「――ちゃん、起きて」
「……」
「――美希ちゃん!」
「……あふぅ」
「よかったぁ……おはよう、美希ちゃん」
「ん……雪歩……おやすみなの」
「寝ちゃダメだよ、美希ちゃん!?
もうレッスン場が閉まっちゃうから、出ないと……」
「む~、もうそんな時間なの?」
「はう!ご、ごめんね、待たせちゃって……。
私ばかり何度もレッスンし直したから……。
結局、終盤はほとんど私のソロレッスンみたいになっちゃって……。
美希ちゃんはどの振りも一発オッケーだったのに、私本当にダメダメですぅ……」
「まったくなの」
「うぅ……」
「それにしても、ミキと雪歩のユニットなんて珍しいよね」
「そうだね……で、でも、私と美希ちゃんだと不釣り合いだし、やっぱり辞退した方がいいかな……」
「ミキは楽しみだよ?」
「えっ、楽しみ?」
「うん。ミキは気づいたの。765プロのみんな、それぞれ個性があるって」
「個性……」
「ミキね、学校の先生に、お前は勉強もスポーツもなんでもやればできるって、褒められたんだ。
でも、気づいたの。ミキと雪歩で同じ歌を歌っても、それは同じ歌じゃないの。ダンスもお芝居も同じ。
ミキは雪歩にはなれないし、雪歩もミキにはなれない。みんなそう。どこかにマネできない部分があるの」
「……」
「それが、個性。その個性をかけあわせたとき、もっとドキドキするんだ」
「かけあわせる……ユニット、ってことだよね」
「ピンポーン!だから、雪歩とのユニット、楽しみなの」
「美希ちゃん……」
「雪歩はどう?楽しみじゃないの?」
「……ううん、私もすごく楽しみ!
私も私の個性を出せるように……あと足をひっぱらないように、がんばるね!」
「うん、がんばるの!」
□
「ふあぁ……よく寝たの。やっぱり事務所のソファは最高なの」
「おや、美希。いま帰るところですか?」
「うん。貴音は屋上に用?」
「ええ。今宵は月がよく見えるので、少し見ていこうかと」
「ふーん……」
「美希もどうです?」
「じゃあ、せっかくだし行ってみるの」
「ふふっ……では、行きましょう」
「うわぁ、本当に月がおっきいの。
そういえばお姉ちゃん、今日はスーパームーンだって言ってたかも」
「月は古来より、多くの人の心を捉えてきました。
かぐや姫の伝承しかり、ウサギが住むという言い伝えしかり」
「十五夜のお団子もそうだよね」
「ええ。では、どうしてそれほど月は魅力的なのだと思いますか?」
「うーん……キレイだからかな」
「それもあるでしょう。しかし、それだけではないと私は考えています」
「じゃあ、どうして?」
「月を見る人は、月に自分自身を重ねているのです」
「自分自身を重ねる?どういうこと?」
「月はみずから光ることはできず、太陽の光を反射して光っています。
すなわち、他者の力がなければ輝くことのできない存在ということなのです」
「……言われてみると、そうかもね」
「ええ。この私も、プロデューサーをはじめ多くの方々に助けられて、アイドルをしている」
「そっかー。だから月に自分自身を重ねているんだね」
「そう……ただ、中には特別な人もいると思います」
「特別な人?」
「みずから強い光を発して、周囲を光らせる……太陽のような人です」
「ふーん……」
「ふふっ。小難しい話をしてしまいましたね」
「ううん。なんとなく、わかる気がするの」
□
静謐な空気に包まれた美術館の、入口から近い展示室にて。
眠りから目覚めた美希はゆっくりと、床から上半身を起こした。
カメラのピントが合うように、ぼんやりとした視界がクリアになっていく。
そうして、ここがレッスン場でも事務所でもなく、美術館であることを思い出す。
「さっきまでの、夢?ってコトは……」
先程まで見ていた光景は、それを夢だと認識したとたんに、美希に悪い想像をもたらした。
雪歩や貴音が夢に出てきたのは、いわゆる予知夢のようなもので、何かの予兆ではないか。
