第一回戦畜生界 法帖紅
採用する幕間SS
なし
本文
◆88xxx8888-88:88xx(Timestamp error) 鬼屋敷涼
鬼屋敷凉にとって一番の誤算は、この戦場であった。
血肉に飢えた獣が闊歩するこの畜生界は、彼の戦闘スタイルにとって不利が大きい。
狼が如き不定の獣たちは、多少の痛みなどものともせず襲いかかる。
「数も数えられねぇ能無しクソッたれな肉塊どもめ。俺の歩みと数学を邪魔するものは、何もかも容赦しねぇぞ」
強化された彼の身体と戦闘術クラヴ・マガは、風車のように畜生どもを蹴散らしていくが、いかんせん人間対人間を想定した戦闘術であるクラヴ・マガは四足歩行の生物への急所攻撃を不得意としていた。
結果。彼の周りには、傷つきながらも立ち上がり、彼を喰らわんと狙いを定める獣がたちが群れを成す。
瞬間、空気が動く。背後に気配。
奇襲を察知した鬼屋敷は、すんでのところで背後から迫り来た一撃を回避する。
獣の群れに紛れながら鬼屋敷を不意打ったのは、対戦者である殺すべき相手、法帖紅。
彼女の右手には裁ちバサミが握られている。
「テメェーも同じだぜ、クソ女! 世界のすべては数学であり、数学つったらこの俺だ。そんな俺に立ちふさがるってことが、何を意味するかわかるか?」
「知らないわ、そんなこと」
「今から徹底的に教授してやるぜ。授業料はテメェーの命から差っ引いてやるから覚悟しておけッ」
向かい合う二人の魔人。
鬼屋敷は、改めて己の能力を発動するため、脳の奥深くに眠る魔人能力のイメージを強く認識する。
――『ナンバーズ・オブ・デス』!!
――無理数を暗唱することで敵にダメージを与えたり、自分を強化することができる能力。
――小数点以下、無限に増えて行く桁数をより多く暗唱すればするほど、その力は爆発的に増大する。
鬼屋敷はクラヴ・マガの教えを思い出す。前進転の構えから拳を握る。腰を落とし、瞬発力を溜めた。
フッっと息を吐く次の瞬間には、彼は敵との距離をゼロにまで詰め寄っている!
そして叫ぶ。
「√2!」
彼の瞬間的な歩法に、紅は対応することができていない。
(この女、戦闘系魔人じゃあねぇな)
フェイントも何も必要ないと判断。渾身の右ストレートを叩き込む。
紅は避けることも防御することも出来ず、左の肩にまともにそれを受け、衝撃とともに転がり飛んでいく。
「俺の拳を喰らったな?」
鬼屋敷はニヤリと笑う。
1.41421356237309504880168872420969807856967187537694――
それは無理数の暗唱。彼の能力発動のための詠唱。
膝をついた紅が、彼の拳を受けた肩を見やると、殴られた箇所が不自然に発光している。
それこそ、鬼屋敷涼の能力ナンバーズ・オブ・デス発動の証。
――8073176679737990732478462107038850387534327641572、0ッ!!
「まずは一発、味わってみろ。これが数学の力だ!!」
強烈な発光と衝撃。
一直線に張り裂ける大気。
それはありえざる遠距離攻撃のごとき拳撃。
紅に叩き込まれた打撃位置を起点に発生する、2段構えの爆発攻撃。
「今のはジャブだぜ、女ぁ…。まさかこの程度の一撃で死ぬわけはねぇよなぁ?」
「……当たり前でしょ」
一瞬の間隙。
鬼屋敷は見ていた。
ナンバーズ・オブ・デスがその威力を現す一瞬、紅を守るように出現した影。
大蛇の姿を。
(確か、この女の能力。一瞬のタイミングにも割り込める防御能力だったか……)
鬼屋敷は、事前に調べがついていたこの対戦者の魔人能力を思い出す。
(ハッ、それがどうした。この女自体に大した戦闘力はねぇ)
「だったら、テメェーの能力と俺の能力、どっちが強いか格の差を思い知らせてやるよ」
二人の魔人の激突が始まる。
”弱ったほうを襲ってやろう”とハイエナの如き狡猾さで趨勢を窺っている周囲の畜生たちを尻目に懸けながら、
彼はむしろ安堵していた。
奴らに一斉に襲いかかられたらヤバかったな、と。
鬼屋敷は、自分に優位な展開になりつつあることを実感する。
脳裏では、すでに目の前の魔人を倒したあとに倒すべき、もう一人の敵について思いを巡らせていた。
†††
繰り返される拳撃と瞬間防御の応酬は、すでに開始から10分を超えていた。
「どうだぁ、女ぁ。テメェーは俺に敵わねぇってことがよくわかっただろう」
10分の間、攻撃のすべては鬼屋敷の拳から放たれるのみ。紅の反撃のすべては彼に届くことはなかった。
圧倒的運動性能の差である。
彼の拳は右から左から、上から下から、前から後ろから、フットワークと組み合わされ無数の方向から放たれる。
問題は、その攻撃が紅に対する致命の一撃には届かないということだった。
(チッ、威力が足りねぇか)
100桁級の無理数詠唱では、大蛇の防御性能を貫けない。
「だったらよぉ。1000だろうが10000だろうが、暗唱すればいいんだろ? それでQEDだ」
証明終了。勝利確定だ。
紅側に、彼の無理数詠唱を止めるだけの攻撃力は存在しない。
鬼屋敷は叫ぶ。
「√11!」
3.31662479035539984911493273667068668392708854558935――
暗唱は続く。500桁を超えて、まだ詠唱を切るつもりはない。
紅もこの莫大な暗唱量に危機感を覚えたのか、専守の体制を崩して攻勢に出る。
鬼屋敷は、それに付き合う必要はまるでない。
紅の鈍い踏み込み、鈍い一撃を往なして弾く。
1分、2分、と暗唱は続いて行く。
――19002140082024685763510576959827552952570326742584……
1000桁を超える。
――6573174993463673181778967078930496112694294237633、0ッ!
