注)以下のお話は基本的には今回の大会参加者は知らない(公開されていない)内容です。
「まずい、不味いわ! こんなどうしようもないお話を出して、私のお腹を壊すつもり!?」
暗がりの中、車椅子に座った少女が部屋を照らし出したモニターを睨み、傍らに佇んだ女性を罵倒する。
女性は青ざめた表情で俯いたまま、少女の苛立ちをただ受け止めていた。
「お話はバラバラでまとまりがない、役者の演技は見るに堪えない! やってる演出は意味不明なものばっかり! ふざけているの!?」
少女は正常な部分だけを見ればとても整った容姿をしている。とても艶の良いブラウンのロングヘアに、白を基調とした高級な布質の衣装に身を包んだその様は可憐な人形のでもある。
しかし、その片目には眼帯を巻きつけ、右腕を包帯とギブスで固定し、車椅子に縛り付けられながら座るその様は、その少女が健常な日常生活を送れないことが一目で明らかであった。
「ごめんなさい、本当にごめんなさい……」
少女の激しい怒りを、女性はただ頭を下げながらなだめようとする。
その顔色には、自らの犯してしまった過ちに対する苦悩と後悔が強く滲む。
「――目と耳と舌が腐ったわ。口直しを用意しないと」
少女は手すりについたボタンを操作して映像を切り替える。
切り替わった映像には、二人の人間が対峙し、やがて激しい格闘を始め、遂には通常の人間には起こされざる特殊な事象を発現し合う様子が映された。
《DSSバトル》――。
異能の力を持つ者達、魔人同士による死闘。
この映像だけが今や、その少女の心の慰めとなっていた。
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「料理は愛情……って言葉があるじゃない? あれ、僕どういう意味なのか、よく分からなかったんだよね」
カチャカチャ……と音を立て、肉の厚いローストに男はナイフを入れる。
たっぷりと赤ワインが染みた色の濃いソースにその肉片を浸す。
「料理の美味しさってのは、材料の良さだったり、味付けとか調味料だったり、料理人の腕前であったり……とどのつまり、全部目に見えて計れるものにあるわけじゃない? そこに『愛情』なんてあやふやなものが差し挟まる余地はないよね?」
男は非常に上機嫌な様子で、料理を口に運びながら、目の前に座る女性に語りかける。
青一色の鮮やかなドレスに身を包んだその女性は、体つきがとても良く、短く整えられた黒髪と相まった、とても整えられた清廉な容姿を持った、誰もが目を引く美しい女性であったが、その表情は男とは対照的に暗く沈んだ面持ちであった。
「でも最近、ようやくわかったよ。ほら、万人が面白いって思うコンテンツが中々作れないように、料理にも万人が同じように美味しいって思うものは無いわけよ。大なり小なり、食べる人の好みってのが反映される」
女性の耳には男の言葉は聞こえてはいたが……頭には中々入ってこなかった。
数刻程前までの妹の苛立ちの表情と、その罵倒の声がまだ強く脳裏に残っている。
男の声に関しては、またいつもの自分の世界へ悦に入った演説であろう……とは思いつつも、聞き逃すことは無いよう、何とか意識を集中させる。
「だから、『愛情』ってのは……要は食べる人のことを、愛をもって理解して、ちゃんとその人の好みに合うものを作れますか?ってことだよね。だったら最初からちゃんとそう言ってくれれば誰でもわかるのに、回りくどい言い回しだよねえ」
『愛情』……そんな物がこの男に対してあるのだろうかと女性――『進道 美樹』は深く自問する。
確かにここに並べた料理は全て自分が細心の注意を払って作っている。男の好みについても、もう長い付き合いとなってしまったので大体は把握している。元々凝り性な性分であるが故に、どんなものを用意すれば喜んでもらえるかも知っている。
だがそれが『愛』なのかどうか――。
