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  • 神聖ゲルマニア連合帝國近代史

箱庭外交戦略

神聖ゲルマニア連合帝國近代史

最終更新:2007年09月28日 04:47

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歴史


此処では簡略近代史,即ちゲルマニア朝の成立から現代までを扱う.※注:この歴史は客観的視点に基づいて書かれています.帝國の国定教科書の内容とは大きく異なりますのでご了承下さい.

第一章「ゲルマニア朝の成立」
ゲルマニア朝の成立は,第三代ドイツ皇帝のヴィルヘルムⅡ世陛下によって行なわれた.成立の目的として諸説が存在するが,一番有力視されているのが,ドイツからポーランド,チェコ,ハンガリー,ルーマニアなどの領有を完全に正当化する事が目的だったという「領土拡大説」である.其れの根拠は,成立以前までは※1控えめだった海外進出が,ゲルマニア朝の成立以降から格段に増えている事が挙げられる.ヴィルヘルムⅡ世陛下は,ゲルマニア朝成立時において,ドイツ帝國の皇帝の時と同様な「Ⅱ世」と名乗った.通常では新たに王朝などを起こした者は,初代建国者という意味を込めて「Ⅰ世」と名乗る.しかし,ヴィルヘルムⅡ世陛下は,祖父であるドイツ初代皇帝のヴィルヘルムⅠ世陛下の事を畏敬と呼べる程までに尊敬していた.その様な事から※2「Ⅱ世」と名乗り続けた様である.次期皇帝からは此れに習い,Ⅲ世,Ⅳ世と名を受け継いでいる.但し,ヴィルヘルムⅡ世陛下は,ゲルマニア朝の成立に伴い,ドイツ帝國とは異なった暦の※3「帝國歴」を設定するなど,国家として一線をしいた事もしている.


  • 初代ゲルマニア皇帝ヴィルヘルムⅡ世

※1
あくまでも帝國の歴史上で控えめだったと言う意味.世界史を客観的に見ての控えめと言う意味ではない.
※2
この事から実質的なゲルマニア朝の初代皇帝は,ヴィルヘルムⅡ世陛下ではなく,ヴィルヘルムⅠ世陛下とする説が存在する.その説でいくと現皇帝であるヴィルヘルムⅥ世陛下は,第七代目ゲルマニア朝皇帝と言う事になる.帝室では,現在は初代皇帝はヴィルヘルムⅡ世陛下とする説を取っている.学説では,ほぼ二分されている.
※3
帝國歴は,初代皇帝はヴィルヘルムⅠ世陛下ではないとする説の根拠として挙げられる.但し,ゲルマニア朝の成立以降においても,ライヒュン歴やセルザス歴などの皇帝の変化によって暦が変わる事から,根拠としては成り立たないとする指摘もある.また,こういった近代暦の他にも皇歴と言うものが存在するが,歴史的理由から年数を判断するのは難しいとしてあまり使用されていない.ちなみに皇歴を使用すると現在は2720年.

第二章「海外進出」
初代ゲルマニア皇帝のヴィルヘルムⅡ世陛下は,海外進出に反対的立場を取ってきたビスマルク首相を辞任させ,親政的な政治を行なう為にレオ・フォン・カプリヴィ海軍元帥を新たに首相として任命する.同時にフランスやハンガリー,ルーマニア,※4北アラヴィアに対しても軍を進め,併合政策を推し進める.此れによって,帝國の領土は大幅に拡大され,国際的威信や地位が格段に上昇した.領土の拡大によって,併合先の属州民や植民州民という安価な労働力が帝國に流入し,帝國の経済は,旧帝國時代における「黄金期」と言われるほどの潤いを見せた.しかし,属州や植民州における※5強硬的な同化政策は,現地民や国際社会からの強い反発を招き,反帝國の息吹を強める原因にもなった.また,この頃に条約を基とする陣営と言う概念が芽生え,※6世界は巨大陣営同士による冷戦時代に突入していった.

