兼岡行男

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兼岡行男 - (2016/07/17 (日) 19:03:37) のソース

*かねおかゆきお
最初期の[[任天堂]]ゲーム作品において活躍していたサウンドプログラマー。
主に1980年代初頭においてアーケードやFCの黎明期の作品の作曲を手掛けたほか、
ファミコンやディスクシステムの音源設計にも深く関わっていた人物である。

ゲーム業界黎明期においては、プロの作曲家がおらず、プログラマーなどがついでに音楽や効果音を手掛けることが大半であった。
(例えば故・岩田聡社長もプログラマー時代に効果音を製作していたことがあったという。)
当時は仕事の分業化が進んでおらず、またゲームにおけるサウンドの役割も薄く、単純な効果音以外には曲らしい曲すら持たない作品が多かったからである。

任天堂においても、サウンド専門のスタッフとして最初に雇われた[[近藤浩治]]氏や[[中塚章人]]氏が入社したのが1984年であり、
それ以前は主に兼岡氏、それから1980年に入社した[[田中宏和]]氏がプログラミングと同時にサウンドも手掛けていたものと推定される。
しかし、作曲の素養が深く、その後はプログラマーと言うよりは作曲家として活躍を続けていった田中宏和氏とは対照的に、
氏は作曲家というよりは、サウンドプログラマーとして活躍していった。

それでも、任天堂作品の出発点としての存在感は在り、ドンキーコングにおけるハンマーを取った時の軽快な効果音などは誰もが耳にした事があるだろう。
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**作曲作品の一例
-[[ドンキーコング]]
-[[ドンキーコングJR]]
-[[マリオブラザーズ]]
-ドンキーコングJRの算数遊び
-ベースボール
-テニス
-ピンボール
-[[マイクタイソン・パンチアウト!!>パンチアウト!!]]([[中塚章人]]氏、[[山本健誌]]氏と共作)