寒く長い冬がようやく終わりの兆しを見せ始めた頃だった。
春の陽射しが雪解け水を煌めかせ、まだ幼い葉を伝ってしめった地面にぽたりと落ちる。
その暖かな様子に惹かれて、男は防寒具を着けずに外にでた。


「寒っ」


そういう男の口から白い吐息が漏れた。春が近づいてるとはいえ、まだまだ朝は冷え込む。
それでも外で済ます用事は少ないので、男は己の身体を抱きすくめながら足早に家の裏へ回る。
裏の小屋に入り、隅に置いてある樽を開ける。そこには赤く漬けてある白菜の漬け物があった。
その中に人差し指を入れてから口に運ぶ。


「・・・いいかな」


口に広がる唐辛子の辛みと発酵した仄かな酸味。味を確かめてから必要な分だけ樽から漬け物を皿にとった。それから持てるだけの薪を抱えて小屋を後にする。
だんだん寒さで震えてきた身体で走り、暖を求めて急いで家に戻った。
外気に冷やされた肌がじんわりと暖まっていくのを感じながら・・・。


「きちょーっ!」

「おおおぉっ!?」


男・・・希鳥は扉を潜った瞬間襲ってきた衝撃に何とか踏みとどまった。衝撃は栗色の癖毛の少女が彼に飛びついてきたものだった。彼が外出している僅かの間に入ってきたのだろう。その少女の名前はユキという。


「希鳥!おはよ!」

「む、むぅ、おはよう」


どうしてここにいるのか、とか理由を聞こうとしたら先に無邪気な笑顔で挨拶をされてしまったので、ついそれに答えてしまう。そんな自分に苦笑してからその事を問うた。


「どうした?」

「あのね!ティマフったら酷いんだよ!一緒の布団で寝てたらお腹蹴られるわのし掛かられるわで眠れなくてさー」


――朝からそんなくだらないことで喧嘩するのも何だと思うけどね。しかもなんだかんだで結局ちゃんと睡眠取れてたし。


と、第三者の声が聞こえた。ユカリスだ。テーブルの上に丁寧にお座りしている人形から聞こえた声だった。
うるさいなー、とユカリスに口を尖らせるユキの頭を撫でていると、ユキの腹が鳴った。
そうして数秒間無言が続き、ユキが恥ずかしそうに耳まで真っ赤にさせて俯くのをみて、希鳥は軽く噴き出した。


「朝ご飯準備するから、その辺でくつろいでてよ」


そうしてユキから離れて、希鳥は狭いキッチンへと向かった。本棚から適当に本を取って人形・・・ユカリスの近くに座ってくつろぐユキを見ながら、希鳥は昨日の残り物の鍋を火にかけた。汁物のかわりだ。
それを弱火で温めている間に長葱と卵と塩漬けした魚の切り身を取り出す。


「なんか手伝うことない?」


そうしてまな板と包丁を取り出したところで、ユキが声をかけてきた。上がり込んできたのは自分なのに、何もしないのは申し訳ないと思ったのだろう。この子はそういう優しい子だと希鳥は知っている。
だから何かを手伝わせてやろうかと思ったその時。


「グッモーニン歌姫(ディーヴァ)!!」

「テメェ朝から油断にゃらんヤツだにゃ!!」


大きな音を立ててドアが開くと、外で小鳥たちが驚いて飛び立った。
同じように驚いた希鳥とユキが玄関に眼を向けると、狩りをするような猫の目をしたマリヴィンと、猫の尻尾と耳をぶわぶわと逆立ててるナームが睨みあっていた。
朝からもてもてだね、というユカリスの言葉を聞き流して、希鳥は困ったように2匹の猫を見るが、彼には今にも喧嘩を始めそうな二人を止める術も力もない。というか二人ともひっかき傷や泥がついていたので、もうここにくる間までにかなり取っ組み合いしてたんじゃなかろうか。
しかしそう考えてもいられないが、前述したように二人を止める術がないのでこう考えることしかできなかった。
助けを求めようとユキを見ると、彼女はため息をついてから、ユカリスの名を呼んだ。
数秒して人形の方からも同じ様なため息が聞こえてきた。そして。


――あんまり騒ぐと希鳥が迷惑だから、二人のこと嫌いになるって。


なんとも希鳥が反応に困るような一声で、その場は驚くほど簡単に収束してしまった。







それから結局2匹の猫をユキとユカリスにまかせて、泥だらけになったところを掃除してもらうことにした。結局一人で四人分の朝食を準備するはめになった希鳥である。と言っても面倒はことは全くなく、食器が足りなくならないだろうかと少し心配する程度だった。


「若妻・・・」

「エプロン・・・」


よだれを啜る音とともにそんな呟きが聞こえたが希鳥はスルーすることにした。思えば彼ら始めとする面々に出会ってからスルースキルがかなり培われたと思う。
そうして少しばたばたしながらも掃除が終わった頃には、狭いテーブルの上に所狭しと四人分の朝食が出来上がっていた。
味噌と豆乳で作った鍋の汁物、焼きたての塩鮭、卵焼き、それに白菜キムチと山菜のナムル、前もって作っておいていたほうれん草とハムの和え物にカボチャの煮物、炊き立ての白米。
希鳥の故郷であるセヲの食事は、一品一品が少量だが品目が多いのが普通だ。それ故何品目かは前もって作り置きしてあるものが多い。従って今日希鳥が作ったのは卵焼きと塩鮭ぐらいなものだったが。


「すごーい!いっぱーい!」

「いー匂いです・・・」

「マジうちが作るのと大違いなんだけど裏山!」

「い、いや・・・そんなたいしたものじゃ・・・」


ここまではしゃがれると恐縮してしまう。軽く炙った海苔をテーブルの中心に置いて、箸や飲み水をそれぞれに渡してから自分も席についた。
誰が仕切るでもなく、一行は同時に食への感謝の言葉六文字を口にすると、希鳥を除いた三人はさも美味しそうに湯気をたてるそれにがっついた。
その様子に希鳥は少し呆けてから、くすりと笑みを零し、それを見守る。
朝にしては少し五月蠅いかもしれないが、まるで春がこの家に訪れたかのような暖かさを、希鳥は感じていた。


――マリヴィンって敵なんだけどね。


一人冷静なユカリスのその呟きは、賑やかな朝食の時間に溶けていった。



最終更新:2012年03月27日 20:14