アットウィキロゴ

07


――あんた、恋愛小説書いてるんですよね?
――向いてないと思いますよ。

彼の言葉が耳に焼き付いて離れない。
どうしてそんな事を言われなきゃいけないのかってムカついたし、あんな風に言われるのは我慢出来なかった。殴ってやれば良かったなんて思った。
だけど、怒りの熱が冷めて冷静になったら、何だか悲しくなった。
そこまで言われるほど、どうして彼に嫌われているんだろう。



はあ、と深い溜息が零れた。

「あれ、どうしたんですか。溜息なんか吐いて」

それに直ぐに気が付いてくれたのは益岡さん。僕が渡した原稿に目を通しながら、顔を上げる。
彼は僕が書かせてもらってる日光出版の人で、一応僕の担当さんだ。
ろくに仕事もないんだけどね…、それでも一応担当さんはいるんだよ。って言っても、益岡さんは売れっ子作家さんとかけ持ちで僕に付いてるんだけど。
はーっ、僕も売れっ子になりたい…ってそうじゃなくて。

「益岡さん、僕って恋愛小説に向いてないと思います?」
「は?何で急にそんな事…、誰かに言われてたんですか?」
「……………」

僕が眉間に皺を寄せて黙ると、益岡さんは暫く僕の顔を見つめてから苦笑いを浮かべた。沈黙を肯定として取ったらしい。

「気にする事ないと思いますよ、文章の好き嫌いは人それぞれですから」
「…読んだ事ないんです」
「はい?」
「その人、僕の小説読んだ事ないんです。いや、ないと思います。ペンネームは教えてないし…」
「じゃあ、何でそんな事言ったんですか?その人」
「それ、僕が知りたいんですけどー…」

そう、伊吹君は僕の小説読んだ事ないと思う。ペンネームは誰にも言ってない、おばちゃんにもさゆりちゃんにも。
だから、伊吹君が僕の小説を知っている筈ないんだ。万が一読んだ事あったとしても、それを書いたのが僕だと分かる訳がない。
それなのに、どうしてあんな事言われたのか…。それって、文章云々じゃなくて僕自身に問題ありって事?それはそれでへこむ…。

「えーと…、その人がどうしてそんな事言ったかは分からないですけど…、でも僕は橘川先生の小説好きですよ。男女の理想的な愛の形が上手く書かれていると思います」
「本当ですか!?増岡さん、好きですっ!」

感激のあまり、思わず益岡さんに抱き付いた。ぎゅう、と力を込めると戸惑うように増岡さんの身体が強張る。増岡さんのYシャツからは煙草の匂いがした。編集部の匂いって感じ。

橘川っていうのは僕のペンネーム。この名で呼ぶのは出版社の人くらいで、聞く度に今だに照れくさくなる。
ちなみにペンネームの所為でよく女性に間違われる。…変えるつもりはないけれど。

「で、ですが、少しリアリティに欠けているのが欠点ですっ。そこのところを直せば、もっと良いと思いますよっ」
「ですよねー…」

焦った様子の増岡さんに欠点を指摘されて、僕はしょんぼりしながら増岡さんから離れた。
よく言われます、それ。僕の小説は理想的過ぎるらしい。特に女性を幻想を抱き過ぎてるんだって。
そんな事言われても、どこをどう直したら良いか分からないんだけど。
それに…、自分の文章をあまり変えたくないんだ。書きたい事を書いていきたいんだ。

――暁はそのままで良いのよ。そのままで、自分の書きたい事を書いていけば良いのよ。

そう言ってくれた人がいたから。

「――という事で」
「へ?」
「へ?じゃないです。ちゃんと人の話聞いてました?」
「ごめんなさい、全く聞いてませんでした」
「そういうところも直して下さいね、全く…。この原稿の話ですよ。出来が良いので、読み切りとして雑誌掲載して、評判が良ければ連載という事で、と言ったんです」
「う、えぇ!?本当ですか?」

益岡さんが言った事が信じられなくて、変な声が出てしまった。だって、読み切りはともかく連載なんて。自分で言うのもどうかと思うけど、滅多にないのに…。

「ええ、さっきはああ言ったけれど、この話は割とリアリティも見えてきますし…。素朴でのどかの雰囲気と彼の切ない恋心がミスマッチで、なかなか面白いです」
「は、はあ…、ありがとうございます」

