0.『antipathy world』


 さあさあ聴いてくれたまえ。
 これより語り始めるは、無数の正義の物語。

 だが、正義とは、なんだろう。
 ある者たちの正義こそ、ある者たちの不正義だろう。
 ある集団の禁忌こそ、ある集団の常識だろう。

 複数の正義が並び立つことは、必ず矛盾を孕むもの。

 正義を為すは我にあり。
 その中心に立つのは1人。
 勝てば官軍、負ければ賊軍、歴史は勝者が綴るもの。
 史実で正義と語られるのは、いつどこだって勝った側。
 それこそが世界の合理というものだ。

 が、そんな合理を厭悪する。それが私のあり方だ。

 彼女こそ、大いに救われるべきだ。

 たった一つの世界でしか。
 どこかの誰かの祈りしか。
 決して報われないことが。
 世界の合理というならば。

 その合理摂理の類こそ、私が牙剥く敵である。

 ようこそ、これが私の世界。
 全ての正義を許容する、傲慢な救いのための鏡の庭。

 廻れよ回れ糸車。無数の線をより合わせ。
 鏡よ鏡映し出せ。無限の世界を万華が如く。


  •  ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・



 並行世界の運用。それだけでは足りない。
 複数の祈り手(プレイヤー)の召喚。それだけでは足りない。
 彼女を助けるに足る理由を持つものを一つ街に集め、鏡合わせの世界の境界を歪め、
 並行世界の影法師を以て、矛盾に辻褄を合わす。

 さあ、「彼女」の救い手の影法師よ。
 死の運命から「彼女」(エウリュディケ)を奪い返さんと祈る叛逆者(オルフェウス)たちよ。
 これは、私から君たちへの取引だ。

 君たちに求めることは一つ。
 見知らぬ幾多の並行世界線で、見知らぬ「山乃端 一人」を助けたまえ。

 そうすれば、君たちに与えられる恩恵は一つ。
 君自身の世界線で、他の救い手の影法師が、君と、君の知る「山乃端 一人」に手を貸すだろう。

 ここは世界線の絡まった結目(ゆいめ)
 ここは並行世界がつぎはぎとなった鏡合わせの庭。



◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 破片よ集いて鏡画を描け――『虚去堂東懸顕鏡京(パッチワーク・トウキョウ)』。






番外.『正義の出る幕なし(裏)』



 息が切れる。視界が揺れる。
 脚が重い。酸素を求めて肺が悲鳴をあげ、意識が靄に霞んでいる。

 手元の銀時計を一瞥する。
 午前2時13分。『灰』の時間。
 私の能力が行使できない空白の時間だ。

 47分時間を稼ぐことができれば、午前3時――『赤』の時間が訪れる。
 私の最大戦力である、暴力の《獄魔》、《Ⅲ-血塗れの侵入者(ブラッディ・ハッカー)》が召喚できる時間帯だ。
 そうなれば、この状況も打破できるだろう。

 だが、その47分間、2,820秒が、あの殺人樹から逃げ続けるには、あまりにも長い。

 厄介な敵だった。
 赤黒く染まった私の腕は、アドレナリンで半ば痛みが麻痺しているものの、もう使い物にならない重傷だろう。

 当然だ。打ち込まれた種子ごと、ナイフで自分自身の周囲の肉を抉り取ったからだ。
 一瞬でも判断が遅れていれば、種子から伸びた根によって、全身の養分を吸いつくされていたはずだ。

 間違いない。あれは、6時と18時、『緑』の時間を司る《獄魔》。
 《Ⅵ-蘇生する緑(グリーン・フィンガー)》。
 生存繁栄の闘争に宿る《獄魔》憑きだ。

 今まで封印してきた《獄魔》とは格が違う。
 たしかに、一柱封じるごとに《獄魔》は力を増してきたが、これはそういう次元ではない。
 間違いなく、宿主である少女自体の強さだ。
 最低だ。聞いていない。こんな化け物に《獄魔》が憑く可能性があるなんて。

 もしも1時間前であれば、戦いようもあったろう。
 私の――銀時計の異能『逢魔刻(クライベイビークライ)』の空白時間、まだ封印できていない《獄魔》の時間帯を狙われたのが致命的だった。

 もしも、守勢に回らず、自分が襲う側であったなら。
 益体もない仮定だ。

 最初、私は、彼女が《獄魔》憑きだと見当をつけた時、そのあまりの「ふつうの女の子」っぽさに、攻撃をためらってしまった。
 何かの間違いかもしれない、と。
 彼女が《獄魔》憑きである確たる証拠を実際間近で見るまで、様子を見ることを選んだ。
 状況証拠はほぼ揃っていたにも関わらず、だ。

 なんて、甘さだろう。

 だから、この展開は自業自得。当然の結末だ。

 向き直り、少女の形をした、人喰いの殺人樹と相対する。

 きっと、殺人樹にとって、私は、ただの1人の犠牲者でしかないのだろう。
 だが、彼女(さつじんき)の中に宿る《獄魔》は、明確に私を標的としている。

 自由を謳歌するために。
 銀時計に封じられることを拒むために。

「?? お姉さんは、私の”家族”になって、くれますか?」

 追い詰められた。

 あと45分間、私の武器は、ただ丈夫なだけの、銀時計のみ。
 思考を回せ。覚悟を決めろ。限りなくゼロに近い可能性を手繰り寄せろ。

 そして――私は踏み出した。
 どこへも辿りつけないない、行き止まり(デッドエンド)へと。

 山乃端 一人の人生の終わり。
 殺人鬼たちの饗宴の、始まりへと。



  •  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ・ ◆ ・ ・ ◆ ◆



『本日未明都内某所で希望崎学園に通う山乃端一人さんが遺体で発見されました、警察は殺人事件と見て調査を続ける方針です、
ここ以外でも都内では異常な件数の被害が報告され警察は昼間の巡回人数を数倍に増やし都民への夜間での外出を……』


