05
アルバイトをしながら、懸命に夢を追いかけ続ける女の子。
女の子が好きだけれど、その気持ちを上手く伝える事が出来ない寡黙な青年。
あの二人を見ていて、思い浮かんだ物語はそんな感じ。
あんまりそのまんまだと万が一二人に見られた時に困るから、少しずつ変えてあるけれど。
一度書き始めたらすらすらと書けてしまって、僕は時間を忘れて執筆に没頭していた。
それはいつもの事で別に珍しい事じゃない。ただスランプになると、本当に書けないんだけど。
お腹が減ったら冷蔵庫にある物を食べて飲んで、本当に眠気が我慢出来ない時だけ寝る――そんな生活を続けて冷蔵庫が空っぽになった時、初めて時計を見たら三日経ってた。
作家としてはともかく、人としてどうなの、僕。
「こんにち…はー」
三日ぶりにきくいちに行くと、店にはおばちゃんもさゆりちゃんもいなかった。つまり、伊吹君だけ。
珍しい…、滅多にない状況じゃない?これは。
「…いらっしゃい」
伊吹君は冷たい声でそう言って、僕を睨んできた。
僕の事嫌いなのは分かるけどさ、一応接客業なのに…と思わずにはいられない。ま、嫌いな理由が分かったから良いんだけれど。
伊吹君はお冷のグラスを持って、僕の座ったカウンターの方へやってくる。
とん、と少し強めの力で置かれたグラスは、少しだけ水が零れた。
「ご注文は?」
「えーと…。ねえ、おばちゃんは?」
「出前、行ってます」
「そっか。さゆりちゃんは?休み?」
「はい」
「バンドの練習が忙しいのかな…。ライブまで一週間切ったもんねぇ」
「…ご注文、まだですけど」
「ご、ごめん。しょ、うゆラーメンを…」
余計な話をし過ぎたのか、伊吹君がまた怖い顔で睨んできたから、僕は少しどもりながらいつもと同じ物を注文した。
そんなに怒らなくたって…、さゆりちゃんの話なのに。ああ、やっぱり僕からさゆりちゃんの話を聞くのが嫌なのかなぁ。そういうもんかなぁ。
ラーメンを作る伊吹君の横顔を見つめる。
…うん、格好良い。ドラマに出てくる主人公みたい。だけど、さゆりちゃんは彼の気持ちには気が付いていない…どころか、彼を男として見ていない気がする。
何でなんだろう。惜しいなぁ…。まあ、人には好みってもんがあるけどさぁ。男の僕から見ても、伊吹君は格好良いと思うのに。
「…あんまりじろじろ見ないで欲しいんですけど」
伊吹君が少しもこっちも見ないで、そう言った。見ないでも僕が見てるって分かったみたいだ。そんなにじろじろ見てたかな?
「ごめん。でも、減るもんじゃないし良いじゃない」
「そういう問題じゃありません」
「冷たいなぁ」
僕が苦笑いを浮かべると、伊吹君はまた睨んできた。
彼は僕の事を嫌いで睨んでくる――だけど、それ以上に僕は彼の神経を逆撫でしているのかもしれない。
だけど、どうしてなのかな。彼と話したいんだよね。何でも良いから、怒らせても良いから。
これもネタ探しかな…。うーん、自分で自分がよく分からない。
「お待たせしました、醤油ラーメンです」
淡々とした口調で伊吹君が持ってきてくれた醤油ラーメン。スープを一口飲んでみると、やっぱり…、
「美味しい…」
自然と口元が綻んでしまう。三日ぶりだと思うと、凄く美味しいと感じて箸が進む。いつも美味しいんだけどさ、でもだからこそ。
ふと伊吹君を見ると、いつもよりも穏やかな目で僕を見ていた。目が合って、直ぐに逸らされてしまったけれど。
へえ…、そんな顔も出来るんだなぁ。いっつも怖い顔してるのに。
あっという間に食べ終わってしまって、何だか物足りない気がする…。お腹がじゃなくて、心が…っていうかな。さゆりちゃんもおばちゃんもいないし、本当は伊吹君とも話がしたいけれど、彼は嫌だろうし…。
帰ろうかな、と思いかけた時、
「三日も…」
伊吹君が話しかけてくれた。
「え?なになに?」
「…三日も来ないなんて珍しいですね、毎日来ていたのに」
伊吹君の言葉に、思わずどきっとしてしまう。も、もしかして心配してくたのかな?