最初の放送で春香の名前が呼ばれたように、雪歩や貴音にも良くないことが起きているのではないか。
「そんなの、やなの!」
これまで美希は、大切な存在を喪う経験などしたことがなかった。
家族は両親も姉も健在で、そもそも“死”に触れた経験自体ゼロに等しいのだ。
加えて、天海春香を喪ったからこそ、仲間を喪いたくないという気持ちが何より強い。
ただの夢であってほしいと思いながら、周囲を見渡す。カミュとハンターの二人は床で寝ていた。
誰かに相談したかったが、ナインズくんの姿はなかった。ケータイも無いから、メールを送ることもできない。
「……ううん、悩んでもしかたないの。
たしか亜美と真美もそんなカンジで歌ってたよね」
美希は双海亜美と真美ふたりの持ち歌を脳内で再生して、不安な気持ちを紛らわせる。
生まれつきのマイペースさもあって、悪い想像を抑え込むことに成功する。
そのとき、近くで落ち込んだ声がした。
「むううん……」
「あれ?おはなちゃん、しょんぼりしてるの」
おはなちゃんことムンナは、美希の近くでふわふわと浮いていた。
その頭から出ている煙は、これまでのピンク色とは微妙に異なっている。
煙はわずかに黒みを帯びており、その表情にも陰りが見える。
「うーん。どうしたんだろ?」
「……むう」
美希はムンナの頭部をやわらかく撫でた。しかし、反応は鈍い。
全身をくまなく観察してみても、わかりやすい怪我の傷や病気の兆候は見られない。
こうなると美希には判断がつかない。なぜなら美希には、ポケモンどころか一般的な動物の知識もろくにないのだから。
それでも頭をひねって考えると、あるひとつの可能性に思い至る。
「あ!もしかしたら、イヤな夢でも見たのかも。どう?おはなちゃん」
美希と同様、悪夢を見てしまったせいで落ち込んだのではないか。
そう問いかけても、ムンナの表情は変わらない。
どう対処したものかと、美希は首を傾げる。
「そうだ、こんなとき響なら……!」
美希はふと、同じアイドル仲間の我那覇響がしていた話を思い出した。
響は何匹もの動物たちと暮らしており、普段は仲がいいが、たまにケンカをすることもあるという。
ケンカのあとはどうしても、響自身も動物たちも、気分が落ち込んでしまう。
そんなときに、響はいつも得意の歌やダンスの力を借りるのだそうだ。
浮いているムンナに手招きをしながら、美希は口ずさむ。
「MOONY GOOD NIGHT 真夏に光る~♪」
いわく、楽しい雰囲気を好むのはヒトもイヌも変わらない。
歌やダンスを楽しむことで、自分自身も周囲の動物たちも楽しい気分になるのだと。
「お月様 お願い良い夢を~♪」
表情に陰りがあるのは落ち込んでいるからだと、美希は判断した。
ムンナを膝の上に置いて、頭部を撫でながら、やさしく語りかけるように歌う。
選んだのは、美希の楽曲のレパートリーの中でも、とくに穏やかであり、夢見心地になれる曲だ。
「むううん!」
「おはなちゃんもいっしょに歌うの!」
「むぅ~ん♪」
「あはっ!」
膝の上のムンナは美希の歌に合わせて、ぴょこぴょこと身体を左右に揺らしはじめた。
目を細めながら調子外れな音を出すさまを見て、美希もつられて笑顔になる。
それからまるまる一曲、美希はムンナと心ゆくまで歌を楽しんだ。
□
ふむ、あの娘以外の二人は眠り、もう一人は美術館の外。
しばらく頃合いを見計らっていたが、この好機を逃す手はあるまい。
あのとき塗料にし損ねた人間が現れたときには驚いたが……。
わらわに気づいた様子もない。今度は確実にまる飲みにしてくれよう。
それにしても……この身はいちど消滅したはず。
それを復活させていただき、ふたたびお役に立てるとは、まさに無上の喜び。
あの方からは「首輪をはめた人間を吸収しろ」と命じられた。
その理由まではわからないが……もとより、偉大なるあの方を疑う必要などない。
あの方の寛大なお心遣いは、わらわへの信頼あってこそ。