これで5000桁!
「俺の、数学はああああ、さいッきょうだあああああ」
大型爆弾級の局地破壊を実現する、これが鬼屋敷涼の魔人能力の真の姿。
閃光のナンバーズ・オブ・デス。
右拳の一点に破壊力のすべてを集中するストレート・スマッシュ!
「わたしは別に、貴方より強くありたいわけじゃないわ」
そんな紅の囁きを、彼は聞かなかった。
「叶えたい願いが、あるだけ」
その瞬間、紅が小さく笑う。
――鬼屋敷が放つ拳が迫る。
――紅が笑っている。
鬼屋敷の瞬間的な思考。
何か、見落としがあるのだろうか。
この女がこの瞬間から逆転する一手が存在する?
このタイミングを待っていた?
俺が大技を繰り出す瞬間を?
そう、俺は最初、なぜ小技で様子を見るような真似をしたのか。
大技を放つ隙を狙った横槍が入らないようにと――
「今だッ、グレムリン。両方まとめて叩ッ斬れ!」
「あいさー先輩ッ」
周りを囲む畜生どもの陰に身を潜め、機を窺っていた新たなる闖入者。
夜魔口工鬼(グレムリン)&夜魔口断頭(デュラハン)!
†††
◆88xxx8888-88:88xx(Timestamp error) 夜魔口工鬼
グレムリンは、デュラハンの指示の下、召喚した小悪魔の視界を借りて一部始終を観察し、機会が訪れるのを待っていた。
デュラちゃん先輩が言うことにゃ、俺達の優位は、俺の魔人能力グレムリンワークスの諜報能力にあるらしいス。
「いいかグレムリン。私達にあって他のヤツは持ってない力。それはなんだ?」
「なんスかぁ先輩。そういう哲学的な小難しい話、俺にはわかんねぇッスよ」
「バカ、違う! 能力だよ能力。私達にあって他のヤツらは持ってない力。それはお前の小悪魔たちの諜報能力。そしてな、今から大事なことを言うぞ。私達が生き残るために、私達は協力して立ち向かう。私が考え、お前が動く。私達は、二人だ。それが他でもない。もっとも強力な優位点になる」
「先輩……。俺泣けて来たッス。デュラちゃん先輩が俺を頼りにしてくれてるッス。感激ッス。この勢いで告白したら成功確実ッス。先輩……好きッス。愛してるス」
「グレムリンお前……ぶん殴るぞ」
「先輩、今、身体無いッスよ」
「チッ」
――『グレムリンワークス』夜魔口工鬼が持つ特殊能力!!
