アラもう聞いた? 誰から聞いた?
灰色の男のそのウワサ

夜な夜なピアノのある場所にドロドロ現れる怪人
恨み事を嘆きながら、演奏を始めると

音色を聞いた人はみんな呪われちゃう!
酷い時は、呪いの炎で体が燃えたぎって陽炎として彷徨う

誰かがそうウワサをしてこの怪人が産まれたって
見滝原の住人の間ではもっぱらのウワサ

ブラボー!






一人の少女がアテもなく町を彷徨っていた。
彼女は、少しでも何かしようと、だけど途方も無く馬鹿みたいな真似をし続けている。
あるウワサを聞いた。
ピアノがある場所に現れる怪人。
恐らく……聖杯戦争で召喚されたサーヴァントのウワサに間違いない。ひょっとしたら大変な事になるかも。

少女はピアノが置いてある場所を手当たり次第に調べた。
だけど成果は無い。
他のウワサを調べればいいかもしれない。だけど……少女は討伐令をかけられた救世主を酷く恐れている。
よく分からないけども、怖い。
救世主に対し無礼を働いた事は一切覚えがない。
本能的な、弱者が強者に対し無力だと打ちのめされた恐怖。

どうすることも出来ない。
逃げに走った。
紛れもなく、こんなものは逃げで、ピアノの怪人を調査するのは何も出来ないのを誤魔化しているだけ。

(同じクラスの子が、確かピアノコンクールが近いって……市民ホールで行われる………ひょっとして)

少女――犬吠埼珠が足を運んだ市民ホール。
コンクール以外にも集会や講義を開かれるのに活用される。見滝原では成人式がここで行われるとか。
なら、コンクールで使われる筈の『ピアノ』がある筈。

公共施設たるホールの出入りは基本、自由そのもの。
事務員の姿は確認できるが、珠に対し格別注目する様子はない。
ふと珠がホールの予定表に目を通す。

ピアノコンクールが開催されるのは『水曜日』だ。
……どうやら『火曜日』には集会で使われる予定らしい。
何の集会だろう? 天国への到達……??

珠はこれまた救世主と似たような恐怖を抱き、見なかった事にしてホールの奥へと進む。
誰も居ない。
ガランとした広い広いエントランス。
その奥、トビラの向こうからピアノの音色が響いている。音楽に詳しくない珠も――ああ、とても綺麗――
不思議にも感じてしまう。違う……この先に居るのはもしかしたら………

『安心していい。ワシは直ぐにもお前の盾となる覚悟は出来ている』

芯のあるバーサーカーの言葉。
大方、誰もが彼の姿勢や在り方に善良さや正義、絆を見い出す事だろう。
だけど奇怪な事に、珠はバーサーカーの掲げる絆に魅力は感じず、どこか恐怖を感じていた。
意図も容易くヒトを信じてくれる、優しさを兼ね備えた。
そういう人ならついて行ける。みたいな理想の仮面を被った在りようは、あの救世主と大差ない。

無論、珠は言わない。言えない。
自分にはそんな権利はない。傲慢さも勇気も何も………全然、魔法少女らしくない心だ。
でも……
バーサーカーという自らのサーヴァントが傍らに居るのは明白であり、珠が一歩踏み出す切っ掛けになる。


――ガチャ


静かに開けようと心掛けても、誰も居ないせいか酷く音は響いてしまう。
ハッ、と我に帰った時。
ピアノの音色は、幻覚の如く消えてしまってる。
どうしよう。珠がそれでも恐る恐る重い扉を押していく。

コンサートホール会場。
ズラリと芸術的に、ステージを堪能できるように整列に固定された客席。
段々となり、前の客が邪魔でステージが見えにくくなる欠点を解消した――映画館のようでもある。
ステージにはグランドピアノが中央にポツンと。
ピアノの傍ら。一人の、水色髪の少女が楽譜を片づけており、……それだけだった。

「?」

戸惑う珠に対し、ステージに居た少女も珠に気づいて首を傾げていた。

「ジリアン! そろそろ撤収だと先生がおっしゃってますわ」

ステージ袖から赤と黒を基調とした洒落たドレスを着た少女。
どうやら、ジリアンなる名の少女の友人らしき人物が声をかけてきたのに、慌ててジリアンが荷物をかかえ。
二人は何事もなく、ステージから立ち去った。

ピアノの練習。
ああ、コンクールのリハーサルだったんだ。
それに気付いた珠は、勘違いをしたのが恥ずかしく。ジリアンと呼ばれた彼女に申し訳なく思ってしまう。

『ワシも……音楽に精通してはないが、今の音色は美しかったな。マスター』

「え? あ、ああ、はい。でも……ごめんなさい」

『どうした? 何も謝る事は無かったではないか』

「だって、その……バーサーカーさん。ここまで付き合ってくれたのに、結局ウワサの怪人の手掛かりが……」

『ここにはいなかった。それが分かっただけでも十分だ。そう落ち込むな』

きっとルーラであれば珠を罵倒していたに違いない。
双子たちはこそこそと不満を口に出し、珠の命を奪った幼い魔法少女は表情一つ変えなかっただろう。
最早、珠にとっての感覚は、そんなもの。

バーサーカーに罵倒や怒りをぶつけて欲しい、マゾ的思考回路が珠に組み込まれているのではなく。
ルーラにはルーラなりの、彼女の不器用な優しさがあり。
彼女なりに珠たちを生かそうと、奔走した面もちゃんとあったのに。


そうだったのに………





アラもう聞いた? 誰から聞いた?
穴掘り魔女のそのウワサ

神出鬼没! あっちこっちに穴がボコボコもう勘弁!
穴を作っては逃げ、作っては逃げ……

どんな物にも、どんな場所にも、なんだって構わない
おっきくポッカリな空洞を作っちゃう

穴の処理に手を焼く厄介者って
見滝原の住人の間ではもっぱらのウワサ

スットーン!






ジリアンは珠の想像通り、水曜日に控えているピアノコンクールのリハーサルを終え、帰路につこうとしていた。
最後にもう一回と、ジリアンが先生に願い。
先ほどの演奏を……否、違う。あの演奏はジリアンのものではなかった。

珠は単純に運が悪かった。
彼女の探し求めた『灰色の男』は目前まで迫っていた。
あと一歩寸前だった。それを知らぬまま、彼女は逃してしまったのである。

「……ジリアン。先ほどの曲」

友人・ノエルに声をかけられジリアンは、ハッとする。

「発表会の曲じゃなかったんだけど、自分なりに練習してて」

実際はジリアンが弾き手じゃあないのだが、自分の手柄にしたい訳でもなかった。
だけども。
ノエルは不思議と微笑を浮かべていた。

「いえ。とても素晴らしかったですわ。コンクールも同じように奏でればいいですの、ジリアン」

「……うん」

ついに明日から聖杯戦争が開始されると聞き。
加えて討伐令に挙げられた少女が見滝原中学校に所属していると知り。
だけど、ジリアンは少女・暁美ほむらを見かけた事は無かった。学年が異なるか。クラスが違うからか。


―――聖杯を勝ち取るのならば、闘争は避けられないだろう。


僅かに残された時間。
ついさっきまで、ジリアンが召喚した復讐者がピアノを奏でてくれたのだ。
ジリアンへの気休めの為か。あるいは、彼も音楽を愛した者だからか。
鎮魂歌の如く音だけが二人を包んでおり。彼らは『その時だけ』世界から隔離されていたのである。

―――改めて尋ねる必要はないと思ったが……覚悟はあるか、マスター。

―――……ボクにでもマスターの、彼女を殺せる筈です。

―――なに?

