アットウィキロゴ

24


その日の閉店後、俺はさゆりさんを家まで送る事にした。
今日は店長が休みだったから、閉店作業に時間がかかったからだ。
大きな事件なんて聞いた事がないくらい、田舎のこの町は治安はかなり良い。
それでも、夜の十時過ぎに女性一人で歩くのは危ない気がする。
まして、この辺は夜遅くまで営業している店は少ないから、夜は暗い。街灯もあまりないような所だから。

あれからさゆりさんは上機嫌で、今も鼻歌混じりで俺より少し先を歩いている。
上機嫌の訳は勿論瀬野さんだろう。夏祭りを一緒に回れる事になったのがよっぽど嬉しいらしい。
恋をしているさゆりさんは綺麗だと思う。
少し前まではそんなさゆりさんを見ているのが辛かった。
さゆりさんを綺麗にしているのが俺じゃない事に、嫉妬ばかりしていた。
なのに、今は不思議とそんな気持ちにならない。綺麗なさゆりさんを、ただ綺麗だなと見つめる事が出来る。

それは瀬野さんのおかげなんだろう――瀬野さんが良い人だって分かったから。
あの人ならさゆりさんを幸せに出来るかもしれない。そんな事を勝手に思って、俺は自然と笑みを浮かべていた。

「何笑ってんのよー」

さゆりさんは振り返って、少し不貞腐れたような顔をした。
自分の事を笑ってると思われたらしい。
それはあながち間違ってはいないけれど。

「いえ…。良かったですね、瀬野さんとデートする事になって」
「やだーっ、デートとか言わないでよっ。そんなんじゃないってー!」

ばし、と背中を叩かれる。ちょっと痛い…。
でも、さゆりさんが嬉しいそうに笑っているから良いか、なんて思う。

「いや、デートでしょう。男と女が二人で夏祭りに行くって言うのに、デート以外の何物でもないですよ」
「止めてってば!…でも、うん…、嬉しいな。ありがとね、伊吹君のおかげだよ」
「え?俺何かしましたっけ?」
「もー、忘れちゃったの?『行ってみれば?』って言ってくれたじゃない」

そういえばそうだったな…。瀬野さんが迷ってるみたいだったから。
でも…、あの時の瀬野さん、少しおかしかったような気がする。
人混みが嫌い、なんて言ってたけれどそんな理由で断るだろうか、普通…。用事があるって言われた方がまだ分かる。
何かあるんだろうか…。夏祭りに?それともさゆりさんに?

でも、さゆりさんが嫌いだなんて事ないだろうし…。だとしたら、きくいちの常連なんかになってないだろうし。
嫌いだったら顔も見たくない筈だ。俺が前に瀬野さんに対してそうだったように。
だったら、やっぱり別の理由があるんだろうか…。

「瀬野さん、ちょっと嫌そうだったよね」

さゆりさんは少し沈んだ声でそう言った。視線は少しだけ俯き加減だ。
気が付いていたのか…。瀬野さんは顔に出していないつもりだったろうけれど。
さゆりさんがそれだけ瀬野さんを見ているという事だろうか。

「…そんな事ないと思いますけど」
「良いよ、分かってるから。でも、瀬野さんは絶対に断らないと思ったの。そこに付け込んだの」
「……………」
「…いつからそんなずるい事するようになったんだろ、私。昔はもっと素直に恋愛出来たんだよ?駆け引きみたいな事出来なかったのに…」

さゆりさんは少し寂しそうにそう言うけれど、それはずるいんじゃないと思う。大人になれば、仕方がない事だ。
子供の頃のように、好きだと思ったら好きだと言って、失恋したら別の人を好きになって…なんて事が出来なくなる。
相手に想ってもらえなくても、簡単には引き下がれない。
だからこそ、一人の人を好きだと思ったら躍起になって好きになってもらおうとする。その為に駆け引きも必要だし、嘘も吐かなくちゃならない。努力も必要だ。
それがずるい事だとは、俺は思わない。それをずるいと言ってしまったら、大人になる事が悲しい事になってしまう――いつまでも子供でいられない事が悲しい時もあるけれど。
だから、さゆりさんが昔と恋愛の仕方が変わってしまったというなら、それだけ大人になったという事だ。

「でもね、私どうしても瀬野さんと一緒に行きたかったの」
「…夏祭りに?」
「ううん、夏祭りじゃなくても別に構わないんだけど、何でも良いから瀬野さんとの思い出を作りたかったの」

思い出を…?
まるでこれが最後みたいじゃないか。
瀬野さんと共有する時間なんて、幾らでも作れるじゃないか。時間なんて沢山あるんだし。
学生時代なら卒業までに…とか色々考えなきゃいけないけれど。
まさか…さゆりさんは瀬野さんの事を諦めようとしているんだろうか?

