04
その日を境に、瀬野さんは店に来なくなった。…と言ったってまだ二、三日程度。
常連の客が二、三日来ないなんて、珍しい事でも何でもないけど…。
さゆりさんにしてみれば、結構な大問題みたいで。
さゆりさんはさっきから、店の入り口の扉ばかり見つめている。
仕事に身が入っていないし、笑顔も少ない。テーブル布巾を指で弄っては溜息ばかり吐いて、他の常連さんに心配されている。
…あの人が来ない事は、さゆりさんにとってそんなに大問題なんだろうか?あの人はただの客なんだ、他に美味しい食べ物屋でも見つけたら離れていく可能性だってあるのに。
「来ないなー…」
「…瀬野さん?」
扉を見つめては、溜息を吐いていたさゆりさんがついに洩らした本音。俺もついつい答えてしまう。
すると、さゆりさんは顔を真っ赤にしながら勢い良く俺に振り向いた。
「な、何で?何で瀬野さん…」
「バレバレですよ、さゆりさん…」
確かにさゆりさんとあの人の話をした事は今までにない。だけど、あれでバレてないつもりだったんだろうか…。
俺がさゆりさんをよく見てるから…っていうのもあるけど、そうでなくてもきっとバレバレだろう。
「う…、いや、だって最近瀬野さん来てなくない?」
「最近って…、一昨日は来てたじゃないですか」
「だって毎日来てたのに」
「この辺で美味しい定食屋でも見つけて、そっち行っちゃったんじゃないですか?」
「え、やだっ、そんなの!」
俺に言われてもな…。そういう事もあるかもしれない、というただの憶測だし。
でも、二日来てないっていうだけなのに気にし過ぎだと思う。
「やっぱりライブに来てって言ったの、拙かったかなー。いきなり過ぎたかな?」
「そんな事ないと思いますけど…。喜んでるように見えたし」
…本心は分からないけれど。だってあの人、いつも同じような顔してるし。
「ホント?そう見えた?私、なんか不自然な事言ったり、したりしてなかった?」
「いえ、別に気になりませんでしたよ」
変…と言えば変ではあった。つまり『恋』という字は『変』という字に似ているって事なんだろう。
あの人はそんなさゆりさんの様子に全く気が付いていない、多分。鈍感にもほどがある。
「じゃあ、何で来ないのー?」
「知らないですよ、そんな事。…でも」
一昨日、あの人が帰る直前目が合った気がする。いや、よく目が合うんだ。何でか知らないけど。
その直後に帰って行ったって事を考えると、あの人が来ないのは俺の所為かもしれない。
「でも?なになに!?」
「いや、何でもないです。風邪でも引いて寝込んでるのかもしれませんよ」
「え!?し、死んでるかもしれないって事!?」
…それは言い過ぎ。ていうか、風邪で死ぬなんて…滅多にないだろ、そんな事。
「ど、どうしよう、伊吹君っ」
「…本当に好きなんですね、瀬野さんが」
「は!?う…、あの………うん」
一瞬驚いたように目を見開いたさゆりさんは、しどろもどろに目を泳がせた後、しっかりと頷いた。健康的な肌色をした頬を真っ赤に染めながら。
あの人はさゆりさんの事を何とも思っていないのに。その事をさゆりさんに言うつもりはない。でも、きっとさゆりさんも気が付いている筈だ。
それでもあの人が好きなんだ、さゆりさんは。
「これ!あんたら何やってんだいっ。しっかり働いてくれないと時給から差し引くよ!」
ぺし、と大して力の篭っていない掌で叩かれる。振り向けば店長が眉を吊り上げて、俺達の前に立っていた。
「だって店長~っ」
「だってもあさってもないよっ。さっきから聞いてりゃ何だい。たったの二日でね、人が死ぬ訳ないだろうが」
「でも~っ」
「でも、じゃない!来ないもんは仕方がないだろ?瀬野ちゃんは客なんだよ。うちのラーメンを食うか食わないかは瀬野ちゃんが決める事だ。ほら、さゆりちゃん洗い物!」
「はぁ~い…」
さゆりさんは渋々というように洗い場に入っていった。
そんなさゆりさんの後姿を見つめる。
どうしてなんだ、と思わずにはいられない。俺はさゆりさんが好きなのに。
俺ならさゆりさんを幸せに出来る。俺に何が出来るかは分からないけれど、それでも一緒にいたいと思う。
だけど、さゆりさんが一緒にいたい人は俺じゃなくてあの人なんだ。
悔しいのか悲しいのか、よく分からない。だけど、あの人の事は憎いと思う。
このままもう二度と来なければ良いのに。さゆりさんは悲しむし、それでさゆりさんが俺を見てくれるとは限らないけれど。
でもだからこそ、俺にはあの人を憎む事しか出来なかった。
最終更新:2009年12月10日 10:50