灰色の男は驚く。表情も驚愕そのものだった。されど鍵盤を緩やかに叩く指を止める素振りがない。
演奏者としての精神は、隔離されて自立しているかのように。
マスターの殺害。
一つの手段ではあるが――ジリアンがそれを口にした事を、アヴェンジャーですら意外だった。
いいや。
アヴェンジャーもまだ、ジリアンの深淵で眠る『魔女』を把握せずにいたからだ。
漆黒に揺らめく意志を瞳に宿し、ジリアンはしかと告げる。

―――最悪そうしたって構わない。それがボクの覚悟です、アヴェンジャーさん。

ただ友の為に、人を殺せるものか。最早、妄執や依存や、負の感情に取りつかれた復讐者とは違わない。
同じく。
風評被害の妄執を抱えたアヴェンジャーに、それを否定する事は叶わない。
彼は一つ教えた。

―――例の歌姫。アヤ・エイジアは気をつけた方が良い。
   あれは……人の身であの領域に踏み居る事すら、驚かざる負えないがね。

―――ウワサ通りの力が、本当に?

―――ああ、間違いなく。

アヴェンジャーが見抜いた通り。孤独の歌姫の『歌』は人間の領域を踏み外していた。
サーヴァントですら影響を受けかねない。
言わば、人の進化が研ぎ澄まされ、そして完成した存在。
その気になれば、歌だけで人々を兵士や奴隷のように従え、恐らくマスター相手なら敵はないほどに。
にも関わらず。彼女は歌手の活動だけを行い。ただ音楽の愛に満たされ、歌い続けるだけ。
彼女の力を知れば……異常に映えるように。
そして、ジリアンは間を開けてから

―――わかりました。あの人とそのサーヴァントに関しては、アヴェンジャーさん。お願いします。

と、答えるだけだった。
アヴェンジャーは返事をできなかった。する前に珠が扉を開けてしまったせいもあるが。
彼がジリアンに望んだのは、彼女なりのアヤ・エイジアに対する想いだった。
けれど。
嗚呼、最早ジリアンの中にはそんなものは無い。
ジリアンは、アヤ・エイジアを歌手としてではなく倒すべき『マスター』としか思っていなかった。







       カチ、  カチ、  カチ、  カチ、  カチ、  ………








【18:00】


教会。
近代都市たる見滝原には似つかわしくない、歴史ある雰囲気を醸す。
ステンドガラスの艶やかな色彩が日光で美しく反射する。
静寂で清らかな、神聖なる空間。本来ならば礼拝などが行われる場所だが、この時間は静まりかえっている。

この教会で教えを解く『佐倉』の姓を持つ牧師が、日曜日である今日も礼拝を開いたが
それは午前中に終わっており。
午後からは、基本的に自由解放していた。
誰もが気軽に足を運んで、神に対する祈りを捧げる。

……のだが。
少年が一人、堂々とベンチで横になり、誰も居ないのを良い事に昼寝をかましていた。
神や、教会を管理する牧師に罪悪感を覚えても、感じても居ない。
されど、彼にとっては些細な障害としか受け入れておらず。むしろ『寝なければならない』理由があって
あえて教会を選んでいた。

少年――アイルがここで昼寝をしたのは今日が初めてではない。
あちこち放浪し、偶然辿り着いた。
その時は『限界』だったので、何も考えなくベンチに突っ伏して、眠りに落ちたものの。
存外、悪くないほど熟睡できたのである。『何事もなく』

宗教や神や、救いなんて求めてない。
なのに。ここは安心して眠る事が出来る。精神的な気休めになっているのだろうか。
アイルは、幾度目となる今日も、ここで眠りついていた。


アイルの中には、もう一つの魂があった。
かつて彼の相棒だった。そんな存在の。
今は相棒ではなく、アイルの精神を蝕む『悪魔』に成り果てている。
聖杯で願えば………解決するかもしれない………そう考えなかった事は無い。
ただ、聖杯に頼るなど自分が『弱く』感じてしまう。

意地を張っているだけだった。
事実として、アイルは常にうなされ続けている。
記憶を取り戻してからは、体を乗っ取られる不安に駆られて、まともな睡眠を取れずに。
亡霊の如く見滝原を彷徨っている。
こんな状態で、見滝原でかよっていた高校に行ける訳がなかった。
学校で『自分』が暴走するのだけは、回避しようとアイルなりに考えた結果だった。

そんなアイルが行き着いた場所が『教会』なのは一種の皮肉だろう。

「――――ちょっと。そこのあなた…………起きなさい!!」

怒声が響くまでは。
アイルも突然のことに飛び上がってしまう。
一方、怒声をあげてしまった女性も慌てて咳払いをし、御淑やかに続けた。

「ここは祈りを捧げる教会です。公共の場ですが、決してうたた寝する為にあるのではありません」

「………ったく」

チラリとアイルが見た女性。
清楚を象徴する修道女であると目に見えて分かる彼女を視認した時。
彼にしか認知されない文字列が浮かびあがってきた。『ライダー』。サーヴァントなのだ、と。
アイルは目を丸くしたが、ライダーの彼女はアイルがマスターである事に気づいていない。
だが、今の彼は熟睡から起こされた事で、上手く思考は回らず。
そそくさと立ち去ろうと行動に移していた。ライダーが呼びとめる。

「待ちなさい、どこに行くつもり?」

「別に。あと――もう二度とここには来ない。それでいいだろ」

もう聖杯戦争は始まる。だけどアイルはサーヴァントを前に、逃走でも闘争でもなく、
自らの問題だけで手一杯に終わっていた。
きっと、聖杯で『元相棒』の件を解決しようものなら、自分は敗北したも当然。
元の世界に帰る。それだけでいい。

教会から再び果てなき見滝原の町に戻ってきたアイル。
彼は、今朝。住まいに設定されたアパートの郵便入れに入っていた、あの資料を思い出す。
寝不足で全て内容を記憶できていないが……手元に討伐令の対象となったセイヴァーの写真だけを残していた。

「コイツを倒せばいいだけだ……それで元の世界に戻る」

奇跡の願望機に巡り合う機会などなかった。
綺麗サッパリ全て終わらせて、欲望に負けた時点で全てが終わる。
むしろ、そんなものを手に入ってしまえば……『ボーマン』が黙っちゃいない。
少年を見届けた修道女のサーヴァント、マルタは一息つき。次にマスターからの念話を受け取った。

『そっちの様子は』

(至って平和です。礼拝の手伝いから、あなたの妹の遊び相手をし終えたところ)

『……妹じゃないよ』

複雑そうにマスター、佐倉杏子は否定している。
偽物なのだ。むしろコチラを本物だと認めてしまったら、現実で死に絶えた筈の杏子の家族は、一体なんだったのか。
折角、出かけた杏子側は大騒ぎであった。

マスコミが駆け込んで、買い物客にインタビューを吹っ掛けて来る有様。
警察の必死な誘導にも関わらず、場所が場所なだけあって、現場は荒れ放題になって証拠が代無しになったとか。
ステージで行われる筈だったアイドルのコンサートは、勿論中止。

……ウワサになっている歌手の殺害予告なんて。
杏子からの話を聞き終えたマルタは、冷静に問いかける。

(明日、学校へ向かうつもりなら、私も同行します。いいですね)

『どーせ。無理矢理にでもついて来るんだろ』

杏子の声色には諦めが半分と、他にも彼女なりの――深淵に眠っていた『わかだまり』が疼いているせいもあって。
強い否定を意志するのではなかった。
彼女は願いによって招いた絶望に屈した。
だけど、彼女の本質そのもののは決して『悪』ではないのだ。

佐倉杏子の中に眠るのは、美しい魔法少女でも、正義感でもなく、悪に立ち向かう黄金の精神なのだ。

マルタは数々の悪が犇めき始める見滝原の渦中で
黄金の精神を傍らに、何故だろうか――『あの御方』の事を思い出す。
この世から原罪を持ち去り、多くの救いを齎した救世主。
『あの御方』と『あの救世主』は全く違う。本質も在り方も全て、何もかも……






