえ、聞いた? 【復讐の獣】の話

   聞いた聞いた!っていうか、屋上のあの映像見たし!

あれヤバかったよな 何人死んだんだろ

       あの熊に天罰とか落ちないのかな

これは噂なんだけどさ、あの獣が死ぬ前に、多数の腕が魂を引きずり込んだんだって!

永遠の殺し合いを、人間と獣でしてるって

こうして話してる瞬間にも、殺し合っているって

       誰かが覚えて、口にする限り、終わらないんだって

怖いねえ    なんか巫女さん?解体屋?

だけは殺し合いに参加しないとか何とか。知らんけど。


■■■


…ま、こんなもんかね。

私の可愛い孫娘ほどじゃないにしても、アタシだって噂を操れる。
炎上させることが出来る。

今回は元々の下地があったからねえ。
簡単なもんさ。

これで、あの獣と被害者たちは殺し合う。
いつまでも。いつまでも。人々が覚えて、口にする限り。

それこそ永遠に。


永遠なんてない。
永遠はある。

それはどっちも正解さ。
どっちも正しいことを言っている。

大切なのは、どっちを信じたいか(・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・)さね。

どちらを信じられるか。それで決まるのさ。
永遠の愛も。永遠の恨みも。永遠の想いも。
受け手が【在る】と思えば在るのさ。

孫娘を殺しやがった獣は、少なくともアタシが生きている間は殺し合いを続ける。
それならば、それは、アタシにとっては永遠なのさ。

こうして、アタシの話を聞いているあんたが。
どこかの誰かが。
「そういえばイオマンテはまだ殺し合っているのかな」
なんて思った時点で、まだ殺し合いは続くのさ。

いつまでも、いつまでも、あんたが思い出すころには殺し合っているのさ。

そのために、数多の霊魂を巻き込むのは違うって?

ククク…知ったこっちゃないねえ。

可愛い孫娘を殺しやがった畜生を、永遠に殺し合わせる。
そのために何が嘆こうが知ったこっちゃないねえ。

…どうした?

顔を青くして。歯を振るわせて。
アタシが恐ろしいのかい?

孫娘可愛さに、大勢を巻き込んで殺し合わせているアタシが恐ろしいのかい?



はぁ~。やれやれ。
つまらない、ありふれたオチになっちまったねえ。






結局は、人間が怖いなんてさぁ。






最終更新:2022年11月27日 21:17