「……ん、……」
「目が覚めたか、気分はどうだ?」
「悪いな、こんな埃っぽい部屋で。休めそうな場所がここぐらいしかなくてさ」
ハイラル城のとある一室、簡素なベッドから身を起こす少女にグレイグとクロノが声をかける。
怪我を負った少女をこの部屋に運び込んですでに数十分。その間彼らはずっと少女の看護にあたっていた。
頭部や腕などに包帯を巻かれていることに気がついた少女はハッとしたように瞠目し、しかしすぐに俯く。
まだ状況が読み込めていないのだろうか。彼女の心情を考慮したクロノとグレイグは目配せを交わし、少女の言葉を待つことにした。
「あの、貴方達が私を助けてくれたのですか……?」
「ああ、さっき森の方で倒れてるのを見かけてな。そこのグレイグがここまで運んできたんだ」
「そうだったんですね……ありがとうございます」
控えめながら少女が頭を下げ、僅かに血が染み変色したブロンドの髪が揺れる。
感謝の言葉を述べてはいるもののその表情は暗い。命の危機に瀕した直後なのだから仕方ないが、かといって彼女から事情を聞かないわけにはいかない。
情報を欲するグレイグは険しい顔付きで片膝をつき、少女と視線を合わせた。
「いきなりですまない、幾つか質問したいのだが構わないか?」
「ええ、答えられる範囲であれば……」
「そうか、感謝する」
「まぁ待てよグレイグ。まだこの子の名前も知らないんだろ? ここは一つ、自己紹介でもしようぜ」
クロノからの思わぬ提案が入りグレイグがむ、と声を漏らす。
確かに状況が状況ゆえに忘れていたが自分たちは名乗りすら交わしていない。名前を知っていた方が情報交換もやりやすいだろう。
特に断る理由もないグレイグは押し黙ることで了承を示し、クロノがへらりと笑みを見せた。
「やぁ、お嬢さん。俺はクロノってんだ。君は?」
「……ゼルダです。改めて手当てしてくださり感謝します。クロノ」
「礼ならそこのオッサンに言いな。ああ、さっきも言ったけどこのオッサンは――」
「グレイグだ。悪かったな、老け顔で」
少女、ゼルダへと名乗りながらもグレイグの鋭い睥睨はクロノへと向けられている。
無言の圧力に苦い顔を浮かべたクロノは誤魔化すように頭を掻き、笑いながらタンスの残骸に腰掛けた。
それは暗にこれから本題に入るという合図となる。グレイグとゼルダもそれを察したようで両者の視線はクロノへと集中した。
「なぁゼルダ。あそこで何があったんだ? あんなクレーターができる状況だ、普通じゃないぜ」
「……襲われたんです。突然、私の姿を見るやいなや攻撃されて……」
「ま、そんなことだろうと思ったよ。ちなみにその襲ってきたやつの特徴とかは?」
「茶色の短い髪の少女でした。背格好は私と同じくらいで、見慣れない緑色の服を着ていて……魔法のような攻撃を放っていました」
「魔法、のようなもの?」
それまで傍聴に徹していたグレイグが反応を示す。
魔法自体はよく知っているが、魔法”のようなもの”という言葉の濁し方がどうにも気になった。
「はい。少女の背後から人の形をした魔物が現れ、まるで操り人形のようにそれを従えていたのです。……魔物の剣技も凄烈でしたが、他にも冷気を放ち、巨大な手を生み出す魔法など……言葉にするだけで恐ろしい力の持ち主でした」
「……そりゃ恐ろしいな。でもアンタ、そんなやつに襲われてよく生きてられたな」
ゼルダを疑うわけでもなくクロノが投げかけた問いは当然といえば当然の疑問だ。
彼女の話す襲撃者は修羅場を潜り抜いてきたクロノやグレイグでも脅威と捉えるほどの力を持っている。そんな存在にゼルダが太刀打ちできるとは到底思えない。
記憶を辿るのに必死だったゼルダは予想だにしていなかったとばかりに口を噤み、やがて言いづらそうに口を開いた。
「私も、魔物を支給されていたんです」
「魔物を……?」
「ええ。ですが先ほどの戦いで力尽き……今はこの球に眠っています」
「ちょっと見せてくれ」
ゼルダが取り出した赤と白のボールにクロノは手を伸ばす。
中央にあるスイッチのようなものを押せば、中から瀕死状態のポケモン――キリキザンが現れた。