結局、巴マミは有益な情報を得ることなく、まどか達との買い物を終えてしまった。
情報に収穫がなかった訳ではない。
赤い箱のウワサは、調べるまでも無く有名なもので。怪盗Xの殺害予告のアヤ・エイジアも同様だ。

今日、得られた情報。
マミが召喚したランサーが、セイヴァーは『人喰い』の部類に属す種族であると分かった点。
赤い箱の実物。
箱の素材加工には魔力の痕跡があり『道具作成』のスキルを用いられた可能性がある。
など……肝心の暁美ほむらとは再び巡り合えなかった。

「暁美さん………」

マミの記憶にある彼女とは、まるで別人の彼女。
記憶を取り戻すまでは、鹿目まどか達の友人としてマミも普通に接していたからこそ、違和感が拭えない。
マスターであり、討伐令の対象である彼女を無視出来ない。
しかし。
彼女の正体はなんだというのだ。
悩めるマミに対し、ランサーはこんな話をしてきた。

『マミ。実は僕、昔は髪の毛が白かったですよ』

「え? そうなの……?」

『はいーそうです。わかりませんですよね』

マミの召喚したランサーは『黒髪』だった。彼はひょっとすれば『白髪』の自分も英霊に居るかもしれない、と。
呑気に話していたが、つまるところ。
外見なんてのは、中身なんてのは、どうとでも変化してしまえる訳なのだ。
ランサーの話にマミは考える。

ひょっとして……あれは自分と出会う前の『昔の』暁美ほむらなのでは?

『セイヴァーの行動は不可解です。誰も襲ってはいませんが、あまりに多くの人と接触し過ぎているです』

「確かに妙ね。いえ、誰も襲われていないのはいいのだけど」

暁美ほむらは、セイヴァーをコントロール出来ていない?
冷徹な思考と覚悟を秘めたマミの知るほむらならば、在る程度のことは……しかし。
もし、そうじゃあない。
冷徹さを抱いてない頃の暁美ほむらだったとすれば?

(私の知らない暁美さん……もしかして、本当の暁美さん。なのかしら)

お菓子の魔女との戦闘前。彼女はマミに警告をしてきた。
あの警告を軽率に扱わなければ……ちゃんと協力し合えたとしたら……
彼女は、マミを助けようとしていたのかもしれない。思い返せば、そんな気がした。

「とにかく、暁美さんと……話をしなければならないわ。『今度こそは』ちゃんと……」






「もうこんな時間……」


薄暗い自宅のリビングで、両親と子犬と一緒にテレビを見ていたレイチェルが顔を上げた。
今日は貴重な休み。
明日は月曜日で、学校に行かなければならない。
楽しい時間は、あっという間に過ぎ去ってしまうのだ。適当に夕食を食べようと、レイチェルはリビングから移動する。
廊下に足を踏み入れた時、サーっと何かが走りぬけて行く。
小さな恐竜だ。
レイチェルはソレが、ライダーの宝具による使い魔だと知っている。
妙だが、レイチェルは気になって恐竜が駆けて向かった方へ足を歩んでいくと、丁度彼女も用事があった台所に
他の恐竜が行き来しているのが目に捉えられた。

レイチェルのサーヴァントであるライダーがそこに居る特別な理由はない。
強いて挙げるなら、恐竜が外部へ行き来しやすい交差点である点。
あと、リビングは『悪臭』の酷い場所だから。
ライダーは椅子に座り、台所のカウンターに地図を広げ、恐竜たちの報告を聞く。

レイチェルは、ライダーの様子を不思議そうに眺めていた。
恐竜とどんな風に通じ合っているんだろう。素朴な疑問をどことなく。
そういう能力だと聞かされても、レイチェルは実感が湧かないほど奇妙な光景であった。
最も、古代に絶滅した恐竜が居る時点で異常だが。

「なんだ」

「!」

厳しい口調で、コチラを睨んでいるライダーにレイチェルが目を見開いた。
何から話せば分からない。
普通に食事を取りに来たと言えばいいのだろうか。
ライダーは……優しいから大丈夫だよね。レイチェルは少しだけ思い悩んで尋ねた。

「パン……食べても良い?」

「勝手に食えば良いだろう」

不機嫌そうだな。レイチェルが薄々感づいて、無言でパンを取ろうする。
文字通りの生きる屍な動作の少女に、今日の今まで沈黙を貫いていたライダーが言った。

「どうして一々俺に確認する? 自分で物事が決められないのか」

呆然と立ちつくす少女を気に食わなく、ライダーは一つ聞いた。

「レイチェル。聖書は読んだことあるか」

「……ない」

「ああ、ソイツは良かったな。読まなくて正解だぜ、ヘドが出る」

第一、神様なんざ信用しちゃいない。俺に『何も』与えなかった。俺にとっては有罪だ。
ライダーの言葉にレイチェルは衝撃を受けていた。
幼い少女も『神』は知っている。
聖書の中身を見た事ないけど、神様は何か凄い存在だとボンヤリ曖昧に想像していただけに。

「神の信者は分かるよな。アイツらは『弱者』だ。考える事を止めた『弱い』連中だ。
 悪い事も良い事も全部神サマのお陰で、神サマの試練だと『都合良く』解釈する思考停止野郎だ」

「……ライダーがそう言うなら。そうなんだと思う」

レイチェルの死んだ瞳に、ライダーは舌打つ。

「お前の事だよ、レイチェル。なあ、お前は『自分で考えた』事はあるか?
 俺の教えの通りに思考停止して随分楽な御身分だ。
 なら、神サマが人を殺せば天国に行けない。人を殺すのは許されないと告げれば、真に受けるか」

「………」

「その通りなら、お前は一生あの『理想の家族』は手に入らなかったぜ。
 ……お前がアイツらを縫ったり、手を取り変えたり、そうしたのは
 お前が『考えた』結果だ。アレに関して俺は『何も教えちゃいない』。お前の醜悪な欲望だ」

「…………わたし」

自分で考える。
単純なことをレイチェルをしたことなかった。自分で何かを決める事を。
子犬の事だって、ライダーに決めて貰おうとしていた。飼っても良い。ライダーにそう答えて欲しくて。
別に、ライダーが捨てて来いと命令してれば。素直に捨てたとレイチェルは思う。

自分の両親に関しては……ああするしかなかったのだ。
でも――違う。
どこからか、澄んだ鈴の音が耳元で響いた気がする。
わたしは『本当に』ああしたかったんだ。ライダーの言う通り。人殺しが許されない、そう言われても。
悪い事だって分かっても、多分……きっと……止められなかった。

嗚呼。わたしは……醜悪なんだ。

ライダーが無言のままのレイチェルに、静かに伝える。

「いいか。自分で考えろよ、レイチェル。俺は神様じゃあない」

別にライダーはレイチェルに同情を抱いてない。可哀想とか微塵にも思っちゃいない。
最初からイカれた、救いようもない破綻者としか認知してなかった。
元より、マスターとして切り捨てる前提だ。
何も考えないで自分に縋って来るレイチェルが、気持ち悪くて仕方なかったのである。

しかし――……

星と世界の数だけ『教え』となり『人生の改変者』たる存在は、様々いた。
名だたる英霊の中にも、偉人の思想や宗教の教えも。
一個人の人生に影響を与える思想と巡り合う『切っ掛け』は、千差万別なのだ。

レイチェルがそうである。
自分で考える発想も、それを教えてくれる人も彼女にはいなかった。
『不幸にも』教えを解いたのは、彼女が召喚した『ディエゴ・ブランドー』だった。






――あのカウンターは痺れたぜ! ヒヤヒヤさせんじゃねぇっての!

