「――それが、ポケモン?」
「ええ。貴方の持つボールの中に潜むその子のことよ」
Nの城内部、六階の中央部屋にて響く声は2Bと、もう一人の女性のもの。
2Bの持つモンスターボールを指差す女性は通称愛の女神、バーベナ。その隣で佇むのは平和の女神、ヘレナ。
彼女らはモンスターボールとは何かを知らない2Bにポケモンについての簡単な知識を植え付け、自分たちにはモンスターを回復させる力があるのだと語った。
勿論話を聞いていたのは2Bだけではない。2Bの両隣に座るリンクと雪歩も自分の世界にはない生命体の話に驚愕と興味を示していた。
Nの城か765プロか、リンク達は前者を選ぶこととなった。
遠目でも分かる大きな城だ。参加者の誰かが拠点にしていてもおかしくない。そうでなくともなにかしら有益な情報やアイテムが手に入る可能性は高い。
765プロに知り合いがいるという確信もないため、城内を探索してから向かうというリンクの案に二人は賛成した。
そうして探索を続けているうち、自分たちと同じく首輪をした二人の女性と出会った。それがバーベナとヘレナである。
最初こそ同じ参加者だと思い声をかけたが、彼女らは自らが運営側の立場であると説明した。
当然リンク達は警戒を示したが、バーベナ達と話をするにつれて彼女らがあくまで首輪により「強制的に」従わされているのだと知りこうして話を聞くこととなった。
その結果2Bはモンスターボールの使い方を知れたのだから確かな収穫はあったと言える。
「今、ここでポケモンを出していい?」
「構いません」
「お、襲ったりしませんよね……?」
「心配いりません。ボールの持ち主の指示に従うよう教育されています」
ヘレナの言葉を聞き雪歩は安堵したように胸を撫で下ろす。
許可を得た2Bはボールをアンダースローの要領で軽く投げ、地に弾むそれはぽんっと軽やかな音を立てて上下に開き閃光を走らせる。
形作られた白い光はやがてモンスターのシルエットと化し、そこに君臨する者の姿に三人は圧倒された。
「――――グオオォォォォ!!」
天高くいななく大口。橙色の鱗と大きな翼が特徴的なドラゴンじみた体躯。
咆哮の主、リザードンは鋭くも凛々しい双眸をトレーナーである2Bへ向けて指示を仰ぐように鼻を鳴らした。
なるほど確かに。リンクと2Bは目の前のポケモンから伝わる威圧感と実力を感じ取り確かな戦力であることを確信する。
とはいえどんな技を覚えているのかわからない。説明書が同梱されているはず、というバーベナの言葉に従い2Bはデイパックを漁り、それらしき紙を乱雑に取り出した。
リザードン ♂
特性:もうか
覚えているわざ
- エアスラッシュ
- フレアドライブ
- りゅうのはどう
- ブラストバーン
「……フレアドライブ?」
「りゅ、りゅうのはどうって……」
まず目についたのは覚えているわざの項目だ。
どれもこれもが大層で物騒な名前をしている。そういったことに疎い雪歩でさえもその文字列を見て震え上がった。
どんな技なのか試してみようという気持ちだったが名前からしてすでに危ない香りがする。軽い火遊びのつもりが城ごと爆破などというオチになりかねないのでひとまずボールに戻すことにした。
いざ出番だとばかりに飛び出したのにすぐ戻されるリザードンの寂しげな姿を不憫に思いながら雪歩はぼうっと赤白のボールを眺める。ここにきてから不思議なことばかりだ。
と、それの持ち主であるはずの2Bが何かを思いついたようにすたすたと雪歩の元へ歩み寄り、ボールの握られた右手を差し出した。
「……雪歩、これ」
「え? え、えぇっ!? ……私が持つんですかぁ!?」