支配時間 名称 司る色 権能
0時(と12時)
1時(と13時)
2時(と14時) 『灰』
3時(と15時) 《Ⅲ-血塗れの侵入者(ブラッディ・ハッカー) 『赤』
4時(と16時)
5時(と17時)
6時(と18時) 《Ⅵ-蘇生する緑(グリーン・フィンガー) 『緑』 植物操作
7時(と19時)
8時(と20時)
9時(と21時)
10時(と22時)
11時(と23時)






1.『湿らす前髪とこころの裏面』



 胸を抉った痛みに、私――山乃端 一人の意識が覚醒する。
 心臓に根付いた種子を抉り出そうとする右手を、機能しはじめた理性が止めた。

 夢だ。これは、夢だ。

 人生の半分以上の期間繰り返してきた、夢の中の死。
 鼓動はすぐに平常に戻る。
 もはやこの死の追体験は、私の日常だった。

 おそらく、これは並行世界の自分による業務日誌。
 お前もいずれこうなるのだという死刑宣告。

 今回はずいぶんと「この私」に近い夢だった。
 銀時計の使命を、《獄魔》の真実を知り、立ち向かった上で死ぬ夢は、比較的レアだ。

 多くの場合、夢の中の山乃端 一人は、「この私」とは違う境遇だ。
 共通点は、山乃端 一人という名と、人間の女性で、銀時計を手にしていることだけ。

 ああ、もう一つの共通点があった。
 夢の最後に、必ず誰かに殺されることだ。

 さすがに一時期は悩んだこともあった。
 毎晩のようにバリエーション豊かな自分の死にざまを夢に見続けるなんて、心の病ではないか、と。

 精神科、占い師、拝み屋や精神干渉系の魔人にも相談した。
 ストレスの兆候、前世の呪い、はたまた並行世界の記憶の転送、どの答えもしっくりこなかった。

 そして、慣れた。
 別に特別なことじゃない。生きている以上、死亡率は100%。
 ならば、毎晩の夢の死は、避けるべき教訓程度に受け止めるべきだ。

 見慣れた学生寮のベッドから体を起こし、伸びを一つ。
 カーテンの隙間から漏れる朝の光はまだ淡い。
 手首に絡みついて離れない鎖を手繰り寄せ、銀の懐中時計を一瞥する。

 午前5時7分。『黄』の時間。
 登校を考えると、二度寝をするにも半端な時間だ。
 まったく、どうせ強制的に起こされるなら、目覚ましぎりぎりにしてほしいものだ。

 学生寮は二人部屋だが、私には運よく相部屋の相手などいない。
 気がねなく全開であくびをしながら、私は布団から抜け出した。
 冬は早朝(つとめて)、とは言うけれど、低血圧に冷え性の私にとって、この朝の寒さは天敵以外のなにものでもない。

 鏡を見るまでもなくわかる。
 今日の寝起きの最悪さに負けないくらい、寝ぐせのひどさも筋金入りだ。

 濡らしたタオルを電子レンジに投入、その足で、洗面所へ向かう。
 マウスウォッシュのミント味で寝ぼけた目を覚まし、うがいをしようとして、

「うへえ」

 シャワーから降り注いだ冷水に、私は大きくため息をついた。
 こんなポカをやったのは、寮生活がスタートしてから初めてではなかろうか。
 全く、朝からバッドイベントのフルコースだ。

 もういっそ、学校も休んでしまおうか。
 くじけそうな心を、私はぐっと全身に力をこめて奮い立たせた。

『一人ちゃん。嫌だったら、もう学校にだって行かなくてもよいのよ?』

 心なしか、手首に絡む鎖の先、銀時計が重みを増す。
 これを手渡してきた義母さんの、慮ったような声を思い出す。
 それを拒んで、意地でも「ふつうの子」と同じように進学したのは、私だ。

 山乃端 一人に、未来はない。
 それは、この名前と、銀時計を継いだ者につきまとう呪いだ。

 未来がないのだから、将来のために学ぶ必要もない。
 短い生の中で、せめて好きなことを、というのが、義母さんの想いだったのだろう。

 ふざけるな、と思った。

 私は生きてみせる。
 学んで、それを、生き延びるために使い、生き延びた果てに活かして、精一杯人生を楽しんでやる。

 たとえ、世界がそれを拒んでも。
 私は自分だけで、世界とだって喧嘩をして、泣かしてみせる。

 人には頼らない。どんなに親しくなったと思った相手だって、所詮は他人。
 ちょっとしたことで、離れて、いなくなるのだから。

 電子レンジが能天気な音を立てて、即席の蒸しタオルができたことを告げる。
 私は震える全身をかき抱きながら、キッチンへと向かった。



  •  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ・ ◆ ・ ・ ◆ ◆



 朝起きた直後のバッドイベントラッシュは、寮を出たところでリセットされたらしい。
 私は遅刻することもなく、これまで培ってきた優等生の仮面を維持したまま、無事に午前の授業を終えることができた。

 これは、私の「本業」にとっても、重要なことだ。
 教師に覚えのめでたい優等生でなければ、夜の活動に支障が出てくる。
 それは、文字通り私の生死に関わる問題なのだ。