――ヒヤヒヤ? アンタ、ずっとニヤニヤしてたろ

――あ、バレてましたー?


楽しそうな、満更でもない会話がどこからか聞こえる。
なんだ、これは。
偏頭痛を覚えながら、一人の少年・ドッピオは覚醒を始めていた。彼自身、前後の記憶が非常に曖昧である。
ただ……会話の声。
その片側は……そうだ。マスターのアイルのものではないか、と気付く。アイルと話しているのは誰だ?

穏やかな雑談も段々とノイズ混じりとなる。
何も見えない、何も聞こえない。『最初からそんな光景が無かった』かのように。
ただの呻きと悲痛な叫びだけが響き渡ったのだ。


――どうしてだ………ボーマン。


「う、うーん………あれ? ここはどこだ………?」


ドッピオは、見滝原にある公園のベンチで横たわっていた。
頭を抱え込みつつ、体を起こし、周囲を見回す。すでに日が沈み始めており、空には薄らと月が映されている。
何故こんな場所に居るのかすら理解が追いつかない。
手元から書類袋が零れ落ちた。これは――今朝アイルの自宅マンションに届いた主催者からの書類。
慌てて地面に置いた書類を回収する途中、ドッピオは記憶を取り戻す。

「くっそ! そうだ、思い出したッ!! アイルの野郎ッ! 今度こそボスは容赦しないぞ!!」

―――とおるるるるるるるるるるるるるる

ベンチの下に捨てられていた『電話(ペットボトル)』を受け取るなり、ドッピオは堪らず叫んだ。

「ボス! アイルは切り捨ててやりましょう! ボスの温情をこれっぽちも感じちゃいないぜ、あのクソカス!!
 討伐令が出されたんですよ、セイヴァーの討伐令がッ! 肝心のセイヴァーの写真だけアイルが持っていきやがった!」

憤りで冷静さを失っているドッピオに対し、受話越しにいる悪魔が冷静に教える。

『ドッピオよ。書類袋を確認しろ……その中に入っているぞ。セイヴァーの写真が!』

「えっ!?」

再び中身を確認したドッピオは、暁美ほむら以外にも数枚、謎めいたアングルから撮影された男の写真を発見する。
どれもが同じ金髪の男を映しており。これが『ボス』の言う通りならセイヴァーの姿。
一体どうして?
驚きつつ、ドッピオは電話越しの『ボス』からの話を聞き続ける。

『奴は酷く目立っている。そこらの人間に顔を知られ、写真を隠し撮りされているほどにな……
 あるいは魅了のスキルを保有しているせいか……「私が」その写真を確保した。そしてドッピオよ。
 よく聞くのだ。その男は……奴と同じものを感じる! ジョルノ・ジョバーナとの繋がりを!!』

「じょ、ジョルノ……まさか!?」

『「親子」だ! かつて私がトリッシュに感じたもの――魂の繋がりがある!! 間違いようがないのだ!』

ドッピオも酷く狼狽していたが、それは『ボス』とて同じだ。
かつて地獄に突き落とした宿敵たるジョルノ・ジョバーナ。忌々しい過去、それこそ消し去りたいほどの失敗。
その因縁、忌まわしき過去が、呪いのように付きまとう。
一体どんな運命の影響で、聖杯戦争にて宿敵の『父親』と巡り合わなければならないのか!
落ち着きを取り戻したドッピオは、報告を続けた。

「しかし、ボス……例の集会。どうやらセイヴァーが直接参加する訳じゃないみたいです。
 奴の始末をするなら、潜入するしかないですね。見滝原中学に――」






アラもう聞いた? 誰から聞いた?
時の勇者のそのウワサ

過去に戻り、未来へ渡り
そうして世界を救ったと言われている選ばれしもの

だけど、時の巡り合わせのせいで
歴史に残らず、誰からも忘れさられちゃった

時の狭間を彷徨った末に、この町に辿り着いたって
見滝原の住人の間ではもっぱらのウワサ

ヘイ! リッスン!!







―――やはり『似ている』。ジョルノに……


ブローノ・ブチャラティは、吐き気を催す醜悪の化身たるセイヴァーの写真を見て、何故かそう思った。
雰囲気? 容姿?
何か繋がりを感じるのだが確証は掴めない。
一つ明白なのは、このサーヴァントは恐らく『スタンド使い』だろうという事。

ブチャラティが結論に至った理由は、単に己の仲間との繋がりを感じただけではない。
『時間泥棒』のウワサ。
まるでかつて対峙した『パッショーネ』のボスを彷彿とさせる。
否、紛れもなく奴なのでは? と直感を得ていた。

「セイバー、お前はどう思う?」

誰からも忘れ去られた時の勇者に、ブチャラティは尋ねる。
緑の衣を纏ったセイバーは、マスターの話に耳を傾けながらも周囲を警戒していた。
夕焼け色に染まる空の下。
彼らは、何かを警戒するように高層ビルの屋上から見滝原を見降ろしている。

「俺達なりに『ウワサ』を調べ尽くした……その中でも、奴に関しては直接会った人間も居た。
 ……果たして彼らは『救われた』と感じるか? ……俺はそう思わない」

ブチャラティは迷いなく告げた。セイバーも同意するかのように頷く。

「結局、奴はなにも救っちゃあいない。口達者な詐欺師が彼らと話を合わせ、そう錯覚させたに過ぎない」

誰も救っていない。誰もが救われた気になっているだけ。
あるいは、それも『救い』だと誰かが言うかもしれない。
気持ちだけの『救い』だけで前進する切っ掛けとなる人間も、居ない訳がない。
見方次第じゃ真の救世主らしい結果だとしても……セイヴァーは違う。

何故、セイヴァーがわざわざ姿を現し、見滝原のあらゆる住人に接触を試みるのか?
マスターとの接触を狙っている?
ブチャラティは違うと考えた。

利用する為だ。
『パッショーネ』のボスとは異なり、力と恐怖による支配であっても、カリスマ性を生かし、
あらゆる人間を魅了させ、従わせ――彼らを聖杯戦争においての『手駒』として利用する為の下準備。
無関係な者を自分の都合で巻き込む邪悪だ。



―――――カチ    カチ    カチ    カチ    カチ    ………



「ッ!」

時の勇者・リンクは気付く。周囲を見回すが、格別異常は発生していない。
だが、彼は時折――『刻む音』を耳にすることがあった。
それは『どこから』という限定された類ではなく、まるで見滝原全体に響き渡っているかように聞こえる。
時を刻む音。

「なにかあったのか、セイバー。まさか『時の静止』か?」

自らのスタンドを背後に出現させブチャラティが尋ねるのに、リンクは首を横に振った。
歴史から失われたとは言え、リンクは『時の勇者』だ。
時の干渉を行った偉業からか、時に纏わる事象を認知する事が叶ったのである。

例えば―――『時の静止』
リンクが召喚されてから『時の静止』が数回発動している。
『パッショーネ』のボス以外にも、時の能力を持つサーヴァントが存在するのだ。
現時点で『キング・クリムゾン』……即ち『時の吹き飛ばし』は発動した形跡はないのだが………

リンクは感じ取っていた。
『時の吹き飛ばし』……『時の静止』………そんなものを凌駕する存在の気配を。







            :-)








閑静な住宅街の途中。
一人の男性が、それなりの品が入ったビニール袋を片手にぶら下げて歩いていると、奇妙なものと出くわす。
地べたにしゃがみこんで、おかっぱ頭の女性だろうか。ザラザラと砂糖を頬張る。
スナック菓子を口にするような感覚で。
並の人間であれは糖尿病待ったなしな有様。だが、そもそも砂糖をそのまま口にするのが狂っている。
男は、自分は彼女と違って『普通』で『異常』でもなく『正常』なのだと確信していた。

