プロローグ
時は2024年が始まろうとしていた冬の頃の話である。
私立希望崎学園では"ゴリランド"と呼ばれるスマホアプリが異常な流行を見せていた。
「ゴッゴッゴリランド~♪」のCMで有名なこのゲームアプリ、石でガチャを回し、装備を集めて敵を倒すというシンプルなゲームである。
だが、希望崎学園の魔人たちは不良も優等生も魔人教師ですら、日がな一日狂ったようにゴリランドに勤しんでいた。
さすがにこれは異常である。非魔人の教師たちと風紀委員会はさっそくゴリランドおよびスマホの規制に乗り出した。
だが、やはりといったところか効果は芳しくなかった。注意すると最初はスマホをしまうのだが、またすぐに取り出して遊び始めるのだ。
無理にスマホを取り上げようとすれば暴力も辞さないほどである。魔人の力で殴られればただではすまないし、これでは焼け石に水であった。
人々が目を血走らせ、スマホを叩きながら必死でゴリランドをプレイするその姿は一種異様とさえ思われた。
これをプククと忍び笑いを漏らしながらいやらしい目つきでジロジロと眺めるのは魔人嫌いの数学教師、長谷部敏樹である。
そう、賢明な読者諸兄はここまで読めば分かるであろう。これらのゲーム中毒のような症状は全て、例の長谷部が仕組んだものであったのだ。
よく見てみれば、ゴリランドに熱中しているのは魔人ばかりである。前を向いても横を向いても熱心にスマホを弄る魔人、魔人、魔人……。
長谷部は一ヶ月前、その驚異的な頭脳をもってついに長年の悲願を成し遂げた。
悲願とはつまり、魔人を抹殺する足がかりとして、次元を渡り歩く超常的存在『
転校生』にアポイントメントを取るということである。
思えば苦節の時は長かった。やたらと長い数字の羅列の秘密を解き明かし、複雑な魔法陣を多数紐解き、いじわるななぞなぞに悩まされ……。
だが、そんな苦労だらけの思い出も長谷部の脳内では甘美な記憶にすり替えられていた。
この番号に電話をかければ、ついに
転校生を喚び出すことができる。そこまでたどり着いたのだ。
さっそく震える手で発信ボタンに手をかける長谷部。彼は未だにガラケー派であった。
「あ、お電話ありがとうございますー。どうも、こちら
転校生です。国家転覆から大規模テロまでなんでも承っております!」
やたらとハイテンションでのんきな声が電話口から響く。
「あ、ああ、端的にいうと私が勤めている学園にいる魔人を皆殺しにしたいのだが……」
長谷部は内心で少々苛つきながらも、できるかぎり感情を押し殺してそう答えた。
「なんと、そうなんですね! ……ということは、契約目的は『殺戮』ということでよろしいでしょうか?」
電話口の相手は素っ頓狂な声で殺戮、殺戮と物騒な単語を繰り返す。
「そういうことになるかな?」
「あー、お客さん、ごめんなさい。ちょっと今週はシフトが厳しくて、そういう案件には対応できないんですよー」
電話相手が頭を下げている姿が長谷部の脳裏に浮かび、同時に彼の望みはあっさりと裏切られた。
シフトとはイマイチ意味がよくわからないが、とにかくせっかく喚び出そうとした
転校生は、魔人たちを抹殺してはくれないようだ。
「なっ、そっ、そんなことを突然言われても困るんだが……! こっちがおたくを喚び出すのに何ヶ月かけたと思ってるんだ!」
「いやー、ウチも最近不況で……。ホントすみません! もう少し前から言ってもらえてたらなんとかできたんですが……」
思わず怒声を浴びせてしまう長谷部。だがどうしても対応してくれないようであった。しばらく押し問答が続く。
「あ! でも、お客さん。『殺戮』は無理でも魔人の『殺害』自体は可能ですよ」
電話相手の声がやにわに明るくなる。
「その場でバーっと殺すのは無理ですが、ジワジワ弱らせて……っていうのなら全然大丈夫です」
「ほ、本当か!?」
長谷部の声もつられて明るくなった。
なんだ、ちゃんと方法があるじゃあないか。
「ええ! じゃあ詳しい内容はまた書面で郵送いたしますね! ではー」
時は進んで現在に至る。
郵送物に「スマホのゲームアプリで衰弱死させる」と書いてあった時は目を疑った長谷部だが蓋を開けてみれば、存外上手くいっていた。
あのくそったれ魔人どもが来る日も来る日もポチポチポチ……ゲームに依存しているのを見るのは痛快だ。
長谷部は毎晩帰宅すると腹を抱えて笑った。酒の量も増えたが魔人たちが皆殺しになるのを想像すると飲むのを止められなかった。
しかし、ある日出勤すると、長谷部はある変化に気がついた。そう、誰も魔人たちがゴリランドをプレイしていないのだ。
昨日までは登校中も授業中も、昼休みや下校中ですらスマホを弄っている魔人を見かけたのに、今は誰一人遊んでいない。
首を傾げる長谷部だが、まさかゴリランド依存症を仕組んだのは自分だなどと言い出せるはずもなく、そのまま帰宅してしまった。
次の日。よくよく観察してみると、なんということだろう。あろうことか、別のゲームが大流行しているらしい。
"Freed Island"というそのMMOPRGは、魔人だけにしかプレイできないゲームであり、超リアルな究極の体験をさせてくれるという。
今はプレシーズンであり、ほんの触りしか遊べないのだが、来週から始まる正式リリースにより一斉に本編が遊べるのだ。
元々存在したゲームのデータをゲーム開発部が複製に成功したということで購買部では大々的に販売が行われていた。
「ど、ど、どういうことだ!」
再び帰宅した長谷部は例の電話番号に怒りのクレーム電話をかけた。
もちろん内容は、なぜゴリランドによる魔人全滅計画が失敗したかについてである。
「いやー、ごめんなさいね。実はゴリランドはウチの
転校生の能力で運営してたんですが、
その
転校生の住んでる県でゲームは『1日1時間条例』が発令されてしまいまして、
熱中しすぎるとお母さんに怒られるっていうので、ちょっとこれ以上続けられなくなってしまったようです」
その間に別のゲームが流行っちゃうなんて偶然があるんですね、などと全然申し訳無さそうに笑う電話相手。
当然、長谷部は血管が切れそうになるほど激怒し、打ち震えながら叫んだ。
その時である。ビキリと鋭い痛みが長谷部の胸に走った。目がかすみ、頭にモヤがかかった感覚がする。
そういえば最近、医者からも酒の飲み過ぎを注意するように言われていたような……。
――私はこのまま死ぬのか。希望崎の魔人が死ぬのを誰一人として見ることなく。
くそう、死にたくない。嫌だ。苦しい。つらい。
長谷部は胸を押さえたまま倒れ込み、彼の意識はそこでブラックアウトした。
最終更新:2023年12月08日 21:20