これじゃあ、何だか伊吹君に片想いしてるみたいだな。でも、嫌われてた彼にそんな事言われるのって結構嬉しい。
「さゆりさんが心配してましたけど…」
「何だー、さゆりちゃんかぁ」
「何だって事…」
「い、いや!ごめん、そういう意味じゃなくって…。あの、さゆりちゃん何て言ってた?」
「…死んでるんじゃないかって」
…さゆりちゃん、それは酷過ぎ。幾ら何でも死にはしないでしょ。
いや、一人暮しだし死ぬ時は孤独死かもしれないけどさ。ああ、そう考えると悲しい。
でも、酷いのは僕も一緒か。『何だ』はないよね。だって、伊吹君が心配してくれたのかと思ったから。
…あれ?普通は伊吹君より、さゆりちゃんに心配してもらった方が嬉しい筈じゃない?変だなぁ…。
「何か他の美味しい店でも見つけたんですか、この辺で」
「ううん、そんな事ないよ。執筆してたんだ。筆が進んでる時はあんまり家から出ないんだよね、いつもの事だよ」
「…それだけ?」
「うん、それだけだよ?」
伊吹君は驚いたように目を見開いて、僕を見た。僕はそれに驚いて、目を見開いた。こんなに自然に目が合っているのは初めての事かもしれない。
そんなに変かな?ていうか、『それだけ?』って…。僕にとっては死活問題なんですけど。
「だって、飯ぐらい食うでしょう?」
「うん、お腹が減ったら食べてたよ、冷蔵庫に入ってるチーズとかハムとか…。それがなくなったらカップ麺とかお菓子とか…」
「身体に良くないですよ、そういうの…」
「し、心配してくれてるの?」
「…俺じゃなくて、さゆりさんが心配してるんです」
やっぱりさゆりちゃんかぁ…。いや、嬉しいんだけどね?嬉しくない訳じゃないんだけど…。
ていうか、さゆりちゃんが僕の事を心配してるって事が、伊吹君的には嫌じゃないんだろうか。嫌だよね、やっぱり。
うーん…、伊吹君の考えてる事っていまいち分からない。ちょっとカマかけてみようかな…。
「でもさ、君としては僕がこの店に来ない方が良いんじゃない?」
「そうですね」
はっきりきっぱり肯定されて、胸にグサっと突き刺さるようだ。そ、そんなにはっきり言わなくても…。
「僕、さゆりちゃんと仲良いかもしれないけどそれだけだよ。それ以上の事は…」
「それだけで、あんたが嫌いな訳じゃないです」
「え、違うの!?だって、さゆりちゃんの事好きなんでしょ!?」
カマをかけるつもりが、僕はストレートに聞いてしまっていた。僕ってこういうの苦手なのかもしれない。
でもだって、さゆりちゃんと仲良くしてるから、僕が嫌いなんじゃないの?やきもち妬いてるんじゃないの?それ以外で僕が伊吹君に嫌われる理由って何!?
「好きですよ、さゆりさんの事」
伊吹君ははっきりとそう言った。真っ直ぐな澄んだ瞳は、今は僕に向けられてる。
さゆりちゃんが好きだと言っただけなのに、僕は何故かドキドキしていた。まるで自分が告白されてるみたいに。
「だけど幾ら仲が良いからって、それぐらいであんたの事嫌わないですよ。中学生でもあるまいし…」
「だ、だって、他に嫌われる理由が思い当たらないんだけどっ!やきもち妬いてるんじゃないの?」
「嫉妬…には違いないですけど…」
「なになに?他に何があるの?」
その時の僕は半泣き状態で、かなりみっともなかったと思う。伊吹君はそんな僕を呆れたように見つめて、溜息を吐いた。
「…あんた、恋愛小説書いてるんですよね?」
「う、うん…」
「向いてないと思いますよ」
ガツンって、頭を殴られたかのような衝撃を受けた。
酷い…、酷過ぎ。ていうか、何で今そういう話になる訳!?伊吹君とさゆりちゃんの事を話してたんじゃない!
それに、何でそこまで言われなきゃいけないの!!
「酷い…、何でそんな事言うの!?」
「いや、俺嘘が吐けないんで」
「ぼ、僕の小説読んだ事ないくせに!」
「根本的な問題だと思うんですけど…」
根本的な問題って何!?伊吹君の言ってる事が全っ然分かんない。
でも、悔しい。涙が出てくる。
「もう知らない、伊吹君なんて!折角さゆりちゃんとの事、応援してあげようと思ったのに!」
「…結構余計なお世話っていうか…、拗れそうなんで止めて下さい」
「もう良いっ、絶対ベストセラー作家になって見返してやるっ!いつか絶対『釣りはいらないぜ』って言ってやる!!」
「はいはい、今日はお釣りいるんですよね?」
「ぴったり七百円だからいりませんっ!」
僕はカウンターにぴったり七百円を叩き置いた。
嫌われてるのは分かる。だけど、どうしてそんな事を言われなきゃいけないのか、分からない。
だって、執筆は僕が全身全霊をかけてやってる僕の魂みたいなものなのに。
それをあんな風に馬鹿にされるのは我慢出来ない。
「伊吹君なんか、大っっっ嫌いなんだから!!」
その日、ちょっと苦手だった彼が、僕は嫌いになりました。
最終更新:2010年03月20日 18:47