  • 当時の欧州での領土(ルーマニアは,未だ占領扱いだった)

※4
帝國は,サウジアラヴィア王国の崩壊に伴い,北アラヴィアに「自由アラヴィア師団」と言う義勇軍を派遣した.自由アラヴィア師団は,南アラヴィア連合共和国軍(後のアラヴィア同盟共和国)と交戦しつつ,北アラヴィア一帯を占領し,本国の命令に従って親ゲルマニア的王朝だったハーシム家を擁立した.停戦後には,アブドッラービンフセインを初代国王とする北アラヴィア・ハーシム王国が建国された.ヴィルヘルムⅡ世皇帝陛下は,アブドッラービンフセイン国王の第一皇女であるハヤ王女とご子息である第二皇子のアイテル・フリードリヒ皇子殿下を政略結婚させた.此れによって実質的に北アラヴィアはゲルマニア朝の支配下に置かれる事と成った.北アラヴィア・ハーシム王国は,戦後に北アラヴィア王国として,アラヴィア同盟共和国に吸収されたが,アイテル・フリードリヒ皇子殿下の一族は,同盟共和国政府に立太子と名誉知事の地位を与えられ,現在に亘って北アラヴィアに,王族として残存している.

  • 北アラヴィア・ハーシム王国の領土

※5
強硬な同化政策の一例として,ルーマニア人奴隷の売買が挙げられる.当時の帝國憲法では,敵国民に対する基本的人権は保障されておらず,人身売買が合法であった.このような奴隷売買や強制移住によって,現地民の出生率は著しく下がっていった.逆に移住してきたゲルマニア人の出生率は,政府の支援もあって右肩上がりだった.
※6
当時の主な陣営として,ベルリン条約機構やAOF(大西洋連邦),大洋共栄圏機構などが発足していた.

第三章「旧帝國の衰退」
一連の軍事行動によって帝國は潤った反面,内外に敵を多く作っていった.政府内においても慢心的な意見が増え,帝國の並外れた威信と,強大な軍事力のみを頼りとする強圧的で単純な外交政策が進められていった.内部においては,属州や植民州などの現地民による独立運動に悩まされた.デンマーク属州やアイスランド属州では,自爆テロや要人暗殺が立て続けに起るなど,治安が非常に不安定なものとなっていった.外部においては,スイス,エンパイア国,インド帝國,ガストラ連合帝國を初めとする新興勢力との※7対立が年々激しさを増していった.政府は,此れに対応する手段として,相手を萎縮させる為に軍事演習を繰り返したが,あまり効果はなく,逆に対立陣営の恨みや怒りを買い,敵の結束を深める結果になってしまった.この頃の帝國内部においては,完全に※8大ゲルマニア主義が蔓延し,柔軟で臨機応変的な対応が取れなくなってしまっていた.自らの強大な軍事力と工業力に酔いしれ,絶大な威信に慢心してしまっていたのである.崩壊の足跡は直ぐ其処まで迫っていた.

※7
スイス軍のイタリア進駐問題や,インド帝國やザンジバル公国と争ったモルティヴ諸島領有問題などがある.代理戦争の模様を見せた対立はアンゴラ内戦.政府軍を我が帝國が支援し,反政府軍をインド帝國が支援した.

  • アンゴラ内戦の戦況図

※8
大ゲルマニア主義とは,世界の中心地はゲルマニアであり,ゲルマニア民族こそが世界を先導する為に選ばれた人種であり,帝國に組しない国家は,文明国家ではないとする極右的な思想の事である.現在でも受け継がれているが,国益最優先主義が台等している為に表立って見えていない.