「リンクと私は自分の身は守れるけど、雪歩は違う。万が一の時に備えてキミが持つべきだと思う」
「お、お気持ちは嬉しいですし、2Bさんの言ってることも正しいですけど……私なんかじゃ扱いきれませんよぉ……」
早く受け取れと言わんばかりに突きつけられるボールを雪歩はまるでヘビか何かのように恐れ慄き、ぶんぶんと両手と首を同時に振り拒絶した。
確かにリザードンは雪歩のような無力な参加者にとって頼みの綱だ。剣も銃も魔法も使えない雪歩にはもってこいの武器だろう。
だがそれはどんな支給品にも当てはまるが、あくまで扱えればの話だ。
当然だが雪歩はポケモンという生命体についての知識はまったくない。ポケモンバトルの経験もない初心者が己の実力に見合わない強力なポケモンを手にしても自滅が関の山だ。
友人の響ならば容易にリザードンを従えることも出来たかもしれないが、小型犬にさえ怖がるほど臆病な雪歩なのだから冷静に指示を下せるはずもない。
もっとも雪歩はそういった理屈を筋立てて拒絶したわけではないのだが。
彼女がリザードンを受け取ることを否定した理由は単に、自分が一匹の動物の命を預かれるような人間ではないというネガティブなものだった。
「雪歩、大丈夫。雪歩ならきっとなんとかなる」
「うぅ……絶対あんまり考えないで言ってるじゃないですか、リンクさん……」
対するリンクは相当ポジティブのようで雪歩の悩みを理解できないといった様子できっぱり言い切った。
当然だ。騎士としての神がかり的な才能と並々ならない修練によりリンクは自分の実力不足に悩むといった局面にはほとんど遭遇しなかった。
だからこそリンクは考える――諦めずにいればなんとかなる、と。
「わ、わかりましたよぉ……けど、この子を出さなきゃいけない状況になんてなりたくないです……」
結局、2Bとリンクの二人の無言の圧力に負けた雪歩は渋々ボールをバックのサイドポケットに入れた。
その様子を満足気に見届けたリンクは2Bに向き直り、改めてこれからの方針を語る。
「2B。放送までまだ時間があるけどここに留まる?」
「……私はどっちでもいい」
「雪歩はどう? 動き続けて疲れが溜まってるだろうから、ここで休んでもいいよ」
「え、えっと……それじゃあ、放送までここで休みたい……です」
決まりだ、と自ずとリーダーの役目を請け負ったリンクは放送までの方針を決定する。
一番の目標である他の参加者との交流は叶わなかったものの、裏を返せばここまで危険人物と一切出会わなかったということだ。
この殺し合いに呼ばれた参加者が何人ぐらいなのか、その中で殺し合いに乗った者の比率がどの程度なのかもわからないが、今こうして無事でいる自分たちは幸運なのだろう。
できればこのまま平穏が続いてほしいが、そんな希望は次の瞬間に否定された。
――ドォンッ、と凄まじい轟音が階下から鳴り響く。
あまりに突然で、気の緩んだ瞬間に襲いかかったそれは雪歩だけではなくリンクと2Bに脅威を与えるには十分すぎた。
「ひぃっ!? な、なななんですかっ!? 今の音っ!」
「――他の参加者がこの城にやってきたみたいね」
目尻に涙を溜めてわかりやすく狼狽する雪歩へ、それまで押し黙っていたバーベナが答える。
やはりか、とリンクと2Bは同時に予想が的中したことに嫌気が差した。
参加者といってもあんな轟音を鳴らすくらいなのだから友好的にはいかないだろう。さきほど言った危険人物の線が濃厚だ。
雪歩もその考えに至り震えはますます強くなる。と、自身の隣で佇むバーベナとヘレナが青い光に包まれていくのを見て目を見開いた。
「ば、バーベナさん!? ヘレナさん!?」
