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――そんな風に思えるほどやりたい事が、俺には見つからないから憧れます。
そう言った伊吹君は遠い目をしていて、何だか寂しそうだった。
何が彼をそんな顔をさせているのか、はっきり聞いた訳ではないけれど。
やりたい事が見つけられない、目標がないからここにいるしかないんだ、と言っているように思えた。
叶えたい夢を持っている僕と彼は違う。
だけど、見えない未来に不安を抱えている――それは僕も彼も一緒だ。
次の日。
「あれ?」
「…いらっしゃい」
きくいちに行くと、今日も伊吹君しかいなかった。
この間もそうじゃなかった?こんな事、あんまりなかったのに続くもんだなぁ。
なーんかちょっと嫌な事思い出しちゃうんだけど…。いや、でもあの時の事は伊吹君も謝ってくれたしね!
「ねえ、今日も皆いないの?」
「…店長は今休憩です。腰痛が酷いらしくて、長めに休んでます。さゆりさんは出前です」
「へぇー、でも伊吹君とさゆりちゃんだったら、出前は大体伊吹君が行くんじゃない?」
何となく毎日のように見ていて思っただけだけど。さゆりちゃんは女の子だから、体力がいる出前はいつも伊吹君が行っているように思っていた。
「いや、お客さんがさゆりさん指名で」
「え!?伊吹君のライバル!?」
「いや、近所に住んでる爺さんですけど。ライバル…って言えばライバルなのかもしれません」
「何だ、お爺さんかぁ」
「爺さんだけどさゆりさんのファンです。さっき行ったばかりだから、一時間くらいは帰って来ないと思いますよ」
うーん、ライバルって言ったってお爺さんじゃね…。若い男の子なら、『そんなに長い時間、何やってるの?』って言いたくなる。でも、相手がお爺さんならさゆりちゃんが縁側でお茶飲みながら、ほのぼのとお話している姿が目に浮かぶよ…。
………あ、あれ?そんな事よりも、こんな風に伊吹君と僕が普通に話してるのっておかしくない?
だって、前だったらむすーっとした顔で一言二言しか話してくれなかったのにさ。伊吹君は僕の事嫌いなんだから、仕方がないって思ってたけど。
やっぱり夕べ晩ご飯一緒に食べて、沢山話したのが良かったのかな。とんかつが良かったのかな。さすがはとんかつ。とんかつマジックだよ。
「…何か?」
「ううん、何でもない」
かなりじぃっと見つめてしまっていたのか、伊吹君は怪訝そうに僕を見た。
ここで『どうしてそんなに沢山話してくれるの?』なんて聞いて、彼の機嫌を損ねる訳にはいかない。
いや、別に良いって言えば良いんだけど、機嫌を損ねても。でもさ、人の不機嫌そうな顔を見るより笑ってる顔を見た方がこっちも嬉しいじゃない――と言ったって、伊吹君がそうそう笑ってくれる訳でもないんだけど。
「ご注文は?」
「えっと醤油ラーメン…」
「いつも醤油ですね、栄養偏りますよ。たまには味噌にしてみたらどうですか?」
「えー?醤油が好きなのに…。ていうか、栄養なんてあんまり変わらないんじゃない?」
「でも、野菜炒めが入ってるのは味噌だけなんで。少しは野菜が採れます」
「じゃあ、味噌でー…」
伊吹君、昨日もそんな事を言ってたよね…。『野菜もちゃんと採らなきゃ駄目だ』って。
なんか伊吹君ってお母さんみたいだなぁ…。そんな事を言ったら、伊吹君は絶対怒るだろうから言わないけれど。
いつもと同じ席で、僕はラーメンを作っている伊吹君の横顔を見つめた。
この間と同じ。だけど、何となく和やかな雰囲気が漂っている。
それだけで何だか嬉しかった。彼に少し近付けた気がする。それだけの事が僕の心を穏やかなものにしていた。
「お待たせしました、味噌ラーメンです」
やがて伊吹君が持ってきたどんぶりは、味噌の香りと炒め物の香ばしい匂いがした。
「あ、美味しそう」
「当たり前です、俺はこれが仕事なんですから」
いや、それはそうなんだけどね…。でも、本当に美味しそう。
一口スープを飲んでみたら、意外にくどくないし美味しい。野菜炒めも良い味してるし、自然と箸が進んだ。
「味噌も美味しいんだねー。じゃあ、明日から味噌にするよ」
「…毎日同じって結構問題あると思うんですけど…」
「じゃあ、醤油、味噌、塩のローテーションで」
「あの、たまにはラーメン自体を外してみません?」
「え、何で?ラーメン以外ないのに…。あ、迷惑だって事?」
「…というか、少しでも栄養バランスを考えて欲しいんですけど」
ああ、何だ…、そういう事か。まあそれが出来たら一番良いんだろうけどさ。
そんな事考えるの、面倒だしなぁ…。美咲がいた頃は美咲が考えてくれたし、色々煩く言われてたっけ…。
「…無理。僕には出来ない」
「…諦め早過ぎますよ。まあ、あんたはそう言うと思ってましたけど」
「そ、そんな事より伊吹君、頼みたい事があるんだけど」
伊吹君が呆れたように溜息を吐いた。お説教が長くなりそうだから、慌てて話題を変える。
「何ですか?」
「あのね、明後日のさゆりちゃんのライブ、一緒に行かない?」
にこって笑って首を傾げながら誘ってみる。すると、伊吹君はまた呆れたというように溜息を吐いた。
「…一人で行けないんですか?」
「だって、僕ライブハウスって行った事ないし…」
「俺もかなり昔に二、三回しかないですけど」
「僕は一回もないんだもん。だからなんかちょっと怖いというか、緊張するというか…。だから、お願いっ!」
「…まあ、良いですけどね、一緒に行くぐらい」
僕が両手を合わせて頼むと、意外にもあっさりと承諾の返事が返ってきた。却ってちょっと拍子抜けしてしまう。
「あ…ありがとう」
「いえ、俺も知っている人がいた方が心強いんで」
伊吹君って良い子だなぁ…。お人好しで押しに弱いタイプだよね。
うーん…、変な女に騙されなきゃ良いけれど…。さゆりちゃんだったら大丈夫だろうけどなぁ。でも、凄くモテそうだし…。
「伊吹君って女の子にモテるでしょ?」
「…いきなりですね。モテないですよ、別に」
「嘘だね、絶対モテる。知らない女の子に声掛けられても、ついてっちゃ駄目だよ?」
「勝手に決め付けないで下さい。大体あんた、俺をいくつだと思ってるんですか?」
えっ、うーん…。結構大人っぽい顔してるよねぇ、十代ではないかなぁ…。
「うーんとね………、二十一歳!」
「惜しい、二十二です」
「あ~っ、本当に惜しい~っ」
本気で何だか悔しくてテーブルに突っ伏す。当てても何にも出ないけどさ、なんか悔しい。
すると、頭の上から小さな笑い声を聞こえてきた。僕が慌てて顔を上げると、伊吹君が…笑っていた。
この間のさゆりちゃんの言葉を思い出す。確かに可愛い…っていうか、格好良い?
「あんたこそ知らない人について行かないで下さいね」
そう言いながら笑う伊吹君。なんかきゅーと胸が締めつけられるんですけど。僕は慌てて伊吹君から目を逸らした。
…もし伊吹君が知らない人で、この笑顔で僕に声掛けてきたら………ついて行ったかもしれないなんて思ってしまった。
最終更新:2010年03月20日 19:16