第四章「世界大戦と旧帝國の崩壊」
帝國は完全なる慢心の基に全ての作業を怠っていた.中央情報局によって,※9敵の一斉蜂起が近いという情報を入手したのにも関わらず,其れについて真剣に検討しようとしなかった.唯一,当時の国防大臣であったパウル・フォン・ヒンデンブルグ陸軍元帥だけが,※10「世界大戦近し」と訴え続けていたが,誰も取り合おうとしなかった.帝國は慢心という病魔に侵され,既に身動きが取れない状態だったのである.大戦勃発の一年前に漸くヒンデンブルグ国防大臣の訴えが聞き入れられたが,そう全ては,もう何もかも遅かったのである.帝國歴××年,世界暦××××年,×月×日,敵ロンギヌス陣営は,一斉に我が帝國に対して宣戦を布告した.遂に※11世界大戦が勃発したのである.敵陣営は20ヶ国以上,対する帝國陣営は7ヶ国程度.同盟国であるグリーク・トルメキア王国は敵との単独講和を行い,中立姿勢の構えに出たが,講和反対派によるクーデターによって国家崩壊,当時のもう一つの同盟国であった大アメリカ統一帝國は,※12裏切りによって中立姿勢を貫いた.準備不足で兵力不足の帝國陣営に対し,敵陣営は充分な準備と豊富な兵力,最早戦いは始まる前から決まっていた.我が帝國は,中央情報局特別執行部による活躍で,スイス政府に対して※13揺さぶる事が出来たが,成功には至らず参戦の姿勢を崩す事は出来なかった.この戦いの中盤,敵ロンギヌス陣営軍の爆撃機による攻撃で,※14ヴィルヘルムⅡ世皇帝陛下が負傷した.後に傷が元で崩御された.「皇帝陛下崩御」この報は,帝國各地に瞬く間に広まった.この報により戦意が著しく低下した帝國軍は,各戦線で次々に撃破され,敵の本国侵入を許してしまった.ヴィルヘルムⅡ世皇帝陛下崩御後,すぐさまフリードリッヒ・ヴィルヘルム皇太子殿下がヴィルヘルムⅢ世として皇帝に即位したが,親政的な政治を支持していた※15カプリヴィ首相も,敵の精密ミサイル攻撃によって死亡し,実権は既に,軍部の支持を集めていたヒンデンブルグ国防大臣が実質握っていた.ヒンデンブルグ国防大臣は,臨時首相を兼任し,これ以上の交戦は不可能と判断,亡命を決意する.※16残存する兵力を全て国外に脱出させ,ヴィルヘルムⅢ世皇帝陛下と皇族と共に,友好国で中立を維持していたカルタゴ及び北アフリカ統一連邦国へ亡命した.此れによって,長らく繁栄していた旧帝國時代におけるゲルマニア朝の世界支配は幕を閉じた.

  • 大祖国防衛戦争勃発時の欧州

※9
中央情報局が敵性国家に潜入させた工作員からの情報によって,一斉蜂起が近いと判明した.政府はこの報告を受けたが対策を取ろうとしなかった.
※10
「世界大戦近し」と国防会議にて発言したが,カプリヴィ首相の否定によって有耶無耶になった.
※11
帝國の呼び名は大祖国防衛戦争.世界的な呼び名は第一次世界大戦.
※12
米帝情報部の誤りで,ロンギヌス陣営宛に送った電子文が我が帝國の情報部に送られた.此れがきっかけで米帝には重要な情報は一切送らなくなったが,裏切りと考えるのは早しと考えた政府が真剣な対策を練らなかった.
※13
敵スイス軍の過度的な速度の戦線の拡大によって,スイス側の戦線に薄い部分が出てきた.政府は,スイス政府の中立を条件に其処を攻撃しないという交渉を行ったが,交渉が成立する前に帝國は崩壊した.
※14
爆撃による負傷ではなく,軍部の過激派による犯行によって負傷したと言う「軍部犯行説」が存在する.
※15
通説ではカプリヴィ首相は,敵の精密ミサイル攻撃によって死亡した事になっているが,近年ではヒンデンブルグ国防大臣による暗殺説が有力になっている.
※16
帝國の残存部隊は,中立国もしくは他国の主権の及ばぬ空白地域に脱出した.

第五章「共和国の樹立」
帝國の崩壊から5年後,帝國の残党勢力は祖国解放軍を組織して,エンパイア国支配下の祖国を解放すべく,遂に反抗作戦を開始した.奇襲攻撃が功を制し,祖国解放軍は瞬く間に帝都ベルリンを含めた西ゲルマニアの大半の解放に成功した.ヴィルヘルムⅢ世皇帝陛下とヒンデンブルグ臨時首相兼国防大臣は,反抗作戦を指揮すべく,帝都ベルリンへ向かった.だが此処で思わぬ事件がおきる.ヒンデンブルグ臨時首相兼国防大臣が,※17突如ヴィルヘルムⅢ世皇帝陛下を拘束し,帝政の廃止と大ゲルマニア連邦共和国の建国,その最高権力者としての大総統への就任を宣言したのだ.ヴィルヘルムⅢ世皇帝陛下は一部の共を連れ,再びカルタゴへ亡命,ヒンデンブルグ大総統は,西ゲルマニアで勢力を伸ばしていた※18社会党と手を組んだ.共和国は,残る東ゲルマニアを解放する為に老若男女問わず兵士を徴収し,猛突撃を繰り返した.しかし,対するエンパイア国軍も果敢に交戦し,戦線は次第に停滞していった.戦線が停滞すると,共和国は資源不足に悩まされる事になった.ヒンデンブルグ大総統は,資源不足を解決する為に隣国の大ウクライナと同盟を締結し,予備兵力を投入して北欧方面とトルコ方面への共同進撃を開始した.だが,共和国の国土は殆ど焦土と化しており,度重なる連戦に国民と兵士は疲れ果てていた.このような状況下では長期に亘る軍事行動は不可能であり,共和国軍は,各戦線で停滞状態に陥ってしまった.

