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28


『………お、母さんだよ、僕の』

瀬野さんは嘘を吐いた。
本当にお母さんだっていうなら、あんなに焦る事はない。
そして、騙された振りをした俺にほっとする必要もない。
どうして嘘を吐いたのか――本当の事を俺に知られたくなかったんだ。
あの浴衣を作ったのは、きっとみさきさんという人だ。

…どうしてだろう、胸の辺りがもやもやする。
瀬野さんが酔っ払って俺にキスした時、俺は確かに思ったのに。
人には知られたくない事が一つや二つある。それが瀬野さんにとってみさきさんという人の事なら触れてはいけない事だって。
確かにそう思った筈、なのに。
俺は無性に知りたくなっていた。
みさきさんという人は、瀬野さんの何なんだろう?


走って出店に戻ったのは十二時少し前。店は少し混み始めていた。

「すみません、戻りました」
「ああ、伊吹。混んできたから早く入っとくれ!」
「はい…」
「何だい、辛気臭い顔して!瀬野ちゃんとなんかあったのかい?」
「いえ、何もないです」

何かあったかどうかより、どうして店長は瀬野さんと会ってきた事を知ってるのかが気になってしまう。
俺、言ったか?いや、言ってない。電話の俺の声だけで察したんだ。
…何だか色々と怖い。気を付けないと、全てが筒抜けだ。
そして…、

「あ、こーちゃん!お前、作家のせんせーと何やって来たんだよ!」

その所為で東堂にまでバレた。
忙しそうに手を動かしながら、でも顔を俺に向ける東堂は少し怒っているようだ。
でも、本気で怒ってるんじゃなくて、どちらかと言えば面白がっている、そんな顔をしていた。

「…別に。何でもない」
「何でもないのに、仕事抜けんだ?ふーん、随分ご執心じゃん、瀬野ちゃんとやらに」
「とやらってお前な…。そんなんじゃないって、気にすんな」
「まあなー、今日そいつ、さゆりとデートなんだろ?気にならない筈ねーな」

…一体店長は東堂にどこまで説明したんだろう。いつもみたいに軽く切り返してくれれば良かったのに…。
まあ、面倒な事になってるのは目に見えていた事だけど。

色々問い質されると思ったものの、十二時に入り話をする暇もないくらい忙しくなった。
ある意味助かったかもな…。
店は忙しい。なのに、俺は流れる汗を瀬野さんに貰ったタオルで拭う度に瀬野さんの事を思い出して、どこか上の空だった。

「こんにちは、焼きそばくーださいっ」

そう言いながら、さゆりさんと瀬野さんが店にやってきたのは一時過ぎだった。
さゆりさんは薄いピンク色の浴衣を着ている。…なるほど、瀬野さんの浴衣の原因はさゆりさんか。
『私も着るから瀬野さんも着よう』とか言われたんだろうけれど…、自分で着れないなら断れば良いのに…。
さゆりさんに言われて、断れない瀬野さんが目に浮かぶようだ。
改めて瀬野さんの浴衣姿を見る。紫色の浴衣は瀬野さんの白い肌を際立たせて…何だか眩しかった。
太陽の光の所為もあるのかもしれないけれど。

「あ、さゆり!お前、何サボってんだよ!祭りなんか行きやがって!」
「サボってないもーんっ!ちゃんとおばちゃんに言ったもん、『お祭り行きたいから、今日だけ休み下さい』って!」
「そういうのをな、サボってるっつーんだよ!おまけにデートかよ!いーな!羨ましい!」
「で、デートなんかじゃないって!ねー、瀬野さん?」
「そ、そうだよっ。伊吹君も!デートじゃないからねっ!」

瀬野さんはさっき俺が『デート』と言った事を気にしてる。
綺麗にスルーしたなとは思っていたけれど、気が付かなかっただけか…。鈍い人だな。

「ふーん…。で、お前が噂の『瀬野ちゃん』か」
「あ、はい、瀬野暁です。宜しく…って噂!?何の!?」
「細かい事は気にすんな。………へえ、お前綺麗な顔してんね」

東堂は鉄板から身を乗り出して、瀬野さんの顔を覗き込んでいる。
瀬野さんはそんな東堂に困惑気味だ。
…ツッコむべきか?これは。

「は、はあ…、ありがとう」
「どういたしまして。それよかさゆりなんか止めて、俺とイイコトしよ?」
「良い事って?」
「だいじょーぶだって!じっとしてれば気持ちよーくしてやっか、らっ」

どうにも我慢出来なくなって、俺は東堂の頭を思い切り殴り付けた。
ツッコまずにはいられなかった。大体、瀬野さんも気付けよ…。
東堂は殴られた頭を手で押さえながら、俺を睨んできた。

「いってーな、こーちゃん!俺が何したっつーんだよ!」
「危ないから、鉄板から身を乗り出すな。初対面の人をお前呼ばわりすんな。初対面の人をいかがわしい事に誘うな。以上」
「そっ、そーよ!瀬野さんに変な事しないでよっ!ヘンタイっ!」
「何だよーっ、二人して!冗談に決まってんだろ、こんなの!」

