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08


家の近くの商店街で見かけたあの人。
嫌いだっていうなら、無視すれば良いんだ。
なのに何でこんな事してんだろう、俺。
そうだ、店長がちゃんと謝れって言ったから。
謝る為に声をかけたんだ。

「ごめんねー、気が付かなくて。いつもと髪型違うから分からなかったよ」
「普段巻いてるタオルを取ってるぐらいですけどね。取るとそんなに違います?」
「うん、雰囲気がだいぶ変わるよ。私服も初めて見たし、思ってたよりも背が高いし。格好良いね、伊吹君」
「…男にそんな事言われても、あんまり嬉しくないんですけど」
「お、女の子なら嬉しいって事?」
「いや、別に…って、普通に話し過ぎですよね?俺達」

商店街を並んで歩きながら、ふと思った事を口にしてみる。
俺ははっきり『嫌い』だと言った訳だし、傷つけるような事も言ったし、その事でこの人に『大っっっ嫌い』だと言われたのはつい昨日の事だ。
それなのに、普通に話し過ぎじゃないか?自然な事が逆に不自然だ。
昨日は今にも泣き出しそうに涙ぐみつつ、怒鳴りながら帰って行った瀬野さん。なのに、今日は何でこんなに普通なんだ?何でいつもと同じ顔なんだ?
この人って…、本当に謎かもしれない。

「確かに。今日はいっぱい話してくれるんだね」
「…いや、俺の事は良いんです。だってあんた、俺の事が『大っっっ嫌い』なんでしょう?」

俺が沢山話してるとしたら、それは後ろめたい…というかこれから謝ろうと思ってるからだと思う。
だけど、瀬野さんには落ち度はない訳だし――瀬野さんからしてみれば――『大っっっ嫌い』を撤回する理由はないと思うけど…。
俺がそう言うと、瀬野さんは穏やかに笑っていた顔をはっとさせて、大きく目を見開いた。

「そ、そうだった!忘れてた…!」

…忘れてたのかよ、とツッコミたいんだけど。そんなに大した事じゃなかったって事か?あんなに怒ってたのに…。

「でも、もう良いかぁー」

良いのかよ…!何なんだ、この人。狙ってボケてるのか天然なのか、どっちなんだ。
…まあ、この人が良いと思っていようと、なかろうと謝った方が良いだろう。

「昨日はすみませんでした」
「え?」
「だから…、『向いてない』とか失礼な事言って…。俺には小説の事なんか分からないし…、言い過ぎたと思います」
「あ、う、うん…。ど、どうしたの?心境の変化?」

瀬野さんは心底驚いたってような顔をしてて、動揺しているのかかなりどもっている。
無理もないかもしれない。昨日の今日だし、はっきり嫌いだって言ったしな。

「心境の変化っていうか…、昨日も思ったんですよ、言い過ぎたかなって。それに店長が『罪悪感を感じてるなら謝った方が良い』って…」
「でも、僕は昨日おばちゃんに会ってないし…。伊吹君が言ったの?」
「…瀬野さんが来た事以外は言ってないですけど。何だってお見通しなんですよ、あの人は」

ああ、なるほどと呟いて、瀬野さんは苦笑する。

「でも…、どうしてあんな事言ったのか、聞いても良い?」
「それは言えないです…けど、あんたは周りが見えてないから。周りをよく見たら…、変わる事があるかもしれないって事です」
「…よ、よく分からないんだけど」
「でしょうね…」

さゆりさんの気持ちをこの人に言ってしまったら敵に塩を送るみたいだし、かと言ってさゆりさんの事を考えるとこの人に気が付いて欲しいとも思える。
何だかかんだ言って、俺はさゆりさんに幸せになって欲しいだけなのかもしれない。相手が俺なら一番良いけれど、俺じゃなくてもさゆりさんが幸せなら、と思えてしまう。

「――なんかない」
「え?」

瀬野さんが俯いて小さく呟いた言葉が、俺には聞き取れなかった。
聞き返したつもりだったが、顔を上げた瀬野さんはいつもと同じ笑顔で、何も言わずに首を振る。
何て言ったんだろう…。気になるけれど、それ以上聞き返す事は出来なかった。瀬野さんが答えてくれそうにないから。

「良いよ、もう。確かに言われた時はショックだったし、ムカついたけど…。今日ね、担当さんが家に来て、読み切りが雑誌に載る事になったんだー。評判良かったら、連載が決まるかも」
「そうなんですか、良かったですね」
「うん、そんな話聞いたから、なんかどうでも良くなったかも」

嬉しそうに話す瀬野さんの顔を見て、何だかほっとした。
俺がどう言おうと思おうと、やっぱりこの人は作家なんだ。
小説を書いて、それが雑誌に載る。それは俺が思うよりずっと大変な事なんだろう。そう考えると、やっぱり軽々しい事は言うべきじゃないな。

「じゃあ、ここで。またお店行くね」

気が付けば、商店街の端まで来ていて、瀬野さんはいつもの笑顔で手を振り去ろうとしていた。
え、帰るのか?だってこの人…。
俺が慌てて…ってほどじゃないけれど、瀬野さんと名前を呼ぶと彼は振り返った。

「あの、俺が見てる限りじゃ、あんた肉しか買ってないですけど?」
「うん、買ってないよ?今日はとんかつだもん」

きょとん、とした顔で首を傾げられる。でも、晩飯がとんかつだけって。

「野菜もちゃんと採らなきゃ駄目ですよ。とんかつにはキャベツの千切りでしょう?」
「キャベツの千切り~?そんなの出来ないよ」
「出来ないって…。とんかつは?作れるんですか?」
「作った事ないけど…。パン粉をつけて油で揚げれば良いんでしょ?」

パン粉をつけて油で…って、確かに間違ってないけど、簡単に言えばそうなんだけど。
不安だ…、物凄く。ていうか、この人絶対料理が出来ない。豚ロースが可哀想だ…。

確かに言い過ぎたと思うし、それを謝ったけれど…。それでも、この人が嫌いな事には変わりない。
嫌いなら無視すれば良い。
なのに、

「…分かりました。昨日の詫びに俺が作ります、とんかつ」

そう言った理由はただ一つ。折角の豚ロースが可哀想だからだ。


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最終更新:2010年03月20日 19:00