  • 大ゲルマニア連邦共和国の領土と進撃図
※17
クーデター.皇帝陛下及び皇族一族は国外追放とされた.
※18
ゲルマニア社会党.社会主義化を目指す政党.当時社会党は,労働者階級を中心に根強く支持されていた.よって,国政をスムーズに行なうには社会党と手を組む必要性があった.

第六章「大総統独裁」
共和国軍は,進撃が停滞したものの,必要最低限の資源の獲得には成功した.※19皮肉にも戦線が停滞しているお陰で,悪戯に国力を消失する事がなくなり,占領地からの資源の供給もあって,次第に国力が回復していった.国力の回復によって,一時的ではあるが共和国は政治的,経済的,治安的に安定した.全てが安定した事によって,共和国内部の地盤を固める余裕が出来たヒンデンブルグ大総統は,社会党の一掃を決意する.※20社会党が議席の過半数を占めていた連邦議会を停止し,社会党本部を軍の特殊部隊によって制圧,即日に社会主義系政党の非合法化と,※21戒厳令の発令を宣言した.この瞬間から,ヒンデンブルグ大総統による軍部独裁体制が成立したのである.ヒンデンブルグ大総統は,社会主義勢力を共和国の中枢から排除した後,自らの側近や軍部出身者で政府を構築した.国防大臣と財務大臣には,旧帝國時代からの盟友であったエーリッヒ・ルーデンドルフ陸軍元帥とヴィルヘルム・シュマイザー陸軍主計中将を,内務大臣には息子であるオスカー・フォン・ヒンデンブルク陸軍中将を就任させた.この体制は旧帝國時代のゲルマニア朝を比喩して,ヒンデンブルグ王朝と呼ばれた.

※19
この時期は<静かなる戦争>と呼ばれている.均衡した状態が続き,双方共に容易には手が出せない状況であった.皮肉にも此れが休憩期間となり,ヒンデンブルグ大総統に共和国を再編する時間を与えた.
※20
社会党幹部の多くは逮捕され,後に国家反逆罪で絞首刑にされた.
※21
戒厳令の発令に反対する国民と,軍部の間で流血事件が数十件起きた.これ等の一連の流血事件を<流血のクリスマス事件>と呼ぶ.

  • 戒厳令発令時のベルリン


第七章「共和国の反抗」
ヒンデンブルグ大総統が共和国での独裁体制を確立し,国力の増強を図っていた頃,東南アジアで着々と勢力を伸ばしつつあったエレミア共和国連邦から,「打倒印帝」の助力を願う旨の特使が,共和国政府に派遣されてきた.インド帝國は前大戦においての旧敵国であり,ヒンデンブルグ大総統としても,ゲルマニア民族の復活の為には,報復攻撃が必要と考えていた.共和国政府は,エレミア政府に対して「了承,共に剣を抜かん.我,西から行かん.貴国は東から参られよ.」と打電し,インド討伐に参加する旨を明らかにした.ヒンデンブルグ大総統は,すぐさま全世界に共和国軍に合流するよう激を飛ばした.旧友邦国は此れに応じ,続々と共和国に軍団が集結した.しかし,此処で一つのハプニングが発生する.共和国軍参謀本部の当初の計画では,※22完全なる奇襲攻撃による電撃作戦によって,敵国土を破壊するといったものであったが,※23エレミア外交部のミスによって,情報が漏洩し,敵方に攻撃計画が悟られてしまったのだ.共和国軍参謀本部は急遽作戦の早期開始をヒンデンブルグ大総統に提言し,ヒンデンブルグ大総統は此れを了承し,作戦の開始を全軍に通達した.共和国暦××年,世界暦××××年,×月×日,第二次世界大戦が勃発した.なお,戦争を円滑に進める為にエンパイア国とは一時的に休戦協定を締結した.共和国軍を主力とした第一次攻撃部隊は,またも敵方の陣営についた前世界大戦時からの旧敵バローダ社会主義共和国に対して,空軍と戦略ミサイル軍を主体とした電撃作戦を敢行,※24わずか3日でバローダの全国土制圧に成功する.共和国軍は,バローダ制圧後,インド戦線に転戦し,主要都市の爆撃を開始する.※25ルクセンジオ・グラフス陸軍中将を司令官とするインド西方攻略軍が,1週間でカルカッタを占領するなど,共和国軍は各戦線で快進撃を続けた.友邦軍も各戦線で敵方の軍勢を撃破し,全体的に我が方は優勢であった.共和国暦××年,世界暦××××年,×月×日,インド帝國を主力とする敵方の軍勢を全て撃破し,我が共和国は戦争に勝利した.

