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僕には伊吹君が何を言っていたのか、全く分からなかった。
良い人だって褒められた事に照れていたんだろうか?それにしては言動が不自然だった気がして。
『俺さゆりさんに振られたけど、あまり落ち込んでないです』
『俺がして欲しい事を言ったら、あんたは困ると思います』
落ち込んでいないなら、どうして『慰めて』なんて言ったの?僕が困る事って何?
前にも同じような事言っていたっけ。でも聞いたら、本当に困りそうで聞けなかった。
やっぱり本当に困る気がするんだけど…、何だか気になるな。知りたい…かもしれない。
きっと伊吹君に聞いても教えてくれないんだろうな。
何となく寂しいような、虚しいような気分だった。
最近、伊吹君が何を考えているのか、よく分からなくて。
前だって分かってた訳じゃないけどさ。
それでも、僕に嫉妬したり真っ直ぐで正直なところとか、今よりは少し分かっていた気がしたんだ。
もしかして分かっている気になっていただけ?見せかけだったのかな?
…伊吹君はそんな子じゃないって思いたいけれど。
何となく寂しい気分になるのはどうしてだろう。
関係ないじゃないか、僕は一人で生きていくと決めたんだ。
だったら、他人の事なんか気にしなければ良いのに。
どうして気になるんだろう、伊吹君の事だから?
そう思ったら、左手の指輪が締め付けられるように痛んだ。
美咲が怒ってるみたいに。
次の日、僕はきくいちに来ていた。
暫く行くのはよそうかなって思っていた矢先だけれど、やっぱり伊吹君の事が気になったから。
さゆりちゃんと会うのは何となく気まずいなぁって思うんだけど…。
店の戸を開けると、さゆりちゃんの元気な声が聞こえてくる。
「お客さんには元気良く接するのよ。だけど、丁寧にね!」
「はーい」
「ちょっと漣君、やる気あるのー?あんた、看板娘になんだからねー?」
「かんば…って娘になるつもりはねーよ!俺は単なる助っ人なのー!」
「何言ってんのよ!私の代わりなんだからね?看板娘でしょー?」
「…自分で看板娘とか言ってて恥ずかしくねーの?」
「煩いわね!」
さゆりちゃんと漫才のようなやり取りを繰り返しているのは、お祭りの時にきくいちの助っ人をしていた東堂漣君だった。
会話から察すると、彼がさゆりちゃんの代わりにきくいちでバイトする事になった…のかな?
「んな事よりお客さんだっつーの!」
「だったら『いらっしゃいませ』でしょー?あ、瀬野さん!」
「こんにちは…」
店内を見渡すと、お客さんはいない。おばちゃんも…、伊吹君もいなかった。
何となく残念なような…、ほっとしたような複雑な気分だった。伊吹君に会いたかったのか会いたくなかったのか、自分でもよく分からない。
さゆりちゃんの様子はいつもと変わらない。明るい笑顔で僕に接してくれる。
何だか取り越し苦労だったみたいだ。
「瀬野さん、最近来なかったよねー。元気だった?」
「うん、元気だよ。おばちゃんいないの?」
「お祭りでねー、ちょっと疲れちゃったんだって。腰痛も酷いみたい」
「そうなんだ…。心配だね」
「うん…。あ、伊吹君は出前だよ」
「そっか」
出前…って事は直ぐ帰ってくるかな。やっぱり何だか複雑…。
「よう、瀬野っち。俺、たまにバイトする事になったから、よろしくー」
「あ、うん。東堂君だっけ?こちらこそ宜しくね、よく来ると思うから」
「ああ、毎日来てきくいちの売り上げに貢献しろ。ごちゅーもんは?」
「醤油ラーメンを一つ」
「しょーゆラーメンね」
何か面白い子だなぁ。妙に間延びした喋り方とか、話の内容も。
思わず笑っていたら、僕のラーメンを作るために厨房に入ったさゆりちゃんが怒鳴り声を上げる。
「ちょっと!真面目にやんなさいよー!瀬野さんはきくいちの大切な常連さんなんだからねー?」
「やってるよ!さゆりと大して変わんねーだろ!」
「全っ然ちーがーうーっ!」
お祭りの時から思っていたけれど、良いコンビだよね、この二人…。お笑い芸人とかになれそうだよ。
そういえば伊吹君とも仲良さそうだったな…。
ちょっと羨ましいかも。伊吹君、僕には敬語使うから。
年上だから仕方がないのかな。
「なに瀬野っち、悩み事でもあんの?」
「…え?」
「辛気くせー顔しやがって。ビールでも飲んで景気つけろ!」
「い、いや…、僕お酒飲めないから…」
「んだよ、情けねーなぁ」
「…すみません」
「こらー!お客さんに説教しない!」
「はいはいー!…うるせーな。で?何で悩んでんの?」
東堂君はカウンターに肘をついて、僕の顔を覗き込んでくる。言うまで離れてくれなさそう…。
