――ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。

 万象は、常に変革の一途を辿っている。留まり続けることのない流水が如く、人の心も、常にその在り方を変えていく。

「……随分と、変わったものだな。クロノ。」

 魔王は、欲望に駆られ、変わり果てた人の心を、誰よりも間近で見てきた。ラヴォスの果てなきエネルギーに魅入られ、王国を崩壊に導いた女王ジール。彼女の息子として、はたまた側近として、優しかった一国の女王が、欲に溺れ国を崩壊に導くさまを観測してきた。

「そう言われるほど俺とお前の付き合いは長くないだろ。」

 ぶっきらぼうに返すクロノも、内心では同じことを感じていた。かの魔王が、殺し合いに乗ることなく同胞と共に行動している事実。その経緯が気にならないでは無いが、どちらにせよ些末な問題だ。踏み台の高さに意味はあるが、その色味がどんなものであったとしても到達点に相違はない。

「そんなことより、とっとと構えろよ。」

「……語る言葉は無い、ということか。」

「違ぇよ。」

 刹那、大地を蹴る音が響く。ワンステップで魔王の懐に潜り込んだクロノは、握り込んだ白の約定を踏み込んだ勢いのままに斬り上げる。

「――ッ!?」

「――過去の人間が、いつまで格上気取ってんだって言ってんだよ。」

 その一撃に、膝をつく魔王。咄嗟の回避では対応し切れず、魔王の肩に大きな挫創を描いていた。

「……どうやら、そのようだな。」

 かつての魔王決戦で相対した二人。だがもはや魔王は、玉座に座して待つ絶対者ではない。眼前に佇むは、頭数を揃えなければ戦えない挑戦者ではない。もう、変わってしまった。その実感が遅れていたが故に、クロノの先手を許してしまった。生死を分ける戦いの中でのその驕りの代償は、決して小さくなどない。狙いすましたかの如き渾身の第二撃が、上方から魔王へと迫る。

 鎌で相殺しようにも、負傷した肩で重力を味方に付けた一撃を防ぐには足りない。魔王に取り得る手段は、ひとつしかなかった。手にした"それ"を大地へ叩き付ける。

(何だ……?)

 それはクロノにも想定外の挙動。次の瞬間、シャンデリアを模した魔物が、魔王を庇うように配置された。

 ラヴォスを顕現させた時のような、魔物の招来術か。モンスターボールを知らないクロノの脳裏に、誤った予測が過ぎる。

「……熱ッ! くそっ、なんだコイツ!」

 現れた魔物の正体、『シャンデラ』に吸い込まれた『はがね』の武器による一太刀は、いまひとつの威力しか発揮しない。しかし、『ほのおのからだ』より伝導する熱はクロノの身体に火傷を刻みつける。

「さあ、貴様の名はチャップだ。我が命に応えよ!」

 イシの村で出会ったベルは、ランランと呼ばれる魔物を使役していた。その条件こそ定かではないが、謎の球体による捕獲が前提なのは間違いないだろう。他に条件があるとするならば、命名だろうか。ベルが元の世界の手持ちであると言っていたポカポカとやらと同じ命名規則に則っているランランは、種族名よりベルが名付けたニックネームであった確率の方が高い。

 命名の儀を終えると、チャップは明確にクロノを見据え、魔王の命令を待つ。

「オトモ、離れていろ。そしてチャップ。」

 ただ斬るだけで熱伝導を起こすほどの火力源を体内に秘めた魔物。まだ、扱う攻撃も底が知れない。一歩下がり、魔王の続く言葉を伺うクロノ。

 だが、それはクロノにとっても予想外の一手だった。

「――私に最大出力で炎を放て。」

「な、何を言ってるニャ魔王の旦那!?」

 目の前で起こったサクラダの死とクロノの気迫に腰を抜かしていたオトモが、状況も飲み込めないまま叫ぶ。チャップだけが冷静に、ただ命令のままに振り返り、『だいもんじ』を魔王へと放つ。

 現状、クロノの先制攻撃により肩に大きな負傷を残した魔王。鎌を振るうことすら適わぬ致命傷を残したまま戦うのは都合が悪い。だが、回復に専念するような隙をクロノは許さないだろう。

