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さゆりちゃんのバンドのライブ当日、僕は何故かドキドキしていた。
初めてのライブ、初めてのライブハウス、初めて聞くさゆりちゃんの歌声――それもあるかもしれないけれど。
何よりも、隣に伊吹君がいるという事が楽しくて、嬉しくて仕方がなかった。
いや、変な意味じゃなくて――自分の考えていた事を慌てて否定してみる。誰に言う訳でもないけれど、誰も聞いてないし誰も知らないんだけど。
ひ、否定したら、余計変な気分になってきた。何だか顔が熱くなってくる。これじゃあ俺、伊吹君の事が好きみたいだ。
ごめん、美咲。全然そういうんじゃないんだ。だって相手は男の子だし、伊吹君には好きな人がいるし、僕には美咲がいるしね!
美咲の事を思い出すと、余計にドキドキしてきて胸が痛くなる。思わず薬指の指輪を右手で触れた。
もう簡単には抜けなくなってしまった指輪は、夜風に当たって少し冷たくなっている。その冷たさが、僕を少しだけ落ち着かせてくれた。
そう、僕には美咲がいる。美咲はもういないけれど。
決めたんだ、美咲を忘れないって。
だから、僕はもう誰も好きにならない。
「こんばんは」
伊吹君が待ち合わせ場所がやってきたのは、約束の時間の五分前だった。
早くもなく、遅くもなくって時間で、何だか律儀そうな伊吹君っぽい。
僕はというと、緊張と興奮で十五分も前についてしまった。ドキドキしたのはきっとその所為だ。待ち時間が長いほど緊張感が高まるからね。
「こ、こんばんはっ」
「なんか気合い入ってますね、瀬野さん」
そう言いながら笑う伊吹君に、余計顔が熱くなっていく。
「だ、だって、ライブだよ?」
「瀬野さんってもみくちゃになりながら、前の方に行って盛り上がるタイプですか?」
「え、初めてだから分かんないよ」
ていうか、もみくちゃって何?そんなに大変なの?…大丈夫かなぁ。
「ああ、そうでしたね。俺は後ろの方で静かに聞く方なんで、前に行きたかったら一人で行って下さいね」
「えっ、一緒に行くんだから一緒に見ようよ!一人なんて怖いよっ」
「…あんた、幾つですか。一緒にいたかったらいて下さい。でも、俺は後ろの方で見てますよって言ってるんです」
「伊吹君、冷たいー…」
「何か言いました?」
「何でもー…」
何て言ってみたけれど。
伊吹君が冷たいなんて思ってないよ、今は。
ほんの少し前まで口も聞いてくれなかった。その頃と比べたら話し易いし、真面目で良い子なんだって思ってる。
ただどうしても分からない。どうして伊吹君に嫌われているのか。今も僕を嫌い?嫌いだけど、無理に話してくれてるのかなぁ。
聞いてみたい…けど。聞いたら、伊吹君は絶対思っている通りの事を言うと思う。本当に僕の事が嫌いなら、『嫌いだ』ってはっきり。
それ、結構ショックかも…。前ならともかく、今は伊吹君の事結構好きだから。
だけど、気になる。聞かなかったら、ずっと気になって考えちゃいそうだ。聞いてみようかな…。
「どうかしました?」
「あ、あのね…」
「はい…あ、着きましたよ」
「え?」
伊吹君に言われて顔を上げると、そこはもうライブハウスだった。話したり考えたりしている間に着いちゃったみたいだ。
場所は知っていたけれど、初めて来たその建物は少し…いや、かなり?怖い所に思える。
壁にはペンキで文字や絵が書き殴られていて、入り口付近はガラの悪そうな人達が溜まっていて…、うわっ、もぎりのお兄さん、鼻にピアスしてるよ!
何ていうか僕、完全に場違いだよね。入れる雰囲気じゃないよね。
「で、どうしました?」
「うん、あのね、やっぱり帰っても良い?」
「は?」
聞きたい事が変わっちゃってるね。でも、まあ良いや。だって、本当に怖いんだもん。
伊吹君は僕の問いかけに怪訝そうな顔をして、僕の方に顔を向けた。それから、伊吹君が僕の手首を掴んで歩き出すまで、何秒もかからなかったと思う。
勿論伊吹君が、『やっぱり帰りましょう』なんて言う筈がなく。
「ここまで来ておいて、何言ってるんですか…」
「だって~っ、なんか怖い人いっぱいいるし~っ」
「子供じゃないんだから…。チケットは?」
「チケットって?」
「ライブチケットですよ、この間さゆりさんに貰ってたでしょう?まさか忘れたんじゃないでしょうね」
「も、持ってるよ。財布にずっと入れておいたもん…」
一度手を離してくれた伊吹君は僕がチケットを手渡すと、また僕の手を引いて歩き出した。
恥ずかしいとかそういう気持ちにはならなくて、出来ればこのまま離さないで欲しい。ただ単に一人になるのが怖いってだけだけど…。
そんな想いを虚しく、伊吹君は鼻ピアスのもぎりさんにチケットを渡すと手を離してすたすたと先を歩き出した。
慌てて伊吹君を追い掛ける。伊吹君はそんな僕を見て、溜息を吐いた。
…呆れられてるよね?さっきから。だって、こんな怖いところ初めてだしさ。こんなに怖いところだと思わなかったし…。
…来なきゃ良かったかな?
「来なきゃ良かったって思ってます?」
「え、何で?」
「…何となく。帰らないで下さいね、さゆりさんが悲しみます」
「分かってるよ。でも、僕がいなくても伊吹君がいるし」
「…俺じゃ駄目なんです。さゆりさんが一番来て欲しいって思ってるのはあんたなんですから」
「え…?」
どういう意味?って尋ねようとして、僕は思わず言葉を飲み込んだ。伊吹君が会場のドアを開けて、その中の音に驚いたからだ。
もうライブが始まってるみたい。さゆりちゃんのバンドの他にも何組かいるって言ってたっけ。
それにしても煩い、こんなに大きな音なんだ。
溜まらず耳を塞いでいたら――って駄目だよね、こんなんじゃ――伊吹君が僕を肩をぽんぽんと叩いて、何かを言った…けど聞き取れない。
聞き返そうと思ったけれど、伊吹君は僕を置いてどこかに行ってしまった。
「待って、置いてかないでっ!!」
慌てて叫んだけれど、周りが煩いだけに伊吹君には届かない。
一人になっちゃった…。かなり心細くて、思わず壁に背を付けてしゃがみ込んだ。
一緒に見ても良いって言ってたのに…。あれ?言ってなかったっけ?言ってたよね?
なのに酷いよ、裏切りだ。あとでさゆりちゃんに告げ口してやる――なんて考えながら俯いていたら、またぽんぽんと肩を叩かれた。
顔を上げたら、そこには少し驚いたような顔をした伊吹君が立っている。
「気分悪いんですか?」
バンドの演奏の音の所為で、伊吹君はいつもよりも大きな声でそう言った。
「どこ行ってたの!?」
「どこって…、飲み物取ってきたんですけど。ウーロン茶で良いですよね?」
はい、と手渡されたグラスと伊吹君の顔を交互に見つめる。
僕を置いてどこかに行った訳じゃないんだ…、良かった…。
ウーロン茶を受け取って立ち上がると、伊吹君は僕の隣に並ぶように壁に背中を付けた。
「次がさゆりさんのバンドですよ」
そう言いながら、伊吹君はステージで演奏しているバンドをどこか遠い目で見つめている。
さっきの言葉、どういう意味だろう。少し気になりながら、僕もステージに目に向けた。
最終更新:2010年03月20日 19:31