「楽しそうね。ステキなアヒルちゃんと一緒にいたら、きっとタイクツしないよね」

「………」

急に話しかけて来る女性に、男は無視しようかと決め込んだが。
クスクス笑い、彼女は首傾げ尋ねる。

「ねえ。『カラフルな甘いもの』見たことない? みんながウワサをしているの、探してるんだ」

ウワサ?
ああ、確かそんなものがあるんだったか。男は長ったらしい溜息を目立つようにつく。
男はサラリーマンをやっていて、子供騙しで話題に取り上げる都市伝説紛いなウワサには更々興味が湧かない。

「私は見た事ないな。スーパーにでも売ってるんじゃあないかな」

「お肉屋さんには売ってないよ。私、お金は持ってないんだ」

「なら、諦めた方がいいね」

支離滅裂な相手の言葉を適当に相槌していると、一人の少女が必死に走り駆けて来る。
彼女は、男性ではなく。
砂糖を弄んでいる女性の方に呼びかけた。

「『シュガー』さん! な、何もしてませんよね……?」

「『カラフルな甘いもの』はここにはないんだって。一体どこにあるのかな」

「わ、私も一緒に探します。あのウワサが『何を意味するか』も、分かってませんから」

男はウワサの概要に心当たりがないものの。
何を意味するか、とは。所謂、抽象的な表現過ぎて雲を掴むような、曖昧極まりない存在を示すのだろうか。
……まあ、私には関係ないか。
男が直ぐにウワサへの興味を失くす。対して、少女が狂った女性の代わりに謝罪した。

「すみません。シュガーさんがご迷惑かけてしまって……」

「別に構わないさ。君も彼女から目を離さないよう気をつけるんだよ」

「はい……」

少女・環いろはが男性に対し、格別疑念を覚える事は無かった。
見失った自らのサーヴァント――バーサーカーのシュガーを発見した事で安堵したせいか。
最も、男性がシュガーとは異なり『至って普通』に見えたのが一番の要因だったのだろう。
いろはは「男性が常識のある良い人で良かった」と心底気抜けているほど。

「シュガーさん。あのウワサがそんなに気になるんですか?」

「とってもスキテな甘いものよ」

「えっと………多分、食べ物を示しているんじゃないと思います」

「どおして?」

唐突にギョッとさせるような、正気じみた返答をしてきたシュガーにいろはも目を丸くした。
何故。と聞かれても。
いろはの言葉が途端に覚束なくなった。

「きっと『天国の到達』のウワサと同じ、比喩みたいなものじゃないかって。ごめんなさい。でも、決めつけるには」

「さむい」

シュガーの声色はおぞましいものだった。
砂糖を口にせず、視点はマスターのいろはではなく。上空を眺めている。
つられて、いろはも星の煌きが一つ二つ浮かぶ夕暮れ色の空へ視点を移動させた。

「どおして『動かない』のかな」

「……え?」

動かない? 何が?
空は動いている。雲は流れている。太陽も月も、正常に動き続けている。何も、おかしなことはない。
いろはは、シュガーの戯言を間に受けない事にした。






「完成したぞ、マスター。『バステニャン号』だ」

「………は?」


砂糖喰らいのバーサーカーから逃れた男・吉良吉影に待ち受けていたのは、奇天烈な猫の騎乗物だった。
かの天才。レオナルド・ダ・ヴィンチが芸術性の欠片のない、ハッキリ申せば馬鹿の集大成みたいな形状を
一体どうして作り上げてしまったというのか。致命的な欠陥が彼女(本当は彼なのだが)に発生しているんじゃあ……
つーか、これってデパートに置いてある子供が楽しむゴーカートの間違いだろ。

自宅に帰るなり、意味不明なソレを見せつけられて。
吉良は正直、スタンド『キラー・クイーン』で爆発処理しても許されるんじゃあないかと衝動的になりかけた。
だが。
彼はまだダ・ヴィンチにスタンドの存在は愚か、自らの本性だって知られちゃいない。
どうにかソレだけは彼女に伏せなくてはならない。

別に、スタンド能力に関しては明かしても……しかし、
爆弾に変える性質の危険性などを警戒されては『彼女』を切り取る際、上手くいかないかもしれない。
盛大な溜息をつきながら、吉良は適当にテレビの電源を入れる。

「確認するが、それを一体どうするつもりなんだい」

「見て分からないかな? これは移動手段の一つだ。私もサーヴァントだが、敏捷に優れている訳ではないからね」


オイ、馬鹿やめろ。

吉良は意味不明な憤りに満たされまくっていた。
モナ・リザの姿形になっている時点で相当の変人な癖して、あげくにセンスの悪いゴーカートで
見滝原の町を疾走するなど、最早狂人の領域の間違いだろう。
まだ砂糖食ってるバーサーカーの方がマシに感じる。―――と考えたところで、吉良はハタと動きを止めた。

「ちょっと待ってくれないか。この悪趣味な乗り物を『どうやって』作ったんだ?」

「神経質な君も安心できるよう、材料の方は現地の廃材を利用させて貰った」

「そうじゃあないッ! まさか『手』を使って――『彼女』を酷使させたんじゃあないだろうなッ!?」

ついに限界へ到達した吉良の激情に、ダ・ヴィンチは呆れていた。

「前にも言ったじゃないか。私の体は『黄金律』で完璧を保たれて……おいおいおい。
 君、何を買い出しに行ったんだと思ったら『手入れ道具』だったのかよ!
 『バステニャン号』を侮辱した君の行動力も、相当無駄極まりないなぁ!!」

吉良がビニール袋から商品を取り出す光景に、流石のダ・ヴィンチも鋭い突っ込みをかます一方。
テレビの方では、夕方のニュースが開始されていた。
キャスターが緊迫な雰囲気で速報の内容を淡々と読み上げていく。

『えー……速報です。本日昼間、見滝原ショッピングモールにて大量の「赤い箱」が発見されました。
 そして「赤い箱」と共に「怪盗X」と名乗る犯行声明文が残され、
 世界的に有名な歌手、アヤ・エイジアの殺害予告を行いました。繰り返します――』

「……………」

吉良は液晶画面の方を睨むと、突如電源を消してしまった。
ダ・ヴィンチは少々興味深そうに吉良の様子を観察している。

「なんだい? さっきのニュース。聖杯戦争に関わりある重大な事件じゃないか」

「……どうせ彼女の曲が流れたりするんだろう。嫌いなんだ」

「へえ。アヤ・エイジアの曲が?」

「…………誰にだって好き嫌いはある。私は『嫌い』の側に居るだけだよ」

吉良の言葉は本心だろう。
彼は、誰もが感動する筈のアヤ・エイジアの曲を酷く嫌悪している。本当の意味で。
だからこそ、ダ・ヴィンチは関心を覚えた。
何故ならアヤ・エイジアの歌唱技術もまた『本物』なのだ。故に嫌悪する理由があるとすれば……
恐らく――吉良吉影も『世界でひとりきり』という事。






                   ほむらの時間







見滝原の工業地帯。
新都心にある高層ビル群とは対なす位置にある港側。そこでは輸出入の船が停泊する事が多い。
勿論……密輸船も……
今日、この時間に暴力団関係者が銃火器の取引を行う情報を、暁美ほむらは入手していた。
経緯は――複雑極まりない。
彼女のサーヴァント・セイヴァーから教えられたのである。彼も何故その物騒な情報を『どう』入手したのか。
いいや……セイヴァーに関しては不毛だ。『そういう人間』と接触しただけに過ぎない。

彼は、まるでほむらを弄んでいた。実際に遊んでいるのだ。
聖杯獲得の為に、彼女が一体どれだけ絶望と悪を抱え込んで、行動できるかどうか。
『悪』として、どれほど利用価値があるのか。試している……

(悪い事……普通は『悪い事』…………)

