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06


「伊吹君なんか、大っっっ嫌いなんだから!!」

瀬野さんは涙ぐんだ瞳で俺を睨み付けると走り去って行った。

店内にはあの人に出したラーメンどんぶりとグラスが一つ。そして、乱暴に置かれた七百円。
スープも飲み干されたどんぶりには殆ど何も残っていなかった。そこまで残さず食べてもらえるのは、料理人冥利に尽きるってもんだ。

今にも泣き出しそうな顔して、子供みたいな言葉をぶつけてきた瀬野さん。少し言い過ぎたかな、と罪悪感が残る。
現実と小説は違うもんだし、あの人はそれが仕事でちゃんとお金を貰ってるんだし…。
小説の事なんか何も分からない俺が言って良い事ではなかったなとは思う…けれど。

俺は多分あの人の事が本当に嫌いな訳じゃない。いや、嫌いは嫌いなんだけど…。
何もなかったら、多分店長やさゆりさんと混じってあの人と話が出来るんだろう。
いつも俺が作ったラーメンを『美味しい』って、全部食べてくれる。俺に嫌われてるって分かってるのに、いつも笑っているあの人。
悪い人じゃないって分かってる。俺がしてる事はあの人から見れば、きっと理不尽な事なんだろう。
それでもさゆりさんを見ていると、あの人と楽しく談笑なんて気になれないでいる。

毎日、あの人が来る頃になったらそわそわしてるさゆりさん。
あの人と話す時、嬉しそうな幸せそうな顔で笑うさゆりさん。
あの人の来なかったこの三日間、あの扉ばかりを見ていたさゆりさん。

さゆりさんにあの人が関わると、幸せでいっぱいって顔しか思い浮かばない。片想いだけど、片想いなのに。
勿論嫉妬だってする。だけど、ただの嫉妬だったらここまで嫌悪感を表に出したりしない。
俺があの人に辛く当たる本当の理由は、あの人がさゆりさんの気持ちに全く気が付いていないからだ。

さゆりさんを恋愛感情を抱く抱かないの問題は、あの人の好み次第だから俺に口出し出来る事じゃない。
でも、あの人は何にも気が付かないまま、さゆりさんに笑いかけるから。
さゆりさんは自分に見せるあの人の笑みが、店長や俺に向けるそれと同じ事を知っていると思う。つまり、それに恋愛感情がないという事を。
だけど、あの人の笑みは優しいから、さゆりさんは諦める事が出来ないんだと思う。

行く事も引く事も出来ないところに、さゆりさんはいる――それは俺も同じで。
あの人もさゆりさんを好きで幸せにするというなら、俺は二人を応援する。さゆりさんを女として見れないのなら、俺は一歩踏み出す事が出来るのに。まあ、結果はどうあれ、だけど。

俺があの人に苛つくのはきっとそんな理由だ。
あの人がさゆりさんの気持ちに気が付いていないのも、さゆりさんがあの人を好きなのもきっと悪くない。そう考えると、俺のあの人に対する態度はやっぱり理不尽なんだろうな。
それでも俺は変われない、きっと。
あの人が変わらなければ、さゆりさんは変わらない。さゆりさんが変わらなければ、俺も変われない。今までと同じ日常が延々と続いていくんだ。



あの人が残していった七百円をレジの中にしまって、どんぶりとグラスを洗う。
すると、出前に行っていた店長が戻ってきた。

「ただいまーっ。あれ、閑古鳥が鳴いてるねぇ」

店長は客がいない店内を見て、残念そうに溜息を吐く。
確かにこの小さな店内で、ここまで客がいないのも珍しい。

「おかえりなさい。確かに今日は暇ですね。でも…」
「でもー?」
「…あの作家さん、来てましたよ」

岡持ちを棚に戻している店長にそう言うと、店長に直ぐに振り向いて嬉しそうな顔をする。

「そうかい、瀬野ちゃん来てたのかい。だから言ったんだよ、そんな簡単に死ぬ訳がないって。さゆりちゃんは心配し過ぎなんだよ」
「そうですね」

昨日まで大騒ぎしていたさゆりさんの顔を思い出して、苦笑いが零れる。
でもまあ、あの人が言っていた通りの生活をこれからも続けるなら、いつか成人病にかかりそうだけど…。

「どうせ小説書くのに夢中になってたとか、そんなとこだろ?」
「ああ、そんな事言ってましたけど…。よく知ってますね」
「知ってた訳じゃないさ。だけど、あの子作家だろ?作家が小説書かないでどうすんだい。食ってけないだろ」

…確かに。言われてみれば当たり前の事だと分かるのに、どうしてさゆりさんは気が付かなかっただろう。店長も分かっていたなら、教えてあげれば良かったのに。
店長はちょうど俺の目の前のカウンターに腰を下ろすと、ニヤニヤと笑みを浮かべて俺を見てきた。

「…何ですか、その顔」
「伊吹、瀬野ちゃんに何か言っただろう」
「言ったって、何を」
「それをあたしが聞いてるんだよ。何か傷つけるような事でも言ったんじゃないのかい?」

どうしてそう思うんだ――そう言おうとして顔を上げた時、店長の人差し指を鼻先に突き付けられて、思わずたじろぐ。

「ちょっと罪悪感を感じてんだろ、そんな顔してる」
「そんな事…」

ない、とは言えない。実際少し言い過ぎたなって思ってるし。
自分が関わる恋愛に疎いくせに恋愛小説を書いてるなんて、本当に向いてないとは思うけどな。

「人を傷つけるのも楽じゃないだろ?次来た時、謝っときなよ」
「…はい」
「よしよし」

そう言いながらにっこり笑う店長は、いつまで経っても俺を子供扱いしてる気がしてならない。
確かにここのバイト始めた当時は、俺は十七歳でまだ子供だった。だけど、もう二十二歳で酒だって飲めるのに、扱いはあの頃のままだな。
別にそれが嫌な訳じゃない。母親がいない俺からすると、母さんってこんな感じなのかなって思う。

「しっかし、世の中上手くいかないねぇ。誰か一人でも楽な方にいけば、なるようになるのにさ。頑固もんばっかだよ」
「誰の事を言ってるんですか?」
「あんたら以外に誰がいるんだい?何だって辛い方に辛い方にいくのかねぇ」

…やっぱり店長は全部知ってるんだ。俺の気持ちもさゆりさんの気持ちも。
確かに楽になってしまえば――さゆりさんの事を諦める事が出来れば良いのに。そうすればさゆりさんの事を素直に応援出来る。あの人に辛く当たる事もないのに。
だけど、

「…俺は自分を曲げる事が出来ないんで」

それは出来ない、どうしても。
何でって言われても、こういう性格だからとしか言えないけれど。さゆりさんも同じなのかもな。

「頑固もんだねぇ」

店長はもう一度そう言って、苦々しく笑みを浮かべる。
全く以って、店長の言う通りだ。俺も店長と同じように苦笑いを浮かべた。


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最終更新:2010年03月20日 18:51