学校で起こった出来事や、私の傷心を嘲笑うかのように、空は綺麗に晴れ渡っていた。
夏の都会に見られるような、ギラギラした獰猛な光ではない。
この世界に四季はあるのか分からないが、5月の初頭のように、優しい光が屋上を照らしている。
今日は事務所のレッスンに出ずに、町の人が少ない公園で歌の練習をしようか。
この世界に人の命を平気で摘み取ろうとする者がいないなら、そんなことを考えてしまうほど良い天気だった。
屋上からフェンス越しに広がる市街地に草原、そして海。
それらが全て優しい光を反射し、それぞれ異なる光を放っていた。
心地よく私の頬を撫でる風。
挨拶でもするかのようにきらきらと輝く景色。
この世界もまた、残酷なまでに美しかった。
美しいものは残酷だと聞いたことがあるが、この景色を見るとそれが良く分かる。


そう言えば、と私は思い出したことがあった。
弟の優を失った後も、私が住む町の景色は崩れることは無かった。
太陽が出れば日光が街を照らし、大人も子供もあわただしく歩道を歩き始め、夜になれば街灯が、ビルの明かりが街を照らす。
如月家が壊れた後も、それは変わらなかった。一つの家族が壊れた後でも、同情の顔一つ向けることない。


13人の人間が死んだこの世界の景色もまた綺麗なままだ。
何かを喪うと景色がモノクロになるとも聞いたことがあるが、それは人が変わったのであり、景色が変わった訳ではない。
美しい景色は、喪った人に寄り添うことも無く、どこまでも残酷に美しいままだ。


けれど、私はここで歌い続ける。
それが、私の生きる理由であり、この世界で生きる第一歩だからだ。



「スウゥゥゥゥゥ………」

澄んだ空気を肺に、胸に、そして腹の奥へ吸い込み、口を開ける。
この場所は、音源はなく、共に歌ってくれる仲間もいない。
先程まで居た歌を聞いてくれる仲間も、死んでしまった。
違う。
生きている者だけが、歌を聞くことが出来る訳ではない。
少なくとも私はそう信じたい。
例えば『しゃぼん玉』のように、死者を想って作られた歌は数えきれないほどある。
他にも神や精霊のような、いたのかさえ定かではない者に捧げる歌だって少なくない。
もし歌が生者にしか伝わらないのなら、見えている者にしか伝わらないのなら、それほど多くの死者を想った歌は作られなかったはずだ。

「あーーー……あーあーーー…アーーー……。」

まずは、観客に聴かせることをイメージして、調律を合わせる。
歌と自分の想いを結び、どこかで聞いているはずの春香や雪子の心に届けるために。
それだけじゃない。弱い私を奮い立たせるために。
そうだ、あの曲にしよう。
本当は死者を想う歌にしようと考えたけど、その歌は無事に帰ってからでいい。
あの曲はかつてアカペラで歌うことが出来たし、そう言ったものが無いこの場所で歌うにも向いている。

頭の中で、1,2,3,4と拍子を取る。


   ずっと眠っていられたら
   この悲しみを忘れられる
   そう願い 眠りについた夜もある

   ふたり過ごした遠い日々
   記憶の中の光と影
   今もまだ心の迷路 彷徨(さまよ)う


   あれは 儚(はかな)い夢
   そう あなたと見た 泡沫(うたかた)の夢
   たとえ100年の眠りでさえ
   いつか物語なら終わってく
   最後のページめくったら


だから、私は歌う。
生きることを許してくれなかった残酷な世界にいてなお、笑顔を絶やさなかった優のために、春香のために、雪子のために。
理不尽に耐え切れず、誰かに理不尽を押し付けようとしていたあの眼鏡の少年のために。
この世界で会ったことも無い、他の11人の死者のために。
理不尽に離別を突き付けられた、56人の生きている人たちの為に。