お前の場合、冗談に聞こえないんだよ。東堂の浮気癖はあの人から聞いてるし。
あの人はあんまり気にしてないようだったけれど…。

『漣が浮気するのはね、俺に構って欲しいからなんだよ。俺に怒られるのが嬉しいみたいなんだ。漣ってホントMだよねー』

…そんなあの人の言葉を思い出して、俺は溜め息を吐きたくなった。
本人達が幸せならそれで良いが、こっちに被害を出さないで欲しいもんだ。

「ねー、瀬野さん。こんな人ほっといて、早く行こ?」
「え、だって焼きそば!焼きそば食べたいよ?」
「そうだった!ちょっと店員さん、焼きそば早くしてくれるー?」
「はいはい、焼きそば二つー?」
「一つでいーよ。二人で食べるから。ね、瀬野さん?」
「う、うん」
「はいはいー、焼きそば一つね。…ったく、それのどこがデートじゃねっつーんだよ」

東堂は悪態付きながら、焼きそばを作り始めた。
…確かに。傍から見たら、恋人同士にしか見えない、だけど。
東京に行ってしまうさゆりさんと、恐らく『誰か』に想いを寄せている瀬野さん。
結ばれない二人なんだ、きっと何があっても。

「はい、焼きそばです。買ったんならさっさと行けっ」
「なーに、お客さんに向かってその口の聞き方はー。ちょっと伊吹君、教育がなってないんじゃないのー?」
「はあ…、すみません」

俺は悪くない気がするけれど、とりあえず謝っておく。
まあ、東堂に悪気はないし、普段はちゃんとやってるから別に良いかと思うけど。

焼きそばを買った二人はバイバイ、と手を振って並んで歩き始めた。
浴衣姿の二人――凄くお似合いだ、どうして駄目なんだろうって思ってしまう。
そう思うのに、さっき感じたもやもやしたものが復活した。嫉妬…だろうか、これは。
思わず顔をしかめて二人の後ろ姿を見つめていたら、瀬野さんが一瞬だけ振り返った。
俺を見たのか偶然か、目が合った瀬野さんは何か言いたげな顔をする。
だけど、さゆりさんに腕を引かれて、直ぐに人混みの中に消えて行った。
何を言いたかったんだろう?俺と瀬野さんはこういう事が多いな…。

「アイツ、顔綺麗だけどなんか変だな」

俺と同じように二人の後ろ姿を見つめていた東堂は、ぽつりとそう呟いた。

「変って何が?」
「よく分かんねーけど…、綺麗過ぎるっつーか、生きてない人みたい」
「確かにそう…かもな」

確かに俺も同じような事を考えていたけれど。
初対面でそれに気が付くなんて、東堂は本当に勘が良い。

「え、アイツ、マジで生きてねーの!?幽霊!?」
「そうじゃなくて…、俺も同じような事思ってたから。なんか人形みたいだって」
「あー…、だよなー。過去になんかあったのかな?」
「何でそう思う?」
「過去に死にたくなるような事があった人って、笑い方を忘れちゃうんだって。でも、笑わなきゃって思ってるからいつも同じ笑顔になるって、本かなんかで見たよ」
「へえ…。何で笑わなきゃいけないんだ?笑えないなら笑わなきゃ良いのに…」
「笑わないと変だって思うらしいよ」

東堂がそんな事に詳しいのは意外だった。だけど、そんな事よりも。
瀬野さんがいつも同じ笑みを浮かべているのはそんな理由なんだろうか…。
笑い方を忘れた、無理に笑おうと思うからいつも同じ笑みになる――妙にしっくりくる話だ。
瀬野さんは過去に何かがあったのは確かのようだし…。

知ってはいけないという気持ちが半分、知りたい気持ちが半分。俺はどうして良いのか、よく分からなくなっていた。
ただ、瀬野さんは少なからず俺を慕ってくれていて、信用しているのは確かだ。じゃなかったら今日みたいな時、俺に電話してこないだろう。
今日みたいな事があったら俺は知りたくなる、瀬野さんの過去を。
どう接していけば良いんだろう、迷うな…。

「そういえばお前、祭りに行きたいんじゃないのか?」
「えー?何でー?」
「いや、さっき良いなとか羨ましいとか言ってたから…。行きたいなら、七崎さん誘って行けば良いだろ」
「…その男の名前を出すな」

俺が東堂の恋人の名を口にすると途端に不機嫌になった。眉間には深い皺。
また喧嘩したのか…。どうりで瀬野さんに絡む筈だ。

「早く仲直りしろよ…、拗れない内に」
「喧嘩なんかしてねーよ!あの男、この週末ずーっと仕事だってさ!どこが週休二日だ。アイツの会社の社長、ぶっ殺してやりてーっ」

東堂はそんな物騒な事を言いながら、ひたすら焼きそばを焼いている。
七崎さんの仕事を決めるのは社長じゃないぞ、多分…。
仕方がない、東堂が物騒な言葉を実行する前に、飲みにでも行って愚痴を聞いてやるか…。
そんな事を考えながら、俺は東堂が焼いた焼きそばを売る事に専念した。


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最終更新:2010年03月20日 23:03