「ね、山乃端さん。その……今日、お昼、一緒にどうかしら?」
「ごめんなさい、お弁当を忘れてきてしまって。購買に並ばなければいけないから」
「……そう。それじゃあ、またね」

 昼休みが終わると同時、隣の席からのお誘いを断って、私は教室を出た。

「ね、刃離鬱怒(ハリウッド)の新作、あれどう?」
「エグいよね。便器で殴る殺人鬼とか……」
「あれでかわいく見えてくるんだから謎すぎ」

 廊下で繰り広げられる他愛ない雑談を横目に、私は袖に隠していた銀時計を一瞥した。
 昼の12時06分。『白』の時間。
 この時間帯に対応する《獄魔》はまだ銀時計に封じられていない。
 あと一時間ほど、私は無防備だ。

 まあ、昼の希望崎学園で襲われることはないだろう。
 ここで騒ぎを起こせば、生徒会や風紀委員、教員が動く。

 他の学校ならともかく、この学園の生徒会、風紀委員、教員は、対魔人戦闘経験豊富な猛者ばかりだ。
 実際、入学してから一度として、昼の学校で襲われたケースはない。
 警戒はしつつ、昼食を取ることにしよう。

「おばさん、いつものあります?」
「はいはい、キープしてますよ」

 勝手知ったる購買のおばちゃん。
 私の顔を見るなり、手のひら大の赤い袋を差し出してきた。
 よっし。今日は間に合った!

 購買の数少ない甘味、チョコラスク。
 私の心の栄養剤であり、体の贅肉の構成要素でもある。
 山乃端 一人が深く愛し、深く憎む、心の相棒で体の天敵だ。

「一人ちゃん。たまには、お友達とランチもいいものよ?」
「ふふ、ありがとうございます。次の機会にはぜひ」

 おばちゃんが心底私を気にしているのはわかっている。
 だからこそ、その言葉をあえて軽く受け流し、私は人気の少ない校舎脇のベンチに陣取った。

 昼休みとはいえ、東京湾に浮かぶ人工島、希望崎学園に吹く冬風は厳しい。
 人との会話を避けたい私には好都合だ。
 背中とお腹に貼るカイロを仕込み、ホットのミルクティーを啜りながら、チョコラスクを齧る。甘味が脳を回していく。

 まだ、午後の授業までには時間がある。
 談笑をする友達がいない私の、完全に自由なひと時だ。

 日課である、学園の裏サイトを巡回し、問題行動を起こす生徒や、集団同士の小競り合いの内容を精査する。私の敵の居所は、そうした情報からしか、炙りだせないからだ。

 友人を作らない孤高でいることは、意図的なものである。
 決して友達ができないわけではない。
 少なくとも、《獄魔(てき)》を全て封じるまで、弱みは作るべきではないからだ。
 親しい人間ができれば、狡猾な《獄魔》憑きはそこを突くだろう。

 そうなれば、私は死ぬ。あの、今朝の夢の中の私のように。

 同じ理由で、成績も下げられない。
 教師に妙に絡まれて関係性ができては、それもまた束縛になる。

 嫌われず。
 好まれず。
 誰からも距離を取り、邪魔には思われず。
 いてもいいが、いなくてもいい。
 いつの間にか、そこにいて、気が付けばいなくなっている。
 そんな、座敷童のような存在になること。

 これが、山乃端 一人の、希望崎学園での立場だった。

 今夜の巡回路を確認すべく地図アプリを起動しようとして、私の目は、視界の端、わずかに小さく映る人影に吸い寄せられた。

 うちの学園でも特に問題児ばかりが揃うという、第十二新校舎へと向かう道。
 そこを、まっすぐに走り去る、女の子。

 年の頃は、私と同じくらい。
 だぼだぼのストリートファッションに、巨大なスポーツバッグ。
 十人に聞けば五人は男の子と間違いかねない姿だが、私には確信があった。

 あれは――

『はっはっはー! ひーちゃんはこわがりですねえ!』
『大丈夫! あたしは最強ですから! ひーちゃんのピンチには必ず駆けつけて守ってあげましょう!』
『はっはっは! ならば簡単です! その《獄魔》というのを、全て集めればいいでしょう! 代々の一人さんは■■■■■だったからダメだったのでしょう? ならば――』

 ――五年前、私を見捨てていなくなった、元親友だった。

「なんで、今更」

 昼休みの終了を告げるチャイムが鳴るまで、ひどく早く感じた。


支配時間 名称 司る色 権能
0時(と12時) 『白』
1時(と13時)
2時(と14時) 『灰』
3時(と15時) 《Ⅲ-血塗れの侵入者(ブラッディ・ハッカー) 『赤』
4時(と16時)
5時(と17時) 『黄』
6時(と18時) 《Ⅵ-蘇生する緑(グリーン・フィンガー) 『緑』 植物操作
7時(と19時)
8時(と20時)
9時(と21時)
10時(と22時)
11時(と23時)






2.『嘘に絡まっているあたしは』



 山乃端 一人とは、個人であって、個人ではない。

 個人につけられる名であると同時に、一世代にたった1人しか存在しない、世界の人柱たる役職の呼称でもある。

 この世界には、「強い認識が世界律を歪める」というルールがある。
 魔人と呼ばれる存在は、個人の認識で世界の法則を捻じ曲げ、『魔人能力』という固有ルールを外界に強制することで異能を振るう。

