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 『────君は、とても大事にポケモンを育てているな』



             ──ロケット団首相、サカキ









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 ────Nの城、二階の一室。

 愛の女神と平和の女神による治療を施されるピカチュウの姿を安堵の顔で見つめるレッド。
 彼もまたイレブンの回復呪文によって傷を癒していた。
 その傍ら、キラキラと目を輝かせる少女の視線が目立つ。
 ましまじと見られることに慣れていないのか、レッドはどこかバツが悪そうに苦笑していた。

「やっぱり! レッドさんって聞き覚えあったんだ~! 本当に本当に有名人だよお!」
「あ、はは……ありがとう。こんな場で喜んでもらえるとは思ってなかったけど…………」

 今この場にいる者に殺し合いの意思は無い。
 波乱万丈の末に行き着いたしばしの平穏は、レッドに落ち着きをもたらす。

「イレブンさん、ありがとう。やっぱり魔法って凄いんだな……俺の世界じゃそんな技使えるのポケモンだけだよ」
「…………いえ。僕より、そっちのピカさんの方が……よっぽど凄いです……」
「いや、生身で雷落とせる方がよっぽど凄いけどな……」

 喧騒から逃れ、ようやく経た情報交換はレッドにとって驚きに満ちたものだった。

「にしてもやっぱりあのトレバーってやつ、本当に危険人物だったんだな。イレブンさんやベルを殺しかけるなんて……!」
「本当だよお! でも生きててよかった! レッドさんをここまで送ってくれたんだし本当は優しいのかな?」
「いや、あれはそういうのじゃないと思う…………送ってくれたってか落とされたし」

 彼が出会ったトレバー・フィリップスがイレブン達を襲撃した事実。
 ベルやイレブンが言うには、会話すらままならなさそうな印象であったという。
 ヘリでこの城に送られたと聞いた時はかなり驚かれた。
 トレバーの読めない行動もそうだが、小屋で襲撃されてから間もなくレッドをヘリから落としたというアグレッシブさが恐ろしい。

 話に出た共通の知り合いは多くない。
 襲撃者であるトレバー、続いてイレブンが最初に出会ったダルケルという男。

 そして────

「…………ベロニカ」

 俯くイレブンの呟きを広い、レッドもまた帽子を深く被り直しながら目を伏せる。
 ベロニカの死因に自分が深く関わっている、と正直に伝えた。

「ごめん、イレブンさん。俺のせいで…………」
「……いえ、レッドさんは…………悪くない、です」

 あの時何も出来なかった罪悪感がずっと尾を引いていて、溶けない砂糖のように喉元に突っかかっていた。
 信頼出来る人物と出会えなかったからこそ、それを吐き出すことも出来ずにいて。
 ようやく巡り会えたイレブンという、ベロニカの仲間────刻まれた〝罪〟の烙印を、この人に言わずして誰に言う。

 当然、イレブンはレッドを責めない。
 自分がその場にいれば、と。
 植え付けられたはずかしい呪いは自責へと転じて、彼の悔しさを加速させてゆく。

「…………イレブンさん」

 こうなるから、言うべきか迷った。
 元の世界での知り合いが居ない自分とは違い、彼は仲間を喪うという悲しみを味わうことになる。
 その壮絶さたるや、人の生死に疎いレッドでもパートナーを喪えばと考えればすぐに察せた。

 もしや言わない方がよかったか。
 自分が楽になることを優先して先走ってしまったのではないか。
 そんなレッドの危惧とは裏腹に、イレブンは真っ直ぐに顔を上げる。

「話してくれて……ありがとうございます、レッドさん」

 強く、気高い眼差し。
 かつて邪神をも斃した勇者の光に、レッドは息を呑んだ。

 ────言わなければよかった?
 ────嘘をつけばよかった?

 一瞬でもそんな後悔をした自分を一発ぶん殴ってやりたい。
 イレブンという勇者は、仲間の死などとうに乗り越える覚悟が仕上がっていたのだ。
 ピカが居なくなったらどうしよう、と。不安な気持ちに駆られるだけであった己の未熟さにレッドは拳を震わせる。

「ありがとう、イレブンさん。もうだいぶよくなったよ!」
「そうですか…………まだ、無理しないでください」

 これ以上イレブンに負担をかけさせたくなくて、レッドは力こぶを作ってそう言う。
 正直に言えばまだ左腕の咬傷が痛むが、じっとしていたくないという気持ちが勝った。

「レッドさん! ピカ治ったって!」
「おお……! ありがとう、助かったぜふたりとも!」

 イレブンとの話で夢中になっていたが、ベルに言われてヘレナ達の方を振り返る。
 見れば傷口がすっかり塞がり、寝息を立てるピカチュウの姿が目を奪った。
 元の世界で幾度も目にした寝顔姿が、ノスタルジックな気持ちを宿らせる。
 もう二度と手に入らないと思っていた平穏の欠片に、感謝の涙さえ浮かび上がった。