そうであるならば、その信頼に応えることで感謝の意を示すべきだろう。
さて、まずは能天気な娘からだ。
寝ている男どもに比べれば、まだいい色になりそうだ。
カカカ……ひとりずつ塗料にしてくれる。
この美術館を訪れたのが、貴様らの運のツキよ。
□
「ふう……」
美術館の女子トイレの洗面台で、美希は一息ついた。
ひとまず、ムンナのテンションを元通りに戻せたことに安堵していた。
ムンナには美希がトイレに行く間、カミュとハンターの様子を見てもらっている。
「それにしても、カミュもハンターさんも、ぐっすり寝てたの」
二人の寝顔を思い出しながら、蛇口をぐいと回す。
美希とムンナの歌声を聞いても、起きるそぶりを見せなかった二人。
彼ら二人はこの美術館に来るまでに、激しい戦闘を繰り広げたと話していた。
「ほんとうに疲れてたんだね。ご飯モリモリ食べてたし。
あ、ちゃんとセッケン付けないと、律子…さんに叱られちゃう」
備え付けのハンドソープのポンプを押す。
765プロの事務所では、体調管理の一環として手洗いの習慣化を促されていた。
面倒で適当に済ませてしまう美希は、
ルールを決めた秋月律子から説教されることもしばしばあった。
たあいのない日常のひとコマを思い出して、美希は笑みをこぼした。
「そうだ、ナインズくんどこ行ったんだろ。眠くないのかな。
あれ?アンドロイドは寝なくても平気、って言ってたっけ?」
しっかりと泡立ててこすり、流水で泡をすすぐ。
美希たち三人が寝ていた部屋に、9Sの姿はなかった。
さきほどまでの会話の流れからすれば、三人を放置して去るとは考えにくい。
それに、9Sから美希へとされた宣言のこともある。
「貴方を護ります、かぁ……。
そんなこと言われたの、はじめてかも」
ゆっくり流れて消えていく泡を、じっと見つめる。
数時間前、美希と9Sの二人は互いに約束を交わした。
独りにしない。その言葉に込められた感情は異なるとしても。
「ナインズくんは、ウソはつかないって思うな」
その言葉に嘘偽りは無いことだけ、美希は確信している。
ただし、不安要素もある。9Sの精神は安定しているとは思えない。
「……いなくなったり、しないよね」
ヨルハとは何なのか。
9Sは何を抱えているのか。
記憶を取り戻すことで、何が起こるのか。
どれも、美希には見当もつかないことだった。
「……あっ」
備え付けのハンドペーパーで濡れた手を拭いて、ゴミ箱に投げ入れる。
丸めたペーパーはゴミ箱のふちに当たり、床にぽとりと落ちた。
「……」
無言のままそれをひょいと拾い上げて、あらためてゴミ箱へと入れる。
ただそれだけのことなのに、美希の手は震えていた。疲労ではない。
脳裏に浮かんできた9Sの言葉が、美希の不安を噴出させたのだ。
「とにかく、このままだとダメ」
美希はそう呟いて、洗面台の鏡にうつる自分を見つめた。
胸元にチョウの模様をあしらったグリーンのキャミソールと、紺色のスカート。
いつもとまるで変わらない、そのままの星井美希がそこにいる。
「今のままだと、なにかあったときに動けないの」
このまま、9Sに護られているだけの状況ではいけない。
互いに大切な約束を交わしたのだから、美希も9Sの力になりたい。
美希の心には、これまでに交わした約束よりも能動的な感情が芽生え始めていた。
「ミキもナインズくんを護りたい。
でも、そのためには戦えないといけない……」
ぽつりぽつりと呟いて、美希自身のするべきことを確認する。
目標のオーディションに合格するためには、レッスンが必要不可欠。
アイドル活動を初めたての頃の美希は、そんな当たり前のことも知らなかった。
しかし、初の単独ライブを終え、プロデューサーから新人卒業と評された今の美希は違う。
目標達成のためには行動が必要だと身に染みて知っている。だからこそ、するべき行動を導ける。
現状の美希にとって、目標とは護ること、そして行動とは戦うことだ。