――体長5cmほどの小悪魔を生み出す。一度に出せるのは10体前後。
――小悪魔と術者間でテレパス会話や視覚共有も可能。
「まず、グレムリンワークスで周囲を警戒。敵との接触を避ける」
「ふむふむ」
「そうしたら、敵二人がバトり出すのを観察できる」
「さすがッス、先輩頭いいッス。俺達は一戦やらかしたあとの、残ったボロボロのヤツを相手にするんスね!」
「いや、ただ待つだけじゃない。より確実な勝負のために、機会を窺うんだ。敵が相手にトドメを刺そうとする、その一瞬こそが最大のチャンスだ。その一瞬こそ、敵が一番油断する機会なのさ。それで二人の敵のうち、”強い方”を倒す」
「おお!」
「あとは、トドメを刺されそうなっていた”弱い方”を私達二人で相手する」
「先輩、よくこんな作戦思いつきましたね」
「ああ、ハンターハンターを読んだからな」
「先輩……」
「あ? なんだその顔は! 文句あんのかコラ」
†††
鬼屋敷涼が、法帖紅に必殺の一撃をぶち込む。
その瞬間を、デュラハンとグレムリンの二人は待っていた。
向かい合う鬼屋敷と紅。
その周りを囲み、どちらかが倒れるときを今か今かと待ち望んでいる地獄の畜生ども。
その畜生どもの陰に、グレムリンの生み出した小悪魔たちの視界を紛れ込ませておいた。
そうして二人は、戦うべき敵の能力の詳細と戦闘能力を間近に観察することができた。
「俺の、数学はああああ、さいッきょうだあああああ」
鬼屋敷が叫び、拳を振り上げ飛びかかる。
「今だッ、グレムリン。両方まとめて叩ッ斬れ!」
「あいさー先輩ッ」
グレムリンは、マリーアントワネットの断頭斧を振りかぶる。
幾多の首を斬り落としてきた呪いの一振り。
鬼屋敷の不意を突けるよう、死角を走る。畜生どもの影を縫い、背後を取る。
「な、何?!」
鬼屋敷がこちらの行動に気づくが、もう遅い。
トドメを刺すという殺意の気配が、グレムリンの隠形の気配を隠し通し、接近を許す。
必殺の一撃は、それこそ渾身の力を込めて振るうもの。
その際、身体は硬直し、不意の動作で回避に移れるものではないのだ。
大斧を鬼屋敷に叩きこむ。
背骨を狙った背後からの完璧な一撃。
肉に食い込む感触、骨を砕く手応え!
遂には鬼屋敷の身体を突き抜け、その向こう、法帖紅までもその凶刃にて両断する!
「ギャアアアアアアアア」
鬼屋敷のノドから出る、肺の空気を絞り出すような絶叫。
「お? なんだなんだ、もしかしてまだ生きてるンすか?」
「ぐああ、こんな一撃で俺が、俺があああ」
「まあいいッス。どうせすぐ動けるような傷では無いッス。あとの処理は畜生どもに任せればいいッスね」
「な、何。なんだと……」
鬼屋敷は恐怖におののく。
”弱ったほうを襲ってやろう”とハイエナの如き狡猾さで趨勢を窺っている周囲の畜生たち。
今まさに、鬼屋敷は畜生どもにとって”弱った獲物”でしかなかった。
「やめろ、食うな。俺を食うな。こんなクソ肉塊どもに、俺の数学が負――」
目を覆いたくなるような鬼屋敷の惨状にも動じないグレムリン。
「デュラちゃん先輩ー。終わったッスよぉ」
振り返る。
「バカ、よそ見するな! 女のほうはまだ生きてる!」
そんなことが起こり得るのだろうか。
俺は確かにあの女の、法帖紅の身体まで斬り裂いた感触が……!!
慌てて戦闘態勢を取るグレムリン。
目線を向け直し、倒れ伏したと信じていた女の姿を探す。
しかしそれが逆に仇となった。
紅はグレムリンを相手にしようなどとは欠片も思っていなかったのだ。
彼はまず真っ先に、デュラハンの元へと駆け戻るべきだった。
グレムリンの脇をすり抜け、紅が走る。
目標は、夜魔口工鬼&夜魔口断頭の二人組のうち片割れ、”頭脳”派の司令塔デュラハン。
「先輩!」
慌てて後を追うグレムリン。失策を重ねる。
ここはデュラハンの頭部を運んでいる小悪魔たちに命令し、彼女を避難させるほうを優先するべきだった。ミスからの焦りと、自分の愛する人が狙われているという危機感から冷静さを失う。対応が後手に回る。
(先輩のもとへは行かせない!)
今度こそ紅の息の根を止めようと、マリーアントワネットの断頭斧を振りかぶる。
スピードなら負けていない。
特筆するべき身体能力を持たない法帖紅相手ならば、この短い距離でもその背に手が届く。
大斧を振り下ろす。
紅の背に振りかかる刃。
しかしそれが肉に食い込む前に、大蛇が召喚される。
法帖紅の瞬間防御能力!