 ならば、集団が――あるいは、人類種全体が特定の認識を持っていたとしたら、それは、どういった形で世界を歪めるのだろうか。

 その疑問に対する一つの回答が、《獄魔》であり、その収集者、山乃端 一人である。

『世界には何故、争いがつきないのだ?』
『人は皆、平和と友愛を望んでいるはずなのに』
『それはきっと、世界に闘争をもたらす《何か》がいるからだ』
『人は善きもの。賢きもの。だから、終わらない戦乱は、人でない「悪しきもの」が原因に決まっている』

 そんな人類種が抱く幸せな幻想が結実し、物理法則を歪め、発生した怪物。
 それが、人類の様々な闘争要因の具現たる、十二の《獄魔》(デミゴッド)

『ならば、そんな怪物たちによって、世界は壊れてしまわないのだ?』
『人知れずそれを止めようとするものがいるに違いない』
『ならばどうしてそんな存在が世界で知られていないのか?』
『激しい戦いの中できっと命を失っているからだ』
『ああ、名前も知らないどこかの誰か。ありがとう。世界のために1人で死んでくれて』

 そんな人類種が抱く身勝手な妄想が結実し、物理法則を歪め、誕生した人柱。
 それが、山乃端 一人。

 山乃端 一人は皆、《獄魔》を封じる器としての銀時計を継承する。
 封じた《獄魔》は、自らの眷属として行使できる。

 ほとんどの山乃端 一人は、十二の《獄魔》全てを封じきれず、収集の旅路の途中で、若くして1人で命を失う。

 山乃端 一人が死ぬと、銀時計に封じられていた《獄魔》は解放され、世界を揺るがす大きな闘争の引き金となる。

 遺された銀時計は回収され、次代の山乃端 一人へと継承される。

 ぐるぐると、同じところで時計の針が廻り続けるように繰り返されるルール。

『ごめんね、一人ちゃん。ほんとは、こんなもの、託したくはないの。あなたが姉さんと同じようになるなんて、耐えられないの。でも――』

 銀時計を手渡された日の、親だった人の涙を思い出す。
 この継承は死の宣告だ。

 山乃端 一人は、世界に戦うことを望まれる。
 山乃端 一人は、《獄魔》を封じることを望まれる。
 だが、山乃端 一人は、《獄魔》収集の完遂を、望まれていない。

 だって、それは、『世界を変えてしまう』ことだから。
 現状の世界のルールを肯定する言い訳に生み出された山乃端 一人が、世界のルールを変えてしまっては、それこそ矛盾が生じてしまう。

 故に、《獄魔》収集は一柱を封じるごとに難易度を増す。
 《獄魔》の能力が、世界を変えたくない、という人類種の認識による強化(バックアップ)を受けるからだ。
 最後の一柱に至っては、「無限の力と無限の生命力」を持つとさえ言われるほどに。

 つまり、死の運命が決まった出来レース。

 だが、過去、ただ1人だけ、その時計の針の回転から抜け出した女がいた。
 全ての《獄魔》を封じ、世界から全ての争いを消し去る権利を得た、山乃端 一人。

 彼女は、歴代の中でただ一人、天寿を全うし、子を遺して死んだという。

 私は、その道を行く。

『はっはっは! ならば簡単です! その《獄魔》というのを、全て集めればいいでしょう! 代々の一人さんは■■■■■だったからダメだったのでしょう? ならば――』

 うるさい。違う。
 私は、1人で戦い、1人で勝ち、全てを出し抜き、踏みつけて、乗り越えてやる。

 ゴールは2つ。
 途中で力尽き、毎晩の悪夢の残骸のように野垂れ死ぬか。
 走り抜けて、積み上げた死体の山の端で、1人で笑うか。

 それが、山乃端 一人の到達点なのだ。



  •  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ・ ◆ ・ ・ ◆ ◆



 伊達眼鏡を置き、髪を結んで帽子の中に収め、黒ずくめのジョギングシューズに身を包む。

 銀時計を確認。
 時間は午後10時――22時1分。ここからは『銀』の時間。
 ここから2時間、私の『巡回』は始まる。

 銀時計を握る手に力を込める。
 今日は、本命に出会えるという確信があった。

 《獄魔》は、山乃端 一人に引き寄せられるように姿を現し、襲い掛かってくる。
 不定期に、順番に、一柱ずつ。

 襲撃の前には、必ず兆候がある。
 その《獄魔》が象徴する闘争要因に対応した、トラブルの類だ。

『希望崎校内で謎の感染症』
『皮膚の硬質化、コルク形成質状への変質化』
『衰弱と、それに伴う末端部からの発芽、開花』
『第十二新校舎の閉鎖も検討中』

 間違いない。
 今朝の悪夢で山乃端 一人を殺した《獄魔》憑きと類似した、人体への植物寄生による災厄。命を蝕む人媒花。
 生存繁栄を動機とする闘争の象徴、6時と18時、『緑』の時間を司る《獄魔》。
 《Ⅵ-蘇生する緑(グリーン・フィンガー)》。