「だから、ナインズくんには止められたけど、これを……」
ゆえに、美希は行動を選択する。
洗面台のそばに置いた、とある支給品を見つめる。
支給品を確認した9Sからは使用を控えるように言われたアイテム。
いずれ使用することになるかもしれないそれを握りしめて、美希は再び鏡へと視線を移した。
すると、知らない幼女が鏡に――しかも美希の背後に――写り込んでいた。
「わっ、びっくりしたー!」
少し驚いて振り向くと、トイレの入口付近に幼女が佇んでいた。
服装は洋風で、低身長の高槻やよいと比べても背が低い。年齢は十歳にも満たないだろう。
とつぜん現れた相手に、どう対応しようかと逡巡している間に、幼女の方から声をかけてきた。
「お姉ちゃん。わたしのパパとママ、知らない?」
「パパとママ?……キミもここに連れてこられたの?」
「え?ええと……よくおぼえてない。
この美術館にパパとママといっしょに来たんだけど、はぐれちゃって」
目元を拭うしぐさをするメルを見て、美希は弱ってしまう。
小学生の女の子から告白されたこともある美希だが、励ましたり慰めたりするのは不得意だ。
もし三浦あずさならどうするか。美希はあずさのことを思い浮かべながら、言葉をかけることにした。
「……迷子になっちゃったんだね。キミ、名前は?」
「わたし、メル……ぐすっ」
「メル……かわいい名前なの」
両親とはぐれて、いつの間にかここに辿り着いていたと、涙声で話すメル。
そんなメルの様子を眺めた美希は、わずかながら違和感を覚えた。
「……?」
メルの話によると、メルは美術館にパパとママと来て、いつの間にかはぐれたという。
しかし、ずっと美術館にいたのにもかかわらず、美希は誰の姿も確認していない。
そして他の三人も、誰一人として親子の話などしていない。
「お姉ちゃん、おねがい。パパとママを探して!
きっとこの美術館のどこかにいるはずなの……」
「うーん、そう言われても……」
美希は当惑を隠さずに口ごもる。
わずかな違和感は疑惑へと変わりつつある。
それに、言葉だけではなく、見た目にも違和感がある。
このままメルという幼女を素直に信じるべきか否か、美希は決めかねた。
「……あっ!思い出した!」
「え?」
「パパとママがいなくなる前、きれいな絵を見てたよ」
「きれいな絵って、どんなやつ?」
「えっと、ろうかにあった美人さんの絵」
「廊下……ああ、そういえばあった気がするの」
美希は古めかしい女性の絵画のことを思い出した。
横を通り過ぎたとき、視線のようなものを感じたことも。
そのときに抱いた率直な感想を、つい口にしてしまった。
「ミキ的にはあの絵、あんまりイケてないって感じ」
「…………」
「そんなに美人ではないと思うの」
「ねぇ、パパとママのこと、探してくれないの?」
小首をかしげて尋ねてくるメル。
その雰囲気に剣呑さが増したことを、美希は肌で感じていた。
「ううん。でも、いちどナインズくんに尋ねてから……」
「もういい!」
「あっ、メル!?」
慎重な策を取ろうとした美希の言葉を遮って、メルはトイレを飛び出した。
そして、カミュとハンターの寝ている部屋とは反対方向、女性の絵画のある廊下へと向かう。
まるで美希の態度に業を煮やしたように。
「……」
美希は考える。メルが虚偽の発言をしている疑惑はある。
しかし、本当にメルが両親とはぐれている可能性も否定はできない。
その場合、メルの両親には姿を現わせない理由があることになる。監禁されているのか、さもなければ――。
「――それは、ダメなの!」
メルの両親は殺害されている可能性がある。そのことに思い至り、美希は駆け出した。
独りになったメルが、もし危険な人物と遭遇してしまったら。美希は絶対に後悔する。
ほどなくして、女性の絵画のある廊下へと辿り着く。付近には誰もいない。
「これ、だよね……」
あらためて目にした女性の絵画は、柔和な笑みをたたえていた。