   眠り姫 目覚める 私は今
   誰の助けも借りず
   たった独りでも
   明日へ 歩き出すために
   朝の光が眩しくて涙溢れても
   瞳を上げたままで


そして、私が王子様の力を借りながらも目覚め、歩き続けることが出来た眠り姫のように、自分の足で前へ進めるようになるために。


私は、この残酷な景色をバックに、歌い続けた。
今度は聞いてくれる者は1人もいない。
違う。いるはずだ。
幽霊などは信じたつもりは無いが、私の見えない場所から聞いているはず。


   どんな茨の道だって
   あなたとならば平気だった
   この手と手 つないでずっと歩くなら
   気づけば傍にいた人は
   遥かな森へと去っていた
   手を伸ばし 名前を何度呼んだって
   悪い夢ならいい
   そう 願ってみたけど
   たとえ100年の誓いでさえ
   それが砂の城なら崩れてく
   最後のkissを想い出に


理不尽にとらわれることこそあれど、私は童話の眠り姫と違い、白馬に乗った王子様が助けに来てくれることはない。
いや、王子様ではないにせよ、私の目を覚まさせてくれた仲間がいた。
この世界で、かつての世界で。
だから私はきっと一人でも歌い続けることが出来る。
違う。一人じゃない。見えていないだけで、きっとすぐ近くに仲間はいるはず。


   眠り姫 目覚める 私は今
   都会の森の中で
   夜が明けたなら
   未来 見つけるそのため
   蒼き光の向こうへと涙は拭って
   あの空見上げながら
   誰も明日に向かって生まれたよ
   朝に気づいて目を開け
   きっと涙を希望に変えてくために
   人は新たに生まれ変わるから


でも、私は茨の包む城で眠り続ける姫ではなく、危険を冒してでも姫を助けに行った王子様のような決意が欲しい。


   眠り姫 目覚める 私は今
   誰の助けも 今は要らないから
   独りでも明日へただ
   歩き出すために
   そう 夜が明けたなら
   未来 見つけるそのため
   蒼き光の向こうへと涙は拭い去り
   あの空見上げて


歌い終わった時特有の心地よさが、身体中を駆け巡る。
歌は胸の内に泥のように溜まった悪いものを浄化してくれる。
私が歌が好きな理由の1つは、この歌った後の満ち足りたような気持ちがあるからだ。
元の世界の仲間を失い、この世界で出会った仲間を失った今でも、それは変わらないようで嬉しかった。




その時、ひゅうと風が私の頬を撫でた。
風は金網のフェンスから入り、私の髪をふわりとさせ、またフェンスへと抜けて行く。
それは私を吹き飛ばそうとするほど強いものではなく、小春日和の川沿いのような、心地よくて涼し気な風だった。
まるで歌い終わった自分に、天が祝福をくれたように感じた。
god bless(神の祝福)もとい、god breath(神の息吹)というものだろうか。
そんな雪子が聞いたら吹き出しそうな、正確には雪子ぐらいしか吹き出さなさそうなことを思い浮かべてしまう。


友達の名前が呼ばれてから、沈み切っていた私の心が、少しだけ軽くなった気がした。
その時、感じることは無いと思っていた空腹を感じたため、休憩も兼ねて食事を摂ることにする。
もっともっと歌いたいのだが、休みなく歌い過ぎて喉を潰してしまえば本末転倒だ。
ザックを開けて、食べられるものを取り出す。


中にあったのは、ビスケットと水。
満腹には程遠いが、歌を紡ぐためのエネルギーが確保できればいいため、問題はない。
辛い物や炭酸飲料のように、喉を傷める飲食物が無かっただけでも喜ぶべきだ。