 一見して、クロノの側に大きく傾いている戦場。されど彼の前に立つは、遥か未来の世界にまでその名を轟かせる魔族の王。はたまた、戦の神スペッキオをして教えることは無いと言わしめるほどの魔法の真髄に至った者。

 己が怪我の治療と、クロノへの牽制。それらを同時に行う攻防一体の手段が、魔王にはある。

――バリアチェンジ

 撃ち出された炎は、魔力の膜に吸収され、魔王の肩の挫創を癒していく。

 だが、この技の真髄は、魔力吸収のみではない。その力を氷の魔力に変換し、放出。辺り一面に凍てつく冷気を吹雪かせる。

「つ、冷たいし痛いのニャ!」

「……馬鹿め。離れていろと言ったはずだ。」

 辺り一面に放出する無差別攻撃は、出力を抑えることなどできない。オトモやチャップにも、だいもんじから吸収した魔力で生み出した氷刃が突き刺さる。チャップに『こおり』の攻撃がまともに通らないことは先に試した通りだが、オトモの逃げ遅れは想定の外。だが、今のクロノは巻き添えを気にして戦法を制限しながら勝てるような相手ではないのも確か。

「ちっ……」

 かつてクロノ達に苦戦を強いた技、バリアチェンジ。この技には、弱点がある。反撃に用いる属性の魔力を内側から吸収しないよう、展開する魔力の膜はひとつの属性だけは素通しするようになっている。仲間と力を合わせ、複数の属性を用いて攻撃すれば、魔王にダメージを与えることも可能だった。

 だが、今のクロノにその"仲間"はいない。扱う属性も既に割れているクロノの魔法は、魔王に通じない。

「だったら、その小賢しいバリアごと叩っ斬る!」

「だが、もう遅れは取らんぞ。」

 肩のダメージを回復した今、魔王は万全の状態で鎌を振るうことができる。迫り来るクロノの斬撃に対し、横払いの一閃。鍔迫り合った両者の業物は弾き合い、その威力を打ち消し合う。

 それだけならば、拮抗。戦局はどちらの側に傾くこともない、単なる停滞で終わる話だ。

「迎え撃て、チャップ。」 

 だが、頭数という純粋な戦力差が、その停滞を優位性に変える。

 ――シャドーボール

 圧縮された霊力の塊が、着地したばかりのクロノへと襲い掛かる。それは炎や氷のような物理学的なエネルギーとは違う。闇という名の引力でもない。けれど、それを受けてはいけないと直感が告げている。

「……こん、にゃろっ!」

「もう手遅れだ……」

 着地したばかりの足の筋肉に更なる負担をかけながらのバックステップによる、大掛かりな回避。シャドーボールを無傷で凌ぐも、そうして生じた魔王との距離により、大魔法の詠唱を許してしまう。

「ダークボム!」

 闇を宿した球体が、クロノを内向きの力で引きずり込む。無理な姿勢でのバックステップで足に過重な負担をかけ過ぎたクロノは、その引力に抗えない。

「……くそっ!」

「――爆ぜよ。」

 そのまま、起爆。クロノの居場所を爆心地として、暗闇の魔力がドーム状の球体を形成した。次第に、魔力は残滓へと変わりゆく。その爆発ひとつで倒せるほど容易い相手では無い。だが、身体を引き裂く闇の魔力の中で視界も不充分な状態で、次の一撃に備えることなど不可能。クロノを包んでいた魔力が消えるその時を狙いすまし、追撃に走る。

 爆風が消え、視界の先にクロノの姿が映る。首元を狙い、横凪ぎに振るわれる鎌。斬れ味のまま、即座に首を刈り取るはずだったその斬撃に走ったのは、金属音とその音の通りの感覚。

「なっ……!」

「へっ、捕まえたぜ。」

 カウンターとなる一撃が、魔王の胴に叩き込まれる。亡き王女への追悼の想いが、その一撃に更なる練磨を与えた。

「ッ……!」

 その身に深い傷を刻みながら、魔王は下がる。ダークボムをほとんど無傷で凌がれている。その種が、先ほど絶望の鎌の一撃すらも難なく弾き返した"何か"にあることは間違いないだろう。

