01
彼の事は嫌いな訳じゃなくて、苦手ってだけ。
だってさ、僕がお店に行くと必ず睨んでくるんだ。僕は何にもしてないのにさぁ。
そんな彼がちょっと怖かったし、あんまり関わりたくないかなーとも思ってたんだけど。
それでもあの店に毎日通ってるのは美味しいラーメン、面白いおばちゃん、可愛いさゆりちゃん――だけじゃなくて。
やっぱり君にも会いに行ってたんだと思う。
君の事なんて殆ど何も知らないのにね。だって、口も聞いた事ないし。
無愛想だし睨まれるし、明らかに嫌われてるのに、何で会いに来ちゃってんだろう…。
湯気の向こう側に見える横顔を見つめながら、僕の頭の中にはそんな疑問が思い浮かんでいた。
彼に会いに来てるのって、やっぱり気になる事があるからって事だよね。まあ、どうして嫌われちゃってるのかは気になる、すっごく。
だって、嫌われるほど関わってない気がするんだよね。それって顔も見るのも嫌なくらい、気に食わない人って事?
嫌われてるなら、それはそれで仕方がないと思う。何もしてないのに嫌われてるなら、改善の余地がない。
睨まれるのが嫌なら会わないようにすれば良い…んだけど、会いに来ちゃうんだ。むしろ、君にごめんねって言いたいくらいだよ。
僕はふう、と大きな溜息を吐いた。
「これ!溜息吐いたら、幸せが逃げるよっ」
ぺし、と頭を軽く叩かれる。気が付けば、美知子おばちゃんが傍まで来ていて豪快に笑っていた。
別に痛い訳じゃないけど、大袈裟に痛がってみる。
「いてっ!止めて下さいよ、ネタが零れちゃうでしょ?」
「なーに言ってんだい、零れるほどネタがあるんなら、もっと売れてんじゃないのかい?作家の先生」
「ネタがあるのと、売れる小説が書けるのは別なんですー。ていうか、先生は止めて下さいよ、売れてないんだからっ」
「こんなんじゃ、いつまで経っても芽が出やしないよ。さゆりちゃん!あんた、モデルになってやったらどうだい?」
ラーメンきくいちのおかみさん、美知子おばちゃんはいっつもこんな感じだ。辛口だけど、愛のあるツッコミ…って言うのかな?とにかくいつも僕を笑わせてくれる。
「え、モデル!?やるやる!モデルやりまーす!ねえねえ、どんな役?」
「うーん…、そうだなぁ…。『歌手を目指しながら、ラーメン屋でバイトしている女の子』なんてどう?」
「は!?ちょっとそのまんまじゃーんっ、超つまんなーい!『日本の音楽を背負うトップシンガー』とかが良いよ~!」
看板娘のさゆりちゃん。いつも元気いっぱいで笑顔が可愛い。喧嘩っ早いのが玉に傷だけど。僕がここに来ると、温かい気持ちになるのはきっと彼女のおかげなんだ。
そして…、彼。
「伊吹も書いてもらったらどうだい?あんた、顔は良いんだから絵になるだろ」
へえ、伊吹君って言うんだ、彼。今初めて知ったよ。
「俺は…良いです」
「何でさ?」
「そういうの、興味ないですから」
…結構言うよなぁ、グサってきた。
冷たい声、短い言葉、鋭い眼差し、だけど澄んだ瞳をした彼。何故か気になる不思議な人。
そんな人達がいるのが家から歩いて十分の所にある、『ラーメンきくいち』だ。
たまたま見つけて、気まぐれに入ってからはほぼ毎日のように通っている。
ちょっとレトロなお店に美味しいラーメン、気になる人達。何だかここに来ないと一日終わらないって感じなんだよね。
でも…、伊吹君はやっぱり迷惑してるかな?
「悪いね、あの子ほんっとに愛想がなくって…」
「普段はそんな事ないのよ。結構よく笑うし、笑ったら可愛いんだから!ね、おばちゃん?」
「そうだねぇ。ここんとこ特に無愛想っていうか…」
普段は笑ったりするんだ…。おばちゃんは『ここんとこ』って言ったけれど、それが『僕がいる時』って聞こえるのは僕の被害妄想かな?
「そうなんだよねー、このところ特にって感じ。何かあったのかなぁ、伊吹君…」
「…まあ、年頃だからねぇ。色々あるんだろ、あの子も」
そう言って、彼を見たおばちゃん。その目は優しいけれど、心配しているようだった。
おばちゃんは知ってるんだ、彼の不機嫌な理由。さゆりちゃんも知らない何かを読み取っている。年の功ってヤツかな。
やっぱり僕の所為なのかなぁ?どうしてかは分からないけれど。
それでも僕は彼の笑顔が見てみたいと思った。笑ったら可愛い――さゆりちゃんの言った通り、きっと笑った方が可愛い。
それに彼は悪い人じゃないと思う。だって、こんなに美味しいラーメンを作れるんだから。
最終更新:2010年03月20日 18:30