屋上に座って、ビスケットを食べる。
味も素っ気も無いが、栄養はあるらしく、6時間以上ものを食べていない私の身体に、血管を通して栄養が巡って来るのを感じる。
少し口の中に噛み砕いたビスケットが残ってしまう気持ち悪さが残るが、水で流す。
食べている間に今思ったことだが、この学校の屋上は涼しく、過ごしやすい。
私がかつていた学校は、屋上に立ち入り禁止だったので、学校の屋上というのはこれが初めてだったが、降り注ぐ日光と穏やかなそよ風が、どこか受け入れてくれる優しさを感じた。
座るっていることで視線が落ちたため、私の目に屋上のコンクリートの隙間に生えていた雑草が映りこんだ。
これも元居た世界にあったものだろうか。
だとすれば、実に拘ったコピーだろう。
そんなどうでもいいことを考えてしまった。


今目の前にある、名前も知らない草が本物なのかどうかは分からない。
この草も私と同じで、仲間がいなくても、こんな恐ろしい場所でも生きようとしているのだろうか。
またそんなどうでもいいことを考えてしまった。
考えてもどうにもならないことを考えてしまうのは私の孤独か、それとも弱さか。
例え拍手を送ることが出来ない生き物だったり、作り物だったとしても、歌を聞いてくれるのならばそれでいい。


支給された食料を取り出したついでに、自分のそれ以外の支給品を調べてみる。
マイクや音源は期待する方がおかしいが、護身用の武器だってあるかもしれない。
最もあったとしても使えるかどうか分からないし、あの金髪の男と戦えるかと言われれば首を横に振らざるを得ないが。
あったのは、宝玉のような首飾りに、バッジ。
残念ながら使えそうにないが、アイドルが身に着けるアクセサリーの感覚で身に付けておく。


私は前へと歩き続けるために、再び『眠り姫』を歌い始めた。
もう一度風が吹いた。



♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪



病院を後にしたイウヴァルトは、参加者を探して当て所なく歩いた。
胸に何とも言えない苛立ちを押し込んで。
殺し合いに乗るからには、どんな呪詛の言葉とて自分に届かないと思ってた。
そもそも『呪ってやる』、『地獄へ堕ちろ』と言ったありふれた呪詛は、ブラックドラゴンと共に連合兵を殺し回っていた時に飽きるほど聞いた。
既に自分は呪われてるし、いずれは地獄へ堕ちると、言われなくても分かっていた。


―――たまには、自分の意思で動いたらどうだ。


病院でガタイのいい男に言われた言葉。
振り払おうとしても窓にへばりついた虫のように脳裏から離れず、何度も木霊する。
そしてその言葉は、彼に苛立ちを加速させた。
腹いせにアスファルトの道路にぺっと唾を吐いた。
それで怒りが収まる訳では無いが、何かせずにはいられなかった。



何度目か市街地の角を曲がった時に、不意に耳に柔らかい何かが入り込んできた。


――――――――♪


かすかに聞こえて来たのは歌だった。
まるで光に誘われる蛾のように、ふらふらと音の方向へ向かって行く。


――――――――♪


それは、歌い手の優しさと寂しさが表明されているかのような歌だった。
異なる国の曲だからか、彼が良く知っている曲とは旋律や音階がだいぶ異なっている。
だが、それでも悲しさがありながらも、力強さが伝わる歌だとはっきり分かった。


歌声が聞こえてくる方向に、両の足をしっかりと踏みしめて歩く。
彼にとっては、歌の上手い下手、歌が伝えようとしていることは関係なく、歌い手そのものが憎らしくて仕方が無かった。
なぜこの緊迫した状況で歌なんか歌っている奴が生きていて、フリアエ死んでしまったんだという憎悪。
どんな歌を歌っても、変えられるものはないという侮蔑。
そして、この先にいる相手が、自分が契約によって失ったものを持っているという妬み。


歩いていくと、歌声の主は高い建物の屋上にいることが分かった。
鞘に納めた剣の柄を握りしめる力が、自然と強まる。
イウヴァルトの世界は、元々戦火に晒されていたため歌える機会などそう無かった。
残された僅かな機会も、ブラックドラゴンとの契約によって完全に失ってしまった。