「その盾……一筋縄ではいかぬようだな。」

 そして事実も、魔王の予測の通り。ダークボムの引力に引き込まれたクロノは、咄嗟にハイリアの盾を構え、追撃の鎌まで含め、そのほとんどを軽減し切ったのだった。

「……複雑ではあるけどな。でも――」

 並々ならぬ堅牢さを誇るハイリアの盾の入手源は、ゼルダに騙されて戦わされた魔物、スタルヒノックス。この盾を手にしている現状は、雪辱の上にある。

 だが、その雪辱も全て、今や歩みへと変えている。仮にゼルダの企みを看破し、上手いことグレイグと一緒にハイラル城を出られていたとしても、きっと最初の放送でマールの名前は呼ばれていた。マールの蘇生のために優勝を目指している現状から結果的に見れば、ゼルダはハイリアの盾を手に入れる機会をくれて、厄介な相手となるグレイグを殺して"くれた"のだ。

「――この盾が、俺の決意の第一歩だ。ぶっ壊せるもんならやってみろ。」

 心に大きな陰りを生んだゼルダの謀略を、自分に都合良く解釈したいだけだろうか。その上で――今はもう、こう言える。

「……安い挑発だな。その土俵に立つとでも?」

 一方の魔王。ダークボムをも弾く盾の破壊方法など、即座には思い至らない。だが、盾の破壊は手段でしかない。目的は、あくまでクロノの打倒。

「燃やせ、チャップ!」

 盾を破壊しないまま突破する方法なら、いくつか考えられる。

 例えば――熱伝導。
 指示通りに放たれたチャップの『だいもんじ』は、金属製の盾で受けようとも、盾の表面温度が上昇することで所持することができなくなる。

「……当たるかよっ!」

 一方のクロノは、軽く身体を逸らしてそれを回避。着地際に放たれた先のシャドーボールとは違う。技自体の命中精度の低さも相まって、その軸を見切れば躱すことは容易い。問題は、それを回避している隙に魔王に魔法の詠唱を許してしまうこと。

「――サンダガ!」

「っ……! そういや、アンタも使えんだっけか!」

 ハイリアの盾の、もう1つの突破方法――通電。盾越しにダメージを与えるこの方法であれば、いかに強固な盾であっても身を守ることはできない。サクラダを殺した理論が、今度はクロノに牙を剥く。

 やむを得ず、避雷針となる盾を前方に投擲。天雷の導線を作り回避した上で、前傾姿勢を取る。ハイリアの盾が突破された今は、鎌による攻撃が予測できる瞬間だ。ひと足先に力を溜めて、全力斬りで迎え撃つ。

 しかしその予測は、裏切られることとなる。
 ハイリアの盾を落としたこの千載一遇のチャンスに、魔王は一歩引いて、魔法の詠唱を始めていた。

 サンダガで応戦しようにも、詠唱で出遅れた以上間に合わない。溜めた力で斬り掛かろうとすれば、真正面から魔法が飛んでくる。動かなければ、ただ魔法を一方的に受けるだけ。魔王の一手を読み違えた地点で、クロノの取り得るその先の戦術が有利に働くことなど、起こり得ない。

(……読まれたか。だけどっ!)

 ……ならば、最も己への被害の少ない一手でお茶を濁すのみ。
 溜めた力を、風の刃へと変換して飛ばす。駆けるよりも速い真空が魔王へと迫る。
 しかしその一撃も、魔王の想定の範囲内。かつての戦いで、両者の手の内は割れている。距離も相まって目視での対応が可能な範囲だ。天の力を宿したその風刃を、バリアチェンジで吸収すれば――

「……っ!」

 ――と、クロノに読み勝った魔王はこの応酬を有利に進められるはずだった。しかし結論として魔王は、バリアチェンジを展開できず、かまいたちを直接受けることになってしまった。そこに佇むオトモの姿が、目に入ってしまったから。

 先に起こった出来事の通り、バリアチェンジによる反撃は、辺り一面を巻き込む。当然、そこにいるオトモにも、チャップにも効果は及ぶ。アイスガで反撃すればチャップへのダメージは少ないのは検証済みだ。だが、オトモはそうはいかない。