  •  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ・ ◆ ・ ・ ◆ ◆



 夜の第十二新校舎は、完全に緑で覆われていた。
 急な異常なのだろう。まばらではあるが生徒会役員と思われる何人かが慌ただしく通信機でやりとりしている。

 その混乱を縫うように、私は夜闇を駆け抜けた。
 校舎に近づいただけで、まるで生物の触手のように枝が私に押し寄せる。

 傷をつけられたら死。体内に入り込めばそこから胞子か種子を植えつけられ、死だ。
 少なくとも、今朝の夢の山乃端 一人の死因はそういうものだった。

 銀時計を握りしめる。

「『逢魔刻(クライベイビークライ)』が命じる。血の香り、鋼の鏡、死呼ぶ礫を孕め戦の母」

「熔け出でよ――《Ⅹ-銀鉄の巨塔(メタリック・バベル)》」

 瞬間、私の脇に、重厚な金属鎧に身を包んだ幻影が浮かぶ。
 そして、逆手に構えたナイフの刃がうねり、伸びると、布のような動きでしなり、私を襲う枝を薙ぎ払った。

 私は、そのまま周囲を自動的に薙ぐ刃に守りを任せ、手近なガラス窓を突き破って第十二新校舎の中へと飛び込んだ。 

 手の中には、かつてナイフだった液体金属が水銀めいて揺れている。

 これが、山乃端 一人に与えられた《獄魔》と戦うための異能、『逢魔刻(クライベイビークライ)』。

 継承した銀時計から、現在の時刻に応じた《獄魔》を召喚し、使役する能力だ。
 午前・午後の10時00分から10時59分までは、『銀』の時間。
 対応する《獄魔》は、《Ⅹ-銀鉄の巨塔(メタリック・バベル)》。
 私が触れた金属製品を自在に変形、操作する権能を持つ。

 こうして、これまで封じてきた《獄魔》の能力を使い、新たな《獄魔》と戦う。
 それが、山乃端 一人の戦闘……趣味の悪いデスゲームのルールだ。

 いかに相手の能力を看破し、相性のよい能力が使用できる時間に戦うか。
 まだ封印していない《獄魔》に対応する無防備な時間、逃げ回るか。
 その判断が、生死を分ける。

 次に私が無防備となるのは、まだ《獄魔》を封印していない『白』の時間。
 即ち、0時00分から、0時59分まで。
 この時間帯に敵の眼前にいたとすれば、私は今朝の悪夢と同じ死を迎えることになる。

 だから、植物使いである《Ⅵ-蘇生する緑(グリーン・フィンガー)》と相性のよい、金属操作の《Ⅹ-銀鉄の巨塔(メタリック・バベル)》を使える、午後10時59分までに決着をつける。それが、私の戦術だった。

 だが、

「こ……のっ!!!」

 相手は想像していた以上に狡猾だった。
 敢えて見せつけるように、半分樹の幹に取り込んだ生徒たちをちらつかせ、私の動きを制限してきたのだ。

 当然、無視をするのが最適解である。
 タイムイズマネー。私の能力の性質を考えれば、一秒だって、《獄魔》憑きを封じること以外に時間を使うべきではない。

 デッドエンド濃厚な『白』の時間まで、あとおよそ一時間半。
 私が優勢に戦える『銀』の時間が終わるまで、あと30分強。

 1人で戦い、1人で勝ち、全てを出し抜き、踏みつけて、乗り越えてやる。
 そう決めた。いなくなる背中を見送って、そう決めた。
 だから、私が取るべき選択は、迷うまでもなかった。

「《Ⅹ-銀鉄の巨塔(メタリック・バベル)》!」

 生徒を、教師を、職員を――購買のおばちゃんを飲み込んでいた幹をくりぬき、その体を横たわらせ、《Ⅹ-銀鉄の巨塔(メタリック・バベル)》で生み出した金属球体に包み込む。
 長くそのままにしていれば酸素は不足するだろうが、それまでに《Ⅵ-蘇生する緑(グリーン・フィンガー)》を倒せばそれで済む話だ。

 まったく、余計な選択である。
 それでも、購買のおばちゃんには、チョコラスクのキープの借りがある。
 貸し借りは公正に。それが、私のモットーだ。

 だから、これでいい。
 彼らを見捨てて戦って、気がかりで判断を誤っては、その方がデメリット。

 まあ、つまるところ、下手な嘘だ。
 私が死ぬとしたら、こんな安い己への虚言に手足を絡めとられた結果なのだろう。

 目につく範囲で全ての人質を救出した頃には、時計の針は午後11時6分を指していた。
 『銀』の時間は終わり。想像していたよりも時間がかかったようだ。

 11時00分から、11時59分は『金』の時間。
 まだ、戦える。今使役できるのは、特別有利が取れる《獄魔》ではないが、応用次第でなんとでもなる。

「初めまして」
「……ぁ、ぇ……? やま、のは……ひとり……」

 そして、私は緑の迷宮と化した校舎を駆けあがり、教室の一室に踏み込んだ。

 その奥には、うずくまる男子生徒。
 制服のまま、彼は膝を抱えて震えている。
 視線はあらぬ方向を向き、焦点も合っていない。

 末期の《獄魔》憑きだ。
 たいていの《獄魔》は、人間に取りついて存在している。

 宿主の自我が強ければ、自分が《獄魔》なんて異物に憑かれていることにも気付かず、ただ、精神の方向性や認識のあり方を《獄魔》の司るものに引きずられるだけ。人格には一切影響しない。
 いずれ山乃端 一人に襲いかかるように、運命が仕組まれることには変わりないのだが。

 宿主の自我が弱い場合は、《獄魔》の側面が人格を浸食し、その性質が前面に押し出て、災厄の火種となる。

 今、私の目の前にいるのは、後者だろう。
 早く解放しなければ、彼の人生にも悪い影響が残る。

「ええ、山乃端 一人。あなたの敵よ」

 その宣言をもって、私にとって9度目の、《獄魔》憑きとの戦いが始まった。

「生存繁栄に起因する闘争の《獄魔》。『緑』の時を司る、《Ⅵ-蘇生する緑(グリーン・フィンガー)》」



  •  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ・ ◆ ・ ・ ◆ ◆



 相手の手札はここまでの攻防で割れている。
 枝や根を伸ばしての、鞭のような打撃、槍のような刺突。
 ホウセンカのように種子を射出しての射撃。
 幹を突然生やしての防御。