しかし、ほむらはこれっぽっちも罪悪感がなかった。
何故なら、似たような手段で銃火器を収集したり、簡易的な爆弾を自ら作成し、魔女との戦いで使用した。
ほむら自身。魔法少女だが、剣や弓や、そういった攻撃する手段がなく。
盗んだ武器や危険な凶器に魔力を付与し、魔女に攻撃してきた。

だが。
邪悪の化身が試すように――彼の方は「君の力になれば」と協力する姿勢で、銃火器密輸の情報を提供してきた。
ほむらは、現実を突き付けられた気がする。

確かにそうだ。
犯罪組織からとは言え、そこから危険な銃火器を盗み出して。
中学生なのに爆弾を作ったりして………普通は『悪い事』………なのに

でも、そうするしかなかった。今回だって同じ。
……サーヴァントに銃火器程度の威力が通用するのか、分からない。何もしないよりは良い筈。
ほむらは自分自身を必死に言い聞かせ続けていた。
これは決して『悪い事』じゃあない、と。


カシャン。


魔法少女に変身したほむらが持つ盾を操作すると、全世界の時間停止が発生する。
誰も、ほむらの姿も彼女の足音すらも聞こえないまま。
目的地の倉庫へ近づくと、明らかな見張りを行う者たちが点々と隠れ、身を潜めているのが分かる。
しかし。無駄に終わる。
彼女は普通にそれらの脇を通り過ぎて、倉庫への扉に手をかけた。――施錠してある。
次元ポケットになっている盾から廃棄物から拾ったバールを引き出し、思い切り叩き壊す。

扉の先には怪しげな男たちが、木箱を移動させている最中で時が静止していた。
ほむらが、既に置かれた木箱の一つを開けると、一見レトルト食品が山積み状態。
だけど、奥底。
表面上の商品をどけてゆけば―――漆黒の凶器が無数に確認できた。

「……あった」

ハンドガン以外にも、一体何の抗争に使うのか。マシンガンやランチャーまで、種類は様々ある。
恐らく、聖杯戦争で利用する為、あえて派手で常識はずれた武器が用意したのだろう。
主催者側が………
聖杯戦争を仕組んでいる存在。
それは白い獣なのだろうか。結局分からないままだ。
でも、きっとどうでも良い事なんだろう。分からないままで、聖杯戦争を勝ち抜けば。

「驚いた。まさか先客が君だったとは――『暁美ほむら』」

「ッ!?」

背後から聞こえる声に、ほむらは飛び上がりそうになった。
知らぬ声だったからだ。
時の介入をしてくるセイヴァーのものではない。第三の存在。新手の敵の出現に、ほむらも混乱に陥る。
振り返った先に居たのは――シルクハットを被り、マントを翻し、優雅な登場を果たすサーヴァント。
魔術師らしい立ち振る舞いをする彼は……なんと『セイバー』だった。

「セイバー?」

ほむらは素っ頓狂な声をあげてしまう。
そもそも剣なんか持ってないし、剣士っぽくないし。普通だったら『キャスター』のような。
金髪の青年・セイバーが少女の驚きに満足した風に微笑を浮かべた。
彼の表情は、まるでマジシャンが自らのパフォーマンスに観客が驚愕したのを満足した。そういうものである。

「フフ、やはり英霊たるもの最優と謳われる『セイバー』のクラスに成れるものなら成るのが当然さ。
 少々これでも無茶をして霊基を弄り、本来の性能より落ちた部分はない訳ではないけどね」

「え……えっと………」

無茶をすればクラスが変わるのか?
というかクラスは、その気になってしまえば変えられるほどガバガバだったり?
困惑するほむらだったが、彼女は最も重要な事を指摘した。

「ど……どうして『わたしの時間』に入門できるんですか? あなたも時の力を………?」

入門、なんて言いまわしは回りくどい。ほむらに、セイヴァーの口癖がついてしまったのだろう。
ほむらの問いに、慎重なサーヴァントならタネは明かさない。
しかし、自己顕示欲の塊なセイバーに関しては、堂々とトリックを公開する。

「私は『怪盗』だ。怪盗は『どんな場所』であれ必ず宝を盗み出すもの―――
 例えそこが『静止した時間』だったとしても、ね」

「………え、なにそれ」

あまりの事に、ほむらの口調だっておかしくなってしまう。
逆に意味が分からなかった。わけが分からなかった。
ふむ、とセイバーは改めて言う。

「ここは言わば『君が支配した世界』。通常、他の存在が介入するのも困難を極める『領域』だ。
 英霊の宝具で例えれば『固有結界』に近しい。だが、怪盗の私はそこへ『侵入』をする」

「か……怪盗………『侵入』………!?」

入門ではない――『侵入』! 怪盗は、通常の手段で宝を盗まない。
警備の目を掻い潜り、巧妙かつ厳重な場所に宝を盗み出すべく『侵入』をする!!
それこそが『怪盗のセイバー』が持つ――『支配された世界』へ『侵入』する能力!!!



「時の支配をも凌駕する怪盗――我が真名は『シャノワール』!
 たった今、怪盗シャノワールが君の世界に『侵入』したぞ! 暁美ほむら!!」






アラもう聞いた? 誰から聞いた?
幻影の怪盗のそのウワサ

奇想天外な手段であちこちを騒がせて
彼に狙われたら最後、鮮やかに宝を盗み出す正体不明の大怪盗!

どこにだって、どこへだって必ず侵入してみせる
それがスマートな怪盗の信条

何があろうと誰も傷づけない素敵な怪盗だって
見滝原の住人の間ではもっぱらのウワサ

イッツ・ショータイム!






乾いた拍手がゆったりと響き渡る。


静止した『ほむらの時間』に介入が許されるのは、時の力を有した存在のみ。だったが
セイバー……怪盗シャノワールの例外が現れた事に、それは否定せざる負えなくなったのだ。
しかし、基本は変わらない。
シャノワールが規格外であって、本来ならば時の支配を有する者にしか、入門は叶わないのである。

―――拍手の主たる悪の救世主・セイヴァーのような。

倉庫内にある積まれた入れ物で構築された山の頂きより、セイヴァーは彼らを見下す。
ほむらは息を飲む。
シャノワールは、酷く冷淡に、先ほどまでのエンターテイメント溢れる表情は消え失せる。
邪悪な瞳を持つセイヴァーの様子は、愉快そうだった。

「幼稚な異名を持つサーヴァントの実力など、取るに足らないと正直思っていた。
 ……シャノワール。君が彼らに『予告状』を送りつけたのを知り、私の側に引き込もうと待ちかまえていたのだがな」

「成程。マスターの彼女を囮に使った訳か。やはり君とは相いれない」

シャノワールから覆しようのない敵意を確認し、不敵に笑うセイヴァーはナイフを取り出す。
通常、普通の武器はサーヴァントに通用しないのだが。
生前のセイヴァーが口にしない宝具の真名を静かに呟いた。



「『漆黒の頂きに君臨する王(ヴードゥーキングダム)』」



瞬間、ほむらは気付く。
セイヴァーより呪いを帯びた悪が流れ、ナイフの形状が変化する。あれは武器が強化された?
ほむらは確信を得ていた。あれは『魔女』の呪いだ。
セイヴァーは、ほむらのソウルジェムから穢れを吸収し、そして自らの力に変換している!