「レッド」
「…………?」

 ピカチュウを抱き締めるレッドの傍ら、愛の女神──バーベナが呼びかける。
 ベルとイレブンは今後について話し合いをしているようで、まるでそれを見計らったような声掛け。
 自身にだけ向けられた透明な小声に、意を汲んだレッドは彼女へと耳を寄せた。

「あなたに伝言です」
「伝言? 誰から……?」
「……トウヤという少年から」

 最初、それを聞いた時耳を疑った。
 思わず大声で聞き返しそうになったが、視界の端に映るベルの笑顔に躊躇いを思い出す。

「トウヤって、ベルの……」
「それに答えるのは、伝言を聞いてからの方が都合がいいでしょう」
「…………わかった」

 バーベナの表情は相も変わらず、世を憂うような真剣味を帯びている。
 けれどこの瞬間は、それに増して焦燥のようなものが滲み出ていた。

「十五時、城の中庭で待っています。……と」

 その内容が〝挑戦状〟であることは言うまでもない。
 チャンピオン時代、カントーにて幾度もそんな申し出を受けてきた。
 けれどまさかそれが殺し合いの場で、ベルの幼馴染に言われるとは。
 鳩が豆鉄砲を食らったような顔を浮かべる少年は、横目でちらりとベルの姿を見やる。

「ねえねえイレブン、ゲーチスさんにも伝えた方がいいかなあ?」
「ここに来る前に、部屋の前に行ったけど…………なんだかすごく忙しそうにしてて、後でこの部屋に来るって…………」

 訝しむ様子はない。
 これが彼女の耳に入れば、トウヤの無事を喜ぶのではないかと。
 そんな希望はしかし、続いて浮かび上がる違和感に白く塗りつぶされた。

「トウヤは、その……この状況で〝バトル〟を優先したのか?」

 それは、杞憂であってほしい確認。
 自分の存在を認知しているのならば、十中八九トウヤにとって幼馴染であるベルの姿も見ているはずだ。
 なのに顔を合わせず、真っ先にバトルの申し出を残すなど。
 まるで〝それ〟以外を拒むように見えて、レッドは心拍に不穏を落とした。

「…………彼も以前は、ポケモンを愛する心優しいトレーナーの一人でした」

 愛の女神の口上に、レッドは「ああ」と思う。
 まるで、もう心優しいトレーナーではなくなってしまったような言い方で。
 続く彼女の言葉も、心のどこかで予想できた。

「けれど今の彼は、強者と闘うことでしか自分の在り方を認められなくなってしまった」

 ────当たった。

 トウヤは、自分の写し絵なのだと。
 高みを登り尽くして、競うものが居なくなって。
 いつしか周囲からはトウヤとしてではなく、〝王者〟として見られるようになって。
 天涯孤独の〝最強〟の道を歩かされている。そんな悲劇の少年なのだと。

「…………そう、なのか……」

 その気持ちは、よくわかる。
 レッド自身、カリンの言葉がなければその道を歩んでいたであろう〝王者〟なのだから。
 カントーを制し、文字通り無敵の存在となったレッドはなにをしても満たされなくて。
 ジョウトという新天地においてもそれは変わらず、厳選した手持ちで相手の弱点を突き、危なげない勝利を掴み取っていた。

 けれど、勝つたびに。
 喉を潤すためと海水を飲むかのように、決して満たされない〝渇き〟が付き纏った。
 そうして強さを求めるうちに自分を見失い、ジョウト最後の四天王を制して、その迷路に出口が見えた。


 ──強いポケモン、弱いポケモン、そんなの人の勝手。
 ──本当に強いトレーナーなら、好きなポケモンで勝てるように頑張るべき。


 その言葉を投げてくれる人は、果たしてトウヤにいただろうか。
 強くあれという〝呪い〟を解いてくれる人が現れない限り、王者という肩書きは自由を殺す。

 自分もそうだ。
 強さを追い求めるあまり、苦楽を共にした仲間たちの大切さをすっかり忘れていた。
 タイプ相性や能力値など気にせず、汗や涙を流した唯一無二の思い出はなににも勝る輝きなのに。