大蛇は一瞬にして大斧の露と消える。呪いの斧の一撃を、防ぎきれるものではない。
しかしそれはこの場合関係がなかった。重い一撃が身体に届くタイミングを、一瞬、遅らせるだけでよかった。
斧は、背の皮一枚斬り裂いただけ。紅の命には届かない。
「クソッ」
グレムリンの体勢のバランスが崩れる。走る足がもつれる。
その隙に、紅はデュラハンのもとへとたどり着く。
小悪魔たちを蹴散らし、デュラハンの首を手中に収める。
首だけのデュラハンの眼球が、紅を睨みつける。
「ああ゛ん?! 私を人質に取ろうっていうのか?」
「そうよ」紅が答える。
「願いを叶えるために、できることはすべてやるって決めているの。そこの貴方には、自分の足で場外へ去ってもらいます。それで決着です」
「ああ、そうかよ……」
その言葉を聞いてデュラハンは諦めたかのような、意を決したかのような表情へと変わる。
「グレムリン!」デュラハンが呼びかける。
「先輩!」グレムリンがそれに答える。
「近づかないで!」紅がグレムリンを牽制する。
手に持っている武器は、裁ちバサミ。グレムリンと戦うのは難しいだろうが、首だけのデュラハンに傷を負わせるには十分な凶器である。
「いいか! グレムリンようく聞け」
「はい! 先輩」
「思いだせ、私達は二人組だ」
その言葉を聞いて、グレムリンは押し黙る。
デュラハンがこれから何を言おうとしているのか、察しがついてしまったからだ。
「早く来いグレムリンッ。両方まとめて叩ッ斬れ!」
「それは出来ませんッ! 先輩!」
「お前が勝てば、すべて元通りだ。私の頭がカチ割れようが私達二人組で勝てばいいんだ」
「それは、でも俺には……。俺たちは夜魔口の名を持つ兄弟ッスよ。兄弟は、斬れないッスよ。それに……先輩は……俺にとって、大切な人ッス!」
弱音を吐くグレムリンに、デュラハンが優しい目をして語りかける。
「そうだろう、だがなぁ兄弟(ぐれむりん)。私達は生き残る。勝ち上がって生き返る。そう決めたよな。だったら私に、弟分の足引っ張ったなんて不名誉を与えてくれるなよ……」
「生き返る……」
グレムリンの目に逡巡の色が灯る。
「それに、なぁ。こうやってこの女に捕まってると、新しい発見があるもんなんだぜ。ああ、ここからならよくわかる。聞け、グレムリン――
この女、さっきからこの地獄の畜生どもからまったく害意を向けられてねぇ!!
この女にはきっと、何か私にも知らない隠し玉g――」
紅が持つ裁ちバサミが、デュラハンの言葉を遮る。ノドを刺し貫くように突きこまれて。
「先輩――!」
瞬間、グレムリンは動いていた。
†††
◆88xxx8888-88:88xx(Timestamp error) 紅
昔から夜が嫌いだった。
夜は怖い。悪夢を見る。
紅の魔人能力が、それこそ魔を呼ぶ力であるように。
法帖紅の人生には、常に魔が付き纏っていた。
†††
デュラハンとグレムリンの会話を、紅は黙って聞いているしかなかった。
兄弟。
その単語を耳にしたとき、彼女の意識のすべてが真っ白に染まっていた。
兄弟、弟。
「――私の弟分――」
大切な、弟。
紅にも弟が居る。たった4年間。そんな短い時間の交流だったけれど、その記憶は紅の心に深く刻み込まれている。
その子の名前を、道之せんとう、という。
3つ年下の、可愛い男の子。
一緒にたくさん遊んだ。たくさん話した。一緒にたくさんのことを学んだ。
わたしのことを姉と呼んでくれた。
それなのに、わたしは彼にお別れをいうことも出来ず、こんな地獄に落ちてきた。
重くのしかかる足枷。断ち切れぬ楔。家族の絆。
彼の存在は、こんな地獄に落ちてもわたしの心を現世への苦難の道へ繋ぎ止めている。
「ああ、もう一度会いたいよ。セン君――」
そう、意識は彼方に飛んでいた。
だからこそ、紅は、自分の身体がとった行動に、動揺する。
人質にとったはずのデュラハンに、凶器を突き立てる。
逆上するグレムリン。
「一瞬で済ますッスから!」叫び飛び来るグレムリン。
斬る。斬るのか。
弟が、兄弟である姉を。
わたしがそれを強要したのか。
一瞬のフラッシュバック。
飛び散る血。姉弟の絆が断ち切れる。
グレムリンが振り下ろした大斧が、今度こそ紅の身体を両断する。
意識が暗転する。
†††
毒だ。これは、法帖の毒。
あるいは呪いと言い換えてもいい。
すべてを台無しにし、滅茶苦茶にする能力発動の詠唱。
――別れの夜は訪れない。
――永久に暮れない紅色の時間。
――『永劫逢魔が刻』
それは召喚者の精神の一部を顕在化する召喚能力。
その力によって呼び出されるのは、禁忌の魔獣。
紅の生命の危機に対処するためだけに出ずる、それこそ『道之崎オンセ』!!
すべては一瞬の出来事。
グレムリンの喉元に噛り付く雌ライオンの姿が、紅の瞳に焼き付いた。
最終更新:2012年06月13日 00:14