「……私達は所詮施設の一部に過ぎない。参加者同士の争いに介入しないよう、戦いの予兆が感じられればすぐさま別の場所へ”保護”されるようになっているわ」
「生きなさい、優しい人達」
それだけを言い残し収束する光の中に消える二人の女神。
しん、と静まり返る部屋の中。驚愕に言葉を失う雪歩と2Bに反し、似たような技術を知っているリンクは落ち着いた様子で彼女らのいた場所を眺めていた。
バーベナたちの言葉を信用していなかったわけではないが、実際に運営側の立場としての力をこの目に見せ付けられると改めて主催側の強大さを思い知らされる。
だがそれで志を挫くほどリンクは弱くない。得物である木の枝を握り締め、いち早く廊下への扉へ駆け出した。
「俺が見てくるよ。2Bは雪歩を守ってて」
「……了解」
「えぇ!? り、リンクさん一人でですか……? ダメです、危ないですよそんなの!」
「大丈夫、俺は強いから」
ぐっと親指を立て、あまりに自信満々な口調で言い放つリンクの微笑みに雪歩はそれ以上の論及を阻まれる。
リンクは確かに強い。ヨルハ部隊の戦闘用アンドロイドである2Bと渡り合う実力を兼ね備えており、一般人である雪歩とは別次元の力を持っている。たとえ相手が殺人鬼であろうと簡単に遅れは取らないだろう。
だが、それでも万が一リンクが殺されてしまったら。
自分に手作り料理を振る舞い、無口ながらも励ましてくれた人が死んでしまったなら。
きっと立ち直ることなどできない。想像するだけで心臓が凍りつきそうになり涙がとめどなく溢れてくる。
結局それ以上何も言えず、廊下へと飛び出すリンクの後ろ姿を眺めることしかできなかった。
人一人がいなくなったことで部屋の静寂はますます強くなる。どうしても頭を離れない最悪の結末を必死に拭いながら雪歩は2Bの腕にしがみついた。
「リンクさん、大丈夫ですよね……?」
「わからない」
「わ、わからないって……」
「絶対に大丈夫だなんて保証はない」
「それはそうですけど……でも、そのぉ……」
雪歩だってこの状況で「大丈夫」と答えることの無意味さは分かっている。きっと2Bがそう答えていたのならば自分に気を遣ってくれているんだろうと心から安心することは出来なかっただろう。
けれどあまりに客観的に、冷淡に答える2Bが少しだけ怖くて。自分たちの時代よりも遥か未来に作られたアンドロイドということもあり分かり合えないのではないかという不安がよぎる。
「けど」
と、一拍置いて2Bが艷やかな唇を動かした。
「彼に死んでほしくないのは事実」
その言葉を聞いて雪歩は目を丸め、思わず口角を緩めた。
どうやら分かり合えないという不安は杞憂に終わったらしい。
これまで全くと言っていいほど感情を表に出さなかった2Bが今、初めて自分の欲望を曝け出したのだ。
人間らしい――雪歩は心底そう思う。願望を口にしたことに僅かな羞恥を覚えたのかふいと顔を逸らす動作もまた、機械だとは到底思えない。
「……私も、そう思います」
気がつけば雪歩は寄り添うように体を2Bに預けていた。
体の震えは止まらない。イシの村の時とは違い確かな脅威がすぐ傍まで迫ってきているのだから恐怖だってある。
けれど今は一人じゃない。固く唇を結びしっかりと武器を握る彼女の存在が、そして彼女が垣間見せた欲求の欠片が、雪歩の涙を止めてくれた。
■
「なんやでっかい城やのぉ。ホンマにここに他の参加者がおるんか?」
「そう焦るなよマジマ。俺の鼻が確かに”居る”って言ってんだ。それとも、こんな冴えねぇハゲたおっさんが言うことは信用ならねぇって?」
「はっ、例えあんたがフッサフサのイケメンでも疑っとるわ。見たところ犬のようには見えんからのぉ」
