コンクラーベ

登録日:2025/05/07 Wed 23:30:00
更新日:2025/05/09 Fri 08:39:03NEW!
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62 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:2013/03/14(木) 11:21:17.96 ID:UISpRzqq

 オカン「ローマのダライ・ラマを選ぶコンクラベーションってどうなった?」
 いろいろ間違ってる。




Conclave(コンクラーベ)とは、キリスト教カトリック教会の最高位聖職者である教皇を選出する選挙のことである。
ルビは「コンクラーヴェ」と振られることもあり、日本語訳する場合は「教皇選挙」「法王選挙」などとなる。



【概要】

ローマ教皇の死後もしくは辞任後に行われる選挙で、選挙権を有するのは80歳未満の枢機卿。
枢機卿とはカトリック教会における教皇の最高顧問であり、2025年現在は世界で135人おり、その中には日本人も2人いたりする。
会場はヴァチカンの使徒宮殿内にあるシスティーナ礼拝堂(ミケランジェロの「最後の審判」が描かれたことでも有名)。

「コンクラーベ」という語は、ラテン語の「クム」(「共に、一緒に」の意味)と、「クラービス」(「鍵」の意味)が合わさった語。
そのため、直訳すれば「鍵とともに」のような意味になる。

その名の通り、密室で行われる秘密選挙であることが一番の特徴。
他国の干渉やリークを防ぐため、選挙期間中、外部との連絡は徹底的に遮断され、外界とは隔絶される。
当然、携帯電話やパソコンの使用なんてもっての外。
コンクラーベが行われる区画では、電波ジャマーを設置し、外部はもちろん枢機卿同士でも通信できなくしているといわれる。
昨今ではAIシステムやドローン技術などの躍進もすさまじいため、当局も対応に苦慮しているとか。
もちろん、ローテクな手法も警戒対象である。
例えば、食事に際してメモを包んで隠せる飲食物(鶏の丸焼きやパイ、透明度が低い瓶等)は禁止されている。
その他、厨房で調理された料理はイタリア、及びスイス両国の衛兵の監視の下、更に内容を検査する検問所に届けられ、枢機卿のいる区画に料理専用の回転ドアで送り込むという。
勿論枢機卿だけでなく、通訳や調理、礼拝堂の清掃など関わる沢山のスタッフ達にも別途で「沈黙を守る」との厳粛な制約が義務付けられるのは言うまでもない。

とはいえ昔の様に枢機卿団はガッチガチのカンヅメ状態という訳でなく、期間中はサン・マルタ館*1という聖職者専用の宿泊所に寝泊まりし、そこからシスティーナ礼拝堂に通ってコンクラーベに参加する形となっている。

そして万が一、この規則を破った場合『破門』という重い処罰が待っている。
ただ、それでもお漏らししてしまう人物も、極々稀にいない訳ではないのだが…


《使徒座空位》

新教皇の選出されるまで教皇不在の期間は「使徒座空位」(Apostolica Sedes Vacans)と呼ばれる。
(もしくは「教皇空位」と呼ばれることも)

また、使徒座空位を示す紋章も存在しており、教皇の紋章に代わって使用される。
これはブルーノ・ハイム大司教(1911~2003)がデザインしたもので、傘と金銀2本の聖ペトロの鍵を組み合わせたもの。

また、空位時には、この期間だけ有効なメダルや切手、硬貨が発行されるという。


【始まり】

コンクラーベの始まりは1268年。
時の教皇クレメンス四世がビテルボで没したことにより、そこで教皇選挙が行われた。
……のはいいのだが、イタリア派とフランス派に分かれてしまい、約3年経っても合意が得られない。
こんな状況で「埒が明かねぇ」「マジでいい加減にしろ」などと怒り心頭になったビテルボの住民は、当時のフランシスコ会の総長、聖ボナベントゥラの勧めもあり、枢機卿たちを宮殿に閉じこめて施錠。
更に、武装した兵士に宮殿を取り囲ませて、外部との関係を完全に絶たせたという。
オマケに、食事もパンと水だけを与えて、他の食事は一切運び込ませなかった。

枢機卿「許してクレメンス(必死)」

ということで、1271年9月になってようやく、6人の枢機卿の(妥協による)選挙によって教皇グレゴリオ十世が選出されたという。
使徒座空位の期間は、なんと1006日。しかも選ばれたグレゴリオ十世は当時十字軍に参加しており、現地には不在だった。
その後、同じように使徒座空位の期間を長引かせないため、グレゴリオ十世が教皇選挙の規則を作ったといわれる。


【選挙の規定・手順】

現在の規定は、教皇ヨハネ・パウロ二世使徒憲章『ウニベルシ・ドミニチ・グレジス ―使徒座空位と教皇選挙について』を基に、いくつかの改訂が加えられたものとなっている。