増岡さんに読んでもらっていたのは、伊吹君とさゆりちゃんをモデルにして書いたあの小説で、僕にとっては日常的過ぎて目新しい内容ではないと思うんだけど…。そういうのが逆に良かったという事かな…。

「では、編集長と話してそのように話を進めますので」
「は、はい。宜しくお願いしますっ」
「…動揺し過ぎですよ、橘川先生。動揺するのは連載が決まってからにして下さいね。では、今日はこの辺で」
「はい、お、お疲れ様でした」

かなり挙動不審になってる僕に、益岡さんは苦笑しながら僕の家を後にした。



益岡さんが帰った後、僕はこっそり、でも大きくガッツポーズをした。
やった…!まだ連載が決まった訳じゃないけれど、それでも読み切りだけだって暫くの間は食べていける。
実在する人物がモデルっていうのが良かったのかも。まあ、伊吹君とあんまり話した事はないから、想像が多いんだけどまるっきり架空の人物よりはリアルだよね。
あんな事言われたのはショックだけれど、少しは伊吹君が感謝…かな。



次の仕事も決まった事だし、軽く前祝いをしようと思って、僕は近くの商店街まで来た。
ここは小さい商店街ではあるけれど、一通り何でも揃うしこの辺にはスーパーがないから買い物はいつもここで済ませている。
ちなみに一番近くのスーパーは、自転車で片道十五分。ちょっと遠いから、よほどの事がない限り行かない。
それに僕はこの商店街が好きだ。賑やかで明るくて、温かだから。

晩ご飯は何が良いだろう。祝いと言ったら、やっぱり肉だよね。
お肉屋さんに行くと、恰幅の良いおばさんが店頭に立っていた。

「いらっしゃい!お兄さん、何が御入用だい?」
「うーん…、まだ決まってないんだけど…。何かお買い得、ある?」

仕事が決まったからと言って、無駄使いは出来ない。いつ何があるか、分からないんだから。
そう考えると、少しでも安い物が欲しい。

「今日はね、豚ロースがお得だよ。とんかつなんかにしたら美味いだろうね~。どうだい?」
「とんかつかぁ、良いね!じゃあ、豚ロース300g…あれ?」

『下さい』って言おうとして、ズボンのポケットに入っている財布を探るけれど…ない。
あれ?いつも後ろのポケットに入れてるのに…、ないって事は忘れちゃったって事だよなぁ…。

「ごめんなさい、お財布忘れちゃったみたいなんでまた後で…」

仕方なく、お肉屋のおばさんに正直にそう告げる…と僕の横から長い腕が伸びて、おばさんに千円札を差し出していた。
思わず隣の青年をしげしげと見つめてしまう。背が高くて、顔立ちが整った美青年だった。…あれ?どこかで会った事があるような…?

「豚ロース300g、下さい」

彼は僕が買おうと思っていた肉と、同じ肉を買っている。

「おや、男前な兄さんだねぇ。よし!おばちゃんがおまけしたげるよ!」
「…すみません」

少し照れくさそうに少し肩を竦めた彼は、おばさんから肉を受け取るとそれを僕に差し出した。

「はい」
「え…」
「お釣りも」
「い、いや、あの、そこまでしてもらう事は…」
「貸すだけです。今度来た時、千円札で返して下さい」
「『今度来た時』?」

今度来た時って確かに言ったよね?って事は行ったり来たり…、とにかく顔見知りだって事だ。
だ、誰だっけ?どこで会ったんだっけ?…あ、でも『美青年』って一人しか思い当たらないんだけど。
僕は彼の顔をじぃっと見つめた。彼の顔を鼻先がくっつきそうなくらい近付ける。

「な、んですか?」

間近で見つめられた彼は、戸惑い気味に少したじろいだ。
そういえば聞き覚えのある声。そう、この声は…。

「伊吹君だ!」

僕がやっと気が付いて叫ぶように彼の名を呼ぶと、伊吹君は呆れたように溜息を吐いた。

「…気付くの、遅過ぎません?」

ごめんなさい。僕、目が悪いんです。


Pre | Next
最終更新:2009年12月10日 00:09