「嬉しいねえ、人間扱いされるのは久々だぜ。けどこれはマジだ、俺の勘は当たるんだよ」
鼻じゃなかったんかい、と心中でトレバーにツッコミを入れつつ真島は目の前の巨城を見上げる。
Nの城、とマップ上で表記されていたのは知っていたがここまで大きな城だとは思っていなかった。どうみてもこんな殺し合いのためだけに用意されたとは思えない。
となると、元々は人の住んでいた城を再利用したのだろうか。それにしては立地が悪すぎるように思えるが。
五階から直接地面へと伸びる黒い階段に片足を乗せ、二人の狂人は上へ上へと登っていく。
「ま、もし参加者がおらんでもなんや役立ちそうなやつはありそうや。ほな入ろか」
「おっと待てマジマ。ただ入るだけじゃ面白くねぇ。こういうのは派手にやろうじゃねぇか。花火だってでけぇ方が人の目につきやすいだろ?」
呆れるほど長い階段を登り終え、いざ扉を開けようと肩を回す真島をトレバーが制止する。
水を差された真島は「どういうことや」と少々不機嫌気味に聞き返し、まるで新しいおもちゃを見つけたかのように目をキラキラと輝かせるトレバーを見て彼の思惑を察した。
「試すんかい、そのけったいなスーツ」
「ご名答!」
トレバーが身に纏っているそれはスーツと言っても決して紳士服の方ではない。
人工筋肉が浮き彫りになっていていかにもSF映画に出てきそうな見た目のそれの名はパワードスーツ。
名の通り装着者の身体能力を底上げし、生身でありながら重火器相手でも戦える戦力を得られるトンデモ装備である。
説明書を見たときはそんな都合のいいアイテムあってたまるかと真島は思ったが、よくよく考えてみれば身につけるだけで攻撃力があがる装備品などに心当たりがあったため一概に下らないとは言えなかった。
だがもしも真島にスーツが配られていたとしてもきっと身に着けなかっただろう。一方的な戦いなど、彼はこの殺し合いにおいて望んでいないのだから。
「――おらぁ!! トレバー・フィリップス様のお出ましだぞぉっ!!」
スーツの人工筋肉が膨張しトレバーが拳を振るうや否や、派手な音と共に扉の金具が外れ木製のドアは拳大の凹みを残し吹き飛んだ。
圧倒的な手応えは爽快感となりトレバーに麻薬じみた快楽を与える。些細な幸福を味わうかのように歓喜の呻きを上げる彼に真島はひゅう、と口笛を鳴らした。
「なんやどうせインチキや思うとったけど、モノホンのアイアンマンやんけ! 痺れるわぁ~!」
「だろ!? だろっ!? いや、やばいぜコレ。ハマっちまいそうだ! こんなに人を殴りたくてたまらねぇって気分になったのは――あー、そんなに久しぶりでもないな」
トレバーも真島もどっちかというと現実世界に近しい住人だ。
魔法やモンスターなどとは当然縁もゆかりもなく、常軌を逸した科学兵器というのも見たことはない。そういったものは映画の世界だけだと思っていた。
しかしそれが実際に今目の前にある。ただでさえ狂っていて、それも戦闘狂という厄介な方面に拗れている二人に興奮するなという方が無理があるだろう。
だからこそ二人のおっさんは年甲斐もなくはしゃぎ、当の目的も忘れがら空きの入口の前で何分もロマンについて語り合っていた。
「……あ、そういやここに入るんやったな。すっかり忘れとったわ」
「あー? ……確かそうだったな。まだ酔いが抜けきれてねぇみたいで、物忘れが激しくてかなわん」
一度目的を思い出してしまえば二人の足並みは止まらない。
あれだけ引き延ばしておいてあっさりと城内へと踏み込んだ二人は辺りをきょろきょろと見渡し、その廊下の広さに呆れ返る。