 鞭は痛いが致命傷ではない。
 槍は危険。傷口から胞子や種子を仕込まれる可能性がある。
 種子の射撃もまた同様。

 その攻撃のいずれもが、本体に近いことによって、精度と速度、威力を増している。
 いや、それだけではない。周囲の環境による補正もあるだろう。

 《獄魔》は、その司る色が近くにあるほどに力を増す。
 たとえば、《Ⅵ-蘇生する緑(グリーン・フィンガー)》であれば、『緑』。
 周囲を植物で覆ったのは、攻防自在な武器防具を用意するとともに、自分に有利な戦場へと、この場を塗り替える意図もあったのだ。  

「『逢魔刻(クライベイビークライ)』が命じる。輝きの蜜、至高(さいじょう)の罪、トリスメギストスの夢」

 そうした、様々な強化を受けた攻撃が、私を襲う。
 一時間前までの私ならば、目で追うことすら困難であっただろう、猛攻を、

「貪れ――《Ⅺ-黄金の欲望(ミダス・デザイア)》」

 ――対象:山乃端 一人。『反応速度』黄金化(きょうか)

 完全に、捌ききっていた。

 11時00分から、11時59分は『金』の時間。
 対応する《獄魔》は、貪欲蹂他の闘争の化身、《Ⅺ-黄金の欲望(ミダス・デザイア)》。
 万物を価値ある黄金にする古の王の呪いの手が如く、触れたものの性質を強化する権能を持つ。

 一つの存在につき、強化できる性質は1つまで。
 その能力を最大限に行使して、私は一撃必殺の攻撃の嵐をかいくぐる。

 ――対象:ジョギングスーツ。『耐久度』黄金化(きょうか)
 ――対象:床。『耐久度』黄金化(きょうか)

 足元からの不意打ちを封じ、自らの防御力を向上させ、一歩ずつ《獄魔》憑きへ近づいていく。
 攻撃の圧が強い。無為に時間が過ぎていく。
 じりじりと焦りが募る。一撃受ければ死。

 《獄魔》を封じるには、《獄魔》憑き――宿主の意識を奪い、その上で宿主に触れなければならない。

 つまるところ、今の私には、直接攻撃しかない。
 ガスや薬品を使う手もあるのかもしれないが、一介の女子高生には所持ハードルが高すぎるし、宿主を殺しかねない。

 だから、私には、少しずつ、半歩ずつ、進むことしか許されない。

 銀時計を一瞥する。
 あと5分で、『金』の時間が終わる。
 そうなれば、無防備な『白』の時間。時間切れで、デッドエンドが確定だ。

 ここまでかけた時間と、詰めた距離を概算する。
 ぎりぎり、2分程度の猶予を残して、接敵できる。

 銀時計を一瞥する。午後11時59分。あと1分。
 そして、私の拳が《獄魔》憑きに届くまで、あと一歩。

 いける。
 綱渡りのような戦いだったが、今回も、何とか生き抜ける。

 そう、確信した瞬間。

 ――対象:山乃端 一人。『反応速度』黄金化(きょうか)消失。
 ――対象:ジョギングスーツ。『耐久度』黄金化(きょうか)消失。
 ――対象:床。『耐久度』黄金化(きょうか)消失。

 シンデレラの魔法が解けるように――黄金が、鉄くずへと戻る。

 床を突き破り、足元から枝の槍がいくつも突き出される。

「な――っ!?」

 私の認識する世界が、私を襲う攻撃が、加速した。


支配時間 名称 司る色 権能
0時(と12時) 『白』
1時(と13時)
2時(と14時) 『灰』
3時(と15時) 《Ⅲ-血塗れの侵入者(ブラッディ・ハッカー) 『赤』
4時(と16時)
5時(と17時) 『黄』
6時(と18時) 《Ⅵ-蘇生する緑(グリーン・フィンガー) 『緑』 植物操作
7時(と19時)
8時(と20時)
9時(と21時)
10時(と22時) 《Ⅹ-銀鉄の巨塔(メタリック・バベル) 『銀』 金属操作
11時(と23時) 《Ⅺ-黄金の欲望(ミダス・デザイア) 『金』 性質強化






3.『散々な日々』


 銀時計は11時59分を指している。
 しかし、『金』の時間は終わり、《Ⅺ-黄金の欲望(ミダス・デザイア)》はその効力を失った。

 つまり、「銀時計の指す時刻がずれていた」ということ。


 ―― 昼休みの終了を告げるチャイムが鳴るまで、ひどく早く感じた。
 ―― 『銀』の時間は終わり。想像していたよりも時間がかかったようだ。

 そういえば今日は、何度か、思ったよりも時間の経過が早く感じていた。
 それはきっと、肌身離さず持っていた銀時計が、遅れた時間を指していたからだ。

 原因は――

 ―― マウスウォッシュのミント味で寝ぼけた目を覚まし、うがいをしようとして、
 ―― シャワーから降り注いだ冷水に、私は大きくため息をついた。
 ―― 全く、朝からバッドイベントのフルコースだ。