よほどのダメージを負っているのかぐったりと倒れ込んでおり鳴き声一つあげることはない。そんな彼の状態を見てゼルダは悲しげに眉尻を下げた。
納得したクロノはキリキザンをボールにしまう。
「なるほどな。だがそれなら、その襲ってきたやつも同じく魔物を持っていたのかもしれない」
「恐らくは。ですが私よりもずっと扱い慣れているように見えました」
「魔物使いということか? なんと奇妙な……」
魔物とは敵対するものという常識だったグレイグは面食らった顔で考え込む。
乗り物扱いする魔物や悪しき心を持たない魔物などは見てきたものの、ゼルダの話す魔物はそのどれにも当てはまらない。
知性を持っていて協力関係を築いているのか。そう判断しようにも情報が少なすぎる。
クロノは無駄な思考に浸るのを避けこの話を切り上げた。
「俺たちがゼルダを見つけた時には周囲にそれらしき人物はいなかった。気絶してる女の子なんて簡単に殺せるのに、だ。……殺しが目的ってわけじゃないのか?」
「……わかりません」
「ま、気絶してたんならそうだよな。とにかくまだ森の近くにいるかもしれないし、要注意だ」
ハイラル城に戻るまでの道のりでゼルダを襲った人物と出会わなかったのは幸か不幸か。
グレイグとクロノは全参加者の中でも指折りの実力者に入る。自分たちが出会っていればその少女の暴走を止められたのではないか、と考えても仕方のないことを考えてしまう。
結局、森には要注意人物がいるという結論を出す他なかった。
「ところでさ、ゼルダ」
「……? はい、なんでしょうか」
「アンタ、どっかの国の姫様だったりしないか?」
「! ……ええ」
姫という言葉を聞いてグレイグが喫驚したように肩を跳ねさせる。
デルカダールの騎士という王位を敬愛する身分だからこそ、そういった話には反応せざるを得なかったのだ。
「やっぱりな。実は俺の仲間にもお姫様がいてな、その子と似た雰囲気があったからさ」
「お姫様が……クロノは顔が広いのですね」
「――先程のご無礼をお許しください、ゼルダ姫」
クロノとゼルダの間に割って入ったグレイグが片膝をつき、頭を下げる。
あまりに突然で無駄のない所作に二人は戸惑いを隠せない。当のグレイグはなんらおかしいことなどないとばかりにじっと頭を下げ続けていた。
「良いのです、グレイグ。こんな状況では身分などあってないようなものでしょう」
「いえ、そうは参りません。例え世界が違えど一国の姫君へは礼節を尽くすのが我がデルカダールの教えです。……必ずや、貴方をお守り致しましょう」
「それは、……ありがとうございます、グレイグ」
ようやく顔を上げたグレイグの顔はまるで死地に向かうかのように引き締まっていた。
怒りが湧いた。一国の姫であるゼルダを狙い凶行に走った少女に。そして何よりもゼルダをこの殺し合いの場に集めたマナとウルノーガに。
グレイグはこの殺し合いは自分への裁きだと思っていた。だがその認識を改めることとなる。
この殺し合いは裁きなどという崇高なものではない。
無差別に人を集め、血が流れる様を見ては嘲笑う悪趣味極まりない――決してあってはならない狂宴なのだ。
グレイグは確かな決意を生きる理由へと変えた。
「……少し、風に当たりに行きます」
と、ゼルダが声を上げる。
突拍子もなく危険な提案にグレイグはギョッとして、すぐに彼女を引き止めた。
「ならば私も同行します。一人では危険です、姫」
「心配はいりません、そう遠くに行くつもりはありませんから」
「ですが――」
「グレイグ」
食い下がるグレイグをクロノが呼びかける。
視線をそちらへと移せばクロノが緩やかに首を振っている姿があった。
「一人になりたいんだとさ。無理もない、あんなことがあった後じゃあな。気持ちの整理にだって時間がかかるはずだ」
「……そうか。ゼルダ姫、決して遠くへは行かないでください」
「ええ、承知しています。わがままを言ってしまってごめんなさい、グレイグ。クロノ」
「気にするな。……ああそれと、これ持っておきな」
クロノが手渡したのは自分の支給品であるアンティークダガー。
グレートアックスや白の約定のような性能はないものの取り回しやすい分ゼルダでも扱いやすいだろう。