「レッド、彼を止められるのは────」
「俺しかいない、よな」

 だからこそ。
 それを知っているからこそ、迷いなく申し出た。

 返答を先読みされるとは思っていなかったのか、バーベナは分かりやすく目を丸める。
 こんな表情をするのかと意外に思うと同時に、少しだけ得意げな気持ちになった。
 片目を開けてあくびをするピカチュウの頭を撫で、右肩に乗せる。
 静電気を溜めてパチパチと鳴る頬を擦り寄せる相棒へ、燃え上がるような視線を投げた。

「ピカ、いけるか?」
「ピカッ!」

 高らかに宣言する相棒の姿。
 歯を見せて笑みを返すレッド。
 荷物を纏め、どこか懐かしい気持ちに駆られながら部屋を後にしようと立ち上がる。

「レッドさん! どこかいくの?」

 と、ベルの言葉に振り返る。
 まだ近くにトレバーが潜んでいる可能性もある以上、イレブンたちが気にかけるのは当然だ。
 不安げな二人の視線へどう言い繕うかと少し考えて、ピカチュウに頬を舐められた。

「ちょっとな、こいつと外に出てくる!」
「それなら、僕たちも…………」
「いや、いいよ! それより、そのゲーチスさんって人にもお礼言っといてくれ!」

 軽く見てくるだけだから、と付け加えるレッド。
 この場での単独行動の危険性を鑑みて、理由もなしに見逃してくれるとは思えない。
 この場にいないゲーチスの名を出すことで多少は気を逸らせただろうか、なんてらしくない考えに染まって。

「レッドさん、その…………」
「うん?」

 けれどおずおずと歩み寄るベルへ、やっぱり無理があるよなと苦笑した。
 どうやって言い訳しようかなと一瞬悩むも、次なるベルの一言に思案が遮られた。

「戻ってきたら、サインお願いしてもいいですか!?」

 え? と、思わず間の抜けた声が漏れる。
 予想外の一言に一瞬白く染まった頭を軽く振って、ごちゃついた思考を整理する。
 その仕草が拒否のものだと勘違いしたベルはガーンと涙目を浮かべるが、穏和な王者の微笑みを見て希望を取り戻した。

「ああ、もちろん!」
「やったあ~~~~っ!」

 両手を挙げ、飛び跳ねる勢いで喜びを顕にする少女。
 宝石のような無垢な彼女は、殺し合いという現実を忘れさせる。
 ぬるま湯のような心地いい感覚に入り浸っていたくなるが、だからこそ──彼女にトウヤのことは告げられない。

「レッドさん、お気をつけて…………」
「うん、イレブンさんもありがとな! すぐ戻ってくるよ」

 勇敢な言葉とは裏腹に、鼓動は煩い。
 緊張や不安ではなく、ポケモントレーナーとしての高揚感。
 異常だと笑いたいなら笑えばいい。
 こんな状況でバトルを楽しみに思うなんて、自分でもおかしいと思う。

 それでも、止められない。
 止める気なんてない。

 自分よりも強い相手がいると聞けば、闘争心を沸き上がらせて勝利を掴み取ろうとする。
 それが、ポケモントレーナーなのだから。



◾︎



 空気を切り裂き、嘶(いなな)く風が髪を揺らす。
 蔦の巻き付く幾本もの大理石の柱が、等間隔で円を描いて聳え立つ。
 中心は不自然なまでに均された芝生が生い茂り、まるでバトルコートのよう。
 よもや主催はこの状況を読んでいたのだろうか、とすら疑うほどに出来すぎている。

 けれどそんな些細なこと、この少年の邁進を止める理由にはならない。

「そろそろ、かな」

 デイパックのサブポケットから時計を取り出し、トウヤが呟く。
 時刻は十四時五十八分。愛の女神が無事に伝言を届けていたなら、そろそろレッドが姿を現すだろう。

 なぜこんな回りくどいことをしたのか。
 直接出会って言葉を交わせばいいのに、なぜそれをしなかったのかは理由がある。


 ────〝不公平〟だからだ。


 治療を先に終えた自分が、治療中のレッドと邂逅するということは。
 それはつまり、レッドの手持ちを一方的に見れてしまうということだ。
 得る情報量は統一しなければ、有利不利が出来てしまう。

 それでは面白くない。
 勝ったところで、何も満たされない。
 その尖った精神性こそがトウヤを〝王者〟たらしめる要因だ。

「…………!」

 十五時ちょうど、草を踏みしめる音がレッドの耳を通り過ぎる。
 浮き足立つような感覚に釣られて顔を上げれば、自身と同じような赤い帽子を被った少年がまっすぐにこちらを見据えていた。