「美樹ちゃんは、俺の好みを分かってくれているよねえ。 ほら僕、味付けの凄く濃いものが好きだから。子供みたいって言われちゃうんだけど、いくつになってもこうやって油が乗ったものにかぶりつきたい性分で」
無邪気に鴨肉を頬張る男を見ながら、美樹はよりいっそう心が沈んでいくことを感じる。
何故、この男にはこんなに幸せそうな料理を用意できるのに、妹――ソラには私は何も美味しいものを食べさせて上げれないのだろうか、と。
だが、出来る限りそんな鬱屈とした気持ちを出さないように努め、美樹は男にただ感謝の言葉を述べる。
「ありがとうございます」
「うんうん。なんか今日はいつにもまして暗いな~。なんか嫌なことでもあったの?」
だが美樹の気分が晴れない様子であることは男には最初から手に取るように分かっていたようだった。
やむを得ず、美樹は正直にその理由を話す。
「あの作品、やはり妹には気に入ってもらえなかったようです」
「あ、そうなの? やっぱり人の好みの差ってのは大きいねえ」
ソラに提示した作品は、男の勧めによって選んだものであった。
正直、美樹にとっても何が良いのか全く分からない作品であったが、それでも今の、かつてと好みが大きく変わってしまったであろうソラには、もしかしたら受け入れられるのかもしれないと思った。
結果は、無残なものであったが――。
「僕は結構好きなんだけどなー。確かにあれを見て物凄く怒り出す人も多いけどね。でもああした作品ってのは、笑うものとして見れば面白いと思うんだけど……ま、美樹ちゃんも妹ちゃんも真面目な子なんだねえ。やっぱり」
男が言うにはそれは世間一般には駄作として受け止められている作品ではあるが、非常に独特の演出やセンスゆえ、マニアックな方面には受けている作品、とのことだった。
そんな作品でも、《DSSバトル》以外でもしかしたらソラが受け入れられる可能性のある物がもし少しでもあれば――と思い切って見せてみたのだが……。
「あ、僕も基本は凄く真面目だよ。面白いってことに関しては、ね。だから今度の大会も、絶対に成功させるから、さ」
男は唐突に話題を《DSSバトル》の事へと切り替える。
『DSSバトル』……その話題も、今の美樹にとって、結局は重くのしかかるものでしか無い。
「あの作品は妹ちゃんのお気には召さなかったみたいだけど、今度の大会には絶対に面白い!って言ってくれる物語が出てくるよ!だから、そう暗い顔をすることは無いって!」
屈託のない笑顔で男は美樹を励ます。
そう、自分の気持ちはもはや関係ない。全てはソラがどう思ってくれるのか――。
もはやそこにしか今の自分の望みは無いのだ、と彼女は思い直す。
「うん、腹八分目ぐらいにしておこうか。食べ過ぎは健康に良くないからね」
男はナイフとフォークを起き、満足そうな様子でふう、と息をついた。
すっかり皿を平らげ、わずかにワインを飲み残すのみとなった男に対して美樹の食卓は半分ほどしか進んでいない。
だが、もはやとても全てに手を付ける気にはなれなかった――。
「あとはデザートだけかな? 今日はどんな甘いものが出てくるか、楽しみだな~」
「……準備してきます」
男に促され、美樹はすっと席を立つ。
後には、笑顔を浮かべて残りのグラスに手をつける男だけが取り残された。
デザート準備へと向かう途中、美樹の頭には再度、今日の妹の様子が思い浮かぶ。
すっかり以前とは変わってしまった妹――ソラ。以前は『DSSバトル』のような暴力的なものは一切好まない子だった。
自分がまだ作家を目指していたことに書いた、今にして思えばとても拙い――、けれどもただ優しい世界であるように描いた小説を好んでくれた。
いつか、自分がアイドルを経て女優になったら、「私の書いた作品の主演になってあげる!」と眩しい、純真な笑顔で語ってくれた。
全ては、自分のせいで変わってしまったのだ――。