ピカピカに磨かれた大理石の黒い床に目に悪い金の壁。こんな光景がずっと続くとなると視力が落ちることは必至だろう。ただでさえ片目しかない真島は思わず溜息をこぼした。
「こんな広いなんて聞いてへんで……こりゃ他の奴ら見つける前に足パンパンに腫れてまうわ」
「おいおいマジマ、つれないこと言うなよ。安心しろよ、こっから先は俺の加齢臭を嗅ぐ必要はないぜ」
「別行動、っちゅうわけか。ま、それが妥当やろな。ほんなら好き勝手やらせてもらうで」
「オーケー。お互い生きて出られることを祈ろうぜ」
別行動というよりも自由行動と言った方が正しいのかもしれない。
参加者と殺し合うのも逃げるのも、犯すのも強奪するのも全部自由だ。彼らの生き方がそうであるように、彼らを縛るものはこの場においても首輪という例外を除いて何一つないのだから。
そしてそれはお互いにも当てはまる。何があろうと互いの邪魔をしないこと――それを暗黙の了解に徒党を組んでいるのだから。
真逆の方向へ歩き出す真島とトレバー。
望まれない侵入者は獲物を求めて剥き出しの歯をギラつかせた。
■
六階から五階に繋がる階段を下り終え、代わり映えしない廊下を歩むリンク。
ところどころ何らかの部屋に繋がる扉はあるがどれも開かれた痕跡はない。きっとこの場に訪れたのは自分たちが初めてなのだろう。
そんな前人未踏の場所に訪れて間もなくこの歓迎だ。タイミングが悪い、というよりもむしろ出来すぎているとさえ感じる。
無論だからといって現実を受け入れることを放棄するほどリンクは弱くない。枝を握り締め、曲がり角に当たる度に死角からの攻撃を警戒した。
「――……ッ!」
リンクは足音や気配に敏感だ。視界の利かない夜の森での魔物との戦闘は日常茶飯事だったゆえに、五感の一つを失っても十分に戦えるほどのスキルを身に着けている。
それは何も森の中だけではない。この城の中というフィールドも例外ではないのだ。
そんなリンクが立ち止まり、急ぎ足で曲がり角に張り付く。それが意味することは例え戦闘に疎い雪歩でも勘付くだろう。
息を潜める。
研ぎ澄まされた聴覚があってはならない音を拾う。
規則正しく、まるで自身の存在を知らしめるかのように鳴り渡る靴音。
やがてそれとの距離が間合いほどまで詰められた刹那、リンクは疾風の如く角から飛び出し回転斬りの要領で棒を振るった。
「――せぇやッ!!」
「っとぉっ! 危ないやんけ!」
完璧な、少なくともリンクにそう思わせるほど綺麗な不意打ちはしかしこれまた綺麗なバク転に避けられる。
この一撃で決めるという甘い算段が崩壊したことにリンクは眉を顰めつつ、努めて冷静に追撃を放つ。
逆袈裟、袈裟斬り、横薙ぎ――目にも留まらぬ凄腕の剣技を侵入者の眼帯の男は刀の鎬地で受ける。息を呑む間もない連撃は男から余裕を奪った。
木の棒と高周波ブレード、言うまでもなく得物の質は後者の方が遥かに上だ。本来勝負になるはずもない。
しかしそれがこうして拮抗しているのはひとえに、リンクの騎士としての鍛錬の賜物と言えよう。
このまま押し切る――そんなリンクの願望じみた裁断は六撃目にして再び崩れることとなった。
「アマアマやぁっ!」
ガッ、とリンクの軸足に衝撃が走ったかと思えばそのまま驚くくらいあっさりと地を失い尻餅をつく。
足払い。転んで初めてそれに気が付いたくらいには剣戟に意識が向いていて完全に足元への注意が薄れていた。
煩わしい連撃から解放された眼帯男は狂気的な笑みを引き攣らせながらリンクへと刺突を繰り出す。慌てて後転し難を逃れたが、大理石の床に突き刺さる刃を見て全身の血が冷えるのを感じた。
