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わざわざ邪魔しないで帰ったというのに、瀬野さんは俺を追いかけてきた。
お礼を言われて、何だか照れくさい気分になる。照れ隠しに、『仕事しろ』って言ってやった。
瀬野さんはいつも通り、ただ笑っていたけれど。
何となく変な気持ちになる。言葉では説明しようがない不思議な感情が生まれていた。
その感情の答えを、俺が知るのはまだまだ先の事だった。


「締め切り、終わったよー!」

瀬野さんが満面の笑顔できくいちを訪れたのは、あれから三日経った頃だった。
『上手く書けない』なんて言っていたけれど、それは何とか乗り越えたらしい。
そんな瀬野さんを見て、何故か俺の方がほっとしていた。
弁当、役に立ったかな。…あんな物で変わる訳ないか。
そう思ったのも束の間、瀬野さんが満面の笑顔で空になった弁当箱を差し出してきた。

「伊吹君、ご馳走様!凄く美味しかったよ」
「いえ、お粗末様です」

弁当箱を受け取りながら、俺はやっぱり照れくさい気分になって素っ気ない態度を取る。
美味しく食べてくれたら、それで良い。そう思った事は口には出せなかった。

「何の話ー?」

さゆりさんが俺と瀬野さんの間に入るようにして、声をかけてきた。
拙い、さゆりさんの存在を忘れていた…。また睨まれる…。
そう思った通り、さゆりさんは俺と瀬野さんを交互に睨み付けた。

「最近瀬野さんと伊吹君、怪しいよねー。男同士でいっちゃいちゃしちゃってやらしい!」
「い、いちゃいちゃなんてしてないよ。ていうか、男同士でいちゃいちゃはないでしょ?」
「じゃー、何話してたのよー」
「僕が締め切りに追われてる時、伊吹君がお弁当を差し入れしてくれたんだ。そのお礼言ってただけだよ?」
「ふーん…、お弁当かぁ」

…瀬野さんが何を言っても、言い訳にしか聞こえないのは俺だけか?
また『何でもないよ』なんて言われても変に勘ぐられるだけだけど、話したら話したで墓穴を掘る。どうすれば良いって言うんだ…。
さゆりさんにさっきよりきつく睨まれて、俺は堪らず二人から顔を反らした。
二人だけで話をしてくれ…。俺が関わるとろくな事がない。

「ねー、瀬野さん。そんな事より今週末に商店街の夏祭りがあるじゃない?」
「え?そうなの?知らなかった」
「もー!あそこにでかでかとポスター貼ってあるじゃん!ちゃんと見てよー!」

さゆりさんが指差した先にはでかでかと…いや、別に普通のA4サイズだがポスターが貼ってある。
近くの商店街の夏祭りのポスターだ。
商店街が主催だけど、祭りは近所の神社で行われる。…と言っても、神社に向かう道から境内にかけて出店が並ぶくらいで、神輿などの儀式的なものは何もない。
それでも、何もない田舎のこの町では夏一番のイベントだ。
ちなみに許可さえ取れば、商店街の店じゃなくても出店を出す事が出来る。だから、ここきくいちも出店で参加予定だ。
勿論さゆりさんもその手伝いをする事になってるけれど…。

「あ、本当だ。へえ、夏祭りなんかあるんだね」
「毎年やってるのに、行った事ないのー?」
「ないなぁ。人混み、あんまり好きじゃないしね」
「そうなんだー…」

さゆりさんが言いたい事は分かる。
一緒に回ろう、瀬野さん――そう言いたいんだ、きっと。
でも、瀬野さんにははっきり言わないと、絶対に伝わらないと思う。
言うんだろうか。早く言えば良いのにと思う気持ちが半分、止めたい気持ちが半分。俺としては複雑な気分だ。

「でもさ、瀬野さん。今年は行ってみない?」
「えー…、僕人混みはあんまり…」
「そう言わずに!…一緒に回らない?」
「え?」

さゆりさんがようやく告げた誘いの言葉に、瀬野さんは驚いたように目を見開いた。
何で自分と?――そんな顔してる。
俺から見たら、さゆりさんが瀬野さんを誘った事は不自然でも何でもないけど。
鈍感だよな…。瀬野さんは不自然なくらい鈍感だ。
この人は恋愛というものに、背を向けて生きてるとしか思えない。
自分はそんなものに関わりません、とでも思ってるんだろうか。

「いーじゃん!夏だよー?お祭りだよー?楽しみたいじゃーん!」
「そうじゃなくて、何で僕と?僕と行ったって楽しくないよ?友達と行ったら?」
「私は瀬野さんと行きたいのー!ね、行こ?」

珍しくはっきりと意思表示したさゆりさん。俺まで驚いてしまう。
いや、さゆりさんの性格からいって、それは不自然ではないかもしれない。
でも、さゆりさんは恋愛に関しては奥手な方だ。俺にはああだこうだ言えても、瀬野さんにははっきりしない事の方が多い。
悲しいとか悔しいというより、やっぱり驚きの方が大きかった。
何かあったんだろうか?…まさか俺の所為?

さゆりさんは本気で俺と瀬野さんの仲を怪しんでるとでもいうんだろうか…。まさかな…。
だって、男同士なんだから。

その時、瀬野さんは一瞬だけ俺を見た…気がする。
何だか心配そうな…いや、助けを求めているような、そんな目をした。
それは一瞬で何の事は分からない。思考を巡らせて、俺は関わるとろくな事がない二人に少しだけ口を挟む事にした。

「…行ってみたら良いじゃないですか。案外楽しいかもしれませんよ?」
「そうそう!何事も体験してみないと分かんないよ、瀬野さん!」

俺は瀬野さんが俺に遠慮しているんだ、とそう思った。
俺がさゆりさんを好きだから。瀬野さんとさゆりさんがデートみたいな事をしたら、俺としては面白くないだろうって思ったんだろう。
確かに面白くはないけれど…、俺は出店の手伝いをしなきゃいけないし、さゆりさんを誘う事も出来ないし。
それに、前ほど瀬野さんに嫌悪は感じていない。さゆりさんが楽しめれば、それで良いかと思えてしまう。
だから、さゆりさんをフォローするような事を言ってみた。遠慮する事はない、と伝えたつもりだった。

「…そうだね、行ってみようかな」
「ホント!?」
「うん…、一緒に回ろうか、さゆりちゃん」
「やったぁ!絶対だよ?約束ね!」

指切りなんて古典的で可愛らしい約束を交わす二人を、俺は穏やかな気持ちで見つめていた。
これで良かったんだ、さゆりさんは楽しそうに笑ってる。瀬野さんも。
夏祭りで、瀬野さんとさゆりさんがどうこうなるとは思えないけれど、これから先の事なんか分からないし。
瀬野さんは変わった方が良いんだ。今は誰かを想っているとしても、それがもう叶わない恋ならその人以外を見るべきだ。
店長はああ言っていたけれど、さゆりさんなら瀬野さんを変えられるかもしれない。


この時、俺は何も分かっていなかった。
瀬野さんがどうして俺を見たのか、俺に何をして欲しかったのか。
気が付かなかったんだ。だって、あの人はいつも笑ってるから。
楽しくても嬉しくても、悲しくても嫌な思いをしても、いつも笑っている人だから。


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最終更新:2009年12月10日 23:26