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目を覚ますと、目の前には見覚えのない天井が広がっていて。
腹の辺りにかけられたタオルケットと、同じタオルケットの中に丸くなって眠るよく見知った人を見つけて思った。
これは一体どういう事なんだろうか。
待て、よく考えろ。昨日、俺は何してた?
確かにこの人の家に来たのは覚えている。酷く疲れていたのも。
だけど、途中から記憶がなくなっている。
一番最後に覚えているのは、この人と約束をした事。
そして、この人の涙を拭った事。
それは必要のない行動で、瀬野さんからしてみれば意味が分からなかっただろう。
あの時は俺にも理解出来なかった、どうしてあんな事をしたのか。
だけど、考えて今やっと理解した。
俺はただ単に触れてみたかったんだ、瀬野さんに。
瀬野さんの滑らかな白い肌に触れてみたかった、ただそれだけだ。
指先を見つめる。どうしてこんな事になったのか覚えていないのに、瀬野さんの涙の感触が僅かに残っている気がした。
泣いているのを見たのは二回目の事だった。
一回目はこの間。瀬野さんが酔っ払った時だ。
今回と共通して言えるのは、瀬野さんは誰かを想って泣いたという事。多分あの人だ――みさきさんという人。
みさきさんという人が瀬野さんにとってどういう関係の人なのか、俺は今だに分からない。
…ただ、大体予想はつく。瀬野さんの左手の指輪やあの仏壇、言動だけでも決定的だ。
きっと大切な人だった。だけど、もうきっとこの世にはいない。
瀬野さんがどんなに想っても、どんなに悲しんでも、もう戻ってこない、のに。
そんなに好きなのか、忘れられないくらいに?
その人といた日々がそんなに幸せだったのか…。
何となく変な気分だ。胸の中に霧がかかったみたいに、そして怒りに似た感情が込み上げる。
その感情の答えを俺は知っている。だけど、瀬野さんには普通なら抱かない感情だ。
隣で眠っている瀬野さんの顔を見つめる。安らかで綺麗な寝顔だった。
いつもこの人は笑っている。まるで感情のない、人形のような笑み。
だけど、俺はこの人の泣き顔も怒った顔も戸惑った顔も知っている。
それはこの人にとって、俺が少しは特別だって思って良いんだろうか。
みさきさんという人には多分適わない。一生越えられないかもしれない。
それでも、少しは俺の事を考える時間があるんだろうか。
寝顔をじっと見つめていると、やがて瀬野さんがうっすらと瞼を開いた。
「おはようございます」
「…おはよう」
瀬野さんは状況が分かっていないらしく、寝呆けたような擦れた声で俺の言葉に返す。
それが何だかおかしくて、俺は思わず吹き出してしまった。
たけど、状況が分かっていないのは俺も同じだ。
「どうして笑ってるの…?」
「いえ…。あの、この状況説明してもらえますか?俺、途中から記憶なくて…」
「あ…っ、昨日ね、伊吹君寝ちゃって…、ここまで運んだら僕も眠たくなっちゃって…。へ、変な事した訳じゃないから!」
必死で弁解する瀬野さんの顔が少し赤くなっていて、余計おかしくなった。
何もなかったのなら、というか男同士で何かある方がおかしいんだから、そんな顔しなくたって良いじゃないか。
そんな顔されると、少し勘ぐりたくなる。…まあ、この人に限って『何か』がある訳ないけれど。
「本当だよ!別に何もないから」
「分かってますよ。それより良く眠れました?」
「うん…、伊吹君は?」
「ええ、ぐっすりと」
「そっか」
瀬野さんはほっとしたように、にこりと微笑んだ。それはいつもの微笑みとは違って見えて、俺は思わずどきっと鼓動を高鳴らせる。
「…どうかした?」
「いえ、何でもないです。それよりすみませんが、風呂借りて良いですか?」
「お、お風呂?」
「俺、昨日風呂入ってないんで。今日もバイトだし…、俺のアパート風呂ついてないんですよ」
「あ、ああ、そういう事だったら…どうぞ」
「すみません」
ベッドから抜け出した瀬野さんに案内されて、風呂場に向かう。
居間の掛け時計は朝の六時過ぎを指していた。風呂に入ってから家に帰っても、バイトには余裕で間に合いそうだ。良かった…。
「お風呂、ここ。タオル出しとくね。あと着替えも何か…」
「あ、すみません」
洗面台のドアを開けると、瀬野さんは俺の横をすり抜けてぱたぱたと居間の方へ戻っていく。
その後ろ姿を何となく見つめながら、俺は洗面台のドアを閉めた。
鏡に移る自分の姿を見つめる。何だかすっきりしたような、清々しい顔をしているように見えた。
答えなんてとっくに見えていた。
だけど、俺にはまだやらなきゃいけない事がある。
それは俺が前に進むために、必要な事だから。
最終更新:2010年03月19日 23:29