 おそらくは、あの時だろう。
 アンティークの懐中時計に水分は厳禁。時計の針が狂ってしまうから。

 いつもは濡れないように気を遣っていた。
 仮に針が狂っても、昼休みに針を合わせなおすなりしていた。

 だが、そんないつものルーチンが、

 ―― うちの学園でも特に問題児ばかりが揃うという、第十二新校舎へと向かう道。
 ―― そこを、まっすぐに走り去る、女の子。

 あいつに目を奪われたことで、狂ってしまった。

 つまり、今は、0時00分。
 なんの能力も行使できない『白』の時間。

 追い詰められた。
 これまで封じてきた《獄魔》には頼れない。
 あと60分間、私の武器は、ただ丈夫なだけの、銀時計のみ。
 思考を回せ。覚悟を決めろ。限りなくゼロに近い可能性を手繰り寄せろ。

 そして――私は踏み出した。
 どこへも辿りつけないない、行き止まり(デッドエンド)へ――



  •  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ・ ◆ ・ ・ ◆ ◆



 瞬間、すさまじい勢いで、私の体は引きずり出された。 
 世界がぐるりと回転する。
 ガラスが割れる音。浮遊感。視界を埋めつくす夜空。全身を包む外気。
 校舎の外に飛び出した? ちょっと待って、ここは4階。身投げするのにはご機嫌な高さだ。何が起きている? 少なくとも《獄魔》憑きからは遠ざかった。助かった? 助けられた? 誰に? どうやって? というか、今、私はどんな状況だ?

 がくん、がくん、がくん、がくん。
 少しずつ、段差を転げ落ちるような衝撃が首を襲う。

 その中で、ようやく私は状況を認識した。
 私は、誰かに首根っこを掴まれている。

 その誰かは、片手で私を持ったまま、もう片手で『校舎の壁に張り付いている』。
 凹凸を掴んでいるとかではない。ただ、平坦な壁面に、ぴたりと手のひらをはりつけながら、少しずつ下へと降りているのだ。

「はっはっは! 危ないところでしたね! ひーちゃん! あなたの『最強』が! きましたよ!」

 闇夜に響く、能天気な笑い声。
 少し声は大人びたが、私はそれに聞き覚えがあった。

 忘れるはずもない。
 銀時計を継承した私に、ほんの少しの希望を与えて。
 そして、勝手な約束をした後に、私の前から姿を消した、親友だと思っていた相手。

『はっはっはー! ひーちゃんはこわがりですねえ!』
『大丈夫! あたしは最強ですから! ひーちゃんのピンチには必ず駆けつけて守ってあげましょう!』

 やかましくて、バカ丸出しで、ただ、まっすぐだった昔馴染み。

「この『最強』が来たからには、大船(タイタニック)に乗った気持ちでご安心を!!」

 いや、その大船は、どうやっても沈むって決まってるのだけれど。

 着地するさまスポーツバッグから取り出したシャベルを振りまわし、襲い来る枝をすぱすぱと迎撃する彼女の姿は、さながら竜巻のようだ。
 身体能力については、明らかに私よりも高い。

 しかし、今はそんなことはどうでもいい。
 どうして、今、このときに、

「なんで、あんたが」
「約束したでしょう!」

 後ろでへたりこむ私に手を差し伸べたのは、だぼだぼのストリートファッションに、大きなスポーツバッグを背負ったボーイッシュな女の子。

「『ひーちゃんのピンチには必ず駆けつけて守ってあげましょう!』と!」

 月夜に彼女の真っ白い肌が映えて、大福餅のようだ、なんて見当はずれの感想を私は抱いた。

 五年ぶりに再会した幼馴染。
 名を、望月 餅子(もちづき・もちこ)といった。



  •  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ・ ◆ ・ ・ ◆ ◆



 望月 餅子と出会ったのは、銀時計を継承したその日。
 山乃端 一人の運命について、初めて知った夜のことだった。

 真夜中に、途方に暮れて泣き晴らす私の部屋の窓を、こん、こんと叩いて訪ねてきたのが、隣に引っ越してきたという、餅子だった。

 まだ無防備だった私は、泣いていた理由を聞かれて、包み隠さず事情を話してしまった。
 その突拍子もない話を、彼女はしごく真面目にうなずきながら聞いて、

『はっはっは! ならば簡単です! その《獄魔》というのを、全て集めればいいでしょう! 代々の一人さんは1人ぼっちだったからダメだったのでしょう? ならば――』

『約束です! 大丈夫! あたしは最強ですから! ひーちゃんのピンチには必ず駆けつけて守ってあげましょう!』

 真夜中、日付の境界線。
 子供にとっては夢の中も同然のそんな時間に、私と彼女は小指を絡めて約束し、私たちは友達になって、そして。

 五年前、彼女は忽然と姿を消し。
 その日から、私は、1人で《獄魔》と戦うようになったのだ。



  •  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ・ ◆ ・ ・ ◆ ◆



 何で今更、とか。
 あの時どうして私を置いていなくなったのか、とか。
 そんな文句を言う前に、餅子は《獄魔》の幹枝をシャベルでどつき倒すと、私を助け起こした。

 明らかな借りだ。
 命を助けられただけでなく、《獄魔》憑きとの戦いすら、代行された。

 貸し借りは公正に、が私のモットーである。
 借りの分は、邪険に扱うわけにはいかない。

 私の複雑な心境など知らない様子で、自称『最強』は笑っていた。

「……望月 餅子」
「はい! あなたの『最強』の幼馴染! 望月 餅子です! 昔のように「ぺーちゃん」とお呼びください!」
「助かったわ、……餅子」
「それはよかった! お怪我があんまりなくて何よりです! いのちはいちばんだいじ(アイアムライフベスト)です!」