「さゆりさん、まさか…」
「伊吹君、あのね」

さゆりさんは俺の言葉を遮って、しっかりと俺の目を見つめる。
さゆりさん独特の意志の強そうな瞳に、俺は息を詰まらせた。

「伊吹君には先に言っておこうと思ってたんだけど…。私ね、秋になったら東京に行くの」

告げられた衝撃的な言葉に、俺は大きく目を見開いた。
何だって?秋になったら東京に?さゆりさんが?
どうして…。この町で暮らしたって良いじゃないか。
この町は田舎の何もない町だけど、温かさがある。
東京を馬鹿にする訳じゃないけど…。便利な場所が沢山あって、沢山の人も物も溢れてるんだろうけれど。

田舎のこの町で暮らす人々は都会に憧れて、東京に行く人が多い。
だけど、俺はこの町が東京に劣るとは思えない。
何もない――確かにそうだけど、この町にだって良い所はある。
さゆりさんはそれを分かっていると思っていたのに…。

「どうして…ですか?」
「東京に行って、プロのミュージシャンを目指すの。プロになる為にはここじゃ駄目なの」

そうだった、俺はすっかり忘れていた。
さゆりさんの夢はプロのミュージシャンになる事だ。
その為には確かにこの町では駄目だ。
さゆりさんはいつだって夢を追いかけている――分かっているつもりだった。だけど、ちっとも分かってなかったんだ。
だって、さゆりさんが『東京に行く』って言った事に、こんなにも驚いている俺がいる。よく考えたら、不自然な事ではないのに。
だけど…嫌だ。引き止めたかった。何とかして、どうしても引き止めたかった。

「…瀬野さんの事は?思い出だけ作って、それで良いんですか」

瀬野さんの名前を出して引き止めようとする俺は、さゆりさんよりずっとずるい。
引き止めたいなら、『行くな』と言えば良い。俺が行かないで欲しいなら、そう言えば良いだけだ。
だけど、言えなくて――俺にはさゆりさんを引き止めるだけの勇気がないから、瀬野さんの名前を口にした。
こんなのは大人になったからでも何でもない。ただ俺が臆病なだけだ。

「うん、分かってるよ。だから私、夏祭りで瀬野さんに言うつもり。好きって言うの」
「でも、だったら…」
「瀬野さんと付き合いたい訳じゃないの。答えなんてもう分かってる」
「……………」
「終わりにしたいから言うの。じゃなきゃ、東京に行けないから…。『好きでした。今までありがとう』って言って終わらせるの」

終わりにする、とさゆりさんは言った。それほどまでさゆりさんの夢への思いは強いんだ。
それでも、どうしても行かせたくなかった。

「ホントはね、好きになるつもりなんかなかった。恋なんかしてる暇ないんだから。私にはやらなきゃいけない事が沢山あるんだから」
「…でも、瀬野さんが好きなんでしょう」
「うん…、それでも私には歌を捨てられない」
「この町にいたって、歌は歌えます」
「うん、私もそう思った。でも歌と瀬野さん、どっちが大事?って考えるようになっちゃったの」

そんな事は選ぶ必要はない、この町にいれば。
だけど、前よりも夢に近づいた事で、さゆりさんはそれを選ぶしかなくなってしまったんだろう。
もっと先に進む為に。

さゆりさんを幸せに出来るのは俺じゃない。でも、瀬野さんでもないんだ。
恋愛じゃさゆりさんを幸せにする事は出来ない――だから、さゆりさんを止める事は出来ない。
だから、さゆりさんは東京に行くと言う。
…もうどうしようもない。

「私は夢を諦めたくないよ。瀬野さんの事を諦めてでも、歌手になりたいの」
「……………」
「だから私、行くよ」

結局俺にはどう言っても、さゆりさんを引き止める事は出来なかった。
いや、きっと誰にも引き止められない。誰が何と言おうとさゆりさんは行くんだろう。
せめて俺にも夢と呼べるものがあったら。それを叶える為に努力する力があったら、さゆりさんの気持ちが分かったかもしれないのに。
何もない俺にはただ、心にぽっかりと穴が開いたような寂しい気持ちになっただけだった。

俺は?さゆりさんが行く前に言わなくて良いんだろうか?
さゆりさんが好きだった――そう言わなくて後悔しないのか?
後悔…するかもしれない。だったら言うべきだ。なのに、言葉が出て来ない。
さゆりさんを困らせたくないから?…いや、俺が想いを告げたところでさゆりさんの決意は変わらない筈だ。それなのに。
…どこまで意気地のない男なんだ、俺は。

「それにさ、瀬野さんには私より良い人がきっといるよ。そんな気がするんだ」

そう言ってにっこり微笑んださゆりさんに、俺は結局何も言えずにいた。


Pre | Next
最終更新:2009年12月10日 23:27