妹をアイドルとして成功させたかった。その夢を叶えたかった。だから『C3ステーション』の主催するアイドルコンテスト、一度は決勝で敗れてしまったソラの運命を変えるために、美樹は自分の魔人能力『S・S・C』を使った。
ソラが負けるという結末を、皆が望むはずがない、あんなに努力して、あんなに純粋で、あんなに可愛くて輝いているソラが勝利する未来を皆は選ぶはずだ――と。
だけれども、待ち受けていたものは最も残酷な結末だった。
アイドル同士が互いの全てを出し合い、どちらが優れているかを魅せる――『DSSバトル』とも似たそのアイドルコンテストの決勝において、ソラは決勝の対戦相手のドロドロとした嫉妬、妬み、ライバル感情からくる衝動によって半身不随に追い込まれる重傷を負った。
その番外攻撃を仕掛けたアイドルも己の行為を悔いながら、ソラの反撃によって死亡、ソラは勝ち残ったもののその罪責の念と、自ら負った傷痕から二度とアイドルとしては活動できず生きていく――それが皆が面白いと思った結末であった。
今やソラは半身の感覚を失い、特に味覚が全くない。
そんな彼女が唯一、味わいを覚えることができるのは彼女の魔人能力「Cinderella-Eater」によって食す物語のみ。
彼女が感じた物語に対する「面白い」「つまらない」の感情がそのまま「美味い」「不味い」として変換して味わうことができるという魔人能力によるもののみであった。
だが、今の彼女が面白い、美味しいと思うものはあの日からすっかり変わってしまったようだった。
自分が書く作品など全く受け入れられず、今や唯一良い反応を示すのは『DSSバトル』のみ。
魔人同士の死闘――そのクオリティを上げるために、ソラの全てを奪ったあの忌まわしい能力を美樹は今も使い続けている。
そして、今度開催されるかつてない規模の大会においても彼女はその力を存分に使うだろう。この能力を餌にして、大会を盛り上げる魔人を釣り上げるなどというあの男の目論見にも賛同してしまった。
その結果、ソラと同じように未来が歪められる魔人がどれだけ存在するとしても――もう彼女は止まることはできない。
この後に起こるであろう事柄を思い浮かべ、美樹の心は更に深く沈んでいく。
だが――それでも――と思う。
それでも、彼女の顔を上げさせるものは、まだ妹が元気で、純真にアイドルを夢見ていた時のこと。
『面白い! これ、とっても美味しいよ! お姉ちゃん!』
あの笑顔に、もう一度会うことができるのなら。
私は誰を、何を犠牲にしても構わない――。
そう決意を固め、彼女はデザートを調理するべく、キッチンへと重い足取りを進めた。
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「しかし、自分の身近な人の本心っていうのが、そんなに分からないものなのかねえ」
食卓に取り残された男――『C3ステーション』の総合プロデューサー、鷹岡 集一郎は先程まで食事を共にしていた美樹の様子を思い浮かべて独りごちだ。
「妹ちゃんが本心から美樹ちゃんの事を嫌っていたり、辛い事を言うわけないじゃない? 僕なんかは大体、そういう考えはその人の表情なり何なりを見てれば分かるもんなんだけどなあ」
――とはいえ、そういう風に誘導したのは自分だけどね、と鷹岡は心の中で嗤う。
あれはまだDSSバトルが始まったばかりの頃――半身不随となった妹の生活費、入院費を稼ぐために、自らの能力を駆使して『C3ステーション』に勤め始め、だがまだあまり自らの能力を使うことに乗り気で無かった美樹の気を促すために、鷹岡はプロデューサーとして動いた。
「そんな……こんな……酷い……」
鷹岡は美樹の妹、進道 ソラが入院している病室に彼女が一人でいるタイミングを見計らい、姉の上司であると名乗って彼女に接触した。
「嘘です! こんなものを姉が書くはずがありません!」