  • 1.教皇の死去ないし退位により教皇空位が生じてから、15日間の経過を待つ。
    • ここからは「カメルレンゴ」という、前任の教皇の侍従長・秘書官である枢機卿がコンクラーベ全体の纏め役を務める。
      • 他にもカメルレンゴは教皇逝去の際には死亡確認や教皇の印鑑としても使われる漁夫の指輪の処分、使徒座空位中のバチカンにて教皇の代理として全権を担うなど、とても重要な役職である。
    • 枢機卿団が喪に服するためであると同時に、教皇選挙権を有する枢機卿全員がローマに到着するのを待つためである。
      • 15日を待たずとも全枢機卿が揃った場合、選挙の開始を早めることが可能。
      • 急病や事故など重大な理由がある場合は15日より延ばすこともできるが、20日が最長。
        それを過ぎても来られなかった枢機卿は、如何なる理由だろうと参加不可となる。

  • 2.選挙当日の朝、参加が叶った全枢機卿がバチカンのシスティーナ礼拝堂に集まり、午前中いっぱいミサを捧げた後に昼食休憩を挟んで午後からパウロ礼拝堂へと集合。
    そこで今回の選挙において聖霊の助けを願う聖歌を合唱し、そして再びシスティーナ礼拝堂へと移動してから今度は枢機卿一人一人が今回の選挙にて守秘義務を厳守する等の宣誓を行い、全員がそれを終えると進行役である教皇庁の儀典長から「全員退去」の号令が発せられ、儀典長と枢機卿らと講和を行う数名の聖職者以外はここで退出。
    その後儀典長が内側から扉の鍵を閉め、ここから漸く選挙の開始となる。
    • テレビ中継もされ午後のパウロ礼拝堂からシスティーナ礼拝堂への移動が行われる頃に始まり、最後に礼拝堂の扉が施錠される瞬間まで放映されてから終了となる
      • その選挙もすぐに投票開始という訳では無く、講話担当の聖職者から現代の教会が抱える問題の数々や教皇としての心構えを説かれたり、選挙期間中の枢機卿団の纏め役である首席枢機卿の下で祈りを捧げたり選挙内容の確認etc…それらを全部終わらせてから儀典長と講話役の退出を以て漸く投票がスタート。聞いてるだけで眠たくなりそうである
    • 投票総数の3分の2以上の得票があった者を新教皇とする。

  • 3.初日に決定しなければ、翌日以降も投票が行われる。
    • 翌日、翌々日は午前・午後の2回ずつ。
    • そこで決まらなければ、最大1日の祈りの期間を置き、その後最大7回の投票が行われる。
    • それでも決まらなければ、再び祈り+7回投票。
    • それでもそれでも決まらなければ、1日の祈りの期間を置いて、前回の投票における上位2人の得票者で決選投票実施(ここのみ対象者は投票権がなくなる)。
    • そこで、投票総数の3分の2以上の票を得た人が選出される。
    • 選出された人物が教皇となることを同意したとき、コンクラーベは終了する。
      • この際その人物が司教の位にあるならその時点で教皇位を受けられるが、司祭の場合は首席枢機卿がその場で司教叙階を行った上で教皇位へ、また現代ではまず居ないが選出者が一般信徒であった場合は、同じく首席枢機卿が司祭→司教と二階級特進じみた叙階を行ってから教皇位を受ける事になる。

  • 4.投票結果は、投票用紙を燃やした時に出る煙の色で公に知らされる。
    • 黒煙⇒「ローマの司教は選ばれず(未決定)」
    • 白煙⇒「枢機卿団よりて、ローマの司教は選ばれり(決定)」
    • だが過去には白とも黒ともつかない煙が出てしまい、混乱が生じたこともあった。
      そのため、現在では

      黒:過塩素酸カリウム+アントラセン+硫黄
      白:塩素酸カリウム+乳糖+松脂

      …を加えて、結果がはっきりわかるようにしているという。
    • 更にベネディクト16世を選出した2005年のコンクラーベからは白い煙を上げると同時にサン・ピエトロ大聖堂の鐘を鳴らし、より明確に分かりやすい形で伝えられるようになった。

  • 5.白い煙が出た後に、新教皇は白い法衣に着替えてサン・ピエトロ大聖堂のバルコニーに姿を現す。
    • そして、首席枢機卿がHabemus Papam(ハベムス・パーパム)(「教皇が選ばれました」の意味のラテン語)と宣言、選ばれた枢機卿の名前と教皇名を発表して教皇選挙は完了する。