「ヒヒヒッ! なんや兄ちゃん、出会い頭に殴りかかるなんて血気盛んやなぁ! ほんなら俺も楽しませてもらおかぁ!」
「……っ……」
床に刺さる刀を引き抜き、獲物を仕留められなかったにも関わらず微塵も無念を感じさせない笑みを張り付ける眼帯の男――真島吾朗。
傍から見ればイカれているとしか思えない格好だが、見る者が違えば只者ではないと知らしめる強者特有のオーラを惜しみなく放つ嶋野の狂犬。
並のヤクザやチンピラが例え百に群れようとも生き延び勝利を掴むであろう男を見てリンクは直感する。
この男は自分の苦手なタイプだ、と。
リンクが戦闘において苦手とする特徴は二つある。
一つは不規則で読みづらい相手。敵の行動を先読み出来なければ得意のジャスト回避やガードジャストも活かせない。
もう一つは知恵を持つ相手。野生の魔物とは違う、戦いの心得を身に着けた者ほど厄介な者はいないだろう。弓と近接武器を駆使し獲物を追い詰めるライネルがそうであるように。
そして目の前の男は。
真島吾朗という男は、そのどちらにも当てはまる。
「ヒィィヤァァッ!!」
「くっ……!」
真島が鋒を己に向け弓を射るかの如く腕を引いた瞬間、鋭い刺突がリンクの胸に放たれる。
咄嗟に盾で防御するもジャストガードには至らない。反撃を許さぬ勢いで踊るように剣戟と殴打を繰り出す真島に対してリンクは文字通り防戦一方の戦いを強いられていた。
盾の耐久値がゴリゴリと削られていくのが分かる。しかしそれにより焦って下手な行動を取れば即座に刀の餌食になるだろう。
狙うのならば一瞬――針の穴ほどの隙間を突くしか状況を打破する方法はない。
「もらったでぇ!」
「――っ!」
連撃の最中、真島が喜々として踏み込み縦の一閃を放つ。
なるほど、たしかに勝負を決めるにはこれ以上ないタイミングだ。リンクの後ろは壁――後退は許されない。
だがそれでいい。勝負を決めに掛かるこの時を待っていたのだから。
「――おっ!?」
共和刀の残光が描かれた先、そこにリンクの姿はなかった。
真島からは一瞬にしてリンクが掻き消えたように見えただろう。それも当然だ。
この土壇場でリンクが発揮した技――ジャスト回避。相手の攻撃をタイミングよく回避することで周囲がスローに見えるほど神経が研ぎ澄まされ、高速での行動が可能になる天からの贈り物。
連撃のフィニッシュにはどうしても数瞬のタイムラグがある。勿論常人では気付くことすら出来ない差だが、リンクはその刹那を見極めジャスト回避を成功させたのだ。
横っ飛びに回避したリンクはスロー空間の中を疾駆し、真島が振り返るよりも早くその懐へと潜り込む。
常識外の能力を前にした真島は防御の姿勢も取れぬまま彼の渾身の回転斬りを横っ腹に受けることとなった。
「せぇりゃぁッ!!」
「ぐほぉッ!?」
右の脇腹から全身を駆け巡る衝撃に顔を歪ませ、今度は真島の肉体が壁に叩き付けられることとなる。
ただの棒と侮るなかれ。リンクの技術の乗せられたそれは魔物すら屠る武器となるだろう。
しかし流石に今の一撃の反動に耐えられなかったようで、役目を果たした棒は根本からポッキリと折れてしまっている。
使い物にならなくなったそれを床に放り捨て、痛みから立ち直り体勢を立て直す真島を注視した。
「いっつぅ~……ヒヒッ、なんや兄ちゃん。防御だけやのうて攻撃も一人前やんけ。ええスイングやっ! こりゃちぃっと油断しとったかもしれんなぁ~」
「できればそのまま油断しててほしい」
「悪いがそうはいかへん。ほんで? 自慢の武器は無くなってしもうたようやけど……まさかこれで”詰み”っちゅうわけやあらへんやろな?」