  • 第二次世界大戦インド戦線図

※22
我が共和国と前世界大戦時の旧敵国とは,国際法上の交戦状態にあり,宣戦布告の必要がなかった.
※23
エレミア外交部は不必要に援軍派遣を各国へ要請した.エレミア外交部が援軍派遣を要請した国家の中には敵方へ通じる国家が多数存在した.
※24
最初の空爆でバローダ首都機能を完全に麻痺させた.共和国空軍の優秀性を世界に知らしめた瞬間だった.
※25
ドンオーク軍統共和国の建国の父.ゲルマニア人で大祖国防衛戦争,大祖国報復戦争の両方に参加していた.

第八章「共和国の消滅の序章」
対印戦争に勝利した共和国は,※26東インドを共和国政府直轄の植民地としておいた.西インドの獲得もあって,この次期の共和国の経済状況は,旧帝國時代を思い出させる程の右肩上がりだった.しかし,この好景気を他所に,国際社会は非常に殺伐とした空気に包まれていた.我が共和国側について参戦したユーゴスラヴィア連邦共和国が,※27国際法に違反する攻撃を行なったと,インド亡命政府代表者が国連に訴え出たのだ.其れを材料に先の大戦で敗戦した国々は「先の戦争は国際法に違反する攻撃が行なわれた不当なものであり,共和国陣営側は即時に我らに謝罪及び賠償を行なわなければ成らない.」と主張し,戦後処理を戦前の状態に戻すようにと要求し始めた.これ等の一連の訴えには確固たる証拠が存在せず,当然国連は訴えを退けたが,共和国の政権奪取を狙う社会党は,此れを武器にプロパガンダ攻勢へと打って出てた.連日連夜に亘って非合法に大総統批判と政府批判を行い,共和国を不安定な状況に追い遣ろうとした.資本家に支配され,苦しい生活を強いられていた労働者階級は,このプロパガンダを真に受け,憎しみの対象を大総統と政府に向け社会党を支持し始めた.裕福層の中には,皇帝を追放したヒンデンブルグ大総統に不信感を抱くものも存在し,イデオロギーによる対立を無視して社会党を支援する者もいた.共和国歴××年,世界暦××××年,×月×日にはベルリンで大規模な労働者階級を中心とした暴動が発生し,一時的にベルリンは無秩序な状況に陥った.ヒンデンブルグ大総統は此れを鎮圧する為に※28空軍による爆撃を行なうなどの強硬手段に打って出た.共和国の消滅の序章が始まったのである.

※26
東インド植民地は,帝國から見ての東,つまり現在のインド領域の西側に存在した.領域は現在のインドの西側,パキスタン,アフガンのほぼ全域に相当する.

  • ゲルマニア領 東インドの領域図

※27
宣戦布告が国際法の戦争規定に沿うものではないと敗戦国は提訴した.証拠不十分で推定無罪となった.
※28
爆撃機によるピンポイント爆撃を行なった.此れによって労働者の怒りは頂点に達し,更なる暴動を招く事になる