「会えて嬉しいです、レッドさん」
「俺もだよ、挑戦者(チャレンジャー)」

 鳥肌が立つ。
 相見えただけで分かる、この迫力。
 炎のような双眸に射抜かれて、玲瓏さを秘めたトウヤの瞳が風のように揺らぐ。

「あなたの噂は、イッシュにも届いていますよ」
「実感はないけど……そうらしいな、さっきベルって子に会ってサインをねだられたよ」
「そうですか」

 〝ベル〟という名前を出したのにまるで耳に入らないかのような態度。
 彼女から聞いていた印象とはまるで違う、機械じみた言動にレッドは戦慄を抱く。
 本当にベルの知るトウヤなのか、と思う反面────目の前の少年が他人とは思えない。
 ひたすらに強くなることを求めていた、かつての自分がそこにいるようで。
 自然と、力が拳に伝播した。

「そんなことよりも、ほら」

 唯一生き残った幼馴染を〝そんなこと〟と切り捨て、トウヤが二つのボールを宙に投げる。
 赤い閃光と共に飛び出した二匹のポケモン──オノノクスとジャローダが、重厚な身体を芝生へ沈めた。

「出してください、あなたのポケモンを」
「へへ、言われなくてもそうするぜっ!」

 レッドにとっては初見となるイッシュ地方の二匹に臆することなく、応えるように一つのボールが弧を描く。
 緑に着地したボールから飛び出したのは、青い体色の鰐型ポケモン、オーダイル。
 続いてレッドの肩から跳躍し、姿勢を低くしてバチバチと頬袋に電気を走らせる相棒──ピカチュウ。

「まさかとは思いましたが、そのピカチュウを使うんですね」
「当たり前だろ、こいつは俺の最高の相棒なんだから」

 地方も、タイプも、性別も異なる四匹が睨み合う。
 至高の領域に至るトレーナーと、それに付き従うポケモンとなれば、放たれる威圧感にも納得が先に出よう。

「思い入れや愛着が、バトルに役立つとでも?」

 トウヤが言う。
 レッドはにやりと笑って、握り拳を見せつけた。

「役に立つか立たないか、なんてのに拘ってる限り前には進めないっての」

 反論にもなっていないのかもしれない。
 これはトウヤに向けた言葉というよりかは、かつての自分に向けた言葉だ。
 現にトウヤは少しだけ訝しげに眉を顰めて、理解を示そうとしない。

「これは受け売りだけどさ」

 きっとまだ、この言葉に力は持たない。
 過去との決別のため。二度とその道を歩まないという戒めのために。
 トウヤは改めて、目覚めの記憶を掘り起こす。

「強いポケモンとか、弱いポケモンとか、そんなもの人の勝手だ。本当に強いトレーナーなら、好きなポケモンで勝てるように頑張るべきだろ?」

 それを聞いて、トウヤは。
 やはり心根には届かなかったようで、冷ややかな笑みを携えていた。

「オレはそうは思いません」

 見下すような、失望するような。
 伝説と謳われた者の在り方へ、一石を投じるかのように冷徹な声色が響く。

「本当に強いトレーナーなら、好きなポケモンではなく〝勝てるポケモン〟を選ぶ覚悟が必要ですよ」

 それもまた、一理ある。
 道理として成立するし、共感を示す者も多いだろう。
 レッドもまた、そうやって最強までのし上がってきたのだから。
 それを否定することなど、たとえ嘘でも出来なかった。

「それを確かめるのは、言葉じゃないだろ」
「……そうですね。オレとしたことが、らしくなかった」

 だから、この問答に意味は無い。
 いくら言葉を交わしたところで、きっと答えは出ない。
 互いの意を汲んで、二人の王者は面持ちに険しさを宿す。
 主催の思惑も、課せられた使命も、一切合切を捨て去って炎と風が対峙する。

 四種の異なる唸り声が轟く。
 決闘の気配を感じ取って、空気が変わる。
 王者と王者、伝説と伝説。
 本来交わる筈のなかった歴史が、歪みを伝って紡がれる。

 幻は今、現実に。
 埃被った夢と誇りを抱きかかえて。
 観客のいない決戦が、幕を開ける。



「「バトル、スタート!」」





 ────命をかけて、かかってこい。







 マサラタウンに さよならバイバイ
 オレはこいつと 旅に出る
 きたえたワザで 勝ちまくり
 仲間を増やして 次の町へ

 いつもいつでも 上手くゆくなんて
 保証はどこにも ないけど
 いつもいつでも ホンキで生きてる

 こいつたちがいる



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最終更新:2025年06月05日 21:10