「ならば一つ試そう。シャノワール! 私の『世界』にも『侵入』してみせろ!!」

人型の精神の具現化・スタンドと称されるセイヴァーの宝具が、彼の傍に現れた途端。
―――『ほむらの時間』は一瞬にして『セイヴァーの世界』に支配された。
塗り替えられた! 圧倒的な力を以てして!!
支配者ではなくなったほむらは、指一本すら動けず、ただ『セイヴァーの世界』だけを認知する傍観者へと変わり果てる。
セイヴァーの支配が強大な状況下で、シャノワールが動く様子はない。

無常にセイヴァーは宝具で強化されたナイフをシャノワールに投擲。
が、待ちかまえていたのだ。
銃の早打ちの如く、シャノワールは水の魔力放出で強化した予告状でナイフを打ち返す。
簡単にやってのけるが、双方のスピードは銃弾並のもの。
人間の動体視力で『銃弾を銃弾で弾く』凄技を会得するのは、ほんの一握りだろう。

そう。『人間』だ。
怪盗シャノワールは英霊であっても『人間』の分類される。
魔族でも神でも異世界の異種族でもなんでもない。人間の身でこの領域に到達している!

それを目にしたセイヴァーは苛立ちや憤りとは違う。
ある種の『歓喜』を胸に、さらにナイフを取り出し『漆黒の頂きに君臨する王』による穢れの付与を行いつつ。
頂きより舞い降り、シャノワールへ接近をする。

「打ち返すか! このDIOの攻撃を。そして『侵入』するか! 『私の世界』に」

「――私は戦いに来たのではない。あくまで『目的』を果たす為だ」

冷静な声色で告げるシャノワールだが、彼の手元にはセイヴァー同様、魔力で強化された予告状が無数にある。
遠距離より無尽蔵に投擲されるセイヴァーのナイフを、急ぎ足の速度で移動しつつも。
シャノワールは再び全てを討ち弾き。
また水の魔力を変換し、凍結を発生させたのだ。
後より撃ち放たれるナイフは、水の含んだ予告状から拡大していく氷の盾に阻まれる。

「『目的』? 君ほどの力を持つ存在が『怪盗』などと低俗な遊びで満足できるのかな」

「私の師匠と同じ事を言うのか。残念だが、私は君のような『悪』を赦す訳にはいかない」

「なら、どうする。殺すか?」

「殺さない。それは怪盗の美学に反する」

許し難い悪を前にしても、シャノワールはしかと美学を貫いた。
誰かはそれを認めず。
誰かはそれを止めろと言い。
誰かはそれを否定し。
悪の救世主は、必ず打ち滅ぼさなければならないと黄金の精神を持つ者が叱咤したとしても。
怪盗は、そんな事をしない。声を大にしてシャノワールは自らの在り方を曲げる事は無いのだろう。

「ほう? 面白い――が、無駄だ」

冷酷にセイヴァーはスタンドの拳で氷の盾を破壊する。……が、その先にシャノワールの姿はなかった。
セイヴァーは、シャノワールを取り逃がした事より。彼が『成し遂げた』事に不愉快な感情を抱く。
救世主は静かに告げた。

「……時は動き出す」

「!」

ほむらが時の再生を感じると共に、放射状になって空中で弾きが静止していたナイフと予告状の衝突音が
歓声のように響き渡り、静止状態にあった犯罪組織の人間も謎の現象に、叫んだ。
耳を塞ぎつつ、ほむらが衝突による衝撃を耐えながら、木箱の中身を確認すると――ない。

「………あっ!?」

銃火器が『ない』。『盗まれた』!
そうだ。ほむらは思い出す。セイヴァーが、シャノワールの『予告状』を知り、ほむらをここまで誘導した。
シャノワールは『何の予告』をしたのか?
今、分かる。
彼はほむらと同じく『銃火器を盗み出す予告』を犯罪組織に出したのだ!
通りで表沙汰に聞こえない『予告』だった訳だ。
だとすれば――全て盗まれてしまっている………ほむらは兎に角、一旦この場から逃げ出すのを優先した。






「シャノワール……非常に惜しい英霊だが、奴の精神は確固たるものだ。始末するしかないな」

セイヴァーが冷酷に下した決断は、無常の象徴だ。
ほむらは何も。彼をどう咎める事もしない。先ほどの交戦で一部崩落の発生している倉庫を横目に

「私が生前、天国への到達が叶わず。ジョースターの血族に敗北したのは
 ―――『信頼できる友と巡り合えなかった』からだろう」

見滝原の夜景をバックに救世主が語った。
ほむらは非常に困惑する。彼は言葉に迷いがない。表情に感情は無く、確証を持っているのは明白だ。
救世主がほむらに振り返り

「君で言う『鹿目まどか』のような存在が」

と続けた。
ほむらは深刻な顔で、眉間にしわを寄せている。彼の主張が腑に落ちない。
生前の彼が如何なる人物か、全貌を把握していないものの。ほむらは純粋かつ単純に反論したかった。

―――貴方に、友達なんて必要なの?

どうせ利用する為だけの存在の筈。

「私の『異なる側面』が天国に到達した記録がある。だが、私の中に詳細な情報が抜け落ちている……
 他にも、私の記憶や情報に幾つかの欠陥が生じている。恐らく『俺』の方のみ開示が赦されるのだろう」

彼は指を額にあて、思考する。
時折、口にされる意味不明な内容に、ほむらは反応しようがなかった。
救世主の言葉を拾うに、彼本来とは別であるかのように振舞っている節があり。
彼自身、個別扱いを主張を前面にしていた。

「『過程』は不明だが、天国に到達した『俺』も敗北に終わったのだ」

故にセイヴァーは結論した。

「再度、天国への到達に関し精査しなければならない」

何か問題がある。
恐らく手順に問題はない。魂の収集方法か。信頼するべき友を間違えたか。
生前、異なる自分自身も見落とした綻びが確かにある筈なのだ。
原因究明を果たし、改善しなければ完全なる天国の到達は望めないまま。再び『失敗』してしまう。

ふと救世主は語るのをやめ、頭上を見上げた。


聞こえる。


彼には耳障りな、時を刻む音が聞こえていた。
シャノワールへの失望とは対なすような不快感を、セイヴァーは顕わにした。


「神が嗤うな」







        ぐる  ぐる  ぐる  ぐる  ぐる  ぐる  ぐる  ぐる








「12時に秒針が揃ったら魔法が解けちまう。まるでシンデレラじゃねえの」

黒の礼服とシルクハットを身に付けた無精髭の悪魔が居た。
悪魔が振り返った先は、マンションの一室で緊張気味で非常に顔の強張った少女が沈黙している。
まるでステージ前で緊張するアイドルみたいに。
否。
少女・島村卯月はアイドルだった。元々本来居るべき世界では。
なんだかんだ、彼女は普通の少女でしかない。途方もないファンタジーの世界に放りこまれた無力な少女。
ニッと意地悪そうに笑い、悪魔は彼女に顔を近付けた。

「うーーーーづきぃチャ~ン!」

「うわああぁぁぁ!?」

卯月は盛大に倒れ込んだ。
これでも聖杯戦争のマスターなのだが、リアクションから発言まで、やっぱり日常が抜け切ってない普通さ。
にやにやする悪魔が、卯月に対して笑いこぼして問う。

「おいおい、そんなんで大丈夫かぁ? 卯月ちゃんよ」

「は、はいぃぃ! 頑張ります!!」

「え? なに頑張るの??」

「と……とにかく頑張ります! 分かってます。私、頑張らなくっちゃいけないんです!!」

彼女だけは知っている。このままでは友人が殺されてしまう。
最悪の未来を。どうにかして回避しなければならない。だから『頑張る』。普通の彼女だからこそ頑張るしかない。
今日までのうのうと、聖杯戦争の開幕を待ちかまえてた訳ではないのだ。
なのに。
卯月は浮かない様子だった。

「一応、色んなウワサを集めてみたはいいんですけど……全然意味が分からないのが多くて」

「アレね。全然ヒントになってないからスルーして問題ないよ?」

「………ええ」

悪魔の呆気羅漢な発言に卯月の力んでいた姿勢が、一気に脱力感へ変貌する。
そうだねぇ。と悪魔が一つ挙げた。

「『天国に至る手順』のウワサってあるだろ?」

「あっ。それ、一番わからなかったんです。アサシンさんには心当たりがあるんですか?」

「んひひ。重要なのは『世界が巡り巡って』の部分だ。いい例えってなんだろーなぁ……
 卯月ちゃん。『タイムラプス』くらい知ってるよな? 静止画つないで動いているようにするの」