【日本との関連】

実はこのコンクラーベ、日本とは面白い関係がある。

『知っているのか雷電!?』
雷電「うむ」
「コンクラーベ」が日本に伝わったのはイエズス会が辿り着く10年以上前、今の鹿児島に漂着したある宣教師の手によってである。
宣教師を保護したのは、弱小大名であった阿仁尾(あにお)氏。彼は、教皇を選出する手法に大いに興味をそそられたという。
庭園の一画に立てた小屋に部下を閉じ込め、中で大量の湯を焚きながら一人を決めさせ、選ばれた者には褒賞を与えた。
当然、誰もが褒賞を欲しがるが、長引けばみな死ぬ。その瀬戸際を見極めるのが『こんくらいべ』の醍醐味であったと言われる。
後に、大坂の陣に阿仁尾氏の郎党が参加した折、この興味深い風習が伝聞で伝わり、いつしか『根比べ』として広まったと言われている。
――民明書房刊 『誰も知らない日本カトリック教史』
























   *   *
 *   + うそです
  n ∧_∧ n
+ (ヨ(*´∀`)E)
   Y   Y  *

ぶっちゃけ、「コンクラーベ」と「根比べ」は全く関係がない。
zondag(ゾンターク)”と「どんたく」の関係とは訳が違うのである。
しかし、コンクラーベの話題が出ると、必ずと言っていいほど関連付けられるのが現状。
キリスト教圏ではない主要国でここまでネタにされる例は日本ぐらいだろう。男塾の膾炙恐るべし。
余談だが、その男塾では2013年のコンクラーベ開催時にしっかりネタにしている

ただ、投票開始してから、最大で21日を要する選挙であり、その間はシスティーナ礼拝堂にカンヅメで外部とはシャットアウト……。
そう考えると、あながち「根比べ」の要素もないとは言い切れないのが、余計に連想を強めるのであろうか。

なお、2013年にフランシスコ教皇を選出した際のコンクラーベは
3月12日(火) 17時33分 教皇儀典室室長グイド・マリーニ師の “Extra omnes”(「全員退去」)により開始
19時41分 決着つかず(黒煙)
翌13日 11時38分 決着つかず(黒煙)
19時06分 教皇選出(白煙)
という、割と短い流れであった。
更にその前の、教皇ベネディクト16世が選出された2005年も2日で終了していた。


【コンクラーベを題材にした作品】


  • 天使と悪魔
かのダ・ヴィンチ・コードの続編として2009年に製作されたミステリースリラー映画。
トム・ハンクス演じる主人公ロバート・ラングドンが、今度はコンクラーベ真っ只中のバチカンを舞台に教皇候補の枢機卿4人の拉致事件と、その背後で蠢くバチカンそのものを滅ぼしかねない陰謀の解決に挑む。
本作の題材にもなり劇中にも登場した天使と悪魔の像だが、これはあくまで映画の為に製作された架空の物だったにも関わらずそのあまりの出来栄えに、映画を見た多くの人達から実在の物だと勘違いされバチカンが対応に苦労したという珍エピソードがある。

  • ローマ法王の休日
2011年に制作されたフランス映画。
新たに教皇に選ばれた人物が重責に耐えられずローマの街へと逃げ出してしまい、それに振り回される人々を描いた作品。
分類はコメディであり実際枢機卿達のバレーボールシーンなどコミカルなシーンも多いのだが、内容は結構重い。

  • 教皇選挙(CONCLAVE)
2024年に制作されたアメリカ・イギリス映画。
ロバート・ハリスによる同名小説を原作にしたもので、コンクラーベの舞台裏と内幕に迫ったミステリー作品。
第97回アカデミー賞では8部門にノミネートされ、脚色賞を受賞。
それ以外にもゴールデン・グローブ賞の脚本部門・全米映画俳優組合賞のキャスト賞を受賞するなど元々評価の高かった作品だが、奇しくも現実世界でのコンクラーベ実施が決まり一挙に人気が過熱。
世界各国で観客動員数は勿論、アメリカでは配信先であるアマプラでの視聴時間が急上昇した。
なんならあまりにも実際のコンクラーベが秘密主義すぎたせいで予習の為にこれを視聴する枢機卿がいたとか


【余談】

過去には教皇選出の方法として参加した枢機卿それぞれが己が教皇に相応しい人物と考える者の名前を頭の中に浮かべ、それを一斉に声に出し満場一致となった場合、それを聖霊の導きであるとして決定の根拠にしたり、それを繰り返しても一致とならず泥沼化しそうな場合は選挙委員会を作って妥協案を出し合いそして選出…というのもあったが、当然ながらしょっちゅうグダグダになったり不正が横行するハメに。
そのせいで中世には教皇が3人も選出されてしまうというトンチンカンな事態も起きた為、やがて現代のように投票の繰り返しによる選出へと絞られていく。
そしてヨハネ・パウロ2世の代になって、既に形骸化していた発声の満場一致による選出とそれが駄目だった場合の選挙委員会による妥協の末の選出は漸く正式に廃止された。


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最終更新:2025年05月09日 08:39

*1 かの教皇フランシスコも自身を選出したコンクラーベの際に充てがわれた一室に、教皇になってもバチカン宮殿の自室ではなく終生住み続けた。