解説文によると、壁画の模写らしい。デザインや配色はシンプルながら丁寧に描かれている。
とはいえ美希からすると面白味のない絵画だ、という評価は変わらなかった。
それよりも、と美希は周囲を見回す。メルも近くにいるはずだった。
「お姉ちゃん、来てくれたんだね」
すると背後から、幼い声をかけられた。
メルの無事を確認して、美希はひとまず安堵する。
「メル!よかったの……」
振り向いた美希。その安堵は即座に警戒心へと変化する。
メルが悠然と構えていた。怯えた態度など、毛ほども感じられない。
「あはは……ははは……」
「!?」
とつぜん笑い出したメルを、美希は理解できずにいた。
このときの美希に不足していたもの、それは何よりも経験である。
これまでに異常事態を経験してきた者であれば、あるいはその場から離れることもできたかもしれない。
そう、カミュやハンター、あるいは9Sであれば。
「カカカ……カカカカカ……!」
しかし、美希は態度を急変させたメルに意識を割いてしまった。
そのせいで、絵画から――正確には女性の胸元にあるカギから――放たれた怪しい光に反応するのが遅れた。
哄笑しながら雲散霧消していくメルと、驚愕する美希。
「えぇっ――!?」
そして思考よりも速く、まばゆい光は美希を飲み込んだ。
□
「うっ……ここは……?」
気がつくと美希は奇妙な場所に倒れ込んでいた。
そこは石造りの歩道のようで、ただし中空に浮いていた。
「不気味なところなの……」
恐怖心に身震いして、美希は周囲を見渡す。
まっすぐ伸びた歩道には、等間隔で炎が揺らめいているものの、それでも暗い。
そして、歩道以外の周囲の空間は、その上下左右すべてが暗雲に包まれていた。
「ナインズくん!カミュ!ハンターさん!」
大声で名前を呼んでも、返事は無い。
目を凝らすと、前方に人影らしきものが見えた。
美希は駆け出した。今は誰かと合流するのが最善だ。
ゆっくりと近づいてくる人影。その輪郭と容姿が次第に明瞭になる。
「ひっ……!な、なにコレ!?」
土気色の肌。ぎょろりと飛び出た眼球。開いた口の隙間から垂れるよだれ。
リビングデッド。それは生者を呪うために墓場よりよみがえった、ゾンビである。
美希の全身に怖気が走る。嫌悪感はもちろん、強い悪意に触れること自体、初体験だった。
「こいつら、何匹もいる!?」
リビングデッドは背後を向いて手招きのような動きをした。
すると、地中から同じリビングデッドが這い出てきた。
その数は二体、三体と次第に増殖していく。
「近寄らないで欲しいの……っ!」
リビングデッドの動きは緩慢ではあるものの、明確に美希を追跡している。
このまま歩道に留まっていても、体力が尽きて捉えられてしまうことは容易に想像がついた。
なおも増え続けているリビングデッドを遠巻きに見て、美希はひとつ息をついた。
「もう……ぶっつけ本番だけど、やるしかないの!」
美希は震える手で、あるアイテムを髪に装着した。
それは“シルバーバレッタ”と呼ばれる銀の髪飾り。
その穴には既に、マテリアがひとつセットされている。
「……」
マテリアの使用方法は、解析した9Sから説明を受けていた。
目を閉じて、9Sの説明を思い出す。曰く、精神を集中させるのだと。
(集中……集中するの……)
美希は魔力という概念を知らない。
それでも、アニメや漫画で魔法を使うときのイメージを脳裏に浮かべる。
相手に魔法を命中させる。その一心で、精神を極限まで集中させていく。
「いっけー!サンダー!」
そうして放たれた雷の魔法は、リビングデッドの群れへと降り注いだ。
するどい雷光は死体の精神と肉体を駆け巡り、電気信号を遮断する。
リビングデッドの動きは止まり、そのまま崩れ落ちた。
「ハァ……ハァ……」
一方の美希は、肩で息をしていた。
魔力を持たない人間にとって、魔法の行使は体力を消耗する行為だ。