「は、はい。知ってます」

「夜空のタイムラプス! ありゃ見方によっちゃ『世界が巡ってる』ように感じねぇか?」

マンションのベランダから望める夜空を指し示す悪魔。
この世界は。この夜空は、きっと島村卯月の居た世界のどこでもない。
恐らく見滝原と呼ばれる町すら、卯月の世界には存在しない。
聖杯戦争の舞台装置として設定されたものばかり、夜空だってそう。何もかも。
悪魔が面白可笑しく、道化のように答えを告げた。

「つまり正解は―――『時の加速』だ。世界の時間をタイムラプスみたいに加速させ巡り巡らせる。
 ってな? 捻くれたヒントだろ、こんなん。要するに、深く考えないでライブ感味わった方がお得よ!」

「は……はぁぁ~………」

卯月は脱帽の溜息をつくしかなかった。
確かに、悪魔の解説がなければ卯月には到達できない真実である。
そもそも『時の加速』なんて物騒な力を持つサーヴァントがいるのすら恐ろしいのに。
ふと、卯月は――もっと前に尋ねるべき事を、今更ながら悪魔に――アサシンに言う。

「あの。アサシンさんの願いって何ですか?」

「……んー?」

挑発的にアゴを上げて見下ろすアサシンに、卯月は慌てて加えた。

「すみませんッ。でもその、私、ずっと落ち込んでばっかりで、肝心な事を全然聞いてないって気付いたんです」

「………」

卯月は記憶を取り戻してからは、引きこもって学校にも行かなかったし。
戦争なんて聞いて、恐怖で心が支配されていた。
だけど――皮肉にもアサシンから渋谷凛の死を教えられ、ようやく自分は立ち上がれたのだと卯月は思っている。
最も、アサシンは卯月を元気づけた訳じゃない。ちょっとした『勘違い』だ。
所謂『勝手に救われてる』。アサシンは、そんな卯月に対し唸って。


「願いねぇ。今は秘密ってことで」


そう不敵に嗤った。






アラもう聞いた? 誰から聞いた?
カラフルマーブルのそのウワサ

この見滝原には素敵で鮮やかな色をした
色んなマーブルがあちこちに散らばってる

そのマーブルが混ざっていくと
とっても楽しい舞台が始まるんだ!

ケタケタと嗤う悪魔がマーブルをかき混ぜてるって
見滝原の住人の間ではもっぱらのウワサ

ぐるぐるぐるぐる






聖杯戦争開始までもう僅かな時間しか残されていない。漆黒の翼を彷彿させる渦と共に出現する悪魔。
彼をアサシンとクラス名で呼ぶのか?
もしくは、独特な笑いで見下すメフィストフェレスか?
あるいは、どこかで呼ばれた名、杳馬か?
どれでもなかった。彼は―――悪魔の皮を被った『神』だった。

広大な見滝原の夜空を望む場所より、その神が上空に手をかざしてみると
夜空を埋め尽くすおぞましい歯車と時を刻む強大な時計が出現する。
それを視認することは、彼以外叶わない。『ある時』の具象化でしかない。
カチカチと一定の速度で刻み続ける『時』に、神は満足げだった。


「本日も時の『速度』に異常なし! 一刻一秒平常運航―――『時の加速』は発生せず!!」


笑う顔は『悪魔』のものではなく『神』の恐ろしさが垣間見えている。


『時の加速』。
時に集いし英霊の中にそれを司るのは、ライダーのエンリコ・プッチである。
彼は世界を一巡させる天国への到達。
『天国への階段(ステアウェイ・トゥ・ヘブン) 』を発動させるようとした。
しかし、彼は「何故か発動できない」と判断した。
それは実際に加速が始まっておらず、世界は巡らず、平常に正常に時を刻み続けていたから。
魔力が足りない。条件が整っていない。他の原因があるのでは? と。


まさか―――時の加速が妨害されているとは、夢にも思わずに。


宇宙規模の加速とはいえ『加速』がいきなりトップスピードで発生しないように。
最高速度状態の『加速』を阻止しているのでなく。
『加速』にブーストがかかる手前で妨害を加えているので、魔力の負荷も大したものじゃなかった。

「世界を加速させて『自分勝手に』ぐるぐる巡り巡って、舞台を強制的に終わらせる?
 ハッ、つまらんね! 理不尽な打ち切りエンドは誰も望んじゃいねぇ。
 まあアイツも重要な役者だから退場させる訳にもいかないんだよなぁ~」

手元に無数の球状ヴィジョンを通し、聖杯戦争のマーブル模様を産み出す色彩たちを眺め。
深くシルクハットを被りながら神は宣言した。

「つまらん結末には『俺がさせねぇよ』。安心しな! 出演者諸君!!」

と、神らしさはここまで。
陽気に満面の笑みを楽しげに浮かべてメフィストフェレスの杳馬は告げた。


「それでは間もなく聖杯戦争開幕! 張り切って頑張りましょう!!」





ライダー(エンリコ・プッチ)の『天国への階段』は
アサシン(杳馬)の『時よ止まれ、お前は美しい』により発動が妨害されています。
アサシン(杳馬)が妨害を解除、もしくはアサシン(杳馬)の消滅により『天国への階段』は再開します。





【???】


「さて……いま教えてあげられる情報は、このくらいかなぁ」

青色の室内で金髪の少年が不敵な微笑を浮かべた。
彼は『情報屋』だ。
この聖杯戦争において必要な情報を提供する、ゲームにおいてヒント役のような存在。
最も。
今回に関して、彼は中立ではない。
彼もまた聖杯を求めんが為に召喚された英霊の一つなのだ。
ルーラーではない。彼もまた、彼のマスターが為に力を振るわんとするサーヴァントの一騎。

「そうだなぁ。じゃあもう一つ話をしようか。ある『女の子』の話を」

一人の少女がいた。
不思議の国に迷い込んだ少女と、そんな少女の側面を形取った鏡合わせの英霊。
鏡合わせの英霊は少女との絆の力で、少女の姿を保ち続ける事が叶った。
果たして時空を超えた奇跡は、本当に奇跡なのか。あるいは『呪い』なのか。
答えは、誰にも分からない。

「僕と『彼女』は別なんだ。まあ、別にならなければ、僕は僕として召喚されていないんだけど」

嗚呼。情報屋は物のついでのように加えた。

「僕の場合はどうかって? それは分からないなぁ……まだ、ね。この先、どんなエンドロールを迎えるか次第さ」


「もし……僕が『僕』で在り続けたい。そう願うような絆があれば、僕は『僕』として誰かに召喚されるかもね」


「それじゃあ、最後のウワサで終わりにしようか」




アラもう聞いた? 誰から聞いた?
永遠に続くエンドロールのそのウワサ

誰にも邪魔されずに平和で優しく愛おしい世界
誰かが望んだ永遠の世界

あなたがそこに迷い込めば――――………


あれ? 忘れちゃったかな? こう言うのさ。


『哀れで悲しいトミーサム、色々ここまで御苦労様。でも冒険はお終いだ』


『だってもうじき夢の中。夜の帳は落ち切った。キミの首もポトンと落ちる』


『さあ――嘘みたいに殺してあげる。ページを閉じて、さようなら!』









     これは魔法少女の物語でも、善悪の物語でも、人間賛歌の物語でもない。


     この世界でありふれた、決して特別なんかじゃない。至って普通の――『救済』の物語だ。
最終更新:2018年07月13日 23:17