 タイミング的に、攻撃を吸収されると考えていたクロノ。どこか不思議そうに目をしばたかせた後、合点がいったように、ため息をつく。

「何やってんのかと思えば……そういうことかよ。いつかお前に言われた言葉、そっくりそのまま返すぜ。」

 片や、孤独に佇む王。心を閉ざし、仲間を足手まといと否定し、独りで戦う術を身に付けた。それ故に、その絶技は周囲を傷付ける。己のみを守るバリアチェンジは、もしもの世界で彼の隣に立つ仲間がいる時は、封印するはずだった。しかし、そのもしもは訪れることがなかった。

「……他の奴らが足手まといにならなきゃいいな?」

 片や、仲間と共に星の歴史に名を刻んだ英雄。その生まれに特異性などない。ただのいち平民が、一国の王女という身分違いの相手への恋を成就させるために英雄の座にまで登り詰めた。けれど、そんな彼の隣には、常に仲間がいた。

 どうにも、やりづらい。かつての戦い方と大きく変わってしまった現状に、両者ともに同じ想いを抱くのだった。


(魔王の旦那も、突然出てきた赤髪も、ホントに何やってんだニャ?)

 業火も、氷刃も、雷鳴も轟く戦場の中。オトモはただ、立ち尽くしていた。戦いのレベルが高すぎて動けない――というわけではない。これまでの狩猟生活の中、炎も氷も雷も、この戦場に飛び交うものに負けず劣らずの死線を、旦那様と共に潜り抜けてきた。

 だがその上で、オトモには理解が追い付いていないのだ。この2人は何故、戦っているのか?

 幸か不幸か、これまでオトモがこの殺し合いの会場で戦った相手は、ネメシス-T型のみ。形こそ人型のものであるが、自在に操れる触手をうねらせて、腕一本になっても自律行動を行うタイラントは、オトモの目から見てもモンスターと呼んで差し支えない存在だった。

 一方で、クロノは紛うことなき人間である。魔族である魔王もまた、人の形をして人の言葉を解するが故に人間の枠に収まっている。炎や氷や雷を操っていることなど、それらの属性の武器を使いこなす狩人の尺度から見れば、些細なことに過ぎない。

 だが、人間同士が殺し合っているその現状は、些細と切り捨てられるものではなかった。モンスターがモンスターを喰らうことはある。捕食目的でなくとも、モンスター同士の縄張り争いなんて茶飯事だ。しかし――そんな自然の摂理から一歩離れた場所から、同族同士で共生していけるのが、人間というものではなかったのか。

 殺し合いという文化は人間には無い。だが、この世界に呼ばれた者たちは、殺し合いに乗る者も乗らない者も、それぞれの尺度でそれを理解し、行動していた。

 それでもオトモだけは、マナとウルノーガの言うところの『殺し合い』が、人間とモンスター、或いはモンスター同士の殺し合いであると解釈していた。オトモが、人の話を聞かないタイプであるというのも大いに要因の一つではあるが――アイルーという種族の特性もそれを助長していた。

 アイルーは、脳や声帯の構造上、人語を解し、かつ喋ることができるという、数あるモンスターの中でも特異的な能力を有している。
 ゆえに、成熟したアイルーは選択することとなる。野生の小型モンスターとして自由に生きるか、人間の庇護の下、オトモアイルーやキッチンアイルーとして人里で生きるか。
 オトモは、言うまでもなく後者を選択した存在だ。しかし、そう選択するまでは、野生の中で生きてきた。
 人の戦争の歴史なんて学んだことが無いし、利害関係があれば人と人が争い得るということに対し、実感が湧くまでの実体験が伴っていない。

 したがって、たった今眼前で巻き起こっている戦闘に、いつまで経っても理解が追い付かない。それは言うなれば、アイルー族特有の『カルチャーショック』。

(ホントーに狂ってるのニャ。サクラダさん、死んじゃったのニャよ?)