校門から彼にとっては見慣れない建物の中に入り、校舎の中から屋上への階段を探す。
人がいない学校特有の、ひんやりとした空気が彼の頬を撫でる。
だが、その程度の冷気で彼の怒りの炎を消すことは出来ない。


彼には命よりも大切なものが、2つだけあった。
1つは、彼を彼たらしめることが出来る歌。
無口だが剣でも学問でも何でもできた幼馴染に、唯一勝つことが出来た歌。
だが、それはもう1つの大切なものを取り戻すために、捨ててしまった。


1階の廊下を曲がり、階段を見つけ、2段飛ばしで登っていく。
実は歌は参加者をおびき寄せるための餌だとか、歌う者の周りに護衛がいるとか、そのようなことを考えられる余裕は怒りの波に沈んでしまった。


黙らせたかった。
あの歌を止めたくて仕方が無かった
自分が未来へ進むために失ってしまったものをなおも持っている人間を殺したかった。
殺し合いに乗るとは決意したが、ここまで個人に対して殺意を抱いて殺しに向かうのは初めてだった。
2階と3階の間辺りで、大剣を抜く。
段々と音に近づいて行く。


♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪


「歌が聞こえるわね。」

首輪解除の手掛かりを探して、八十神高校を目指していたルッカとNは、異変に気が付いた。
屋上から、どこか優し気であり、悲し気なメロディーの歌が聞こえて来た。
その旋律にルッカは酒場で流れるピアノの演奏を思い出し、Nは幼少期に過ごした部屋で流れた曲を思い出した。


あの歌をもっと近くで聞きたい、どんな人が歌っているか会ってみたいと気持ちは逸るが、ルッカは一度考える。
なぜこんな場所で歌っているのか、と。
これほど長い時間、自分の居場所を知らせるようなことをしながら、誰にも襲われていないというのも不自然に感じた。
屋上にいる歌い手が、凄まじい力を持っている、あるいは護衛がいるというケースを想定してみる。
ルッカの仮説が真であるとすると、歌い手が殺し合いに否定的ならば、交渉次第で強い味方が出来る可能性が高い。


だがもし、歌い手が殺し合いに乗っていて、この歌も罠ならば?
ふと彼女が幼い頃、サイエンスに目覚める前に読んだ、美しい歌で人間をおびき寄せて食い殺す怪物のことを思い出した。
屋上にいるのは、人を殺すために歌を歌い、人の命を糧としてまた歌う怪物。
そんなものはサイエンスの世界にはあり得ないと言いたいが、これまでの冒険でも未知の敵はいた。


警戒すべきだが、あの歌は誰かを呼ぶために命を懸けて歌っているものだったら、殺し合いに乗った者に命を奪われる危険性がどんどん高くなる。

(恐れている場合じゃないわ。答え合わせを怖がっていれば、永久にサイエンスの道は開かれない。)

意を決して、校舎に乗り込もうとする。
ふとNはどうしているのかとなりを見ると、何かに憑りつかれたようにぼんやりと校舎を見つめていた。


「何を見ているの?あの歌の所へ行かないと。」
「不思議なつくりの建物だなと思ってね。」


ルッカの世界では公教育のシステムは未発達なので、学校という建物を知らなかった。
サイエンスの技術は広い家を使って、専ら独学で磨き上げてきたものだ。
だが、学校という建物に不思議なものを感じたことは無かった。


「分からない?この無機質と有機質が混ざり合ったデザイン……
一切の円を拒絶した、直方体だけで作られながらも、どこか命を感じる……。」

(やっぱり、この人は何考えてるか分からないな……)

「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ!あの歌の所へ行かないと!!」
ルッカはNの手を引き、校舎の中に入って行く。


八十の神の名を冠す学校に、歌に惹かれた3人が集う。
彼らが齎すのは救いか災いか。
はたまた、救われるのは歌い手か聞き手か。


タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2022年06月24日 00:56