 自称『最強』の救命胴衣(ライフベスト)に自己紹介をされてしまった。

 何か、真面目に文句を言おうとした自分がばからしくなって、私は、この幼馴染の処遇をさておくと、飛び降りてきた校舎の窓を見上げた。

 次の《獄魔》が召喚できるようになるまで、あと50分ほど。
 餅子の意図はさておき、彼女の助力があるならば、とれる戦略は広がる。

 これは協力じゃない。利用だ。
 信頼はしない。《獄魔》と同じように、使役するだけ。

「しかし、ここまで一人で、八柱まで封印とは。ひーちゃん、がんばりましたね! その心意気、『最強』ですね!」
「……どうも」

 かくて、私は餅子と再会し、第九《獄魔》へのリベンジに向かった。

「それでは、どうしましょうか! すぐに突撃しますか? しちゃいますか?」
「……一時間、私を守って。そしたら、お礼参りといきましょう」
「わっかりました! この『最強』が! ぺったりお傍でお守りしましょう!! あたしの5年の修行のその成果! ひーちゃんに見せてさしあげます!」

 夜闇に響く、バカ丸だしの能天気な声。
 長い間の空白を感じさせない距離感。

 わずかに違和感はあった。
 私にとって都合のよい部分、「いい子」の面しか存在しないかのような、人格を感じない、いびつな笑顔。
 デッドエンドに対する救済装置のような、あまりにも絶妙な登場。

 本当ならば、この時点で考えるべきだったのだろう。
 なぜ、こんなタイミングで、彼女は私の前に現れたのか。

 本来ならば、あの出会いを疑うべきだったのだろう。
 あの日、あの時に、どうして、彼女は私の部屋の窓を叩いたのか。

 けれど、死闘に高揚した私の頭はそこまで思考を回すことができずに、

 こうして、山乃端 一人と、望月 餅子の物語は、始まってしまったのだ。



  •  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ・ ・ ◆ ◆



 さあさあ聴いてくれたまえ。
 これより語り始めるは、無数の正義の物語。

 だが、正義とは、はて、なんだろう。
 ある者の正義は、ある者の不正義。
 ある集団の悪は、ある集団の善。

 この世界(はへん)は、『最強』を名乗る■■と、孤高を走る一人の物語。
 この世界(はへん)の山乃端 一人を救うとは、■■が、■■としてなお■■を貫くこと。

 これが、私の東京(パッチワーク)をつむぐ、一つのかけら(はぎれ)
 だが、それでは足りない。

 より多くの線を収束させ、鏡面を向き合わせ、無限の破片を繋ぎ合わせ、そして初めて、望むべき曼荼羅が描きあがる。
 そうして初めて、天恍の星をも越えて輝く、その先の景色を浮かび上がらせる。

 少なくとも私はそれを信じている。

 だから――祈り手(プレイヤー)たちよ。
 その祈りに、私は己の祈りを重ねよう。

 筋書の定まらぬ、気高き純白の未来を願って。

 破片よ集いて鏡画を描け――『虚去堂東懸顕鏡京(パッチワーク・トウキョウ)』。












山乃端 一人


■キャラクター名:山乃端 一人
■ヨミ:ヤマノハ ヒトリ
■性別:女
■武器:銀時計

特殊能力『逢魔刻(クライベイビークライ)

 銀時計から、現在の時刻に応じた《獄魔(デミゴッド)》を解放し、召喚する。
 召喚する《獄魔》は完全に現在の時刻によって決められ、召喚者である一人の意志で決定することはできない。
 たとえば、1時(と13時)に召喚されるのは《I-漆黒の人形(エヴォン・ドールズ)》。
 3時(と15時)に召喚されるのは《III-血塗れの侵入者(ブラッディ・ハッカー)》。

 望月 餅子プロローグ終了時点で、銀時計に封じられているのは、全12柱中9柱。
 つまり、一日のうち6時間、 山乃端 一人には無防備な時間があることを意味する。
 《I-漆黒の人形》ならば『黒』、《III-血塗れの侵入者》ならば『赤』といったように、《獄魔》には一匹ずつ、司る色があり、周囲に対応する色が多いほどに力を増す。

支配時間 名称 司る色 権能
0時(と12時) 『白』
1時(と13時) 《I-漆黒の人形(エヴォン・ドールズ) 『黒』
2時(と14時) 『灰』
3時(と15時) 《Ⅲ-血塗れの侵入者(ブラッディ・ハッカー) 『赤』
4時(と16時)
5時(と17時) 『黄』
6時(と18時) 《Ⅵ-蘇生する緑(グリーン・フィンガー) 『緑』 植物操作
7時(と19時)
8時(と20時)
9時(と21時)
10時(と22時) 《Ⅹ-銀鉄の巨塔(メタリック・バベル) 『銀』 金属操作
11時(と23時) 《Ⅺ-黄金の欲望(ミダス・デザイア) 『金』 性質強化


設定

 希望崎学園の女子生徒。
 肩まで伸びたまっすぐな黒髪と、地味な黒ぶち伊達眼鏡で、普段は地味な生徒を演じている。

 しかし、その実は気の強いはねっかえりの性格であり、夜な夜な動きやすいジョギングスーツに身を包み、人知れずトラブルシューターをやっている。

 単一魔人能力継承血統の末裔であり、家伝の銀時計と魔人能力『逢魔刻』を、7歳の誕生日に継承した。

 肌身離さず持ち歩く銀の懐中時計は、かつて山乃端の先祖が、世のあらゆる争いの具現であるとされる、12匹の《獄魔》が封印されていたもの。

 トラブルシューター稼業は、大きな争いがあるところに《獄魔》が現れるための、実益と使命を兼ねている。
 適正な対価には割とうるさい。嫌いなものはただ働き。
最終更新:2022年02月05日 18:50