 と、この戦場の中で、あまりにも悠長な思考を巡らせながら。

(……いや、いつからか、忘れていただけだったのニャ。)

 ――その一方で伴うは、納得の感情。

(ニンゲンってのは、そもそもおかしい生き物だったのニャ。)

 オトモは思い出した。この殺し合いに招かれる前の自分を。


 ――厄災は音もなく忍び寄り、理不尽に、一方的に、全てを奪って行った。

 燃え上がる集落。逃げ惑う仲間たち。どうしてこんなことに――なんて、厳しい自然の世界では嘆く時間すら、いつも危険と隣り合わせ。

「……ニンゲンの仕業ニャ。」

 仲間の中の誰かが言った。
 周りの仲間たちが、それに同調するように、ぽつぽつと話し始める。

「頑張って集めたハチミツが、根こそぎ持っていかれてたニャ。」

「そんなもの目当てにボクたちの集落を壊して行ったのニャ?」

「アオアシラじゃないのかニャ?」

「アオアシラだったら集落は燃えないニャ。」

「じゃあやっぱりニンゲンで決まりだニャ。」

「……それで、これからどうするんだニャ?」

 皆で暮らしていた集落は、ニンゲンのせいで無くなった。住処を移そうにも、大型モンスターが入って来られないような安全な場所なんてほとんどない。ようやく見つけても、遅かれ早かれまたニンゲンはやって来る。

 選択肢なんて、無数にあるようで、ひとつしかなかった。長いものに巻かれれば、こんな気持ちをせずにいられるのなら――

「……ボクはニンゲンの、オトモアイルーになるニャ。」

 ――ボクはボクたちにとっての厄災すら、生きる手段としてみせる。

「だとしたら、キミとはここでお別れニャ……。」

「……。皆は来ないのかニャ?」

「今回の襲撃で、2匹の同胞が死んだのニャ。皆に顔向けできないのは、嫌だニャ。」

 信条からそれを選べなかった不器用な仲間たちと別れて、世渡り上手なボクは独り、ニンゲンの村へと向かった。

 ニンゲンの村の暮らしは思ったより豊かで、人は思った以上に、アイルー達に友好的だった。野生のアイルーたちには平気で攻撃できるのに、村にいるというだけで、誰もそうしようとしていない。それが歪に思えて仕方なかった。

 ――人の話を聞かないタイプ、なんて揶揄されたこともあるけれど。それはアンタら厄災の話に興味なんか無いからだ。ボクが興味があるのは、ボクが生きていける環境だけ。

 そうして暮らしている中で、ネコバァがボクの仕事を見つけてくれた。最近村にやってきた新人ハンターが、オトモアイルーを探しているのだとか。

 そうして旦那様のオトモアイルーになったボクは、必要な時に狩りに行き、必要な時に料理を振る舞い、必要な時に採掘や虫捕りに向かい……ただ、そんな無色透明な生活を送っていた。

 だけどその日々は、安定して生きることができていたから、ボクにとっては本望だった。


「――チャップ! 私に炎を放てっ!」

 魔王の叫び声で、オトモはふと現実に戻った。

 そのとち狂った命令の先に起こることは、もう理解している。魔王はもう一度、バリアチェンジを使おうとしているのだ。

 先の応酬で既に手傷を負っている。回復しなければ、クロノに勝てない。どれほど逃げろと言ってもショックを受けたまま動かないオトモより、己の命が可愛いのは自明の理だ。オトモを守ると半ばなし崩し的に決めたものの、それに拘って大局を見失うほど、オトモへの情に厚いわけではない。

 そもそも殺傷に躊躇したのは、愛猫のアラファトに重ねていたという些細な理由に過ぎない。自らの命を脅かすほどに足手まといになるのなら、切り捨てる。それは妥当で、当然の選択。

 だいもんじを吸収し、再び解き放つ氷の魔力。顕現した氷刃に、オトモは吹き飛ばされていく。

「これが最終警告だ。もう周囲に配慮はせん。この場から去れ。さもないと死ぬことになるぞ。」

 その警告は、この局面で足手まといと化したオトモに対する、せめてもの情けなのだろう。だが、そんな文脈など、人の機微に疎いオトモには伝わらない。

(……そうだったのニャ。)