値踏みするような、試すような視線を投げる真島にリンクは凛とした瞳を返す。
確かに唯一の武器はなくなってしまった。盾での防御が難しい上に一度反撃を食らい戦い方を学んだであろう真島に素手で勝てる道理はない。
ではどうするか――リンクは踵を返し走り出す。
逃げるためではなく、戦うために。
「――ほォ~……?」
逆方向に駆け抜けるリンクは足を止めぬまま廊下に飾られた花瓶を手に取り、順手に持ち替える。
”武器”の調達を終えた戦士は臆することなく真島へと迫る。その気迫と言ったら、花瓶などという戦いの場で構えるにはふざけた得物であるにも関わらず、まるで職人の手によって打たれた業物を手にしているかのよう。
真島は笑う。それは決して馬鹿にしたものではなく目の前の青年への賛辞に近い笑いだ。
こんな男は神室町でも見たことがない――耳に届くのではないかというほど口角を釣り上げた真島は、伝説スタイルの型を取った。
「面白いやんけぇっ! 受けて立ったるわぁっ!」
しかし次の瞬間、真島を襲ったのは予想外の攻撃だった。
そのまま殴り掛かると踏んでいたリンクは真島の間合いに入る直前で急停止し、勢いよく花瓶を投げつけた。
迎撃の用意をしていたばかりに避けることは出来ない。予期せぬ投擲でありながらも即座に最適な対処法を導き出した真島はそれを左腕で叩き壊す。
破片が幾らか肌を傷付けるが構わない。もし刀で対処していたのならば大振りである分その隙を突かれる可能性が高い。ゆえに真島はこれを最適解と見出した。
だがその目論見はすぐさま霧散することとなる。
「――――なっ!? 桃白白かいなっ!?」
花瓶からリンクへと意識を戻せば、そこには空中で”盾に乗った”青年の姿があった。
幅跳びの如く跳躍し、前へ働く推進力によりそれはまるで見えない波を滑るかのように勢いよく真島へと突き進む。
幾千の敵を相手取ってきたさしもの真島といえどもこんな常識外な攻撃など見たことがない。
が、対処出来ないかと聞かれれば別だ。――驚嘆の顔を張り付かせながらも、真島は片足をやや後ろに置き迎撃に備える。
「……ッシャァっ!!」
疾呼。同時、真島の身体が地を離れる。
盾サーフィンが激突する寸前にて真島が放ったのはムーンサルトキック。
下から上へ、弧を描く脚撃は盾ごとリンクを打ち上げ放物線を描くように真島の後方へと投げ出された。
常識外の攻撃にあろうことか真島は常識外の反撃を繰り出し、競り勝ってみせた。
驚愕からか着地に失敗したリンクは瞬時に体勢を立て直すことが出来ず、止む無く膝を床に付けたまま顔を上げる。
と、そこには予想通りというべきか既に肉薄を終え、舌舐めずりを交え刺突を放つ真島が視界を覆っていた。
狙いはリンクの額。食らえば即死は免れない。
体勢を立て直せていない以上回避も間に合わない絶体絶命の状況だ。
しかし、それはあくまでリンクと真島のやり取りを傍から見ていたら抱くであろう第三者の意見に過ぎない。
床に転ばされ、刺突を向けられるこの状況をリンクは既に一度体験している。
そしてリンクに対して同じ技を使用するということは――これ以上ない悪手である。
パリィィ――ンッ!
「――あァン?」
勝利を確信する真島の右手に不意打ち気味の痺れと衝撃が襲う。
ガードジャスト――強制的に仰け反る形で体勢を崩す真島。その手から弾き飛ばされた共和刀は弧を描きながらリンクと真島の間を舞う。円形の残光を描き宙を舞うそれは二人の目を奪った。
リンクと真島は即座に体勢を立て直し、数瞬見合う。それだけで互いの思考を読み取った二人は弾かれるように跳躍した。
伸ばされた二本の腕は勿論、空を泳ぐ刀へ!
それを手にしたのは――!