「いやー……確かにこんなの彼女の書きたいものとは違っているってのは僕も分かるよ。でも世の中、書きたいものが売れるとは限らないわけで……。僕も何とか彼女に売れる仕事を回したかったから、思い切ってこういうものを書いてみたら?ってやってみたら、案外人気出ちゃって」
ソラが見せられた映像は『DSSバトル』の中でも最も凄惨なものの一つ――。
青春を謳歌する純真な青少年の魔人が淫魔人と戦い、血と性欲と暴力に塗れて自らも無残な淫魔人と化しながら戦う光景であった。
本来、まだいたいけな少女であるソラに見せてはいけない映像が多数含まれているのだが、鷹岡は敢えて完全無処理、未編集の状態でそれを突きつけた。
「姉が……姉が……こんな酷い、恐ろしいものを……」
ソラの瞳が絶望に染まる。
鷹岡はその『DSSバトル』の構成作家が彼女の姉の進道 美樹であると告げていた。
「彼女も――まあ色々な理由で生活が大変でお金が必要だって言うし、だから僕も色々と心が息苦しいんだけど、やむを得ず彼女にDSSバトルの構成をお願いしているってわけ」
「お願いします! 姉を止めてください! 姉がこんな仕事をしたいはずがないです!」
「それは僕も思うところなんだけど……でもDSSバトルも人気が出始めて、こういう内容だからそういう熱狂的な嗜好の支持者も一部にいて、今、やめまーす!なんて言い出したら、それでその理由が彼女が書けなくなったからだー!なんて言って、そのことがもし知られたら彼女がどんな目に合うか……。」
「そんな――!」
「それに僕も慈善でプロデューサーをやってるわけじゃないから、やっぱり社員にお金を出すには、ちゃんと売れるものを作ってもらう必要があるわけよ。残念だけど彼女が普通に作る作品は、まだ売れそうにないしねえ」
「――姉は、どうすればいいんですか? どうして私にそんな話を?」
「うん、やっぱり頭が良いね君は。察しが良くて助かるよ。とにかくまずはお姉さんが『DSSバトル』を書き続けるように促して欲しいんだ」
「姉に――」
「方法はまあ、君に任せるよ。でも今の君がただ急に「『DSSバトル』が好きだ!もっと見たい!」なんて言い出しても、お姉さんも変に思っちゃうかなあ……」
「わかりました――。何とか、してみます」
「うんうん、頼むよ! ああ、良かった。これでお姉さんも救われる! 僕も上司として安心だ!」
笑顔を浮かべた鷹岡を横目にソラはもう一度映像に目をやる。
まだ青く、夢を見る若者が淫魔人の能力によってドロドロと汚され、絶叫を上げながら敗北していくあまりにも哀れな姿――。
「姉さんが、私のためにこんな――」
その瞳は、ただ姉の事を思い、涙に滲む。
「ばか……」
ポタリと一粒の雫がベッドの上へと零れ落ちた。
「うん、間違ったことは一切言っていないよね、僕」
そう言って、鷹岡は手にしたグラスを掲げ、色鮮やかな高級白ワインをぐい、と飲み干す。
やがてくるデザートを思いながら、ゆっくりとその味わいを楽しむ。
こうして自らの企業努力と進道 美樹の魔人能力『S・S・C』によって世紀のコンテンツ『DSSバトル』は完成し、今、かつてない大規模な大会が開催されようとしている。
ある事象を多くの人間が望むように事象を改変することができる能力『S・S・C』……だがそれ故、その結末が決して本人の幸福に繋がるとは限らない。
「それでもまあ、過去を変えられるのっていうのは大きな魅力だからねえ。美樹ちゃんも、ソラちゃんも、まだ叶うなら過去を変えたいって思うのかな?」
だが、一度『S・S・C』にて決定された歴史はもう二度と変えることはできない。
人々が面白いと思った物語だけが『正史』として残される。
ゆえにあの姉妹達は、もう過去を変えることはできない。それが皆の望んだものであったからだ。
そして、果たしてこれから大会に集まる魔人達はどんな面白い物語を紡ぐのか。
そこからどんな可能性が残されるのか――。
それを見てあの姉妹は何を思うのか。
「楽しみだね、実に」
そう笑い、鷹岡はグラスをテーブルに置いた。