基本データ
国旗 |
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国土 |
旧東ドイツ全域+(プロイセン自由州) |
国の標語 |
Einigkeit und Recht und Freiheit. (統一と正義と自由) |
国歌 |
Deutschlandlied (ドイツの歌) |
国家元首 |
L. デ・メジエール |
公用語 |
ドイツ語 |
首都 |
ベルリン |
政治体制 |
議会制民主主義 |
通貨 |
DDRマルク |
概要
旧東ドイツの全域を占める共和国。
歴史
プロイセン王国によるドイツ統一戦争がルクセンブルクに敗北したことによって失敗に終わり、プロイセン自由州を含む
ドイツ共和国が成立した。第一のドイチュ・ライヒである。共和国は議会制民主主義体制を取ったが経済難から内政は混乱し、1930年代前半に時の首相パーペン公は国内に戒厳令を発しプロイセン州を自らの支配下に置き、共産党と社会民主党を中核とする抵抗を受けてについには革命至った。プロイセン州は再びプロイセン王国となり、残ったドイツにはドイツ民主共和国(DDR)が成立し、共産党と社会民主党は合同して統一社会党(SED)となった。SEDの独裁は80年代まで長らく続いたが経済難から独裁体制が揺らぎ、SED指導部は起死回生を図って急進的改革を推進した。人民議会の民主化はその一例である。さらにSED指導部は当時進行中であった
イギリス内戦に秘密裏に支援を行ったが英社会主義者は大敗し同じく支援していたソヴィエト連邦ともども得るものは無く撤退する羽目になった。これによりいよいよ財政は危機的状況に陥り、さらに人民議会で明るみになるに及びSEDに批判が殺到し人民議会はSED支配の脱却を求め共和国政体としての社会主義の放棄を決議、同日SEDは解散した。こうしてDDRは共和制ドイツ国に移行し、プロイセンと数十年ぶりに合同して第二のドイチュ・ライヒが誕生したのである。
政治
制度
共和制への移行にあたってヴァイマル憲法が再び採択されドイツ国は共和国であることが憲法で規定されている。複数の州に分かれ州が独自の政府を持つ一種の連邦国家の様相を呈する一方、中央政府は旧ドイツ民主共和国政府の機構を受け継ぎ事実上別国家であるプロイセン自由州を除いて州政府の権限が弱い中央集権的な体制となっている。
立法機関
上院と国会の二院制である。国会は旧人民議会を母体として議員はドイツ民主共和国新選挙法に基づく比例代表制自由選挙で選出される。上院議員は各州政府によって選ばれた代表である。
国民
教育
外交
基本方針
条約
貿易
関係国
経済
農業
旧DDR時代の集団農場が数多く残り、いずれも政府援助下で民営化あるいは個人所有制への移行が行われている。
工業
観光
交通
鉄道は旧DDRのドイツ国営鉄道(Deutsche Reichsbahn)が引き継がれたがプロイセン領内の鉄道組織はそれとは独立しており、運行上の支障をきたすため統合が提案されている。航空産業はDDR時代は国営のインターフルーク(Interflug)公社が独占していたが共和制移行後に自由化され、民間企業が複数参入している他インターフルークも段階的に民営化されることになっている。
最終更新:2021年02月28日 17:24