「ヒィィィヤァッ!!」
狂犬、真島吾朗の一閃がリンクの胸上に浅い裂傷を刻む。
刀を手にしたのは真島の方だった。苦悶の声を上げ動揺を見せるリンクへ追撃の逆袈裟を放つ。
見切れない一撃ではなかったが、この殺し合いにおいて初めてまともに受けたダメージに平然としていられるほどリンクは機械じみてはいない。
咄嗟に盾を突き出し軌道をずらさんとするも、逆にその盾を弾き飛ばされ三度目の床に転ぶ形になった。
無手となり防御も攻撃も奪われたリンクは絶望よりも先に起き上がろうと疲弊する身体に鞭打つ。が、それは顔前へ突き出された刃により阻まれることとなった。
「終わりや、兄ちゃん。得物が違えば勝敗も違っとったかもしれんが、勝負の世界にもしもはない。……ま、中々楽しめたでぇ?」
「っ……!」
心底残念そうに、しかし心底愉しげに紡ぐ真島にリンクは息を呑む。
狂っている――人の狂気に触れる機会が多くなかったリンクだからこそ、この男の異常性は特段強く見えた。
喋り疲れたとばかりに真島は腕を引き、刀に反射する光がその鋭利さを主張する。
三度目ともなると見慣れるものだ。しかし盾がある状況とは違い一切の対処の術をリンクは持ち合わせていない。
迫りくる死の刃に無念と懺悔を抱きながら、リンクはゆっくりと目を閉じた。
■
「つ、2Bさん……! わた、私……私ぃ……!」
「静かにして、雪歩。ここもいつ探られるか分からない」
リンクが部屋を出て十分ほどだろうか、2Bと雪歩は自らに首をもたげる脅威を感じ取っていた。
いや、感じざるを得なかったという方が正しいか。無闇矢鱈に響く扉の破壊音が段々と近寄ってきているのだから。
たった今隣の隣の部屋の扉が破壊された。この部屋に来るのも確定だろう。
相手がどんな姿でどんな武器を持っているのか分からない以上迂闊に行動するわけにはいかない。が、行動せざるを得ない状況に迫られている。
2B一人の時ならば話は別だが今は雪歩がいる。だからこそ2Bはギリギリまで戦うか窓から逃走するか決めあぐねていた。
「――おぉ~いっ! 出てきてくれよぉ~! 折角のパーティーなんだから隠れることねぇだろぉ!?」
廊下を通じ部屋にまで渡る襲撃者の声に雪歩は肩を跳ね上げ2Bにしがみつく。
白く細い腕から伝わる震えと激しい脈拍が彼女の心理を訴えかける。緊迫の表情を見せる2Bは雪歩を落ち着かせる言葉を吐くことも出来ず、ただ来るべき時に備えていた。
「ここかなぁ!? ……あっちゃ~! またハズレかよっ! 上手いこと隠れやがって!」
隣の部屋の扉が破壊された。
雪歩の震えはますます強くなり嗚咽の声が聞こえ始める。
不安に押し潰されそうなほど小さな身体を抱き寄せることはできない。そうしたら両手が塞がってしまうから。
この危機を打破するには、雪歩を守るにはどうすればいいか。お世辞にも理知的とは言えない2Bの思考回路はこの土壇場で決意を固めた。
ここで討たねばならない。
窓から逃走しても確実に逃げ切れる保証はないし、まだ城に残っているリンクに危険が及ぶ。
となればこの部屋で迎え撃ち、不安の根源を潰さなければならない。雪歩をここまで追い詰める顔も知らぬ侵入者への怒りと憎しみが2Bを感情的にさせた。
轟音、破壊される扉。
腕の中で雪歩が小さく悲鳴を上げる。
部屋の明かりに照らされる来訪者の顔はそれはそれは嬉しそうに歪んでいて。
不自然に隆起した人工筋肉は歓喜を顕にするように痙攣し、カサついた唇は衝動的に笑みを形どった。
「みぃ~つけたぁ~」
下卑た笑いが響く。
平穏を乱す混沌の知らせは、あまりにも唐突に。
今そこに”居る”という現実は雪歩から理性を奪い去った。
「――きゃあああああああああっ!!」
糸を切るような悲鳴は開戦の合図。
襲撃者トレバーと2Bは弾かれるように互いへと疾走した。
■
最終更新:2019年10月28日 00:17