感謝の言葉と共にそれを受け取ったゼルダは最後に二人へ流し目を寄越し、部屋の外へ出ていった。
■
「遅いな」
そう切り出したのは意外にもゼルダの頼みを了承したクロノだった。
ゼルダが出ていってすでに二十分が経つ。ただ風に当たりに行くにしては長い時間だ。
傍のグレイグが唇の端を震わせ緊張の面持ちを見せる。クロノ自身も嫌な予感を覚え顔を強張らせていた。
探しに行こう。アイコンタクトで互いの気持ちが一致したまさにその瞬間、二人は思考を弾けさせることとなった。
『――いやああぁぁぁぁっ!』
悲鳴が響き渡る。間違いなくゼルダのものだ。
クロノとグレイグは一斉に部屋を飛び出す。飛び込んできたハイラル城の壮大な景観に舌打ちを鳴らした。
一度探索したからこそハイラル城の広さと複雑さは知っている。この中から一人の少女を探し出すとなると相当な労力が必要だ。
悲鳴は階下から、そしてこの部屋は三階。石階段を駆け下りながらクロノは指示を飛ばした。
「俺は一階を探す! グレイグは二階を頼む!」
「了解だ!」
グレイグは二階に続く扉へ入り、クロノはそのままに飛び移り一階へと直接飛び降りる。
崩れかけていた城壁の一部が崩れ落ちるのも意に介さず駆ける。壁や床に張り付いた怨念の沼を強引に切り払い、クロノたちはハイラル城を疾走した。
■
やはりこの城は複雑だ、とクロノは思う。
ざっと一階を見て回ったが崩れた壁や怨念の沼などが原因で道を塞がれているのもあり、正式なルートを描くのが難しい。
実際自分が今どこを歩いているのか、どの道を歩けばどの場所につくかなどまるでわからない。
それでもなんとか内部一階を調べ終え、現在外部を捜索している状況だ。地図も持っていない今の状態では手当たりしだいに探すしかないという現実にクロノは軽い絶望感を覚える。
「――こんな場所があったんだな」
と、クロノが流れ着いたのは洞穴だった。
入り口周辺の夜光石が夜明けの近い空下で薄く輝く。なんとも不気味で胸騒ぎを覚える場所だ。
ゼルダがここに来ているとは思えない。そんな正常な思考とは裏腹にクロノはあるものを見つけ目を見張ることとなる。
「これは――っ!」
入り口に転がっていたのは一足の靴。クロノはそれにひどく見覚えがあった。
間違いない、ゼルダのものだ。この場所に靴が放置されている――それが何を示唆するか察するのに時間は要さない。
クロノは迷いなく洞穴の中を全速力で突き進んだ。
どうやらこの洞穴は牢屋の役割を果たしているらしい。
中に広がっていたのは見渡す限りの鉄製の檻と無機質な石畳、そして天井から漏れ出た水滴が点々と作り出す水溜りだけだった。
一応檻の中にも目を通しながら奥へ進んでいく。先程から嫌な予感が止まらない。
先程の靴のこともあるが、それ以外にもなにかあるような。世界を救った戦士としての勘がそう訴えかけてやまない。
この牢屋の一番奥にこの胸騒ぎの原因がある、そう確信したクロノの足取りに迷いはなかった。
「ゼルダ! いないのかっ!? 返事してくれ!」
水溜りを踏み、跳ねた水滴が服を汚すのも構わず走り続けて最奥へとたどり着いた。
広い円状のスペースとなっている部屋だ。およそ牢屋という施設には似つかわしくないその部屋にはゼルダの姿はない。
ガシャン、と厚い金属音が鳴り渡る。
まるでクロノの来訪を待っていたかのように入り口の檻が閉じられた。
動揺する間もなく不穏な雰囲気が辺りを覆う。見れば部屋の中央で眠るように散らばっていた巨大な骨の数々が意思を持つかのように集合し、魔物を形作った。
スタルヒノックス。
それはいわばこの牢屋の支配者に君臨する者。
肉体を失い、骨だけの亡者となりながらもクロノの前に立ち塞がるその魔物は衝動のままに巨大な腕骨を振り下ろす。
舌打ち混じりにひらりと身を躱すクロノは流れるように刀を引き抜き、スタルヒノックスの頭部めがけて勢いよく跳躍した。
「――邪魔、すんじゃねえええぇぇぇぇッ!!」
月の光も届かない薄暗い牢屋にて、白い閃撃が走った。
■
(何が守る、だ……! 己の誓いすら守れず何が騎士だ!)