サンダーは下位の魔法であるが、それでも美希の体力の消耗は激しい。
「でも、なんとか……」
「カカカ、無駄な抵抗よ」
リビングデッドを一掃できた、その事実に安堵したのも束の間。
天から不気味な声が降る。その笑い方に、美希は聞き覚えがあった。
「メル……!」
「カカカ、ただの小娘かと思えば魔法を扱えるとは。
驚かせてくれる……しかし、威勢がいいのもここまでよ」
指パッチンのような音と同時、歩道の向こうから新たな人影が現れた。
美希は息をのむ。リビングデッドには嫌悪感を抱いたが、このモンスターには違う感情を抱いた。
それは暴力への恐怖。四本の腕はどれも丸太と見間違うほどの剛腕で、トゲつきのグローブを嵌めている。
マッスルガード。頑丈な肉体を活かした攻撃を主とするモンスターである。
「そんな……」
「おぬしの首であれば、掴んだだけでへし折れるであろうな」
美希はへたり込む。その目には絶望が浮かんでいた。
体力的に、もういちど雷の魔法を唱えることはできない。
なまじできたとしても、その場で体力が尽きて倒れてしまうのは確実だ。
「もうダメ、なの……?」
「カカカ……」
勝利を確信した笑い声を、どこか遠くに感じながら、美希は目を閉じた。
マッスルガードの装着した鎖から鳴る、ガチャガチャという音が近づいてくる。
(これじゃあ、ぜんぶ中途半端になっちゃうね……。
ナインズくんとの約束も……おはなちゃんのことも……)
「むううん!」
「――え?」
美希は聞き覚えのある声に、驚いて目を開けた。
するとそこには、サイケこうせんを真正面から食らい、仰向けに倒れ込むマッスルガードの姿があった。
勢いよく振り向く。そこにはおはなちゃんことムンナの姿があった。
美希は満面の笑みを浮かべて、ムンナへと駆け寄った。
「むううん」
「おはなちゃん!助けに来てくれたんだ!」
「むう~ん」
「ありがとーなの!ホントに……」
涙目の美希はムンナをぎゅっと抱きしめた。
その頭上から、ふたたび不気味な声がかけられた。
「ほう。モンスターをそこまで飼い馴らしていたか。
つくづく貴様は予想外の存在よ。ならば、わらわ手ずから吸収してくれる!」
美希は頭上を仰ぎ見た。今は警戒を緩めるべきときではない。
天の不気味な声は、まだ余裕綽々の態度を崩していないのだ。
魔力と呼ぶべきエネルギーが、その空間に凝縮していく。
「わらわは美と芸術の化身メルトア!
貴様はこの場所で、わらわの塗料となり果てるのだ!」
宣言の直後、絵画の女性に似た雰囲気の、緑髪の巨大な女性が空中に出現した。
青と紫を基調とした西洋風ドレスに、黄金の王冠と胸元に光るカギ。
さながら王女のような佇まいで、見るものに威圧を与えている。
メルトアの深紅に光る双眸が、美希とムンナをじっとにらんだ。
「しかし残念だ、メインディッシュが控えているのでな……。
ゆっくり味わうことはできそうにない。すぐに吸収してやるわ」
「メインディッシュ……?ナインズくんたちのこと!?」
「カカカ!さて、どうかな?」
「そんなこと、絶対させないの!」
「むううん!」
美希はメルトアに対して毅然と言い放つ。
ムンナと合流できたことで、絶望感は和らいでいた。
圧倒的な大きさの敵に対しても、立ち向かえるくらいには。
「カカカ。小娘とはいえ愚かよのう。
よいか?わらわに吸収されることで、貴様は絵の塗料となる。
わらわという至高の芸術を彩れることこそ、得がたい幸福と知れ!」
そう言い放ち、メルトアは深紅の瞳を閉じた。
「むううん……!!!」
「うん、なにか来る……!」
美希はムンナの声に応じて、メルトアをじっと見つめた。
ムンナは特性の“よちむ”で、美希は直感的に、メルトアから危険を感じ取る。
しかし、それに対応するよりも、メルトアの瞳が開かれる方が、何倍も速かった。
「むううん!」
「マズいの!」
メルトアの瞳から、高熱のレーザーがほとばしった!
最終更新:2022年12月06日 19:36