 コイツらはそもそもが厄災地味た生き物で、その襲来に理屈なんて無かったこと。理不尽で、一方的で。そして、全てを奪っていく。

「わかったのニャ! じゃあボクはここでさよならなのニャ!」

 ――モンスターと違って言葉があるのに、突然同族同士で殺し合ってる異常者の相手は、さすがのボクもしていられないのニャ、なんて内心で唾棄しながら。

(やっぱり信用できるニンゲンは、旦那様しかいないのニャ。)

 オトモアイルーとハンターの関係は、あくまで雇用関係である。命までもを賭ける義理はない。たとえハンターが戦っている中でも、致命傷を受ける前に必ず撤退を選ぶのがオトモアイルーの性。

 ゆえにオトモは、躊躇もなく走り出した。向かう先は、元々向かっていたハイラル城の方向。既にオトモは、周囲を無差別に攻撃し始めた魔王をある種見限っていた。その裏で幾度となく加えられていた手心に、気づくこともなく――

「魔王とか呼ばれてたくせに、随分とお優しいこった。でも――」

 そして魔王もまた、迂闊だった。

 魔王という、多くの人間から疎まれ、狙われている立場。その命の価値を前にしては、ほかの魔物など路傍の石のようなもの。
 グレンとサイラスが魔王討伐にやってきた時も、ビネガーが隣に控えていたにも関わらず、狙われていたのは自身のみ。それは、ある意味では名声ある者の宿命だった。

 そして――なればこその油断だった。

「――俺が黙って逃がすとでも思ったか?」

 子猫一匹でも逃がそうものなら、殺し合いに乗った人間として吹聴される可能性がある。そうでなくても、支給品が他の強敵の手に渡る可能性がある。

 この世界では、魔族を束ねる王も、猫を模した小型モンスターも、命の価値は変わらない――そんな当たり前のことが、分かっていなかったのだ。

 ――かまいたち

 高速の風刃が、背を向けたオトモに一直線に走る。魔法を唱えるにも間に合わず、声を上げる事しかできない魔王。その声に一瞬だけ振り向いたオトモは、迫る凶刃に一瞬だけ、驚いたような顔を見せて――

「ニ゛ャッ……!」

 ――間もなくその顔は、痛みに大きく歪んだ。

 背中から大きく切り裂かれたオトモの軽い身体は、跳ぶように宙を舞った。勢いのままに落ちた先の大地を転がった後に、泥に塗れながらぐったりと全身の力が抜けていく。

 ぱたり、とその小さな身体はうつ伏せに倒れる。そして、そのままオトモは動かなくなった。

「……この気持ちは、何だ。」

 その様子を、魔王は黙って見つめていた。

 大切な存在でも何でもなければ、飼い猫のような愛着も無い、ただの五月蝿い魔物。だというのに、この胸を満たす感情は、一体何だと言うのか。

「……いや、私はその答えを、知っている。」

 ……考えるまでもなく。
 間もなくして、理解した。

「……これは、私がかつて幾度となく抱いた感情だ。」

 それは怒りであり、悲しみであり、憎しみでもあった。

 曲がりなりにも、一度は『オトモを保護する』と決めた。
 だというのに、それが果たせず、ただそこに立ち尽くしているだけの自分が、いつかの己と重なる。
 ラヴォスを殺すという誓いを果たせないまま、飛ばされた古代の世界で茫然と眺めた空には、如何なる色も感じられなかった。絶望のままに、勇者の剣に散ることを受け入れた。そんな、弱さを象徴する自分に対する強く、激しい想い。

「ならば、変わろう。その先の末路を知っていればこそ、未来に、変革を。」

 その感情に共鳴するように、魔王の周囲に赤黒い霧が発生し始める。

「……かかってくるがいい、クロノよ。」

 知らない技だ、とクロノは身構える。
 そうしている内に霧は、みるみる内に辺り一面を覆い尽くした。

「――死のかくごが出来たのならな!」

 ――クリムゾンミスト。

 レッドオーブが与えた力。
 視界が赤い。ある世界における厄災を象徴するかの如き、禍々しい瘴気に包まれて、魔王と英雄は向かい合う。

 命を削るその霧は、戦いを加速させる。変革を、必然と言わんばかりに。或いは――変革を終えた者を、悼むように。

 二人だけの魔王決戦が、再び幕を開ける。




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最終更新:2024年10月31日 15:54