風化した廊下を走りながらグレイグは己の愚を悔いていた。
ゼルダが出ていった後、無理矢理にでも彼女に付いていけばこんなことにはならなかっただろう。
一人にしてやれと言ったのはクロノだ。だが責任は自分にある。騎士でないクロノにとって姫の扱いなど知っているはずもないのだから。
重役を買っている分、あそこではグレイグの判断力が問われたはずなのだ。
(ベロニカが死に、マルティナ姫が心を壊し、そして今ゼルダ姫が危機に陥っている……その原因である俺が言うのは烏滸がましいかもしれないが、必ず助け出してみせる……!)
重箱の隅をつつくまでもなく溢れ返る後悔の波に呑まれながらグレイグは足を動かす。
ネガティブな事を考える癖がついたのは随分と前の話だ。だがそれを抑え込むのは未だに慣れていない。
不器用な騎士ができることといえば、こうしてひたすら身体を動かすことだけだった。
そうしてグレイグはある部屋にたどり着いた。
展望室。ハイラル城でもっとも見渡しのいい場所であり原型を留めている数少ない部屋。
群青と橙の混じる空を見上げるバルコニーにて、長い金髪が揺れていた。
「ゼルダ姫っ!」
見覚えのある後ろ姿にグレイグは疑問よりも先に安堵する。
さっきの悲鳴の正体はなんだったのか。そんな質問をぶつけるよりも先にグレイグは無警戒に彼女へと近づいた。
「――百年。私は百年間、彼を待ち続けました」
しかしその歩みはゼルダの呟きに止められた。
バルコニーから外の景色を眺めながら独り言のように、それでいてグレイグに語りかけるようにゼルダは紡ぎ続ける。
「幼少の頃から周囲から期待を寄せられ、父からは祈りの修行を強要され……私は力量以上のことをしてきた。母は私を労ってくれていましたが、そんな母も急逝し私には何もなくなってしまった」
「……ゼルダ姫、なにを……」
「母を失ってからの父は一刻も早く私に封印の力を得させる為に厳しく当たりました。私は国の皆の期待に応えるため、何度も何度も祈りの修行をして……それでも成果が出せず、そのたびに己の才能の無さが牙を剥きました」
脈絡も繋がりもない語り手となったゼルダにグレイグは当惑を極める。
何を言うこともできず、何もすることもできず。それでも彼女の言葉を無視してはならないと本能で理解する。
口を挟むことをやめたグレイグは静かに聞き手に回った。
「私は力を持たないなりに、知識を深めようと遺物研究に手を回しました。けれど父はそれさえも禁止し、また修行を繰り返す日々を送って……それでも駄目で……周囲の人々から蔑まれて……私は、私は……!」
顔が見えないものの震える声からして涙を流しているのだろうとグレイグは悟る。
そんな彼の予想に答え合わせをするようにゼルダは手の甲で目を拭い、ようやくグレイグへ向き直った。
「母もなくし、父は王女としてしか私を見ておらず……そんな私にあったものは、彼だけだった」
顕となったゼルダの悲壮な顔つきにグレイグは言葉を失う。
蒼色の双眸には曇りが帯び、艷やかな唇は自嘲を含んでいる。年相応の少女が見せるにはあまりに悲痛なそれはグレイグに一人の女性を想起させた。
この少女はまるで――――
「無口な彼は何を考えているかわからなかったけど、信頼できた。こんな私を助けてくれた。そして自分と境遇が似ていることを知り、いつしか彼は私を姫としてではなくゼルダとして見てくれるようになりました」
けど、とゼルダが間を置く。
「ハイラル城が滅びたあの日、封印の力に目覚めた私は彼を救うために力を行使し――百年間、ガノンを封印し続けた。いつか彼が、リンクが助けに来てくれる。その信頼だけを生き甲斐に頑張れたのに……私はリンクを片時も忘れたことなどなかったのに……っ!」
ゼルダの震える手が背に伸ばされる。
指先が向かうのは彼女の背に下げられたオオワシの弓。持ち主に従うしかない道具はゼルダの指に馴染み、ギリと弦を引く音を鳴らした。
つがえられた矢の先に自分がいると理解したグレイグは当惑を隠すことなく息を呑んだ。
「――彼は、私のことを忘れていたっ!!」
三つの風切り音が響く。
弓の魔力により分裂した矢は無情にもグレイグへ忍び寄った。
最終更新:2019年08月26日 15:24