…話してみようかな。他人の視点から見れば、何か分かるかもしれない。
「あ、あの…」
「何?」
「は、話聞いて貰っても良いかな…」
「だから、聞いてんじゃん。何?」
「あ、そっか…。あのね、えーと…」
「何だよ、早くしろって。俺だって暇じゃねーんだぞ」
そっか、そうだよね…。
だけど、何て言ったら良いのかな?上手く説明出来ない。
伊吹君の事だって知られるのはまずいだろうし…。あの出来事を人に言うのって、凄く恥ずかしいような…。
「何!早く言えってば!」
「はい!ごめんなさい!」
東堂君が痺れを切らしたというように、カウンターを強く叩いた。
それに驚いて、僕は思わず謝ってしまう。
年下だよね…?伊吹君とは大違いというか…。
とにかく、何が何でも言わなきゃいけなさそうだ。
「あのね…、人に『慰めて』って言うのってどういう時なのかな?」
「へこんだ時だろ」
「だよね…。でも、違うらしいんだ。…知り合いの人にね、『慰めて』って言われたんだけどその人、後から『別に落ち込んでた訳じゃない』って言ったんだ」
「へこんでねーのに、慰めて欲しかったって事?」
「…って事だと思うんだけど、どうしてそんな事言ったと思う?」
東堂君は首を傾げて、うーんと唸った後腕を組んだ。
難しいよね、こんな事言われても。
でも、難しいからこそ僕にも分からないんだけど…。
「ねーねー、それってあれじゃない?女の子がよく使うさー」
「え!?さゆりちゃん、分かるの!?」
「分かるっていうかよく聞くじゃない、好きな人を落とす時とかに『さみしーから慰めて?』とかって言うとか!ドラマとかでさー」
「ああ、なるほどねー。俺もよく使うわ、甘えたい時の常套手段だよなー」
「漣君…、そんな事してんだー…」
「んだよっ、修ちゃんだけだっつの!」
「修一さんも大変だねー…。瀬野さん?どしたの?ラーメン、出来たよ」
さゆりちゃんの声がどこか遠くで聞こえる。
好きな人を落とす時とかに―――ここで僕の思考は完全に止まっていた。
好きな人を落とす時の手段を、伊吹君がどうして僕に…。
答えは一つしかないじゃないか―――伊吹君が僕を好きだから。
…いや、そんな筈はない。僕も伊吹君も男だ。男同士で、そんなまさか…。
でも、あの時の行為は男同士でする行為じゃなかった気がする…。何だか不自然だ。
だったら、まさか本当に…?
「瀬野さん?瀬野さーん?どうしちゃったの?漣君、あんた変な事言ったんじゃないの!?」
「はあ!?どっちかって言ったら、変な事言ったのはさゆりの方だろ!」
「あたしは何も言ってないもん!…あ、伊吹君!」
さゆりちゃんの言葉に僕はびくりと身体を震わせて、ようやく我に返った。
カラカラ…と、戸が開く音が聞こえて誰かが店に入ってきた気配がする。
さゆりちゃんの言葉から察するとそれは伊吹君で、だからこそ僕は入り口を見る事が出来なかった。
「戻りました。あ、瀬野さん。いらっしゃい…」
「おかえり、伊吹君!あのね、瀬野さんが変なの!固まっちゃったの!」
「は?どうしたんですか?」
「分かんないんだけど、話してたら急に…」
「俺ら、何もしてねーんだよ。なー、普通に話してただけだもんなー」
「うん…。瀬野さん、大丈夫?しっかりして!ラーメン、伸びちゃうよ?」
さゆりちゃんが目の前で心配して声をかけてくるけれど、今の僕には返事が返す事が出来なかった。
言葉というものが全く出てこない。それどころか、動くという事すら忘れてしまった。
伊吹君が近付いてくるのが分かる―――逃げ出したい。
「瀬野さん…?」
伊吹君はいつものように、静かな声で僕を呼ぶ。
それにさえ動く事が出来ない僕に、伊吹君は椅子の横にしゃがんで僕の顔を覗き込んだ。
「瀬野さん、どうしまし…」
「何でもない!」
僕は伊吹君の声を遮るように言って、椅子から立ち上がった。
皆が驚いたように僕を見ている。でも、そんな事を気にしている余裕はなく、僕は財布からお金を取り出した。
「ご、ごめん…。用事思い出したから、今日は帰るね…」
「え!?瀬野さん、まだ食べてないよ!?」
「うん、ごめん。お金は払うから…」
「そうじゃなくって…」
「ごめん!また今度!」
「瀬野さん!」
結局、僕はラーメンを食べる事なく、きくいちを後にした。
本当なんだろうか…。
伊吹君はさゆりちゃんが好きだった筈だ。それは間違いない。
だけど、さゆりちゃんに振られて、なのにあまり落ち込んだ様子ではなかった伊吹君。
それは他に好きな人が出来たから…?それが僕だというんだろうか。
…そんな筈はない。きっと僕の思い過ごしだろう。…男同士なんだし―――そう言い聞かせながら、僕は動揺し過ぎて高鳴る鼓動を抑えられなかった。
最終更新:2011年11月27日 02:29