第九章「共和国の崩壊」
共和国は,度重なる暴動によって満身創痍の状態に陥った.此れによって,主な支持基盤だった軍部内でも,ヒンデンブルグ大総統の統治能力を疑念視する声が増えた.※29旧帝國時代からヒンデンブルグ大総統とライバル関係にあったルーデンドルフ陸軍元帥兼国防大臣は,此れを好機にと反ヒンデンブルグ派を吸収して独自の派閥を形成した.軍部内がヒンデンブルグ派とルーデンドルフ派に分かれた共和国は,労働者階級による暴動の他にも,軍部同士による内乱の危険性も抱える事になった.ヒンデンブルグ大総統は,ルーデンドルフ派の規模が大きい為に,迂闊にルーデンドルフ陸軍元帥兼国防大臣の罷免を行なう事が出来きず,緊張関係はなくなる気配を見せなかった.共和国歴××年,世界暦××××年,×月×日,※30大総統府にて爆破事件が発生,ヒンデンブルグ大総統はルーデンドルフ派による犯行と発表,一気にヒンデンブルグ派とルーデンドルフ派の対立が激化し,遂に軍部同士による内乱が勃発した.此れに政権奪取を狙う社会党が乱入し,※31共和国内は三つ巴の状態になった.内乱は一向に鎮まりを見せず,戦闘は熾烈を極め,共和国領内は荒れに荒れた.翌年××月××日,ヒンデンブルグ大総統は,ルーデンドルフ派の仕掛けた時限爆弾によって爆死,同年××月××日にはルーデンドルフ陸軍元帥兼国防大臣が,ヒンデンブルグ派の報復攻撃によって死亡した.二つの陣営の指導者が死亡した為,社会党陣営が一気に勢力を強める.ヒンデンブルグ大総統の死後,息子のオスカー・フォン・ヒンデンブルグ陸軍中将が臨時大総統として就任したが,※32社会党陣営の勢いを止められず,海外亡命を発表する.此れによって内乱は終結し,社会党が共和国を事実上支配するが,※33エンパイア国の休戦協定の破棄による侵攻によって,再び西ゲルマニアはエンパイア国の支配勢力化に置かれる事になった.

  • 内乱によって首都ベルリンが廃墟に

※29
ルーデンドルフは,旧帝國時代には陸軍上級大将と軍需大臣を兼任していた.共和国設立の際には,ヒンデンブルグと指導者の座を争ったが敗北,軍部に多少影響力を保持していた為に粛清される事なく国防大臣のスポットを手にする.
※30
ヒンデンブルグ大総統はルーデンドルフ派によるものと断定したが,爆弾がお粗末なものであった事から社会党による犯行ではないかとの説がある.
※31
この三つ巴の時代を,東ゲルマニアを実行支配していた東ゲルマニアも加えて<ゲルマニア四国時代>と呼ぶ.
※32
このとき社会党は,西ゲルマニアの大半を勢力化においていた.
※33
此れによって再び西ゲルマニアもエンパイア国の実行支配下に.ゲルマニア民族の苦難の日々は続く.

第十章「ヴィルヘルムⅣ世皇帝陛下のノイ・ゲルマニア(南極)集結大号令」
共和国が内乱によって崩壊し,西ゲルマニアが再びエンパイア国によって占領された頃,ヴィルヘルムⅣ世皇帝陛下と其の臣下達は,ノイ・ゲルマニア(南極)にいた.彼らは,世界中に散らばっている神帝軍を再編成し,祖国を奪還する為に世界を放浪していたのだ.ノイ・ゲルマニアには,ヴィルヘルムⅣ世皇帝陛下の※34ノイ・ゲルマニア集結大号令によって,ゲルマニア大陸(欧州)に展開していた神帝軍の残存勢力である大陸混成軍団,アジアの満州に駐屯していた第一極東方面軍,琉球諸島と台湾,香港に駐屯した第二極東方面軍,※35大中華帝國に駐留していた中華駐留軍,ビスマルク植民州を母港としていた第一東ゲルマニア大海艦隊,紅共和国に駐留していた紅駐留軍と第二東ゲルマニア大海艦隊,旧北アラヴィア・ハーシム王国から北アラヴィア駐留軍,※36旧ラプラタ連合帝國からラプラタ駐留軍,※37旧ヴィルヘルム・カレリア帝國に駐留していたカレリア駐留軍が,集結していた.主戦場で戦った大陸混成軍団を除き,他に散らばっていた神帝軍は,ほぼ無傷に近い状態だった.また,共和国の成立の際に半分の兵士達が共和国へ亘っていたが,其れでも充分に戦えるだけの兵力を有していた.戦意は高く,兵士達は皆祖国奪還へ向け意気込んでいた.そう,彼らは,再び全世界に戦いを挑み,聖なる黒十字と大いなる鷲の御旗を蘇らせようとしていたのである.
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